ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>914
社会と人体を関連付けるなんて、つまらない比喩だね。 つまらなく使い古された比喩だという指摘は反論にはならない >>668
人文書院 @jimbunshoin
12月8日
週刊読書人(2017年12月8日)に、グレアム・ハーマン『四方対象』(岡嶋隆佑監訳)の書評が掲載されました。評者:上野俊哉。
http://www.jimbunshoin.co.jp/files/quadrueple%20dokusho.jpg >>916
どういう比喩でも比喩は比喩。
現実の解明には何の役にも立たないw デリダる
・言葉を曖昧、抽象にして反論されにくくすること
・全方位冷笑で私は賢者なのだと訴えること
トーンポリシング(tone policing、態度の取り締まり)
・「あなたの言い方が悪い」「あなたの態度が悪い」と連呼して
問題の提起自体をすべり坂論法的に矮小化すること 精神分析の治療の極意はラカンに言わせれば患者に情報を与えないこと
デリダの戦略もメタレベルの情報を与えずテクストを内在的に批判することにある
例えばハイデガーを批判するのにナチス云々ではなくハイデガーの使った「精神」なる語を
展開する
その意味でデリダは精神分析医だし
ソクラテスの(想起)の伝統に沿う 患者を治療する気なんか無いだろ?哲学や思想界とつるむ医師なんて… >>923
精神病は、治療なんかできないということだろ?
患者が社会と折り合いをつける手段を、習得する手助けができるかどうかぐらいだろ。 精神病は病気ではなく特殊な人格にしかすぎないからな おいおい、幻覚とか幻聴や妄想まで特殊な人格で済ませるのか?
あまりにも雑すぎる >>926
そうはいっても、幻覚や幻聴は、見間違えや空耳の延長線という考え方もあるからな。 >>925
>>927
精神病は特殊な人格にすぎないって言い切るのと、そういう考え方がある、じゃ全然違うわけだが
言ってることがブレブレだよ >>928
メルロポンティなんかは、閾値を設定できるのかどうかを追及し続けていたな。 >>929
いや、別人だからw
僕のは、>>924>>927>>929。 >>931
>>929じゃなくて、>>930。
間違ってごめんね。 そうやって多少、社会に適合できなくても実績を残した人は妥当な評価を受けてもいるんだよな
逆に考えると精神疾患が病であるとされるのは、社会的に役にも立たないやつだと看做されてるから >>930
メルロポンティが
927 考える名無しさん sage 2017/12/18(月) 15:38:50.12 0
>>926
そうはいっても、幻覚や幻聴は、見間違えや空耳の延長線という考え方もあるからな。
という主張をしたと? マッハがマッハ帯(マッハ バンド)を発見したとき
「錯覚といえども存在する以上それは説明されなければいけない」と言ってたような 精神疾患に関してはメルロ=ポンティもマッハもただの素人にすぎないわけだし、そもそも統合失調症についての主張ではないから、まったくの無意味なレスだな 事実が何を意味するのかが定かでない以上、幻聴や幻覚とは言い切れないな
その他大勢が間違った世界を見ている可能性もある 参考:
フレーゲの主張に「ヒュームの原理」(略称HP)というものがある(命名はジュージ・ブーロス
『フレーゲ哲学の最新像』)。
数を認識する時、一対一対応が最も確実で、幾何学等の延長は不確実になるというものだ。
「ヒュームの原理」は、フレーゲの『算術の基礎』(§63、著作集2勁草書房122頁)において、
デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』第1巻
第3部第一節からの引用というかたちで言及されている。
「例えば、二つの数を集成する各々の単位がそれぞれ常に相応するとき、我々は二つの数
が等しいと宣言する。」
(岩波文庫人性論1p123)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86
ヒュームは単なる不可知論者ではない。 それは結局、多数者の論理だろ
両方共が頭のおかしなヤツだったら違った公理から矛盾のない定理を導き出す >>935
そうだよ?
言葉の使い方は、少し違うけど。 >>938
精神疾患に関しての専門家なんているの?
まさか、ガタリとか? >>947
アメリカ人の29%が日本を知っていることの方が驚きw 『現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』
【巻頭インタビュー】 養老孟司
【それぞれの〈思想〉】 柄谷行人/汪暉/中沢新一/大澤真幸/野村泰紀
【討議】 信田さよ子+松本卓也
【導入】 千葉雅也
【新しい実在論/唯物論/存在論】 G・ハーマン/M・ガブリエル/D・ゴルィンコ=ヴォルフソン/星野太
【ポスト思弁的転回のマニフェスト】 N・スルニチェク+A・ウィリアムズ/ラボリア・クーボニクス
【人類学の「静かな革命」】 E・ヴィヴェイロス・デ・カストロ/里見龍樹
【哲学×科学の対話】 R・ハーシュ
【図解】 現代思想の古層と表層のダイアグラム(近藤和敬)
【連載】 磯崎新/佐藤文隆/立岩真也
「現代思想」最前線の見取り図を示す、2018年劈頭の総力特集!
新しい実在論/唯物論/存在論という哲学のハードコアは、
危機の時代を生きる私たちの感性と共振しながら、人類学や社会理論、アートへと派生し、
かつ分析哲学や自然科学との(再)接続を果たしつつある。
こうした新しい思潮の内実はどのようであるのか。各論者の思想=実践とともに総覧する。
現代思想の最新がわかるチャート付き。
目次
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/79/eb7d3ca07ab2d5450b15a3ec02b35e95.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/85/ae71fa4e4d88c44601716b747e23bf0d.jpg ハイデガーには発生論志向があるので仏教より道教に近い https://i.imgur.com/Q7vqQ4o.jpg
分析哲学とドイツ観念論の間にスペクトラムがあるという視座は正しい ハイデガ−の後期哲学の「成り出でてある(生起)」の論理は、
仏教に於ける“諸行無常”の論理と通底している。 つまり、“諸行無常”とは、
自我を排した“無我”の様態に至ることであり、ハイデガ−後期の「成り出でてある(生起)」論理も、
“自我を排した様態”を現している。 >>952
諸行無常は無我とは関係ないだろ。
現実は常に動いているというだけのこと。
ヘラクレイトスのほうがずっと近いんじゃないか。 >>951
いつになっても日本人の大著が載らなそう
日本の大思想家は何してんのかな >>954
“諸行無常”とは、“諸法無我”と関連するが、
今、生きている“心と身体を持った自己という存在も、
いずれ死に、形あるものとしての自己は消滅する(無我の様態)。
自己という“心と身体”を持った存在も永遠不変なものではない。 >>956
>自己という“心と身体”を持った存在も永遠不変なものではない
いくらなんでも、あたりまえすぎるだろ? >>959
バラモン教の“ア−トマン”は意識(心)の最も深い内側にある“個(自己)”の根源のことであり、
そして、バラモン教そしてヒンズ−教の場合は、“心と体(物質)”を分離して捉えていた。
バラモン教に於いては、自己の心(精神)の不変不滅により、“輪廻の思想が確立し、その輪廻の
思想を基として“カ−スト制度”が成立した。
当時のインド社会に於いて人々は、カ−ストによって、子々孫々永久に続く苦しみの中にあった。
仏陀の“諸行無常の論理”は、自己消滅(無我)により、ア−トマン論理を否定した。
この“諸行無常”論理により、人々がカ−スト制度からの解放がなされ、仏教が長い間繁栄し、
人々に慕われたのである。 >>960
カ−ストは現代でも明確に存続してるぞ? >>961
インドは1950年に憲法によって、カ−ストの差別は禁止している。
しかし、インドではヒンズ−教徒が人口の81.4%(8億人)占めている。
現在のヒンズ−教(=バラモン教)も教理は昔と同じであり、いくら憲法で禁止されていても
信者の“信心の程度”によってカ−スト制度が残ることになる。 >>962
現実に残っていることに変わりはないよ。 梵我一如が仏教で否定されたと言うのは誤解で、アートマンのそもそもの原理は認識するという事態でしかない
このヴェーダの究極原理において、私という主体はどこにも存在しないと言う論理が成立する 「私が進んできた道は次のようなものである。観念論は人間をユニークなものとして
世界から分離する、唯我論は私だけを分離する。そして最後に、私が見てとるには、
私もまた残余の世界に属するのである。従って一方には何も残存しなく、他方には
世界がユニークなものとして残存する。このようにして観念論は厳格に考え抜かれると
実在論に至るのである。[((論考)5.64を参照]」
1916年10月15日
「草稿」邦訳『ウィトゲンシュタイン全集第一巻』277頁 マルクス・ガブリエルの「新実在論」って、
ポストモダンの構築主義の乗り越えを狙ってるけど、
どうなんだろう? 彼を筆頭に、ポストモダンをさらに過去のものにする
ポストモダン以降の思想潮流が出てきているな
まあそれも主張が乱立していて、衰退も指摘されているが 言葉による命題には“二つの捉え方”がある。ヴトゲンシュタインの言語は命題に対して“形式論理思考化”できるものを
対象としている。 つまり、命題に対して、“前提化”できることを絶対条件としている。そのためにカントの提起した“物自体”という
命題に対しては、「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」という捉え方をしたのである。 ボルツァーノ『知識学(Wissenschaftslehre,英訳:Theory of Science)』1837:メモ
「我々が存在するということから我々が表象を有することを知るのではなくて、逆に我々
が表象を有することによって始めて我々もまた存在することを知るのである」
ボルツァーノ(Bernard Placidus Johann Nepomuk Bolzano,1781-1848、『知識学』
§42、未邦訳より。創文社、藤田伊吉著『ボルツァーノの哲学』57頁より孫引き。)
Theory of Science: Attempt at a Detailed and in the Main Novel Exposition of Logic
with Constant Attention to Earlier Authors 著者: Bernard Bolzano
…諸学の基礎を「命題自体 Satz an sich」、「真理自体 Wahrheit an sich」、「表象自体
Vorstellung an sich」と三つの概念をもとに、客観主義的な論理学的な立場から打ちたてよ
うと試みる。
メモ:
真理自体
_____/|\_____
| 命題自体 |
| | |
| 表象自体_|_対象 |
|_____________|
表象自体と対象との一致を言表する命題自体が真理自体なのである。
「真理自体は少なくとも一つは存在する」 (藤田前掲書、53頁、『知識学』#31)
以下、代表的なヘーゲル批判を孫引きする(山下正男『論理学史』p225より)。
「(ボルツァーノは) 例えばヘーゲルの好む表現 "運動とは質点Mが同じ瞬間に同じ場所 m に
あり , そして , ないことである" (大論理学邦訳岩波中p79より)を論理学の自殺だときめつ
け, 運動はそうした 矛盾律を犯さなくてもつぎのように正しく把握できると主張した. " 質
点Mが一定の時間 T に運動するとは , M が同一の場所に静止するような T の部分 t は一つ
も存在しないということである " . 」
(参照されたのは『知識学』未邦訳、§22。)
(みすず書房 『無限の逆説 Pradoxien des Unendlichen』以外の邦訳はない。 ) 以下、山下正男『思想の中の数学的構造』(ちくま学芸文庫)374-6頁より
…集合論は確かにカントールの創始したものではあるが、それよりまえに集合の概念を論理的
にはっきり把握したのがボルツァーノである.ボルツァーノはヘーゲルより10歳ばかり年少のチェコスロバキアの
哲学者兼数学者兼論理学者であった.彼は数学、論理学にもよく精通していた関係上,ヘーゲルの弁証法をこっぴどく
批判した.さてボルツァーノの主著は1837年に出た4巻本の『知識学』である.この本は実質的には論理学,しか
もきわめて優れた形式論理学の書物だということができる.ところでこの書物の81節で集合(Menge)の概念が定義
されている.すなわち彼は「集合とは,要素間の結合の仕方が確定されていないような諸要素の集まりである」と規
定する.そしてその例として貨幣の堆積を挙げ,そうした場合,一枚一枚の貨幣がどんな順序で並べられているかと
いったことはどうでもいいものとして度外視されると述べている.そしてその後でボルツァーノはさらに人間社会の
喩えをもちだす.すなわち集合とは人間社会でいえばその成員である個々人がどう並んでいてもよいような社会,つ
まり各人の間にいかなる階級的上下関係をも認めない社会のようなものだと主張しているのである.こうしてボルツ
ァーノの集合概念は人間社会になぞらえられたもの,つまり擬社会観的なものであるということができよう.ところ
でボルツァーノは哲学者として,『最良の国家について』という国家論の書物をもあらわした.彼はそこでヘーゲルな
どとは違って,民主主義的社会主義の立場に立ち,人間は性,年齢,気質,体質などで区別はつけられるが,財産と出生
によって差別されるべきではないと主張した.またボルツァーノはカトリック教徒として,その著『宗教学教本』で,
「全人類はアダムとイブの子孫であるかぎり,本質的には平等である」と述べている.こうしてボルツァーノの集合の
定義つまり「相互にいかなる順位ももたないメンバーの集まり」は彼の社会学説,神学説,倫理学説における人間平等
の思想にはっきり対応しているのである. 国家は現代では戦争に負けたかもわからん。アダム イブ系にも養子や継母 乳母がいるだろう。 >>972
「物自体」はイデアのような存在するかどうか分からない概念ではないから少々勝手が異なるだろう
人間の感覚器官を通した認識が全てで、それを超越する領域には未知のものは存在しないという論理は
受け入れ難い。物自体が何かを具体的に言い表すことはできないにせよ、少なくともどのようなものか
知り得ないが確実に存在はしていると言う前提にはなる。 ブラフマンー祭祀ーアートマン バラモン
無ーーーーー空・悟りーーー色 仏教
イデアーーー人間ーーーイドラ プラトン
神ーーーーーキリストーー人間 キリスト教
実体ーーーー属性ーーーー様態 スピノザ
モナド−ーー個体化ーーー世界 ライプニッツ
物自体ーーー範疇ーーーー現象 カント
意志ーーーーイデアーーー表象 ショーペンハウアー 986 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2018/02/12(月) 13:29:26.13 0
>>976
漢文の思考というのは、表意文字のようなチマチマしたものではなく、
もっと演算子的なものだと思う。
華厳の四法界などは良い例。
「事・理・無・礙・法・界」6文字の組み合わせだけで、
存在論、言語哲学、同一性と差異、宇宙論から核融合までを合わせた様な世界を描いている。
そのスケールの大きさと繊細さは、ドゥルーズ/デリダの比ではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%84%E8%A6%B3
四法界とは現象世界に対する四つのものの見方である。
1.事法界(じほっかい)
我々凡人の普通の物の見方である。
2.理法界(りほっかい)
すべての物に実体はなく、空であるという見方。
3.理事無礙法界(りじむげほっかい)
実体がなく空であるという理と具体的なものごとが妨げあわずに共存しているという見方。
4.事事無礙法界(じじむげほっかい)
一切の物が空であるという理が姿を消し、一切の物事が妨げあわずに共存するという見方。 >>980
大正蔵 第45巻p684b26
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1884_,45,0684b26
T1884_.45.0684b26: 一事法界。界是分義。一一差別。有分齊
T1884_.45.0684b27: 故。二理法界。界是性義。無盡事法。同一性
T1884_.45.0684b28: 故。三理事無礙法界具性分義。性分無礙故。
T1884_.45.0684b29: 四事事無礙法界。一切分齊事法。一一如性
T1884_.45.0684c01: 融通。重重無盡故
以下はもう少し膨らませた説明。
国訳大蔵経. 経部 第5巻「華厳経解題」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207247
p48-52 何で学校秀才の資質ががあるやつがポストモダニズムのやりだしっぺになれるんだろうか?
その発想を得るに不可欠のはずのトラウマを持てるはずもないくせに
自分が相対的優位にあるだけで絶対に優位にあると思い込むからだろう
これじゃいつまで経っても真打がでられない
真の馬鹿である絶対的馬鹿どもが! 自分が相対的優位にあるだけで絶対に優位にあると思い込むからだろう →自分が相対的優位にあるだけで絶対に優位にあると思い込むからだろう モダニストらしく ゚ | ・ | .+o _ o。 | *。 |
*o ゚ |+ | ・゚ξミミミミミミミミミミミミミ+・ o |*
o○+ | |iξξミミミミミミミミミミミミミ ゚| o ○。
・+ ・ lミミξミミミミミミミミミミミミミミ・|*゚ + |
゚ |i | + ミ-=☆=- i、 -=☆=- |! | げろげろっぷり
o。! |! ゚o ミミlミ / ー-' ヽ l;;;|ミ * ゚ | ヘッヘッヘラっプリろww ッ
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/ | 日本を救うおっプリろww !
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| r ` (;;;U;;) )__)
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( _) 「俺は学校では秀才だけど、もしかしたらそんな優位性なんて
学校の外に出たら全く意味をなさないのでは……?」
そういう疑問がルーツじゃないの?少し考えれば分かるでしょ。 ゚ | ・ | .+o _ o。 | *。 |
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( _) だから「資質」って
頭は人よりいいのにって結局安心してしまう どんな社会かによって「優れた資質」は全然違ってくる 【眞子さま結婚詐欺】天皇家に潜り込もうとした小室は、借金と在日がばれて婚約予定破棄と香港紙報道
民団など在日韓国人同胞の戦略として長年かけて眞子様に近付いた小室と早く結婚させるため、報道協定を破ったNHKのリーク報道で拙速な婚約発表となった。しかし、母親の強欲さや借金生活、卑しい血筋の在日がばれ婚約破棄になりそうだ。
マスゴミは天皇家に在日韓国人を潜り込ませたかったのだろう。
国民から小室の雰囲気が怪しいとの意見があったが正解だったようだ。
小室圭さんの母親の借金と宗教問題(大山ねずの命神示教会というカルト宗教)、さらに元夫の自殺が女性週刊誌と週刊文春に報じられ、嫁ぎ先として大丈夫ですかと批判が殺到していました。
香港英字紙は日本メディアなら朝日やTBSなどからヘイトスピーチだと批判報道されて言論弾圧される在日韓国人ルーツ家系を報道している。 相対的知性の優位性ということは頭がいいという取り柄があるということに他ならない。
しかしそのような者は優越願望はいざ知らず、少なくとも対等願望は満たされてしまう。
これでは上記のトラウマはやはり持てないのでは?
おれなんか頭がよかったらかえって勉強などせずに実業高校卒で十分だったのにな。 とにかく取り柄が何もない者、心底近代社会で絶望しきらないとだめというか。 差異と反復を超要約する、
物事を表象する・・・それを最大限に表象し、最大限に組織化する・・ヘーゲル。(矛盾)
物事を表象する・・・それを最大限に、微細に捕らえる、そして、複数の中心に集める・・ライプニッツ。(共可能性、不可能性)
どれもこれも、差異の運動、程度、残余、を何とか、原理に服従させようと、組織化しようとする。
運動を「運動」という言葉で終わらせるように、
そしてまた、言葉・・自身・・運動そのものである。
要するに、「終わらせたい」のである。前提がある、充足理由律である。類似、類比、対立(二分法)、そして同一性
これらを根拠にして、。差異を自由にさせず、囲い、奴隷にし、法に従わせたい・・のである。こういうことには何の役にも立たない。
それが、この書「差異と反復」であり、人間の「真の開始」だろう。 仏教の「空即是色」の意味は、ニーチェ読者ならすぐわかる。
嘘、虚構、すべての作り事、こそ、真実であり、価値があるということである。
宗教は嘘、信仰も嘘、「神社」「仏」も嘘である、そしてニーチェが言い放ったのは、「美的基準」しかない。・・
そして、美しい宗教、美しい仏、美しい話、すべては、美的基準に戻される。それぞれの差異に返される。
その「名」が「美」かどうかはどうでもいい。これが「存在の一義性」、スピノザが言ったこと。
「空即是色」は、虚構は色がある限り(差異がある限り)、そのままであるということ。 「頭がいい」とは、誰か?「何か」ではない。頭の良さの基準を作っている「権力」があるということ。
芥川賞は、審査員の価値に元ずいている。すべての〜賞は審査員の権力の保持のためである。
賞は、賞をとったもののの価値ではなく、審査員の価値の保持のためである。
オリンピックは、オリンピック選手のためでなく、「審査員」「会長」のために存在する。
いつも、「誰か?」と問うことを教えてくれたのは、ニーチェであった。だからニーチェそのもの
を神にすることほど、ニーチェの願いに反することはない。故にニーチェが「こぞって皆が私を否定するとき、私は帰ってくるだろう」
と言ったのである。 だから、スノボー選手が、審査員など無視して、「ふん!」というとき、彼らは、彼らどうしで比べている、
審査員なぞくそくらえ!と言ってるのである。卓越した、技、かっこよさ、勇気、いろんなものがある、それは
審査員なぞにゆだねられない、一応従っておくか?という感じなのである。彼らに「ノーマルもアウト」もない。
無粋なことを付け加えれば、彼らの言葉かどうか知らないが「かっこいい、クール、なやつ」が一番なのである。 仏教は、「あきらめ」をとく、ほぼ正しい、欲望を暴走させるのが西洋人的で、正しい。
村社会もエゴイズムも、どっちでもいいのである・・。ニーチェの道徳の系譜の
第2論文は、有名だけども、第3論文の方が価値がある。これは、ざっくり言ってしまえば、
東洋人の方が優れているということである。禁欲、抑制は、実は「禁欲」ではなく
「様々な」他の方向へ行く「印」であり、差異の発散の肯定に他ならない。
寿司職人、宮大工、マンホールデザイン、ガラス細工職人、・・差異の発散・・。
まあうさんくさいのもいる、ドッグトレーナーとか、ビューティーなんたらとか、それは排除されるだろうよ。 >993 その発想を得るに不可欠のはずのトラウマを持てるはずもないくせに」
分かるぜよ。
思考はどうも、不意打ち(暴力)と関係している、我々はめったに考えない・・
考えさせられるときしか考えない・・誰かも言っていた、これは経験的に真実である。
・思考するものは大概、強烈なショックからである。怪我は嫌だが、怪我しないと考えない
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