「全(全て)」を超えるものは存在するのか? [転載禁止]©2ch.net
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「全」ってのは、その名の通り、「全て」だから、
どんな状態をも指す。
これを超えるものは存在するのでしょうか? 現在では、「右傾化」と言う時は、維新後の「植民地政策の帝国主義
(神国ニッポン)」に戻ることを意味します。民主主義を守る事には
「右傾化」と言う「野党、学者、文化人、一部マスコミ」は過ちです。 現在の「野党、学者、文化人、、一部マスコミ」は、何らの「対案」
も無く、安倍内閣は「限りなく右傾化」と言い、国民の「危機感」を
煽っています。 この書き込みも、危険ですか? 暗黙の「言論
の自由」への、妨害は、「有識者、文化人、野党の一部」が作り出して
居る様です。「右傾化」と言う「殺し文句」で。 総てを超えるもの それは、知識人にとり
「右傾化」
と言う殺し文句。右翼と言う「言葉」を悪用して、政治論にしている危機。
民主主義を守ろう。「言論の自由」の為に。 現実に、「全(前て)」を超えるものは実在します。
「安倍内閣の再現無い右傾化」
これが、現在の「安保問題」の野党側の「殺し文句」です。
「日本と日本人の安全」など、全く、論じていません。
理由はどうあれ、「廃案に、安倍中区退陣に」が、目標。
国民には、「戦争の危機」を必要以上に、煽っている現状。
真の「言論の自由」の為に、危ぐしています。 >>91
∞もまた「全」じゃないよ、全く正しくない
全が観測されない存在も当てはまるなら
全は有限 104 訂正
「禅(前て)」 → 「全(全て)」
「安倍中区退陣」 → 「安倍内閣退陣」
「煽動」や「アジテーション」では、民主主義は守られ無い。冷静な
「論理」(揚げ足取りでは無い)正しく、「日本と日本人の平和な未来」
を考えて、「議員、学者、報道陣」にお願いします。
訂正 「再現無い右傾化」 → 「際限無い右傾化」 現在の国会(参議院)での、与野党の議論を聞いていると、民主主義
の「危機」を、感じます。「日本の為、日本人の為」に「最善の」
「理想に近い」結論を求めて、議論しているとは、思われません。
「特に」野党に疎の様に感じます。偏見でしょうか。 共産党は「平等主義の一党独裁」ですが、民主主義国で思想信条の「自由」
が有り、非合法政党では、有りませんが、多くの国民の支持も有り、これ
はこれで、異論も有るでしょうが、「筋」はとうっています。
民主党は、その「政治哲学」が不明で、ただただ、「政権」が欲しい?
現政権前の与党時代は、何を考えて居たのでしょうか。 維新は、言わんとする事は、理解出来ますが、未熟なのでしょうか。
今一歩が不十分。
「与野党総て」に共通するのは、「国のお金」は「国民のお金(税)」
と言う自覚に、国民の一部にも自覚に、欠ける事です。
これが、「不良政治家」を生んでいます。 「甘い言葉」で「票」を集める「無責任政治家」が多く居ります。
「財政再建」を考えても、これでは、「日本の破綻」は近い ?
「辛さを」諄々と説く、政治家しか「財政健全化」は、期待出来ません。
「地方から」財政が「崩れて」行く恐れがあり、有るとき雪崩と成る ?
「ギリシャ」は「他山の石」 「日本のオピニオンリーダー」と自負している
「朝日新聞グループ」には、報道倫理から、それは、「報道の自由」
と言うのでしょうが、「日本と日本人」が「プライド有る民主主義
の国民」で有る事を忘れずに、国の内外に正しく報道して下さい。
「安倍内閣」は際限無く「右傾化」はしておりません。
「財政再建」にもマスコミは、国民に諄々と説明する義務と責任(倫理?)
が有る様に思いますが。 「全(全て)」を超えるものは、存在します。
だらだらと書きましたが、「存在」するのです。
解る者には「分かる」筈ですが。 暴言多謝。 「全」の中に含まれる?
神、仏、仙人、天使、妖精、精霊、霊、地獄界、天国など。
どれも現在、観測も認識もできたと聞いた事が無い。存在すると話してる人はいる。 素数すべての総個数より自然数全ての総個数の方が多い。 新宗教でも、創価学会、立正佼成会、霊友会など、は指導者の言葉
で、政治団体に近くなります。なを、学者、文化人も「右翼的」と
言われると、簡単に「萎縮」します。「反戦」と言うのが、免罪符の
彼らです。
有識者?の「○○%が○○と言う」、これもマスコミの「強力なる」
免罪符です。世論誘導の一見「科学的データ」です。国民を愚弄する
としか、思われませんが ? 現状では、マスコミを超えるものは有りません。
国民とは、悲しい存在 ? >>97
わざわざ「正確には」書いておきながら後だしで例えだとつけたす
ガイジかな?
わからないことがよっぽど悔しいのだろう >>105
外れ、∞だよ
文書よく読んでみてね
∞だと書いている 無限も全も人類には把握しきれない概念
無知の知を知り謙虚になりなさい
無知を認めてこの問いは放棄なさい
人類には重過ぎる問いだ >>119
それは逃げだね
表せない数値を記号にして扱ってるだけ
円周率の正確な数値を聞かれてπを出すようなもの
的外れ ならまず無限大の証明をしないと
一体何が無限?
無限を定義すればその時点で有限になる 5センチ四方の正方形に打てる点の数と10センチ四方の正方形に打てる点の数は、
どちらが多い?それとも同じか?なぜそうなる?
このあたりから攻めないと無限の理解はできないよ。 >>121
的外れというのは自分に言い聞かせているのかな?
私の文書の 全て という定義は何かという問いに対して答えを持っているのは私 >>125
それを言葉遊びと呼ぶ
全て=∞?
君は∞を理解出来るのかい? >円周率の正確な数値を聞かれてπを出すようなもの
世の中にはその正確な数値を無限に表せば極限値の計算の答えが
あるように円周率にたどり着けると考える。
しかし円周率にたどり着いたらそれは無限ではなく自己矛盾してしまう。 この世に無限はないと思ったけど、
点の話を読んだら、量子の世界から先はどうなってんだ(?)と思った。
ニュートンだってまさか量子の世界があるなんて思わなかっただろう。
この先、更に次の世界があったら大変だw 格差社会の解決は困難ですが
「自由主義」と「民主主義」を、もう一度、理解しましょう。 >>129
現実という価値感が通じない世界がその先だ。 >>128
そう、所詮途方もない人間には表せない数字を無限とよんでいるだけのこと
そもそも無限を観測したことはあるのかね?
見たことは?聞いた?臭いだ?触った?味わった?無いでしょそんなの
∞は人が及ぶ範疇じゃない
人では表せない数字を∞と表してるだけ
世界は有限 言葉を定義するってことは、その指し示すものと、そうでないものの間に線を引くって事。
例えば、「りんご」という言葉を定義する、使うっていうのは、「りんご」と「りんごではないもの」を区別するっていう行為。
だから、「全て」という言葉は、「全て」と「全てではないもの」を分けるということ。
しかし、完全な「全て」の定義は「全てではないもの」の存在を認めていない。
厳密には言葉自体が矛盾してる。 >>133
そしたら、例えば 見る って言葉は?
早い って言葉は? ドヤ顔で反論してるがソシュールも知らんのか
>>134
「全て」と「一部」の間の線は時制の上に引かれている。
「全てを超えるもの」という時の「全て」は「過去の全て」である。
「過去に全てであったものを超えたもの」と言い換えれば矛盾を生じないし、その言葉が成立しているとするならばそれ以外の解釈は不可能。 早いは形容詞
言葉自体には意味を持たない
必ず主語と比較対照が必要
見るという動詞
何を?見るものがなければ見るは成立しない
これも主語が必要
「全て」という名詞に対してこの2つを例に挙げるのは頭が悪い >>135
同じだろ
「見る」は「見る以外の行為ではないもの」
「早い」は「早い以外の状態、様子ではないもの」
差異を用いずに言葉の意味そのものを指し示すことはできない。
シニフィカシオンの恣意性があるから。 なんか全然「全」の意味を分かってないな。
そんなに難しく考える必要ないんだよ。
「全」ってのは、その名のとおり「全て」ということ。
〜の「全て」とか「全て」の〜みたいな感じで、限定された中での「全て」じゃないんだよ。
本当に字のまんまの「全て」。
時空間も無も何もかもどんな状態をも指してるわけ。 >>140
つまりそれって人の想像力や概念的な話になってくるよね
だったら定義不可能なので概念論で片付けられてしまう >>140
だからどうした
「全て」の話じゃない
「全てを超えるもの」は「全て」に含まれないのかという話をしている >>141
人の想像力や概念的な話ではないよ。
人が想像しなかったりしても「全て」は存在する。 全という言葉は存在する
しかしこのスレで言う全は不可知と同意義
全を無知と置き換えてもいいだろう
つまり全は未知のもの
未知のものを越えることができるかどうかは分からない
分からないが正答 >>146
越えるってどういう意味?なんでもかんでも越える越えられないが当てはまると思ってんの? >>148
思っているの?(思ってるんだったら違うよね)
()内を読みとくには 国語 の勉強をする必要がある
小学4〜5年生程度の高度な国語力が必要である。 クイズ
グラスで一番ビリだったのか
もしくはグラスが1人だったのか 「全て」という概念は、主観(=自己)の“対極”にあるものの「存在」のことであり、
哲学的認識、あるいは一般的認識であっても「全て」という概念の意味は同じである。
つまり、「全て=客観的」という概念は、「主観(私)」を基底として、「主観」の“外部”に
あるものとして認識された存在が「全て(=客観的存在)」概念ということである。
だから、「全て」の外に「全て」があるという考え方は現実としては成立しない。
ただ、机上の形式的論理として成立(=頭の中で組み立てられた理屈)しているだけです。 「現実」とはどこの世界の現実?
ニュートンの理論がどんな世界でも通用すると信じたなら、
量子の世界は今でも別枠ではなかっただろう。 >>154
そのとおり、現実とはニュ−トン理論そして、量子世界等のすべてを含めた世界である。 全てが含まれているから全なんだろ
含まないものは存在しない
それが全 全てである自己が全てである自己を含むのだぞ
もう少し想像力を働かせてみよ
矛盾に気付くはずだ だからスピノザとヘーゲル読めって
お前のいう「全」なんかただの陳腐な想像の世界の出来事だから >>168
169がいうように
>含まないものは存在しない
>それが全
無は存在しない 存在とは在することを心得るってことな、
所詮は観測者が認知したら存在するってこと、
実在してもそこにあるか気がつけないなら存在ではない。 >>177
それなんだよ
最初からそれを言ってる
観測者がいなければ存在は存在しないも同義 >>177
じゃあ、宇宙は望遠鏡で見える範囲しか存在しないわけだ
つまりビッグバンは地球から起ってるんだね 全を越えるものを知るには宗教か哲学を深める事だ
どちらも未知を知ろうとする好奇心を満たすもの
片方は偽りの神を想像して思考放棄で真理に至り
片方は先の見えない階段を一段づつ進みやがて諦観を得る >>182
実際宇宙は広がり続けてると観測している >>182
君は本当に呆れるくらい馬鹿だね
風船が少し遠くではじけたとして君を中心にしてはじけたと思うの???
揚げ足とろうとして自分の足をとられてどうするの?
バカなカキコミしてないで勉強したら???
君は自分で思っている以上に本当に頭が悪いしまわりからもきっとバカに思われてるよ これって人間の思考形式では解が出ない問題じゃないの?
「全」を超えるものがあると仮定しても矛盾し、ないと仮定しても矛盾する… 不毛なこと繰り返しいているなあ
突き詰めていくと概念論や認識論の話に落ち着くんだよ、こういうのは 答え
全てというのは、その範囲内で含まれないものは無いという定義の概念であり、タイトルの言葉でいう越えるか越えないかは何の全てなのかによる キリスト教では一コリントの「一つの体と多くの部分」なんて典型的だけど、個々の部分が相互に調和が取れて一つの全体になる感じで、全体が実現するのは約束された未来のいつかなんだよね。すべての部分が相互に関係し合っていないと「全て」を把握できないってこと。 スコラ学とか全く知らないけど聖なる三位一体の解釈でも紛糾してニカイア派(現カトリック)とアリウス派に分裂して
より現実的(哲学的)な解釈をしたアリウス派は異端にされている
イエスは人なんだから神と人と聖霊が一緒なんておかしくね?って至極当たり前の疑問なんだけどなw
つまり全の定義に疑問を持つことは健全なんだよ
じゃないと中世の思考統制された暗黒時代に逆戻りだよ 中世が暗黒時代とか高校生かよ
12世紀ルネサンスとかで調べてみな <一>こそ<全>を超えている。なぜなら、<全>を認識できるから。 >>195
なかなか鋭い洞察力ですね。
〈一〉とは何か、そして、〈全〉とは〈一〉と、どの様に連関しているかを
究明することにより、〈全〉の意味が明確となります。 >>194
ルネサンスは無かったってのが最近の説ですよ >>195の者です。
>>198は正しいです。
わたしはそれよりも重大な問題があると思います。どう言ったらいいのか、人間関係
における学問の学者ですね。この人たちが真実を言わない。これが問題です。一般の人がきくのは
奴隷こそが人間だということのみである。奴隷とは、精神的主体性のない存在である。
精神とは、思考-感性の統合されたものである。つまり創造性のない主体は、ロボット
人形なのだ。君らはこれをこそ記憶せよ。
洗脳こそが人から自由を奪うのである。洗脳の甘言は、脆弱な主体を簡単に占拠する。
なぜなら、更のハードディスクにはいかなるプログラムもインストールできるのだ。
倫理基準を持たないハードディスクには、いかなるプログラムもマッチし、機能するのだ。
私が何が言いたいかわかるか? 莫迦に。わたしは外国人が好むナイーブは使わない。
こいつらはみな、「首切り」を合理化にすり替える。おれだったら、この莫迦にこういう。
合理化したいのなら、お前が自殺しろと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています