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  スピノザ   [転載禁止]©2ch.net
0001考える名無しさん
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2015/04/30(木) 11:59:38.300
浅田彰 ライプニッツはものすごい天才だと思いますが、哲学に関するかぎり、
スピノザはもっとすごい天才かもしれないですね。いまだにぼくはスピノザと
いうのがよくわからないんです。
0003考える名無しさん
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2015/04/30(木) 23:05:43.330
第26回スピノザ協会総会・講演会のお知らせ更新

下記の日程で、スピノザ協会総会・講演会を開催します。

日時:6月13日(土)13:00-18:00
場所:明治学院大学白金キャンパス1355・1356教室
 (アクセスはこちらをご覧下さい。)

13:00-13:50 総会
14:00-15:30

 講演@ 平尾昌宏「スピノザ《〈往復〉書簡・集》を巡って----リマスターとリミックス」

15:50-17:20

 講演A 鈴木泉「スピノザ《形而上学的思想》をめぐって」(仮題)

18:00-  懇親会
0004考える名無しさん
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2015/04/30(木) 23:17:16.080
天才とかどうでもええわ。哲学的内容書けよ。
0005考える名無しさん
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2015/05/03(日) 15:10:10.140
スピノザ
0006考える名無しさん
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2015/05/10(日) 06:24:16.080
2015年4月30日木曜日

『スピノザ哲学研究』(復刻版)は5月13日頃の発売
工藤喜作氏の名著、『スピノザ哲学研究』の復刻版が発売されます。
この本は500部限定の出版で、入手いただけるのは今回限りとなります。

スピノザは工藤氏が研究していた頃は、マイナーな領域であり、研究者の数はごく少なかったといわれいます。
しかしながら、アルチュセールやポストモダンの思想家たちが注目したことによって、スピノザル・ネサンスという一種のブームが起こり、一躍注目されるようになりました。
工藤氏はドゥルーズの『スピノザと表現の問題』の翻訳にも携わっておられますが、
そうした流行とは無関係に、伝統的なスピノザ研究を踏まえ、形而上学を中心としたスピノザ像の解明に取り組んできた真摯な研究者です。
500頁を超える大著には、正統なスピノザ研究のアプローチがここかしこに見られるはずです。
ずっしりと読み応えのある本です。スピノザに興味のある若い世代の人々にはぜひ挑戦してもらいたいと願っています。
付録として、工藤氏のお嬢様、工藤寿子氏が工藤喜作氏の私生活の一面を紹介する小文を掲載しました。
0007考える名無しさん
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2015/05/18(月) 02:14:47.660
Hirao, M. @HiraoM 2011年9月20日
@assazi 工藤先生の「近代哲学研究序説」という、いかにも入門風のタイトルの著作は、実は全編スピノザ主義の研究になってます。
0008考える名無しさん
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2015/05/20(水) 18:35:59.940
工藤 喜作 スピノザ哲学研究
福居 純 スピノザ『エチカ』の研究―『エチカ』読解入門
柴田 寿子 スピノザの政治思想―デモクラシーのもうひとつの可能性
河井 徳治 スピノザ哲学論攷―自然の生命的統一について
竹内 良知 スピノザの方法について
桂 寿一 スピノザの哲学
0009考える名無しさん
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2015/05/30(土) 09:37:38.170
>>7
これ実は碌に図書館にも収蔵されてないんだよな
ドイツのスピノザ論争を知るのにいいって聞いたから以前に読もうと思って調べたんだけど
何か理由でもあるのかな
0010考える名無しさん
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2015/06/03(水) 04:42:46.450
「近代哲学研究序説」これ最近神保町で500円で見つけた。
もってるから買わなかったけど。
0012考える名無しさん
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2015/06/15(月) 01:30:06.800
 
0013考える名無しさん
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2015/06/22(月) 00:20:39.010
そだねー。アインシュタインもスピノザの神は信じていると言っているし。
0014考える名無しさん
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2015/07/09(木) 20:33:44.450
外国人と交流する職業だと、にわかでもキリスト教徒であることは、全般に物事がうまくいく。

私は神道と仏教だ、とか言うと絶望的に話がややこしくなる。
そのてん、たまの日曜に教会に行ってあとは聖書を読んでれば、波風はたたない。
0015考える名無しさん
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2015/07/11(土) 04:09:14.05O
じゃ哲学の中身について。
スピノザは経験から離れて公理主義的な無限の操作に転換した。
感覚や個々の行為と切り離された視点から見て、
内面的なカント的な観念論やライプニッツの目的は消滅する。

カントなぞ同じように無限のアンチノミーを問題にし、
神を殺したはずが裏口から神を導入して、
人間を神の操り人形の支配者にしただけ。
主体と言う名の操り人形。
スピノザはカント的な心が先にある主体を解体した。
だからデカルトも批判された。
心は体の可能性をより伸ばせるか否かの生を充実させられるか否かの、
道具にすぎない。
心自体には価値はない。
神のため、理想のため、資本主義のため、民主主義のため。
そういうライプニッツ、カント、ヘーゲル的な、
秩序への献身や、自己目的化は否定される。

スピノザのエチカはカント的な道徳の否定。
フーコーの言う人間の終焉はカントの人間イコール神の共犯関係の告発。

弱者の連帯による禁欲主義的な道徳のテロリズムは否定される。
スピノザは体の能動反動が問題でその役に立つなら他者とも、
連帯を求めることがあるにすぎない。

連帯ありき、ルサンチマンの押しつけありきの観念論の全体主義。
そういう弱者のルサンチマンがナチズムなどを生む。

スピノザの哲学はそういう思想の先回りした否定だが、
ニーチェがハイデガーに曲解されて利用されたように、
スピノザはヘーゲルはじめ正反対の全体主義者に盗まれ偽造された。
0016考える名無しさん
垢版 |
2015/07/11(土) 05:14:03.620
ヘーゲルがいつスピノザを盗んだのだ
ヘーゲルの基礎はアリストテレスで、むしろスピノザのことを
本物の哲学者だといって褒めてるんだが
0017考える名無しさん
垢版 |
2015/07/11(土) 05:22:15.370
盗んだというより、本物であると認めた上で利用したんでしょ
0018考える名無しさん
垢版 |
2015/07/11(土) 05:32:14.040
ぶっちゃけ、ヘーゲル思想はキチガイじみていて
手も足も出ない
スピノザがシンプルで一番良い
0019考える名無しさん
垢版 |
2015/07/11(土) 09:40:59.86O
哲学者は全て一度はスピノチストにならなければならない。
とかいっといて、スピノザとは正反対の内面化、目的論の権化だろ。
ヘーゲルほど汚い奴はいない。
0020考える名無しさん
垢版 |
2015/07/11(土) 09:52:37.69O
スピノザにとって心は体の可能性を引き出すドライバーにすぎない。
ヘーゲル的な世界史を背負った目的論とかは無意味。
0021考える名無しさん
垢版 |
2015/07/12(日) 04:37:48.110
ベルクソン

この世には二種類の哲学しかない。
スビノザ哲学とMY哲学
0022考える名無しさん
垢版 |
2015/07/17(金) 18:30:49.84O
ライプニッツやカントやヘーゲルの下らない目的論を殺すために、
先回りして潰すためにスピノザの哲学があるんだが、
実際はスピノザが出た後に栄えた。
これは、浅田彰が日本の現代思想を殺すために、構造と力と逃走論で、
全てをチャート化して、これ以上語れないようにしたのに、
実際は火に油を注いでしまったように、よくあることだが。

哲学の歴史なんかそんなのばっかしだが。
0023考える名無しさん
垢版 |
2015/07/17(金) 20:23:12.680
失われた素朴さを取り繕うためにスピノザを読んでるような人を見ると、悲しくなるね
0024考える名無しさん
垢版 |
2015/07/17(金) 22:16:23.220
能天気な運命論は、懐疑論までが行き詰まった時代に流行るというだけ
0025考える名無しさん
垢版 |
2015/07/18(土) 04:52:27.62O
ライプニッツみたいに世界に秩序があると言っても、
そんなものは証明できないし、個々の人間や存在には関係ない。
なのにわざわざそれを証明装うのは欲望を満たすため。

神学や哲学の官僚に支配を許すだけ。

神や人間などによって正当化される必要のない生を、
スピノザは肯定しただけなのに。
0026考える名無しさん
垢版 |
2015/07/18(土) 10:28:48.920
権力から解放されたいサヨクにとっての最後の救いの糸がスピノザだったというわけね
0028考える名無しさん
垢版 |
2015/07/18(土) 13:23:48.59O
ライプニッツたちは実際は、同情や憐れみを排除した、
スピノザの悦びに満ちた知を嫌って、
大衆に支持されたというのがあるんだよな。
ライプニッツのまやかしの目的論やカントの欺瞞に満ちた自由と主体性が。
大衆を大衆のまま奴隷化し閉じ込めるものなのに。
スピノザには一切そういう誤魔化しはない。

ヘーゲルまで行くと彼らへの対抗からスピノザが擁護されるが、
スピノザの否定した、自由、主体性、目的、秩序持ち込みまくりの、
この世で一番スピノザから遠い思想だから。
0029考える名無しさん
垢版 |
2015/07/18(土) 13:29:51.07O
ライプニッツが歓迎されたのもスピノザの否定した、
目的や秩序があるからだし。
カントもスピノザのように主体や目的を否定しなかったから、
ヨーロッパ哲学の覇権を握れた。

スピノザにとっては目的や秩序や自由は、過ったイメージでしかなく、
生を小さく閉じ込めるもので反動的なものでしかない。
能動的に生を解放することを目指すスピノザの倫理において、
それらは悪いことはあっても良いものではない。
0030考える名無しさん
垢版 |
2015/07/18(土) 13:48:36.810
> 能動的に生を解放することを目指すスピノザの倫理において、

サヨクが現代思想をこじらすとこんな能天気なことを言うはめになる
0031考える名無しさん
垢版 |
2015/07/19(日) 08:59:23.12O
>>30
スピノザは観念論によるイメージによる受動を明確に批判しているんだが。
お前は何を言ってるんだ?
0032考える名無しさん
垢版 |
2015/07/19(日) 09:09:51.60O
スピノザは神なり人間なりに純粋な目的があるとかの思考を、
誤謬推理だと明確に批判してるわけで。
そういう過ちによる生の反動化を防いで能動的に生きることを模索してる。
身体の純粋な可能性を追求しようとしている。
何か馬鹿に目をつけられてスレが汚されているが。
0033考える名無しさん
垢版 |
2015/07/19(日) 10:03:31.790
またニーチェにかぶれた馬鹿が、スピノザを無理やりニーチェの理論化に仕立て上げて
崇め奉るという構図がw
0034考える名無しさん
垢版 |
2015/07/19(日) 10:25:03.80O
ニーチェとか抜きにスピノザが目的や自由とか否定して、
観念論を反動だと批判してるのは事実なのに何言ってるんだwww
スピノザが観念論的自由を否定したのを知らんのかw
能動、受動で理論組み立ててるのを知らんのかw
0035考える名無しさん
垢版 |
2015/07/20(月) 09:13:45.83O
スピノザの公理主義。

経験離れたアプリオリを論ずる、有限離れた無限を論ずるのは、
プラトンのイデア論以来の伝統だが、
無限を操作として、有限に対する独立した切断として論じたのは、
デカルトでもなくライプニッツでもなくスピノザ。
デカルトなんかは直観主義で古い。

無限の操作の中で正しく、日常の感覚や経験から超越している。
ライプニッツやカントの内面、主体を否定して、
ルサンチマンを排除した、スピノザの反観念論。
0036考える名無しさん
垢版 |
2015/07/20(月) 19:20:34.94O
ニーチェとスピノザは違うし。
ニーチェにはスピノザの公理主義はないし、
スピノザにはニーチェの系譜学はない。
でもどちらも観念論による生の反動化の批判では共通している。
0037考える名無しさん
垢版 |
2015/07/28(火) 02:09:31.610
スピノザがスピノザの公理を神と呼んじゃったことはつくづく悔やまれる
『神学・政治論』もスピノザ哲学においてはあまり重要ではないような・・・
0038考える名無しさん
垢版 |
2015/09/12(土) 00:51:50.54O
ドゥルーズに引き付けて読むつもりもないけど、
目的を求める思考や観念論の批判がスピノザのやってることだし、
ニーチェと同じにしたくはないが、
目的論や宗教的ニヒリズム批判して、能動、受動で考えてるのは、
否定しようがないんだよな。

ニーチェやドゥルーズが嫌いなら、
ニーチェとは違う、公理主義的思考と無限論を掘り下げればいい。
0039考える名無しさん
垢版 |
2015/09/12(土) 00:53:43.34O
むしろ、ニーチェとは違うように読みたいんだが、
結論部分の方法論では同じになってしまうので、
つまらんなというのが正直なところ。
0040考える名無しさん
垢版 |
2015/09/17(木) 02:21:03.710
ララビアータという田島某のブログ、スピノザ再考が面白い
0041考える名無しさん
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2015/09/18(金) 10:52:48.28O
スピノザの一番つまらない部分論じてないか?
自己原因とか。
0042考える名無しさん
垢版 |
2015/09/18(金) 12:05:54.05O
田島がそこで論じていることは
・意味は全体の中で決まるから、
デカルトみたいにいちいち全部疑わなくていいってこと。
・自己原因はアリストテレスみたいに原因を遡った結果要請される、
論理的な必要性ではなく、認識は認識からしか生じなくて、
全ては自己保存、自己拡大しようとするその物が自己原因て話で。

スピノザ理解としては正しいんだが、
結局、それがスピノザの限界になっちまた部分で、
デカルトやニーチェを越えられなかった部分なんだよな。

批判していても、であるが故に同じ土俵、同じレベルでの争いと言う。

一番スピノザのどうでもいい部分。
0043考える名無しさん
垢版 |
2015/09/19(土) 01:48:19.320
そうかな
スピノザの最も面白く、かつ哲学者らしい部分だと思うけどね
先を探求する余地を残しているところ
0044考える名無しさん
垢版 |
2015/09/19(土) 17:49:44.31O
意味が全体の中で決まると言ってもデカルトはその全体自体を疑ったわけでさ。
デカルトと同じ土俵で争った一番どうしょうもない部分なのは事実だけど。
全体か部分かで争ってしまうという。
0045考える名無しさん
垢版 |
2015/09/19(土) 22:40:10.820
スピノザ自身がデカルト自身と争った?
そんな馬鹿な・・・
結果以前に発生と過程が全く異なってるのだから争おうにも争い様がない
0047考える名無しさん
垢版 |
2015/09/20(日) 21:12:32.81O
abcdから全ての要素から考えないといけないとスピノザが、
デカルトの方法論的懐疑を否定しようとしても、
デカルトもまた、abcdの全てが正しくないとうまく行かないから、
疑おうとやってるだけだしな。
スピノザは何も付け加えていない。
スピノザの一番駄目なところなのは明らかで田島も馬鹿すぎる。
0049考える名無しさん
垢版 |
2015/09/22(火) 19:42:16.57O
スピノザの核心は公理主義による内面主義の排除にあるから。
その部分から考えればドゥルーズの共通概念によるスピノザ論とか、
論外。
鼻くそみたいなもの。

無限の操作性で考えればカント的な主観主義やドイツ観念論など、
全ての内面に依拒する思想が成り立たない。
0050考える名無しさん
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2015/09/22(火) 19:49:11.680
スピノザにジョン・ロックの著作を読ませてやりたかった
0051考える名無しさん
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2015/09/22(火) 19:57:08.07O
三角形が常に三角形である真理性が無限の操作による一致にしかなく、
感覚や経験から全く断絶して成立するように、
実体や身体や心の真理性が心理や感覚や内面と独立に断絶してある。

ライプニッツの目的の調和やカントの主観の定言命法による命令など、
成立する余地のない下からの自然による実体や身体を、
心はただ受け入れるしかない。
0052考える名無しさん
垢版 |
2015/09/24(木) 20:57:49.89O
スピノザの間違いは無限を使い、全てを数えあげることで、
もたれあいを排除するのは理論上正しいけど、
究極においては人間は全てを知り得ないから、
どっちにしても弱者の連帯とかも必要になることなんだよな。
能動、受動だけでは分けられない。全てを説明できない。
能動のような受動もあるし、受動と分かちがたい能動もある。

ニーチェもそうだが、そこらへんが限界。
0053考える名無しさん
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2015/09/25(金) 04:29:34.590
千葉雅也 7時間7時間前
やっと自分なりにスピノザの必要性がわかったのだろうか。

千葉雅也 7時間7時間前
無意味なる、無解釈の、純然たる力。これはスピノザだな。
0054考える名無しさん
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2015/10/15(木) 01:30:47.450
無意味無解釈ではなくアンタッチャブルなんだよ>スピノザ公理
けど人間は知的好奇心があるから、知りえない、たどり着けないとわかっていても
スピノザ公理への指向はなくならないし、そのことに何等問題はない
0056考える名無しさん
垢版 |
2015/10/28(水) 07:54:06.380
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/bitstream/10232/25160/2/04_%E8%BF%91%E8%97%A482.pdf
エピステモロジーの伏流としてのスピノザ、あるいはプラトン : Knox Peden, Spinoza contra Phenomenology. French Rationalism from Cavaillès to Deleuze を読む
近藤 和敬

ところで、スピノザをめぐる二〇世紀フランス哲学の迷走の一つの重要な原因は、この政治思想
の潮流の変化にある。すくなくともカヴァイエスとゲルーは、自らの政治的で宗教的な立場を、ス
ピノザの『エチカ』によって基礎づけようとは考えなかった。確かにカヴァイエスの政治的行動も
宗教的行動も、本人も述べているようにスピノザ主義者のものであるとみなされうるが、その一方
でそれらの行動が『エチカ』によって、つまり倫理によって正当化が為されうるとは認められてい
ない。その一方、ドゥサンティもアルチュセールも、ともに『エチカ』という形而上学的体系によっ
て、自らの立つ政治的な立場の正しさを基礎づけようとする(アルチュセールにおける科学として
の歴史的唯物論がその最たるものであり、ドゥサンティの場合、たとえば『哲学史入門』における
議論に見られる)。この思考様式は、アルチュセールの後にドゥルーズへと引き継がれ、さらにネ
グリの『構成的権力』およびハートとの共著である『帝国』の議論にまで至る。しかしこの正当化
という目的に従って、スピノザの『エチカ』それ自体が歪曲されてきたということは、しばしば指
摘されてきた1
。問題がさらに複雑化するのは、この時正当化された立場から批判される対象が常に
一つの同じ現象学であり、したがって現象学の対立項としてのスピノザというものの姿が捻じ曲げ
られている以上、この現象学にたいするスピノザに依拠した批判というものもまた同様にある種の
捻じれを含むことになるということである。
0057考える名無しさん
垢版 |
2015/12/31(木) 21:29:38.640
I have striven not to laugh at human actions, not to weep at them, nor to hate them, but to understand them.
~Spinoza
0058考える名無しさん
垢版 |
2015/12/31(木) 21:30:21.910
"All things excellent are as difficult as they are rare." Spinoza
0059考える名無しさん
垢版 |
2015/12/31(木) 21:31:01.680
He alone is free who lives with free consent under the entire guidance of reason.
- Baruch Spinoza
0061考える名無しさん
垢版 |
2016/05/07(土) 20:36:15.570
ジュンタロコロコロ
「思想2016.5」ヘルダー-近代の詩的思考-特集号が届く。イメージ論からして、詩人であり、カントよりゲーテに近い。
カントが「学的でなく詩的」と批判し、対してゲーテがヘルダーの影響でスピノザを理解し、
それがドイツでのスピノザ理解を促進したと興味深い記述あり。
2016年5月7日
0062考える名無しさん
垢版 |
2016/05/17(火) 10:56:49.340
メリッソスにおける実在の非物体性と唯心論哲学Cスピノザの神即自然とメリッソスの真なる実在
2016年5月13日
http://information-station.xyz/3009.html
0063考える名無しさん
垢版 |
2016/05/22(日) 11:10:53.100
あ、あとあれなんだよね、
サイエンス漬けではあるけど読んでなかったドゥルーズの「スピノザと表現の問題」を読んでるんだけど生きる気力が湧いてくる感じだよね。
ネグリの野生のアノマリーと相通じるところがあってある意味で相互補完的かもしれないよね。
まぁあと俺が今やってることってスピノザでいえばまさに知性改善だからね。
んでもやっぱオントロジーのコアの部分をpotensiaとするところがかっこいいよなっていうか元祖ニーチェだよね。
ニーチェがスピノザのことを友だ!とかって言ってたのもうなづけるよね。
ネグリのマルチチュードっつーのもイデオロギー臭い左翼思想というよりかは元のスピノザに寄せて考えれば
左翼云々関係なく存在自体があるということとそれが分化していくとか運動していくとかっていうダイナミズムとして考えられるよねっていうか
まぁようは別にネグリみたいにゴリゴリのマルクス主義者じゃなくてもオントロジーとして解釈可能っていうか
もともとがオントロジーでそこにマルクス主義とか左翼的flavorを入れるとネグリのイデオロギーってことになるんだけど
元のスピノザで言えばドゥルーズ的な千のプラトーとかさ、ガタリの闘争機械ということにしたってまぁ根源的にはオントロジーだもんね。
ニヒリズムに寄せ過ぎかもしれないけど
基本的にこういうニーチェ的というか力能的なものってのがドゥルーズとかガタリとかってベースになってるからね。
だからやっぱ思想としてのパワーがあるんだと思うけどね。ネグリの野生のアノマリーにしても
絶望しながら獄中で書かれたっつーのが逆説的に凄まじい力のあり方を論ずるスピノザ論ってのがまたロマンあるよね。
あとまぁヨブのやつとかもいいんだよね。凄く。まぁただ根本的に絶望してるか絶望を経験してないと体感できないよね。こういうのって。
そこがまぁやっぱ思想とのシンクロニシティっつーのかな。リア充に哲学が無理なのもそういう理由ですね(笑)
http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20160522
0064X
垢版 |
2016/05/22(日) 19:51:57.170
◆◆◆神がプログラムしていた人類歴史・預言・神の裁き◆◆◆

http://blogs.yahoo.co.jp/honest_and_hawk/55615652.html
↑ヨハネの黙示録 20世紀〜現代 解説
http://synchronicity7.seesaa.net/article/433130959.html
↑神による歴史のプログラム シンクロニシティ-共時性-【概説】
http://macrospirit.seesaa.net/article/432830420.html
↑裁 マクロ精神分析
http://individualspirit.seesaa.net/
↑個体精神分析 精神の病を克服する
◆◆◆
0065考える名無しさん
垢版 |
2016/06/07(火) 12:08:00.600
夢中夢/mutyumu
◾エチカ/スピノザ
僕自身が理性の哲学者の中で特に惹かれる1人がスピノザだ。
スピノザはデカルトの心身二元論の問題を引き継ぎ第一原因は全てに先立つ超越的なるもの、すなわち神であり、
全ては実体である神の属性だと考え論証的に説明した。

が、概念が擬人化された教義の神の信徒からは神=世界全体であること(汎神論)が逆に無神論的と批判された。
またスピノザは全てが神ならば偶然などなく全ては理性による必然であると考えた。
この考えはライプニッツ(ライプニッツは何度もスピノザを訪ねている)などの理性主義者に継承されている。

また神の永遠の相において、その永遠と無限の前では時間的、空間的な区別は普遍化されると考えた。
またスピノザは人格神の非合理な教説に批判的で、真に超越的な神の概念を相手にしていたスピノザは共同体であるユダヤ教から破門された。

1950年代にスピノザの破門解消の動きがあったがその反対陣営には「イリヤ」でおなじみレヴィナスがいた。
レヴィナスは「スピノザはタルムードを知らなかったのか?」と不快感を示しているが、
むしろ定理に対する注解も重視するスピノザの姿勢は感覚的にはその逆に見える。

スピノザもレヴィナスも共に無限を相手にしているがその中身は決して相容れない。
スピノザの無限では永遠の相において私と他者という個体の区別は解消されるが、
レヴィナスにとっては無限は私の前に広がる外部であり他者だ。

スピノザの神の前では個体はある構造体に与えられたパラメータの差異であり、
あらゆる固体の運動は関数に与えられた引数の差異だけかもしれない。
ただこれは決して個体を無視するわけではなく、理性的に多様性や詩的な自然観も保証されていくはずだとと僕は楽観的に考えている。

ところで西洋社会では長らく無限より有限が重視されており、無限はネガティブなものだったらしい。
が、スピノザは有限より無限を積極的に優先した。
で、スピノザの時代から時は流れると無限に惹かれ、その不思議な特性を次々と証明した信仰心の強い数学者カントールが現れる。

もし集合論のアレフ数としてスピノザの神が記号化されるならば、永遠の相の下にラッセルのパラドックスが出現するかもしれない。
2016年6月4日
0066考える名無しさん
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2016/08/15(月) 19:03:05.950
「国家論に関して私とホッブズとの間にどんな相違があるかとお尋ねでしたが、その相違は
次の点にあります。即ち私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています( semper
sartumtectum conservo )。従って私は、どんな都市の政府も力において市民にまさってい
る度合に相当するだけの権利しか市民に対して有しないものと考えています。自然状態
においてはこれが常道なのですから。」*

*書簡50(1674年6月2日付のイエレス宛書簡)、『スピノザ往復書簡集』、畠中尚志訳、
岩波文庫、237-238頁。スピノザは『神学政治論』第16章の傍注でもホッブズの
名を挙げて、ホッブズの説との対比で自説の特色を述べている(岩波文庫上301−2頁)。
0068考える名無しさん
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2016/11/12(土) 14:52:18.99O
アリストテレスは全ての系列を遡ってその始点、それを神とする
神は全ての系列のメタにあり世界の目的や秩序を
個の視点から説明できない世界の意味を与える
人間はそれに寄り添えばいい

スピノザはその全ての系列が予め与えられたものとして
その全体を目の前において神=無限だとする
神さえもその中にいて超越できない
目的なんかは外にはない
中での少しでも能動的になろうとする活動としてしかない
目的も秩序も鰯の頭の信心でしかない
全ては渦中の中の生存競争でしかない
アリストテレス、アクィナス、ライプニッツやそれを人間学化した
秩序や目的は否定される
0069考える名無しさん
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2016/11/12(土) 15:03:54.22O
アリストテレスは全ての系列を遡ってその始点、
個の機会主義やリゴリズムを越えた全体の視点に立て超越できる場所
それを神とする
神は全ての系列のメタにあり世界の目的や秩序を
個の視点から説明できない世界の意味を与える
人間はそれに寄り添えばいい

スピノザはその全ての系列が予め与えられたものとして
その全体を目の前において神=無限だとする
神さえもその中にいて超越できない
目的なんかは外にはない
中での少しでも能動的になろうとする活動としてしかない
目的も秩序も鰯の頭の信心でしかない
全ては渦中の中の生存競争でしかない
アリストテレス、アクィナス、ライプニッツや、
それを人間学化したカント的な秩序や目的は否定される
0070考える名無しさん
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2016/11/12(土) 16:04:38.70O
アリストテレスの神、系列の外、メタに立ち、
外から世界に目的を秩序を意味を与える神、
時にキリスト教的な人格神さえ与えられるアクィナスやライプニッツ、
人間学化して主体性の内面化するカント的な近代哲学
それを批判するのが全ての系列の外には出られない神=無限
スピノザ的な内在神

神さえ無限の外には出られない、目的も秩序もない世界で
能動の限界に挑戦するのがスピノザの倫理=エチカ
頼れるのは己の体=内在性のみ
0072考える名無しさん
垢版 |
2016/12/07(水) 22:16:05.230
宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
   ――スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」(全文)

「序言
 経済政策に就て記述した大抵の人々は、恰も彼等が商品経済の法則に従う商品経済的の
物を取り扱うのでなくて、商品経済の外に在る物を取り扱うような方法を取っている。
云々

 定義
 一、二 略
 三、経済政策とは商品経済の運動を増加し、或いは滅少し、促進し或いは防止する商品
経済の発動、及びそれと同時に、これらの発動の観念であると解する。
 それ故に若し社会がこれらの発動の妥当なる原因であり得るならば、社会は政策を働'と
解し、然らざる場合には受'働'と解する。

 仮定
 一、商品経済の社会はその活動を増加或いは減少する多くの仕方において刺戟され、又
同様にその活動力を増加或いは減少しない他の仕方においても刺戟されることが出来る。
 二、商品経済の社会は多くの変化をうけ、且つその際に対象の印象或いは痕跡に従って
物の同じ表象像を維持することが出来る。

 定理
 一、政治は或働を為し、又或る働を受ける。即ち政治は妥当なる観念を有する限りに於
いて必然に或る働を為し、又非妥当なる観念を有する限りに於いて必然に或る働を受ける。
 証明。略
 系。これから、政治は非妥当なる観念を一層多く有するに従って益々多くの働を受け、
又反対に、妥当なる観念を一層多く有するに従って、益々多くの働を為すことが起こる。」

(2008年お茶の水書房、宇野弘蔵『『資本論』と私』271-272頁より。同書解説ではスピ
ノザのパロディと解釈される。初出は1935年、東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号。)
0073考える名無しさん
垢版 |
2016/12/07(水) 22:17:26.010
参考:
宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版局1973]:475-476頁
大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007
http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
(これは、大黒弘慈「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」1999『批評空間』第II期
第20号,太田出版 他を纏めたもの)
0074考える名無しさん
垢版 |
2016/12/08(木) 19:38:21.58O
系列の外に出る神、超越神の系譜の中で、そういうメタを一切否定するのがスピノザ
0075考える名無しさん
垢版 |
2016/12/08(木) 19:41:06.71O
神が外にいると、世界の外から目的や秩序を与え従属させる
スピノザは神さえ世界に従属し出られないから目的はない
その中で落とし前つけないといけない
0076考える名無しさん
垢版 |
2016/12/08(木) 20:48:40.830
スピノザの読み過ぎで「超越が大事」と言われても全くピンとこなくなった
日本的多神教の話もなんかウザい
でもそいつらの心情は一応大事なんだろうなと『神学・政治論』マインドから考えている
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