日本思想 [転載禁止]©2ch.net
日本思想の本スレです、無かったので立てました
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柳田國男 日本人の思想ってことでいいの?
律令制以前の、中国から見た倭国像とか、そういうのは度外視で 長谷川如是閑
石川三四郎
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大川周明
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加藤周一
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森本哲郎
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谷崎潤一郎
金田一春彦
梅棹忠夫
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森鷗外
湯川秀樹
大江健三郎
饗庭孝男
柄谷行人
九鬼周造
正岡子規
岸田秀
白洲正子
辻邦生
赤瀬川原平
吉本隆明
五木寛之 共通してるのはみんな外国カブレってことかな
日本人の思想と、日本人思想家の思想はかなり解離があるというのが特徴ですね。 亀井勝一郎
池内紀
池田弥三郎
山路愛山
三島由紀夫
森毅
吉田健一
今村仁司
花田清輝
正宗白鳥
津田左右吉
吉見俊也
中谷宇谷郎
吉田秀和
小松和彦
篠田一士
秋山駿
今西錦司
河盛好蔵
宮本常一
日本人思想家一覧終わり >>11
そんな事言ったらイギリス思想も外国カブれだろ
日本思想とイギリス思想では日本思想の方が独自性は高いと思う 誰のことをいってるのか
イギリスは、プロテスタントから、ニュートンから、ケンブリッジ啓蒙主義からあるが 西洋では思想が倫理を支えてるんだけど、
日本ではなにが倫理を支えているのか? 聖徳太子からして、中華思想のアレンジだしな
思想そのものは海外からの輸入アレンジばかりで
習慣の方に独自性がある、としたほうがいいのでは? 輸入した思想を習慣に合わせてアレンジさせる能力において
独自性がある
日本人は思想では動けない
娯楽と職業意識が最優先 >>15
イギリス思想はヘレニズムとヘブライズムの延長線上にあるだけ >>20
プロテスタントは教皇中心主義否定の原キリスト教回帰
イギリス国教会の成り立ちからも、ドイツ思想を輸入したのとは違う >>21
それってイギリスとかじゃなく、キリスト教の成り立ちそのもの ブリテン列島生まれの独自の思想あるの?
日本には神道がある 神道の見直しを!とか縄文!とか叫んでるやつって
似非ウヨクばかりだよな、実際
愛国というファクターが欲しいがゆえ、利用しているだけ 思想ってやっぱり基本が文字文化だと思うんだよね。
最初の文字が漢字でそれでずっときてるとこに、日本人の思想の限界があったんじゃないかな。
抽象的、超越論的思考って、文字がないとできなさそう。
だから慣習伝承文化になった。 >>26
だから原キリスト教回帰はルターに始まったわけではない >>30
キリスト教はイギリス生まれの思想じゃないだろ、、、
おれが聞いてるのはブリテン列島生まれの完全オリジナルの思想があるのかってこと で、神道が完全オリジナルという根拠はどこにあんの?
今までどの書物を見てもそれらしい記述がないんだけど
寺社の歴史って知ってる? >>33
それもブリテン列島オリジナルではないな
自由主義の起源はギリシャ哲学だ、つまりヘレニズムの延長線上の思想 今時「完全オリジナル」とか「純粋な日本文化」とか主張してるのは
モノを知らないアホだけ
文化として発展していく過程で必ず外のものとの混交が行われている >>36
だな。
>自由主義の起源はギリシャ哲学だ、つまりヘレニズムの延長線上の思想
これを言うと、なんでもありだろ(笑)
自由主義は、ケンブリッジ啓蒙主義を背景にもつイギリスオリジナルの思想 縄文時代は確かに数万年?規模の長い歴史性があって
日本精神の基礎が培われてきたのかもしれないが
縄文後期には既に海外から農耕文化が入ってきて、オリジナルとやらは毀損されている >>38
縄文人が日本人の起源かは怪しいだろう。
渡来人がやってきて、
縄文人は、北のアイヌ、南の沖縄に追いやられた。
いまや遺伝子的にも、縄文系の濃い顔はアイヌと沖縄 日本人て薄い顔の人が多いけど
あれって大体渡来人要素よね 日本の縄文、弥生時代とか、中国は春秋時代とかだからな
レベルが違いすぎる。 弥生と縄文は二項対立的に語られ過ぎ。
短期間に急激な変化があったかもしれないにせよ。 縄文が長すぎて何が起こったのかよくわからんよね
後期の出来事ばかり語られるし 土偶からは底知れない思想を感じるが
あれなんなの? >>45
土着の縄文に、外来の弥生が到来という断絶があるからだろう >>47
生気論的なもんじゃないの
>>48
農耕様式に関しては弥生が整然とした水田だというのはステロタイプだと言われている。
佐藤洋一郎あたりなら縄文に肩入れしすぎないから良いと思う。 >>11
波平が考える最高レベルの日本人思想家を五人教えてくれ 空海、親鸞、西田幾多郎の三人は外せない
あと二人は好みの問題 神道枠、儒教枠、仏教枠、近現代枠で一人ずつ
あと一人は好み とりあえず、この5人だろう。
他にいる?
いまも続く日本人の判官贔屓思想の原点、義経?
聖徳太子・・・仏教、儒教を日本風の和の思想にアレンジ。日本の原点。十七条憲法。
ほんとに聖徳太子が作ったか、とも言われるが
天武天皇・・・中国から律令制、農本主義。日本国を作った人
親鸞・・・日本にはじめて民衆思想を成立させた。浄土真宗はいまも最大派閥の日本人の一つの原点。
道元・・・いまでも日本と言えば、わびさび、武士道。それら超越論の原点、禅宗を庶民に広めた。
豊臣秀吉・・・太閤検地、兵農分離。農本主義の回帰させて、江戸時代そしていまに続く日本を再構築した。 聖武天皇の力なくして仏教は根付かなかったような気もする。
あのとき天然痘がおさまらなかったら仏教どころではない。 >>59
大丈夫だよ。
中国仏教ブームの唐代をもとに、
日本国を作ったんだから。
なんにしろ、儒教より仏教が入ってきた。 聖徳太子や天武天皇は信長に対応して
桓武天皇や聖武天皇は秀吉に対応して、
藤原道長や院政の法皇たちは家康に対応する気がする。
中興の祖と創始者が好きなのはわかった。 仏教とか言っても、日本では日本人大好きの祈祷法として受けたんだから。
空海も偶然、祈祷マジックがうまくいって、名が売れたわけだし。 空海よりも道鏡の方が棚ぼた感が強いけどな〜
空海は修行の賜物だろ。 >>64
空海は、超天才ではあるが、
その時代の人にしてみたら、祈祷師だよ。
デビューも密教のそれでしょ。 >>65
ポスモダはわざわざ日本人から選ぶ必要はないでしょ 行基とか日蓮とか法然とか山内得立とか西谷啓治あたりかな 日本思想を勉強するのも大変そうだな
古文と漢文を相当勉強する必要がある
最近の若者は森鴎外の文章も読むのが大変と聞いた 日本古典問題ね。
西洋の古典は絶えず、最新の日本語に直されて読まれるのに、
日本の古典は、古文、漢文のままで読まれない。
いまや日本の古典を読んだことがある若者は皆無。
なぜこうなってしまった。 >>66
空海は土木技術者でもあったんだから凄い。
なんでも出来た人。 現代文の授業でも
山月記とこころで頑張っちゃうと
森鴎外の長編小説にじっくり取り組む時間的余裕はなさそうだしな。 上の方に貼られてる日本思想家の本はそもそも本屋に売ってないだろ
売っててもめちゃくちゃ高い値段だと思う まあどこの国でも古典は読まなくなっているよ。
イギリスやドイツでも同じらしい。 「古文漢文を無くして英語の授業を増やすべき!」
とか言う自称有識者が結構多いんだよ
そうなると日本人は過去と断然してしまうね >>75
日本は読まなくなってるレベルではないと思う。
結局、明治前後で言語がかわったようなもんだから。
読まれなくてはなく、その時点で死んでる。 >>77
学校で古文や漢文も勉強するじゃない。
有名どころの本は今でも文庫とかでも入手できる。
死んではいないよ。 >>78
学校で勉強って、読むっていうレベルかね
岩波文庫とかあるけど、あれ読む人いるの? >>79
そりゃいるさ(笑)
いるから何度も文庫で復刊されているんじゃん。
読む気があれば辞典片手に何とかなるし、解説や注でなんとかなる。
読む気があるくらいの人なら読めるだろう。
俺だって読むくらいなんだからさ(笑) >>80
だよね。
いるんだよね。
で、いやなのが、
たとえば江戸時代の解説本を読んでると、
古文原文をそのまま引用しながら、書いてる本。
引用するからそこは大切なんだけど、
古文なんか読めないよ。
古文ってある種の選民化している。
日本人なら、原文で読まないと、精神が伝わらない的な
それが、広く読まれることを妨げてる気がする。 >>81
なんでも訓練です。
繰り返し原文が出てきてもそのうち慣れる。
学問は一日にしてならず。 それが選民なんだろ
今時古文に興味をもって繰り返し学習する人なんてごくわずか 日本人にとって、文章とはなにだったのか。
自らの文字を持たず、漢文に縛られてた。
漢文って、基本は記録用だよね。
日本人の思想は、文章によって伝承されたのか。
現代文、いわゆる国語は明治の小説家たちが作ったわけだけど、
欧州の、近代的な写実小説の翻訳からつくったわけでしょ。
ようするに、単にですます調と作ったというだけではなくて、
その文章が表現するものそのものがかわった。
現代文をつくるのに、もっとも参考にされた古典が落語らしいが。
それぐらいしか、私的な表現がなかった。 >>84
その時代に用いられていた文体というのは重要らしい。
つまり現代人の我々が古文や漢文調の文体の文章を読むと何やから堅く感じるよね。
でも昔から文体がどんどん変化してしていく課程においてもやはり「柔らかい文体」になっていっている
という感覚はあったらしい。
堅い文体に規定された意識は強固に貫き通されるくらいの力があった。
それもなにかの本に書いてあったことなんだけれど現代は文体が緩くなったと同時に意思決定にもそれが影響しているらしい。
まさかとも思ったんだけれどもそれが文体の力なんだそうだ。
だからハイデガーが哲学を行う言語として古代ギリシア語やそれを受け継ぐドイツ語に注視したのも理解出来る。
ごめんちょっとそれらの本の著者とタイトルなんかが出てこないけれども。 >>85
まず心情があり、それを言葉で表現するのではなく、
言葉によって、心情が作られる。
同じ人でも、日本語で語るときと、英語で語るときで、人格が変わる。
それは良いんだけど、そのときに口語と文章の関係が問題。
明治以降に、口語と文章はかなり近くなった。
でも古文の場合は、口語と文章は別物。
そして記録に残るのは文章。
そんな文章はどれほど日本の思想は伝えてきたのか。
日本の伝達は口語で伝えられてきたのでは。
いまは再現できないが。 日本には、西洋に比べて、文章で思想を表現する、伝える文化はない。
もともと文字を持たない民族というのもあるんだろう。
漢字が伝わった聖徳太子の時代以前に、
口語の長い長い歴史があった。
口語による伝承の文化って、世界的にも普通だよね。
日本だと民話とか、昔話とかから、平家物語、太平記とか、
明治までは、むしろそっちがメインでないのかな。 いまも平家物語、太平記と、文章で残っているけど、
語りの文化って、書かれたものと違って、
一つの思想を伝承してきた。
「太平記読み」が一つの秘伝として、多くの武将たちに伝えられて、
武士として心得、日本人としての義理人情などの思想を
伝承してきたのは有名だよね。
特に、江戸時代に、儒教が大々的に取り入れられる前までは。 >>86
それは複雑な問題だよね。
ただ、「哲学の言葉」「日常の言葉」「法律の言葉」「商売の言葉」…というようにTPOがある。
思想系の文だと文章を分かりやすく訳すだけでかなりのものが失われてしまう場合がある。
これらを「言霊、プネウマ」などと言うけれども、そうした効果がやはり文体そのものにはあるみたいだよね。
日本に哲学といえるほどのものが無いのは、宗教の問題があるんじゃないかな。
仏教でもこれだけの流派があって残っているというのは、国の規模を考えても珍しい。
ヨーロッパはキリスト教との闘いだからね哲学思想が。
唯一絶対神というのは人間にとっては精神的にかなりキツイ拘束力があるから。 江戸時代前じゃなく、江戸時代そのものだった。
「太平記読み」の時代―近世政治思想史の構想 若尾政希(著)
江戸前期、民衆相手の『太平記』講釈が爆発的に流行する以前、大名や武士相手に講釈する「太平記読み」たちがいた。
その講義のタネ本は『太平記評判秘伝理尽鈔』。『太平記』の描く人物や事件を論評し、膨大な別伝を付け加えたこの本は、
楠正成を理想の為政者=仁君として描き出す政道の書でもあった。そしてそれは、戦国武将から藩の為政者へと変身を
余儀なくされた大名たちに幕藩体制確立のマニュアルを伝授し、思想家たちに、こぞって楠正成を持ち上げさせるほどの
決定的な影響を与え、版行されるや、口承の伝達回路をも稼働させて、民衆の「修身斉家」のための強力な指針へと
読み替えられる。つまり『理尽鈔』は、この時代・社会の政治に関する共通認識を形作ったのである。江戸の政治思想の基軸は、
朱子学などではない。「太平記読み」の思想こそが江戸の秩序の根幹である!―従来の思想史、近世史の通念を一新する、
大胆かつ綿密な画期的論考。 >>89
どの言語にも、同じようにTPOがあるわけではないということ。
漢文は、基本は権力者が使う記録用言語がメイン。 >>91
だからこそ戦国時代なんかはたいそうな戦と頭脳戦略があったわけ。
無学の百姓だった秀吉ですら書からなにから勉強しまくったでしょう。
当時の権力者はみな同じように勉強していたから戦えた。
百姓にはそもそも漢文は必要ない。
必要な者にとって必要だった教養。 >>92
日本は大宝律令の昔から文書社会なので、読み書きは重要。
まさに漢文の得意なTPO。
室町時代以降に、仏教が流行って、村にお寺が建てられて、
坊さんが常駐したが、坊さんの大きな仕事が、書類の読み書き。
さらに江戸時代は、法治国家として整うので、
上申、裁判するのは、文字は必須。農民の識字率は高い。
逆に、漢文は心情など日本人の好きな情緒的な表現は苦手なので
仮名文字が発明されていた。
でも仮名文字は、女性が使いものなど俗な文字で、
オフィシャルな文書として認められなかった。
日本芸術の中心を、和歌、俳句などが占めてきたという
特殊な事情の一つは、このような漢文の限界から、
日本人の情緒を、文字そのものではなく、
行間の込める文化が育ったのかもしれない。
なんにしろ、日本人は文字の外、語りや行間に
思想を込めて伝承した文化なんだろうね。
だからいまでいう思想家、ようするに西洋中心主義での定義、
思想家とは論理的に文章で表現するもの、という考えで、
思想をピックアップすると、日本の思想の王道が抜け落ちてしまう。 インタビューで「韓国人あたまおかしい」と答えた女性の画像、ネトウヨの捏造だった [転載禁止]©2ch.net [628354739]
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1433311968/ 上の方の一覧に加藤弘之と橋川文三が入っていないのには違和感がある。 綱吉時代に起こった、赤穂浪士もトンでもない話だよ。浅野さんがなにしたって言うんだ?
赤穂藩主が殿中でいきなり浅野さんを殺害しようとして、そりゃ、切腹、藩つぶされて当
然だろう。それを今度は、浪士が逆切れして、1年ごしで浅野さんを殺害する。ほんとト
ンでもないやつらだよ。でも事件当時から、赤穂浪士は庶民のヒーローだからね。日本人
はなにを考えてるんだと
これに対して、当然、儒教家は、赤穂浪士を批判する。正統だよ。浅野さんなにもわるく
ないし。こんな暴力許してたら、政治運営なんかできないよ。でも方や、葉隠では逆に意
味で赤穂浪士は批判されてる。武士道舐めるなと。武士道とは死ぬ事と見付けたり!よう
するに、とろとろと復讐とかするなと、武士道というのは、成し遂げようと命を惜しむも
のじゃないと、藩主の恨みを晴らす。ならすぐに復讐にいけと。それで失敗するとか、ど
ーでもいい。命を惜しむな。ようするに、武士の生はただ差し出すためにある。つべこべ
考えるな。
まあ、葉隠も江戸中期で、平和な時代に書かれたからね。たぶんに、精神論だな。実際の
戦国時代にこんなこと考えた人がいたか怪しいね。それでも、江戸儒教導入前の、武士の
精神性ここまで、刹那なものがあった。武士はとんがってた。たしかにほんとにいつ死ぬ
かわからない世界だったからね。自分だけじゃなく、一族もろとも。 とんがり度としては、以下のような価値があったわけだ。
葉隠 ← 赤穂浪士 → 儒教(朱子学)
由比正雪
とんがりすぎ? 庶民の支持 お堅い
忠義重視 幕府重視
その後、尊皇攘夷
その後の、右化傾向(水戸学、尊皇攘夷)とは、葉隠方向のとんがりでしょ。武士の原始
的な忠義って、主君との一対一の人間的な関係なんだよね。それと突き詰めると、葉隠的
には、自分を無くしてただただ主君に自ら(生)を与えるということなんだろう。
こういう考えって、平和な時代にはそぐわないんだよね。幕府が目指した安定した政治運
営、秩序ある政治システム。平和になじめなくて、落ちぶれた浪人が集まって幕府転覆を
狙ったのが、由比正雪の乱なんだよね。でも、そもそも幕府を転覆できるなんて思ってい
なくて、死に場所をさがしていた的なことなんだろう。
で、浪人たちの主君は誰かというと、天皇なんだよね。現代のウヨと似てる。ネットウヨ
も社会からはみ出した貧しい人々が向かいやすい。そこで、日本人という民族の象徴とし
て天皇に向かう。それが尊皇攘夷に向かう面がある。彼らが、貧しい下級武士が多かった
のは偶然じゃない。