ハイデガーの哲学は「存在の哲学」でありながら、同時にそれを支える「無の哲学」でもあった。

ヘーゲルは『論理の学』において、
「存在」と「無」は同じであり、これらが同一性と差異性を孕みながら合わさる運動を「生成」と呼んだ。

これはどの様なことを言っているのか?
シェリングやベーメのUngrund(無底、無根底)を参照してみるといい。