スピノザ [転載禁止]©2ch.net
浅田彰 ライプニッツはものすごい天才だと思いますが、哲学に関するかぎり、
スピノザはもっとすごい天才かもしれないですね。いまだにぼくはスピノザと
いうのがよくわからないんです。 https://www.msz.co.jp/book/detail/08348.html
著者 スピノザ
訳者 佐藤一郎
「共同の暮しの中でよく出遭うものがみなむなしく、くだらないということを経験から教わったのち、
失われるのではないかと心配していたもの、招くことを恐れていたものがどれも、それによって気持が揺すぶられたからということがなければ、
それそのものには善いところも悪いところもそなわらないことを見たとき、わたしはやっとたずねようと心を定めた。
真の善でみずからを分ちあずからせるような或るものが与えられるかどうか。
ほかのいっさいを投げ棄てて、独りそれだけから気持が触発されるようなもの、
それを見出して獲得すると、持続する最高の喜びが永遠にわたって享受されるような或るものが与えられるかどうかをたずねよう、と。」(「知性改善論」) 「歴史上、最も過激な思想家」という、スピノザへの評価は、普通の日本人にはまずピンとこないだろう。
スピノザの汎神論は、八百万の神の文化を持つ日本人にとっては、一神教よりも
ずっと親しみやすい。過激どころか、むしろ穏健な思想に思われる。
ところが、キリスト教の教義とは真っ向から対立する。
キリスト教では「神に創造された被造物」とされる、この世の諸存在を「神」だという思想。
17世紀といえば、まだまだ異端者が火あぶりにされていた時代。
これほどキリスト教の教義をバッサリと否定する思想を唱えた、スピノザは驚異。 当然のごとく迫害されたため、「言論の自由」を唱えた。
汎神論があまりにも有名になりすぎたために隠れているが、史上初めて「言論の自由」を唱えた、
自由主義者としても重要。 >>1
宗教と無縁な人生を送ってきた浅田彰に、スピノザの過激さを実感できるはずがない。
だからどうだってわけじゃないんだが、いい悪いは別にして、無理だ。 迫害されたといっても、スピノザが隠遁して逃げ回っていた最大の原因は、
カトリック教会ではなく、彼を破門した同胞のユダヤ教会だった。
カトリック教会が恐るべき敵なのは明らかだったが、それ以前に、ユダヤ教会が目前の敵だった。 そうした逃亡の日々の中で精神的にも追いやられハゲ散らかしたのだった。 ユダヤ教徒に刺し殺されそうになったと伝記で読んだがどこまで本当なのだろう? 小学校の頃ミサを1〜2回か経験したことはあった。けれども、中学受験では無宗教の学校を選んだ。
浅田彰みたいに中1から高3まで6年間もカソリック系の学校に通う気にはとてもならなかったわ。 >浅田彰みたいに中1から高3まで6年間もカソリック系の学校に通う気にはとてもならなかったわ。
それは、単に京都で一番の名門校に通ってただけだろ(笑) 以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より
Kindle: http://www.amazon.co.jp/dp/B00PRK11PG
iBooks : https://itunes.apple.com/jp/book/shen-xue-zheng-zhi-lun-shang/id942883345?mt=11
《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう義務付
けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に見出せる*。》
(上巻第五章)
*極東におけるオランダの交易相手として、スピノザは日本という非キリスト教国の存在
だけでなく、日本でのオランダ商人たちの暮らしぶりについてもある程度のことを知って
いたらしい。宗教儀礼にこだわらないことで開かれる異教徒・異教国との交流可能性を
説明する好例として、スピノザは本書後半でもう一度日本のことを引き合いに出している。
《もし、至高の支配権を手にしているのが異教徒たちだったら、次の二通りの考えがあり
うる。…たとえばキリスト教国を支配している人たちは、自国の安全を高めるためなら、
トルコ人などの異教徒たちと同盟を結ぶことをためらわない。また現地滞在に赴く自国民
たちには命令を出し、人事であれ神事であれ、両国間ではっきり取り決めているか、現地
政府がはっきり認めている以上の自由を求めないよう促しているのである。これは前に
述べておいた、オランダ人と日本人の取り結んだ協定からはっきり分かる。》
(下巻第十六章二十二節) 倍根(ベーコン)
度加多(デカルト)
斯比諾薩(スピノザ)
洛克(ロツク)
来布尼(ライプニツツ)
伯科里(ベルキユリ)
富謨(フユーム)
里度(リード)
韓図(カント)
非布底(フイフテー)
舎倫(シエルリング)
歇傑而(ヘーゲル)
波密頓(ハミルトン)
空山(クーデン)
坤図(コント)
弥爾(ミル)
斯賓撒(スペンセル) 愛阿尼(アイオニツク)
以太利(イタリツク)
英利亜底(エリヤチツク)
詭弁(ソフイズム)
瑣克剌底(ソクラテス)
弗拉的(プラトー)
亜里斯多徳(アリストートル)
土多亜(スター)
英彼古羅(エピキユラス) とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
6GKRI ウサイン・ボルトはスピノチスト
https://twitter.com/arapanman/status/963695738394886144
ボルトが桐生選手にしたアドバイスを出場選手全てに贈りたい。「いいか桐生
自分のために走れ それが国のためになればいい まずは“自分のために走る”
そして“楽しむ” それが日本のためになるんだ 決して国のためだけに走っては
だめだ 楽しもう スポーツは楽しむものだ」 よくスピノジストとかいうけど○○イズムってスピノザ的からいちばん遠い 汎神論者を上手くカタカナで言った言葉ってないのか? パンテイストでぐぐったらパンについての記事しかヒットしなかった スピノザの学説に関する書簡
Friedrich Heinrich Jacobi (原著), F.H. ヤコービ (著), 田中 光 (翻訳)
出版社: 知泉書館 (2018/4/15)
本書は1785年に刊行され、ヘーゲルなどに大きな影響を与え、
カント、ゲーテをはじめドイツ思想界を巻き込んだ「汎神論論争(スピノザ論争)」発端の書である。
巻末には訳者によるヤコービの紹介と年譜、『スピノザ書簡』各版の異同情報を付す。 きょう岩波の短論文をブックオフでみつけて300円で買った
そのまま本屋に行ったら短論文と知性改善論の新訳が出てた
7000円もするのだった スピノザの定理は面白いよな。どんな世界でそんなことが起こっているのか
想像つかないし、まあ尋常な哲学ではないさ。ライプニッツの比ではない。 あちこちで新訳全集のうわさがあると聞いて久しいが
専門家ならラテン語で読むんだろ
何万にもなるだろうし売れそうもないから頓挫したかな
岩波文庫が畠中訳全巻を復刊してほしい 新全集頓挫の話はみすずから出た知性改善論の新訳のあとがきに書いてあった。
みすずの知性改善論は全集として出すはずのものだったとのこと。 うえに佐藤訳の例があったけど畠中訳より読みづらいね
精確さではなく日本語としての話だけど
神学政治論の新訳は読みやすい
岩波は書簡集だけ持ってないんだよなあ 高くても良いから、エチカ単体をハードカバー愛蔵版とかで出して欲しいな。
今普通に買えるものは岩波の文庫サイズと中公の新書サイズしか出ていないし。 ハードカバー本なんか本棚に飾って来客にさり気なく知的な風を装ったり
悦に浸るための価値しか無い ハードカバーの方が所有しているという喜びを感じることができるんだよ。
余白にも書き込みやしやすいし。 ワイド版の岩波文庫を買って雑誌製本してもらうという手はある ゲプハルト版ラテン語原文との対訳仕様なら今出しても価値はありそうだな
競馬でも当たったら買っちゃうんじゃないかな ゲルーの注釈本とゲプハルト版の翻訳、今からでもやってくれい 新訳よりめぼしい解説書の翻訳のほうがありがたいかもね
公理7でもう躓いちゃったよ
たぶん向いてないし俺の頭も悪いんだろうけど
わかりたいんだよなあエチカ 第2部定理8の矩形の説明は佐藤訳の訳注が詳しかった気がする 神学なんとかってのが本棚にあるけど、ラテン語勉強していないから当分、読む予定はない。 神学政治論のラテン語の原書があるよって話か?いいな みすず書房で出している、佐藤訳の『エチカ抄』は、他の訳者との違いを際立てようとするあまり、
全体的に妙な当て字を使っているから読みづらいのだ。 いっそ可能な限り言語的曖昧性を排して
すべての連関を図解で示してもらいたい 神にも人間にも自由意志はなく、一切の事物は必然であるなんて、
スピノザ哲学のどこに魅力があるのかわからねえ。
スピノザ哲学の解説書をやっと見つけた暇な時間に
酒をやりながら開いたが、酒がまわっているとよくわからんな。 3:56備考
http://nam21.sak ura.ne.jp/spinoza/#note3p56n
備考 きわめて多様であるべき感情の種類(前定理により)の中でも特に著しい
のは美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲である。これらは愛もしくは欲望の
感情の本性をその関係する対象によって説明する概念にほかならない。なぜなら、
我々は美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲を美食、飲酒、性交、富および
名誉への過度の愛もしくは欲望としか解しないからである。なおこれらの感情は、
単にその関係する対象のみによって相互に区別される限り、反対感情を有しない。
http://nam21.sak ura.ne.jp/spinoza/#note3k48
…これらの感情に対置されうるものは、我々がのちに述べるであろう寛仁と勇気のみ
である。 定理は面白いけど、情報は伝わるものの、文、読書 行動
として成り立つにはまだ時間がかかるだろう。情報の受け手の対応策も大事なら
書き手の送り手への配慮も賭けてはならないと思う。天才的というより
独立している、書簡だと思う。 心に響く。頭で理解していなくても、理屈を捏ねて否定しようとしても、
既に伝わってしまっている。 心理学や病跡学でIQ180と推定されているゲーテが、
スピノザの「没我主義の輝き」にひきつけられたと言って
(『詩と真実』)、
スピノザを研究していた時期があるくらいだから、
スピノザってのは凄いんだろうな
ゲーテのスピノザ論
https://www.soka.ac.jp/files/ja/20170428_224130.pdf >>182
お前は真実性よりも魅力のあるなしで哲学に関心をもつのか スピノザを推す人たちが豪華すぎて無視できない
万が一わかったらそんな偉人たちと肩を並べた気になれるのだとしたら
そんな幻想抱いてもいいよねなんせスピノザの翻訳薄いし安いし >>1
浅田彰って修士だったんだな
博士は持っていない
まあ論文すらまともに書いていないんだから
彼の学者としての限界は意外と早くて
助手になってからすぐだったんだだろう
書けないんじゃどうにもならない スピノザ実践の哲学でドゥルーズがヘンリー・ミラーを引用してるけど
そのミラーの出典分かるって方いらっしゃいませんか? 大江柄谷全対話より
2018[1995]
大江 …
自然と、自然の中に含まれるすべてのもの、僕のようなもののサブスタンスも実在
も、全部神という大きい実在のうちにあるもので、自然イコール神であると同時に
神は実在全体に対する認識を持っていて、その認識の一部として僕の認識もあると考
えれば、むしろ歴史の対極にあるものだと思います。
ところが、そのような僕たちの実在、神の認識の中で動いて生きている僕たちの実
在が、じつは歴史を構成している。そうすると、あなたがおっしゃったマルキシズム
も、あるいはポスト構造主義も、スピノザの考え方の展開の中にある。その意味で、
僕は決して矛盾しないと思うんです。
それをはっきり具体的に示していた人はドゥルーズです。マルクス主義との関係、
あるいはポスト構造主義との関係においてスピノザを考えれば、ドゥルーズはこれか
らも非常に意味のある人だろうと思います。
118頁 柄谷
…スピノザは人格神を想像物と見なしています。
しかし、神 世界 自然=唯一実体という考えの中には、ヘブライ的なものが入って
いると思います。それが伝統的な形而上学、あるいはデカルトの実体論とは異質な点
です。スピノザが永遠と呼ぶのは、この歴史的世界を越えるものではなくて、この歴
史的世界そのものだと思うんです。
一見すると、それは矛盾するようですが、このような矛盾は、スピノザが自由意思
を否定したことについてもいえます。つまり、それなら、彼の行動は、自由な決断で
はなかったのか、というような。もちろん、彼の決断は自由になされています。しか
し、それは彼がこの世界を越えてあることではないし、さまざまな諸原因によってい
るわけです。すべてが自然的原因によって決定されているから自由はない。しかし、
自由はある。この問題を徹底的に考えたのはカントだと思うんです。いわゆる第三ア
ンチノミー(二律背反)というのがそうですが、彼は、これは第一 ・第二のアンチノ
ミーと違って、矛盾しないと考えました。彼は、この二つの次元が違うというふうに
考えたと思うんです。片一方から見れば、すべて自然に決定されているともいえる。
しかし、片一方から見れば自由であるともいえる。永遠と歴史にかんしても同じこと
がいえると思います。
120頁
1996 ----------------------------------------------------------------------------------------
神は一切である
一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在しない。
神即自然 | スピノザ
https://hitopedia.net/%E7%A5%9E%E5%8D%B3%E8%87%AA%E7%84%B6/
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「一切の事物は必然である」って、『エチカ』のどこに書いてあるのか教えてください
とても気になる部分です 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 第1部
公理三 与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反して
なんら一定の原因が与えられなければ結果の生ずることは不可能である。 >>195
195番さんの書き込みは、
「一切の事物は必然である」、
一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在し
ないという事とは、少し意味が違うと思うんですが・・・
「一切の事物は必然である」って、『エチカ』のどこに書いてあるんでしょうか? 「人間は自由の刑に処せられている」と言ったサルトルだったら、
「一切の事物は必然である」と断定したスピノザを、どのように否定するだろうか。
スピノザの、
一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在し
ない。
事物の必然性の背後には神がいる。神の本性が自然のあり方を決定しているので、事物は
いまあるように存在するほかない。全ては必然的なものとして、神に決定されている。
といったスピノザの定説の根本的な誤りに、サルトルは明確に言及するかもしれない。 スピノザでは必然こそが自由なんだよ
いやまじでそういってるらしいんだよ 第2部
定理49備考
…三角形の本質からその三つの角の和が二直角に等しいことが生ずるのと同一の
必然性をもって、一切のことは神の永遠なる決定から生ずるからである。 ちなみにスピノザのいう神とはいわゆ神さまとは違うからなる そもそも定義で自由という言葉の使い方を普通とは変えている 『スピノザの世界』のキャッチコピーによると
「神は制作者ではない。神にも人間にも自由な意志は存在しない。」
神に決定されているんじゃなくて、神「も」決定されているって感じだ 現代の科学的決定論から見たら
当たり前のことを言っているだけのように見える いや本当にとりあえずエチカを翻訳で読みなさいよ
岩波でも中公でもいいからさ エチカくらい読んでからといったら誰もいなくなっちゃった 最初から1ページずつ読んでいくもんじゃないね。
まず定義と公理と定理だけを読んで用語と流れを掴んでから
証明やら系やら説明やらをクリアしていく。 といってもとりあえず第一部は受け入れないと始まらないっていうね 「神」=自然、宇宙
と我流で勝手に読み換えたら、結構納得できました。>エチカ ただそれだと啓示宗教との戦いが意味不明になるから、
神学・政治論も読むべき エチカの属性とその変様に関するお話を読めば
その読み替えで大丈夫なときと大丈夫ではない場合があることがわかるはず 排中律博士bot@dr_haichu_bot
2 時間2 時間前
コンタクトは適当に人と会う時に使う場合とそうでない場合があるぞい
排中律博士bot@dr_haichu_bot
23時間23時間前
でもやっぱり、ここで捕まるわけにはいく場合といかない場合があるぞい
中律博士bot@dr_haichu_bot
8月28日
人生は一箱のマッチに似る場合とそうでない場合があるぞい >>219
フフフ実は私が排中律博士だったのだ!
一応言っておくとさっきの書き込みで言いたかったのは
延長と思惟との違いに注意しようねってことね
まあさらに実体について考えるときはそれ以上に注意しようね マジなのか
排中律博士の中の人がスピノジアンだったと…? 「神」=自然、宇宙
と読み換えたらまあ納得できましたね、
私の場合は。 それは独自の読み方でもなんでもない、汎神論ってのはそのことを指してるのだから スピノザは文学じゃねえんだよ
文字通りに読まなきゃはじまらん