インド哲学 Part1 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
先住民族(ドラビダ人)から始まって、アーリア人の定住
バラモン教・自由思想家の登場・仏教・ヨーガ・禅・密教
クリシュナムルティなど
興味深いインドの世界を語りましょう http://engei2ch.s252.xrea.com/cgi-bin/plant/15077.jpg
園芸板にもはったんですが
この絵でシバ神にささげられている植物は、ベルノキ、ココナッツ、バラ、麻の葉
以外はなんでしょうか? 人格神としての梵天と梵という概念の関係を体系立てて理解できる本のおすすめありませんか?? >>4
つか、全く違う
梵我一如というか、梵にしろ我にしろ何か実体・本質と捉えるなら、誤っていると
パーリ『梵網経』で明瞭に説かれている
仏教の伝承は、これに従っている
ヒンドゥーからは無我説が批判されているし、仏教側からは有我説が常見として邪見と捉えられる
ヒンドゥーの近代で仏教と同じと説かれたり、文献学者の一部が、その違いが分からなかったりするだけ
同じと考える人は仏教が全く分かってないと思って間違いない グノーシス主義の根本であるギリシャ哲学とインド哲学は同じアーリア人によるもの
宇宙の根本原理(ブラフマン)を示すグノーシス主義の否定神学と
意識の最も深い内側にある個の根源である真我(アートマン)を示すヤージュニャヴァルキヤのネーティネーティの同一性を以て
アートマンとブラフマンが同一である梵我一如へと至る インド哲学は面白いと思うけど話題にならないんですね ウパニシャッドの実践目標は、簡単に表現すれば、不安の解消だからな。
中村元博士は、「絶対の安心立命の境地」と言ってるけどな。
アドヴァイタについては、ここ15年ぐらいで、爆発的にカミングアウトが起きている。
それも自分の家を中心に集会を開き、著作を2,3冊書いている爺さんや婆さんが自分の体験およびアドヴァイタ哲学を語っている。
これは、以前の解説書には見られない現象である。
アドヴァイタはその上、禅の本質的体験(見性)ではないかとも言われている。 ウパニシャッド的世界観によれば、対社会、対人間関係は第二義的な価値を有するにすぎないからな。
社会や人間関係よりも、自然の苦しみ(飢え・渇き・苦しみ・悲しみ・妄想・老・死など)
の克服を重要視しているからな。 インド哲学の動機は単なる知的好奇心あるいは探求心の満足ではなく、
解脱の方法を模索することであったから、
その出発点において極めて実践的な性格を帯びていたと言えるだろうな。 インド的世界観の基礎は、カルマ・輪廻・苦・解脱である。
これらの前提を離れてインド哲学を論ずることは不可能だよ。 最近非二元系がアメリカヨーロッパからの逆輸入で流行ってきているみたいですね 中本裕之(なかもと ひろゆき)元弁護士(新62期)=長文=奈良県について(2016年2月)
性別: 男、未婚
年齢: 36歳以下(昭和54年4月2日以降生れ)
国籍: 日本人?(本人談: 2012/03/26 パスポート取得)
住所: 奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)?
最寄駅: 近鉄・生駒線 竜田川駅?
実家: 不動産を所有する資産家の分家
家族: 実家で母親と同居、兄、弟、妹?、父親と確執?
母親: 世界真光(まひかり)文明教団の信者
宗教: 聖書は半分くらいしか読んでいない ←←←←←←←←New!
既往症: ノイローゼ(2013/1/15)
常用薬: リスペリドン(2013/1/7)
禁忌: 奈良駅には行けない事情がある
職歴: 元弁護士(新62期、大阪弁護士会、登録番号 41908)、LECでの答案添削、家庭教師
資格: TOEICスコア 680 (2011/10/01現在)
高校: 奈良県 私立帝塚山中学・高等学校卒?
大学: 京都大学法学部 大石眞ゼミ?
大学院: 関西地方の法科大学院修了
受験: 旧司法試験の東京での申込み状況を知っている
勉強: 合格まで10年かかった。『事例本』シリーズ(辰巳1997年〜絶版)を使用
ゼミ: 憲法のゼミに所属(本人談: 右寄りといえば右寄りの方)
奨学金: 毎月1万円返済、返済期間10年以上(2013/10/22現在)
体重: 63.6キロ(2011/12/20現在)
好物: 水炊き、うどん
好きなアニメ: ザンボット3(1977年)、太陽の牙ダグラム(1981年)、聖戦士ダンバイン(1983年)
偏愛: 伊藤かな恵(声優)、明坂聡美(声優)、高倉陽毬(アニメキャラ) 、小・中学生のホモ
憧れ: 大学教授、公務員
常駐先: 緊急自然災害板(原発情報)、哲学板(千葉雅也、東浩紀)、模型板、声優板ほか
2012/09/01 小・中学生の時にホモってフェラするのが最も良い
2012/09/05 わたしはとにかく、奈良駅にはいけないのです。
2013/10/22 中途半端に頭がよかったのが不幸の始まるなのであろう。 すいません、本(?)のタイトルを失念してしまったので教えてほしいのですが…
・最近インド人におしえてもらったのですが、
「生き方とか、自分の役割(この世における)とかが書いてある本だよ」
と紹介されました。インド出身の哲学みたいなものだと思うのですが…
・最近日本語訳が出たらしいです。
・スマホで本の表紙を見せてくれて、パッと見た時「ティルクントゥラ」(?)みたいなタイトルでした。
それっぽい言葉を検索してみたのですが見つかりません…
よろしくおねがいします。 >>37
ありがとうございます!これです!
助かりました! 違いますね・・・、日本語訳の出版年数もかなり前ですから
私がみたものとは残念ながら別のようです 見たのは表紙だけ?
どういうことが書いてあったのよ いえ、見つかりましたよ。リンク先のアマゾンに売ってるやつです 宮元啓一さんの本ってどの本がおすすめですか?
古書でしか入手できないものも含めて教えて頂ければ幸いです 『インド哲学の教室―哲学することの試み』
中古で買ってまで読まなくてもいいから図書館で探すといいと思う >>46
確かに、こういう視点の本は他にあまりないね そもそもインド哲学って何よ?
ヒンドゥー? シーク?
古代っていったいいつのことなのさ インド哲学相関年譜
http://pds.exblog.jp/pds/1/200908/08/41/a0024841_14473020.jpg
唯名論と実在論の系譜
☆=語は常住、『顕現論者』
◯=語は人為的、『生起論者』
<ヴェーダの宗教>
最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8 |
沙門たちの宗教 |____________________________☆文法学派
前6 <ジャイナ教 <◯仏教> | |
など>(前6〜前5)<ヒンドゥー教> |
前4 | |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
| | カナーダ『ヴァイシェーシカ |
前2 『ミリンダ王 |____☆ミーマーンサー学派 スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』 | | (前2〜後1) |(前2〜前1)
西暦紀元 | |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2) | |
| | |___________|____◯ニヤーヤ学派 | |
2 ナーガールジ | |_☆ヴェーダ |『ニヤーヤスートラ』 | |
ュナ=龍樹(2)| | ーンタ学派 | (2〜3) | |
| | |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派 4 <ヴァスバンドゥ=世親> シ 『ブラフマ シャバラス | | | |___ヨーガ学派
| |(5) ャ スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |『カーリカー』『ヨーガ
ディグナーガ=| ク |(4) (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月| |(4)スートラ』
6 陳那(6) | テ | | バーシヤ』|『十句義論』(5)| | | (4)
| | ィ | __| ウッディヨー | バルト | ヴィヤーサ
ダルマキ | 時 | | | タカラ(6) プラシャス リハリ | | (5)
8 ールティ | 代 シャンカラ |クマーリラ | タパーダ(6)(6) | |
(7) | | |(8) | |(8) | 『バーシヤ』 | | |
| | | | プラーバ | |____| | | |
| | | | ータカラ | ウダヤナ(10) | | |
| | | | (8) | | | | |
| | | | | アンナンバッタ(15) | | |
| | | | | ?『マニカナ』(17?) | | |
| | | | | | | | |
| | |<一元論> <___多____元____論____> <二元論>
<___唯___名___論__> <___実____在____論____> <唯名論or実在論?> 新スレが建ちましたぁ〜♪
坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1483429081/ 中村元博士がインド哲学・仏教学を専攻した理由が
「体が弱くて社会で働けないから」なんだよな Best Of Gospel ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=OFPv6_V1e6Y&list=RDOFPv6_V1e6Y#t=0
Harlem Gospel Choir - Amazing Grace ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=aaKf6P2nhKg&list=RDaaKf6P2nhKg#t=9
Touch Me Lord Jesus - Gospel Legends Volume 1 Margret Allison ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=jmJnLIWs0vE
Jesus Will Fix It - Lee Williams ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=i6ZmC_HTlHI&list=RDi6ZmC_HTlHI#t=18 宗教者は哲学者を馬鹿にしている
聖者は大学教授を盲目の土竜と馬鹿にしている
行動や体験なき知識は空しい 宗教観の薄い日本人は宗教と聞いただけでアレルギー反応起こすから
そのほうがむしろカルトっぽい old school gospel ー 64 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=xwmPFooejOs&list=PL6567055F9D7F08D4
103 year-old woman still singing Gospel hymns - 1:54
https://www.youtube.com/watch?v=DOPvmhsCtQo
CUTE BABY SINGING GOSPEL SONG JUST LIKE SINGER ほかー 50本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=i1ITiDhV0p4&list=RDi1ITiDhV0p4#t=0 >>58
修行して脳ぶっこわして認知能力下げたヴぁかいたな インドにおいて根強く残るカースト制や女性に対する卑劣な行い
なども、もしかしたらインド哲学によって正当化されてしまっている
という見方は出来るのかな? 精神奇形ヌードショーの自己哲学。天然記念人神に愛される。 トレイラーハウスに帰ったら、どうせまたアルコールに戻るんだろ、おい
このラップというくそ
今という時を、掴み、逃がさないように覚悟しろ
音楽に、この瞬間に没頭しろ
お前のものだ、逃がすな
一発しかない、チャンスは逃がすな
人生に一度しかこない、おい >>68
インドに行ったことある?
カーストなどもうほとんど意味を失っているよ
あの国も日本と同じように金が全て
社会保障などほぼ存在しない国で金が無いってことは文字通りの意味で地獄
だからむしろ日本よりもはるかに露骨に拝金主義が蔓延してる
金の前ではカーストなんて無意味
女性に対する卑劣な行いって何だ?
どこの国にもいる一部の精神異常者の犯罪をインドの因習と関連付けてセンセーショナルに報じてるだけだろう
報じるほうもそういう報じ方のほうが注目を浴びて金になるからそうしてる >>72
良くも悪くも外国人旅行者に、未だそんなに親しい訳じゃ無い一見二見程度でさ
昨日や今日に始まった訳じゃ無い部落問題や在日問題をペラペラ喋ると思うか?
日本は事実上、法律で乞食と乞食行為を禁じててそう言う人は居ない事になってるが
本当に居ないか?
インドのカーストは今は上記の様に表面化しなくなっただけだろ
拝金主義に走るのも、門地や血統で格が決め付けられてしまう風習に対する対抗手段だろ
カースト尊重はウパニシャッドから続くお家芸
これの害悪は仏教を滅亡に追いやった前科で語ってるだろ
有無の二元論か非二元かで多少の違いはあるが、これのどちらもがダルシャナを外れず
レンマの内側だけに思想を語ったダルシャナの限界だと言えよう 因みに、インドで男尊女卑を尊重するのは、ダルシャナ系よりイスラム教徒だな
日本にも伝わってる密教には本来左道タントラと言う淫祠邪教紛いもあり
日本の密教はそれを行なわないが、そもそもの発祥はインドに於ける仏教の迫害から
土着信仰的な五穀豊穣祈願等なども合わせて、仏教がヒンドゥー化した結果と言う
ヒンドゥーの寺院に男女交合の彫刻が多く残ってる事からもそれは覗えよう _,l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l,,_
,.r'´,. -┐ ':..,゙ヽ
,r' ,::;:' ,ノ ヽ、 ゙:::.ヽ
,.' _.,:;:'___ _立_ ___;;ミ゙、
.l厄巳厄巳厄 i王i ,.巳厄巳厄巳l
l´ , "´  ̄ ̄ ̄ `'''′  ̄ ̄ ̄`.:`{
| l ;;:.,. ::、. ... '゙|
,.-''、.,! ,.::' ヽ、:.゙、 ;;.:' '' ヽ | ,.、
./ 、/ `ヾー─tッ−ヽ'' kーtr─ツ'´〕. ヽ.
/ {´i Y::::.. ` ̄ ̄´.: "i! ::. 、` ̄´ ゙:::.、} r、 l
| ヾ_,,入;:::.. `'' " ´.::; .::i! ::.. ``` :. }ツl l
\ ノ ヾ ;:::. .:r'' :: ll! :ヽ;:..:. .: j,ノ ,!
ヽ',,;l ゙i ;::.. _ `ヽ、;;,,,,'.ィ'' _,, .::,;r'1,,,/
ッジ::::::| ゙ ,r'´:::;;;;;;;::> 弋´;;;;;::::ヽ'" |:::::゙'イィ
弍:::::::::::l /:::;r'´ ,,..-ー…ー-、 ヾ;:::'、 |:::::::::::ヒ
シ:::::::::::l i':::,! ´ __ ゙ l::::l:. |::::::::::ス 問う、祖師再来意(そしさいらいい)!
彡;:;:::::l l:::l ''''''''⇒;;;:, l:::l |::::;;ャ` (真理、法、ダルマ、さとり)、とは何ですか?
,r', 广'`ヽl:::l ::::. .:: ゙::. l::l ノ^i`、
,イ(:::j i::;ヘ :;:. .:: l::l'" l:ヽヽ 庭前の柏樹(ていぜんのはくじゅ)。
|;:ヽヽ l::l ヽ ;:.... .. .. : /l::l ノ ,.イ この庭の向こうの柏の木です。
|;:;:;:;\\ l::l ', :;.:;::::::::::..::. / l::l,r'' /;:;:;| シヴァ派とビシュヌ派って結局どう違うの?
明らかに別の起源持ってそうなのに、こんがらがってわかんない
おせーてくだーせ 物事は誕生し、それが一定の間存続して、最後に滅びる。
滅びるときに破壊が起き、新たにシステムが作り変えられる。
ヒンディー教は多神教の宗教であり、
すべてはブラフマーという創造と誕生を司る神が物事の根源である。仏教でいうところの梵天。
物事は創造され、誕生して、そのシステムを人は保とうとする。
この物事を存続させようとする意志がビシュヌという神である。
システムを平和に保とうとすること。それがビシュヌである。ヒンディーにとって仏陀釈迦牟尼はビシュヌ神の化身と考えられている。
そしてある一定の平和状態が続くと、どこかでそれを破壊したがる意志が芽生える。
これが破壊神ジヴァの意志である。それにより人はシステムの破壊をする。ジヴァの力によって。
こうしてブラフマーが新たなシステムを構築し、またビシュヌによって平和が保たれる。
そしてある一定の時間が経過すると再びジヴァがシステムを破壊する。物事とはこの繰り返しなのである。 ブラフマーはまだ若いよな。
お会いしたことはないけど。 インド人にとって悲劇とは、ありのままにあることにほらかならない。また平和を保つということなど取るに足らない話なのである。
高橋直己だか丹生谷だかが云った
「インド人にとっては『身毒丸』なんて喜劇に他ならない」
つまり破壊は悲観することではない。
戦争は権力者たちの構想ではなく、全体の意志である場合が多い。平和は保たれない。何故ならシステムがある一定平和に保たれれば、
それを破壊したくなる意志がどこかで芽生えるのは必定だからである。戦争は起こすものではなく、発生するものだからである。
破壊や暴力はほぼ自然発生の原理である。
人が暴力を欲するときビシュヌの役割が終わって新たなシステムをみんなが欲しているから芽生えるものなのである。 ビシュヌはぐらびゅあ系か。シバーは何やってるか知らない。
ブラフマーが一番正しい人。 >>77
ヴィシュヌは北インド起源で、アヴァターラによって、地方の有力信仰を取り込んで巨大化してきた。バクティ運動もこれに関わる
シヴァはヴェーダのルドラと同一視されたが、もともとはドラヴィダの神格(ヴィシュヌと同じでおそらく有力信仰をいくつも取り込んできた)に基づく。南インドが有力な興隆地となり、ヨーガの主とも呼ばれる
大日如来 マハーヴァイローチャナ。インドで衰退してきた仏教が一発逆転を狙った神格(仏格)。シヴァよりもすごいヨーガ主(ヨーゲーシュヴァラ瑜伽自在主)という触れ込みだったが振るわず衰亡。日本で生き残る。 ヴァスヴァンドゥの師匠だったブッダミトラがサーンキャ派哲学者に論戦に負けて失意のうちに死んだ話笑っちゃうな
師の敵討ちしようとしたけど、会うことができなかったからシコシコ大毘婆沙論書いて勝利宣言
だっさw >>2
あなたは心や体ではなく意識そのものである
世界は意識の中にある
これが梵我一如です ヴェーダーンタ哲学最高に意味ないよな
アートマンとブラフマンが同一であること知る。終わり
知る前も、知った後も何も変わらない
サーンキャ哲学みたいに理論も実践も完備した優れた思想が廃れて、ヴェーダーンタみたいなくだらないののが生き残ったのが残念だ アートマンとブラフマンが同一であることを知っても、何の実感もないし、知的な変化もない
意味なさすぎる 少なくとも俺は人に怒りをあらわにすることがなくなったから後悔はしてないなー >>5
自我というのは五蘊であり釈迦はそれらはアートマンではないとした
真我であるアートマンについては釈迦は無記 >>90
ほー
不二一元論と仏教が似ているようで違うのはそういうことなのかねえ 不二一元論というのはシャンカラという人が確立した学説で、古典的梵我一如への回帰でもあるが、認識論としては仏教の唯識に近いものがある。 ラマナマハリシも質問者に対して沈黙で答えたことが多々あると本で読んだことがある マハルシの教えは、シャンカラの不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)にたどれるが、
自身は何らかの思想や哲学を教えているという思いはなく、ただ自らの体験を語っていた。
難解な聖典の教えを、その本質を把握して明確に説明することができ、数多くの質問者の疑問を晴らした。
しかし、言葉での教えより、マウナ(沈黙、静寂)こそが最も力を持っているとたびたび語っている。
ここでの、マウナ(梵語:???、mauna)は単に言葉を発っさないことではなく、心がその源(真我)に溶けこみ、
別に存在していない在り方を意味している。マハルシは、マウナを「永遠の雄弁」であると表現し、
言葉を発することはその力の妨げになると述べている。 古ウパニシャッド一覧と成立時期
初期 (紀元前800年から紀元前500年にかけて成立。古散文ウパニシャッド)
ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド:白ヤジュル・ヴェーダ:初期 第1期
チャーンドーギヤ・ウパニシャッド:サーマ・ヴェーダ:初期 第1期
タイッティリーヤ・ウパニシャッド:黒ヤジュル・ヴェーダ:初期 第2期
アイタレーヤ・ウパニシャッド:リグ・ヴェーダ:初期 第2期
カウシータキ・ウパニシャッド:リグ・ヴェーダ:初期 第2期
ケーナ・ウパニシャッド:サーマ・ヴェーダ:初期 第3期
中期 (紀元前500年から紀元前200年にかけて成立。韻文ウパニシャッド)
カタ・ウパニシャッド(カータカ・ウパニシャッド):黒ヤジュル・ヴェーダ:中期(紀元前350年から紀元前300年頃)
イーシャー・ウパニシャッド:白ヤジュル・ヴェーダ:中期
シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド:黒ヤジュル・ヴェーダ:中期(紀元前300年から紀元前200年頃)
ムンダカ・ウパニシャッド:アタルヴァ・ヴェーダ:中期
後期 (紀元前200年以降に成立。新散文ウパニシャッド)
プラシュナ・ウパニシャッド:アタルヴァ・ヴェーダ:後期
マイトリー・ウパニシャッド(マイトラーヤニーヤ・ウパニシャッド):黒ヤジュル・ヴェーダ:後期(紀元前200年頃)
マーンドゥーキヤ・ウパニシャッド:アタルヴァ・ヴェーダ:後期(1年から200年頃) 日本語訳
完訳
湯田豊 『ウパニシャッド 翻訳および解説』 大東出版社、2000年
上記一覧に挙げられている13ウパニシャッドの全訳
抄訳
服部正明 『ウパニシャッド』 中央公論社〈世界の名著1, 中公バックス〉、1979年
ブリハッド・アーラニヤカ、チャーンドーギヤ、カウシータキ、カタ(全訳)の主要4ウパニシャッドの抄訳(一部全訳)
岩本裕 『原典訳 ウパニシャッド』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2013年
ブリハッド・アーラニヤカ、チャーンドーギヤ(全訳)、カウシータキ、カタ(全訳)、プラシュナ(全訳)の主要5ウパニシャッドの抄訳(一部全訳)
佐保田鶴治 『ウパニシャッド』 平河出版社、1979年
上記一覧の13ウパニシャッドの内、ケーナだけを除いた主要12ウパニシャッドの抄訳
日野紹運、奥村文子 『ウパニシャド』 日本ヴェーダンタ協会、2009年
上記一覧の13ウパニシャッドの内、カウシータキ、マイトリーを除き、カイヴァルヤを追加した主要12ウパニシャッドの抄訳
向井田みお 『やさしく学ぶYOGA哲学 ウパニシャッド』 アンダーザライト YOGA BOOKS、2016年
カタ、ケーナ、カイヴァルヤに、全ウパニシャッドの入門編となるタットヴァボーダを加えたサンスクリット原文対訳 用語の表記(マーンドゥーキヤ・ウパニシャッド)
(1)ブラフマン (2)アートマン (3)オーム
日野、奥村訳 [節番号なし]
(1)ブラフマン (2)アートマン (3)オーム
湯田訳 [節番号あり]
(1)ブラフマン (2)自己 (3)オーム
佐保田訳 [節番号あり]
(1)梵 (2)自我 (3)唵 中村元選集のウパニシャッドがどのような原文をどれだけ含むかも調べて欲しい >>94
梵我一如とか、ヴェーダーンタ哲学とかの括りで一緒にされてるけど、こういうのって古典ウパニシャッドやシャンカラ哲学とは大分違うよな
古典ウパニシャッドでは、意識ないレム睡眠時をアートマンとブラフマンとが同一である証左とし、
シャンカラは、10人の少年のたとえ話のように、個がブラフマン自身であることを知識として知った時点で、梵我一如は完成している(というか、もともと同じだったことに気付くだけ)
マハルシみたいに修行して真我と没入とかいう考えは、ウパニシャッドやシャンカラではなく、別のルーツがあるに違いない 『バガヴァッド・ギーター』 上村勝彦 (1992)(章題なし)
『バガヴァッド・ギーター』 鎧淳 (2008)(章題なし、索引あり)
『バガヴァッド・ギーター詳解』 藤田晃 (2015)(章題あり)
『神の詩 バガヴァッド・ギーター』 田中嫺玉 (1988)(章題あり)
『バガヴァッド・ギーター』 辻直四郎著 (1980)(章題なし、〜なり調) 『実践「ヨーガ・スートラ」入門』 番場裕之 (2008)(全訳あり)
『現代人のためのヨーガ・スートラ』 グレゴール・メーレ (2009)
『解説ヨーガ・スートラ』 佐保田鶴治 (1980)
『図説ヨーガ・スートラ』 伊藤 武 (2016)(図解つき) “1-1 さて、伝えられたヨーガの教えを教示しよう。
1-2 心の働きを止滅することをヨーガという。
1-3 心の働きが止滅したときには、見るもの(プルシャ、真我)は、それ本来の形態を取り戻す。
1-4 心の働きが盛んなうちは、プルシャ(真我)は、心の働きに同化した姿をとっている。”
― ヨーガ・スートラ(番場訳) >>104
解説がメインで、訳は抜粋の部分訳程度という感じ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています