吉本隆明 1924-2012 その3 [転載禁止]©2ch.net
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吉本 隆明(よしもと たかあき)
1924年(大正13年)11月25日 - 2012年(平成24年)3月16日
前スレ 吉本隆明 1924-2012 その2
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1384145331/ 望めば軍人になれる時代に生きた男。
口先だけの下衆になぜ人は惹かれるのか。 じゃあお前さんは北朝鮮でもシリアでもとっとと逝けよこんなところで油売ってないでさ
という程度の話しなんだが >>347
人の事よりまずは君が行ったらどうかね?
仮に行った所で皇国青年ではないがね。
日本の為、天皇の為にそれが利するの??
どんな愛国精神???
流石バカ。
目も頭も曇っていて論理的に話せない。
呆れた。 >>347
独裁者アベ政権の日本にいるよりはマシな気もするが… リベの当てこすり見下しって完全に
テーヘンだからやってるだろプギャープギャー
しか感じないんだが! >>347
貴方は戦争することが愛国精神なの??
しかもシリアなんて遠すぎて侵略して植民地にする事もできそうにないんですが。
何を言いたいのかな? >>47がいっているのは、吉本を「徴兵逃れ」とかトンチンカンなことをいっている当人が戦場にでも行けば?
ということじゃないのだろうか。
戦前・戦争直後の一般庶民が文学科などに進学する経済的余裕などなく、好むと好まざるとに関わらず実学分野に
進むしか選択肢はなかったといった程度の理解力もなしに、この人はどういう立場に立って吉本を卑怯者呼ばわり
しているのだろうかと思わざるをえない。 終わった後ならなんとでもいえるよな。
戦争に行きたかったけどいけなかったなんて。
吉本は戦争に行かなかった。
ならば戦地の恐ろしさなんてしらずに僕は行きたかったといってるだけ。
そういう屑な所は簡単にわかるでしょ。
口を閉ざすべきところなんだよ。
何を言ってもいかなかった。
なのに軍に入りたかった?。
遊びにでも行くつもりですか?
養護のしようがない。 銃弾で相手の口を塞ぐ場でに行ったものと
殺されることの無い場で言語を用いて生きる者の違いか >>352
吉本が「徴兵逃れ」をしたのは紛れもない事実だよ。
当時の日本では、皇国青年以外の青年は稀だったが、皇国青年にも、黙って徴兵に応じた人間も、士官学校に志願した人間もいれば、徴兵を逃れた人間もいる。
ごく少数の左翼にも、黙って徴兵されたり、特権を忌避して自分から二等兵になった人間もいるように。
その個人の思想と、徴兵に応ずるかどうかは関係がない。
徴兵される大学の文系ではなく、徴兵されない工業学校への進学を選んだ。
危険の迫る東京からは離れてもいる。
中高相当の年代で化学学校で学んだから、そのまま化学を続けた、というだけの理由だけではない。
まして、自身が皇国青年であったことが、徴兵逃れの免罪符になるわけもない。
もちろん、徴兵を逃れるのが悪いと言っているのではない。
それを認めずに、他人を非難する吉本の自覚の無さを指摘しているのだ。
徴兵を逃れることは卑怯ではない。
真摯に徴兵性に向き合った知識人に対して、自身の徴兵逃れを指摘されたときに「ゲスの勘繰り」と言って相手を非難し返すことが卑怯なのだ。
ちなみに、三島由紀夫はこう書いている。
「誤診が私のでたらめの病状報告で確認された ・・・ 営門をあとにすると私は駆け出した」 本当にそれ。
黙ってればいいのにな。
口が回るぶんより見苦しい。 徴兵云々は別として、若い頃は吉本も愛国ポルノ、愛国ごっこを
していたのですか? 吉本は大変優れた著述家だ。
汲めども尽きない理念の宝庫ともいえる。
吉本を読むことで、知性を深めた知識人も無数にいるに違いない。
ただ、吉本の自覚のなさが、その論考を散漫にしてしまったことも否めない。
『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論序説』は、現在でも他の追随を許さない孤峰にあるといえる。
だが、「心的現象論」は本論に入ると、方向を見失っていく。
言語論は断片的な補足にとどまっているし、共同幻想論も、南方論としての断片的な論考や『マス・イメージ論』といった散漫な続編にとどまってしまった。
取り上げればきりがないが、あれほど優れた論考を発展させることができなかったのは、雑多な表現者に対する過剰な関心と、それを統御できなかった自身の自覚の問題だろう。
どんな超人でも、勉強できる時間は限られている。
知識人としての吉本は、哲学者、思想家ではなく、娘が指摘しているとおり、自分自身を持て余した「詩人」であったということなのだろう。 己の器を知らずに失敗する人は日常でもよく見かける
そう云う事だね >>361
吉本は、器を知らないんじゃなくて、器に入れる内容を制限することができなかった、というべきだね。
器から溢れてしまったわけじゃない。 >>352には、
戦前・戦争直後の一般庶民が文学科などに進学する経済的余裕などなく、好むと好まざるとに関わらず実学分野に
進むしか選択肢はなかったといった程度の理解力もなしに、この人はどういう立場に立って吉本を卑怯者呼ばわり
しているのだろうかと思わざるをえない。
と書いてあるわけだが、「徴兵逃れ」君はドヤ顔で何を常同症的にブツブツと繰り返しているのだろう。
吉本は若い時は皇国青年でアホでした、命の重さをまだ知らぬ青二才でした、という痛烈な反省から
戦後の思想形成を出発させていったではないか。
血気盛んな若い時にはまだ命の重さを知らなかったことへの痛覚を共有も感受もできないで、「徴兵逃れ」
云々と言ってくるような相手に対して「ゲスの勘ぐり」という言葉しか出てこなかったのもやむをえまい。 >>363
吉本の家は、数十人の従業員を使っていたように、比較的裕福だった。
小学校時代から東京を離れるまで、塾に行かせてもらえるぐらいの余裕も十分にあった。
隆明本人は、男だけに限っても4人兄弟のうちの3男だ。
家業を継ぐとか継がないとかいう意味では、どうでもいい立場だが、頭の良さを見込んだ両親が、自由に勉強をさせた。
当時の安定した収入の道というのは、成績が優秀であれば、軍人か教員だ。
隆明は極めて成績優秀だった。
まさに、末は博士か大臣か、だ。
体力的にも、山形の工業学校が繰り上げ卒業になったあとの徴兵検査では、甲種合格だ。
徴兵検査のあと、招集される前に東工大に入っている。
ここに意図的な契機を見ないのはもちろん自由だが、大衆であれば、徴兵逃れとみるだろう。
繰り返しておくが、徴兵を逃れたことを卑怯だと言っているのではない。
徴兵に応じて、その上最下級兵となることを自ら志願した同世代の知識人に対して、欺瞞だと言ったことを非難しているのだ。
自分の徴兵逃れを指摘した相手を、「ゲス」呼ばわりするゲス根性を卑怯だと言っているのだ。
そしてその「ゲス根性」は、ただ一方的な左翼批判に向かった。
「大衆の原像」などという、「愛国」と同レベルの抽象概念を振りかざして、左翼批判に明け暮れた。
それが、自己の優れた論考を宙に浮かせてしまった、吉本自身の資質の根拠だということを指摘しているのだ。 >>吉本の家は、数十人の従業員を使っていた
それは迂闊にも知らなかった。出典もご存じでしたら教えてください。 >>365
申し訳ないが、出典は覚えていない。
東京での吉本家は、大小の船を作る造船所を経営していた。
吉本の父は船大工といっても、個人の船大工ではなく経営者だ。
だから、兄弟も多いのに隆明を塾に長く通わせることができた。
吉本は自分のことを、庶民であったかのように語ることがほとんどだ。
実際には、大きくはないだろうが、造船所の経営者という比較的裕福な家の出身だ。
本人の大衆に対する妙な劣等意識の裏返しが、ただの船大工の息子という言い方をさせていたのだろう。
ちなみに、亡くなるまでの数十年を過ごした家も、東京の下町ではなく、山の手の高級住宅街の一角にある。
ここも大きくはないが、いわゆるミニ戸建てでもない、それなりの立派な家だ。
勘違いする人がいるといけないから念を押しておくが、高級住宅街で立派な家に住むことを批判しているのではまったくない。
いい環境のいい家に住むのは、誰しもが願うことだ。
それにもかかわらず、自分が下町に住んでいるように、庶民のような生活をしているように読者を勘違いさせる発言が多かったことを指摘しているのだ。
吉本は不必要に庶民を気取っていた。
現実には、希望どおりの教育が受けられる資産と知性に恵まれた家の出身であり、定住した地域も文教に適した静かな街だ。
吉本の、自身を庶民であるかのように装いたがる〈見栄〉が、その著作の完成を妨げたことが非常に残念なのだ。 >>364
>>366
《親父は月島の東河岸の小さな空き地で、貸しボートになるようなボートや釣り舟を
造っていました。》
《忙しくなると、これは親父が呼ぶのでしょうが、同じ系統の、長崎や沖縄の人とか、
父親の郷里の天草島の人とか、九州系統の舟の大工さんがやって来て手伝うんですね。
船を造り終えると、そのひとたちはまたどこかほかへ行ってしまう。そういう
大工さんがいました。》
《親父が生きていた頃、銀座三丁目の裏のところに、三古橋という三筋になっている
橋があって、そこのそばに貸しボート屋さんの店を持っていました。それから
深川の門前仲町と、洲崎の遊郭の裏のところにも持っていたと思います。》
《郷里ではたぶん、もう少し大きい、台湾に運送船として荷物を運んで行く4,500
トンの船を造ったりしていたと思いますが、その図面を引くことができたんです。》
《僕の記憶では、戦争中に、その種の職人さんの手が足りなくて、軍は、陸軍用、
海軍用の上陸用舟艇を造るのにいろんな民間会社に請け負わせていました。親父は、
図面を引くのにいいからというので、そうしたところに勤めて、わりあい高給を
取っていい気になってやっていたのを覚えています。》
いずれも『思想の機軸とわが軌跡』(E.H.E.S.C)所収Lわが少年時代と「少年期」 367つづき
>>367に引用した吉本自身の語りと比較すると、これも>>364>>366にあることとは
かなり違ってますね。「造船所の経営者」というにはちょっとみすぼらしい。たしかに
祖父が船を造って住んでいた天草時代にはおそらく自身も言うように大型船も造って
はいたのだろうが、月島時代にはもうそんな力はなく、いってみれば「貸しボート屋」
兼「貸しボート製造業」に過ぎない。
それから吉本の住んでいた千駄木の自宅にしても、自身の書いていることによれば
こうなる。埴谷雄高との論争で、書斎にシャンデリアのあるさも豪邸に住んでいるか
のように書かれていることにたいし、その「シャンデリアつき豪邸」とはどういう
ものかを書いている。
《私の「現在」の家は、お寺の借地の上に建てられた「建売住宅」を新聞で見付け、
銀行ローンで購入したものです。貴方(埴谷)好みの言葉を借りれば、日本金融
資本からの借入金でいわば住居の「死命」を制せられているというわけです。
「建売住宅」は、一般に月給取りを対象として建てられていますから、応接室用に
と区切られた小さな部屋に「シャンデリア」がぶらさがっていました。それをそのまま
仕事場に転用している現状です。貴方の偏光メガネに映った私の書斎の天井に
「シャンデリア」が付いているのはそのためであります。》
《貴方のご婦人が亡くなられたとき、焼香にうかがった折に拝見した一人住まいの
貴方の家に比べて、4倍はおろか2倍の大きさもあるまいと存じております。どう
考えても、貴方や最低のスターリン主義者たちから因縁をつけられたり、理念的に
意味あり気な視線を蒙ったりするいわれはどこにもないものと考えます。》
いずれも「重層的な非決定へ」から 368つづき
それと塾通いにしても本人の記憶ではこう語られている。
《理想的といいますか、牧歌的だなと思うのは、今だったらそんなことはありえないと
思いますが、月々の月謝額も塾の勉強部屋に鉛筆立てのような筒があって、そこへ
入れておけばいいんです。親父から金をもらって、そこへただ入れておいたのを
覚えています。月謝は当時のお金で3円だったと記憶していますが、それは僕の家の
月謝で、ほかの生徒がいくらだったのか僕はまったく知りません。いくらだと
言われたこともなく、ただ好きなだけ入れておけばいいというふうだったと覚えて
います。そういうことも含めて、とても牧歌的だったような気がします。》
『思想の機軸とわが軌跡』Lわが少年時代と「少年期」より
ちなみにそこでの先生とは後に『荒地』で合流する北村太郎や田村隆一が訪れて
(二人とも吉本よりは上級生だった)詩について話し合うような文学的素養のある人
で、また一科目ではなく「当時の旧制の中学、工業学校、商業学校でしたら全教科
教えられるだけの力のある先生」だったという。また、スポーツも長けて、
「水泳とか野球がうまい人で、野球をよく一緒にやりました」と語っている。 369つづき
それと
>>364
>「大衆の原像」などという、「愛国」と同レベルの抽象概念を振りかざして
とあるが、これまた貴方の癖でよく文献を読んでいないのではないか。熟読せずに
ああだこうだ言ったところでたいした議論にはならない。
古書店か図書館で『どこに思想の根拠をおくか』または『思想の基準をめぐって』
を入手してインタビュー「思想の基準をめぐって」を一読すればいい。非常に明確な
イメージで語られている。または鶴見俊輔との対談「どこに思想の根拠をおくか」
にも論争の中で「ウルトラ」な存在、為政者の意図を超えて行き過ぎて
呆気に取られるほどの行動に走る、意図を超えて他国民へ残虐行為にも走る、
これはナチスの収容所の職員や中国の日本兵などによく当てはまる。
この対談は講談社文芸文庫『吉本隆明全対談選』にも収録されている。
吉本の大衆の原像は大衆を「ウルトラ」と規定することでそのヌエのような
未定型をよく掴んでいる。 >>367-368
吉本本人は、経済的な状況を過少に提示したがると指摘しておいた。
吉本家の経済状況にしても、5人の子供(6人だが一人は養子に出している)に望み通りの教育を与えられる家が、生活に追われる庶民の家なわけがない。
隆明の通った塾に何人の塾生がいたかは知らないが、少なくても講師はその月謝で生活をしていた。
進学には役に立たないとわかってからも、塾に通わせている。
東京を離れるまでの7年間だそうだ。
谷沢某との論争のとき、自身の経歴は自分にはわからないものだ、と書いたのは、他ならぬ吉本自身だw >>368
東京の人間じゃないと、吉本の家の資産価値がどれほどのものかはわからないかも知れない。
あのあたりの土地の現在の実勢価格は、坪300万から400万だ。
借地というのは、その6割(地域によっては7割)で取引される。
50坪として、9千万から1億2千万の借地権だ。
建売住宅だからといって安いわけではない。
大工としての贅沢な見方からすれば安普請だろうが、庶民には手が出せない物件だ。
もちろん昭和55年当時は、いまよりはずっと安かった。
それでも当時の一般的な給与所得者に手が出るような物件ではない。
当時も今も、大変な高級住宅街だから、ミニ戸にベンツ、という風景が当たり前の地域だw
地方の人にはぴんとこないかも知れないが、文京区の山の手には高級住宅街が多い。
相続などで1戸当たりの土地面積がだんだん小さくなっているので、高級住宅街のイメージにはならないかも知れないが、庶民には手の届かない高嶺の花であることには変わりがない。
繰り返すが、家が裕福であれ、高級住宅街の立派な家に住んでいたのであれ、それを批判しているのではまったくない。
それを過小に提示しようとする〈見栄〉を非難しているのだ。
君はその根本のところで、「ゲスの勘繰り」をしている。 日本人は思想したかは読んだ。ま学卒院卒自慢ぶりじゃない方が、優秀だよね。 >>370
君の「ゲスの勘繰り」は、こういうところによく表れている。
相手が著作を読んでいないと決めつけるところだw
なんの自慢にもならないが、おそらく僕は、君より遥かに吉本の本を読んでいる。
主要著作はもちろん、雑多な書きなぐりもだ。
君も、対談や講演を読むのはいいが、本来的な著作も読まずに周辺の雑文だ気でなにかがわかると思ってはいけない。
「大衆の原像」も「愛国」も、実体のない同レベルの抽象的な概念だということがわかるだろう。
もっとも、それを理解するには、「愛国」とはなにか、「国」とはなにか、という吉本が追及してやまなかった概念を改めて考える必要はある。
僕は、その「愛国」を批判できずに、「大衆の原像」に逃げたのが吉本だと指摘しているのだ。
『心的現象論序説』では、かすかにその端緒に手を付けかかったが、結局それを展開させることはできなかった。 サザエさん一家の所得水準や資産評価についても是非ご高説を承りたい。 >>375
実在の家とマンガの家を混同するバカ、というレスが欲しいの? サザエさん一家の資産、1億4000万円超えだった 東急田園都市線・桜新町駅周辺に250平方メートルの土地を保有、終活専門誌が試算
http://mogumogunews.com/2015/04/topic_11326/ >>376は実在の家とマンガの家を比較すると何か都合が悪いことがあるんだろうね。
マンガの家といったって、四人家族の波平さん一家と三人家族のマスオさん一家の同居世帯という設定だ。
べつに宇宙人や超能力者や魔法使いが住んでいるという設定であるわけでもなし。
>>376は昭和時代における「庶民」という語感と「貧民」「無産階級」というのを意図的かどうか知らないが
混同したところから、恣意的に強引なイマジネーションを展開しているわけだ。
誰も吉本家が素寒貧の貧乏人だなどとは思っていなかったのにな。 >>378
架空の世界を現実に引き寄せて、なにがしたいの?
君が現実を知らないことに対する照れ隠し?
戦前の庶民は、大学には行けなかった。
庶民が高等教育を受けたければ、学費の不要な師範学校や士官学校(兵学校)に進んだ。
旧制中学ですら、庶民には高嶺の花だった時代だ。
大半の子供は、高等小学校(国民学校高等科)までだ。
そこですら、小学校卒業者の3分の2しか行っていないといわれている。
日本中が「貧民」で溢れていたといっても過言ではないのだ。
ちなみに無産階級というのは、資本を持たない階級という意味だから、国民の大半は、確かに無産階級だ。
その程度の常識をわきまえてから、吉本を読むことを勧める。
何回も繰り返すが、問題は、吉本家が金持ちだったか貧乏だったかではない。
当時としては裕福な家庭に生まれ育ちながら、そして庶民には高嶺の花だった大学にも行っていながら、自分を庶民だと言い張る姿勢を批判しているのだ。
徴兵逃れも同様だ。
徴兵逃れが悪いのではなく、その照れ隠しから、最下級の兵役を自ら選んだ知識人に対して、「ゲス」と罵倒した姿勢を、卑怯だと指摘しているのだ。 >>371-372
>>374
>>379
文京区山の手が高級住宅街だろうが「住宅ローンを使って建売を購入」というのは
サラリーマン的だと思うけどね。頑張ったんでしょうそれは。
昭和43年に頃だと思うが勁草書房から全著作集が出る。まだ彼が42,43歳のとき
だから、そういう著作集が出るには早いですね。それで一時期裕福になったと
話していたと思いますね。しかし、彼はその以前から著述は多かった。そういう
全著作集が出るには著述の量がなければならないが彼にはあった。しかも相応の
質もあった。
しかし私には「少しは裕福になった」彼がだからどうだと言う気はないね。
60年安保で文壇から干され、書く場所もなくなり、なので『試行』に「言語にとって
美とは何か」も連載。言いたいことが言える場所を確保し、「情況への発言」を書く。
それで昭和43年にそういうものが出る運びとなった。別に良い事だし懸命な努力が
認められきたということでしょう。「裕福になった」は幸運だったし良かったですね
としか思わないね私なら。
彼の著述史はその頃から既成左翼また新左翼との論争が続く、学園紛争当時には
講演に行って押し掛けた学生に罵倒されまた罵倒を返し果ては胸倉掴みあいになる。
それでいくらもらったか知らないが、困難な道には違いない。「良いところに
住みやがって家系も良いところの出でそれにしてはそういうことは言わずに済まし…」
とか、云う気は私にはないね。 381つづき
どうみても船大工ですよ彼の生まれた頃の出自は。大きかったのは彼の祖父
の天草時代のことです。それは本人も談話で言っている。親父は貸しボート製造業を
しながら戦時中の軍の仕事もし、そこではいいカネをもらっていた。そういう
ふうに親父も糊口を凌いでいた。食うために色んな収入源を見つけていった。祖父から
受け継いだ財産もあったのだろう。
別の言葉で言えば要領よく暮らすことができる人だった。しかし、そういう暮らし
をして特に言う事はないですね。「あいつは庶民だとかいいながら実はカネ回り
がよくて」とかどういう目線ですかねそれはw。どういう根性だろうか。そういうのを
指して普通は「僻む(ひがむ)」とか言うのですよ。分かってるのかな。自分の
顔を鏡で視た方が良いですね。他人をやっかむ厭な眼をしているでしょう。
今の貴方はそうなってる。 382つづき
「ゲスの勘繰り」て貴方は言うが、貴方が延々ここで書いている「あいつは
庶民と言いながら実は」がまさにそれじゃないですかw。貴方こそそれですよ。
言葉を知ってはいるが内省がないのではないか。
それと「愛国」について吉本は散々批判している。2000年以降にもやってますが。
貴方が読まないインタビューでは散々やってる。少しはそういうのも読んだ方が良い。
『私の「戦争論」』(1999年)『超「戦争論」』(上・下 2002年)とか典型的な
本である。また当然ながらそれ以前にも書いてる。勁草書房版全著作集13政治思想
評論集に「日本のナショナリズム」、「日本ファシストの原像」がある。
「読んでいる」と言いながらどういう見解だろうか。また彼の80年代以降の都市論
南島論で、「日本人は何処から来たか」を論じているが、それは日本人の出自を
検討する作業に拠って「心情的愛国」そのものを相対化する試みだとも言える。
貴方は「読んでいる」といいながら具体的に取り上げることのできない人ではない
のか。そういう人は「口だけ」とされてしまう。信用されないのだよ。 383つづき
それと吉本が自分で自分を「僕は庶民です」と言ったことがあったか私は記憶に
ないんだけどね。記憶にあるのは谷川雁が吉本を「庶民」と言ったことがあって
吉本は「言われて嬉しかった」ということ。
吉本自身は自分は大衆から逸れてしまった人間だと自己規定していたと思うが。
吉本の1950年代の詩に「小さな群れへの挨拶」というのがあるが。あれこそ自分の
出自にいた友人たちや人々への別れ、自分は貴方がたの生きている場所からは遠く
離れていった、これからもっと遠くになる、という哀惜と別れの詩ではないか。
これは「庶民」という自己規定ではない。そこから逸れてしまった人間の言葉だが。 >>381-384
何回同じことを書けばいいんだろうね・・・
吉本が、その日暮らしの庶民であったか裕福であったかが問題なんじゃない。
自分が裕福であり、高級住宅街に立派な一軒家を構えているにもかかわらず、庶民を気取っていたことが、主要著作の完成を妨げた、と指摘しているんだよ。
それは、自分が徴兵を逃れておきながら、最下級の兵役を選んだ他の知識人を罵倒する卑怯さと軌を一にしている、と指摘しているんだよ。
ここまでは、理解できたかい?
それを踏まえたうえで、いくつか指摘する。
>>381
>押し掛けた学生に罵倒されまた罵倒を返し果ては胸倉掴みあいになる
吉本の自慢話だが、それを非難した女子学生に対して、心の底から軽蔑した、と捨て台詞を『試行』だかに書いていた。
これは、ものすごく卑怯だ。
発表の場を持たない一女子学生に対して、その場ではなく、他の場所でその人間を全否定する言葉を連ねる。
その場で言うならそれはよし、その場で言わなかったのなら、一般論に抽象して、なぜ議論が暴力に変わらなければならないのかの考察を提示すればいいことだ。
暴力を非難した女子学生を誌上で罵倒しても、どんな理念も深まらない。
体力に自信のある吉本にとっては、講演で小競り合いをするのはむしろ望むところだっただろう。
それを他人に押し付けていたきらいもある。
吉本は、体力を基本にした「アメリカ的自己責任」ともいうべき個人の力が好きだった。 >>383
>「心情的愛国」そのものを相対化する試み
僕は「試み」を求めているのではなく、深化を求めているのだ。
吉本ができなかったこと自体を非難しているのではない。
できなかった理由を非難しているのだ。
>>384
>あれこそ自分の出自にいた友人たちや人々への別れ
君は怒るだろうが、あの詩は知識人であることの自覚に過ぎないと言ってしまえばそれまでの話だ。
情緒的で(それが詩だから当たり前ともいえるが)、独りよがりで、いい気なもんだ、という言葉を浴びせられても仕方がない、ともいえる。
なにより、出自と別れるには、その出自に対する欺瞞があっては別れられるわけもない。
>これは「庶民」という自己規定ではない。
知識人として立つという姿勢は、庶民でも富裕層でもありうる。
もちろん出自にこだわらない姿勢もありうるが、どれも、いい気なものだ、という感想を避けることはできない。
詩としての評価については議論しないが、内容については指摘しておく。 >>385
私も同じことを繰り返さざるを得ないねえ。貴方は本を読んではいるのだろうが、
無駄な粗さがしに終始するため、ゆえにここにあるようなやはり粗さがし批判が出て
くる羽目になる。
まず貴方の論法にある連結とは何だろうか。
>自分が裕福であり、高級住宅街に立派な一軒家を構えている@
>にもかかわらず、庶民を気取っていたことA
>が、主要著作の完成を妨げたB
まずAはこれは勝手な中傷だろう。
吉本にとっての大衆とは出自である月島での幼少期や学童期の想い出、から
きているのだろう。また自分が生長後に知識の道に入ってしまったことの後ろめたさ
としてもあろう。また思想形成期には革命党内部の階級や閉鎖性や排除性あるいは
知識人にみえる大衆蔑視から、大衆の原像を繰りこむという課題として現れたこと
もある。
そういう意味付けは可能だが、Aにいたっては思想解読の方法などかけらもない。
要するに〈ケチをつけたい一心〉しかない。これを〈貧しい心性〉として読む以外何
があるのか疑問である。こういった揚げ足取りで自分は〈理解した〉とか思っている
としたら、読書とは何という楽チンなまた馬鹿げた行為に過ぎないのだろうと
言わざるを得ない。
Bには「庶民を気取る事が主要著作の完成を妨げた」とある。この連結がどういう
ふうに可能なのか、意味不明である。Aの「庶民を気取って」からして何としても
ケチつけたい貧しい心性がみえて感心しないが、それと「主要著作の完成」とが
どういう関係にあるのか、また一向にみえない。これも意味不明というしかない。 387つづき
>>385
>吉本の自慢話だが、それを非難した女子学生に対して、心の底から軽蔑した、
>と捨て台詞を『試行』だかに書いていた。 これは、ものすごく卑怯だ。
>発表の場を持たない一女子学生に対して、その場ではなく、他の場所でその人間を
>全否定する言葉を連ねる。
貴方は読んでないのだろうが、このときの討論の記録、その中での学生の言葉を読め
ば、ひどいものだ。国家や権力の出自を探りあて、また真に有効なる方法を模索してき
た思索について「マスターベーション」呼ばわりし、くだらぬ無理解と中傷に終始し、
しかもそ れで自分では正しいと思いこんでいる。自分にできる精一杯もこのような最
低の誹謗中 傷しかされないまたする気がないならそこで黙っているまた認めることな
どできる訳が ない。思わず手が出て当たり前である。 389つづき
また『情況』「畸形の論理」において吉本が為すこの学生らへの批判は的を得ている
と いうしかない。女子学生は吉本が壇上をおりて汚い言葉を投げつけていた学生の
胸倉を掴んだ時「知識人が暴力をふるうとは 何ごとですか」と言った。
それにたいして
《わたしは折原と反対に、心のそこからこの学生たちの方法を軽蔑した。かれらはわた
しがひとりの人間として立ち向かったとき、わたしと知的にまた肉体的に死闘を演ずる
ことなどできないプチブルにしかすぎない》
と書いている。
これは何ら自慢ではなく、自分が言葉にその肉体をかけているか
といえば、威勢のいいことを言いながら彼らはそうではないではないか、それにたいし
軽蔑するということだ。吉本自身が言葉にそれだけのものを賭けてきた。しかし威勢よ
く悪口雑言する学生にはそれだけのものはなかった、と言っているだけだ。
これを「自慢」とする読み手は文盲あるいは意味盲ではないかと私は考える。
まったく文脈を辿ったうえでの文章の意味合いを読めてはいない。相変わらずケチのこ
じつけ以外ではない。貴方はいつまでそういうことに情熱を使うつもりなのだろうか。 >>386
「小さな群れへの挨拶」というのは知を以ってある闘いの場へ出て行くに当たって
、自己の哀惜した人々と離れることになる、彼らからは遠い場所に行くことになる。
むしろ或る断層によって隔てられることになる、それは寂しいことだが、だが自分は
いかなきゃならない、という覚悟と自侍それが主題にある。よってただ別れ
ではなく哀惜ということが入っている。最後の行にある《みんなひとつひとつの貌よ
さようなら》にその心情がある。貴方ねえ、この詩における心が読めないなら
それ自体、吉本における知と大衆の問題もなんら読めなかったのと同じだと思う
がね。相も変わらず貴方は「欺瞞」を挙げつづけているが、貴方の意味盲ぶりを
ただ表示しているに過ぎないとしか私には視えない。
それと貴方は「詩としての評価」をするつもりらしいが。辞めた方が良いと
思う。この程度の作品で「あの詩は知識人であることの自覚に過ぎない」とか
核心を外れた頓珍漢な事を言って、しかも正当な批評をしていると
思いこんでいる人間に私はなんら期待はできない。貴方の意味盲ぶりが出てはいるが
それだけだ。貴方が吉本を語ることはもう止めた方が良いと私は思う。貴方は
あまりにも悲惨に過ぎる。 >>390補遺
それとこのときの騒ぎの一部始終は猫猫堂『吉本隆明資料集47 6・15事件 思想的
弁護論』所収「「人間にとって思想とは何か」講演後の討論」として読むことができる。
もっとも小競り合いの最中のやりとりは物音や怒号で聴きとれなかったようだが。それ
でも一部は記録されている。
学生H ようするにマスターベーションにすぎないじゃないか。
吉本 何をいってるんだよ。何いってやがんだ。
学生H 何だよ!
(こののち、場内騒然となり、吉本氏と数名の学生のあいだにケンカ腰の激しい
口論があったが、多くの発言が聴きとり難い)
吉本 読んでるか、おれの書いたものを。
学生J そんなものいちいち読んでいられますか>
吉本 怠けものだよ、きみは。ようするに。
司会者 みんな席に戻ってください。
学生H 何だ、じぶんのものを読めなどと居直って。
吉本 馬鹿だなあ!何が居直ってだい。 392つづき
こういうひたすら無理解と中傷の渦の中で穏便にことを進めることができるとは
私には思えない。また、「一般論に抽象して、なぜ議論が暴力に変わらなければなら
ないのかの考察を提示すればいい」というのも当の場所に居合わせなかった安全
人間の言い草にしか視えない。暴力に変わったのは片方がもう片方のテキストの意味
を汲み取れずに一方的に中傷するようになった、それが一番の要因だろう。
ようするに議論の余地はないともう片方が決めたのがこのようになった要因である。
そしてその判断は学生の言葉づかいからして致し方はないと私は考える。
また女子学生が「知識人の暴力」について不快を表すようなことを言ったというが、
このような、他方の思想的営為について中傷しかしなくなった男に「知識人のくせに」
も「大衆」もありはしない。
その学生が自分の肉体をかけてそういう汚い言葉を投げていたのなら、堂堂と、
壇上から降りてきて胸倉を掴んできた吉本と渡り合えたはずだ。「この手は一体何だ」
と云えたはずだ。また実際学生は言ったのかもしれない。しかしここまできたら、
もはや行くところまで行くだけだろう。吉本にしても自己が賭けてきた思想に唾を
吐きかけられたのと同じだ。黙っていられるわけがない。
私ならそう取る。 393つづき
それと吉本が事の後に批判を書いたことについて>>385で「ものすごく卑怯」と
貴方は書いているが、そもそも大勢で一個の思考者にたいし囲みこみ、中傷を
投げしかもまた「知識人なのだから」とそれにたいし平静を強い、このような
勝手極まる言い草と態度にたいし、紳士的な対応などできようかと私は思う。
そもそも無礼を働いてきたのは学生の方である。またその上「知識人だから」と
怒ることを禁じてきたのもこれら学生である。一体どこまで勝手なことをやれば
気が済むのかと思わざるを得ない。卑怯なことを党派的に大勢で一個の思想者に
やってきたのは彼らの方である。
良く事情を把握も知らないうちに、「知識人」だからと「大人しくしていなさい」
と貴方は言うのだろうか。知識人に人間離れした像など求めるべきではないのでは
ないか。吉本のいうように「壇上降りたらただの人間」だろう。 >>387
れんげ草が敷きつめられた七月末頃の野原で、ぼくらは日時計を造りあげたものだつた
ぼくらといふのは病弱な少年と少女たちであつた
(日時計)
これは吉本の心的な世界だ。
現実と心的な世界を自覚的に行き来するためには、現実と心的な世界をそれぞれ客観的に把握していなければならない。
この指摘が、君の疑問への答えになるはずだ。
もし、それでも理解できないのなら、君の言う「連結」を説明するのは難しい。
君の、現実と心的世界の捉えかたの問題であるとともに、吉本の読み込みが十分ではないということでもある。 >>389-394
ひとつずつレスをしようと思ったのだが、システムに弾かれてしまう。
書き込めるようになったら、また。 >>389
「国家や権力の出自を探りあて」たのも、「真に有効なる方法を模索してきた思索」というのも、吉本本人の自負ですらなく、君の妄想だ。
国家の根拠は、ヘーゲルーマルクスの焼き直しだし、権力の出自は、後年フーコーに全面降伏している体たらくだ。
自分の思索が有効ではなかったことの無念さは、やはり後年のオウムへの論及などによく表われている。
その学生とのやりとりは知らないが、学生が「マスターベーション」呼ばわりしたのなら、極めて適切な評価だともいえる。
そこに限定すれば、くだらぬ無理解と中傷ではまったくない。
まさに図星を突かれて、見境がなくなったのではないとも言い切れない。 >>390
>「知的にまた肉体的に死闘を演ずることなどできないプチブル」
こういうことを書くから、吉本は卑怯で欺瞞に満ちているというのだ。
人は思想などに命を賭けない。
大衆というのは、子供のために命を捨てることはあっても、思想のためなどに生活を捨てることはない。
生命や生活を賭けるのが思想の正当性を担保するなら、そんな簡単なことはない。
特攻帯員は日本の侵略思想の正当性を担保することになるし、三島の思想には誰も反論できないことになる。
吉本が毛嫌いした、共産党の非転向者も、絶対の思想的価値を持つことになる。
吉本の大好きな漱石の『文学論』を読むことを薦めておこう。
人がなにに命を賭けるか、鋭い洞察がある。
威勢がいいだけなのは、吉本のほうだということがわかるだろうし、吉本本人も、草葉の陰で読み直して苦笑いするだろう。 >>391
吉本の詩については議論をしない。
詩として高く、あるいは弾低く評価するからではなく、その情緒に触れるのがいやだからだ。
その情緒は、吉本の表面的な優しさと、文明の発展なのだから、原発で人が死ぬのもしかたがないという冷酷な裏面をよく表わしている。
かつて、吉本夫人が夫のことを「悪魔がはばたくような重い感じ」というように評したと、吉本自身が書いている。
>>394
引用された部分を読むと、「大勢で一個の思考者にたいし囲みこみ、中傷を投げ」ているようには見えない。
自分の痛いところを突かれて、我を忘れたようにしか見えない。
その場にいなかった僕には(おそらくは君も)、どちらに正当性があるのかなどというのは、文面からしか判断できないし、またするべきでもない。
居合わせたところで、判断の正当性が担保されるわけでもない。
つまり、その出来事に対しての判断ではなく、公表された文章に対して判断するほかはないのだ。
書かれたものを判断材料とする、というのは吉本自身のポリシーでもあった。
それも、本人が手を入れ確認した文章だけを判断材料とするという姿勢だ。
ちなみに、「怠けものだよ、きみは。ようするに。」というのは太宰の口真似だということは知っておいた方がいい。
だからなに、ということでもないが、他人の言葉で相手を貶すのは余裕でもあるし、自分の言葉を失った余裕のなさでもある。
吉本は、小林秀雄の文体をよく真似しているが、太宰の言葉もときどき出てくる。 >>394
もうひとつ。
君の見かたは時系列と相手が支離滅裂だ。
その時の罵倒と暴力はその場のことであり、両者対等だが、後日の文章は知識人吉本の独壇場だ。
罵った学生と女子学生は別人だ。
罵っていた学生が、吉本に「暴力を振るうな」と言ったとは、吉本も書いていない。
女子学生が、そう叫んだというように書いていた。
その女性は、いわば、善意の非暴力主義者であったのかも知れない。 >>387
戦前の大学は、富裕層が行くところだった。
稀に例外もあるだろうが、少なくはない子供を育てながら、早くから隆明を進学のために塾に通わせた吉本家を例外とする理由はない。
それは、それだけのことだ。
徴兵検査で甲種合格となった後に、徴兵されることのない工業大学に入学した。
これは、ただの事実だ。
吉本隆明が選んだ住居は、高級住宅街で極めて文教的な環境のいい地区だ。
これも、それだけのことだ。
そして、吉本は、裕福で教育環境に恵まれた家の出であることも、徴兵を逃れたことも、文教に適した高級住宅街に居を構えたことも語らなかった。
語らないのが悪いのではない。
そんなことは、語ろうが語るまいがどうでもいいことだ。
それをことさら隠そうとすることが、隠したまま、自分の架空の立場を設定して、相手を批判し、相手を罵倒することが、卑怯という主観的な感想を他者に与えるだけではなく、自身の思想的な欺瞞に繋がるのだ。
愛国者が、愛国を盾に平和主義を否定するのと変わらない。
吉本は、かつて他国に攻め込まれたときには、自分は国の方針など関係なく個人で戦う、と威勢のいいことを言っていた。
敵とはなにか、戦いとはなにか、平和とはなにか、市民の生活とはなにかという根源的な課題を経ることもなく、単純な力の信仰に後退してしまった。
ちなみに、吉本の「大衆の原像」は、「幼少期や学童期の想い出、からきている」というより、強さの象徴としての自身の父や、特攻上がりの寡黙な編集者がモデルとなっていると自分で語っている。
昭和天皇好き、右翼好きと同様に、吉本の嗜好を表わしているに過ぎないともいえる。
大衆の原像というのは、愛国と同様に、ありがたがったり、思想的な価値の基準とできるようなものではない。 >>389-394
吉本の本を熱心に読むのは結構なことだ。
君が、僕の読んでいないところを引用してくれたのは、ありがたかった。
しかし、読むにつれて、吉本を絶対不可侵の思想家であるように思い込んでいくのでは、なにを読んでいるのかわからない。
読めば読むほど「アラ探し」を始めなければならないのは、思想書や哲学書を読むときの必須の姿勢だと思うのだが。
書かれていない原泉の発見、感性に対する違和感、その思想への疑問、等々、自分で探り出したくなるところが出てくるはずだ。
それに目をつぶってはいけない。
冷静に、自分との距離を測り、それを保ちながら、著者の思想や哲学の過不足を追及しなければいけないと思う。 >>392
もう少し長い引用を見つけたので、読んでみた。
吉本は、普通に批判していた学生に、上着を脱いで腕まくりをして、「よし、やろう」と挑発を繰り返したようだ。
その場の雰囲気はわからないが、文章からは、吉本は相手の意見が気に入らないので暴力による決着に出ようとしているとしか思えない。
暴力が悪いかどうかはともかく、腕力自慢の吉本が、ひ弱な(?)学生を脅しているようにすら読める、奇妙な記録になっている。 国家論3部作刊行記念〜国家を知ることは、自らを知ること〜
https://www.youtube.com/watch?v=MabrnBal2dM
2017/04/18 に公開
2017年04月15日東京・ジュンク堂書店池袋本店
山本哲士トークイベント 国家論といえば滝村隆一だよね。
『国家論大綱』(第1巻上下・第2巻)を読みたいと思いながら、あまりの値段で購入できずに、図書館で第1巻上下だけ読んだけど、図書館まで行くのが面倒になって、そこまでしか読んでない。
でも、フーコーの雑多な権力論より、実体としての国家権力の骨格を浮かび上がらせているのは確かだと思う。
絶版にならないうちに購入するか、廃棄される前に図書館通いを復活するか、迷うなあ・・・ 波平が買って読んでいるぐらいだから
購入しちゃえ。 >>406
3冊で3万円か。
他にも読みたい本はたくさんあるからなあ。
吉本全集も買わなきゃいけないしw
貧乏人の俺が買うのは無理。 (中公文庫)
世界認識の方法
書物の解体学
語りの海 吉本隆明〈1〉幻想としての国家
語りの海 吉本隆明〈2〉古典とはなにか
語りの海 吉本隆明〈3〉新版・言葉という思想
言葉の沃野へ―書評集成〈上〉日本篇
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇
対話 日本の原像 梅原 猛、 吉本 隆明
ダーウィンを超えて 今西 錦司、 吉本 隆明
吉本隆明 江藤淳 全対話 面白いほどよくわかるフロイトの精神分析―立木康介 日本文芸社
世界一わかりやすいフロイト教授の精神分析の本 鈴木 晶 三笠書房
知識ゼロからの精神分析入門 鈴木 晶 幻冬舎
フロイトの精神分析 (図解雑学-絵と文章でわかりやすい!-)鈴木 晶 ナツメ社
図解雑学 精神分析 (図解雑学シリーズ) 小谷野 博 富田 三樹生 ナツメ社
史上最強図解 よくわかるフロイトの精神分析 久能 徹、 太田 裕一 ナツメ社
精神分析が面白いほどわかる本―人間のアブナイ本能が見えてくる絵解き入門書 心の謎を探る会 河出書房新社
面白くてよくわかる!フロイト精神分析 竹田 青嗣 アスペクト 一般に入門書とか解説書を読む人は、元の本を読む手間を省きたいんだろうね。
手間を省くために読むんだから、入門書や解説書を何冊も読む必要はないわけだ。
1冊でいい。
それが役に立たないのなら、元の本を読めばいい。
ひとつの著作で理解しにくければ、複数の本を読めばいい。
それでも理解できなかったら、読者と著者の住む世界が違うか、著者の書いていることがデタラメなのかのどちらかだ。
普通は賛否によらず、なにを言っているかは理解できるだろう。
吉本のテーマは多岐にわたっているけど、しっかりまとめた、いい入門書が書かれるといいね。 オグリキャップが教えてくれた「生きる思想」――哲学者・檜垣立哉インタビュー #1
「競馬する」哲学者が語る、僕とデリダとオグリのこと
genre : ライフ, ライフスタイル, 読書, 教育
今でも吉本隆明が夢に出てきて僕を叱る
http://bunshun.jp/articles/-/3380?page=2 >>412
これでは、吉本に怒られるのも無理はない。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 吉本隆明と中上健次2017/9/10
三上治
単行本
¥ 2,160
内容紹介
吉本の一番弟子による吉本・中上論
戦後の唯物論の時代、精神やヨーロッパの近代思想の影が薄くなり色褪せてくるなかで、思想と格闘し思想の可能性を追究した二人の巨人の「精神」にこだわった生き方を明らかにした。
常に現実の問題と向き合い、走り続けた戦後思想界の巨人・吉本隆明の没後から5年半(2012年3月16日死亡)。
和歌山県新宮市の「路地」を舞台に、重厚な作品群で独自の世界を築いた芥川賞作家・中上健次の没後から25年(1992年8月12日死亡)。
60年安保闘争を契機に吉本と中上と交流した著者が、生涯の闘いとして挑んだ吉本の思想と行動を振り返り、紀州を舞台にサーガ(一家一門の歴史を描いた叙事小説)を紡ぎ「精神の闇屋」として生きた中上の作品群を論考する。
吉本隆明の思想・行動が多くの註を補助線に良く理解できる、また、中上健次の思想の根拠も理解できる作りになっている
吉本は原発容認派と思われている。それは「技術や頭脳は高度になることはあっても退歩することはあり得ない」として、科学技術の観点からみた原発の必然性を説いていたからだ。
このことに著者は疑問を感じている。そして11年3.11以降も吉本は反原発運動を終戦時の転向のように考えていた節がある。しかし官邸前抗議運動などは「自立」の運動と評価していた。
本書はその分かりにくい立場を述べながら著者の運動も展開した。 著者について
1941年生まれ。三重県四日市市生まれ。三重県立四日市高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科に入学し、安保闘争に参加。
学生時代より梁山泊のような吉本隆明氏宅に出入りし、吉本氏の思想的影響を受ける。1962年、再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。
1966年中央大学中退、第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦闘争にも加わる。のち、共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。
1975年叛旗派を辞め、政治的実践活動から退く。その後、雑誌『乾坤』を創刊し、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務める。
著書に『戦闘の指示向戦 過渡期世界と綱領創出の基礎』現代思潮社 1972 『幻想の革命 党派思想の彼岸へ』三一書房 1978
『戦後世代の革命』彩流社 1981 『三島・角栄・江藤淳 保守思想の構図』彩流社 1984 『1960年代論』批評社 2000『憲法の核心は権力の問題である―九条改憲阻止に向けて』(御茶の水書房など。
登録情報
単行本: 240ページ
出版社: 現代書館 (2017/9/10) “消費資本主義っていうのは定義しますと、(略)要は第三次産業が主なる産業になってるっていう段階だとおもうんです。
ぼくの理解の仕方では、それはマルクスなんかが分析しなかった未知の段階だったんですよ。
だからこれは分析しなおさなくっちゃならない。しなおさなきゃならないっていうか、
マルクスがいま生きてたら分析するだろうように、分析しなければだめなのじゃないかとおもえるんですね。”
― 吉本隆明、中田平「消費資本主義の終焉から贈与価値論へ」(1991)(『ミシェル・フーコーと「共同幻想論」』(1999)所収) >>411
入門書や解説書も複数冊読むのは効果あるだろ
解釈が分かれていたりするんだから
もちろん、質の悪い入門書や解説書をいくら読んでも仕方ないけども
>>410なら立木康介の『面白いほどよくわかるフロイトの精神分析』と鈴木晶の『フロイトの精神分析』は読んだことあるな
吉本隆明なら橋爪大三郎の『永遠の吉本隆明』と鹿島茂の『吉本隆明1968』あたりが入門には良いのでは >>418
レスありがとう。
僕自身は、入門書というものを読むことがあまりないので、紹介されてる本はどれも読んでいない。
ただ、折に触れて目にする吉本に対する感想が、その思考と無関係に吉本を否定していたり、その逆だったりするように思えるので、適切な入門書があればいいと思った。
適切というのは、吉本の共同幻想論、言語論、心的現象論について簡明に説明してあれば、という趣旨だ。 (ちくま文庫)
源実朝
非劇の解読
夏目漱石を読む
私の「戦争論」
父の像
追悼私記
(ちくま学芸文庫)
初期歌謡論
源氏物語論
最後の親鸞
宮沢賢治
柳田国男論・丸山真男論
思想のアンソロジー
ハイ・イメージ論1
ハイ・イメージ論2
ハイ・イメージ論3
音楽機械論 (講談社文庫)
真贋
フランシス子へ
(講談社文芸文庫)
吉本隆明初期詩集
吉本隆明対談選
対談 文学の戦後 鮎川 信夫、 吉本 隆明
マチウ書試論・転向論
高村光太郎
西行論
書物の解体学
マス・イメージ論
写生の物語
(講談社学術文庫)
天皇制の基層 吉本 隆明、 赤坂 憲雄
なぜ、猫とつきあうのか 世界認識の方法 (中公文庫)
フーコーとの対談
電子書籍版あり 売文業の秘訣
馬鹿の利口に見えたいという虚栄心をくすぐるのです。 呉智英が、週刊ポストに「言葉は正しく使おうね」と題した文章に吉本のことを書いてる。
優性遺伝と劣性遺伝の言葉の使い方の問題だ。
「近代日本の転向は、すべて、日本の封建性の劣悪な条件、制約にたいする屈服、妥協としてあらわれたばかりか、日本の封建性の優性遺伝的な因子にたいするシムパッシーや無関心としてもあらわれている」
(吉本隆明「転向論」)
これを呉は、吉本語を日本語訳するといって、こう説明した。
「日本の伝統的思想への屈伏であっただけではなく、伝統的思想の中の「優性遺伝」のような良い側面への無理解を自覚させられる出来事でもあった、という意味だ。」
吉本が優性遺伝の優性の意味を、優れた(良い)形質という意味だと誤解している、という趣旨だ。
信じられない誤読だよね。
言葉は正しく使おうね、以前に、言葉は正しく読み取ろうね、だねえ・・・ 筒井康隆、山田風太郎の随筆はよく分かる。明晰。
難しい文章を書くひとは本人の頭が悪いのか、わからなさを
売り物にしてる人。編集者は悪乗りするな。 >>426
吉本の批評や随筆は、とても分かりやすいよ。
呉智英に惑わされずに、一度読んでみて。 対談がわかりやすい
特に吉本隆明対談選と世界認識の方法に所収されているフーコーとの対談がオススメ。後者は電子版もある
吉本
《…フーコーさんにそこのところでお訊きしたいのですが、マルクス主義を始末したそのあとでどういう問題が
残るのかという場合に、ぼくなりの読み方によりますと、フーコーさんはヘーゲルの意志論にわたる領域を、
全体考察、つまり世界認識の方法から全部抜いてしまったとおもえるのです。そして全体の構想のなかから省い
たあとはそれを個別的な問題のようにみなして、刑罰の歴史とか狂気の歴史とかの追及に向かわれた。ヘーゲル
がたいへん問題にした領域は全部個別的な課題に転化してしまって、全体の構想からヘーゲルのいう意志論は
排除したのではないのかなとおもわれました。
それから『言葉と物』を読んで、ぼくの読み方で特徴的だとおもえたことは、ある事物ないし言葉の表現、
つまり思想というものから、その背後に意味の核、中心を捜していくという方法をフーコーさんは徹底的に
否定したんじゃないか。それを拒否するという態度の問題を提出してきたのではないかなということです。
そしてその問題意識はニーチェから由来するのではないかというのがぼくの読み方です。》
フーコー
《…理論の持つこのような不充分な局面を白日のもとにさらさねばなりません。
哲学のみが唯一の規範的な思考だとする考え方を破壊する必要があるのです。そして無数の
語る主体の声を響かせ、おびただしい数の体験をして語らせねばならないのです。語る主体
がいつでも同じ人間であってはいけない。哲学の規範的な言葉ばかりが響いてはならない。
ありとあらゆる体験を語らせ、言葉を失った者たち、排除された者たち、死に瀕した人たちに
耳を傾ける必要があるのです。というのは、我々は外部におり、そうした人たちこそが闘争の
暗く孤立した側面を実質的に扱っているからです。そしてそうした言葉に耳を傾けること
こそが、今日西欧に生きる哲学するもののつとめであろうと思います。》 >>428
でも、この文章だと吉本のフーコー理解は、フーコーの言ってることとは真逆じゃないの?
吉本はフーコーが、「ある事物ないし言葉の表現、つまり思想というものから、その背後に意味の核、中心を捜していくという方法」を「徹底的に否定」したと言ってる。
それにこたえてフーコーは、「ありとあらゆる体験を語らせ、言葉を失った者たち、排除された者たち、死に瀕した人たちに耳を傾ける必要がある」と言ってる。
フーコーは、「背後に意味の核、中心を捜していくという方法」を徹底的に追及してると思うんだけど? >>429
ここでのテーマはマルクス主義とマルクスをどう捉えるか。これについて二人は延々対論を
していた。フーコーの意見とは、20世紀における闘争の形態が、マルクス主義の党と闘争に
よって独占され、寡占され、そこに包括され得ない疎外は排除されるしかなかった。
これについてどう考えるかと云うこと。これはそのまま当時のフーコーの問題意識でもある。
たとえば同性愛やルンペンや狂気や性的過剰への排除。或いは学校という調教、
労働と云う調教。調教に沿わないものへの排除。
マルクス主義党による指導はこれらの疎外に耳を傾けず、かつ内部のヒエラルキーに
縛られて自由な発言はできない。闘争は賃金や労働時間や厚生やに絞られ、そこでの
政治的イマジネーションは枯渇していく一方である。そこで新しい政治的イマジネーション
をどうやって形成するのか。
闘争の新しい形態の模索と云う事がこの対談での、またこの時代のフーコーの問題提起
としてあった。なのでその文脈でフーコーは語っている。これは斬新であると同時にそこでは
マルクスの歴史構想はもう意味を持たなくなっている。
たいして吉本の方は、マルクス主義党に依存する気は自分にはないが、だがマルクス
の考えた歴史的構想はいまだ有効ではないかということ。また、マルクスが始末仕切らな
かった意志論すなわち上部構造を詰めることで、歴史についてもっと詰めることができる
ということ。そこで、歴史の必然という概念を残すことはできるのではということ。
その違いがこの対論の核としてある。
吉本のいう「ある事物ないし言葉の表現、つまり思想というものから、その背後に意味の核、
中心を捜していくという方法」というのは19〜20世紀にかけてヘーゲル=マルクス思想と
して形成された思考様式を指す。それをフーコーが始末仕切っていると吉本は指摘し、
それにたいし、何故そうしなければならなかったのかをフーコーは説明している。
実際の対論の文脈を辿れば分かる。 >>431
対談は読んだ。
蓮実(?)の通訳の問題もあるかも知れないけど、話がかみ合っていない。
吉本はフーコーをマルクス(主義)からの飛躍として読んだけど、フーコーはマルクス主義とは無関係な論点から出発してる。
吉本は歴史をその視点の根幹に置くが、フーコーは歴史の否定から始まる。(『知の考古学』)
フーコーには、マルクス主義の視点(ヘーゲルの歴史観)そのものがない。
歴史好き、古典好きの吉本と、現実好き、分析好きのフーコーがかみ合わなかった。
もちろん、現実に対して力を持ちえなかったのは、フーコーも吉本も同じだ。
反資本主義としての力を持ち得ているのは、いまだにマルクス主義なのだ。
吉本やフーコー、ドゥルーズなどの「いいことを言ってる」思想家たちが力を持てないのは、人間の金に対する欲望を見つめることができなかったからだ。
マルクスは、あるいはレーニンも、そしてスターリンも、人間の金に対する欲望を見極めていたからこそ、前衛党の独裁による一時代が必要であると考えた。
吉本やフーコーは、先進社会での金の軽さが人間の自由につながっていると思い込んだのだろう。
吉本はヘーゲルを復活させただけだし、フーコーはゲシュタルト概念を反権力志向に応用して見せただけともいえる。
それぞれの業績は大変なものだとは思うが、ボードリヤールやピケティほどにも現実を穿つことができなかったのもたしかだ。 吉本の『アンチ・オイディプス』評は、率直な読みとしてこの本のもっとも優れた批評だと思う。
《…わたしが『共同幻想論』でやったことは、この
本でD―Gのやったのと、まったく反対のことだった。国家や社会体は「共同幻想」であり、家族は「対幻想」
であり、個人は「個人幻想」であり、この三つはまったく異なる次元の幻想として扱われなければならない。こ
の著者たちが「一切は機械をなしている」と述べているのになぞらえていえば「一切は幻想をなしている」とい
うのがわたしの理念の生産であった。この本の著者たちがいうように「一切は機械をなしている」というのが唯
物論的だとすれば、わたしは極度の観念論的だということになるし、著者たちからわたしの「対幻想」の分離と
設定が反動的にみえるとすれば、その度合に応じて、わたしの方からはD―Gたちはスターリン的マルクス主義
のラジカルな変種にみえることになる。
D―Gが人体機械が欲望を生産するというとき「機械」も「欲望」も実在理念としてかんがえられている。ま
た「無意識」が欲望を生産する機械だというときに、この無意識は父―母―子のオイディプスに育まれたのでは
なく孤児的なものだと主張されている。
こどもは、その最も幼いころからまるまる欲望するひとつの生命である。つまり、家庭的でない仕方で欲望の
諸対象や諸機械との間に結ばれた、ひとまとまりの関係そのものである。…
…無意識は孤児であり〔両親をもたず〕、無意識自身は自
然と人間とが一体であるところに生産されるものである…。》
「『アンチ・オイディブス』論」(『吉本隆明全集撰3 政治思想』590-1頁より) こちらも興味深い。参考までに…
吉本隆明&ガタリ1987
善悪を超えた資本主義の遊び方、マリクレール1987年4月号(『よろこばしい邂逅』青土社 より)
…
ガタリ 吉本さんの考え方で資本という言葉のかわりに市場、国家という言葉のかわりに
社会的実践と、もし入れかえていただけたら私は吉本さんに全面的に賛成です。つまり資
本とは、ある一定の国際的なカーストの力ですからね。それに対して市場経済とはまさに
財、思想、文化、研究といったものの自由な流通、サーキュレーションです。ですから私
は市場経済には全く賛成ですが、資本に対しては反対です。…吉本さんのお話をたとえば
チリのような国に適用したとすると、それはもう社会、経済の根本的な破壊につながるこ
とだと思います。
…
吉本 いや、正にその問題がガタリさんの著書を読んでいてぼくが一番違和感を感じると
ころなんです。いま何を一番考え直さなきゃいけないか。それは資本主義と社会主義を先
験的に分けてしまうその考え方です。ガタリさんの著書を読むと、資本あるいは資本主義
は先験的に悪なんです。… ガタリ 私は資本主義が悪だと言ったことはないし、資本を全面的に否定したつもりもあ
りません。私は資本の優越性は、あるタイプの社会・経済関係をよく整理することができ
るということにあると思うんです。その点に関しては、私は資本主義が社会主義より劣っ
ているとは考えていません。また私は社会主義と資本主義とを対立させても考えておりま
せん。私は、さまざまなタイプの社会主義はすべて資本主義のヴァリエーンョンの一つだ
と思うんです。…創造的な態度をとる必要があります。それゆえに美学的なパラダイムが
非常な重要性を持っているのです。音楽家が音楽を創り、画家が絵を産み出すように、い
ま社会を生み出さなければならないと思います。…
第三世界に対して食糧を運ぶことが必要なのではありません。飢餓自体は吉本さんのお
っしゃるとおり現地の権力の腐敗や収奪といったものにも起因しているわけですから。そ
うではなくてむしろ最新のテクノロジーや新しい生産様式を彼らが自分のものにすること
の方が大事だと思います。…
私がどうしても認められないのは、まず最初に荒廃があって、その荒廃の上に進歩みた
いなものをつけ加えるという考え方なんです。その荒廃がいけない。
吉本 いや、ぼくは、国家なり社会なり制度というものは無菌的よりも、デカダンスを包
括していないとダメなんじゃないかと思うので荒廃に対してあまり否定的ではないんです
よ。もう時間がなくなってしまい残念ですが、またいつかお会いする機会がありましたら
是非とも続きをやりたいと思います。
(一九八七年一月二十一日、銀座三笠会館にて)通訳 小林康夫 >>432
噛み合っていない、というよりも、マルクス主義から離れる方向が別のところにあり、マルクス
主義からの離れ方を個々に述べて見せたということだ。内容としては実際そういう内容に
なっている。
「歴史好き 古典好き」と、マルクスにおける歴史の必然にどう対するかは関係ないと思うが。
「歴史好き 古典好き」はだいたい文学の話だろう。
フーコーが「現実好き 分析好き」とあるが、フーコーの著書こそ歴史を個別な分野で詳細に
記述する本だろう。噂話や参考書をあてにするな。話がややこしくなる。
マルクス主義からの距離を別個に詳細に開陳した、ということ自己の姿勢を開陳していると
いうことだ。
それは「噛み合っていない」ということとは違う。「噛み合っていない」はどこかの誰かの言った
ことで流通したのであろうし、いかにも分かっているような外見を露呈する言葉だが、その言葉
こそ読めなかった者の言葉ということだ、。
貨幣経済の問題は当然あるわけだが、それを追究していれば、ここでの吉本やフーコーの
出す問題は問題にしなくてよい、ということにはならない。何故ならフーコーがここで出した、
党による闘争の寡占、というのは党が存在する場所では起こりがちな問題だからだ。 >>433
>国家や社会体は「共同幻想」、家族は「対幻想」であり、個人は「個人幻想」
ヘーゲルの分け方によく似ているともいえるが、「国家」と「社会体」としているのはどうだろう?
吉本は、「社会体」という言葉でどこまでを包摂しようとしているのか、微妙な気がする。
3人寄れば共同幻想、という吉本の考え方から来るのだろうが、ヘーゲルの場合は、市民社会は幻想としてではなく、実体として考えられている。
少なくとも、西欧的国家、西欧的市民社会では、ヘーゲルの捉え方が適切だろう。
小さな場面での、吉本の共同幻想は、フーコーの権力理論と対をなす。
吉本の共同幻想は、構成員を規制する構成員から疎外された幻想であり、フーコーの権力は個人間の関係としての権力だという違いがある。
その意味で、どちらも社会的な強制力を伴うとはいえない。
社会的な強制力への洞察不足が、両者を現実から浮き上がらせてしまった理由だろう。
必然性の洞察が不足していた、と揶揄したくなるところだ。
マルクスもレーニンも、そしてスターリンも、いつも見据えていたのは現実だ。
スターリンといえども、その思想には労働者階級を救い出す力があった。 >>436
>フーコーの著書こそ歴史を個別な分野で詳細に記述する本
君は歴史というものを取り違えているようだ。
歴史とは、その繋がり、連続性を記述するのであって、出来事を詳細に記述したからといって歴史にはならない。
フーコーが指摘したのが、まさにそのところで、歴史につながりはない、と断定したのが『知の考古学』だ。
>党による闘争の寡占
それが必要だとしたのが、マルクスであり、レーニンであり、スターリンだ。
残念ながら、草の根市民運動では、国家や強大な権力に立ち向かうことはできない。
それは、アラブの春に代表されるアメリカ主導の民主化運動や、アメリカの大統領選挙、そして日本の現状がよく示している。 >>438
フーコー自身が「歴史がない」「連続性がない」という批判に答えている。彼が云うのは
個人の自由や経済的決定・社会的決定が絡まり合うを必須とするのは哲学者であり特有な
ものだということだ。で、自分はその手の歴史はなくなってもいいと考えている、としている。
あんたのような人間に云っているのだろうw
それとフーコーの著書が出来事を詳細に記述しただけだと読むとしたら目が悪過ぎだな。
『狂気の歴史』にせよ、狂気にたいする社会の側の〈不健康・病気〉に中への取り込み、
〈矯正・治療〉への移行、つまり題名にある通り〈理性と非-理性〉に取りこんでいく動きは
背景に置かれている。それがあるから単なる出来事の羅列とは異なっている。彼の著書
の特徴だろう。実は彼なりの連続性は背景に置かれている。それは人間が変えて行くので
はなく一種の存在史あるいは〈有る〉の歴史でもある。それの変異が社会を変えて行くし
人間による人間への視線を変えて行くのだ。
以下にフーコーによる解答をあげておこう。 問い サルトルは、また他の哲学者もですが、あなたのことを、歴史の無視或いは軽視している
といって非難しています。これは本当でしょうか。
フーコー この種の非難は、歴史家からは一度も受けたことがありません。哲学者にとって
は、歴史の一種の神話があるのです。ご存知のとおり、哲学者は概して、自身の分野ではない
あらゆる専門分野について、非常に無知なものです。哲学者向けの数学、哲学者向けの
生物学があるのと同様、哲学者向けの歴史のあるのです。哲学者にとっての歴史とは、
そこで個人の自由と経済的或いは社会的決定が絡まり合うような、一種の大規模で広い
領域にわたる連続性です。これらの大テーマの幾つか、連続性、人間的自由の現実的な
行使、個人の自由の社会的諸決定への連接という、これら三つの神話の一つに抵触する
と、すぐさままっとうな大人たちは、歴史の侵略或いは殺害を叫びはじめます。しかし実際は、
マルク・ブロッホやリュシアン・ルフェーブルといった大学者や、イギリスの歴史学者たちなど
が、こうした歴史の神話に終止符を打って久しいのです。彼らは歴史を、全く異なった
やり方で実践しています。ですから歴史の哲学的神話、私がその殺害を告発されている
この哲学的神話は、もし私がとどめを刺したのであれば嬉しいくらいのものです。私が
息の根を止めたかったのはまさにそれであって、歴史一般ではまったくありません。歴史は
殺すべきではありませんが、哲学者向けの歴史を殺すことであれば、それはもう、絶対に
殺したいですね。
フーコー、サルトルに答える 1968年 『ミシェル・フーコー思考集成V』(筑摩書房)p.59-60 >>439-440
引用してくれた一文は読んだ記憶があるが、ヘーゲルやマルクスの歴史観を否定していることに変わりはないし、それが正しいという根拠が示されているわけでもない。
歴史とは、専門的な各分野ごとの連続性から見出されるものではない。
フーコーのいう専門的な各分野は、正解を探し出す連続性であるか、社会としての見かたの変遷に過ぎない。
フーコー自身、歴史の連続性を否定することで、「専門分野」同士の同時代性を論じている。
ドゥルーズのリゾーム概念と同じだ。
フーコーは、自分のその矛盾と自信の無さを、「大学者」や「イギリスの歴史学者」で糊塗しようとするという醜態を晒しているともいえる。
構造主義者たちは、世界を様々に解釈しているが、大切なのは、それを変革することだ、とでも揶揄したくなるところだ。
社会の変革のためには、歴史観、つまり、社会としての価値の追求が必須なのだ。 >>439
>人間が変えて行くのではなく一種の存在史あるいは〈有る〉の歴史でもある。
補足しておくが、こういう愚にもつかない宿命論はやめて欲しい。
「存在史」などというのは、言っても言わなくてもなんの意味もない、言葉だけの世迷いごとだ。
吉本はおろか、フーコー以上に、概念規定のできない言葉の遊びに過ぎない。 >>442
だからあんたはその考え方をそうやって吹聴してればいいじゃない。誰も付いてこないさ。
マルクス主義てのは俺は嫌いじゃない。だが偉そうに他の流派にケチをつけるその口調には
反吐が出るのだ。
運動体を作り維持するには他人の生涯・思想・感性をどれだけ尊重できるかが重要だ。
それができない輩はどれだけ正しいことを言っても維持は出来ない。また拡大はできない。
だから柄谷あたりがやってもすぐに潰れたし、終わり方は内ゲバで悲惨だ。世界観と人間観で
拡がりの有る運動でない限り長続きはしない。お前さんみたいのがやっても他人に嫌われて
お終いだ。俺が保障してあげるわwその手のはただ他人をくさして一生終わるだけだ。
存在史てのはフーコーの描く歴史そのものだろう。お前さんの読んでるとこいつは馬鹿
じゃないのか疑うぜ。何が概念規定だよw
人間にとっての人間。世界の観方の変遷を、或いは真理の変遷を、その根底の知の変貌を
描く。フーコーのやってることはそれだ。フーコーの探究するする歴史の変わり方とはそれだ。
それは言わば了解性の変遷でもある。
本当に目が悪い奴だなあ。糞みたいな脳味噌しかないんじゃないのか?致命的だぞ。
吉本とかフーコーとか読んでも生かし方も分からない。ただいつものようにマルクス主義と
比べくさすだけwあんたには猫に小判。豚に真珠だ。あと、早く死んでくださいw >>443
>他の流派にケチをつける
「他の流派」か。
たしかに、君のはハイデガー流というか、ハイデガー教だからね。
正しくても間違っていても、検証が可能でなければ、論ずる意味がない。
概念規定がなされていなければ、検証ができるわけもない。
吉本やフーコーの論は検証可能だが、ハイデガーの論は検証不可能だ。
ハイデガーのは、ただ言葉をもてあそんでいるだけの宗教的論述だから。
>世界の観方の変遷を、或いは真理の変遷を、その根底の知の変貌を描く。フーコーのやってることはそれだ。
「世界の観方」が、なぜ、どう「変遷」したのか、「真理」とはどういうことで、それが、なぜ、どう「変遷」したのか、「その根底の知」とはどういうもので、それが、なぜ、どう「変貌」したのか、を「描」かなければ、論ずる意味がない。
どれも、概念規定と変化の理由が必要だ。
それを論じたのが、ヘーゲルでありマルクスだ。
僕に悪口雑言を浴びせたからといって、葉っぱが小判に、木の実が真珠に変わるわけではない。
しかし、君の「知」に対する情熱は素晴らしいと思う。
僕はともかく、自分を否定する相手こそ、自分の課題を高めてくれる、ということは忘れないようにして欲しい。 >>444
あんたさあwハイデガーの講演やら論文やらどれだけ読んだのかな。あの人のはたしかに
一見訳のわからんのもあるが、きっちり引用しながら歴史的論証するものも多いだろう。
そういうものも須らく読んで批評するのが筋だ。
『存在と時間』あたりでは訳のわからんくだりはない。分からんならただ読解力が
不足してるだけだ。自分の読解力を棚に上げてるだけなら凡百の読者と変わらんぜ。
>「世界の観方」が、なぜ、どう「変遷」したのか、「真理」とはどういうことで、それが、なぜ、
>どう「変遷」したのか、「その根底の知」とはどういうもので、それが、なぜ、どう「変貌」した
>のか
一応云っておくが、その手の問題はハイデガーの論文にやたら出てくることばかりだぜ。
何故読んでいなくてそういうことを言うのかな。君、そういうことだから信用されなくなる
んだ。もっと目を通せ。書いてあるから。
それとハイデガーだけじゃない。吉本にしたって、彼の文章には時々出てくるが〈実感的に
分かる〉という云い方がある。彼は〈実感〉というものを〈分かる〉の重要な要素にしていた。
マルクスの文章にしても難解な用語が出てきても、自己の生活の実感からすれば自ずと
分かるということがある。ハイデガーにしてもそうだ。実感的に分かる、という分かり方がある
ということだ。概念規定もいいが「分かる」には色んな契機があるということを考えたほうが
いい。
マルクス主義について一言云うなら、云ってることは分かるし納得することばかりだが。
しかし、柄谷とかもそうだが、内面性や精神性についてまた心象や個人性について、
一応言葉は費やすが、深みがない。あれだから吉本のような人が現れるという。その
原因は旧左翼や左翼系文学者にある。自己内倫理あるいは自己内世界を人間は抱えて
おり、どんな社会にもそれは付いて回る。吉本と言う人はマルクス派だが「マルクスが捨象
しなかった領域」として上部構造を重視した。そういう吉本の存在を左翼ほど忘れてはなら
ないはずだろう。また心的現象のリアルな光景を考察に繰りこめない革命論などたかが
知れてる。言いたいのはそれだよ。 >>445
ハイデガーは、『存在と時間』と『現象学の根本問題』、あとタイトルも忘れたいくつかの雑文を読んだぐらいだ。
その2著だけでも、十分にハイデガーという人間がくだらないことはわかる。
ナチスにかぶれただけのことはあるw
存在一般などというのはない。
いいかえれば、存在一般という概念は成立しない。
そこにあるもの(こと)が存在であって、それは抽象しても言葉の抽象になるだけであって、概念規定ができないからだ。
スコラ哲学をいくら詳細に追いかけても、言葉の使い方自体がおかしいのだから、根本問題など見つけようもない。
見つかるのは、スコラ哲学は言葉の遊びの無意味な哲学だったということぐらいだ。
それは知の放棄だ。
ハイデガーというのは、現実を見る知の追求ができずに、現実を放棄した人間だ。
だからこそ、ナチスの問題にはなにも答えられない。
「気分」のいいところへと、ナチスを後ろ盾にした学長になったり、ユダヤ人の女子学生を愛人にし続けたりしたのだ。
君がそれを違うというなら、「世界の観方」や「真理」や「その根底の知」を、現実に即して、きちんと説明してみればいいのだ。
実感だの、深みだの、書いてあるだの、読めばわかるだのという御託はいらない。
どう書いてあって、どう読めばなにがわかるのかを、君が書くだけでいい。
具体的に説明もできない、現実を忘れた人間が語る「革命」ほど、空虚なものはない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています