日本思想 [転載禁止]©2ch.net
雨に降られて、濡れちゃったわ☔
日本語の哲学って如何に可能だと思う?
『日本語の哲学へ』 長谷川 三千子 著
「もの」と「こと」をさぐる
言葉は、実は哲学の中身を方向づける働きを持っている。和辻哲郎の問いを糸口にパルメニデス、
デカルト、ハイデッガーなどを参照し、「日本語の哲学」の可能性をさぐる。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480065537/ 和辻とハイデガーが結びつけられるのか・・
ものとかこととか言えば木村敏だけど、それとはまた違った感じで論理が展開されるんだろうね。 古寺巡礼でもテーマ別の本だから、意識記憶、書体流れが不自然だろうな。 デカルトと和辻は丁度今読んでいる最中だからいいタイミングだが、
パルメニデスは難関だな。 ☔でパンツ濡れました✨💧☔でもスカートはいてた私が悪いのね😃 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 多くの欧米人がいろいろ観察をしているが、ほぼ全てに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」である。
だからこそアメリカ人のモースは、「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのだ。
欧米では、裕福とは幸福を意味し、貧しいということは惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだが、
この国では全くそうでないことに驚いたのである。
●イギリス人の詩人エドウィン・アーノルドなどは、明治22年に東京で開かれたある講演で、日本についてこうまで言っている。
「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。…その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、
その神のようにやさしい性質はさらに美しく、
その魅力的な態度、その礼儀正しさは、
謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。
これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、
あらゆる他国より一段と高い位置に置くものである ハリスの通訳として活躍したヒュースケンはこう記す。
「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたることろに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、
そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」 西洋化された後の日本
《いわゆる米英流の生活のしみを洗い去り、皇国本来の国家観に立脚した生活の真義を打ち樹てねばならぬ。
金儲けのための生活、立身出世のための生活、
他人の困苦を顧みず己だけ快楽を得さえすればよいという独楽独善の生活、
精神を忘れ
物に捉われた生活、これらは何れも生活の真義を遠く離れたものである》 >>201-205
こういう日本会議的な妄想が、日本を侵略戦争に駆り立てるんだろうね。 6」オーエンラチモア
「日本が立派にやりとげたことは、アジアに於ける欧米植民地の十九世紀的構造を破壊したことであった」と。
大東亜戦争の意義を讃えました。太平洋戦争とは私もいいません。
これはアメリカに都合のいい言い方なのです。
「7」オランダ国 アムステルダム市長
「日本は各地で侵略戦争をしたとペコペコ謝罪していますが、間違いです。
あなた方こそ、血を流して、アジア民族を解放し、人類最高のよいことをしたのです。本当は白人が悪いのです。
日本は敗戦しましたが、アジアの解放は実現しました。日本軍は欧米諸国すべてをアジアから追放しました。
その結果、アジア諸民族は独立を達成しました。日本の功績は偉大です。
血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。
自分を蔑むのを止めて堂々と胸をはって、その誇りを取り戻すべきです。」 >>209
人は最終的に自分で選択するので、心配しなくても大丈夫です。 >>208
そのアジアから恨まれてるのが日本なんだけどねw >>211
名誉白人の座が心地よかったりもしたみたいだけどねw 白人は 人 ではなかった
日本人が戦った残忍な白人ども
https://youtu.be/a6R1so_HmFQ 白人の歴史は侵略と殺戮の歴史です
本当に彼らに哲学や思想などあるのでしょうか?
神の名の下 殺戮と支配を繰り返してきました
http://www.yaei-sakura.net/index.php?society_h0022 日本人は西洋の学問の成果を全て集めた。
そして、西洋の成果を応用し、組み合わせて使いこなしている。
この民族は我々の育んだ複雑な文明を、
わずか一世代余りの内に習得したのだ。
ロシア軍はロシア人最高の武勇を発揮している。
しかし、それを攻撃する日本人はもっと偉大と言わざるを得ない。
粘り強さ、機転、素晴らしい勇気、厳しい状況への知的な対応。
今、世界中が興奮している。
日本人は誇り高い西洋人と並び立つ列強であることを世界に示したのだ。
――タイムズ(イギリス)より 1905(明治38)年1月3日 やっぱり日本人は頭良いよね(*´∀`)
西洋科学を一世代で習得したんだから >>217
そのロシア戦は、帝国軍にとっても悲惨な状況で、自軍の兵士を塹壕に生き埋めにして戦闘を進めたとも伝えられている。
乃木希典は、自身の二人の息子を含めて、多くの子弟を死なせてしまった自責の念が去らなかった。
戦争というのは、決して華々しいものではない。
苦しく、悲しいものなのだ。 神道にはイエス・キリストや釈迦のようなカリスマ創唱者が存在せず日本の風土や生活習慣から自然に発生しました。
要するにエスキモーやインディアンと同じくシャーマニズムなのです。
神道において「神」は自然そのものであり、恩恵を与えるのも 「神」、天変地異を引き起こすのも「神」でした。
そして「神」と「人々」を繋ぐのが卑弥呼のようなシャーマンの存在だったのです。
シャーマンは「神」の言葉を代弁することで血縁や地縁で結ばれた部族の行く末を示す存在でした。
神道はシャーマンを中心とした地方共同体の要の役割を果たしてきたのです。 卑弥呼は魏志倭人伝にて表記されたものですから、この感じは音を当てたものと考えられます。
時の女王に【卑しい】の字が正しい表記であるとは思われません。
そもそも卑弥呼とは、特定の個人をさす固有名詞ではありません。
征夷大将軍と同じ役職名だと捉えています。 では、何をする方の役職名なのでしょう。
ひ・み・こ
男性が戦う仕事が有ったように、女性には神の声を聞く大切な仕事がありました。
その神様の声を聞く仕事をする女性が巫女です。
ひみこは、おそらく【陽巫女】だと思われます。
征夷大将軍が、将軍の中でも一番力があるのと同じように、
あまたいる巫女にも、通信できる神様が違っていても不思議はありません。 つまり【陽巫女】は特別な巫女ということになります。
おそらく、【太陽意識】の声を聞くことができた巫女さんなのでしょう。
その当時は、自然信仰が普通であり、その中でも最も太陽信仰が強かったでしょう。
現在のように銀河と言っても理解できない人たちに銀河意識の言葉を伝えても意味がありません。
それであれば、根源神や銀河意識なども、太陽神の言葉として伝えるのが良いということになります。 その時代に一人いるかいないかでしょう。
それだけ稀有な存在であるから、国の統治もまかされても自然なことです。
これが【ひみこ】が女王であることの理由でしょう。
つまり、【陽巫女】は、太陽意識以上の存在と意思疎通ができた、
優秀な巫女だということです 太陽神 天照大御神も
おそらく後世の人々が
陽巫女を神格化したものでしょう 日本人は一貫して争いを好まず、出来るだけ話し合いで物事を解決しようとしてきた民族である
然からば聖徳太子は何故一七条の憲法の冒頭に「和を以て尊しとなす」と書いたのであろうか。
私は日本古来の神と伝来の仏教との和解だったと思う。
欽明天皇時仏教が伝来し、仏教を信じる蘇我氏と、
在来の神道を信じる物部氏の対立が始まった。遂に587年蘇我氏は物部氏を攻め滅ぼした。
この物部攻めに太子は蘇我の一門として加わっている。
聖徳太子は仏教に深く帰依していた。
しかし五九九年の大地震、602年の征新羅軍将軍木目皇子の病死とそれに伴う新羅征討軍の派遣中止等、
何らかの理由により、神道との和解が必要となったのであろう。 聖徳太子は「日本の神々を幹として、仏教を枝として延ばし、日本を豊かな国にしていこう」と諭されたとのことである。
この結果日本の神仏は混淆し、神社と寺院が同居するようになった。
そしてあらゆる神に敬虔な「神の国」が出来たのである。
森元首相の「神の国」発言が非難されたが、神様も仏様も、キリストにもマホメットにもそれぞれの素晴らしさを認め、
それぞれの神に敬虔である。
森羅万象すべてに神が宿ると考える。まさに「神の国」だと思う。
無実の罪で筑紫に流された菅原道真は天神様と崇められ、国に反乱した平将門も将門神社や神田明神に祀られる。
戦争が終われば敵方の戦死者を含め、厚く葬る。死者に鞭打つより、死者の呪いを解放しようと言う意味もあるように思う。
世界の各地で宗教をめぐって戦争が起きているが、日本では考えられないことである 日本における「宗教に対する政治の優越」を確立したのは、織田信長である。
比叡山の焼き討ち、石山本願寺攻めで、宗教の呪縛を解き放った。
豊臣秀吉のバテレン追放、徳川幕府の鎖国も「神の絶対優位」を求めるキリスト教を危険宗教と認識したからであろう。
秀吉・家康は信長の武将として比叡山・本願寺と戦った。特に家康は今川から独立直後の青年時代、一向一揆に大変苦しんだ。
恐らく鎖国しなければ、キリスト教信者の大名が各地に出来、
ヨーロッパの宗教戦争の余波を受けた可能性が高い。
この信長から家康に至る決断こそ徳川300年の平和を作ったと考える 「まあ、日本は、西洋の民主主義を、それをそのまま、取り入れても、うまく機能せんわね。
それは、ヨーロッパや米国では、当てはまるかもしれんが、日本では、日本的な民主主義を作り上げんといかん。
そういう努力をこれから日本人は取り組み、つくり上げんとね。
でないと、国民に根付かんね 聖徳太子さんのな、あの『十七条の憲法』の第一条に“和をもって貴し”とあるね。
人間は、お互いに仲良くすることが大切であって、争いや戦争などしてはならない、
和の精神を貴び、平和を愛好しなくてはならないということだと思う。
そういうことをいろいろ考えてみると、日本人には、知らず知らずのうちに、和の心というか、精神が培われていると 日本人は、もともと、そうした和の精神を民族の伝統として持っているのであり、そのことを忘れてはならんな。
長い歴史を通じて受け継がれてきた”和を貴ぶ精神”、それをはっきり認識し、その上に立って、
平和というものを求めていくことが、きわめて大切ではないかと思うな。 >>240
そのわりに日本は、明治維新から内戦、侵略を繰り返して武力を重んじてきたね。
現代でも、平和の理念を高く掲げた憲法を否定する人たちが政権党には多い。 和の国であると同時に
不正を許さない武の国でもあったからね 児童虐待が殺人にまで至ったケースやいじめによる自殺など、
暗いニュースばかりです。しかし、なぜ人と人はこうしてまで争いをやめないのでしょうか?個人の虐待やいじめに始まり、
国同士でも争ってしまうことを考えると、人間とはそもそもが好戦的な存在なのかもしれません。
いじめにしても児童虐待にしても、自分の攻撃性を制御、コントロールできずに、
他人に向けてしまうといった構造は同じです いじめは大人の中でも存在し、パワハラやセクハラがその構造は同じものです。
いくら、仕事ができないからと、相手を攻撃したり、無視をしたりすることでは、その問題は解決しません。
むしろ、職場の雰囲気が悪くなり生産性が落ちるのが関の山です。
しかし、それでも人間は他人を攻撃することをやめないのです。 >>244
自分の不正を武によって糊塗する、ずるい国なんだよ。
ヤマトタケルがいい例だ。 しかし、その一方で震災以降の日本国内を見ると、いろいろな分野で皆が協力して復興に努力している姿などを見ると、
決してそれだけでもないようです。
戦前はともかく、現代のこうした日本人を見ていると本当に平和的で友好的な国民であると実感します 愛と平和を唱えることが今必要なのでしょう。
千年以上も前から「和をもって尊しとなす」を憲法の第一条においた聖徳太子の偉大さが、今になってようやく実感できます。
個人のレベルでも、国のレベルでも物理的な争いでは物事は解決せず両者ともに不利益を被ることは、
過去の歴史がすでに証明しています。話し合いや協力といった
平和的解決でなければ、真の解決は得られないと思います >>249
その「平和的で友好的な国民」が敵兵に対してだけではなく、敵国の一般市民どころか、自国兵士に対してまで、残虐な行為をしたんだけどね。 あくまで一部ですよ
正義の戦争
話し合いが通じない相手(白人)も
いるんです >>252
たとえば、日本の満州侵略にはなんの正義もない。
ひたすら利権を追究しただけ。
東南アジア侵略も、日本の侵略の結果として、列強の力が落ちてアジアの植民地支配からの解放が早まっただけ。
だから、中国、朝鮮だけではなく、フィリピンなどの東南アジアの戦後の反日感情もすごく強かった。 >>254
侵略だよw
統治するために、侵略するんだよ。 ソ連軍が行ったのが侵略でしょう
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html >>257
日本が満州を侵略した後の話だよ?
せめて、時系列ぐらいは把握しておこうね。 >>260
大前提として、個人のブログを見てネットで真実だと思い込むのは愚かだよ。
そんな人間には、日本も思想も語る資格はないから。
満州国というのは、関東軍が作り上げた傀儡王国。
清国と漢民族の民族問題だというなら、完全な異民族である日本が支配したことの説明がつくとでも思ってるのかな? 傀儡というのはいい方が悪いだけでは
ないでしょうか
治安が悪いところを統治していたのなら >>262
治安というのは、利害の対立をいってるだけのことも多い。
満州というのは、明治時代から日本が侵略支配していて、国民党が侵略者の追放に向けて立ち上がったとみるべき地域だ。 「我々は日本が満州で実行し、そして中国その他の地域においても継続しているような
不快な侵略路線を支持したり、
許容するものではない。しかし日本をそのような行動に
駆り立てた動機を良く理解するならば、その大部分は、
中国国民党政府がしかけた結果
であり、事実上中国が『自ら求めた』災いだと、
我々は解釈しなければならない。」
シナにいた当時のアメリカ公使は、満州事変の原因を作ったのはシナ自身だと明言して
ます。
実は、これ、他の国の公使たちも全く同じ意見だった訳です。
シナに駐在して、
ありのままを見てきた外交官なら誰でも分かることだったんです。
マクマリーはアメリカ政府と同じ「満州事変は侵略路線」という認識だったようですが、連盟が
そういう採決を行っていない以上、侵略と決めつけることはできない >>264
日本の満州侵略は日露戦争の前から始まっている。
日露戦争自体が、満州の利権を争った戦争だ。
ロシアの侵略が正しいか日本の侵略が正しいかという、悪の侵略戦争だったともいえる。
第二次大戦での、日本と列強の侵略戦争と同じ構図だ。 >>265
ロシアの侵略なんて悪そのものじゃないですか
支配しか考えてないのだから >>266
そう、日本と同じ。
侵略支配は、悪そのもの。 >>267
それも考え方の相違ですね
支配と統治はまた意味が違いますので >>268
どう意味が違うのか教えて欲しいものだw
他国の支配を統治と言いかえても、実態は他国の支配であることは変わらない。 支配とは一方的な搾取
統治とは一国として治める
日本はお金をかけてまで統治国の
文化水準 生活水準 教育水準を上げていった
http://ameblo.jp/eatingpeach/entry-10708472143.html >>270
満州では、日本がすべての利権を手に入れて、現地人は下働きと肉体労働。
どこが搾取じゃないんだ? >>272
個人の思い付きブログを真に受けるなってw
頭が悪いのか? >>274
>>272のようなことを書く人間が日本人なら、僕は日本人じゃない。
そう言い切りたいところだけど、僕は自由を愛する人間だから、多様な意見を認めるよ。
でも、「天皇は天の神の御子」なんていうのは、ものすごくバカげた意見だ。
君が、もう少しまともな人間になることに期待するよ。 「支那人ほど下劣で油断のならない民族はいない。
西洋人は道徳観は人類に共通するものと考えているが、それは間違いである。
西洋人は人様に親切にしてもらったら何かお礼しようと考え、少なくとも迷惑をかけないように気を使う。
これが支那では通用しない。恩義を感じないのである」
「支那に長く居る英米に、
支那人の性格で我々と最も違うものを挙げて欲しいかと訊くと、
ほぼ全員が躊躇なく”嘘つきである”と答える」 >>276
そのアメリカが、ハルノートを日本に突き付けて、日本を侵略者だと決めたんだよ。
歴史をしっかり見ることだ。 流石嘘つき国家アメリカ
正直者が馬鹿を見る時代だったんですね >>278
日本が正直だったわけではない。
溥儀を傀儡皇帝に仕立てたり、張作霖事件を起こしたりと、多くの謀略を行っている。 勿論私も日本に完全に非がなかった
とは言いません
戦時下という極限状態においては
いろいろ非はあったでしょう >>280
そうだよ?
極限状態ではなくても、積極的に他国を侵略した。 20世紀は電話、自動車、機関車、飛行機などの発明
また 20世紀後半はコンピューター、インターネットと 我々の生活そのものを変えてしまう ものが 一般化しました。
第二次世界大戦後生まれの人々にとって はあたり前の生活なのですが
実は このようなものが大量生産されることにより コストが落ち 一般大衆にもいき渡ったという
資本主義の意義のあるところです。 しかしながら、物質 つまり ものを追求するために その交換財である 紙幣(お金)を稼ぐことが目的となってしまい
、一部の金融機関関係者を中心とした人たちの横暴が 1929年の恐慌をまねき 、
また、今回の「金融危機」にいたっているわけです。
この金融危機は 欧米ではすでに「恐慌」にはいっているわけですが、発想の転換が必要です。
「物質文明」から「精神文明」への転換です。日本国は古代より精神文明の国であったのですが、
敗戦により アメリカ占領政策の基 「物質文明」社会への転換を余儀なくされました。 アメリカ型資本主義が終焉を迎えたのですから、「助け合う」「困った人がいたら助ける」「お互い迷惑はかけない」など 人と人とのつながりを大切にする社会へ脱皮する機会でもあるわけです。
日本人が忘れているアジア型社会の模範は ベトナムにあります。
彼らは 助け合い、周りの人々に思いやりをもち 生きているのです。
儒教を中心として小乗仏教の国という日本と同じ土壌をもっています。
「物質文明より精神文明へ」これがこれからのキーワードです。 多くの欧米人がいろいろ観察をしているが、ほぼ全てに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」である。
だからこそアメリカ人のモースは、「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのだ。
欧米では、裕福とは幸福を意味し、貧しいということは惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだが、
この国では全くそうでないことに驚いたのである。
●イギリス人の詩人エドウィン・アーノルドなどは、明治22年に東京で開かれたある講演で、日本についてこうまで言っている。
「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。…その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、
その神のようにやさしい性質はさらに美しく、
その魅力的な態度、その礼儀正しさは、
謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。
これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、
あらゆる他国より一段と高い位置に置くものである ハリスの通訳として活躍したヒュースケンはこう記す。
「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。
この国土のゆたかさを見、いたることろに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、
そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、
おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」 ヒュースケンは斬られる前にそれを書いたんだろうね。