マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net
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『存在と時間』とヘーゲル
『存在と時間』の最初と最後を読むと、
ヘーゲルの『大論理学』や存在論について触れられている箇所がないだろうか?
ハイデガーに最もに大きな影響を与えたのがヘーゲルの存在論だろう。
このことは『現象学の根本問題』の以下の部分へと接続される。 “われわれは、存在者ならばいつでも容易になんらかの領域から自分の前に差し出し、表象することができます。[略]
では、哲学の対象はどうでしょうか。
「存在」といったものを表象することは可能でしょうか。
そんなことをしようとすれば、眩暈(めまい)に襲われるのではないでしょうか。[略]
たしかに、存在者であれば、それはなにかあるものであり、
机であったり椅子であったり、樹木、天、物体、言葉、行為であったりします。
たしかに、こうした存在者なら思い浮かべることができますが、
しかし存在を思い浮かべるなんてことができるでしょうか。
というのも、存在などというものは無のように思われるからであり、
しかもほかならぬヘーゲルが「存在と無は同一である」などと言っているからです。
となれば、存在についての学である哲学は、無についての学だということになります。”
― 『現象学の根本問題』木田訳 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています