大人になるってことはどういうこと? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
とくに日本での話になるのだけれど
大人になるってことは個性や個人の感情を殺して
皆に合わせたり、誰かに従って生きる
ということなのだろうか。
大人になると言うことが仮にそうだとして、
大人にならなくてはならない、もしくは大人になることが
果たして個人の生きることにとって良いものか、
考えたい。
私は個人の感情や突出部位は人間である以上違いとしてあるものだし
必ずしも誰かに従ったり無理矢理合わせる必要もないのかな
と思っているのだけれど。 自己主張よりも先に他人の事情を常に考慮できて
責任ある行動を選べるようになれば大人
あとはみんな子供 >>2
後者はわかるけど前者は疑問だなあ。
自分のことも他人の事情も等価ではないの? >>2
それで形式的には子供を頂点に据えるわけですね?
配下はみんな大人だから、責任感をもって子供の勝手な意のままに動かなきゃならない。
それでいながら、子供の意をうまく誘導しながら配下に伝えるのは、子供の
背後に隠れている大人の役目というわけですね。 「大人になる」これは一種の文学的表現である
ある程度普遍的な表象を仮定しそこを逸脱しない範囲の社会的、個人的要求の事である >>6
なんか小浜逸郎さんの本に出てきそうだね。
通過儀礼をくぐったり、本人がそう思ったらそうなんだって意味で。 現実を無視できれば楽しいかもしれないけど、それって、ドラッグでハイになって、
不安とか苦痛が消えて、危険を察知できなくなって、生身のまま空を飛べるような
気になってるのと同じじゃない? 「おとなしい」は「大人らしい」を略したのかもで大人ではないが何かしら大人のようであると言う意味がある。
「大人らしい」と思った部分を集めたらそれが大人の定義になる。
例えばちん毛が生えるなど。 「親しき仲にも礼儀あり」って事だと思います
「親しくないから〜」思うのが子供かと・・・ 小さい子供にとって知らない人は自分の相手ではないんです。
だから、迷子の子供に係員の人が話かけるとき、「ボク、どうしたの?
お母さんは?」とか尋ねるでしょ。そういうときに「ボク」を二人称で
使うのは、知らないおじさんとかおばさんに対して子供が「ボク」と
言える関係にないから。それで話しかける側が子供を「ボク」と呼んで、
子供が、知らないおじさん/おばさんに対して自分が「ボク」である
関係を作ってあげるんです。 >>10
従うときもそんな崇高な、というか
何らかの信念をもとに相手と接する人がどれだけいるかね。
割合としては少ないと思うけど。 >>12
大体の人は普通にやってると思うけど?
知らない人の前ではみんな大人しいよ?
たま〜に騒いでる人を見るけど若そうな人が多いと思う
「回りが見えてないのかな?」って思う程度だけど・・・ >>15
その目的は?私が考えるに楽しむってことよりは
目立たんとこうとか出すぎないようにしよう
って思う部分や割合が多いのではないでしょうか?
そんな気持ちより雰囲気大事にしてるようだと
だんだんと自分の気持ちに嘘をついてくはめになるのでは?
と思うのですが、どう思います? >>16
目立ちたい気持ちは解りますよ?
なので、そっとしています
「回りが見えてないのかな?」と思うだけで、個人的にも似た様な経験があるからこそ直接言えないと言うべきでしょうか・・・
「迷惑だ」と注意されても聞く耳を持たなかった頃がありますからねw
昔の失敗から学んだ結果なので気持ちに嘘は無いと思ってますよ?
気分によって行く場所を変えてますしw >>1
前提として子供は自分の意思で自由に生きていると思っているけどそれがそもそもの間違い
操られ怯えていた事をすっかり忘れているようだ
子供時代にどれほどの事が自由に出来たのか
大人になる事で自分の意思や感情をよりはっきりと表現できている
君が懐かしんでいるのは愚かで世の中が見えていない方が幸せだったという思いだけだ
それこそ大人になれと言いたい >>17
いえ、結果として目立つことはあっても
目立つことは目的としていませんよ?
周りは見えてる上で楽しむって自分の気持ちを表現する、
すると結果的に目立ってしまうってだけ。
迷惑だからなんなのでしょう。皆迷惑かけながら生きていると思うのですが。 >>18
間違いかもしれないけども間違いでないかもしれない。
それは他人が自分の生き方を判定できないことから、逆も成り立つことでないくらい、
頭のよいお主ならわかるだろう?
それにあなた、1読みました?
誰も大人になると自由じゃなくなるなどとは書いておりませんよ?
それをさも1は大人は自由でないといい子供は自由だと言う
それに対して子供は大人に強制されてるから自由ではないんだ
などと持論を展開されても、レスする気もなくなるし困ってしまいますよ。 >>19
別に否定していませんよ?
あくまで個人的な「大人になるとは?」と言うことを経験より学んだ事を書き込んでいるだけですw
>>19を「楽しむことを忘れていない大人」だと思っているのですが、解釈を間違ってます? >>22
楽しみを忘れてないと言うか、
楽しみも悲しみも怒りもなんでもいいけど、
そういう素直な気持ちを
大人だからと言う理由、皆が表明してないからという理由で
圧し殺す理由があるのかなって話。
翻ったら大人でも楽しんでもいいんじゃないか、という話にもなる。
それを考えるとあなたのいうように大人になっても楽しみを忘れてない人
もひとつに含まれるかもね。
一般的に、生きる上で楽しみを持つのは大人としてあるまじき行為だ。であるとか
感情は押し殺すべきだ、などといった「べき論」が優位にたつことが
言われた人にとって良い生き方になるのかな。ってのが本当のわたしの言いたいことかな。 百歩譲って子供の頃はべき論を言ってもいいかもしれない。
なぜなら歩むべき道は子供はわかってないかもしれないから。
しかし、それが自我の芽生えた大人にまで適用できるか、
広く一般的に大人はこうすべきである、とはいえないとは思う。
なぜなら自分の人生は自分で切り開かなければならないから。
そういう意味で自分で自分の人生を切り開く勇気をもってもらったり
あるいはこういったら俺みたいな落伍者になるよ、ってことを反面教師として
情報提供する伝道者になりたいんだよね。それがここ7-8年くらい考えてること。 大人も「べき論」を取った方が良いと思う。あくまでベストを尽くす。
「べき論」を取って落伍者になれるので、落伍者になろうと思ってる人は落伍者ですらない。
そういう人は子供にとっては何の影響も持ち得ない。 強いて言うなら虚しさを覚えるだけで、反面教師としてもそういう一般的な負の影響しか持ち得ない。 俺には2ちゃんくらいしか場が無いし、情けないと思う。 俺は自分がこうなると思ってなかった。
大学卒業したら何でもいいから就職をしてやっていけるものだと思ってた。
そうなると思うがモラトリアムから抜けられない。 高校は三年間ワ−スト3だしそれで何とも思ってなかった。
それが年齢的な俺の子供時代。 >>23
一般的な前置きに「全員があなたのような人ばかりではない」が必要ですが・・・
楽しむことを知っているのであれば知らない人に教えるのも大人と言えますねw
個人的な考えとしては
仲間外れにされている人を見かけたら声をかけるだけで良いと思います
それに対して迷惑だと思う人も存在することを忘れなければ、さらに楽しみは増えると思いますよw 何も無いというだけ。
それを言ってもしようがないし。 生きている以上は感情があり、楽しむ術は誰しも知ってると思います。
それを知らない、あるいは忘れてしまうのでしたら
生きているのに死んでいるというのと同じだと思うんですよね。
感情を表明する人に迷惑を感じる方もいるかもしれませんが
迷惑と言って相手に否定的に当たるのでしたら
それは相手を殺しにかかってるのと同じじゃありませんか。 大人という事で言うと感情は出しても勿論いいが、子供と一緒ではいけない。
子供が子供を見て学ぶというのは陰惨な気がする。 迷惑と言って、の前に「仮に」をいれ忘れました。すわせん。 学ばれる子供は年齢的には大人なのだが、それはどうかと思う。
勿論感情的になるのはいい。 前も言ったが、子供として学ばれる大人が虚しさという負の一般的な影響しか与えられないのは虚しい。 感情においても通常から逸脱する何かがあってそれは批評性だと思うから、良いと思うけど。 俺が虚しいのは俺のせいで批判をしてもダメでなにかやろうと思うが、才能がないせいだろうが中々難しい。 >>34
経験から思ったことを言いますね〜
はっきり言って「何もない」と思ってる人はかなり厄介ですw
うわべだけでは納得しない人が多い
根本を理解してもらいたい反面、怖がる
これが個人的に経験から厄介だと思う理由ですw 大人とか子供とか本質的な違いってないと思うんだよね。
先にあったように通過儀礼はあったとしても。
それに子供が子供を見て学ぶのも良いと思うし、
逆に大人が子供を見て学んでも良いと思うんだよね。
子供が子供を見て学ぶのは陰惨(ひどい様子)というけど
それってしらずしらずのうちに大人はこうあるべきだとか
こうあらねばならないって考えあったりしない? >>44
ないと思う。
そうでない気もするが、ネットでちゃんとした意見を見てもそれはそれでイライラする気はする。 それはないかな、名前を出して申し訳ないが、大人派のツイッターをたまに見てもいらいらはしない。 たまに見るツイを見ても特に何も思わない。
自分に教養がついたら意見を言いたくなるとは思うが、子供的大人に感じるイライラはないと思う。 仮にあったとして、他人のレスに対してイライラする原因はなんだろうね。
私より先に言われてもたーっていう不安や焦り?
それとも俺の崇高な考えをわかったような風に書くなよ、っていう怒り? 虚しさを喚起させられるイライラ。
子供を見たら大人は説教すべきだけど、それが出来ない自分の虚しさについてのイライラ。 イライラもして無いんだが、どうでも良くなる。
相手は子供ではないし俺が悪い。 >>45
なるほどw
現実社会で愚痴を聴いてくれる存在はレアですからね〜
具体的な内容を言えない場所では根本的な問題解決の場としては不向きですし・・・
ネットではなく現実社会でのストレス発散の方法を知っていますか?
個人的には「現実社会では大人な振る舞いができる人」と思いましたが、どうでしょう?w 大人派のTwitterだと思ってらっしゃるのは
あくまでプロフィール上や付き合ってる人、あるいは発言内容から推察した想像でしょう?
そんなことない?
どんなにマセてたり渋い人と付き合いがあっても
実は子供だったってことはあるんじゃないかなあ。
そして大人風をふかせてる子供に怒るのだとしたら
それは相手に怒ってるんじゃなくて
相手よりできない自分に怒ってるんじゃないかなあとさえ思う。
定年間際のおじさんがが最近の若者は、と言って怒るのと同じで。 そうでもないと思う。出来る人に対して怒りは無い。
自分よりできる人は無数にいるが特に日常怒りを感じる事は無い。 大人でも子供でしょうけど、それはどちらでもいい。
一般的な負の影響しか与えられなず虚しいという事。 じゃああれかな?ものすごくピュアで理想がめっちゃ高いのかな。 子供は大人じゃない。
出来る他人というのは大人。俺は大人に怒ってはいない。 >>53
「何も出来ない人」と言う点において同類だはw
「やるだけ無駄だから他人に教えて押し付けよう」精神でやってる点において同類じゃなさそうだw
共通点は「言うだけ」かな?w 理想は高いんじゃないかと思う。
だからやる気は出ないと思う。 >>59
押し付ける気は無いけど、俺は自己嫌悪してる。 >>62
自己嫌悪なら経験したぞ?
「負けるのは簡単だから負け続ければいい」と思って自力で乗り越えたw 大人にも色々あって、そこで落伍者の自分を見て学べとはいえないだろう。 >>63
先ずは、書き込みの回数を減らせw
話が飛びすぎて読み辛いし、何が言いたいのか分かりにくい 何もしていない自分を落伍者としてそれを見て学べとはいえない。 すまん2ちゃんは減らしたい。
これでいいとは思えない。 俺は一般的に落伍者ではみ出しもんだけど
俺を見てそういう生きた方もあるのかと思ったり
あるいはこうはなるまいと思ってくれることを望んでるよ。
なにせいくら他人が俺を落伍者認定しても
俺にとって派なんとも思わんし、
それに対しても恥の概念がないもんでね。 俺は落伍者認定はしてない。
そういう人は落伍者じゃない事のほうが多い。 >>66
誰と肩を並べてたって言いたいんだ?大人か?子供か?
あんたはどっちなんだ?
自分でも分かってないのは察するが・・・
純粋に周りに合わせようとして背伸びしすぎただけなんだと思うぞ? >>75
俺は子供、思春期の子供だと思う。
そういう子供は反動的な否定性を持ってると思うが、それとは別に物分りの良い大人は困り者だと思う。
落伍者としての特殊性を見て自由を広げてくれというならいいと思う。 それは「」つきの「落伍者」だろうけど。
困ると言ったが、物分りの良い大人もいいんだけど、そこの使い分けが器用な大人が嫌い。 >>76
「落伍者=大衆」の志は良いと思うよ?
でもね〜
それは無理w
@肩を並べたいと思ってもらえる人になる
A肩を並べたいと思える人に出会う
推測ですが・・・
A→挫折→自己嫌悪←今ココ
こんな感じですかね? 挫折といっても何もしていないから「挫折」
才能も無いが何も無いんだよ でもやるしかないんだが 俺がダメだと思うのは何もせずに「挫折」した「落伍者」
そういう「落伍者」が子供に自由な自分を見て学べと言っても何も無いのにそんな事は言えない 訂正するが>>77は挫折した落伍者だと思う 俺はそれは挫折でも落伍でもないと思うが
そういう落伍者が落伍の自由とその教訓性を言うのは良いと思う >>77
世渡りが下手なだけ
↓
世渡りが上手な人は汚いから大人と認めたくない
>>78
自己嫌悪は盛大にするべき
↓
認めることで楽になることもある
>>79
精神的不安定は着地が見えない不安感
↓
自己解決は自己満足で補える
こんな感じ? なんでそうクズにしたがるんだ
俺はクズだけどそれは嫌だといってる >>84はクズを肯定してるだろ、俺はそれが嫌だと口だけだがずっと言ってる >>81
あーw
その域かww
やるしかないならやるしかない
困った時の事だけ考えて対策を練るしかないwww
「つべこべ言わずにやれ」だな
大人?子供?の以前にだな・・・
女々しいだろwww >>88
その域なんだよ そこから出られない
すまんが何も無い >>90
残念ながらそう
やるしかない この程度の域 >>89
つかぬこと聞きますが・・・
「何人を認識できているのですか?」 >>92
生きていけない
何も無いというのは基本的に無いんだが、俺も遠からず就職するので何かはする事になる
つまりこの域から脱する事にはなる >>96
こりゃ失礼しました
私が以前に体験した「不思議なこと」に似た雰囲気だったので・・・ >>95
何も無いというのは基本的に無いんだが
↑どういう意味? 俺は認識は出来てない、レスも読んでないし何も無いと惰性で言ってるだけ
それは嫌だと思うから触発されてレスはしてしまうが、後は上の様な惰性だけ
すまん 実存していて社会関係の中にあって何も無いという事は無い
俺は2ちゃんにいて虚しい >>100
だとすると
存在してる以上生きてくために仕事する。
書くとこれだけのことなのに、なんでそんな遠回しに書くの? サルトルいわく実存は本質に先立つ
読んでないんだが、それは存在論とは関係なく実存主義なんだと思う
ふとそう思ってかこの思潮に繋げようと上の様に言った >>104
サルトルを知らんからググったニワカ知識だがw
「意識」「 想像力と無」
これが当てはまると思いますが? 俺はあまり哲学にも他の事にも現時点では興味はないんだと思う
読んでないし読まない 興味があることもない
それなのに何かをしないといけない サルトルの実存主義は、無神論的ヒューマニズムで、それは人間の外部に何らかの規範を立てる事を拒否するのだと思う
それにも関わらず何かをする 興味がないしよく分からないのに聞き齧った知識で表現したんだ?へー。
なら何に興味があるの? 実存主義は無神論であって、本質に先立ち実存する人間しかいない
何かをすると言うより何かをせざるを得ない
それを考えると言うのはすごいと思う サルトルを読むかは微妙だが、俺は高校三年間学業成績ワ−スト3で実存を放棄した人間ではある 最近最悪
にちゃんにくると愚痴が止まらない
止めよう >>117
サルトルを読む必要はねーよw
経験したことに思い当たる事だけググって抜粋すれば良いんだぞ?
哲学書なんてヒントしか書いてねーからww >>118
考えをまとめてから来れば良いんじゃね? >>120
悪い意味じゃなく、何かしているのかもしれないが >>121
気力がないなら
何もしなけりゃいいのに。
2ちゃんも就職活動も。
そうやって気持ちに反する行動とってたりするから
録に知りもしないごたくならべてうごかなかったり、
いうたら言行不一致になってるんじゃないかな。 焦りがあってこういう事をしてしまう
やるしかないという結論は出てる >>125
気力がないんだろ?なら何もするなよ。
いずれやるかも知らんけど今は無理矢理にでもやらない結論もあるよ。
お前の今の焦りの行動は本心からではなく、
しなくてはならないっつー強迫感からのもんだろ。 辛くは無い
今までどおりやるだけだから
ただ何も無い >>123
「想像力と無」の検証中〜
ってとこかなw >>131
いや昔の話でなく、今の話してんだよ。
それにお前いま派遣の仕事してるゆうてたやん。
あせって空回りするくらいな、仕事も家族も金も全て捨てちまえよ。
ほい捨てたあとに自分って人間見直して、ほんまにしたいことしるってのもあろうがよ。
今のお前、誰かに操られてるように見えるぜ。 その操られてる誰かってのは実態無く形だけの
「世間」や「皆」ってやつだけどな。 俺にとってのこれまでの自由は何もしない事
それがダメで何かへの自由をしなければいけないがその何かがやはりない
他人は他人として前向きにやって行きたいと思う >>135
良いんじゃね?w
誰もが納得する内容なら書籍にすればいいし
個人的に自由を一言でいえば・・・
現段階では『空白』かなw 俺の自由は就職できる職について自立することだと思う
そうなると思うが、前向きに行きたい >>20
成り立たないよ
全くね
だから周りが見えていない子供だと言ってるんだけど >>140
理由なく否定するのは簡単だよね。
それにそれで相手打ち負かしたら優位に立てるしさ。
どう?嬉しい? 村上春樹の三作目が今分かる気がする
羊の謎を解く主人公と羊を抱え込んで死んでいく鼠 俺は死ぬ事は無いけど
春樹にとって小説というのは切実なものだったのだなと思う
羊を抱えて、「先生」の後継者と共に爆死する鼠 それを見届けても特に何も変わらない主人公 奇しくも続編のダンスダンスダンスは大人と子供、主人公の成熟の物語
その中で主人公は少女と知り合うがその両親に激怒する
俺は怒っていないが その成熟と言っても女性への求愛
特に大きな展開はなく、確か寂しいから会って欲しい、君が必要だというようなものだった気がする 変われない、変わらないものと
変わってしまった、変わらざるをえないもの 成熟が達成されるのは夫婦関係の崩壊と再生を描いた「ねじまき鳥クロニクル」においてだろう 復習や陰謀は何故こうも楽しいのか
何故議論は紛糾すると血湧き肉躍るのか
愚か故に強情な>>1とそれを論破してやろうと群がる心貧しき者達の戯れ 俺の事だが
でも春樹には幼少期からの伴侶の様な文学がありそこから離れていない
自分にはそれが無い 本は読んでない 村上春樹も女は不条理で不可解なものとして腫物のように書いている
女はそれを繊細で優しい描写と勘違いして読んでいるようだがそこにあるものは恐れだ 俺は紛糾した議論には何も言わない
今日何か言ったのは落伍者として、というが落伍者とは俺の様な人間で何もないと言いたかった 女と人くくりには言えない
三部作春樹の描く女は自立している女性が多い
ねじまき鳥においては久美子、加納姉妹、など傷ついた女性が多い
1Q84は読んでいないが主人公の一人は女性で、DVと深いかかわりを持つ 初期春樹においては女性が成熟しているというか内面がない様に書いてる その内面のなさは男の様に達成すべき何かが無いから自由
後に少女や傷ついた女性が徐々に出てくるのだが >>20
感情を殺して皆に合わせるようになると言ってるのに自由じゃなくなるといっていない?
ちょっと物事整理して考える力がないようですね
推敲してからせめてまともなレスをして 拡大解釈して言えば、恐らく春樹は女性に余り興味が無い
というか興味を持つほどの余裕が無い 羊を恐れる作家に女性に対する現実的興味等沸くわけが無い
友達と気に入ったバーでビールでも飲む程度 そのビールも春樹の言うように全て小便になって出て行くだけ 言及するのは漱石だろうが、ねじまき鳥のモチーフは漱石の「門」 つまり初期にはなかった、そして初期の小説において獲得した生活を描いた そこにおいても妻は失踪するし女性が不在であるとは言える
というより傷ついても前を向き何かを自ら獲得するというような主体的な女性はいない
それに近いのは1Q84の青豆だろう 俺がこうしてるのはバーでビールを飲んでいるようなものなんだと思う
春樹の言うように飲んだビールは小便となりでていくだけで何も残らないが、時間は潰せる なるほど
コーヒーの分析では春樹はバーで気の合う男娼と飲み交わしその関係はトイレで流す尿のように綺麗に忘れると
女性に興味はなく自立していない人間が女性としてのシンボルだと そうは言ってない
生活が無いといってる それは江藤淳に通じるところで、喪失している
喪失したものは容易にはえられない 俺の場合は高校三年間成績ワ−スト3だったが、その後に浪人せずに大学に進まず田舎で新聞配達をして無為の年を過ごしたと言うのが大きい
その後もサークルにも入らずずっと無為に過ごした 無為は苦痛ではない
ただ最近になって虚しさを感じる 新聞配達店の人とも話しは殆どしないし付き合いもなかった 君のは喪失というより無為に過ごした時間に対する後悔だろ?
本来得ていただろうという期待に対するものを何かに投影して本来あるべき己を作り上げ喪失にすり替えている 後悔はしてない、俺に才能があるとも思ってない
ただ何かはしないといけないと思ってる そうしないと何も無いまま うんうん、人生の理不尽さに焦ってるんだネー
でも人生って元々理不尽なもんだからネー 院でて一般企業に就職するってどんだけ無駄なことやってるの?
結局目的もなく過ごしている
君に意思はあるの? 残念ながら持とうと思わなければ意志はない
無理やり持てる意志はない 愚痴ですまないんだが他にやる事がなく止まらない
一旦止めよう それが政策論なのは成り行き
すまんここは一旦止めよう 何もやらずにそうしようとして最近は混乱していた
やろう 結局将来の自分に言い訳を与えるために今からその準備をしているわけなんだ
あの時こうだったから俺はダメだと サルトルだが、実存主義は自分の実存に責任を持つと
実存しなければ責任も無いし人格も無い
ダメというのは実存しようと思った フェイクだが 「実存主義とは何か」も読んでないんだが、その様な実存に先立つ本質をサルトルは否定する 大人になるって、自分のコントロールが出来るようになること、なんじゃない? それが君にとっての大人なんだろう
人には皆個性がありそれぞれの人生と価値観があるので法律以外で同意は得られない
ただわかっているのは>>1は誰かに強要されていじけたか
どこぞのメディアの意見に物申したかった青二才だということ 流れと関係なく
江藤淳の名前を出してしまったのはいけなかった
村上春樹については余りそうは思わないが、前氏についてはそう思う 大人になるってことは自分に素直になって決して自分に嘘をつかず周りの社会の為に役立つこと・・・だと思う なにが風呂紅小井戸だよ
くだらねぇ人工物作りやがって ああクズい 復活した
大事なのは職業における卓越があるかないかだと思う 職業人としては三流だけど大人というのもあるし素晴らしいと思うし更に俺は無職だが 荒らしてすまない
俺はバカなのでネットは減らしたい 選択肢
・悩んでいる姿が初々しい すばらしい
・悩んでいる姿がキモチ悪い ただちにしんでくれ
・論文書いてりゃいいだろハゲ >>1
私は正反対だと考える
言いたいことを言えるくらいまわりからも認められるような意思を育まないと大人とは言えないんではないかと考えます >>204
>周りから認められるような意思を育む
どういう意味? 反対や否定されてもめげないで教養を持って理論武装し反撃できる事
つまり>>204を読んで理解できない君には大人といえる教養も知性も意思も持ち合わせていないってことだ >>207
どこにもそんなこと書いてねーだろタコスケ >>208
その反応とレスの内容が何よりの証拠かな^^;
バカって悲しいね
言われたこと以上のことが読み取れないから… 訂正
正:幼稚な大人って悲しいね
誤:バカって悲しいね >>1
ただ単に感情を殺して皆に合わせたり従うのではなく
人間世界を肯定することが大前提にあって
その上で、人間世界のいろいろなルールを自らの理念に従って
間違っている考えるならば、改善の努力をするのが大人。
そのために自らの感情を押し殺す必要があるかないかを
判断できるようにならないとね。 感情を圧し殺すってネガティヴな表現だな
感情をコントロール出来るようになってこその大人なんでない もっと洗練させようぜ
感情の奴隷か感情の主人かってことだよ アホが多いなコーヒーはんあんたレベルが低い
悟る事が大人になることだ。働いて税金納めて社会の役に立つが
大人じゃない。大きい人と書くだろ。どの部分が大きいんだ?
背中だろ嫁さん背負って子供背負って親を背負う
そう言う背中を持つものだけが大人なんだよ。
それを無理矢理お金にしたのが経済だ。お金を利用する人が多すぎる
お金が全ては俺は認めない 結果を受け入れる大人は居ても
結果論を得意げに語る大人は居ないよ
お子様らしく黙ってな 大人しくなるとは、監視、洗脳、工作を黙って素直に受け入れるようになること 「観念して、大人しくしろ!」
大人になるには、観念する必要があるってことだね まとめると、大人になるとは、監視、洗脳、工作を黙って素直に受け
入れて、観念して、せっせと上納するようになることです。 大人のするべきことをやっていれば大人とみなされるけど精神的に成熟した大人になるとはどういうことか?というスレでは? >>223そんな事をする必要は無い。
ただ生きていけばいい。俺は普通の自分を取り戻したい。 大人にはならなくてもいい?
子供の頃の自分を取り戻したい? 大人にはなりたい。
税金も払いたいしおかしな事はしたくない。
ただ俺には何もなく虚しい。同じ事の繰り返しで止めたい。 何もせず、また何も無いおかしな事をしてしまった虚しさから抜けられない。
虚しくなにもせずにそれも虚しく、惰性で書き込んでいる。
何かしたい。 >>230
生きてることはむなしいことなんだからしょうがないよ 自分で虚しくしているんだから度し難い
ダメな所は他人に自分の毒を撒き散らして自分だけ救われようとする性根だな
ゲスの極みってのはコーヒーの事だ 分かってるんだよ。
それも虚しい。
止めて怒るなら怒り、軽蔑するなら軽蔑し、無内容な反動は止めて、その惰性も止めて普通に行きたい。 軽蔑心は無い。
現実では他人に干渉したくなくて拒否的になっていて、後で虚しいし自分もダメになっていてこれも虚しい。 毒を撒き散らしているが、虚しい惰性。
止めたい。もうだめな自分も虚しいがここから始めたい。 >>233
君の普通=虚しいだから、普通に生きているんだよ
虚しさを生きるのが君の人生といっても過言ではない
まず言い訳せず、自己評価を受け入れるのが大人への第一歩 普通=虚しいじゃない。
自己評価は受け入れてる。ダメだといってるじゃないの。
分かってないし何の参考にもならない。 >>236
はっきり申し上げてアナタの発言は紋切り型でレベルが低い。 中身の無い他人への反動で自分を失っていて虚しい。
きちんと書いたとも思わないが、これのどこが普通なのか。 また無内容な反動で自分がダメになっていてそれも虚しい。
無内容な反動のおかしな刻印が残ってしまった、というよりもそれが自分自身になってしまった。 >>239
×中身の無い他人への反動
○現実においてはこちらに何も無い、干渉したくないという無内容な拒否
ネットにおいても、現実で拒否的で、無教養な故に反動化してしまう惰性の垂れ流し
今も最悪 ちゃんとやりたい 勿論俺は誰にも相手にされないクズ。
前向きに生きたい。 やりたいじゃなく生きたいんだ?
目標も明確じゃなくモチベーションも保てないから具体性がかけてきてるようだな
やりたい事とやれる事が一致していないんだろうけどさ
結局物書きになりたいの?
それとも院に戻りたい?
院に行くためのものが作れずぼやいてるの?
いい加減にバカになって生きる頃合いだと思うよ
周りは迷惑して切れる 迷惑して切れるって、言いたくは無いが2ちゃんだろう。
それに俺は他人の非難はしてない。 モチべーションがないというより、現実でもネットでも自分の無内容な反動で無気力化してる。
俺はクズだし、2ちゃんは止めたい。 すまん止めよう。今日からちゃんとしよう。
おかしな事をしても愚痴には来ない。 2ちゃんだから俺も好きなように言ってストレスを発散してる
コーヒーが毒を巻くように俺も毒を吐くだけだ 俺は断言するけど
コーヒーは暇つぶしが暇つぶしにならなくなってる
どうせすぐ戻ってくるくせ毎度嘘を吐くなよ
そういう気を惹こうとする言葉や自分に言い聞かせようとする言葉にヘドが出る
そんなの出来るくらいなら口から発しない 大人になると言うのは責任を負うという事だ
社会や家族に対してではなく自分の行動に対して責任を取らされる
それ以上でもそれ以下でもない
大人の発言などはただのアイロニーであり相手をコントロールする為にあてこすっているだけだ
バカな言葉に惑わされるな
自分で判断して行動しろよ
大体革命家なんて20前後から活動してる餓鬼どもだろ?
中世まで行けば10代で王位について戦争起こしている
大人と子供の衝動に差なんかない
実行に移す手段があるかないかの差だよ >>238
虚しいなんて嘘じゃない?本当に虚しかったら他人の評価なんでできないよ 虚しさもレベルの問題
君の場合は共感能力を働かせてレスしていない
そもそもコーヒーは昔の自分を理想化しているから虚しさが普通なんて言われても違うとしか言えないしレベルの低いトートロジーと素直な感想を述べたんだろ
よ勝手に俺の感想を述べました。 コーヒーの昔なんて知らないし、虚しさなんて共感できないわ
虚しい虚しい虚しい虚しいって連呼してるから、もういっそそれが通常の自分だと諦めろと言っただけで
そもそも共感期待してるなら、共感されるような具体的な虚しさでも書くべきだね。
もう読まないけどw >>258
「書く」とは言わんか・・・
まあ気にしないで 子供か大人かなんて主観的なレッテルに過ぎない。その主観の基準は単なる年齢だったり身体の生育状況だったりする。一般的にはそうした個々の基準を寄せ集めて総合的に子供・大人の判断をするのでしょうね。 大人かどうかはどうでもいいけど
悪い意味で子供なやつはうっざいね
大人じゃない
大人らしくない
という逆の意味にこそ真理がひそんでそう WTBがウザすぎるからじゃないかな?よく知らんけど。 WTBで検索してみたら、こんなの出てきた。合ってるかどうかは分らないけど。
>WTB
>whinie tittie baby - someone that cries over the smallest
>inconveniences or is overly sensitive 重さ30kgの金のブレスレットを死ぬまで装着する事を課せられたら外すために仕方なく手首を切り落とすよ。 死ぬまでなんだから手首落として外すなり装着拒否したら死刑って事だよ
だから手首を切り落とすじゃなく自殺するか耐えるかの二択になるという事 勿論そんな事を課した存在に対抗するなり逃げるという選択肢がもっとも正しい選択だという事は言うまでもない >>267
tittieはtitに指小辞ついたもので、tittyともつづられる。
Google翻訳にかけると「おっぱい」と訳されるけど、乳(ちち)の
方が音も近くて意味も重なる。「tit」は、小さいものを表していた
らしく、日本語で「ちっちゃい」という場合の「ち」と音のイメージ
が重なる。「おしゃべり」という意味の「chitchat」は、「ちっちゃい」
と音が似ていて、「small talk」だし、Twitterのtweetは、
「チュンチュン」鳴く小鳥の囀りで、音から想起されるイメージには
共通性がある。大人になると、こういう共通性や類似性を軽視しがちに
なるけど、感覚的な共通性は、外国語の学習のためにもっと活かされる
べきじゃないかなと思う。 精神的に成熟するためには異性が必要不可欠
離婚する奴とか浮気する奴とか論外
異様に仲のいい夫婦こそ成熟してる >>267 >>275
辞書を引くと、もともと、「ち(乳)」一語で「乳首」や「小さな突起」
を表すように使われていたみたいだね。だから、「ち(乳)」≒「tit」
になって、音も意味もそっくりだ。「ち」は、「ちいさい」、「ちり」
、「ちくちく」、「ちまちま」とか小さいイメージを想起させる。
だから、「tittie baby」の訳としては、「ちご(乳児)」がぴったりだろう。 >>278
じゃあ金をアダマンチウムかビブラニウムに変換 人はみんな違うからな。なので大人になるってことはどういうことかについて議論してもひとつの結論にまとまることはない。
これはどんな問題でもそう。なので自分なりに考えて納得できる生き方をするしかない。 大人になるとは
【肉体的な定義】
年齢を重ね体が成長し成人を迎えること
【精神的な定義】
自分の感情を理性でコントロールできること
逆に「子供」とは理性を持たない感情の塊。
人間は生まれてきたとき皆感情むき出しで、笑う以外は動物と何も変わらない。そこから成長するにつれて知恵がついてくる。
例えばおもちゃを取られれば感情のままに泣く。しかしそれを繰り返すうちに「泣いてばかりでは問題の根本的解決にならず、エネルギーの無駄である」事に気づく。それが「知恵」であり、総合的に考え自分への利点を冷静に探る役割を担うのが「理性」である。
感情は人間にとって尊いものだが、むき出しのままではコミュニケーションに支障が出て不便である。だから社会に生きる以上感情にとって理性は必要であり、理性で感情を上手にコントロールできる事が大人になるということ。
社会では時に感情を無理矢理に押し殺さなければならない場面もあるが、自分自身が本当の感情を認識していれば十分大人。 諦めたからこその生きやすさ
https://an-life.jp/article/43/?para=4
>これからも、このまま、こんな自分ができることで、しかも周りから必要とされることだけを地道にやっていこうと思っています。
大人ってのはこんな感じかもね。 >>283
この自分の素のまんま、地道にするってことが
人によっちゃ出すぎてる、抑えるべきだ
と考えられ、押さえつけるような雰囲気がよいもの
と言った価値観を形作っているのかも。
我を無理矢理通すのと、自然体でいるのが区別できない、みたいな。 >>284
自分を大切にできない人は他人も大切にできない
などとよく言うようですが、そのあたりの機微を伝えるものかも知れませんね。 >>285
同じように社会に出ると
他人の嫌がることはするな、と良く言われますが
本当のとこは他人は自分と違いますからわかりません。
なので結局は自分の価値観でこうした方がいいだろうな
ということをする程度で十分なんだと思います。
過剰に求めたり強制したりしすぎるのは
お門違いなんですよね。
んで、機微を伝えるのは誰が誰にですか? >>286
世の中は迷惑をかけたりかけられたりでいいのだけれども
自分を本当に大切にできるのは自分だというのが実際だとして、
そういう考えの人がそうでない考えの人に自分の考えを直接ぶつけるのでなく
言葉の機微として伝える場合によく使われる言い回しではないかと思います。
日本では他人に迷惑をかけてはいけないというのが子供のしつけでよくいわれますが
大人はそれだけでは生きていけませんから。 >>287
二回読んでいまいち理解できたか疑問なのですが
一般的にみんな(おおくは大人)が、特定の個人(多くは子供)に
と言った解釈でよろしいですか? >>288
人間同士が100%理解しあうなんてことはありえないと思いますよ。
どこかで誰かの経験からこういう見方・言葉が出てきたという程度の
解釈でいいです。大体は大人はこう、子供はこうという話だろうという
意見もあるなぁというのが仰る解釈なら、それでOKです。 >>289
良くわからん。
それはあなたの言葉?
著者の言葉?
日本にいる多くの大人は形は大人でも心が大人でないってことかな。 >>290
>それはあなたの言葉?
>著者の言葉?
基本的に自分の言葉ですが、たまたま今読んでいる「強さとは何か」という
本に影響されて言葉が上滑りしているかも知れません。すみません。
>日本にいる多くの大人は形は大人でも心が大人でないってことかな。
それはわからないです。そこまでの一般論になるとどうとも判断できないです。ごめんなさい。 >>291
質問に答えてくれそうな人でよかったよ。
前者はそうなのね、って感じです。
後者は私の勝手な解釈だったんでわからない、という回答だったのですね。 >>282
はい。
>感情をコントロール
>感情を圧し殺さなければならない場面もある
1にも書いてあるけど大人だからと言って
必ずしも合わせる必要があるわけではない
という意味で近い意味なのかなと解釈しました。 >>292
ちゃんとした(大人としてのきっかけをつかんだ?)書き込みですね。
もしネットに大人としての人生の必勝法を求めているのなら
必勝法がないと思うのが必勝法だと思います。
自信を持って、出来れば顔の見える知り合いとの関係を
積み上げていくといいと思いますね。言えるのは
こんな所でしょうか。お話につきあってくれて
ありがとうございますね。それでは。 >>294
必勝法なんて、とてもとても求めてないですよー。
前提として自分と他人とは違うのは認識してますし。
必勝法、すなわち自分が相手と同じになってしまったら
それこそ恐いってか思い上がりですよー。 >>293
近いと思います。
1が誰に何を言われたのか知らないけど、仮に相手が「大人になれ」というのを「大人は周りに従って生きるべきだ」という前提で使ってるのならそれは相手が間違い
周りと同調できない場面になった時に、相手の意見を聞かず自分の意見ばかり主張する我がままな行為を「子供」だとするのに対して、
同調できない事を自身で認識しつつも、妥協して周りに合わせるか冷静にもう少し議論してみるのかを判断できる人が「大人」というだけ。それ以上でも以下でもない。
ただ、同調できない事を自身で認識しているにも関わらず、周りに合わせ続けて不満を言い続けることは大人とは言えない。正直に伝えて円満にコミュニティから抜ける努力をするのなら大人。
説教じみてたら申し訳ない。
1は何も間違ってないと思う >>297
そうか、近いならよかったわ。
大人になれとか空気を読めと諭される場合もそうだけど
多くの場合、それらの言葉は出すぎるのをとがめる場合に使われない?
もう少し自を出せ、とか、主張しろって意図で
大人になれって言うケースは少ない気がする。
私の社会人経験が単純に足りないだけって話なのかもしらんけど。 反骨精神溢れる若者の精神だね
ただ隷属気質が見え貴方は侮蔑されるべき虎の威を借りる狐、或いは犬と呼ばれて毛嫌いされるか
尊敬なんぞは胸に締まって自分の足で立って進めよ >>299
>出すぎるのをとがめる場合
本当そうね
多くの人は、その定義も曖昧なままで使ってる事が多いと思う
まあ考えも人それぞれだから、自分自身が明確な定義を持っていれば「ああこの人は間違った使い方してるけど多分こういう事が言いたいんだな」って相手の意思を汲み取ってあげるのも、大人な対応と言えるかもしれない
状況や職種によっても感情と理性の重要度の比率は変わるから難しいよね 間違いの場合もあるし自らのバイアスの場合もある
所詮自分の知識・経験の内でしか相手は理解出来ないし、そもそも利害が一致しなければどちらかが譲るしかないけどね
利害関係は説得出来ないので力関係による妥協と打算が最後の一線
これを越えると物別れ
捨ぜりふに愚痴に大人になれとの発言が飛び出す 頭の柔らかい子供
頭の固い大人
頭が柔らかい/固いってどういうことだと思いますか? 頭が固いのは相手の話を少ない人生経験を例えに断定的に受け止め判断する人
柔らかいのは相手の発言を受け入れて自分の判断を提案なり例えとして話す人かな
知識と経験の量によって相対的な判断になる
あと表面的には受け入れた風を装って保守的な判断しかしない人もいるしある程度付き合わないと判断できないよ 例えば、子供のうちなら、どこか別の場所に連れて行って
別の親に育てさせれば、育った環境の言葉を修得する。
ところが、大人になると、同じ期間、別の場所に行って、
居候して生活しても、それほどうまく現地の言葉を修得できない。
どこに違いがあるのでしょう。 言い換えれば、子供と大人では、言語習得過程が異なるように見え、
さらに、大人が外国語を学ぶように子供に言葉を教えても、やはり
子供は、教えられた言葉をうまく修得できないようです。
何がどのように違うのでしょう。 生物学的な脳の発達によるものも示唆されている
幼児期に言語習得の機会を逸した子供は大人になってからでは言語習得がうまくできないのではと
事例が少ないからまだ確定的ではないけど
脳みそは使うことによって発達する
当然他人の意識を別の脳には移植できない
脳みその神経細胞の繋がりが物理的に違うから >>303
あたまのかたさってのは想定される手段や方法の数が多いか少ないかだけのような気もするなあ。子供や大人って区別はなく。 >>309
山本七平が帝国陸軍を例にとり、空気の研究で言及してるけど
日本特有の空気は帝国陸軍のトップでさえ変えられなかったのにムリだよ。
空気とはいわば期待(気体)だけどね 官僚のトップはむしろ雰囲気を変えるすべなんてもっていないから変える能力なんて持っていない
そもそも部下は官僚の人柄にひかれて入ったわけではないんだから >>307
子供が英語を教えられても、たいてい、うまく学習することができないのに、
教えられてもいない言葉や言葉遣いをうまく学習してしまうのはなぜですか? 使う頻度の問題
一般にハーフの子供は家庭で使う言語(両親の言語)と外で使う言語(住んでいる国の言語)の2か国語を学ぶ
日常から外れた授業内だけの言語が学べない理由はそこにある 言語習得の具体的な構造はいくつか提示されているようですが具体的には解明されていないので
ディープラーニングの本でも読んでくださいな 大人になったのに、幼稚な意見しか出てこないのはなぜだろうw 勉強ねえ。それほど好きなほうではなかったなあ。
ゲームとか。 西洋では、大人になるとは自立的な主体になることだけど、
日本では、重視されるのは、職だね。
特に男子は定職について、世間に貢献すること。
いまはフリーターや非正社員が増えたんだけど、
なかなかこれは変わらない。
定職に就かないと世間体が悪い。
あとは、社会システムも正社員優遇だからね。
大企業を優遇して経済成長させる。
定職について入れば、あとは何でも一人前扱いされるんじゃない? 西洋では、大人になるのは精神的な自立を求められるけど、
日本だと、一人前に働いてれば、あとはたいがい許されるよ。
だから大学生に甘い。
就職前だから、
大人でないことが許される。 これは江戸時代の家督重視からきてるんだろうけど。
江戸時代は、家がしっかりしてるば、
道楽息子とか許されたんだろうけど、
核家族化してから、
個人単位に求められるようになったな。
相変わらず、女子には甘い。
女子は結婚なのかな。 世間は江戸時代は倫理圏として機能してたんだか、
その基準が職にあった。
それは現代も変わらない。
日本において一人前とは、世間が決める。
世間に出して恥ずかしくないこと。
その大きな基準が、職による世間への貢献にある。
西洋では、職は稼ぐ手段で、一人前には大して重要ではない。
西洋では、働くことが卑しいという考えさえある。
それよりも、ボランティアなど無償の社会貢献をする方が、
一人前として認められる。 >>324
>西洋では、働くことが卑しいという考えさえある。
それは波平が本で読んだ中世の知識に振り回されてるだけだよ 世間では「ドヤ顔をする事」であり
「ドヤ顔が出来る様になる事」だろうよ 具体的な例から一般性や共通性を探ろうとする代わりに、すぐに思想信条に流れる 大人になるとは
世間的には「私は大人だ」と言い張る事に違いない 子供と大人では言語の理解はどのように異なるのだろうか。
単に子供の方が、言葉の理解力が低く、情報処理能力が劣ると考えるなら、
外国語の生活環境に放り込まれたときに、大人がなかなか現地の言葉を
修得できないのに、子供はすぐに現地の言葉を使うようになることは
説明がつかないだろう。ある意味で、大人よりも子供の方が明らかに
言葉をよりよく理解する。大人の理解の仕方と子供の理解の仕方の
どこに、どのような違いがあるのか明確に記述することが重要である。 学習能力によって物事を学習することは、情報処理能力を高めるが、
情報処理能力を高めることは、学習能力を低下させる。 >>330
先に大人と子供の明確な境界を
定めた方が良いんじゃないかな?
すると今度は
境界を定める条件が重要になるがね
例えば「理解の仕方の違い」から境界を定めてはどうだろう?
鶏卵だね
良い矛盾点を付いているね
この点が人間を科学的に実証する事の
不可能を良く示しているよね 外国語の環境で暮らしているとき、子供は、たいていの場合、その外国語を
身につけるのと同時に母語の使用を避けるようになる。大人の場合は、いくら
新しい言語を身につけようと努力していても、そのことがすなわち、母語の
排除にはつながらない。子供は、新たな言語を自分のものとしようとする場合、
大人よりもはるかに全面的にその言語の発音と意味の体系性を利用していて、
その体系性といままでの自分の母語の折り合いをつけることができないため、
母語の体系性の方を無視しようとすることになるのだろう。 既に身についている母語との対応関係を憶えるというような「知的な」情報処理
の手法によっては、外国語を体系的に学ぶことはできても、「体系として身に
つける」ことはできないのだろう。 昔、米国人とインド人を両親にもつインド系米国人の知人がいた。
家庭では英語だけで育ち、米国で成長したので英語だけが母語であるが、
会話をしていると、米国英語とインド英語が本人も意識することなく、
不意に切り換わる。同じ英語でも米国英語とインド英語ではかなりの
違いがあるが、それが入り混じって中間的な英語になるのではなく、
両方が体系性を保ったまま切り換わるのである。 何いってんだこいつら。
哲学板の人らってまともなやり取りできる人すくないの?
例えば郵便局までの道を知りたい場合に聞いても
そもそも郵便とは手紙などを送るための公共機関の窓口で〜
とか誰かが言うのを聞いてなきゃいかんの? 言語を身につけるのは、単なる知識の問題ではない。もう誰だったか忘れて
しまったが、フランスの知識人の女性がインタビューで自分の生い立ちを
語っていた。ドイツとの国境に近い地方で生まれて、子供の頃は家庭内では
ドイツ語だけを使っていたという。ところが、その後、スイスのドイツ語圏
に引っ越すことになり、そこで学校に通うようになった。すると、自分の
話す「ドイツ語」は、周囲の人々が話すドイツ語とは大きく異なり、自分
の「ドイツ語」を話すことに強い劣等感を抱くようになり、それをきっかけ
にフランス語だけを母語として使うようになったというような話だったと
記憶している。 物事の分別がつくのが大人であり、大人になるとやたらに疑問を抱かなくなる。
例えば、「チキン」という言葉を聞いて、大人が連想するのは、「ポーク/豚肉」
や「ビーフ/牛肉」や「フィッシュ/魚」であり、「チキン」の「ち」は、
「『小さい』や『近い』の『ち』と関係あるのだろうか」などと思ったり
しないのである。 ところで、英語で「チキン(chicken)」ではなく「チック(chick)」と言えば、
「雛鳥」のことであり、もともとは、「チキン(chicken)」の省略形という
ことなので、「チキン」は「雛鳥」を表していたことになり、「チキン」
という発音自体、雛鳥の鳴き声を真似しているものと考えられるので、
「チキン」の「ち」は、小さい気道によって発せられる声/音であり、
その声/音を写す言葉が、そのような声/音を出す小さい事物を表すように
用いられていると考えることができる。すると、「小さい」や「近い」
の「ち」と「チキン」の「ち」の関係に疑問を感じるのもそれほど変で
はないことになる。スペイン語でも「小さい/子供」を表すのに
「chico(男性形)/chica(女性形)」という言葉を使う。
もちろん、このような共通性を言語の普遍性であると考えて、逆に「ち」
という発音が用いられているから、小さいことを表しているに違いない
などと考えたりすれば、おびただしい数のトンデモ解釈が生じる
ことは請け合いである。 子供は言語を学習する過程でトンデモな間違いを排除するために閉じた体系性
を身につけると考えることができるのではないか。 私たちは、普段、特に意識しなくても、外来語でさえ、母語としての体系
に合わせて意味解釈して用いている。「タッチする」は、既に日本語として
定着した外来語だが、私には、「指でタッチする」が普通の表現に聞こえる
のに対して、「手でタッチする」は冗長に聞こえ、「足でタッチする」は
変に聞こえる。これはおそらく、「タッチ」が英語の「touch」であると
はっきり理解しながらも、「タッチ」の「た」が私には「手(た)」として
聞こえているからだろう。 発音と意味の連想は、同一の体系内では強め合う作用が働き、その連想が
自然なものとして受け取られるようになるので、意識はむしろ、違いを
表現しようとする弁別作用の方に向かい、慣習化した連想は暗黙化される。
例えば、日本語において「つ」という発音が連想させるのは、局所的な
接触がつづいている状態だろうと思われ、このことは、モールス信号
において長い接触が「ツー」と表現され、短い接触が「トン」と表現
されることからも確認できる。「つかむ」、「つねる」、「つまむ」
「つつく」、「つたう」など多くの例を挙げることができ、継続を
表す「〜つつ」という表現自体が「つ」の反復である。一見、「局所的
な接触の継続」と無関係であるかのように思われるかもしれない
「つか(使)う」にしても、「つく−あふ」という再帰用法と解釈すれば、
フランス語の「s'appliquer a 〜」に対応していることが分る。 ところで、ドイツ語で数の2を表す「ツヴァイ(zwei)」は、私に日本語の
「つがひ」を連想させ、「つがひ」という言葉は、「つい(対)」を連想
させる。いずれも「つ」の音で始まっていて、1つはゲルマン語であり、
1つは日本語であり、もう1つは漢字の唐音に由来するので、似たような
意味を表すので、「つ」は、異なる言語でも共通して2つのものが合わ
さっているイメージを表しているに違いないと結論づけるなら、それは
トンデモ解釈となるだろう。実際、ドイツ語の「ツヴァイ」に対応する
英語の「two」の発音は、「ツ」ではなく「トゥ」で始まり、より
古い形では、「トゥ」ではなく、「ドゥ」であったようである。
では、「ツヴァイ」と「つがい」と「つい」は語源的には別々なの
だから、偶々、発音が似ているに過ぎないと考えるべきなのだろうか。
むろん、私は、印欧語が日本語に伝わったので似ているなどと主張する
つもりは毛頭ないが、そのように似た意味を表す言葉の発音が近いことは、
完全に偶然であるとは言い切れないだろうと思う。 今もそうですが
最終的には文字や言語環境が定義されてないから議論できない
などと言って大人になることへの課題には向き合わなさそうですね。 ここの板の連中の多くは
日本語が理解できないのか
あるいは議論する気がないのかしらんけど
根本的にいいっぱなしで頭が悪いんだなあとおもうわ。
表現方法とか日本語とドイツ語との違いとか
書いてるボケどもはほんといらんんわ。
関連性が全くないから。 小学校から英語教育を導入しようとしているのは、子供のうちから
英語を勉強させた方が英語の運用能力が身につくという考え方から
でしょう。それは別に語学でなくても、フィギュア・スケートや
器械体操のようなスポーツであっても同じことで、子供のときの
訓練で身につく能力と、大人になってから学習できる能力は違う。
そういう具体例から議論していった方が、大人になるとはどういう
ことか理解が深められると思いますよ。 でも、実際のところ、遊びで英語を学ばせても、大人のように学習させても、
子供が英語の運用能力を身につける助けになるとは私には思えない。逆に
実際に運用能力が身につくような学習をさせれば、日本語と英語の運用
の間で必然的に競合が生じることになるだろう。どのような教育が
「効果的」であるかは、大人の社会で英語と日本語の関係がどのような
ものとなることが理想的であると考えているかによる。 異人種間結婚法を制定すれば良いんだよ
同族間での結婚は非合法として優勢言語が英語の人種との結婚以外は認めない
これなら日本語と英語がネイティブに近い形で話せるようになる 大きな心をもつことだよ、それは人の人格が成長して
心にゆとりと感情だけで動くのを抑制できる理性をもつこと。
おまえらには無理だよな。 >>350
その場合、英語がいまの日本語の標準語に取って代わり、日本語が
家庭内でだけ使われる言語になるか、それとも日本語を含め、多くの
異なる言語を使う人々が同じ地域に暮らしていて、英語が共通語と
して使われるようになるかによって使われる英語の性質も違ってくる。
前者の場合、英語は、米語をモデルとすることになり、後者の場合、
米語とは大きく異なる、いわゆるグロービッシュになるだろう。 大人に子供の教育について議論させると、必ずといっていいほど、自分の
成功例や失敗例をモデルにしたがる。ところが、その場合、目的に対する
成功や失敗ばかりを評価していて、成功とはなにか、失敗とはなにかを
きちんと自省したうえで議論している人は少ないとうい印象を受ける。
確かに、何の分野であれ、素質のある人間を小さい頃から訓練すれば、
高い能力が身につくし、素質があっても、早期の訓練をしなければ、
後からいくら努力しても同様の能力を身につけることが不可能である
とうことはある。例えば、いくら才能があっても、幼少時から練習
を繰り返さなければ、体操競技の白井健三選手のように空中でくる
くる回転する能力は身につかないだろう。その意味で、体操選手と
して成功しようとするなら、早期からの訓練は欠かせない。それで
は、子供たちはみんな小さい頃から器械体操の基礎訓練を受けるべき
なのか。みんなが器械体操がある程度できる社会を目指そうというの
なら、そうすることが合理的である。ただし、それによって子供が
サッカーも野球も水泳もできるようになるわけではないし、他の
選択の可能性も犠牲になることは言うまでもない。さらに、いくら
体操の天才的な能力を身につけたとしても、オリンピック競技として
器械体操が廃止されれば、そのような能力はほとんど何の役にも立たない。 言語の早期教育については、事情はさらに複雑になる。子供に外国語の
運用能力をつけさせようとすれば、母語との競合が生じるからだ。例えば、
英語が運用できるようになるとは、発音からただちにそれに合ったイメージ
を思い浮かべてしまうことであり、日本語で「フライ食べる?」と聞かれて、
「ハエ食べる?」と尋ねられているような奇妙な感覚を生じてしまうこと
でもある。これは、日本語を母語とする人間が、例えば、「ウンチーニ」
という人名を聞いてただちに「変な名前だ」と感じてしまうことを考えれ
ばすぐに理解できることである。
実際、2つの言語を併用するように育つ人間は、そのような奇妙な混乱を
避けるために、自分が使う2つの言語を互いに分離してしまう場合がよく
ある。それぞれの言語を使う状況で、適切な言い回しを用いることが
できるが、その間の橋渡しが困難になり、周囲に受け入れられる適切な
言い回しを用いることに専念するので、それぞれの言語を自省的に用いる
言語的反省も疎かになりがちとなる。逆に、2つの言語の間で絶えず
折り合いをつけようとしていれば、例えば、「フライ」という言葉を
聞いて、それが日本語の「フライ」なのか、英語の「fly」なのかと
いうような定まりのない感じが生じて、言語の運用がスムーズに運ばなく
なる可能性がある。 人は、自分とは異なる体系性を参照して話す相手の言葉に「もどかしさ」を
感じる。相手の言葉をまねて繰り返すことは、相手を「からかう」ことで
あり、からかわれた人は、自分が差別されたと感じるが、「からかい」と
は、相手の言動が参照すべき体系性から「ずれている」ことを相手に意識
させる手段であり、その言動の「もどかしさ」を相手に伝えようとする
ことであり、実のところ、言語の運用能力を身につけることと切り離すこと
ができないのである。
坂部恵が「もどき」について論じているが、「もどき」の語源をどう解釈
するにしても、「もどき」は、英語の「mockery」に、「もどく」は、
「mock」にうまく対応し、「もどかしい」は、もともとは、「causing
mockery」に相当するような意味であったのだろうと私は思う。
英語の運用能力を身につければ、日本語に取り込まれて使用される英語が
「シ」と「スィ」を混同することに「もどかしさ」を感じてしまうので
あり、逆に英語を使わない人間が、相手がカタカナ語を発音するのに
いちいち「シ」と「スィ」を区別するのを耳にすれば、やはり、そのことに
「もどかしさ」を感じてしまうのである。 サッカーの試合の中継で「シミュレーション」というカタカナ英語がよく
使われるようになったが、「シミュ」という発音の連なりは日本語には
ないので、この言葉を、代わりに「シュミレーション」と発音する人が
よくいる。サッカー通になると、そのことに「もどかしさ」を感じる人
が少なからずいるようで、「シュミレーション」と発音すれば、間違い
を指摘する人もいるし、スタジアムで「シミュレーション」の場面を目に
して、「シミュレーション」の短縮形として「シミュ、シミュ!」と叫ぶ
観客さえいる。ところが、英語の発音は、いずれにしても、「シ」
ではなく「スィ」であり、英語として発音した場合に、「シュミレーション」
も「シミュレーション」も同程度に通用しないのだから、どうせなら
「外来語など使わずに日本語を使え」と、私も「もどかしさ」を感じて
しまうのである。 大人になるってことは・・・
他人の愚痴を話半分で聞き流してやれるようになること。 大人になるとは、成人する(ひととなる)ことであり、ひと(他人)と等(ひと)しい
と認められるようになることだから、他人と等しいと認められたいなら、その
限りで、自分が実際に交わる人たちに合わせるほかないんですよ。ただ、自分が
対等であると認めてもらうために合わせようとする他人もやはり、その人に
とっての他人に自分を合わせることで、自分を認めてもらっているのだから、
相互調整ということになる。
これは、日本人が英語を学習するのに、米国の米語ネイティブをモデルに
するのか、より国際的なグロービッシュをモデルにするのかという問題にも
関係する。日本人が英語を修得しようとして、若い頃から米語ネイティブ
の話者に教育を受け、高い米語の運用能力を身につけたとしても、欧州
諸国や他のアジア諸国の人々を相手に英語で会話するときに、相手も米語
を話すことを期待して、流暢な米語で話そうと努めることは、「おとなげない」
ことになってしまうでしょう。日本人が英語を国際語として用いようとする
なら、相手の話す英語に合わせて「グロービッシュ」を話そうとしなければ、
大人の対応とは言えない。ところが、今度は、米語ネイティブ話者を相手に
「グロービッシュ」を話せば、当然、大人の言葉を話しているとは認められ
ず、自分の「グロービッシュ」を米語に合わせようとしている努力を見せる
なら、相手も「変な言葉」を許容する態度をとるけれども、米語の話者に
自分の「グロービッシュ」に合わせることを求めるなら、反感を買うことになる。 「グロービッシュ」が英語の標準語になって、米語や英語は、家庭内でだけ話され
る言語になることも、米語が英語の規範的なモデルとされながら、その「劣化版」
として「グロービッシュ」が共通言語として用いられている現状も理想的とは
言えないが、全面的な標準化の動きが出てくることも望ましいとは言えない。
そこに「人として振る舞うこと」、「大人になること」の難しさがあるのです。
イタリア人の「ウンチーニ」という人名を聞いて、「変な名前だ」という反応
をするのは、日本語の話者であれば、自然なことです。でも、「ウンチーニ」
さん本人が日本に住んで、日本人がその名前を笑い物にしたとしたら、それは
「おとなげない」でしょう。でも、その「ウンチーニ」さんが、日本で
「タベルナ・ウンチーニ」という店名でレストランを開いて、日本人に笑い物
にされ、「日本人はイタリア人を差別している」とか「日本人は閉鎖的だ」
とか主張したとすれば、それもやはり「おとなげない」でしょう。
「タベルナ・ウンチーニ」が変に聞こえないような日本語は、もはや日本語
ではない。 私にとって、哲学的な思索は特定の言語で行うものではなく、言語と言語の
間で行うものなので、必然的に失語症的であり、哲学的思考は、失語状態
からの回復の試みとして書きつけられる。 思考が既に表現を見出しているなら、思索は必要ないのだ。 またまた子供のようなことを言わせてもらえば、
日本語の「し(締)まる」とドイツ語の「schmal」と英語の「small」は似ている。 似ていると私が感じるのは、「さ、し、す、せ、そ」の発音に風が動くような
「動き」を連想し、「m」の発音に「閉じること」を連想するからだろう。 大人は分類ばかりに気をとられているので、類似性に気づきにくい。
例えば、子供から「こま(困)る」とはどういう意味か、説明を求められた
場合、「困る」は、「困る」として既に分類されてしまっているので、
説明に困るのではないか。ところが、類似性に注目すれば、その解釈が
正しいか間違っているかは別として、説明は簡単である。
こ(混)む−こ(込)める−こま(困)る≒「be hemmed in」 文法や語源などを考慮せず、音の感覚だけに頼ると、この場合もやはり、
「m」の発音が「閉じること」を連想させる。既に「つ」という発音が
連想させるのは、「局所的な接触がつづいている状態」であると指摘
したが、まったく無根拠でも、こういう連想を組み合わせることは、
解釈の可能性を考えるのに役立つ。
日本語を外国語として学習としていて「つ(詰)まる」という言葉に初めて
出会ったとしよう。辞書を引かなくても、動詞として使われていることが
分り、「つ」と「m」の発音からの連想を応用するなら、「つまる」は、
「局所的な接触がつづいている状態+閉じる」に近い意味ではないかと
連想される。たとえこの解釈が文法的にも語源的にもデタラメであった
としても、「当たらずしも遠からず」の憶測を導き出すことができる。
その憶測が通用しないことが判明すれば、その憶測を棄却すればいい
だけのことであり、言葉を学ぶとは、そのような試行錯誤を繰り返して
言葉の体系性を身につけることではないのか。 わ(割)る⇒わ(割)る+あう⇒わら(笑)う(「わる」の再帰用法)
fendre ⇒ se fendre la gueule(「大口を開けて笑う」仏語) き(切)る⇒き(切)る+あう⇒きら(嫌)う(「きる」の再帰用法)
形だけ見れば、英語の「rescind」に重なるが、意味的には「reject」の
方が近く、「きら(嫌)う」の場合の「き(切)る」は、「cast off」のような
ニュアンスで使われているのだろう。 ね(練)る⇒ね(練)る+あう⇒ねら(狙)う(「ねる」の再帰用法)
という推測も成立するように思われる。
http://ejje.weblio.jp/content/練る
研究社 新和英中辞典での「練る」の英訳
〈金属を〉 temper
〈錬磨する〉 train 男性的な処世術を持つことがその言葉に割と合致している気がする 「おそ(襲)う」も、複数の語源解釈の可能性が考えられるものの、再帰的な
用法の表現であると思われる。「襲撃する」場合の「おそう」は、意味的に
「surprendre」に対応し、「受け継ぐ」場合の「おそう」は、「assumer」に
対応するが、いずれも「覆いかぶさる」動きを表していて、再帰的を表す
動詞で用いられる「se」が、「自らを(覆い被せる)」と解釈された場合に、
「襲撃する」に対応し、「自らに(覆い被せる)」と解釈される場合に
「受け継ぐ」に対応することになる。英語の「take over」という表現が、
関係性に依存して、「乗っ取る」という意味にも、「引き継ぐ」という
意味にもなるのと似ている。 誤:再帰的を表す動詞で用いられる
正:再帰的に用いられる動詞で 「おそ(襲)う」だけでなく、「きそ(競)う」、「よそ(装)う」、
「あらそ(争)う」などの表現も、語源的に「〜あふ」と解釈するのは
無理があるように見える一方で、その用法や、印欧語における対応する
表現を考慮すると、明らかに再帰的な用法(相互性を表すにせよ、自ら
に対する行為を表すにせよ)であると感じられる。
これらの表現が「〜そう」という形をしていることは、語源的にこれらが
「〜そ(添)ふ」であった可能性が考えられるのだろうか。そうであった
とすれば、「そ(添)う」自体が再帰的な動詞であったために、さらに再帰性
を表す助動詞の「〜あふ」を重複して用いる必要はなかったことになる。
そのような解釈が妥当であったとすると、例えば、「あら(争)ふ」≒
「あら(荒/粗/抗)+そ(添)ふ」は、「あひ(相/合)+そ(添)ふ」の対立概念
と考えることができる。 「〜そ(添)ふ」と想定する場合、私が連想するのは英語の「sum」の語源に
近いニュアンスである。
sum (n.) Look up sum at Dictionary.com
c. 1300, summe, "quantity or amount of money," from Anglo-French
and Old French summe, somme "amount, total; collection; essential
point; summing up, conclusion" (13c., Modern French somme),
from Latin summa "the top, summit; chief place, highest rank;
main thing, chief point, essence, gist; an amount (of money),"
noun use (via phrases such as summa pars, summa res) of fem.
of summus "highest, uppermost," from PIE *sup-mos-, from root
*uper "over" (see super-). 同様に、仏語の「s'ajouter」や「rajouter」なども連想される。 >>351
おまえらには無理とか言っちゃって人の勇気を奪うような君は
確定的に大きな心を持ってないと断言できるわ 日本語と外国語の違い(ましてや関連性があるという予想)なんて
大人になることと関連がないとなんて微塵も考えてないのだろうな。
ここで言葉の定義書いてるやつはよく「おまえの着眼ポイントはずれてる」って言われるだろ?
発する意味がないから他人からの反応がなく
放置されてることに気づけ。 神様は本当に居ます
良かったらみてください
http://hirohifumiyamato.blog.fc2.com/
信じてる理由は私のホームページに書いてあります(。>ω<。)
http://eternalhappiness496.com
言葉や文字は本当に神と共にあったんです!
結構詳細に事実を記録したはずです!
神様を知れば人生観が180度変わります! いつもお世話になっています。
今年も「葉っぱの日」が近づいてまいりました。
何卒宜しくお願いします
・葉っぱ天国とは?
→2ちゃんねるのような規模の大きい掲示板で利用者は10代が主体です。
・「葉っぱの日」とは?
→8月8日に執り行われる葉っぱ天国の記念日。
毎年恒例でこの日だけ書き込み規制が解除されます。
そのため、2ちゃんねるのVIP板などから荒らしが雪崩れ込み、
一種のお祭り状態になるのです。 中本裕之(なかもと ひろゆき)元弁護士(新62期)=長文=奈良県について(2016年2月)
性別: 男、未婚
年齢: 36歳以下(昭和54年4月2日以降生れ)
国籍: 日本人?(本人談: 2012/03/26 パスポート取得)
住所: 奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)?
最寄駅: 近鉄・生駒線 竜田川駅?
実家: 不動産を所有する資産家の分家
家族: 実家で母親と同居、兄、弟、妹?、父親と確執?
母親: 世界真光(まひかり)文明教団の信者
宗教: 聖書は半分くらいしか読んでいない ←←←←←←←←New!
既往症: ノイローゼ(2013/1/15)
常用薬: リスペリドン(2013/1/7)
禁忌: 奈良駅には行けない事情がある
職歴: 元弁護士(新62期、大阪弁護士会、登録番号 41908)、LECでの答案添削、家庭教師
資格: TOEICスコア 680 (2011/10/01現在)
高校: 奈良県 私立帝塚山中学・高等学校卒?
大学: 京都大学法学部 大石眞ゼミ?
大学院: 関西地方の法科大学院修了
受験: 旧司法試験の東京での申込み状況を知っている
勉強: 合格まで10年かかった。『事例本』シリーズ(辰巳1997年〜絶版)を使用
ゼミ: 憲法のゼミに所属(本人談: 右寄りといえば右寄りの方)
奨学金: 毎月1万円返済、返済期間10年以上(2013/10/22現在)
体重: 63.6キロ(2011/12/20現在)
好物: 水炊き、うどん
好きなアニメ: ザンボット3(1977年)、太陽の牙ダグラム(1981年)、聖戦士ダンバイン(1983年)
偏愛: 伊藤かな恵(声優)、明坂聡美(声優)、高倉陽毬(アニメキャラ) 、小・中学生のホモ
憧れ: 大学教授、公務員
常駐先: 緊急自然災害板(原発情報)、哲学板(千葉雅也、東浩紀)、模型板、声優板ほか
2012/09/01 小・中学生の時にホモってフェラするのが最も良い
2012/09/05 わたしはとにかく、奈良駅にはいけないのです。
2013/10/22 中途半端に頭がよかったのが不幸の始まるなのであろう。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
多重債務、ヤミ金、家賃滞納でお困りの方。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
エヌピ-オ-法人 エスティーエー 大人になることは力を得ること、力を得れば、力の使い方を間違える。
間違いと通してしまった人が向かうのは檻の中 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています