>>78
うむ、それはね

「自覚的に赤く感じると思える」ときに赤のクオリアが成立している、と考えてしまうのだが
「赤いと感じている」とはどういうことなのか、自分では分からない、ということなのだよ
哲学を齧ると、さらに正確に表現しようとしてどつぼに嵌る
たとえば
「赤いと感じていると、少なくとも自分では信じている、ってことだよ」
などと言えば、少し慎重な印象を与えることができるかも、と思えたりするかもしないが
だがこれがちがう
なぜなら、自分がほんとうにそう信じているかどうか、これが分からないからだ

以上が、貴方の問いに対しての俺なりの哲学的な回答

認知科学的には、たとえば
http://blog-imgs-24-origin.fc2.com/g/i/f/gifjpg/ogiuo.jpg

AとBは科学的には同じ色、とされるが、クオリアとしてはどうなのか
クオリアとして「同じクオリア」なのか、それとも「違うクオリア」なのか
自分では判断できない、ということにならないだろうか
クオリアは同じだが、別の理由によって違う色であるように判断しているのかもしれない
そう考え出すと、クオリアなどというものは、信用に足るようなものではなくなってしまう