ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義 [無断転載禁止]©2ch.net
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現代思想 2016年1月号 特集=ポスト現代思想
現代思想 2015年1月号 特集=現代思想の新展開2015 -思弁的実在論と新しい唯物論
現代思想 2014年1月号 特集=現代思想の転回2014 ポスト・ポスト構造主義へ
現代思想 2013年1月号 特集=現代思想の総展望2013 有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論 単行本 - 2016/2/1
カンタン・メイヤスー (著), 千葉雅也 (翻訳), 大橋完太郎 (翻訳), 星野太 (翻訳) YAMASHITA, Takashi
『現代思想2016年1月号』所収の檜垣立哉×北野圭介「ポスト現代思想としての日本哲学」で、
北野氏がデリダに言及して紹介しているエピソードが興味深い。
「台湾で、ごく気取らない口調で「日本においてアーカイブの病はどうですか?」と尋ねてきた出版社の人がいました。(続
映像が氾濫する社会での真理の希求の姿勢について日本はどう考えるのかという論脈でした。
…思想の問いを、生をめぐるハードな状況論のなかでとらえている。そのなかでデリダの思考が使えるツールなのかどうかという関心です。
現代思想がアジアの多くの国々でツールとして定着してきている」(73)
2016年1月3日 クァンタン・メイヤスー
「思弁的実在論(SR/Speculative Realism)」
「エクストロ・サイエンス・フィクション(XSF/Extro-Science Fiction)」
マニュエル・デランダ、ジェーン・ベネット
「新しい唯物論(NM/New Materialism)」
グレアム・ハーマン
「オブジェクト指向存在論(OOO/Object-Oriented Ontology)」
「怪奇実在論」「ゲリラ形而上学」
マルクス・ガブリエル
「ドイツ観念論の現在」
エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ
「食人の形而上学」
イアン・ボゴスト
「エイリアン現象学」
マーティン・ヘグルンド
「ラディカル無神論」
中沢新一
「新構造主義」
郡司ペギオ幸夫
「ポスト複雑系」 エッタチョーセンはまだこんなんでハッタリ効くとおもってやがる マルクス・ガブリエル(ボン大学教授)×大河内 泰樹(一橋大学教授) ドイツ観念論の現在
2015/12/29
https://www.youtube.com/watch?v=6e-ry3TBLeg マルクス・ガブリエル(ボン大学教授)×大河内 泰樹(一橋大学教授)
ドイツ観念論の現在
https://www.youtube.com/watch?v=6e-ry3TBLeg
現代思想の新展開 思弁的実在論・新唯物論のアートとは?
アート系トーク番組artair
https://www.youtube.com/watch?v=6--szfIZU50 2006年のメイヤスー『有限性の後で〜』の邦訳が今年2月
2009年のガブリエル『神話・狂気・哄笑〜』の邦訳が昨年11月 初版は前世紀だけど、再版は今世紀だから、新しいといえば、新しいんだろうね
>Partial connections. Savage, Maryland:
>Rowman and Littlefield (1991). Re-issued by AltaMira Press,
>Walnut Creek, CA. (2004) まだこれからという人は、SR周辺からやっていくといいと思う 哲学とは、我々の日常生活を含めた“存在の本質”を究明する本質学であり、その意味から
日常の我々の生活と哲学は密接な関係にある。
従って、ポスト現代思想、或いはポスト・ポスト構造主義に拘らずに考察することが必要でしょう。 郡司ペギオ幸夫
重要とされる本の無償配布版(PDF)
"The Speculative Turn: Continental Materialism and Realism"
Levi Bryant, Nick Srnicek and Graham Harman
http://re-press.org/books/the-speculative-turn-continental-materialism-and-realism/
(『思弁的展開:大陸唯物論と実在論』
レヴィ・ブライアント、ニック・スルニチェク、グレアム・ハーマン) 『現代思想』2012年10月号
・「とても強い相関主義と『否定神学』批判」千葉雅也
は、千葉のメイヤスー/ハーマン論と東浩紀のデリダ論との接続。
その他、
『現代思想』2015年6月号
・特集=新しい唯物論
『思想』2013年第2号
・「構造主義の生成変化」エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ 食い込みパンツョックんどんのおかわりはどうかね〜
今度は露だくで
(( (ヽ三/) (ヽ三/) ))
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i - 、 `ヽ_
l: 、.: ヽ ゙i"
! i ; n .:c.: ', _..ハ
| ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ
| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 / 日本語の哲学書を読む秘訣です。
道徳:Moral「敵」「障害物」「山」
カント:Kant「Moralを探求した人」
デカルト:Descartes「孤独を探求した人」
トマス・アクィナス:Tomas Aquinas「信仰心」「考える」を探求した人。
知覚:Perception「女心」「男も考えるときは女心で考えている」
共産主義:Marxism「ナンパの研究」
社会主義:Socialism「Marxismを柱にしてできた奔放な女の世界」
プラトン:Platon「哲学の基本、つまり男は何を知っているかを探求した人。その世界の真実ってなんだろう」
アリストテレス:Aristotle「レスボス女」「下層階級が中産階級の合意を得るのが政治家だとした人」
ハイデガー:Heidegger「若者の若さを無駄にすることの意味の探求」
サルトル:Sartre「プロフェッショナルの心、自分の終わりは世界の終わり」
デリダ:Derida「人間はひとつにはならないけど、愛を探求した人」
ドゥルーズ:Delueze「哲学は女を標的にしないと男は喧嘩しかしないよね」
物質的:Material「女」
客体・客観:Object「男」
主体・主観:Subject「女」
一次的:First「男」
二次的:Second「女」
高次の:Higher「人間」
超越論的:Trancendental「大きすぎるもの。人間の知性に力を与えるもの」
超越論:Trancencent「人間の知性」
形而上学:Metaphisycs「なんだかすごいものを生み出す考え方」
自然:Nature「科学」
ヘーゲル:Hegel「顔の美しさ」「二つのものをぶつけてみたら面白い」
新カント派:Neo-Kantian「神の影響力を背景に行動する人」
ロールズ:Rawls「セックスして出世する女がいるからどうしたらいいのか考えた人」
新ヘーゲル:Neo-Hegelian「男と女、男と男、いろんなぶつけ方を探求した人たち」
概念:Concept「前向きな物事の考え方」
密教:Esoteric「音楽と哲学を会わせて感動する教え」
大文字の他者:Other「駄々こねたらおしめを代えてくれる人」
小文字の他者:other「対等な大人」
倫理:ethics「楽しいこと」 哲学ロックスター、小野光太郎。
Falco - Rock Me Amadeus: http://youtu.be/cVikZ8Oe_XA メイヤスーとかには興味ないけど、
私と同じくニヒリズム、絶滅を積極的に
肯定しようとするレイ・ブラシエには興味がある。
ので、尼でポチった いや、興味ないことはないな、外部を積極的に肯定する、という意味では。 ブラシエも読みたいな。
新しいニヒリズムというところか。
元々「思弁的唯物論」と言っていたメイヤスーに対して、
「思弁的実在論」と言うようになったのはブラシエだという。 時代に対して責任を負っていた実存主義や構造主義やポスト構造主義と違って、
思弁的実在論なるものは、奴隷制によって市民が考える自由を得た、昔のポリスの広場で交わされるようなふわふわした、
ものという印象を受ける。
なぜこの時代にこの哲学が主張されねばならないのか、と問いたくなる。
もちろん思想としてでなく、純粋に思弁的な学問としては、大いに結構だけど。
その点、Wikiで見た限りのことで情けないのだが、ブラシエの思想は、単に思弁的なだけでなく、
時代に相即する問題意識を感じた。
ので、届くのが楽しみ。 「太陽系の惑星、水洗トイレ、はげ、素粒子は存在する。存在しないのはこれらすべてを含むとされる『世界』のほうだ」
と断言するのは哲学者のマルクス・ガブリエルである。
彼の『Warum es die Welt nicht gibt(なぜ「世界」が存在しないのか)』は、6月に出版されるとすぐにベストセラーになった。
ガブリエルは29歳のときにボン大学の認識論・近現代哲学講座の主任教授に就任、現在33歳である。
ドイツの哲学界でこんな若くして正教授になる例はない。メディアは彼を「神童」扱いし、本書も話題にしている。
国際的に影が薄くなったドイツ哲学を活性化する役回りを期待しているのかもしれない。
売れる哲学書には二つのタイプがある。よくできた解説書か、生命や愛などを扱った実践哲学か。
彼の本はそのどちらでもない本格的な認識論だ。それでも売れているのは、表現が面白いからだ。
古代ギリシャ以来、哲学者がその存在を前提としてきた「世界」を、ガブリエルは、個々の事象をすべて収容できる巨大テントにたとえる。
テント全体を見ようとする人は外に出なければいけない。
外に出た途端、今までのテントと、それを外で眺めている人を収容できるもっと大きなテント(=世界)の想定が必要になる。
こうして少し前まで「世界」とされていたものも、ただのテント(=個別の事象)に転落。これが「世界」が存在できない理由だそうだ。
http://globe.asahi.com/bestseller/2013091200025.html?page=1 『現代思想』2015年9月号
・特集=絶滅 人間不在の世界
・「絶滅の真理」レイ・ブラシエ
『現代思想』2008年12月号
・特集=ドゥルーズ
・「ドゥルーズの存在論」マヌエル・デランダ
千葉雅也『動きすぎてはいけない−ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』
※メイヤスー、ハーマンらのSRや、ポストポスト構造主義についても触れられている “あらゆるものはすでに死んでいる”
― レイ・ブラシエ「絶滅の真理」 >>38
本質的二にラッセルのパラドックスや古くは第三人間論と何が違うのだろう?
いやそれらと構造的に同じだからこそ、西洋的な包摂や一般化の思考だと、
限界に突き当たる、ということをそれまで自明だった世界にまで適用したことはそれはそれで新しいのか 印象としては、東と千葉の間に佐藤嘉幸が入る。
東浩紀→佐藤嘉幸→千葉雅也 フフ〜! フ〜!! ちゃフ〜! フゃんと議論してこんとしてこいよ。〜!
フ〜!! ちゃんとしてこいよ。 佐藤と千葉は、モデル化の仕方が似ている。
それが、単なる蓄積なのか、時代的なものなのか、
パリ第10大学的なものなのかは分からないが。 西山 雄二(にしやま ゆうじ、1971年 - )
福島 知己(ふくしま ともみ、1971年 - )
東 浩紀(あずま ひろき、1971年5月9日 - )
金杉武司(かなすぎ たけし、1972年-)
大橋 完太郎(おおはし かんたろう、1973年 - )
荒谷大輔(あらや だいすけ、1974年生れ)
宮ア 裕助(みやざき ゆうすけ、1974年 - )
國分 功一郎(こくぶん こういちろう、1974年7月1日 - )
西川 アサキ(にしかわ あさき、男性、1975年 - )
マーティン・ヘグルンド(Martin Hägglund, 1976年11月23日 - )
千葉 雅也(ちば まさや、1978年12月14日 - )
岡本 源太(おかもと げんた、1981年-)
星野 太(ほしの ふとし、1983年ー) マイケル・ハート(Michael Hardt、1960年 - )
ジョン・ハイマン(John Hyman, 1960年3月6日 - )
加地 大介(かち だいすけ、1960年5月5日 - )
アンヌ・ソヴァニャルグ(Anne Sauvagnargues, 1961年3月16日 - )
ウィル・キムリッカ(Will Kymlicka, 1962年 - )
スティーヴン・ムルホール(Stephen Mulhall, 1962年 - )
河野 哲也(こうの てつや、1963年 - )
アルヴァ・ノエ(Alva Noë, 1964年 - )
檜垣 立哉(ひがき たつや、1964年 - )
ダヴィッド・ラプジャード(David Lapoujade, 1964年 - )
ロルフ・エルバーフェルト(Rolf Elberfeld, 1964年4月28日 ビラベック - )
中島 隆博(なかじま たかひろ、1964年11月3日 - )
フランソワ・ズーラビシヴィリ(François Zourabichvili, 1965年 - 2006年4月19日)
デイビッド・ジョン・チャーマーズ (David John Chalmers、1966年4月20日 - )
マヌエル・クラード(1967年 - )
クァンタン・メイヤスー(Quentin Meillassoux, 1967年 - )
ダン・ザハヴィ(Dan Zahavi, 1967年11月6日 - )
グレアム・ハーマン(Graham Harman、1968年5月9日 - )
ギオルギ・マルグヴェラシヴィリ(Giorgi Margvelashvili、1969年9月4日 - ) 小林 康夫(こばやし やすお、1950年2月6日 - )
コリン・マッギン(Colin McGinn, 1950年3月10日-)
中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )
内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )
永井 均(ながい ひとし、1951年11月10日 - )
クリスティン・コースガード(Christine Marion Korsgaard, 1952年 - )
バリー・スミス(Barry Smith, 1952年6月4日 - )
トマス・ポッゲ(Thomas Winfried Menko Pogge、1953年 - )
マイケル・サンデル(英: Michael J. Sandel、1953年3月5日 - )
ヒュー・プライス(Huw Price, 1953年5月17日 - )
土橋 茂樹(つちはし しげき、1953年8月- )
小泉 義之(こいずみ よしゆき、1954年 - )
ゲイリー・ローレンス・フランシオン (Gary Lawrence Francione, 1954年-)
信原 幸弘(のぶはら ゆきひろ、1954年4月2日 - )
スティーヴン・シャヴィロ(Steven Shaviro, 1954年4月3日 - )
野矢 茂樹(のや しげき、1954年9月15日 - )
堀 栄造(ほり えいぞう、1956年 - )
ブライアン・マッスミ(Brian Massumi, 1956年 - )
エイドリアン・ウィリアム・ムーア(Adrian William Moore, 1956年 - )
ベルナール・スティヴェンス(Bernard Stevens, 1956年1月28日 - )
ジュディス・バトラー(Judith P. Butler、1956年2月24日 - )
エリック・アリエズ(フランス語: Éric Alliez, 1957年 - )
浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )
ヌッチョ・オルディネ(Nuccio Ordine、1958年-)
江川 隆男(えがわ たかお、1958年1月8日 - )
熊野 純彦(くまの すみひこ、1958年11月10日 - )
入不二 基義(いりふじ もとよし、1958年11月11日 - )
カトリーヌ・マラブー(Catherine Malabou、1959年 - ) 『アフター・フィニチュード』読んだ。
印象的なフレーズや、興味深い思索も多く、
本も良いし、訳も良い。
分厚くないながらも圧倒的な書物。
現代思想〜ポスト構造主義に通底するグダグダ感が吹き飛んだ思い。 実在論と観念論の対立は、古くからあるテーマだけど、
メイヤスーもガブリエルも現代的だった。 カント的なものを乗り越えるとか、
反現象学的態度とかで先鞭をつけたのは、ブルーノ・ラトゥールだね。 ラトゥールに言わせれば「愚鈍な物自体」とかいうことになる。 で、現代の状況についてどういう理解が提示されるのか メイヤスーと浅田彰と熊野純彦の鼎談でバトル・ロイヤルとかやらんのかね? 「偶然性の必然性について」とか、株式市場に当てはめるとどうなるのか具体的に解説してほしいです 買ったけど従来の哲学的立場を相関主義と断罪したうえで、それが
隠れた極端な観念論であることを暴露していくスタイルはパトナムを思い出すな ガブリエルの方は世界自体は地平でしかない。
世界自体は世界の中にはたち現れない。
世界は存在として現れるものでしかなく、その中の存在者は存在しても、
世界は存在しない。
世界は存在しない。
お説ごもっともだけどそれから何が導かれるんだ?
何かそれを元にして何か主張があるわけ何だろうが。
メイヤスーの実在論に対する批判にしても、ガブリエル自身が、
新実在論と位置付けられてるわけで立ち位置や主張が情報不足で、
よくわからんな。 世界は存在として現れるものでしかなく、
→
世界は存在として現れるものではなく、 フワフワした思弁的実在論とその中では地に足ついてる、もしくは泥臭いっぽいブラシエに分けて後者に投票する、みたいなパフォーマンスが行われているのか ブラシエの絶滅とか死に向かうロマン主義の焼き直しの、
最低のダサさだと思うけどな。
そんなの十九世紀からかれこれ二十回目くらいだろ。
でもそれ取り除いちゃうと何が残るのかさっぱりわからない。 メイヤスー、その他の読み物
・形而上学とエクストロ=サイエンス・フィクション(PDF)
http://www.mot-art-museum.jp/music/FlorianHecker-textjp-121023-fix1_2.pdf
・(インタビュー)「思弁的唯物論のラフスケッチ わたしたちは如何にして相関の外へ出られるか」
『現代思想』2015年6月号 新しい唯物論
・「亡霊のジレンマ 来るべき喪、来るべき神」現代思想の新展開2015
『現代思想』2015年1月号 現代思想の新展開2015
・「潜勢力と潜在性」
『現代思想』2014年1月号 現代思想の転回2014 ポスト・ポスト構造主義へ
・「減算と縮約 ドゥルーズ、内在、『物質と記憶』」
『現代思想』2013年1月号 現代思想の総展望2013 浅田はメイヤスーを、
イエズス会士で自然人類学者のテイヤール・ド・シャルダンによるキリスト教進化論と比較しているらしい。 メイヤスーと株式市場については、
千葉雅也×岡嶋隆佑「思弁的実在論と新しい唯物論」でも触れられている。
この場合のスペキュレイティブ・マテリアリズムは「投機的唯物論」だとかで。 『有限性の後で』が書かれた2006年というのは、
ポスト・ドゥルーズ(-1995)/デリダ(-2004)という時期だけど、
その後のリーマンショック(2008年)を通して読まれたりしたこともあったのかもね。
ガブリエルも言及している。
紹介された"Collapse"は「崩壊」という意味だし。 思い返せば、リーマンショックの頃は、世界的にマルクスが再評価されて読まれていた。
『21世紀の資本』は2013年だけど、
「マルクスなんてどうでもいい」というピケティは、ポスト現代思想的だ。 ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」というのは言葉のあや。
ハイデガー経由ヘーゲル直系の存在論で、「存在=無」という考えがある。
存在は無によって規定され、存在は存在自体を無化させることで存在者を顕現させる。
このことから「世界がいかに存在するのか」を裏返しに言っている。 ハーマンの名前も挙がったけど、まずはブラシエだろう。
メイヤスーとブラシエは、視点を共有しながらも少しずつ角度が違うから、
合わせて読むことによって、思弁的実在論が示すシビアな全景が見えてくる。
生きている内は、生きていることが顧みられない。
あらゆる超越を解消するために、絶滅が想定される。 >>61
別に「思弁的実在論」なるカテゴリーの視点から読まなければならない、というわけではないでしょう。
私は、「絶滅」というリアリティーに個人として共感しそれのリアリティー共有するからこそ、それを論じているという
ブラシエという「個人の」哲学に興味を持ったというだけの話。
>>62
>ブラシエの絶滅とか死に向かうロマン主義の焼き直し
全然違うと思うが・・・というか違うと予測するが、本が届いたので自分の目で確かめます それ言い出すと分析哲学の「思考実験」もダサいものが多いと思う
思弁実在論はロマン主義じゃなくてそっちの流れでは
「5分前世界創造」とか「水槽脳」とかああいうの ロマン主義でもハイデガーでも死を振りかざす思想は。もう飽き飽き。
ゴミ。 ジュンク堂池袋本店人文担当
【フェア】1月末より、「ポスト現代思想〜新しい思想のダイアグラム」フェアを開催しております。
青土社営業部作成のポスト現代思想相関図、ぜひ店頭にてご覧ください!無料冊子もあります。4F人文書売場カウンター前にて。
http://pbs.twimg.com/media/CahbkuxUsAEwApZ.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CahbksNVAAAo96X.jpg
2016年2月6日
ウラサキ
ヒュームとカントが空中浮揚していて、何処ともつながっていないように見える。何故名前があるのだろうか?
2016年2月8日 すべてのベースにあるから線引けない
逆に言うと他の奴が読まれなくなっても最後まで残る >>76
〉他の奴が読まれなくなっても
何人が残るのか… ロマン主義を雑にとらえてるも何も、
ロマン主義を否定する思想がロマン主義だから。
本当の自分を探してしまう思想がロマン主義。
人間主義を否定する思想がまさに人間主義でハイデガーはずぶすぶになった。
本当の自分なんかないとやるのも本当の自分求めてるにすぎない。
人間主義なんかいらない、絶滅でいいと言うのも人間主義にすぎない。
そういう牢獄そのものになっちゃってるよな。
人間なんか持ち出してそんなものじゃない、本物の何かを、
前提にする限り病いから逃げられない。
凡庸じゃない特別な何か特別なものたらんとする限り。
そういうものを求めず凡庸を追求しない限り駄目だよ。
凡庸を避けようとする限り凡庸であり、
凡庸を受け入れそこに踏みとどまろうとしない限り駄目。
それはわかるだろ?
ブラシエの思想は正にその凡庸な枠組みの中の思想にすぎない。
それもわかるだろ? 大きい書店だと、
ポスト現代思想系の本を集めたコーナーが
設けられていたりするね。 確かに、テイヤール・ド・シャルダンはピッタリだった。
2005年にはニューヨークの国連本部で、シラク大統領(当時)後援のもと、
シャルダンの没後50周年記念式典が開かれたりもしている。 メイヤスーの言う相関関係とは、
人と物、主体と客体が、常に関係性の上に置かれてしまっているということ。
人は、感覚や意識といった身体的フィルターを通してしか物を把握することが出来ず、
主体から独立した対象「それ自体」にアクセス出来なくなった。 シャルダンには『現象としての人間』という本があるが、
メイヤスーの場合は、そっくりそのまま、観察者である人間を取り除いて考えている。 デカルト派には、思考だけが存在すればいいのであって、
ロマンも、それを支える場所もいらない。 “この世界は、まったくの偶然で、
別様の世界に変化しうる。”(『偶然性の後で』帯)
実際に読んで思い出したのは、
9〜10世紀イスラムのアシュアリー神学。
そこでは、あらゆる時間性や因果性が断ち切られている。
毎瞬間、毎瞬間、世界は新しく創造され、
その行方は「インシャー・アッラー(全ては神の思し召し)」であると。
もちろん、メイヤスーは丁寧に断っているが。。。
「けれども私たちは、安定した世界に生きていることを天の恵みとしていちいちの瞬間に祝福することはしない。」 原子論の一種だということでは、
マルクスもデモクリトスやエピクロスをやっていたし、
デリダの痕跡群は「パンタ・レイ(万物は流転す)」。
メイヤスーの場合は、偶然性の上の必然性だと言っているので、
ただの流転ということにはならない。
この点をガブリエルは以下の様に説明している。
「カオスの自己規範化を必然的に支配する非理性の原理」 >>86
×(『偶然性の後で』帯)
○(『有限性の後で』帯) CG: いま空軍やNASAが飛ばしている乗り物の20〜50年先をいく乗り物を所有しています。
それに、惑星間複合企業体(Interplanetary Corporate Conglomerate)という側面もあります。
ありとあらゆるすべての企業が集まり、それぞれの資源を提供し合い、太陽系に巨大なインフラを築いています。
DW: その主だった企業が軍事産業企業ですね。
CG: 元はそうでしたが、他にもたくさんの企業へと広がっています。
DW: では光速を越える移動、スターゲイトのような技術 粒子線、パルスレーザー兵器、そういったものですね。
CG: そんなものすら超越していますが、ええ。
CG: ええ。そして秘密宇宙プログラム同盟は−主たる目的は地球の全住民にフルの情報開示というものをもたらすことです。
そのフルの情報開示とは、エイリアンがいるとか、それだけではありません。「この80〜90年間、我々は皆さんに嘘をついてきました。
はい。そういうことで、がんばってください。」 フルの情報開示イベントは、エドワード・スノーデン(Edward Snowden)情報のデータ・ダンプとなるでしょう。
他にいくつかのハッキング情報も聞いてはいます。そういった情報はすべて解読・照合されており、ある時点で行う大量データ・ダンプに備えて地球同盟や秘密宇宙プログラム同盟にもう渡されています。
彼らの目的は、このシンジケートが人類に対して犯してきた罪をすべて暴露すること。
単にETや非地球人がいるという事実だけではなく、私達の生き方を根本的に覆すような技術の隠蔽を回避すること。
これまで地球上の全住民を支配するために活用してきた連中の企業統治体制やバビロニアの魔法経済システム−つまり奴隷システムを崩壊させるような、その先進技術を公開することです。
CG: すべては物々交換スキルに基づいて機能するんですから。コミュニティとして、皆で知恵や能力を分かち合うんです。
そして先ほどの技術を使って、必要なものはすべての人の手に入ります。電気代を支払うために9時から5時まで働く必要はなくなります‐‐ フリー・エネルギーがあります。
食料を買う必要もなくなるんです-- レプリケーター技術があるんですから。
h ttp://ja.spherebeingalliance.com/blog/transcript-cosmic-disclosure-ubuntu-and-the-blue-avian-message-part-1.html 一部引用 あゆみBOOKS小石川店
『現代思想』3月臨時増刊号「総特集 人類学のゆくえ」が熱い!
表紙をめくると石倉敏明「今日の人類学地図」が目に飛び込んで一気に視界が開ける感覚!
相関図を一望することで存在論の人類学へと踏み込んでいく欲望を掻き立てられます!最高!
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2016年2月1日 紺野(石版!)@mk_sekibang
酒井さんのアドバイスにより、メイヤスーは読まなくて良いことになった。
11:56 PM - 15 Feb 2016
https://mobile.twitter.com/mk_sekibang/status/699245933016449024 自分で読んで評価することをしない
典型的なゆとりだな 酒井のツイートを引用してほしいんだけど。
(ルーマン派が思弁的実在論を否定するのは当然だろう。
ルーマンは構成主義だから。) 中本裕之(なかもと ひろゆき)元弁護士(新62期)=長文=奈良県について(2016年2月)
性別: 男、未婚
年齢: 36歳以下(昭和54年4月2日以降生れ)
国籍: 日本人?(本人談: 2012/03/26 パスポート取得)
住所: 奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)?
最寄駅: 近鉄・生駒線 竜田川駅?
実家: 不動産を所有する資産家の分家
家族: 実家で母親と同居、兄、弟、妹?、父親と確執?
母親: 世界真光(まひかり)文明教団の信者
宗教: 聖書は半分くらいしか読んでいない ←←←←←←←←New!
既往症: ノイローゼ(2013/1/15)
常用薬: リスペリドン(2013/1/7)
禁忌: 奈良駅には行けない事情がある
職歴: 元弁護士(新62期、大阪弁護士会、登録番号 41908)、LECでの答案添削、家庭教師
資格: TOEICスコア 680 (2011/10/01現在)
高校: 奈良県 私立帝塚山中学・高等学校卒?
大学: 京都大学法学部 大石眞ゼミ?
大学院: 関西地方の法科大学院修了
受験: 旧司法試験の東京での申込み状況を知っている
勉強: 合格まで10年かかった。『事例本』シリーズ(辰巳1997年〜絶版)を使用
ゼミ: 憲法のゼミに所属(本人談: 右寄りといえば右寄りの方)
奨学金: 毎月1万円返済、返済期間10年以上(2013/10/22現在)
体重: 63.6キロ(2011/12/20現在)
好物: 水炊き、うどん
好きなアニメ: ザンボット3(1977年)、太陽の牙ダグラム(1981年)、聖戦士ダンバイン(1983年)
偏愛: 伊藤かな恵(声優)、明坂聡美(声優)、高倉陽毬(アニメキャラ) 、小・中学生のホモ
憧れ: 大学教授、公務員
常駐先: 緊急自然災害板(原発情報)、哲学板(千葉雅也、東浩紀)、模型板、声優板ほか 今、国内外で人類学が注目されているのは、
どういうことなのだろうか。 SR周辺でも多方面で評価の高かったラトゥールが人類学者だったり、
メイヤスーの父親も人類学者だったりもする。 グレコローマン・スタイル・レスリングとバーリトゥードの違い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています