★ なぜ、【一神教】はかくも駄目なのか? ★ [無断転載禁止]©2ch.net
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宗教(特に啓示宗教はたちが悪い)は有害なものという認識を世界が持つべきなのだ
ソクラテスの理性主義による普遍的で客観的な知識の対象が実在すると主張する
イデア論を義務教育で世界が徹底して教えるべきなのだ。
哲学上の使命は、倫理的価値判断の基準となる普遍的で客観的な知の対象が、
時空を超えてどこかに存在することを立証することである。
もはや人類は宗教を必要悪として、その存在を黙認するべきではないのだ。 何を以て有害と言う確信を得ているのか理解できないね
世界を正確な物差しに基づいて観測してみろよ
理性的人間のほうが確実に環境破壊や果てしない軍拡競争で世界を破滅に向かわせている訳だが 一人と一人で関わることか。多数と多数で関わることかなら、ミックスさせれば
女性の悩みも減るだろうに。 ニューバビロニアも責任の一端はあると思う。
いやがるユダ国を無理やり50年も捕囚してたんだから
そりゃあることないこと旧約聖書にしたためられてもしょうがない。 / ̄ ̄ ̄ ̄\
/ sh ヽ
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(ヽ●)ヽ /(●ノ)
| | | フフ―フフ―
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人(__人__) 人
从\ヽ二二ノ/从
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| ヽ  ̄ ̄ ノ || 啓示宗教に限らず宗教を信仰する人間のことが理解できんわ。
人を殺したら地獄行きと言われても、なら人間を殺した狼や虎は地獄行きなのか?
神とやらが肉食動物として彼等を作ったなら不当だろう。動物は食べる為だから別なのか
なら人間も人肉を食べればいいのか?そちらのほうが嫌悪感が倍加するんじゃないか
人を殺しても地獄なんか行かない。自然の営みの一部に過ぎない。なら人を殺してもいいのか、
むろんいけない。人間は社会的動物であり、そのような行為を許容できない。
悪人だから彼等は地獄行きだと自らを慰めるのは怠慢に他ならない。人間が裁くべきなのだ。
人間と動物の違いは何か?高度な知性と理性にある。宗教を信じるということは
知的活動と理性を放棄することなのだ。信仰を持つ者はもはや人間とは言えないだろう。 人殺しは地獄行きと諭されて罪を踏みとどまる人間が大勢いた歴史があるなら有益じゃねーか
信仰を持たないだけで知性が備わることもないし、そうやって今の頭でしかモノを考えられないやつのほうが
知性を放棄した愚かな人間 この人が言ってるソクラテスって、本を書かなかったソクラテスではなく、
プラトンの中のソクラテスだよな
したがって、すでにキリスト教化、一神教化されたソクラテス主義=知性主義だ
世界の全ては理性によって解き明かされるという信念は、
世界を数学的・物理学的な宇宙へ還元する科学信仰と同様に、すでに一種の信仰である
こうした信仰世界においては、芸術や、宗教といった人間的世界の価値の重みを測ることはできないだろう いくら世の理が数式で解明できても人間精神がデジタル化する訳じゃないからな
なぜ我々はゴリラに恋することができないのか?そんな単純なことすら人間の自由にはならないんじゃぁね
どんなに時代が進んでもそうした原始的な感覚で生きてる以上、理性に軍配があがることはないだろう 「一神教とは人間の理性と知性を侮辱する為の信仰のことだ。」by俺 じゃんと言われても実際にマルクスと唯物論はセットで扱われてきたんだからしょうがない ttps://twitter.com/hongokucho/status/1089505061674278912
本石町日記? @hongokucho 5:04 - 2019年1月27日
本石町日記さんが閑居をリツイートしました
いろいろと面白いインタビュー。
「―『ニューアカ』をどのようにご覧になっていましたか。
西尾 嫌悪感でしか見ていませんでしたね。あれは偽物です、完璧な」
朝生は初期の数年は見ていたが、当時の西尾さんの印象は確かに直球で何を訴えていた、という感はあった。
まあ、大島、野坂の両氏の存在感が大き過ぎたので、影は薄かったという面も。
一番印象に残る朝生は、坂井三郎氏が登場した回。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ttp://bunshun.jp/articles/-/10474
論壇の長老・西尾幹二が明かす“つくる会騒動”「朝生で助けてくれた西部邁と決別した理由」
“最後の思想家”西尾幹二83歳インタビュー #2
2019/01/26
「ニューアカ」あれは偽物です、完璧な
80年代に浅田彰、中沢新一らが牽引した「ニューアカ」ブームがありました
ああ、ありましたね。
フーコー、ドゥルーズ、デリダといった
フランス現代思想の最先端を日本の若手研究者らがキャッチアップして展開した
「知のトレンド」とも言うべきものでした。その起源には大きくニーチェの思想もあるかと思いますが、
西尾さんは「ニューアカ」をどのようにご覧になっていましたか。
嫌悪感でしか見ていませんでしたね。あれは偽物です、完璧な。
私はああいう偽物が一番嫌いなんですよ。
ニーチェを理解していないとか、そういう話以前の問題です。
つまりあのブームはただ進歩的なことを言うだけのものでした。
「根っこ」がないことですね。根っこがないから流行って廃れる。 本石町日記のような方が西尾幹二氏を引用するのは不思議じゃないですが、
何で『ニューアカ』の部分を引用したんでしょうね? やっぱり心の中で引っかかっていたんでしょうか?w 日本人自身が美化している戦国武将だとか、武士だとか、
武士による明治維新だとか、明治の近代化だとか、それが本当は何だったのか。
その自己欺瞞を叩き壊し、内省して、『本当はこうだった!』と言えなければ、出口は無い。
今の日本は日本自身が進めてきた
(精神性を伴わない、――先進的な外国をもたぶらかし、利用する、
(極めて暗黒的な)権力者が自己権力の追求、その道具として使用してきた
――只の産業化・工業化=日本的な)『近代化』によって“中毒を”起こしている。
勇気を以って自分たちの歴史や社会の在り方と対決出来る人間
(ナチスに自民族を大虐殺されたフロイトも、『モーセと一神教』
――ユダヤ教とはそもそも何なのか、ユダヤ人とは何なのか、
(ユダヤ教とはそもそもがエジプトの宗教で、ユダヤ人とはエジプトの奴隷であった。
が、モーセというエジプトの高貴な神官(の目を見張る行動力に)よってユダヤ民族自体が救助された)
そのユダヤ人にとっての不都合――を書くことでそれを行った。 その不都合を隠蔽し、『神に選ばれた人種』などと奢っていたから他民族から嫌われて、
大虐殺にまで至っている。また、他民族も一神教を曲解し、本当の価値を理解していない。
理解しないでユダヤを叩いている。だが、一神教は人類社会に不可欠の考え方だ。
ということをフロイトは訴えた。ユダヤ人とその思想が、その他人種と真に和解するために)、
そのような人間が出てこないと変われない。
自分たちの歴史と対決し、異質なものでも取り入れたからエジプトに傭兵に行っていた
(頭の軽い、腕っぷしが強いだけの若造の国だった)古代ギリシャは世界一の文明国になった。
今に至る文明の、範型になった。蛮族だったゲルマン人はキリスト教を取り入れて、
それを批判し、ギリシャ哲学に回帰して文明国になった。
日本文化は途中で止まってそこまで達していないのだ。
ttps://www.youtube.com/watch?v=4AqQYfOw-HI
片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる F・カプラ「タオ自然学」1979年
物理学の影響はいまや社会全般におよんでいる。
物理学は自然科学(ナチュラル・サイエンス)の基盤となり、
自然科学と技術科学(テクニカル・サイエンス)が結びつくことによって…
われわれの生活はすっかり変わってしまった。
ほとんどの産業が原子物理学の成果をとり入れ、核兵器への応用は、世界政治にも影響を与えている。
さらに、その影響は科学技術にとどまらず、
思想、文化の領域にもおよび、宇宙やそのなかの人間との関係は、
以前とはまったく違った方法でとらえられている。
二十世紀の原子と素粒子の世界の研究によって、古典的な考え方の限界が明らかになり、
数多くの基本概念の根本的修正が必要になってきた。
たとえば、原子物理学の物質概念は、古典物理学の伝統的な物質感とはまったく異なるもので、
空間、時間あるいは因果律といった概念も同じように変わってきている。
このように、周囲の世界をとらえるうえで欠かせない概念がいまや根底から変わってしまったために、
世界観にも変化が生じてきた。 過去数十年にわたり、物理学者と哲学者は現代物理学がひき起こした変化を論じてきたが、
その変化の方向性がすべて同一で、
東洋神秘思想の世界観とひじょうに類似していることはまったくといっていいほど認識されていない。
現代物理学の概念は、東洋の宗教、哲学思想と驚くほど類似している。
この類似が論議の対象となることはまれであったが、講演のためにインドや中国や日本を訪れ、
東洋の文化に接した今世紀の偉大な物理学者たちは、その類似に気づいていた…
本書の目的は、現代物理学の概念と、東洋の哲学や宗教の基本思想との関係を明らかにすることにある。
二十世紀の物理学の基盤である量子論と相対性理論によって、
物理学者はヒンドゥー教徒や仏教徒やタオイストと同じ世界観をもつようになった。
また、すべての物質を構成する粒子の特性と相互作用といった、極微の世界での現象を記述するために、
ふたつの理論を結合させようとする最近の試みに注目すれば、
世界観の類似性はいっそう鮮やかに浮かびあがってくる。 そこでは、現代物理学と東洋の神秘思想は驚くほど似ており、
物理学者と東洋の神秘思想家のどちらが言ったことなのか区別できない発言によくお目にかかる。
わたしのいう『東洋の神秘思想』とは、ヒンドゥー教、仏教、タオイズムの宗教思想をさしている。
その中には、たがいに微妙に関連しあったさまざまな修行や哲学体系が無数に含まれているが、
世界観の根底には共通した性格がある…したがって、現代物理学の世界観は、
あらゆる時代の神秘思想家の世界観とひじょうに似てきていると言うこともできる。 現代科学の誕生と前後して、精神と物質の二元論をさらに強化する哲学が発展した。
その傾向は十七世紀のルネ・デカルトの哲学にあらわれている。
デカルトは心(res cogitans)と物質(res extensa)という分離、
独立したふたつの領域への分割にもとづく自然観をうちたてた。
「デカルト哲学的」分割によって、科学者は物質を自身とはまったく分離した無機質として扱い、
物質界を数多くの異なる物体が集まってできた巨大な機械とみるようになった。
そのような機械論的世界観をもっていたアイザック・ニュートンは、
その世界観にもとづいてかれの力学をうちたて、古典物理学の基礎を築いた。
十七世紀後半から十九世紀末までは、機械論的なニュートンのモデルが科学思想全体を支配していた。
またその時代には、神は神聖な法を課すことによって世界を統治する君主的なイメージでとらえられていた。
科学者の探究する自然の根本的法則は、世界を支配する永遠不変の神の法と考えられていたのである。
デカルトの哲学は古典物理学の発展に寄与したばかりでなく、
今日にいたる西洋の考え方全般にはかりしれない影響を与えてきた。 ”Cogito ergo sum”(われ惟うゆえにわれ在り)というデカルトの有名な言葉に端を発して、
西洋人は有機体としての自身全体では無く、心を自己ととらえるようになった。
現在、大多数の人が、自分自身を外界から独立した身体の「内側」にある自我として自覚しているのは、
デカルト哲学の二元論のもたらした結果である。
身体から分離された心は、身体をコントロールするという不毛な仕事を与えられ、
意志と本能の対立が生れた。
さらに、個人はその行動、才能、感性、信仰などにもとづいて、分離、独立した数多くの部分に分割され、
それらの対立がはてしない形而上学的な混乱と不満の原因となっている。
この人間内部の分割は、
「外の」世界が無数の分離した事象から構成されているとする見方を反映したものである。
自然は、あたかも異なる利害関係にある集団の便宜をはかるため、
分離した部分からなっているかのように思われている。 この見方は、社会へも拡大して適用され、社会は異なる国家、人種、宗教、政治集団に分割される。
個々の部分がすべて分離、独立しているという観念こそが、
現代における社会、文化、生態系の一連の危機をもたらした根本的原因なのである。
われわれは自然からも、仲間たるべき人間からも疎外されている。
資源の不公平な分配、経済や政治秩序の混乱、暴力の続発、みにくく汚染された自然、
こういった環境の中で、心身の健康はそれこそ大幅にそこなわれてしまった。
デカルト哲学の分割と機械論的な世界観は古典物理学と科学技術の発展という効用をもたらしたが、
同時に文明をそこない多大な損失をももたらしたのである。
二十世紀の科学は、デカルト哲学の二元論と機械論的な世界観を源とし、
その世界観に支えられてはじめてここまで発達することができた。
ところが、科学はその分裂を克服し、初期ギリシアや東洋思想にみられた合一の思想へと立ち戻りつつある。
いまや、われわれは、あらたな局面を迎えていると言えよう。 ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1453477774/633-642
>このバラバラにするっていう考え方は、本来成り立たないんだけど、
>でもバラバラにするっていうことが、この近代の考え方なので、その専門分野に分かれている訳です
>私はだからこれがその様々な問題の根源なんだっていうふうに考えるようになって、
>だからその、統合しないといけない、と思った
>学問分野の分裂っていうのを、こう阻止しようっていうふうに考えたんです
>それだけでは足りなくて、芸術とか宗教とか 親鸞の研究とか、したんです
>老子とか、親鸞とかを研究したのはまあそういうつもりだった
>で、或るとき気づいたのは、結局、そのー物事っていうのは、その、
>ビットゲンシュタインっていう哲学者の考え方ですけど、語り得ないものによって支えられているんだと。
>何か、その語り得ない何か神秘的なものによって、語りは支えられているっていう。
>これを認めようじゃないかっていうのがビットゲンシュタインの考えで、
>でラッセルっていうさっきに哲学者はビットゲンシュタインの先生なんですけど、
>いやそれは認められんって二人は論争したんです
>私はまあその、ビットゲンシュタイン主義者で、認めないとしょうがないよねって。
>結局その、伝えるっていうことを正確に伝えようとどんだけ頑張っても、絶対無理なんです
>伝わると信じるしかなくって、信じるって何なのって何の根拠も無くって
>神秘みたいなものを語り得ぬものを受け入れるっていうことなんです .
安冨歩氏の主張は、F・カプラ「タオ自然学」の主張と良く似ている。 >二十世紀の原子と素粒子の世界の研究によって、古典的な考え方の限界が明らかになり、
>数多くの基本概念の根本的修正が必要になってきた
>過去数十年にわたり、物理学者と哲学者は現代物理学がひき起こした変化を論じてきたが、
>その変化の方向性がすべて同一で、東洋神秘思想の世界観とひじょうに類似している
>本書の目的は、現代物理学の概念と、東洋の哲学や宗教の基本思想との関係を明らかにすることにある
>現代物理学と東洋の神秘思想は驚くほど似ており 世界観の類似性はいっそう鮮やかに浮かびあがってくる
>わたしのいう『東洋の神秘思想』とは、ヒンドゥー教、仏教、タオイズムの宗教思想をさしている
>現代物理学の世界観は、あらゆる時代の神秘思想家の世界観とひじょうに似てきている >現在、大多数の人が、自分自身を外界から独立した身体の
>「内側」にある自我として自覚しているのは、デカルト哲学の二元論のもたらした結果である。
>身体から分離された心は、
>身体をコントロールするという不毛な仕事を与えられ、意志と本能の対立が生れた。
>さらに、個人はその行動、才能、感性、信仰などにもとづいて、分離、独立した数多くの部分に分割され、
>それらの対立がはてしない形而上学的な混乱と不満の原因となっている。 >この人間内部の分割は、
>「外の」世界が無数の分離した事象から構成されているとする見方を反映したものである。
>個々の部分がすべて分離、独立しているという観念こそが、
>現代における社会、文化、生態系の一連の危機をもたらした根本的原因なのである。
>われわれは自然からも、仲間たるべき人間からも疎外されている。
>デカルト哲学の分割と機械論的な世界観は古典物理学と科学技術の発展という効用をもたらしたが、
>同時に文明をそこない多大な損失をももたらした
>二十世紀の科学は、デカルト哲学の二元論と機械論的な世界観を源とし、
>その世界観に支えられてはじめてここまで発達することができた。
>ところが、科学はその分裂を克服し、初期ギリシアや東洋思想にみられた合一の思想へと立ち戻りつつある それにしても『タオ自然学』のデカルト批判は果たして正しい論旨と言えるのか?
デカルトの「分割」にしても、「心身二元論」にしても、
その本当の意味が、彼らの説明しているような意味なのだろうか?
デカルトが言う《分析》の内容とは、安富氏が言うような『バラバラにする』という意味なのだろうか?
本来のデカルトの「心身二元論」が、F・カプラ氏が主張する、
《自分の心が自分や他人の身体をツールと見なし》て“搾取する”ことを目的とする話なのだろうか?
多分、とんでもない読み違いだろう。
何で人間社会が原人の呪術祈祷(=独裁者・専制政治)の世界から、
啓蒙思想(=立憲主義・議会制民主主義)の世界に脱することが出来たのか?
モーセの一神教や、プラトン哲学、デカルト哲学の概念が無かったら、脱することは無かっただろう。
それが解ったらデカルトを安易に批判できないはずだ。 ttps://www.youtube.com/watch?v=0R50h2ivBEM&feature=youtu.be&t=175
2017/10/19辻堂駅南口18時〜安冨歩東大教授による立憲民主党あべともこ応援で自論展開
日本は1990年代に発生したバブル以降、非常な困難にずっと陥っています。
その理由は非常に単純なことから始まっていて、
金融危機っていうものが90年代に起きてしまったんですけれども、
それは日本円が物凄く強くなっていったときに、それは必然的に強くなっていったのに、
政策的にそれを何とかしようとする自民党の愚かな政策のために、資金が膨張してしまい、
それを日本の金融機関が土地に投入するっていうことをしたからです。
ここから日本の大きな困難が始まってしまいました。
そこから、失われた十年、失われた二十年、失われた三十年、
どんどん時間が失われていってしまっています。
そのため日本はどんどんずるずると後ろに後退していっているような、
そういう感じがしている人が沢山いると思うんですけれども、
安倍さんの『ジャパン・イズ・バック!!』という言葉は
その感覚を非常に正しく表現していた、というふうに思います。 その間に日本は余りにも混乱しているので、民主党政権に一度、日本人は託したんですけれども、
その政権は大変な混乱のうちに終結してしまいました。理由は簡単です。
官僚組織がその政策の変更を受け入れなかったからですね。
日本国は、戦前の日本は、官僚と海軍と陸軍と元老と財閥という、
ほぼ五つの勢力によって支配されていたんですが、戦後の日本は陸軍も海軍も財閥も宮廷も、
解体して、官僚だけが支配する一極集中国家になってしまいました。
自由民主党は本来は議会の勢力として官僚と対立する側面を持っていたんですけれども、
あまりにも長い間政権に居たために、官僚システムと一体化してしまったんですね。
しかもそれが、1960年代から70年代にかけて出現した政治家たちの二世三世という、
“家業として”政治が使われてい行くという構造を生み出してしまったことによって、
官僚システムとの“癒着が家業”になってしまった。
そういう中枢部分が、このような形で形成されてしまっていることが、
日本国が上手く動かなくなっている大きな理由だと私は思っています。
ですから、民主党に一度政権が託されたときに、
当然ですけれども、国家の中枢的な官僚システムはそれに抵抗したので動かなかったわけですね。
当然動かなかったものを、『動かないから』といって引きずり降ろしてしまったので、
今の安倍政権が成立したわけです。 安倍政権はもはや機能しなくなっている日本国のシステムを無理やり金融的な緩和、
日本銀行は安倍政権ができたときには150兆円の規模しかなかったんですが、
今は500兆円に迫っています。
つまりGDPと同じぐらいの規模の日本銀行を作っちゃったんですね。
それがいわゆるアベノミクスというものの最も重要な特徴です。
それからもう一つ、安倍政権は株価を高めたんですけれども、
どうやって高めたかっていうと、公的基金、
皆さんが年金のために貯めているお金を次々に株式市場に投入することによって値上げしていきました。
やがてこの資金は尽きます。尽いた瞬間に株式操作は止まってしまうんですね。
おそらくこの二つ以外のことは、安倍政権の経済政策としては殆ど機能していない。
そうすると日本銀行は150年かかって150兆円になったものを、
たった三年、五年で三倍にも四倍にもしてしまうというような政策を、行い且つ、
皆さんが老後のために貯めた資金を次々に株式市場に投入して行くという“一回切り”の政策、
この二つの政策によって、あたかも経済が上手く回っているかのように見せかけてきた。
そういう五年間だったと思います。 その結果、大企業、それからお金持ちには、
つまり株式を元々持っていた人の株価の価値は何倍にも膨らみ、
そして財政からの支出にありつくことのできる企業は物凄く潤っていて、内部留保が巨大化しています。
だけど、それに全く係わることのない、
ここを歩いておられる皆さんは基本的に全然関係ない人たちなんですけれども、
その財布からはお金が抜き取られているんですね。
そういう政策が継承されているんだけれども、
あたかも景気が良くなっているかのように見せかけることによって、
経済政策が成功しているかのように思っている。これが安倍政権を支えているんだと私は思いますが、
安倍政権が目指していることは、経済の回復ではないんですね。
そもそも、そのつもりは最初からありません。 経済を回復させようと思ったらそれは“非常に”難しいわけです。
何故かと言うと、日本経済が上手く行かなかった理由は、
官僚システムとそれと癒着した政治システムが、全ての経済活動とか、
色んな意思決定をコントロールしてしまっていて、
必要な所に必要な『お金が流れない』っていうのが、日本経済が停滞している原因ですから、
もしも自民党政権が真面目に経済政策をやろうとすると、
自分たちを解体しないといけなくなってしまうわけですね。
ですからそもそも出来るはずがないし、そんなことをするつもりは無いんです。
だから皆さまのポケットからお金を抜く以外のことをするつもりは最初から無くて、
だけど、どうしてそんなに経済が回っているかのように、見せかける必要があるのかというと、
それは皆さんのお金のポケットを盗みつつ、
しかも憲法を改正して日本を戦争が出来る国にしようという、その大きな目的があるからです。 これは安倍さんが目標にしていることではなくて、
安倍さんのお祖父さんの岸さんという方が総理大臣のときに、
やれなかった仕事をお祖父さんの代から引き継いで、
家業として、することによって目標にしているんですね。 つまり、安倍家という、岸家という、
家が負っている家訓みたいなものを日本国民に押し付けるのが彼の目的だと私は思います。
そのために日本銀行を三倍にするとかいうのはですね、
まあ正常な神経の人間では出来ないと私は思うんですが、
親子三代もやっていると、そういう神経は何処かに飛んで行きますので、
鍛え抜かれた政治家なので出来るわけですね。こういう人たちに政治が今、任されている。
自民党の中枢は政治家の殆どが“家業として”政治を行っている人たちです。
お父さん、お祖父さんの時代から、継いで来た様々な、利権だとかしがらみだとか、
それから支持者を引き継ぐことによって政治を行っている人たちであって、
自分の考えだとか、自分の力で政治をしている人ではないんですね。
そういう人たちが国家権力の中枢の中に“家業として”食い込んでいるっていう状態を維持する限り、
日本経済は間もなく壊滅します。 多神教の時代においてユダヤ教やキリスト教は他の宗教を認めない不寛容な宗教だった。
不寛容な者に対し寛容である必要はない。
ローマ帝国がユダヤ人やキリスト教徒を迫害したことは正しい判断だと思う。
と日本人が本音を言ったらどう反応するかな。 被造物の名の中で何らかの完全性を表示する名称についてまず定義せよ。 ttps://shinsho.kobunsha.com/n/nf7b63d934f28
「いじめの構造そのものを、ぶっ壊す可能性を提示しなければならない」
―――岩田健太郎 教授に聞く 光文社新書 2020/04/14 10:35
本にも書きましたが、ぼく自身、ずっといじめにあっていたというのが一つの理由です。
それから身近にも、いじめにあって苦しんでいる人がいました。
今回ぼくは、日本でいじめについて扱っている本は、ほぼ全部読みました。
それから外国の本も読んだのですが、どれもまあ、全然ピンとこなかった。
それで、やっぱり、自分で書くしかないなと思ったんです。
これも本にも書いたように、
日本は、基本的に社会の構造そのものが「いじめ社会」なので、たぶん、ほぼ全員が関係者なんです。
あらゆる社会構造に、いじめの構造が蔓延している
いじめは構造問題なのですが、その構造を、多くの場合は「仕方がない」と思っている
みんなが「こうしなきゃだめだろ」って言うノーム(norm)、
つまりまさに「規範」みたいなものですが、それがそもそもいじめの構造の正体そのものなんです。
その「常識だろ」って言っているものが、じつは「非常識」かもしれない、
っていうことに、気がつかない。
この日本特有の構造があるので、たぶん、同じ悲劇がずっと繰り返されると思うんです いじめで自殺する子が出る。ニュースで報じられる。また出ました、また出ました、また出ました……
そして今度は、学校がいじめを隠蔽していました、教育委員会も看過していました……
こんなことがずっと繰り返されている
もう、延々と続きますよ。いつまでたってもなくならない。
だってそれは、この「いじめの構造」を壊すっていう、前提をやろうとしていないからです。
いじめが構造化されていて、常識化されていて、
そしてその構造を受け入れないと排除するという、さらにまた二重のいじめが起きる。
だから、構造そのものをぶっ壊すっていう可能性を提示しないとならない 本を書くというのは、常に、可能性を提示する行為だと思います。
我々が常識だと思っていて、ここから一歩も動かなくていいって思っているのを、
動かすべきだって言うのが、たぶん、本だと思うんです
それが、ものを書く根拠になっています。
これは学術論文でも普通の本でも全部そうだと思うんですけど、
「世の中がこうなっていますよ」っていうところを揺さぶらないと、
たぶん、ものを書く根拠っていうのはない。 基本的に日本の医学界は、同調圧力はもうめちゃめちゃ強いです。いじめも多いです
アメリカでも、同調圧力はあります…ただ、アメリカの場合は、同調圧力に抗う力も結構大きい
イギリスなんかではさすがに、「みんなの意見を一致させなきゃだめだ」とか、
そういう前提はぜんぜんないです
異論、つまり、自分と意見が違うというのは、べつに否定の条件ではないので、
そこで人格否定などをされることはまったくない。
科学的であるっていうのは、首尾一貫していることではなくて、
間違っていることが分かったらそれを認める。
そしてちゃんと議論をして、反対意見も出て、
それについて、また反論するか同意するかして、で、やり方を変えるときは変える。 ところが日本の場合は、もう決めたことだから、とか、みんながやるって言ってるのに、
なんでおまえは文句言うんだみたいな感じで、一度決めたことは変更できない。
プランAばっかりで、プランBがない。
で、プランAがうまくいかなくても、そのまま突き進んでしまう。
これは、ノモンハンとか、インパール作戦とか、あのへんの失敗と同じパターンです。
プランが1つしかなくて、それがポシャっても、全滅するまで進みつづける。
まさに構造的な失敗のパターンです
間違いは早く見つけて方針転換するというイギリスのやり方は、正しいやり方です。
そもそも反対意見言ったぐらいで混乱する現場が悪いんですよ。
「その程度で混乱すんな」って言いたいですよね、プロなんだから。
みなで合意して進んでいるものに異議が出て、止められること、空気を乱されることに抵抗が強い。
これはいじめの構造の前提になっている同調圧力でもあるのですが、
これこそが、滅びのパターンです。 自民党の二階幹事長が、「消費税というものをつくった時にどれほどの苦労があったか」
「仮に下げた場合に、いつ元に戻すのか、責任は誰が負うのか」などと発言しました。
ぼくは経済学者じゃないんで…にわかに判断がつかないのですが、
ただ、「みんなで頑張ってつくったものだから変えられない」っていうその論理は、
極めて間違っているなと思いました。一番やばいパターンだと思います。
でもこれは日本では本当によく見られることです。
ぼくは島根県の人間なんで、中海・宍道湖の干拓・淡水化事業の記憶が焼き付いています。
あの干拓事業は、意味がないって分かっていたのに、二十何年間ずーっと計画が続いてました。
もうまさに、走り出すと引き返せない。
間違っていたら、撤回して、直すっていうことは、
いちばん初歩的な、小学生ぐらいで覚えるべきことです。それを大人ができない。
日本は本当に、大人が子供です。
それはやっぱり、ディベートとかディスカッションみたいな訓練を全然されていないからだと思います。
だから、ある意味では、日本人の大多数がコミュ障なのではないかと思います。 コミュニケーションというスキルがなくて、
単に、みんなに合わせることで、コミュニケーションをとったつもりになっている。
議論によって前に進むんじゃなくて、
声のでかい人の一喝とか、みんなの雰囲気とかで、ものが決まっていくんです。
だから、非理性的で、理不尽なものごとの決まり方になるんです。
何が正しいかっていうよりも、「みんながこれで乗っかれるか」とか、
「みんながそれで怒らないか」とか、そういうのを基準にものが決まる
日本の場合は、すぐに党派性を出して、まずは「どっち派だ」っていう派閥を決めて、
で、結局自分の議論に都合のいいデータをくっつけて、なんとなくそれっぽい主張にしてしまいます。
『朝まで生テレビ』っていうテレビ番組がありますね。あれがそうなんですけれど、
あの番組に出てくる人たちって、始まってから終わるまで、首尾一貫して、意見が変わらない
「番組が始まったときはこう思っていたけど、おまえの意見聞いて、やっぱ俺、意見変わったわ」
っていう人が一人も出ないっていうのは、何も進歩がないっていうことです。
自分が変わる覚悟がなければ、対話というのは成立していないんです
だけど、多くの日本人は、変わることはしないという前提で、演説を繰り返して、
それを議論だと勘違いしています。
それは主張の連打であって、議論ではない。
議論というのは、自分が変わるというのが前提ですから。 〇〇〇〇「〇〇〇〇〇〇・〇〇〇〇〇〇〇」199〇年
欧州で発展を見たプライベート・バンキングは革命、戦乱、動乱、圧政などの「激動のヨーロッパ」において、
その歴史の波に翻弄され続けた人々が生み出したひとつの智恵で…個人資産の総合運用管理であり、
その目的は資産の保全である。
この点における欧米系の…経営姿勢はその歴史的な重みに裏付けられ…明快である…
プライベート・バンクの使命を「資産の保全か増殖か」と問えば、
欧米系のほとんどが資産の保全と答えるのに対し…邦銀系はその両方と答える。
…米国には、「ひとつの籠の中にすべてのタマゴを入れてしまうと、
落っことした時にすべてがこわれてしまう」という諺がある。
1990年、日本経済のバブルが最高潮に達しつつあったその時期に、この諺を引用し…
プライベート・バンクとして名高い…社の在日代表であった…タルメージ氏は、
「日本の経済力はすごいが、いつ何が起きるかは分からない。土地も株も暴落するかもしれない。
その時のために、今から資産の2割…3割を海外に展開しては…」とアドバイスしている…
残念ながら、わが国の投資家にはこのような考え方…は極めて少ない。
否、ファンド・マネージャーですら…稀である。これは国民性であるかもしれない。 先の第2次世界大戦においても、また今回のバブル経済の形成過程においても、
自己にとって都合の良い要因だけを選択し、つまり希望的観測だけで情勢判断をする性癖は変わらない。
容易ならざる国民性なのである。
欧米ではごく当たり前の「もし甲がダメならば乙で対応する」というContingent Planという発想が少ない。
自己に都合の良いことがいつまでも続くと考えている。
…海外の投資家は単一思考に陥らず、複眼思考であり、分散投資の考え方が行き渡っている。
これは、民族として背負った歴史的な試練の違いがもたらしているのかもしれない。 皇国の興廃、此の一戦に在り
これは日露戦争において…東郷平八郎大将が連合艦隊…全員に発した有名な言葉である。
この…海戦は秋山真之という…名参謀と言われた人物の博打の勝利であったというのが専らの定説で…
問題はどうやらこの頃からこの刹那的な意思決定、やがては思想とまでに言えるほどに…
大正、昭和の時代を通じて日本人の思考パターンを形成し始め…
この思考パターンは太平洋戦争への突入と導き、
やがては戦後の高度経済成長を生み出す経営思想にまでなっていく…
つまり、制約された資源のもとで、これぞと思う一点にすべての資源を一直線に集中する
ということが習い性となり、…得意技にまでなって…
既存の路線をひたすらに突っ走る時には効率的であっても、
誰しもが経験しない事態に遭遇したときは、混乱状態を生じ、
そこではなかなか新たな自己革新につながる行動様式を見出すことはできなかった。
今日の日本経済の低迷、混乱の原因もそこにある。 このように、ある目的を達成するための手段として
考えられるいくつかの選択肢の中から最も良いものを評価し、選択するという考え方は
国民性として…馴染まない…そういう訓練を積んできてはいない。
いつでも誰か声が大きいか、勢いがあるか、…単純なことで重要事項が刹那的に決定され…
代替案という発想が少ない…
目的を達成するための方策にはあれこれいろいろあるということを考えない。
そして、いくつか考え出された方策の中から最も高く評価できるものを選択し、
実行してゆくという思考回路が欠落している。
しかも、最も良いと評価したものがいつも同じように期待した結果が出てくるとは限らない。
もし、期待した結果が出なかった時にどうするかの対応プランを用意しておくことは大切である。
これがContingent Plan,あるいは…Alternative Plan,代替案あるいは非相関投資と言われている
…欧米の投資の世界ではこのAlternative Plan、代替案という発想が根づいている。 Alternativeの反意語はAbsoluteである。
欧米ではAbsoluteという絶対的なものは神(Absolute Being)以外には存在しないと考えられている。
したがって、資産のポートフォリオを組むプロセスにおいて、
コアと言われるポートフォリオの中核となる資産のほかに、
到底コアにはなり得ないが、コアがコアでなくなった時に…行灯のように輝き出す
Alternativeというものを入れておくことが大切となってくる。
日本のファンドマネージャーにはこれが今日でもできていない。なぜか?
彼らは常にベストのシナリオを描きそれのみに邁進しているからである…
常に厳しい競争に曝され…後先を考えない短期決戦型となり、
思い描くベスト・シナリオ以外は目に入ってこなくなる…
そして…意思決定のプロセスは、
「皇国の興廃、此の一戦に在り」で、岸壁につま先立った刹那的な運用姿勢なのである。 週刊文春 2020年3月26日号
大阪日日新聞記者 相澤冬樹「森友自殺財務省職員遺書全文公開」
森友問題
佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNOを誰もいわない
これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。
なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 終止府(ママ)
ノートに走り書きされたこの短い文章は、
財務省近畿財務局管財部の上席国有財産管理官だった赤木俊夫さん(享年五十四)が死の直前に書き残したもの。
「手がふるえる」という箇所に下線が引いてある…
赤木さんは、世を騒がせた森友事件の公文書改ざんを上司に強要され、自ら命を絶った。
二〇一八年(平成三十年)三月七日のことだ。彼が何かを書き残したようだという話は当時からあった。
しかし厳しい情報統制が敷かれて詳しい情報はわからず、
死を選ぶに至った事情は闇に隠れたまま、世間から忘れられていた。
ところが実は、彼の自宅のパソコンには「手記」と題した詳細な文書が残されていたのだ。
A4で、七枚。そこには、近畿財務局で密かに行われた驚くべき出来事が克明に綴られていた。 ターニングポイントとなったのは二月十七日だ、
この日、国会で昭恵夫人の国有地取引などへの関与を追及された安倍首相は、こう言い切った。
「私や妻が関係しているということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、
はっきり申し上げておきたい。まったく関係ない」
七日後の二十四日には、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)が国会で「交渉記録はない」
〔売買契約締結をもって事案は終了、速やかに廃棄した〕などと答弁。
実際には、国有地取引の経緯を記した改ざん前の公文書には「安倍昭恵首相夫人」の名前が繰り返し記されていた。
そ二日後、これら公文書の改ざんが始まった。「手記」はその状況をリアルに記している。 元は、すべて、〇〇理財局長の指示です。
(中略)学園に厚遇したと取られる疑いの箇所はすべて修正するよう指示があったと聞きました。
〇〇理財局長の指示を受けた、財務省本省理財局幹部、〇〇補佐が過剰に修正箇所を決め、
〇〇氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました。第一回目は昨年二月二十六日(日)のことです。
当日…頃、出勤していた〇〇〇統括官
(注・赤木俊夫さんの直属の上司で、問題の国有地取引の実質的責任者)
から本省の指示の作業が多いので、手伝って欲しいとの連絡を受け、
役所に出勤…するよう指示がありました。
その後の三月七日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました、
(注・近畿財務局の)〇管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、
本省理財局〇〇総務課長をはじめ〇〇(注・〇〇)国有財産審理室長などから〇部長に直接電話があり、
応じることはやむを得ないとし、〇〇近畿財務局長に報告したと承知しています。 この記載から以下のことがわかる。現場の赤木俊夫さんは不正な改ざんに反対した。
→それに上司の〇〇〇管財部長もいったんは同調した。
→しかし財務省理財局の〇〇〇総務課長(現・イギリス公使)らが圧力をかけ覆した。
→最後は近畿財務局トップの〇〇〇〇局長(現・東京国税局長)が「全責任を負う」と述べゴーサインを出した。
→大阪地検特捜部はすべてを知っていたが、全員不起訴にした。
◇これが〇〇官僚機構の実体なのです。
パワハラで有名な〇〇理財局長の指示には誰も背けないのです。
(中略)〇〇補佐などが過剰反応して、修正範囲をどんどん拡大し、
修正した回数は三回ないし四回程度と認識しています。
〇〇省の情報隠蔽はこれにとどまらない。
森本学園への国有地売却問題を受けて〇〇財務局が会計検査院の特別検査を二後にわたり受けた際、
財務省は次のように対応したという。 ◇決議書等の関係書類は検査院には示さず、本省が持参した一部資料の範囲内のみで説明する。
(中略)応接記録をはじめ、法律相談の内部検討資料は一切示さないこと、
検査院への説明は「文書として保存していない」と説明するよう事前に本省から指示がありました。
当時、俊夫さんの心の支えは、七月の人事異動で担当部署が変わることだった。
そうすれば森友関連の苦行から逃げられる。
直属上司の〇〇氏からは内々に「動かしてもらえるよ。大丈夫だよ」と言われたと、〇〇さんに話していた。
ところがふたを開けてみると、六月二十三日の内示の日、俊夫さんは移動しなかった。
それどころか、同じ部署の他の職員は上司の〇〇氏も含め全員移動が決まり、
彼だけがこの職場に残される形になったのである。しかもさらに追い打ちをかける出来事があった。
問題の国有地の売買に関する資料がすべて処分されて職場から消えていたのだ。
「それがとにかくショックやった」と俊夫さんは話したという…
俊夫さんは問題の国有地が売却された後に担当になったから、実際の売買交渉の経緯は何も知らない。
知っているのは上司の〇〇氏だが、〇〇氏はいなくなり、資料はない。
となったら、後を引き継いだ人間はどうすればいいのか? 俊夫さんのメモには、内示の五日後、六月二十八日のところに「18:30特捜部来庁」とある。
これが資料の任意提出を受けに来たのだとしたら、
その直前に関係資料がなくなっていたことは、どうとらえたらいいのだろう?
この後、俊夫さんの精神状態は悪化する。七月一五日に精神科を受診、うつ病と診断される。
七月十九日、夫婦一緒に外出先で昼ご飯を食べた時は、震えがすごく顔は真っ青だった。
その時、俊夫さんは「森友のことだけやないんや」と気になる言葉を残している…
この年の三月二十二日と七月十三日に市民団体や弁護士らの団体から
「国に損害を与えた背任だ」と告発が出ていた。
同時に、「取引記録は廃棄した」と繰り返し答弁する〇〇氏らに対する証拠隠滅での告発も出て、
いずれも大阪地検特捜部が捜査していた。
俊夫さんは国有地の売買には関与していないから背任は関係ない。だが証拠隠滅は?
この頃はまだ公文書の改ざんは明らかになっていなかったが、
心ならずも改ざんをさせられることになった俊夫さんは、自分も罪に問われることを恐れていた。 自分がやりたくて、とか、やるべきだとか、ではなくて、
やりたくなくてもやらされて、
その上で、『お前が悪い』と責任を負わされて、自殺する。
これはホラーだよね? ttps://this.kiji.is/666831468636161121
指揮官自決、戦病死扱い ノモンハン敗戦・熊本編成部隊 遺族「隠蔽 責任を転嫁」
2020/8/14 11:30 (JST)8/14 15:41 (JST)
1939年、旧日本軍が旧ソ連・モンゴル軍と戦って敗れた国境紛争「ノモンハン事件」で、
戦地を無断撤退した責任を問われ自決に追い込まれた旧陸軍の指揮官が、
「戦病死」として処理されていたことが、遺族が開示請求した公文書で分かった。
軍上層部が虚偽の報告をしたとみられ、
遺族は「敗戦の責任を押しつけた上に事実を隠蔽した」と疑念を深めている。
指揮官は兵庫県出身の井置栄一騎兵中佐(享年45)。
熊本で編成された第23師団の捜索隊長として、激戦地の一つ「フイ高地」の現地部隊を指揮した。
旧防衛庁が編さんした公刊戦史「戦史叢[そう]書 関東軍1」(69年)は、
敵軍の猛攻により壊滅的な状況に陥る中で「独断守地を撤した」責任を取り、「自決の道を選んだ」と記述。
自決は日ソが停戦協定を結んだ39年9月15日の2日後とされる。
中佐は上層部から自決を勧告されたともいわれる。 遺族には翌月、陸軍から中佐の死を知らせる電報が届いたが、死因は書かれていなかった。
孫に当たる高木佐織さん(53)=横浜市=が昨年秋、
国立公文書館に恩給関連の資料開示を求めたところ、戦病死となっていた。
開示資料によると、中佐の死因欄には「戦地において流行病にかかる」との記載があり、
「脚気のため死亡」と診断した軍医部長の証書が添付されていた。
高木さんが兵庫県から取り寄せた中佐の軍歴証明書には、「脳溢血のため死亡」と記されていた。
井置中佐の自決を巡っては、
自決勧告の中心人物とされる小松原道太郎・第23師団長が「戦病死(進級せしめず)として
関東軍経由陸軍大臣に報告す」と日記に書き残していたことがこれまでの研究で明らかになっており、
日記の内容が裏付けられた。
ノモンハン事件に詳しい防衛省戦史研究センター所員の齋藤達志さん(56)は
「小松原師団長は敗因が井置中佐の無断撤退にあると思い込み、自決に追い込んだ。
自らの責任を回避しつつ、井置家の名誉も保とうとした結果が『戦病死』だったのだろう」と推察する。
記録によって病名が異なる理由は分からないという。 「戦争の実際 伝える必要」ノモンハン指揮官、強要℃ゥ決前に手紙 にじむ悔しさ
「祖父に責任を押し付け、死因まで偽って終わりというのは、やはり納得がいかない」。
ノモンハン事件で自決した旧陸軍の井置栄一中佐。
孫の高木佐織さん(53)=横浜市=は、事件から80年以上もの間、
真相を追求してきた父や祖母の思いを代弁する。
生存兵の証言などによると、
第23師団所属の井置部隊は旧ソ連軍に包囲されて食糧や水、弾薬が尽き、
師団との通信も途絶えて孤立無援状態に。
中佐は苦悩の末、「無為に全滅するより再起を」と戦線離脱に踏み切ったが、
これが「無断撤退」の罪に問われた。
井置家と交流があり、
事件の調査を続ける宇城市の元高校教諭上村真理子さん(67)の手元には、
中佐が自決する直前に妻に送った手紙がある。
<軍人として少しも卑怯なことはしていないからご安心を乞う。
(中略)今となっては長生きして、戦争の実際を世間に伝える必要がある。
然らざれば失った多くの部下が成仏できないだろう>
妻子を安心させようと気丈に振る舞いつつ、激しい戦闘の一端と悔しさがにじむ文面。
生きて帰ると信じた家族にすれば、
戦いが終わったのに突然「死亡した」と知らされても不可解だったろう。 「上層部には敗北の責任を誰かに負わせる必要があった。
自ら自決したのではないと妻も思ったはずだ」と上村さん。
井置中佐と共に戦った元連隊長が戦後、23師団長ら2人を名指しし
「責任転嫁の意図でご主人らに自決を強いた」と告発した妻宛ての手紙も上村さんの手元にある。
高木さんの父で中佐の次男井置正道さん(89)=神戸市=は、
「戦病死」の処理に「やはり軍は自決の強要を隠すつもりだったのか」と憤っているという。
ノモンハン事件は、
最高統帥機関・大本営の戦線不拡大方針を関東軍の参謀らが無視して大規模な武力衝突に発展。
甘い見通しで立てた作戦で日本兵1万8千〜2万人の死傷者を出したが、
責任を取らされたのは井置中佐ら前線の指揮官たちだった。
参謀らは後に大本営参謀に就き、太平洋戦争に突入した。
「無謀な戦争に突き進んだのは、ノモンハンの失敗の検証や反省をしなかったからだ。
権力者が下の人間に責任を押しつけ、問題をうやむやにする構図は森友・加計問題と同じ。
国家の隠蔽体質は変わっていない」と高木さん。
「祖父の死に対して謝罪や訂正を求めたいが、今となっては相手もいない」と、
割り切れない思いもにじませた。 ノモンハン 大戦の起点と終止符 草原、連なる世界戦の足跡
朝日新聞 2020年8月15日
幾重にも連なるくぼみが、草原一面に広がる。
モンゴルの首都ウランバートルから東へ約1200キロ。悪路の中、車で3日間かけてたどり着いた。
「鳥の視点」で見て初めて、くぼみだらけのこの場所が持つ意味が理解できる。
直径10メートルの壕
ここで1939年に起きた国境侵犯をめぐる紛争は、
その地名から「ノモンハン事件」と呼ばれる。眼前に広がるのは、その跡だ。
日本と、その傀儡国家の旧満州国の連合軍が旧ソ連・モンゴル連合軍と衝突し、日本側が大打撃を受けた。
くぼみと思っていたのは、ソ連側が物資の貯蔵に使ったとみられる直径10メートルほどの円形壕だった。
碁盤の目状に200基近くが並ぶ。中国との国境に接した一帯は、航空機の接近は今も禁じられている。
昨年5月、朝日新聞が同行取材したノモンハン事件日蒙共同調査団によるドローン撮影で、
その異容が明らかになった。 すぐ西を流れるハルハ河東岸の南北約7キロの区間に、
測地衛星の画像では先ほどの200基を含めた約1430基の円形壕が確認できた。
多くは段丘の斜面に、日本軍が布陣する東方から見えないように掘られていた。
残る鉄かぶと
そこから数十メートル離れた場所に、ソ連軍のM36と呼ばれる鉄かぶとが転がっていた。
銃弾によるものか、穴が開いている。歳月を物語るかのように、さびて朽ち果てていた。
39年8月、圧倒的な物量を誇るソ連軍の前に、日本軍は壊滅。
両軍合わせた戦死者は1万6千人を超えた。この戦いを、近年歴史家の一部はこう捉える。
ノモンハン事件こそが、第2次世界大戦の「起点」だったのだと。 ノモンハン 大戦の起点と終止符 大陸の東端、欧州の行方決めた衝突
朝日新聞 2020年8月15日
「『第2次大戦の起源』という複雑なジグソーパズルで、
ノモンハン事件は小さくはあるが、大切なピース。
そのピースをはめると、全体の図柄が非常にわかりやすく見えてくるという役割を持っている」
米国の歴史研究者で「ノモンハン 1939」の著者、スチュアート・ゴールドマン氏はこう評した。
1939年5月11日、中国東北部(関東地方)にあった満州国のあいまいだった境界をめぐり
同国軍警備隊とモンゴル騎兵部隊が起こした小競り合いが、そもそもの端緒だった。
モンゴルの背後には戦車を中心としたソ連の機械化部隊がいたが、
満州に駐留していた日本陸軍の関東軍作戦参謀だった辻政信らは相手を侮り、
東京・参謀本部の制止を振り切って戦闘を拡大させた。
交戦が始まって3カ月余の同8月20日午前5時45分。
ひそかに南北約70キロにわたり兵力を展開していたソ連軍は総攻撃を開始。
一斉に東へと進撃して日本軍を包囲し、圧倒的な物量差のもとほぼ2日で形勢を決した。
周到に用意された奇襲。ソ連軍の司令官はゲオルギー・ジューコフ。
後年、独ソ戦の行方を決した
モスクワやスターリングラード(現ボルゴグラード)の攻防戦で名をはせた将軍が、
最初に指揮した大規模戦闘がノモンハン事件だった。 ハルハ河東岸の約1430基の円形壕が密集する一帯から南へ約15キロ。
緩やかな丘陵に、ジューコフの司令部跡がある。
周辺約5キロ四方に、衛星画像で別の3970基もの円形壕が確認できた。
物資の貯蔵用とみられる。
ジューコフの回想録によれば、総攻撃の際に集積した弾薬や燃料は総量5万5千トンにのぼった。
その物量差の中、日本軍が抗戦した陣地跡が南北70キロに及ぶ戦域の北端部、「フイ高地」にある。
「牛肉」の文字が残るさび付いた空き缶、日本製、ソ連製双方の手榴弾、
そして日本軍が火炎瓶攻撃に使ったサイダー瓶……。
「弾薬も尽き、敵戦車には火炎瓶で対抗するしかなかった」。
水も食料もない中、4日間にわたる激戦の末に
陥落したフイ高地から生還した元兵士は、過去の取材にこう語っていた。 英仏かドイツか、ソ連の選択
この時期、ドイツへの対応をめぐって欧州各国は一触即発の状況だった。
旧チェコスロバキアのズデーテン地方を領有したヒトラーは
39年3月に残り全域を保護領とし、
続いてポーランドにダンツィヒ(現グダニスク)の割譲を要求していた。
同5月22日、ドイツとムソリーニ率いるイタリアは軍事同盟を締結。
ファシズム陣営側と英仏などとの対立が先鋭化するなか、
両陣営はソ連を引き入れようと外交戦を繰り広げていた。
英仏かドイツか、スターリンは選べる立場にいた。
「英仏と同盟を結べば、ドイツと戦わねばならない。
そうすれば、ドイツと防共協定を結んでいる日本は背後で攻勢を強めるだろう。
一方、ヒトラーと何らかの合意ができれば、英仏がドイツと戦い、
さらに日本を孤立させられる」(ゴールドマン氏)
スターリンは、ドイツとの不可侵条約にかじを切る一方、
背後の敵である日本が当面攻めてこないよう、打撃を与えようと決断した。
ノモンハンでの総攻撃開始から3日後の同年8月23日には独ソ不可侵条約を締結するなど、
その思惑と動きは呼応している。そして9月1日。
英仏とソ連からの挟み撃ち、
とりわけ対ソ戦に当面備える必要がなくなったヒトラーは、ポーランドへ侵攻。
第2次世界大戦が始まった。 人類史最大の戦禍へ
極東アジアの内陸部で起きたノモンハン事件と、欧州で始まった第2次大戦。
両者を結びつける考え方が近年、欧米の識者の間で力を持ち始めている。
近著「第二次世界大戦 1939―45」の第1章を、
ノモンハン事件から書き始めた英国の歴史作家アントニー・ビーヴァー氏は、取材にこう語る。
「ノモンハン事件は、規模としては主要な戦いとは言えない。しかしその影響は絶大だった。
日本の大本営にシベリア方面を攻撃する『北進政策』をあきらめさせ、
主に海軍が主張する石油の供給を狙った『南進政策』へとかじを切らせる主要因となることで、
欧州戦線の分岐点となった独ソ戦の行方も左右した」
日本の南進を察知したスターリンは41年10月、
日本を警戒してシベリアに張りつけていた師団の約半分を西進させ、
ジューコフが指揮するモスクワ攻防戦に投入。独ソ戦で反転攻勢につなげた。
仮に、日本が北進してシベリアへ進攻していたら、
「『第二次世界大戦』の趨勢は、かなり違ったものになっていた可能性が高い」。
ビーヴァー氏は同書でこう記している。 同書に登場する最後の戦闘は、大戦末期の45年8月、
モンゴル東部から進撃したソ連軍主力による満州の攻略。大戦の始まりと終わりにモンゴル東部が登場した。
「皮肉か単なる偶然か、第2次大戦は似通った場所で勃発し、終焉した。
だがそのことに特別な重要性はない。第2次大戦は、あらゆることが混じり合っていた。
英米などは欧州西側を解放したと考えるかもしれないが、
欧州東側はスターリンのもと、新たな独裁主義体制に置かれた。とても複雑な戦争だった」 ttps://www.youtube.com/watch?v=dGtQljRHuh0&feature=youtu.be&t=4508
ダースレイダーx古賀茂明
”新・官僚の責任?官僚を考えるという事”2020/10/25
ぼくは学術会議はかなり根深い問題だと思ってまして、
これはもう48年に学術会議が出来てんですけど、
ぼくはもうその時から自民党の保守派にとってこれはもう完全に抹殺すべき存在、だったと思うんですよ…
何でかって言うとですね、要するに
自民党の保守派の中には今、どんどんそういう人は増えちゃってるんですけれども、
太平洋戦争っていうのが間違いだった、っていうことを認めない人たちが増えてるんですね。
でー、それは要するに、ま、日本が真珠湾攻撃とか始めたんですけど、
そうじゃなくてそれは、もう日本をみんなでよってたかって苛めたから、
それで追い詰められた日本がね、
まあ、或る種の『正当防衛みたいな形でやったんだ』みたいな、ことを言っている人たちが居て、
しかも、そういう人たちは太平洋戦争の過ちっていうのを認めませんから、
要するに敗戦を認めてないようなもんですね、
それで日本国憲法っていうのは、
何かよく分かんないけど反省すべきでないのに、
戦争のことを反省しちゃってそれでアメリカに言われた通り、押しつけられてですね、
それであのー、軍隊持たないとか戦争しないとかですね、とんでもない屈辱的な条文を作った、
まあそういうあの国賊的なものが憲法(だと彼らは言っている、ということ)なんですけど、
その、学術会議っていうのは日本国憲法と全く哲学が同じなんですね。 まあその、『敗戦の反省に立って…』っていうことですもんね。
そうなんですよ。動機が。
だからそこが、根本的に相容れないので、ずーとあの、戦いだったんですよ。
だから中曽根さんの時も、結局任命制にすると、それまで選挙で選んでたんですね。
だからもう別に総理大臣が一々任命しなくても、
自動的に選挙で選ばれて決まってたんですけれど、それを任命制にします。
そうすると、『え?それ政府が任命するのか?介入じゃないか!』っていう話になる訳ですよ。
もうその時にその議論が有る訳ですよね?
そうです。
その時に、『いやいや、ま、一応、任命ってことにするんだけど、
別にあの、政府が選んだりする訳じゃなくて推薦してくれたらそのままするから』って、
こういうふうに言って、『形式的なものに過ぎないよ』って言って逃げて、
でもそもそも、やっぱり何で任命制にしなきゃいけないかっていうと、
やっぱりね、政府が介入したかったからなんですね。
で、そういうふうにしたけど、でも、そこはやっぱりあの、良識の方が勝ってですね、
『形式的なものですよ』ってことで…
言質がとれた訳ですよね。
そうです。 でー、その後も省庁大再編っていうのをやったじゃないですか。
厚生省と労働省が一緒になって厚生労働省とかね、運輸省と建設省が一緒で国土交通省とか、
そういう大々的な再編をやった時も、
やっぱりそういう再編って話になるとですね、右翼が騒ぐ訳ですよ、その自民党の。
で、『いや、この際、学術会議を潰せ』と。こういう話になる訳ですね。
或いは『政府のコントロール下に置け』と。いうふうになったんですけど、
やっぱりその時もギリギリ折り合ってっていうか、踏みとどまってですね、
『ま、とりあえずじゃあ総務省に置くことにするか』みたいな。
で、『あと五年ぐらいかけて、総合科学技術会議で揉んでもらおうよ』みたいなことを、決めて
法律にもそういうふうに書いたんですよ。
で、それで出て来たのが、総合科学技術会議でまた、答申みたいなものが出てるんですけどね。
そこでも、やっぱり、なんだかんだ色々こうケチはつけるんだけど、
菅さんが『総合的俯瞰的観点から』って言ったじゃないですか。
実はあれはその総合科学技術会議の答申に書いてあるんですよ。 なるほど、あ、そこから出て来た言葉なんですね、あれは。
そう、で、それ言わないんですけど、何で言わないのかっていうとですね、
結局そこに書いて、で、多分、法律にね、
『日本学術会議は総合的俯瞰的観点から活動しなければならない』とか書いて、
それで『ちゃんとやってるかどうか政府がチェックしますよ』っていう仕組みに
したかったんだと思うんですけども、
折角そこの答申に書いたけどやっぱり、そこでも右翼は戦いに敗けてですね、
新しく法律改正したんだけどそれは入んなかったんですよ。
だから法律の何処を読んでも『総合的俯瞰的』なんてのは無いんですね。
だから『何か理由を言え』って言われたから、
何か色々探したら『あ、そういうふうに書いてあった』っていうのでパッと使っちゃったんでしょうけど、
『いや、これは実は総合科学技術会議の答申に書いてあるんです』って言っちゃうと、
『いや、書いたけどそれ敗けてんじゃん』っていうふうに言われるから、
何処から出て来たか、っていうのは言わない… で、そういう戦いの歴史が有る中で、そのまあ集団的自衛権をね、
まあ事実上の憲法改正もやっちゃったとかですね、
ま、色んなことをやって来て、安倍政権、まそれから菅政権、
相当ね、要するに無茶苦茶なことでも出来るっていう自信を深めてると思うんですよ。
その、まあ、最大の根拠、
根拠っていうか支えになってるのがマスコミを押さえたってことなんですけれども。
でもね、この学術会議については、あんまりね、
何か議論されてないことでぼくは非常に非常に重要なことが幾つか抜け落ちていると思うんですけど、
例えば、予算を減らせとか言ってるじゃないですか。
10億円が…っていう話ですよね。『こんな使ってんのか!』みたいな。
でも、あの、要するに学術会議の独立性を守んなくちゃいけないと。
法律上、『独立して職務を行う』って書いてあるんですね。法律に書いてあるんですよ。
で、直ぐその下に何て書いてあるかっていうと、『経費は国庫が負担する』って書いてあるんです。
要するにそれは《セット》なんですね。 つまり、要するに、カネを出すか出さないかっていうことが、
あの、『分かんないよ?』っていうことだと、カネで圧力をかけられるっていうことが有るから、
そうじゃなくて、『もうカネは出せ』と。『国が出せ』っていうことを法律で義務付けちゃってんですよ。
ところが実際に起きているのは去年辺りは、何かやっている途中でですね、
お金が足りなくなって、ま、会議やると一回2万円ぐらい貰えるんですけど、
それが払えないんで『もう全部手弁当でやってね』って言われて手弁当でやってたと。
これは実は法律違反です。
法律違反だったんですね、
だからあの、距離がねえ、何キロ以内とかだと交通費が出ないとか、何かそういう話も。
そう、だから、本来はその、…学術会議はもっと怒ってですね、
『何だと法律に書いてあるのにお前らカネ出してねえだろ』と、言って、要求してもいいぐらいの話です。
今…『カネを出すのに口を出さないっていうのはどういうことだ』とか、
…そもそも思ったんですけれど、やっぱり、法律で既に、
そこはもう『独立に働くもの』というのと、
『国庫が負担する』っていうのはセットで書いてあるんですよね。 そうです。だから、それは正に、『ほんとに独立して独立独歩でやって下さいね』
『それでもちゃんと国はお金を出しますからね』って、こういうふうに、言ってんですね。
その、要するに、『カネを出す条件としてこういうことです』なんてことは一切書いてない訳ですよ。
それからもう一つね、あの、6名、任命拒否した、『理由を説明しろ』とか言うじゃないですか。
実は、あれもおかしいことなんですよ。何でかっていうと、『理由を説明しろ』って言ったら、
じゃあ理由が尤もだったら拒否していいのかと、ダメなんですよ。
それも出来ないってことなんですね。
出来ないんです。
それは、例えばね、よく右翼の人が言うんですね、
『じゃあ、犯罪者がね、…人殺しを任命してもいいのか』と。
『そんな者をもってこられて、
内閣総理大臣は「分かりました」って言って、任命するのか!』って言うんですけど、
ぼくに言わせれば、それでも任命するんですよ。
なるほど。 で、只、実際には勿論殺人犯なんかね、推薦しませんけれども、
要するに、
『政府のチェックよりも日本学術会議の良識に任せた方が、いいんだ』っていう、判断なんですね。
で、そうでなければ、あの普通は、
例えばね、…カジノ規制委員会ってあるんですよ。
まだカジノ出来てませんし、規制も始まってませんけれども、
その法律ではですね、規制委員会っていうのはですね、
…学術会議は学術会議っていう『組織が独立して…』っていうんですけど、
規制委員会の場合は『委員が独立して職務を行う』って書いてあるんですけどね。
ま、何れにしても『独立を保証します』と。
言いながら、それで内閣総理大臣が任命するんですね。あの、直轄で。
なんですけど、そこには欠格事由ってのが有るんですよ。
要するに、基本的に、独立してやるけど例えば『犯罪者はダメですよ』と。
『禁固刑以上の刑に処せられた人はダメです』と。それからね、『破産した人、これもダメです』と。
いうようなことが書いてあるんですね。
だから、そういうのは『ダメですよ』と、いうふうに言っているんですけど、
逆に学術会議法にはですね一切、書いてませんよ、そういうことは。
欠格事由が無いんですね。
無いんです。 それはね、要するに…戦争中のことを考えれば当たり前のことで、
何でかっていうと、犯罪者っていうのは本当に悪い奴だけが犯罪者になるのかと。
戦時中に誰が投獄されてたのかってことですよね。
そうなんですよ。で、例えば特定秘密保護法っていうのがあるじゃないですか。
あれで特定秘密に指定されてましたと。でも、学者から見るとね、
やっぱりそこで何を話してるのかとかね、どういう事実、議論されてんのか、
或いはどういう情報に基づいて判断されてんのか、そういうのを知りたいと。
思って、例えばそういう情報を何とかして入手しようと、入手してですね、
これは問題だというのを見つけて、それで論文に書いたと。
ところがそれは特定秘密であって、それをね、例えばそこの職員をそそのかして貰ったと、
いうことであれば、特定秘密保護法違反で捕まるんですよ。で、逮捕されると。
だけど、それを入手してこんな議論でしたよって、それは国民から見たら大変な議論だと。
こんなことで戦争に行くのかと。戦争するって議論してんのか。
っていうようなことが分かったとかですね。
そういうような場合でも、やっぱり政府に都合の悪いことですから、
逮捕されて牢屋に入れられちゃう可能性が有る訳じゃないですか。 で、でもその人の業績は素晴らしいと。いうので、会員に推薦したいと。学術会議が思って推薦したと。
いうようなケースだって有る訳ですよね。
そういうことも含めてね、学術会議が判断するっていう方が、いいんだと。
いうのがほくは(この)法律の哲学だと思っているので、
そうすると『理由は何ですか?』ってあんまり聞く意味がなくてですね。
理由なんかどうでもいいから兎に角6人早く任命しろと。
要は『推薦に基づいて210人を任命する』っていうふうに書いてあるじゃないですか。
これ、…210人って人数がちゃんと書いてあるじゃないですか。
今、6人足りないから、違法状態ですよね、今、だからその法律的に見ても。
そうです。
…210人居なきゃいけないっていう法律じゃないですか。
これも違法だと思うし、ぼくは実は『理由を言え』っていうことを実は言っているんですけれども、
…それは何故かというと…今の古賀さんの前提に基づいて、
理由なんてものは…理由ってものが存在する前提が無いんですよって話で、
…しかも推薦に基づいてなんで推薦以外のものに基づいちゃダメな訳しゃないですか。 そうです。
法律に書いてあるってことは…只、法律破っているだけなんで、
そこに戻って下さいねっていう、凄くシンプルな、
…いや、これ違法だから違法はダメってことで、終わりでいい話なんですよね。
理由を教えてくださいっていうよりも、言えるもんなら言ってみろと。
実はぼくはちょっと名前は出せないんだけど
ほんとに自民党のまともな重鎮の議員とショートメールでね、やり取りしてたんだけど、
そしたらその偉い先生から帰って来たメールには、
…『いや、理由を言えないのは、言うとおかしいってことが分かっちゃうからですよね』って。
言った瞬間、何を言ったってダメな訳ですもんね、だから。
そういうふうに、自民党の中でもまともな人は、そう考えている人が居ると。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています