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「神」を完全に解明しました!!(その2) [転載禁止]©2ch.net
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0001SB
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2015/08/22(土) 03:38:08.660
宗教ではなく、科学で「神」を完全に解明したと主張する内容です。
↓メールマガジン『「神」を完全に解明しました!!』
http://www.mag2.com/m/0001657128.html
http://www.mag2.com/m/0001650933.html
ライプニッツのモナドロジーに則り、実在するのは個々の心(モナド)だけであり、
客観的物質世界なるものは実在しないと考えます。さらに量子力学の多世界解釈を取り、
存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…が実在していると考え、
その集合{M}を「神」と定義します。人間の心は要素の1つです。
「神」は、あらゆる心の状態を体験しているという意味で「全知全能」です。
個々の心が持てる情報をNビットとし、個々のビットが独立して「0」、「1」、「?」
(=「0」+「1」)の3つを取り得るとすると、全部で3^N種類の心になります(N→∞)。
1人の人間である自分の心M1は、
「なぜ自分の心M1は、「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」、
「なぜ自分の心は、他のM2、M3、M4、…ではなくこのM1なのか?」、
「なぜ自分が住む世界の物理法則は、他の物理法則ではなくこの物理法則なのか?」、
…等の謎を感じますが、「神」の視点に立てば、すべての謎が消滅します。
「神」は全知全能であり、あらゆる○○○に対し、「○○○である」と認識する心と
「○○○でない」と認識する心の両方を作っています。そして、
「「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○である」と認識する」、
「「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」と認識する」、
というダブル・トートロジーが成立しているだけです。
前スレッド→http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1433496355/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:7bff9ed63942b4cd01610d20b2c06e65)
0142考える名無しさん
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2015/09/06(日) 21:37:51.050
でもって、こういうからくりがばれるのを怖れて隠し続けてきたのが密教とかカトリック。
0143考える名無しさん
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2015/09/06(日) 21:48:16.140
坊さんの中には、東大のインド哲学出ている人もいるんだよ。
こういう人は馬鹿ではない。油断ならない人だ。
0144考える名無しさん
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2015/09/06(日) 22:24:29.420
教義の今日的解釈をデータ・ベース化しておけば、怖いものなしでしょ?
もはや無人寺作ってキイボード置いておけば、ありがたい話はいくらでも出てくる。
お布施も払われないだろうけど。
インターネット寺院とか無駄無駄。もうね、人間要らないんだよ。
かくして産業が一つ絶滅する。
0147考える名無しさん
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2015/09/07(月) 05:21:25.900
言葉っていうのは主として著作のことだけどね。
0148考える名無しさん
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2015/09/07(月) 09:27:06.270
ポエムならsageるだろ、ageてコテハン使うのはどうみても
人格障害の類だ
0149考える名無しさん
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2015/09/07(月) 22:09:54.900
私は神の声を聞く事が出来る。
神は意外と高い声で、語尾が早口のため、聞き取るのは素人には難しいであろう。
0150考える名無しさん
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2015/09/07(月) 22:15:56.900
A 俺はナポレオンだ

B 誰がそんなことを決めた

A 神だ

C 俺はそんなことを決めた覚えがない


>>149 読んでこの話を思い出した。
0152考える名無しさん
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2015/09/08(火) 00:48:30.980
 概念の「無力さ」は、概念を論理的に使用するときにあらわれる。
つまり、「神」の概念は、「神」の内包、「全知全能」、「人間が疑問を
抱くすべての謎は、トートロジーに解消できる。」など。

・・そして神が生成するならば、そうした意味でまたもや、「神」の内包「全知全能」は無限になる、「神が全知全能になる、その1秒後、2秒後、10分後・・)

つまり、概念の「論理的規定」は「内包」がいつまでも一般的なものにとどまる。それは、内包の各生成部分(神の存在から1秒後の神、
2秒後の神・・」が類似しているからである。それらを「集めて」、一般化しているだけで、抽象的存在にとどまる。

だが、神が止まっているならば、厳密な意味で「神」は言語的存在、構文論的存在である。

フッサールいわく「表現の層は、 生産的ではないものである。或いは逆の言い方を
すれば、こうなる。すなわち表現の層の生産性、つまりノエマ的働きは
表現作用ということで尽きてしまうのであり、かつ、表現作用とともに
新しく入り込んでくる概念的なものの形式ということで尽きてしまうのである。」
0153考える名無しさん
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2015/09/08(火) 00:48:57.730
つまり、SB氏の神は

「「SB量子神学」の中身は、次の3つの命題です。【究極原理】=「人間が疑問を
抱くすべての謎は、トートロジーに解消できる。」、【{M}の実在】=「存在し得る
すべての心M0、M1、M2、M3、…が実在(半存在)している。」、【神の全知全能性】
=「神は全知全能である(全知全能の神が存在する)。」。3つは互いに必要十分の
関係にあり、【究極原理】1つだけを証明無しに「公理」に定め、【{M}の実在】
と【神の全知全能性】の2つを「定理」として証明します。
さらにこの上で、「謎」という言葉に考察を加えます。人間は、「○○○である」
と「○○○でない」の片方しか認識できないので、「なぜ片方だけが実現してい
るのか?」という謎を感じます。そこで量子力学の多世界解釈を採り、本当はあ
らゆる○○○について、「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○で
ある」と認識する、「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」
と認識する、というダブル・トートロジーが成立しているだけだと考えます。
すると「謎」=「必ずトートロジーに解消できる命題」となり、【究極原理】も
またトートロジーに解消されます。そして「SB量子神学」全体が、何一つ仮定
を含まないトートロジーであり、絶対的真理だと見なせることになります。」

という「文字列そのもの」と同一ということになります。

つまり論理学は対象(文字列)の記憶、自己意識のなかで、実現されうる。これが表象=再現前化であり、論理学が反復できない。(差異化できない)
できないという無力さを示している。 それは、「神が実際に全知全能であるとするには、「神は全知全能」と表現すれば、「神が全知全能」になる。

が、「中身」はからっぽなのである。この論理でいけば、神を全知全能を達成するには「各々の能力」を無限に「文字列」にしていく他無い。
だが、そういったところで神が実際に「全知全能」になるわけではない。俺が「泳げる」と言ったところで、実際に泳げるようにならないのと同じである。
0154123
垢版 |
2015/09/08(火) 16:35:15.180
105.
思考と存在とを分けて考察すれば良いことになる。
神は思考の世界での存在であり、
存在の世界には神は存在しないことになる。非存在となる。
神は想像での産物である。
そこでの混同が錯誤の原因である。
0155SB
垢版 |
2015/09/09(水) 02:08:08.160
>>139
>私は、S&B>>1が調子のっているとの通報を受けて駆け付けた物理学徒です。
>専門はソフトマターでミクロじゃないがまぁ対応できると思う。
>まず、「Mi(i=1,2,3…)は量子的固有状態と思われるが、ハミルトニアンHは何?」

はじめまして。よろしくお願い致します。
「色」Mi(i=1、2、3、…)は量子力学に縛られていないので、Hψ=Eψのような
方程式の解だけが存在し得る、というものではありません。もしMi(i=1、2、3、
…)が量子力学に従っているのであれば、「神」=「真如」が量子力学に縛られ
ていることになってしまい、全知全能でなくなってしまいますから。「色」Mi(i=1、
2、3、…)に矛盾が有ると「空」M0になってしまうので、「色」Mi(i=1、2、3、
…)の存在条件は、特定の意識内容を持ち矛盾が無いこと、だけです。
自分の心をM1とし、自分が住む世界をW1とすると、W1の中では量子力学が成
立する、という設定になっているようです。そして、M0とMi(i=1、2、3、…)
との間にM0=M0+M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕という線形の重ね合わせの
関係が成立しているように認識する、というだけです。
0156考える名無しさん
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2015/09/09(水) 04:49:27.940
>>155
>「色」Mi(i=1、2、3、…)は量子力学に縛られていないので
いえ縛られています
0157SB
垢版 |
2015/09/09(水) 05:08:57.410
「色」Mi(i=1、2、3、…)をψで表し、その存在条件をシュレディンガー方程式
Hψ=Eψのようなものとして、敢えて表現するなら、
   ψ=ψ、ψ≠0    …(※)
だと思われます。ψ≠0は、ψが完全な無意識ではなく、何らかの意識を持った
状態であることを要求しています。ψ=0だと完全な無意識で、「空」M0になっ
てしまいます。ψ=ψは「同一律」であり、無矛盾であることを要求しています。
矛盾が生じると、自己同一性が保てず、やはり「空」M0になってしまいます。
「空」M0の方は、(※)にさえ縛られません。つまり、ψ=0、または、ψ≠ψの
場合が「空」M0です。ただし、「「何ものにも縛られない」にも縛られない」
すなわち「何かに縛られる」にも成り得るため、「(※)に縛られる」ことも可
能であり、「空」M0は「色」Mi(i=1、2、3、…)でも有り得ます。「空」M0は、
同一律ψ=ψに、従うことも逆らうこともできる訳です。弁証法的に、
「空」(合)(M0、M1、M2、M3、…)=「空」(正)(M0)+「色」(反)(M1、M2、M3、…)
と表現できます。「空」の定義がダブってしまうので、これをこう書きます。
「神」(M0、M1、M2、M3、…)=「空」(M0)+「色」(M1、M2、M3、…)
「真如」=「絶対的真如」+「条件付き真如」と全く同じ内容です。
0158139の物理屋です
垢版 |
2015/09/09(水) 06:03:30.820
>>155
ディラックーシュレディンガーの量子論の枠組みに拠って立たないなら、私には少し手に余りますが…
{Mi}がW1で量子力学のシュレディンガー方程式に当てはまるなら、W1でのそのHは何なんですか?
あと、156は私ではないです。
0159123
垢版 |
2015/09/09(水) 16:51:55.210
SB神学は心の問題として成立している。
だからして、その範囲内では成立することになる。
だが、神学は、心の問題だけであるのか。
そこが問題である。
0160123
垢版 |
2015/09/09(水) 16:52:25.730
SB神学は心の問題として成立している。
だからして、その範囲内では成立することになる。
だが、神学は、心の問題だけであるのか。
そこが問題である。
0162SB
垢版 |
2015/09/09(水) 21:37:15.830
「SB量子神学」では、何ものにも縛られない「神」=「真如」からスタートしま
す。すると、「何ものにも縛られない」をそのまま実現した「空」M0と、「「何
ものにも縛られない」にも縛られない」つまり「何かに縛られる」を実現した
「色」M1、M2、M3、…の2種類が存在し得ることになります。ここまで、量子
力学は使っていません。しかし、多世界解釈(多心解釈)はすでに使っています。
「神」が全知全能であるなら、存在し得るすべての世界(心)を作っているはず
だ、と考えているからです。量子力学よりも、多世界解釈の方がより本質的だ
と見なします。M1、M2、M3、…の中には、量子力学以外の物理法則が成立して
いると認識している心も含まれます。観念論を取るので、現実と夢とのはっき
りした区別も有りません。物理法則に反するような出来事が次々と起きるのを
体験する心も、M1、M2、M3、…の中に含まれますが、そういう心は長時間安定
して存続する保証が無いため、数秒か数分程度で終わってしまうと実感し、そ
れが夢です。宇宙が140億年も続き、人生も平均寿命80年ほど続くと実感する
心は、しっかりした物理法則が成立していると認識するはずで、それが現実で
す。自分の心M1の住む世界W1の中で見ても、「色」M1、M2、M3、…の存在条
件は、これらをψで表す時、Hψ=Eψではなく、「ψ=ψ、ψ≠0 …(※)」です。
0163SB
垢版 |
2015/09/09(水) 22:15:55.560
>>158
「SB量子神学」は、「量子力学をそのまま使って「神」を記述しました」とい
う理論ではありません。「全知全能の「神」が論理的必然性だけで「空」M0と
「色」M1、M2、M3、…を作り出しており、それがすべてである。…と、量子
力学は示唆しているのではないだろうか?」と主張する理論(仮説)です。

量子力学は、物理状態の計算方法としては、すでに完成されており、数多くの
実験的実証から、その正しさは間違いないと思われます。しかし、「解釈問題」
「観測問題」と呼ばれる哲学上の未解決問題を残しています。それらを最もシ
ンプルに説明できそうな世界観を示して見せているのが「SB量子神学」です。
0164考える名無しさん
垢版 |
2015/09/09(水) 22:55:21.720
宗教と神は分けて考えられなければならない。
多少知恵がついてくれば、宗教抜きで神と対峙することはできるよ。
宗教が退潮傾向なのは一般市民が知恵をつけてきたからでしょ?
インターネットの力は侮れないね。
0165139
垢版 |
2015/09/09(水) 23:06:24.380
>>163
「解釈問題」は学部の頃よく議論しました
私は確率過程量子化説を採って一応納得していますが。
SBの解決のロジがよく見えないのですが…

>>162の(※)はただのトートーロジーであり0出ない限り真なので必要条件にはなり得ても十分条件にはなり得ないでしょう
Miが離散的でW1では何らかのS方程式の解と言うのですから
0166SB
垢版 |
2015/09/10(木) 02:26:22.990
>>165
>「解釈問題」は学部の頃よく議論しました
>私は確率過程量子化説を採って一応納得していますが。
>SBの解決のロジがよく見えないのですが…

「SB量子神学」では、存在し得る心M1、M2、M3、…すべてが、「MiはMi
である」(i=1、2、3、…)と自己認識しているだけです。本当はすべてが「神」
による自己認識であり、「時間の流れ」、「物理法則」、「1人の人間としての自己
同一性」、…などはすべて、Miの中に観念として存在するだけであり、言わば
「神」が見ているMiという夢の中だけの設定です。こう考えると、1人の人間
としての自分の心M1が感じていた「なぜ○○○なのか?」という謎が、「○○
○である」と認識する視点に立てば「○○○である」と認識する、「○○○でな
い」と認識する視点に立てば「○○○でない」と認識する、というダブル・ト
ートロジーに過ぎなかったことになり、すべて消滅します。量子力学を合理的
に解釈するだけでなく、すべての謎を消滅させてやろうという試みです。
0167SB
垢版 |
2015/09/10(木) 02:35:51.990
>>165
>>162の(※)はただのトートーロジーであり0出ない限り真なので必要条件
>にはなり得ても十分条件にはなり得ないでしょう
>Miが離散的でW1では何らかのS方程式の解と言うのですから

例えば、最大でN=3ビットの情報を持てる心は、Mi=「abc」で、a、b、c、がそ
れぞれ独立して「0」、「1」、「?」(=x「0」+y「1」)の3つを取り得るとする
と、3^N=3^3=27種類の心、と表現できます。しかし、より正確には、「000」「001」
「010」「011」「100」「101」「110」「111」の8つを基底m0〜m7と定め、こ
れらにk0〜k7という重みを付けて線形結合させた、
  Mi=k0・m0+k1・m1+k2・m2+k3・m3+k4・m4+k5・m5+k6・m6+k7・m7
をMiの一般形だと見なします。重みk0〜k7が実数領域(あるいは複素数領域)
で連続的に変化できれば、Miを要素とする集合{M}は、ヒルベルト空間と呼ばれ
るような連続的な空間を構成できるのではないでしょうか。もちろん、こうし
ておいて、N→∞に拡張します。「S方程式」こそが「ψ=ψ、ψ≠0 …(※)」
です。仰る通り、0以外はすべて解なのであって、離散的ではないですよ。
0168考える名無しさん
垢版 |
2015/09/10(木) 03:25:38.770
R^kは加法に関する位相群なので、中心が原点であるような
開球体の全体は、原点0の基本近傍系を構成します。
コーシー列の収束性と空間の完備性については大学の授業で
既に学ばれたことかと思いますので R^k に関し、この定義と
先の定義は本質的に同じものであるとします。

                     シラサカめばえ
0169考える名無しさん
垢版 |
2015/09/10(木) 03:51:38.280
実在するのは個々の心って・・・。
薬飲みゃ、シェシェシェのシェーだし、頭吹っ飛びゃ心なんてどっかに行くし。w
要するに心というか意識はある物理的状態の付随現象だろうよ。

自然の運動変化の過程でヒトが出現したのであり、心が物質的世界を生み出したわけじゃあない。
科学を否定する理論はもうダメだろう。w
0170SB
垢版 |
2015/09/11(金) 01:06:14.850
>>137
>それはあなたが「ここの掲示板には理解できる人が1人もいない」という視点
>に立っているから、1人もいないのです。
>「ここの掲示板には理解できる人しかいない」という視点にたてば、皆が完璧
>に理解しているのです。
>同じようにあなたが「面白い議論ができない」という視点に立っているから、
>残念に思うのです。
>「面白い議論ができている」という視点に立てないあなたが全て悪いのです。

よく理解して貰えているようです。最後の行に出て来る「あなた」は、1人の人
間としてこの世界にだけ生きているSBです。このSBは全知全能ではないので、
「ここの掲示板には理解できる人が1人もいない」と「ここの掲示板には理解
できる人しかいない」のうち、好きな方を選べないと実感し、自分の置かれて
いる世界の中で、自由意志により、最善の行動選択をするだけです。しかし、
本当は自分は全知全能の「神」なのだと悟れば、自分は両方を体験しており、
それぞれの立場を楽しんでいるだけ、ということになります。
0171SB
垢版 |
2015/09/11(金) 01:28:58.780
>>169
>要するに心というか意識はある物理的状態の付随現象だろうよ。
>自然の運動変化の過程でヒトが出現したのであり、心が物質的世界を生み出し
>たわけじゃあない。
>科学を否定する理論はもうダメだろう。w

J・ホイーラーの「遅延選択実験」とか、どう説明するのですか?
仏教の「唯識」(観念論)は、科学を否定しているのではなく、むしろ量子力学の
出現により、科学の方が「唯識」を支持しているように見えます。
0172考える名無しさん
垢版 |
2015/09/11(金) 02:44:17.270
 ニーチェ「道徳外の意味における真理と虚偽について」

「顫光(せんこう)を発しながら、無数の太陽系となって、注ぎ出された、

この宇宙の、どこか一つの辺鄙(へんぴ)片隅に、かつて、認識というものを発見した怜悧な動物どもの住んでいた、

一つの天体があった。それは、「世界史」の中の不遜極まりない、しかもでたらめこの上もない、瞬間であった。

だがそれは、たったの一瞬間だけにすぎなかった。自然のほんの二、三呼吸の後に、
その天体は凝固し、怜悧な動物どもは死滅しなければならなかった。---こんなふうに

、誰かが、一つの寓話を作り出すこともできるであろう、しかしその場合でも、人間の知性が、

自然のうちにおいては如何に情けない、如何に影のようで儚(はかな)い、
如何に無目的で勝手なものに見えるかということを、十二分に図解してみせたことにはならないであろう。

人間の知性など存在していなかったような永遠というものが、これまですでにあったのである。

そしてまた人間の知性が消滅してしまえば、何事も生起しなかったのと同じことになるであろう。
0173考える名無しさん
垢版 |
2015/09/11(金) 04:40:09.420
この一瞬が永遠に在るだけだろう。

何事も生起しなかったと同じじゃなく、認識主体が無ければ生起が認識に対象化されないといだけだろう。
知性があろうがなかろうが、この宇宙では認識に対象化されない、何かが生起していると普通は思うんじゃないのかな。
0174123
垢版 |
2015/09/11(金) 06:26:01.300
神の心を量子の集合と考える。
それが量子神学である。
0175考える名無しさん
垢版 |
2015/09/11(金) 06:30:16.650
何言ってんだか?なんでも量子の集合だろ?
0179考える名無しさん
垢版 |
2015/09/11(金) 20:04:15.150
うまいこと逃げるな〜
逆に感心するわ
本人的にはどうなんかね
うまく逃げきった充実感なのか、気がつくほどの頭がないのか。
まさか自己欺瞞に悩んでるわけないし。
0180SB
垢版 |
2015/09/11(金) 21:14:13.530
>>165
最大でN=3ビットの情報を持てる心の場合、「空」M0=「???」であり、これを8
つの基底m0〜m7すなわち「000」「001」「010」「011」「100」「101」「110」
「111」の線形の重ね合わせで表すこともできます。
  M0=m0+m1+m2+m3+m4+m5+m6+m7
つまり、
  「???」=「000」+「001」+「010」+「011」+「100」+「101」+「110」+「111」
規格化するなら、右辺に1/√8を掛けても良いです。右辺は線形の重ね合わせ
ですから、m0〜m7に任意の重みk0〜k7を付けて線形結合にした、
  Mi=k0・m0+k1・m1+k2・m2+k3・m3+k4・m4+k5・m5+k6・m6+k7・m7
すべてを含む、と解釈できます。
0181SB
垢版 |
2015/09/11(金) 21:59:20.430
>>173
あなたがそう思い込んでいるだけです。ある時あなたはハッと目が覚め、今ま
で住んでいた世界は夢だったのであり、あなたの心の中の幻に過ぎなかった事
を知る、という可能性が常に残っています。
「客観的物質世界の実在」を仮定してしまうと、「なぜ世界は「無い」ではな
く「有る」の方なのか?」という謎に、「そんなの知るもんか。なぜか「有る」
から「有る」のさ」と答えるしか無くなってしまいます。その点、主観的な心
は、自分の心にとって自分の心は「有る」だけれど、他人の心にとって自分の
心は「無い」にもなり得ます。心は、「有る」と認識する視点に立てば「有る」、
「無い」と認識する視点に立てば「無い」、のダブル・トートロジーを満たし
ているだけであり、「なぜ「有る」のか?」、「なぜ「無い」のか?」という謎
自体が無くなるのです。だから、存在論の謎を解決しようとする時、証明され
てもいない「客観的物質世界の実在」は仮定せず、「観念論」の立場を取った
方がうまくいくのです。
「観念論」の必然性→http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1433496355/18-22
0182考える名無しさん
垢版 |
2015/09/12(土) 00:22:57.230
>>170
違います
それは貴方がそのような視点にしか立てないからであり、真実を見るべきです
>>181
それも大間違いです。貴方のみがそのような視点にたっているためです。
0183考える名無しさん
垢版 |
2015/09/12(土) 08:02:58.450
おいおいっ、在るというのは仮定だぞ?
目に前の対象を在ると仮定する。
この自然は全て運動するというのが光速度一定の法則の結論だ。
つまり運動は自然の存在形式ということだ。
科学革命は常に認識主体が認識対象の一部、つまり認識主体は観念的存在だということを示してきている。
地動説は、地球が静止していると仮定して諸天体の運動量を認識するが、地球自身も諸天体の一部だということを示した。
進化論は人間が諸動物の一部であり、自然の運動変化の過程で諸動物が生成されたことを示し人間もその一部であることを示している。
光速度一定の法則は自然の運動量を測るには静止、つまり座標が必要であることを示したが
その座標は実在せず観念的存在であることを示した。

科学革命は静止を一貫して否定してきたし、いわゆる認識主体は認識対象の一部であることを示してきた。

それが科学が示した自然だよ。
この事実から出発しないとどうにもならない。

そして自然に存在理由など無い。
自然は無矛盾で、この意味では理解可能だが、自然自身に存在理由など無いという意味では不可知だ。
0184考える名無しさん
垢版 |
2015/09/12(土) 08:16:36.110
在るは仮定だよ。
自然の存在形式である運動は決して否定されない。
この意味で在るという仮定は光速度一定の法則で無矛盾であること示される。
無は自然の存在形式である運動の否定であり、静止はどこにも実在しない
つまり無自身は頭の中にしか存在しないことが示される。
そしてこの運動の否定としての無は運動量を測るのに必要だということだ。

これが科学が確定したことだ。
それが前提にしなければならないことだよ。
0185123
垢版 |
2015/09/12(土) 10:26:55.520
神を量子の集合体と考えるのが量子神学である。
それを否定したものが反量子神学である。
神は神の心理として確定する。それは神の現象形態である。
全知全能とは神の現象形態である。
神そのものは量子ではないからして、現象ではないことになる。
それでは何か。それは観念であることになる。
0187前にも言った気がする・・
垢版 |
2015/09/12(土) 22:18:47.910
「なぜ自分の心M1は、「存在しない」ではなく「存在する」の方なのか?」、
「なぜ自分の心は、他のM2、M3、M4、…ではなくこのM1なのか?」、

「なぜ自分が住む世界の物理法則は、他の物理法則ではなくこの物理法則なのか?」、
・・・・・・次のように言い換えることができる。

「なぜ、無ではなく何かがあるのか?なぜ、あれではなくこれなのか?なぜ、この物理法則は
この物理法則で、あの物理法則なのか?」、ライプニッツの問いは、ライプニッツだからといって、すごい「問い」な訳ではない。彼も間違う。

・・これらの問いはベルクソンが「にせの問題」と言ったやつである。

これらは「無存在」、「無秩序」、「M0の心(何らかの心)」、「何らかの物理法則X」を前提としている。要するに「可能性」を「創造」に先立つものと
見ている。否定の論理操作は、否定されるものの肯定{存在}を前提している。否定されるには「否定されうるもの」が必要なのだ。

・・例えば「なぜ自分の心M1は、「存在しない」ではなく{存在する}の方なのか?」、という問いが可能になるのは、存在するものが必要であり。

しかも・・・そもそも「問うもの」の存在が無ければ、問うことすらできない。まあ、「存在」を消す「物理法則を消す」という「想像」は可能であるが、
これは、「謎」ではなく、「存在しないこともできるはずだった」という、要請というか仮定というか、希望みたいな?ものであると思う。
0188考える名無しさん
垢版 |
2015/09/13(日) 01:03:08.230
 SB氏は、物事や理論を説明する際に必要なことを怠っているように見える。

抽象的概念は、最後に「出来上がったものであって」、それを分かりやすく説明するには、

できうるかぎり、「その前の」具体的なものから説明すべきということ。分からない概念には「注釈」という

か、それに似た「概念の成立に貢献した」、より「抽象的概念でない」ものを用いて「その概念」

を説明する。。「重ね合わせ」というのは、物理学者には既知のものですが、それ以上に

説明されるべきだと思う。・・つまり、SB氏は「同じこと」を「同じ言葉」で語っている限り、理解はされそうにもない
と思う・・・。まあ、「言い換え」も「比喩も」も不可能です、なら仕方ないですが。

例えば、いわゆる、「トートーロジー」は「同語反復」の意味なので、そう言われます。ではダブル・トートロジーも、「トートロジー」です。

しかしSB氏は「シングル?トートロジー」と「「ダブル・トートロジー」では「異なっている」ような使い方をされております。

トートロジーに「シングル、ダブル」があるのが解せません。 また「満たせば」は数学用語で、意味はわかる、「・・の視点に立てば」

というのは、普通、ある「ベクトル」「ある方向」「ある価値観」と解します。「・・の心は無いという視点に立てば」・・と語るのは誰でしょう。
0189考える名無しさん
垢版 |
2015/09/13(日) 01:07:45.730
>>188
それはあなたがそういう視点にしか立てない為です。哀れみを感じます。
0190SB
垢版 |
2015/09/13(日) 01:08:34.320
>>187 前にも言った気がする・・さんへ

>「「なぜ、無ではなく何かがあるのか?なぜ、あれではなくこれなのか?なぜ、
>この物理法則はこの物理法則で、あの物理法則なのか?」、ライプニッツの問いは、
>ライプニッツだからといって、すごい「問い」な訳ではない。彼も間違う。
>・・これらの問いはベルクソンが「にせの問題」と言ったやつである。

私も前に答えた気がします。あなたがこれらを「にせの問題」と見なして興味
を持たれないのであれば、それはあなたの自由です。しかし逆に、これらの謎
こそが哲学で最も深淵な謎だ、と主張する哲学者も数多くいます。私もこれら
の謎こそが、一番答を知りたい謎なので、真剣に考える方を選びます。
私にはあなたが、自分の答えられない問題は問題であると見なそうともせず、
思考停止しているだけに見えるのです。私はそれでは満足できません。
0191考える名無しさん
垢版 |
2015/09/13(日) 02:01:38.590
>189

気に障ってたら、謝るよ。もうちょっと分かりやすくと思ってね。
0192SB
垢版 |
2015/09/13(日) 02:22:11.350
>>188
シュレディンガーの猫の生死を観測したら、「死」だったとします。
まず、多世界解釈を採らず、「死」だけが生じ、「生」は生じなかったと仮定し
ましょう。この場合、「なぜ「死」なのか?」という問に対し、「「死」だと認識
する視点に立てば「死」だと認識する」という答が「シングル・トートロジー」
ですが、これは全く答になっていません。《謎》=「なぜ「生」と「死」のうち、
「死」の方だけが選ばれて実現したのか?」に、何も答えていないからです。
そこで多世界解釈を採り、「生」と「死」の両方が実現していると見なします。
すると《謎》は事実誤認だったということで消滅します。さらに「なぜ「死」
なのか?」という問をするためには、「生」と「死」2つのうち「死」だと認識
する視点の方を選ぶ必要が生じます。「2つのうち「死」を選ぶ」という条件付
きで初めて「なぜ「死」なのか?」という謎が発生し、その答は「2つのうち「死」
を選んだから」です。「2つのうち「死」を選ぶと、2つのうち「死」が選ばれ
る」と言っているだけです。これこそが、「「生」だと認識する視点に立てば
「生」だと認識する」、「「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識す
る」、という「ダブル・トートロジー」です。今度は完全に謎が消滅しました。
0193考える名無しさん
垢版 |
2015/09/13(日) 08:06:18.280
「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識する→シングル・トートロジー

「生」だと認識する視点に立てば「生」だと認識する、「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識する→ダブル・トートロジー

「生」だと認識する視点に立てば「生」だと認識する、「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識する、「生」と「死」が重ね合わせだと認識する視点に立てば「生」と「死」は重ね合わせだと認識する→トリプル・トートロジー
0194考える名無しさん
垢版 |
2015/09/13(日) 11:06:55.540
「生」だと認識する視点に立てば「生」だと認識する、「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識する、
「生」と「死」が重ね合わせだと認識する視点に立てば「生」と「死」は重ね合わせだと認識する「生」と「死」が重ね合わせではないと認識する視点に立てば「生」と「死」は重ね合わせではない認識する→クアドアプル・トートロジー
0196考える名無しさん
垢版 |
2015/09/13(日) 15:04:39.480
>>195
12%は生、88%は死と認識する視点に立てば(以下略)→セクスタプル・トートロジー

シングルトートロジーでは謎が消えない。
ダブルトートロジーだと謎が消えるなら、
トリプル以降はどうなるんでしょうかね。
0197考える名無しさん
垢版 |
2015/09/13(日) 21:57:23.450
>>196
我々が認識するこの宇宙つまり、直接的に影響を与える基本次元で言う所の3.8次元では?
0198SB
垢版 |
2015/09/14(月) 03:07:30.410
>>192で説明した通り、人間はシュレディンガーの猫の生死の片方だけ、例え
ば「死」だけしか認識できないため、「なぜ「死」なのか?」という謎を感じて
しまいます。この謎を消滅させるためには、多世界解釈を採り、本当は「生」
と「死」の両方が実現していて、ダブル・トートロジーが成立しているだけな
のだ、と考えれば良い訳です。
そこでこれを最大限に拡大解釈し、本当の自分は全知全能の「神」なのであり、
あらゆる○○○について、「○○○である」と「○○○でない」の両方を体験し
ているのであって、「「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○である」
と認識する」、「「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」と
認識する」というダブル・トートロジーが成立しているだけだ、と考えます。
そうすれば、1人の人間の心M1として感じていた「なぜ○○○なのか?」とい
う謎はすべて消滅します。さらに自分こそが「神」であり、存在し得るすべて
の心M0、M1、M2、M3、…を平等に体験していることになり、M1に対する
「もっとこうありたかったのに…」という不満も無くなります。「SB量子神学」
の主張している事は、基本的にこれだけです。単純明快でしょう?
0199SB
垢版 |
2015/09/14(月) 03:22:35.720
>>183
>そして自然に存在理由など無い。
>自然は無矛盾で、この意味では理解可能だが、自然自身に存在理由など無い
>という意味では不可知だ。

そう、あなたのやり方だと、「なぜ自然は「存在しない」ではなく「存在する」
の方なのか?」という謎に対し、「そんなの知るもんか。なぜか「存在する」か
ら「存在する」のさ」で終わるしか無くなります。それで満足な人は、それで
満足して下さい。私は満足できないので、こういう謎にも答えられる仮説を提
案しているのです。もちろん、あくまで仮説に過ぎませんが。
0200SB
垢版 |
2015/09/14(月) 04:04:58.640
>>195
>なぜ、12%は生、88%は死という最も一般的な例が無いのですか?

それは、トリプル・トートロジーに含まれます。「生」+「死」は、より正確に
はx「生」+y「死」と書くべきで、|x|^2=12/100、|y|^2=88/100の場合がそれ
です。シュレディンガーの猫の装置で、1個の放射性原子が、12%の確率で崩壊
せず「生」になり、88%の確率で崩壊して「死」になるよう調整できると思われ
ます。この時、観測していない猫の状態がそれです。
「観測すると、なぜどちらか一方だけに確定し、12%は生、88%は死という状態
は知覚できないのか?」という意味でしたら、それは人間の視覚が、「生」か「死」
かをはっきり識別してしまう知覚システムだから、と思われます。地球人とは
全く異なる知覚システムを持つ宇宙人の場合、「生」+「死」または「生」-「死」
の2つに分けてどちらか一方を知覚するかもしれません。地球人でさえ、視覚
や触覚を使わず、嗅覚だけを用いて猫の生死を観測すれば、30%は「生」、70%
は「死」、くらいに曖昧にしか識別できない事も有り得ると思われます。
0201SB
垢版 |
2015/09/14(月) 04:18:04.570
>>196
>シングルトートロジーでは謎が消えない。
>ダブルトートロジーだと謎が消えるなら、
>トリプル以降はどうなるんでしょうかね。

トリプル以降は、ダブルの組み合わせに分解できるので、本当に必要なのは
ダブルまでです。「生」、「死」、「生」+「死」、の3つに分ける場合は、
まず「「生」+「死」という重ね合わせである」と「「生」+「死」という重ね
合わせでない」の2つに分けます。さらに「「生」+「死」という重ね合わせ
でない」を、「生」と「死」の2つに分けます。4つ、5つ、…の場合も、結局
はダブルを何回か使うことで表現できると思われます。
0202考える名無しさん
垢版 |
2015/09/14(月) 06:43:30.570
物理的には生も死も同じだけどな。
つまり生も死も無い。

この意味わかるかな?w
0203考える名無しさん
垢版 |
2015/09/14(月) 13:13:19.920
逆にどう理解して欲しいのか説明してくれないと構ってあげられないよ?
0204考える名無しさん
垢版 |
2015/09/14(月) 13:32:54.510
A、「生」だと認識する視点に立てば「生」だと認識する

は、
A'「生」ではないと認識する視点に立てば「生」ではないと認識する
と同じです。

なぜなら、
A1、「生」だと認識する視点に立てば「生」ではないと認識する
A2、「生」ではないと認識する視点に立てば「生」だと認識する
はいずれもAと矛盾するからです。

ここで、「生」ではないものを「死」だと仮定します。

すると、A'は
B、「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識する
となります。

よって仮定が正しければ、AとBは同じ事であり、AからB、BからAを導ける事になります。
0205考える名無しさん
垢版 |
2015/09/14(月) 13:37:48.800
ところで、SB量子神学では、Aはシングルトートロジーです。
AとB両方を合わせるとダブルトートロジーになります。

この両者は全く違うものです。
シングルトートロジーでは謎が消滅しないからです。

ということは、SB量子神学では仮定が成立していないという事です。
つまり、「生」でないものが「死」であるとは限らない、ということになります。

そうでなければ、シングルトートロジーとダブルトートロジーは同じものになって、謎は消滅しないからです。
0206考える名無しさん
垢版 |
2015/09/14(月) 13:45:14.600
ここで、「なぜ仮定が成立していないのか」という謎が生まれます。

その謎を消すために、ダブルトートロジーを立てます。

仮定が成立していると認識する視点に立てば仮定が成立すると認識する、仮定が成立していないと認識する視点に立てば仮定が成立していないと認識する

これで「なぜ仮定が成立していないのか」という謎は消滅しました。

しかし、ダブルトートロジーの中において、「仮定が成立していると認識する」ことを認めてしまいました。
そうすると、AとA+Bは同じになり、Aの謎は消滅しません。

つまり、
「なぜ仮定が成立していないのか」

「なぜ生なのか」
という謎はどちらか片方しか解けません。
0208考える名無しさん
垢版 |
2015/09/14(月) 13:55:51.130
>>202
そりゃそうだ
何でもそうだ
ただあるだけだ

人間の場合は実際に人間なだけだ

それが主観になっている
0209考える名無しさん
垢版 |
2015/09/14(月) 13:57:25.210
ここでまた「なぜ片方しか解けないのか」という謎が生まれます。

「片方しか解けない」と認識する視点に立てば「片方しか解けない」、「両方解ける」と認識する視点に立てば「両方解ける」

とダブルトートロジーを立てればまた謎は消滅します。
しかし、どうやって両方の謎を解いたのでしょうか。
「両方の謎を解いた」と認識する視点に立っただけでは両方の謎は解けません。
「空を飛べる」と思い込んでも空を飛ぶことができないのと同じです。
0210考える名無しさん
垢版 |
2015/09/14(月) 22:24:21.720
>202 分かる、ただ、物理的形態が変わっただけ、人間は物質の「組み合わせが」変わっただけ、

「相対的な有機体に変わっただけ。」。
0211SB
垢版 |
2015/09/15(火) 03:42:07.120
>>204 >>205 >>206
あなたの論法では、多世界解釈を採っているのかいないのか、の区別がなされ
ていないように思えますが…?

シングル・トートロジーとは、多世界解釈を採らず、「死」だけが実現して「生」
は実現していない場合に、「「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識
する」と表現したものです。この場合、「生」は実現していないので、「死」
の否定が存在しません。つまり、「「生」だと認識する視点に立てば「生」だ
と認識する」は実現していないため、ダブル・トートロジーは成立していない
のです(もちろん、命題としてはどちらもトートロジーで真ですが、実現してい
るのは片方だけであり、両方ではない、という意味で)。
ダブル・トートロジーとは、多世界解釈を採り、「死」と「生」の両方が実現
している場合に初めて成立するものです。両方が実現しているので、「生」の
否定は「死」、「死」の否定は「生」です。そして、「「死」だと認識する視
点に立てば「死」だと認識する」、「「生」だと認識する視点に立てば「生」
だと認識する」、の両方が実現しています。
0212SB
垢版 |
2015/09/15(火) 03:50:26.340
>>209
>「空を飛べる」と思い込んでも空を飛ぶことができないのと同じです。

その通りです。空想するだけではダメなのです。多世界解釈を採り、「○○○で
ある」と「○○○でない」の両方が本当に実現している、と考えねばならない
のです。
0213SB
垢版 |
2015/09/15(火) 04:14:43.540
>>204
>A、「生」だと認識する視点に立てば「生」だと認識する
>は、
>A'「生」ではないと認識する視点に立てば「生」ではないと認識する
>と同じです。
>すると、A'は
>B、「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識する
>となります。

多世界解釈を採っているのですか?、いないのですか? 多世界解釈を採ってい
るのなら、AもBも実在する視点、つまりどちらも実現していることになります。
多世界解釈を採らないのなら、実在するのは、つまり実現しているのは、AとB
のどちらか一方だけであり、他方はただの空想になりますね。
0216考える名無しさん
垢版 |
2015/09/15(火) 07:38:56.050
>>213
>多世界解釈を採っているのですか?、いないのですか? 多世界解釈を採ってい

多世界解釈を採っていると認識する視点に立てば多世界解釈を採っていると認識します。多世界解釈を採っていないと認識する視点に立てば多世界解釈を採っていないと認識します。
あなたの疑問は消滅しました。
0217SB
垢版 |
2015/09/15(火) 08:28:19.230
ダブル・トートロジーとは、単純に以下の2つの命題を並べたものではありま
せん。
  (1) 「死」だと認識する視点に立てば「死」だと認識する。
  (2) 「生」だと認識する視点に立てば「生」だと認識する。
そうではなく、多世界解釈を採り、「「死」だと認識する視点」と「「生」だ
と認識する視点」の両方が実現し、実在している、という前提の上で、(1)と(2)
を並べたものがダブル・トートロジーです。

多世界解釈を採らず、「死」だけが実現し「生」が実現していない場合には、
「「死」だと認識する視点」だけが実在し、「「生」だと認識する視点」は実
在しません。(2)もトートロジーである以上、命題としては真であり、何も間違
った事は述べていませんが、「「生」だと認識する視点」が存在しないのであ
れば、適用されることも無く無駄であり、全く役に立つことが無いという意味
で、成立していないと見なします。つまりこの場合、成立しているのは(1)だけ
のシングル・トートロジーであり、(1)(2)のダブル・トートロジーは成立して
いない、と見なすことになります。
0218SB
垢版 |
2015/09/15(火) 08:36:32.480
>>216
>多世界解釈を採っていると認識する視点に立てば多世界解釈を採っていると
>認識します。多世界解釈を採っていないと認識する視点に立てば多世界解釈を
>採っていないと認識します。あなたの疑問は消滅しました。

そう、それで良いのです。両方が有り得るので、どちらなのかをしっかり区別
しなければならない訳です。>>204>>205>>206さんの場合は、両者を区別せずに
混同しているから、変な話になっていた訳です。
0220考える名無しさん
垢版 |
2015/09/15(火) 22:38:45.080
誰でもいい、止揚してくれ
0221考える名無しさん
垢版 |
2015/09/16(水) 01:10:47.500
>>219
いえ貴方が間違い、
彼にレスしてもキチガイに説法ですよ。
議論にすらなっていない確信者に何を言っても無駄ぐらい気がつけばいいのに
0222考える名無しさん
垢版 |
2015/09/16(水) 01:21:38.670
 まあざっくり、言うと、SB氏の主張は、まあ、対象の実在を認めない。
論理だけ、概念だけをみとめるので、「力」「運動」が欠けているように見える。

要するに、悪い意味で「論理学」なのかな。
論理が「空中に浮いて」、大地が存在しない。しかし「大地について」あれこれ語れるようである。

実生活、実在、生成では、矛盾、パラドックスはない。それらは、「言語だけの中で」
存在する。その原因は言語「だけ」を実在するとすることにに由来する、・・ので「謎が」生まれる。

というのも言語、概念は「一般性」であり、硬く、変化しないが、言語は自由なので自由自在に想像(仮定)できる。
物理法則A、物理法則Bというふうに。望めば、物理法則Cも実在できる。そして「虚無」も実在できる。

しかし、物理法則にAもBも無い。というわけだが、SB氏の「想像力」がフル回転し、発狂して
いわば、「謎」を「創造(製造)」しているのだある。神は全知全能というのは、伝統的な神が「突然出た」、「劇的命題」であり、同様に、

神は「無知無能」という命題も可能であるのだが。しかし、そうならないのは「神」の概念にあらかじめ「全知全能が含まれてる」

からである。また全知全能の方が無知無能より「偉い」という、「神」は偉くてはならない、

という極めて素朴な信念があるからでもある。・・というしかない。
0223考える名無しさん
垢版 |
2015/09/16(水) 01:46:59.700
>>222
それはあなたがそのような立場にたつからそう思うのです
つまり、あなたがそう思わなければ、あなたはそう思わないでしょう
0224考える名無しさん
垢版 |
2015/09/16(水) 02:01:38.260
思う、思わないという地点では誰もやらないんじゃないかな。
俺はこう思う、あんたはこう思わないと思う。

神は完全に解明しました、わたしの中ではそう思う、というのが正確なタイトルだろうね。
0225SB
垢版 |
2015/09/16(水) 03:40:43.480
>>222
>また全知全能の方が無知無能より「偉い」という、「神」は偉くてはならない
>という極めて素朴な信念があるからでもある。・・というしかない。

そうではありません。もし、トートロジーでないある○○○について、「○○
○である」だけが実現し、「○○○でない」の方は実現していないとすると、
「なぜ?」という謎に対し、「そんなの知るもんか? なぜかそうだからそうな
のさ」で諦めるしか無くなります。皆さん、それで諦めてしまっているのです。
それが私には不満なのです。例えば、「なぜ何も無いのではなく、何かが有る
のか?」という謎がその具体例です。誰も答えられないでしょう?
この謎を完全に解明できるとするなら、トートロジーでないどんな○○○に対
しても、「○○○である」と「○○○でない」の両方が実現している、と考え
るだけで良いのです。そして多世界解釈が、その正しさを支持している訳です。
「SB量子神学」は多世界解釈が前提になっているので、多世界解釈を理解でき
ていない人には受け入れられないと思います。
0228SB
垢版 |
2015/09/17(木) 05:32:47.270
>>227
>なぜ両方が存在しているの?謎がさらに広がってしまったね

心は「半存在」なので、「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」と
認識する、「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」と認識する、
のダブル・トートロジーを満たしているだけであり、「なぜ存在するのか?」、
「なぜ存在しないのか?」という謎自体が有りません。
0230SB
垢版 |
2015/09/17(木) 06:34:47.680
>>222
>まあざっくり、言うと、SB氏の主張は、まあ、対象の実在を認めない。
>要するに、悪い意味で「論理学」なのかな。
>論理が「空中に浮いて」、大地が存在しない。しかし「大地について」あれ
>これ語れるようである。

それが量子力学であり、多世界解釈なのです。「量子力学は物理学の研究対象
を「もの」から「こと」へと変えた」と表現されます。量子力学以前の古典物
理学では、シュレディンガーの猫の「死」が「物理的実在」ならば、「生」の方
はただの「数学的仮想」に過ぎませんでした。しかし量子力学では、「物理的実
在」と「数学的仮想」の区別が無く、その中間として、「死」も「生」も存在す
るのです。観測するとどちらか一方だけが実現するように見えますが、それで
もなお、両者は実在したままであり、しかも「半存在」ですから、<死|死>=
<生|生>=1、<死|生>=<生|死>=0、つまりどちらも、「自分にとって自分
は存在する(自分の存在確率は1)」、「自分にとって相手は存在しない(相手の存
在確率は0)」、という関係を保っている、と説明するのが多世界解釈です。
0231考える名無しさん
垢版 |
2015/09/17(木) 11:28:43.760
>>225
>「なぜ?」という謎に対し、「そんなの知るもんか? なぜかそうだからそうな
>のさ」で諦めるしか無くなります。皆さん、それで諦めてしまっているのです。

それはあなたが「みんなが諦めている」と認識する視点に立っているからです。
「みんなは諦めていない」と認識する視点に立てば、みんな諦めていません。

>それが私には不満なのです。

よって、あなたの不満も消滅しました。
0232考える名無しさん
垢版 |
2015/09/17(木) 17:11:11.540
>>230
>それが量子力学であり、多世界解釈なのです。
全然違う、どうやってそういう曲解の知識を確信しちゃったのかが
問題だ、抽象的観念の理解力が皆無なのでは?
0234考える名無しさん
垢版 |
2015/09/18(金) 01:19:10.270
>>228
なぜ心は半存在なのか?謎がさらに謎を呼んで謎だらけになってしまったようだね
0235SB
垢版 |
2015/09/20(日) 07:14:45.270
>>234
>なぜ心は半存在なのか?謎がさらに謎を呼んで謎だらけになってしまったようだね

Miの視点に立つと、Mi自身は「存在する」に確定しており、「半存在」ではあ
りません。Miと矛盾するMjの視点に立つと、Miは「存在しない」に確定して
おり、「半存在」ではありません。Mi≠MkだけれどMiと矛盾しないMkの視
点に立つと、Miは「存在する」+「存在しない」であり、「半存在」です。
これもまた、ダブル・トートロジーであり、
  「半存在である」と認識する視点に立つと「半存在である」と認識する。
  「半存在でない」と認識する視点に立つと「半存在でない」と認識する。
の両方が成立しているのです。同じ説明を何回繰り返せば良いのでしょう?
0236考える名無しさん
垢版 |
2015/09/20(日) 09:47:04.260
>>235
それはあなたが「同じ説明を何回も繰り返している」と認識する視点に立っているから、「同じ説明を何回も繰り返している」と認識しているだけです。
「同じ説明を何回も繰り返していない」と認識する視点に立てば、「同じ説明を何回も繰り返していない」と認識します。
0237考える名無しさん
垢版 |
2015/09/21(月) 03:23:20.690
>>235
なぜ両方が存在するのか?謎がより大きくなっていくね。答えから随分と遠ざかってしまったね?
0238SB
垢版 |
2015/09/24(木) 05:33:05.050
>>236
>それはあなたが「同じ説明を何回も繰り返している」と認識する視点に立って
>いるから、「同じ説明を何回も繰り返している」と認識しているだけです。
>「同じ説明を何回も繰り返していない」と認識する視点に立てば、「同じ説明
>を何回も繰り返していない」と認識します。

それで良いのですが、ダブル・トートロジーを主張するときには、多世界解釈
の立場に立ち、「「同じ説明を何回も繰り返している」と認識する視点」と「「同
じ説明を何回も繰り返していない」と認識する視点」の両方がともに実在して
いることが前提です。そうしないと、ただの言葉遊びになってしまいます。
0239SB
垢版 |
2015/09/24(木) 05:40:00.830
>>237
>なぜ両方が存在するのか?謎がより大きくなっていくね。答えから随分と遠ざ
>かってしまったね?

「なぜ○○○なのか?」という謎はすべて、
  「○○○である」と認識する視点に立てば「○○○である」と認識する、
  「○○○でない」と認識する視点に立てば「○○○でない」と認識する、
のダブル・トートロジーに解消されます。あなたは同じ質問を何度も繰り返し
ているだけで、スタート地点から一歩も進んでいません。
0240考える名無しさん
垢版 |
2015/09/24(木) 06:00:10.350
>>238
「両方がともに実在していることが前提である」と認識する視点に立てば「前提である」と認識する、「前提ではない」と認識する視点に立てば「前提ではない」と認識します。

「言葉遊びである」と認識する視点に立てば「言葉遊びである」と認識する、「言葉遊びではない」と認識する視点に立てば「言葉遊びではない」と認識します。
0241SB
垢版 |
2015/09/24(木) 08:04:06.460
>>240
>「両方がともに実在していることが前提である」と認識する視点に立てば「前提である」
>と認識する、「前提ではない」と認識する視点に立てば「前提ではない」と認識します。
>「言葉遊びである」と認識する視点に立てば「言葉遊びである」と認識する、「言葉遊び
>ではない」と認識する視点に立てば「言葉遊びではない」と認識します。

これもOKです。だからこそ「SB量子神学」自体も、「SB量子神学は真だ」
と認識する視点に立つと「SB量子神学は真だ」と認識する、「SB量子神学は
偽だ」と認識する視点に立つと「SB量子神学は偽だ」と認識する、のダブル・
トートロジーが成立することになります。
「SB量子神学は真だ」と認識する視点に立てば、すべての謎が消滅します。
「SB量子神学は偽だ」と認識する視点、つまり、実現しているの「○○○であ
る」と「○○○でない」の片方だけだと考えている場合には、《謎》=「なぜ一
方だけが選ばれて実現したのか?」が残ります。ダブル・トートロジーはもはや
ただの言葉遊びに過ぎず、何の説得力も持てないため、「そんなの知るもんか、
なぜかそうだからそうなのさ」で諦めるしか無くなってしまいます。
0242SB
垢版 |
2015/09/24(木) 08:31:04.420
   【「SB量子神学」の「神」は大乗仏教の「真如」と同義語】(22)
《問1》=「真如」の定義は何か?
《答1》=「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」
が「真如」の定義。「SB量子神学」の「神」と全く同じ。
《問2》=「絶対的真如」とは何か?
《答2》=「空」M0を指す。「真如」が「何も限定されない」をそのまま実現し
ている状態。「SB量子神学」の「神」が「全知全能である」を実現している状
態と同じ。特定の物理法則にも特定の心理法則にも無矛盾な論理法則にも従わ
ず、特定の意識状態にも限定されないため、完全無意識状態。
《問3》=「条件付き真如」とは何か?
《答3》=「色」M1、M2、M3、…を指す。「真如」が「「何も限定されない」に
も限定されない」つまり「何かに限定される」を実現している状態。「SB量子
神学」の「神」が「全知全能でない」を実現している状態と同じ。特定の物理
法則や特定の心理法則や無矛盾な論理法則に縛られ、特定の意識を持つ状態。
「MiはMiである」(i=1、2、3、…)という自己同一性が成立せねばならないの
で、無矛盾であることが必要な状態。
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