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マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net
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0488考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:13:48.560
>>473
四方界のきっかけはヘルダーリン。

『ハイデッガー全集 4』には、
「ヘルダーリンの大地と天」という章がある。

「死すべきもの」とは、永遠の神に対して有限な人間という慣用表現。
「神々」とは、遁れ去りし古き神々。
0489考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:14:45.700
(自然)と(時間)を足すとイメージしやすいかもしれない
0490考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:15:42.620
ハイデガーはヘルダーリンを手引きに、ドイツ・ギリシャ文明の起源を振り返る。
その過程、東洋(オリエント)、インダス、エジプト、老子、華厳(?)といった
アジア的なものと対決をしながら、ソクラテス以前の自然哲学へと遡る。
0491考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:16:23.040
この時期には、ナチス批判をしている
0492考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:17:05.520
ハイデガーによるナチス批判〈1934-35年〉

“今ではなにもかも民族性と血と土にみちあふれているといった有様である。”

― 『ハイデッガー全集 39 ヘルダーリンの讃歌』 p282、解説p332
0493考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:17:42.950
水晶の夜は1938年
0494考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:18:38.060
ヘルダーリン/ハイデガー的生起

“稲妻(Blitz)は、まなざし(Blick)と同一の言葉である。
 まなざしのなかに現有がある。
 雷雨は、それゆえ、「神の現有」である。
 大地と天と神聖なもののなかに隠された神々、
 こういったすべては詩人の静かに-喜ばしい(still-freudig)気分にとって
 根源的に立ち現れる自然の全体のなかに現前する。”

― 「ヘルダーリンの大地と天」『ハイデッガー全集 4』 p218
0495考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:19:16.880
後はこういう話

「形而-上学」=「超-自然学」(『哲学への寄与論考』二五八 哲学)
0496考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:20:00.960
“「真理」という語は、ギリシア人のもとでは或る否定を伴っている、
 すなわちア-レーテイア<ἀ-λήθεια>――
 非-覆蔵性、覆蔵されて-いないこと、である。”

― 『ハイデッガー全集 55 ヘラクレイトス』 p110


真理=隠されていないこと
0497考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:21:07.270
“自然(ピュシス)は隠れることを好む”

― ヘラクレイトス 断片123


ピュシス [physis]
〔哲〕 〔自然の意〕 単に物質的な自然でなく、生ける霊にみちた能動的・有機的なもの。
ギリシャ哲学の最初の主題となった。(大辞林 第三版)
0498考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:21:39.220
“既にこの太古の神性Ἀφαία(アパイア)
 - 現われざるもの、現われることから身を引くもの、逃れつつ現われ出でるもの -
 それがアレーテイアの謂うところを名指している。”

― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』 p279
0499考える名無しさん
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2018/06/04(月) 23:41:35.140
「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」という、あの根源的な振る舞い
0500考える名無しさん
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2018/06/05(火) 22:11:09.300
浅田の場合は、自然の秩序たるピュシスから
ズレはみ出すところの人間性・社会性を扱ったのだけど
0501考える名無しさん
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2018/06/05(火) 22:13:32.410
哲学的つぶやき−その101−
https://www.youtube.com/watch?v=zzzwj344O14

ハイデッガーの『有と時(=存在と時間)』の訳者、辻村公一氏のハイデッガーにまつわるエピソードを紹介します。
辻村氏が、1958年、フライブルグ大学での留学から帰国する際、友人たちが送別のコンパを催してくれたそうです。
そのお礼にと、辻村氏は芭蕉の俳句をドイツ語に訳して紹介していると、ハイデッガーが不意に会場に入ってきました。
そして、彼は芭蕉の句の中で "よくみれば薺(なずな)花咲く垣根かな" の句を、最上のものとして激賞したそうです…
0502考える名無しさん
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2018/06/05(火) 22:15:35.670
芭蕉は好きそう。
杣道と奥の細道とか。
0503考える名無しさん
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2018/06/05(火) 22:17:11.640
>>501の中で、ハイデガーが『星の王子さま』を勧めているという話があるけど、
「大切なものは目には見えない」とか、そういう話だろうね。
0504考える名無しさん
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2018/06/05(火) 22:22:09.940
顕現せざるものの現象学なんだから
0506考える名無しさん
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2018/06/07(木) 18:20:29.790
以下参考までに、『茶の本』「第三章 道教と禅道」(岡倉覚三・天心 村岡博訳)より
「しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。
シナの歴史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を――わ
れら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの
分かれるところである。(略)人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。
道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世の中
にも美を見いだそうと努めている。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html

このなかの「処世(術)」の英訳 (to be in the being of the world)がハイデガーの世界内存在
(in-der-Welt-sein)に繋がったとされる。

荘子の「処世」は「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねる。
(処世は荘子自身の用語ではない。荘子はむしろ処世を超越せよと説く)

以下、今道友信「一哲学者が歩んだ道」(中央公論1999年1月号)より
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022
「私の恩師の一人、伊藤吉之助は一九一八年、第一次世界大戦直後、ドイツに留学、その
ときハイデガーを教師に雇いました。敗戦後のドイツはひどいインフレ で、連合国側の日本の
留学生のポケットマネーはドイツの若い学者たちには魅力的でした。(中略)伊藤は帰国に際し、
お礼の心づもりで『茶の本』の独 訳"Das Buch von tee"をハイデガーに手渡しました。それが
一九一九年。そして一九二五年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、
あの術語がことわり もなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしていました。
それからはるか後年の一九四五年、「いやあ、世話にはなっだんだが、やづければよがっ
だなあ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。」
(後に『知の光を求めて―一哲学者の歩んだ道』今道友信  2000/3 に再録)

この説はハイデガーの老子への興味も説明出来るので十分信憑性がある。
0507考える名無しさん
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2018/06/07(木) 22:32:35.000
くだらん
0508考える名無しさん
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2018/06/07(木) 22:58:41.630
100年近く前のドイツ語に翻訳されて出版された岡倉天心の本ならなぜか持っている。
随分前に入手したものだけど、まだ読んでいない。確か値段は、数百円くらいだった。
0511考える名無しさん
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2018/06/08(金) 01:00:40.490
茶の本のバックボーンは道教
仏教にはない発生論がそこにはある


参考:
"Heidegger and Asian Thought"p.102-103
(1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙における老子#15の引用)
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&;pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
https://i.gyazo.com/1e66ad00efeccd36287cd4dbff241036.jpg

山小屋にて1947年8月9日 

親愛なるシャオ様

私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。

孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。

濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。

道徳経(天の道)より

親愛なる情を持って 
あなたのマルティン・ハイデガーより
0512考える名無しさん
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2018/06/08(金) 15:49:06.130
>>506
あたりまえだろ
 
1946年に
ハイデガーは『老子』の翻訳をしている
0513考える名無しさん
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2018/06/08(金) 20:38:19.380
>>503
ハイデガーの実存主義ってのは、存在とは単独で成立するもんじゃなくて
他との関係性において成り立つといった、仏教の縁起や禅をを参考にした宗教だからつまらない
しかも、そこまで心の論理を追求した結果がナチスかよと
0514考える名無しさん
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2018/06/08(金) 20:41:56.030
>>513
どの本読んだの?
0515考える名無しさん
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2018/06/08(金) 21:07:10.560
>>513
読んだことないだろ?
0516考える名無しさん
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2018/06/08(金) 21:13:04.880
何にも学んでねえヤツのほうがマシなんじゃねえかな
人間の知恵だから読む値打ちがあるのに
そのまんまに戻ってどうするつもりなんだ
0517考える名無しさん
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2018/06/08(金) 23:17:35.940
老子の無即有というモデル>>486-487は、ドイツ観念論のモデル>>381と同じでしょ?
0518考える名無しさん
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2018/06/08(金) 23:18:10.970
ルター「ハイデルベルク討論」における解体/構築

<解説>

「ハイデルベルク討論」の終わりのところで「十字架の神学」が隠れたる神の逆説として展開する。
ルターによるとキリストにおいて自己を啓示する神、つまり顕れた神は、もっとも深く自身を隠している神である。
(略)キリストは苦難と十字架というローマの極刑に付けられた、見るかげもない哀れな姿において自己自身をあらわす。

<本文>

(19)神の「見えない本質が」「造られたものによって理解されると認める」者は、神学者と呼ばれるにふさわしくない[ローマ 1:20]。
(20)だが神の見える本質と神のうしろ[出エジプト 33:23]とが、受難と十字架によって認められると理解する者は、神学者と呼ばれるにふさわしい。

[独語] Die Heidelberger Disputation
http://www.reformatorischeschriften.de/Hddisp/hddisput.html

[英語] The Heidelberg Disputation
http://www.catchpenny.org/heidel.html

解説…『ルター神学討論集』 マルティン・ルター、金子晴勇 (2010)
本文…『ルター著作選集』 マルティン・ルター、徳善義和ほか (2012)
0519考える名無しさん
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2018/06/08(金) 23:18:23.830
>>518
(19)はアリストテレス主義的スコラ学派による「栄光の神学」
(20)はパウロによる「十字架の神学」

ルターはギリシャ的スコラ神学を解体し、原始キリスト教的性格を洗い出した。
0520考える名無しさん
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2018/06/08(金) 23:18:48.740
>>518
デリダの脱構築(déconstruction) → ハイデガーの解体(Destruktion) → ルターの解体(destructio)

の経緯については、以下が詳しい。

・宮ア裕助 「プロト脱構築について――ルター、ハイデガー、デリダ」
 『現代思想 2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー -黒ノート・存在と時間・技術への問い-』

・茂牧人 「なぜ日本にキリスト教哲学が必要なのか」 (2009)
 https://serve.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&;page_id=49&block_id=42&item_id=1245&item_no=1
 ハイデガーとルター
0521考える名無しさん
垢版 |
2018/06/08(金) 23:19:15.640
ハイデガー → ドイツ観念論(ヘーゲル・シェリング>>381) → ルター>>518 → キリスト教 → 古代ギリシャの自然哲学>>496-498
0522DJgensei artchive gemmar
垢版 |
2018/06/08(金) 23:19:52.860
何も学ばすにいる人、例えば読書をしない人が、宇宙世界のほとんどなら
罪悪心や呵責を背負っている悲しきヒトになることも、不可能な切なさがありえる
のです。
0524考える名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 11:53:01.920
>>521
ハイデガー『存在と時間』

“それ自身の歴史に透明な見通しをつけることが
 われわれの課題なのであるから、
 固定化した伝統を解きほごして、
 その伝統が生みだしてきた蔽塞状態を解消することが必要となる。
 この課題をわれわれは、存在問題を手びきとして、
 古代的存在論の伝承的形態を解体し、
 かつて存在の最初の ―そしてそれ以来主導的となった― 諸規定が
 そこで得られた根源的諸経験へひきもどす
 解体作業(Destruktion)という意味でうけとる。”

― (序論2-6節) 細谷訳
0525考える名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 11:57:03.560
ただ、真理(アレーテイア)モデルは古くからあるが、
さもすると、事物の陰に、来るべき真理の到来を
待ち続けることになる。メシア思想や真の革命などもそう。

だから、デリダはそれを反転させた。
自分の書くところ「エクリチュール」こそが世界であると。
0527考える名無しさん
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2018/06/10(日) 14:43:53.830
>>516
お前こそハイデッガーの存在論を認識論かなんかと誤解してるんじゃないか
0528考える名無しさん
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2018/06/10(日) 16:54:42.020
ハイデガーってなんで完成した著作が1冊もないんだ?
0530考える名無しさん
垢版 |
2018/06/10(日) 19:45:49.730
そんなこと一々聞かなきゃ分からないようなやつが何故ここにいるの??
0536考える名無しさん
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2018/06/10(日) 22:31:12.780
>>529
>ハイデッガーの存在論て、なに?

 《〜がある》《〜である》における〈ある〉とは何を実は意味しているのか、を究明する論稿
だとひとまずは言ってよいでしょう。
0539考える名無しさん
垢版 |
2018/06/11(月) 17:50:10.810
ハイデガーにとって存在論はメインじゃない
ハイデガーのメインは小乗仏教的な救済
あくまで彼自身の心の安定思想
だから他人とか社会がどうこうというの視点はない
0540美魔女 ◆pFEO6hs5XI
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2018/06/11(月) 17:54:11.250
>>539
なるほど。💇

そういえば、ハイデガーは

精神疾患だったらしいね✨✨
0541考える名無しさん
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2018/06/11(月) 18:08:53.450
>>540
らしいね
最近日本でもいくつかハイデガーの精神状態を巡って
医学者による論文も出てきているみたい
ちゃんと記録にも精神科医にかかっていた記録残っているから
そうなんだろうね
0542考える名無しさん
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2018/06/11(月) 18:28:41.950
カント研究者としてのハイデガーは面白そうなんだけどな。
0543考える名無しさん
垢版 |
2018/06/11(月) 19:50:06.250
柄谷行人はハイデガーの存在論を「ハイデガーが究極的に見出すのは、自己言及的な形式体系、あるいは自己差異
的な差異体系である」としてある程度評価しています(定本第2集p.133)。
ちなみに、存在=メタレベル、存在者=オブジェクトレベルという柄谷の解釈を東浩紀は受け継いで図解↓しています。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg


    ↓メタレベル(存在)
       _____
      (  __ )↑論理形式の産出 
       )(  )|                   
      /↓ \//___実存論的構造(2レベルの媒介)
     /規定 //  
    /  _| |\ ↑
   / _/   | \
  /_/______\_\オブジェクトレベル(存在者)
 //   ☆現存在  \_\
(○ (メタレベルへの入り口) )
 \○__○____○_____/

○=客体的存在者

四方界は上の図を真上から見たと考えればいい
0544考える名無しさん
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2018/06/11(月) 19:51:18.390
ただし、実際にハイデガー自身が書いた図はそれとは違っています。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/14/41/a0024841_15442757.jpg

上記は、「ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物と思われる図形」(*)です。
それでも複数のクラインの壷を上から見たのだと解釈すれば整合性があります。また、右上を余白にした所に図を見る
ものの「脱自」を促す余地があり、ハイデガーはその点さすがだと思われます。クラインの壷だと図を見るものの位置が
超越的になってしますので、ハイデガーの意図とズレてしまうでしょうから。


上記図のハイデガー自身の解説:
「次ページの図は、人間の実存がその本質根拠において、決してどこかに事物的に存在している対象ではなく、
ましてや、それ自身の内で完結した対象ですらないということを明示するためのものでしかない。 (略)現存在と
して実存するとは次のことを意味する。現存在が「開け」られていることからもろもろの所与がそれに向かって
語りかけてくるが、その意味指示性を認取しうることによってある領域を開けたままにしておくというのがその
意味である。人間の現存在は、認取しうることの領域として、決して単に事物的に存在する対象ではない。反対
にそれはそもそも決して、もともと決していかなる場合であろうとも、対象化すべき何かではない。 」
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より
(参考サイト:http://www.archi.kyoto-u.ac.jp/~maeda-lab/A_maeda/A03_thesises/A03_thesis_room.html)リンク切れ
0545考える名無しさん
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2018/06/11(月) 20:17:48.470
>>543-544
面白いねそれ
つまりハイデガー自身の説明と
柄谷行人のような第三者のハイデガー解釈はほとんどの場合は違う
 
ハイデガーの思考というか頭の中というのは
なぜか外部から思考が完全に閉じているように思える
やはりちょっとなにか障害があったんだろうね
0547考える名無しさん
垢版 |
2018/06/12(火) 13:02:06.750
万物は流転する

ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず
0548考える名無しさん
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2018/09/14(金) 02:04:18.340
難解な哲学書として知られる『存在と時間』に取り組んでみたいと
思うのですが、
誰の翻訳が一番わかりやすくて正しい翻訳になるでしょうか?
0549考える名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 04:36:17.090
高田珠樹訳がいいと思う
高田はDa-seinとDaseinを
現を在ると現存在として訳し分けている

中公バックスを古書で買うのが安上がりだが

参考:
第一篇第5章目次より訳語一例
B. Das alltagliche Sein des Da und das Verfallen des Daseins
1B 「現」の日常的存在と、現存在の転落
2B 現の日常的存在と現存在の頽落
3B.「現われ」の日常的存在と、現存在の頽落
4B 現の日常的存在と現存在の頽落
5B 現の日常的有と現有の頽落
6B〈現〉の目常的存在と、現存在の頽落
7B 日常的に現を在る在り方と現存在の顛落
8B 〈そこに現に 〉(ダー)の日常的な存在と現存在の頽落

以上、
1 桑木務 訳 旧岩波 1960-3
2 細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
3 松尾啓吉 訳、勁草書房、1966-69
4 原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
5 辻村公一 訳 河出1967,創文社1997
6 熊野純彦 訳 新岩波 2013
7 高田珠樹 訳 作品社 2013
8 中山元 訳 光文社 2015,2018〜
より
0553考える名無しさん
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2018/09/16(日) 10:03:30.850
>>552
高田珠樹という人の訳は、少し大きめの図書館ならあるんじゃないの?

「現を在る」は、日本語破壊的な訳文の気もするけど。
0554考える名無しさん
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2018/09/19(水) 09:19:45.190
>>552
 取り敢えず事項索引のついているものにしておくのが良いと思います。ハイデガー自身は
自分の本に事項索引をつけるのを許さなかったらしいのですが、あれがないと読みたい箇所
や一概念の関連個所を見つけるのが難しい。

 辻村公一訳はハイデガーのポリシーに忠実に、事項索引はつけてないですが、あの訳書の
唯一の難点がそこです。事項を探しにくいこと。なので他の例えば原・渡辺訳書の事項索引で
まず調べ、次に該当箇所を辻村訳書で読む、ということまで私はしていました。私は辻村公一
訳で初めてあの本を読んだ人間で、次に原・渡辺訳でも読みましたが。

 sein には
「〜がある」と「〜である」という、用法がある。「〜である」の用法は「存在」という訳では
読みとれない。よって「有」という日常的ではない語を使う理はある、と
『ハイデッガーを学ぶ人のために』(大橋良介編 世界思想社 1994.11.30初版)に書いて
あります。

 また、元々存在と存在者とかは日本語では区別が曖昧で、しかしハイデガーでは
その区別が思想の根幹として重要である。そこを有と有るもの、という区別で書かれた
辻村訳はハイデガーの意図に沿ってはいると思いましたね。
0555考える名無しさん
垢版 |
2018/09/19(水) 11:18:49.580
>>554
>sein には

文脈で分かるだろ。
「有」の方が日本語としては意味不明だし。

わからないとすれば、訳が悪いか、ハイデガー自身がわかってないから。
0557考える名無しさん
垢版 |
2018/09/19(水) 11:45:59.790
>>555
>文脈で分かるだろ。

 いや、Da-seinではどのseinかが分からないということです。或いはあらゆる
seinが籠められているとも言える。「〜がある」も「〜である」も籠められているということ。

 「存在」では、「〜がある」という意味しか浮かばない。なのでまずいということで
「有」が出てきた。そういうことです。
0558考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 00:04:18.170
>>557
現存在といえば、「〜である」だし、存在であれば、「〜がある」で問題ないだろ?
0562考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 09:49:00.550
>>561
日本語の問題。

「が」という助詞は、特定のものを指す。
実存は関係の中でのありかただから、「で」が適切。
ハイデガーは、ほとんどが日本語の使い方で解消する。
0563考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 10:39:17.280
存在(esse)という概念は
「〜がある」=事実存在(existentia)
「〜である」=本質存在(essentia)
の二つが区別されて、ハイデガーの現存在は
existentiaに相当する概念だと思っていたんだけど。
0564考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 14:26:20.790
ハイデガーはギリシア語で思考していたという説があり
そうするとちくま版のギリシア語関連の注解が一番手軽で役に立つかもしれない
0565学術
垢版 |
2018/09/20(木) 16:58:42.530
最初に戻っていくのが哲学であってはならず、単語一つの前の厚みを感じる感じで。
0566学術
垢版 |
2018/09/20(木) 17:01:48.680
最初に戻っていくというよりも、そうだな、永劫回帰は哲学に向いてないね。
0568考える名無しさん
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2018/09/20(木) 20:22:13.090
>>567
> このように形而上学的思考様式のもとで個々の事物が形相と質料の結合体として
> とらえられることによって,もともと単純であるはずの〈存在〉概念,〈ある〉という概念が
> 二義的に分裂することになる。つまり,〈ある〉ということが,形相によって規定される
> 〈何であるか〉という意味での〈である(ト・ティ・エスティンto ti estin)〉と,質料によって
> 規定される〈現実にあるかどうか〉という意味での〈がある(ト・ホティ・エスティンto hoti estin)〉
> との二義に分裂し,このト・ティ・エスティンがラテン語ではクイディタスquidditasあるいは
> エッセンティアessentia(本質存在,〈……である〉)と訳され,ト・ホティ・エスティンが
> エクシステンティアexistentia(事実存在,〈……がある〉)と訳された
https://kotobank.jp/word/existentia-1231419
0570考える名無しさん
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2018/09/20(木) 20:50:43.480
 そう小難しくかんがえることはない。英語のbe動詞だと考えればよい。

 He is angry. 彼は怒っている。
 She is loving me. 彼女は私を愛している。
He is a demon actually. 彼は本当は悪魔だ。

 このように、対象への判断・認識をbe動詞は表わすことができる。総括して
〈〜である〉の文法だといってよい。

 事実なのか本質なのか、この次元ではなんともいえない。事実や本質やの
以前に言われてしまう〈ある〉をこの場合は表していると考えればよい。

 Daseinという場合、そのような判断・認識が生起する「da そこ」だという
ことだ。

 上記のような判断が「そこ」で事実生起したことが実存ということだ。
当人にとって、それは紛れもない真であり信である。紛れもない信であり真で
あることが生起する場所がDaseinだ。

 これを前存在論的とハイデガーはいう。元々人間はそれが本当か否かなど
考えずに色んな判断・認識を日常的に行っている。「彼女は私を愛している。
間違いない」などと考えたりする。それは当人にとって紛れもない真であり信
である。

 そのような信や真を基点にして人間は日常的に生きている。
ここに来ている輩など恋愛などしたことないから分からないのだろう。
0572考える名無しさん
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2018/09/20(木) 20:58:33.900
>>570
>「彼女は私を愛している。間違いない」などと考えたりする。それは当人にとって紛れもない真であり信である。

いまどき一番安手のテレビドラマでも、そんな安直なことはいわないぞ?w
0574考える名無しさん
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2018/09/21(金) 12:13:41.040
>>573
ハイデガーというのはその程度の話しか書いてないとは思うんだが、いくつかの著作を読んだだけなので、断定はしない。
0576考える名無しさん
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2018/09/22(土) 00:25:54.970
>>575
ああ、なるほど、うまいこと言うね。

言われてみると、そんな気もしてくるw
0578考える名無しさん
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2018/09/23(日) 00:06:48.740
けっきょくフッサールの弟子筋で
現象学を正当に継承した人って誰もいないんだよね
レヴィナスは専門の第一哲学が倫理学だっていってるし
メルロ=ポンティは完全に身体論に寄っていった
サルトルは残念ながら現在ではその読者すらほぼいないという有様
ハイデガーは現象学やってるように見せかけながら
彼がやっていたことは『存在と時間』以前からほぼほぼ道教・仏教(しかも小乗仏教)のような方向性の
自分自身の心の平安という変なことを死ぬまでやっていた
正直いってハイデガーなんて『存在と時間』の序論だけで十分だと思う
0579考える名無しさん
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2018/09/23(日) 00:26:41.910
>>578
フッサール自身、自分の哲学をまとめきれなかっただろ?
デカルトに戻るか、ヘーゲルの軍門に下るか、心理学に解消するか・・・
ハイデガーが出てしまった理由は、そこにもあるんじゃないかな。
0580考える名無しさん
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2018/09/23(日) 00:48:56.230
>>579
同感だな
フッサールの現象学ってまあ色々な人に一応は影響を与えたけれども
そのどの人や分野(分析哲学など)をみてもかなり行き詰まっている
現象学って超越的な視点がないじゃない
考える自分自身も対象と同一の存在として並列の扱いをする
でもこれやっちゃうと必ず自己言及的なことになってしまって
ある物や出来事を単純に二分割して名称を与えてAと非Aとすしてしまう
つまり現象学の方法論だと延々と水平移動するだけの名称ごっこにしかならない
だからメルロ=ポンティはその点はもっとも優秀で
現象学のドグマからすぐに出ていったでしょう
それで「身体」と「言葉」というものに注視した
メルロ=ポンティはあのレヴィ=ストロースの影響も晩年は大きかった
彼はソシュールは読む前に死んでいるんだけれども
結果としてソシュールみたいなことを考えていたからね
0581考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 10:55:15.910
>>580
話は逸れるが、ソシュールやレヴィ=ストロースは、ハイデガーにつながるんじゃないだろうか?

「存在」というありもしないものを設定するハイデガーと、ソシュールの言語の先見的共同性は同じものじゃないだろうか?

レヴィ=ストロースは、同時代に歴史段階の差異を認めないという、反ヘーゲル(マルクス)的な思考が、構造主義という名前を付けられてもてはやされただけで、内実はただのフィールドワーカーだと思う。
反歴史的思考のワラに縋りたい人を集めたという意味では、ハイデガーと同列ではないんだろうか?
0583考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 15:52:43.980
>>581
ハイデガーの「存在論」というのはトートロジーの構造になっている
何でもかんでも同じ存在のひとつとして人間も現存在として定義している
それにハイデガーには「言葉の問題」という20世紀哲学の中心問題のひとつには絡んではいない
彼は存在という「塊」について考えることで自分自身が抱えていた人生の問題を解決しようとした
しかしソシュールというのは「記号学(記号論ではなくて)」という人間の認識の根幹にかかわることまで考えようとしていたわけ
「言語には差異しかない」とソシュールはいったけれども
存在認識やその区別としての意味なんていうあたりのことはハイデガーにはどうでもいいことだったでしょう
人間が小説を書いたり絵を描いたり科学の体系を作ったりしたというようなことは他の動物にはないこと
それは人間だけが「言葉」というもの獲得していてその「言語能力・言語活動」によって
こうした学問や芸術はそもそも作られているというような考え方をしていた
メルロ=ポンティもソシュールを読む前に亡くなっているけれども
大筋はレヴィ=ストロースから聞いていたんだろうね
だから身体論から言葉の問題に舵をきったとことで若くして亡くなった
ちなみに戦後にラカンやメルロ=ポンティなどはハイデガーをフランスに呼ぼうと考えたのだけれども
それは実現している
ラカンにはハイデガーの『存在と時間』での考え方がかなり影響しているけれども
あくまでも序論レベルの範囲での影響だった
それ以外は同じことを何度も不器用な文体で繰り言をしているだけだったし
そもそもの『存在と時間』でのハイデガーの目的は「私はどうやって人生と折り合いをつければいいのか」
という人生論だったわけだからね
ソシュールの「記号学」というのは「言葉を獲得しているかどうか」で人類の文明は全く違ったものになっていた
というよりも
言葉なしではそもそも人間は何も「思考」できないということが常にあったのだと思うよ
0584考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 20:00:20.370
>>583
ソシュールが構造主義として受け止められたのは、その言語観が、歴史的な経緯からではなく、同時代としては先験的に人間に備わるとする思考による。
歴史を輪切りにして、それぞれの時代の共通基盤(としての言語の先験性)を設定したところが、構造主義と呼ばれる所以だ。
ドゥルーズのリゾーム概念が、構造主義のわかりやすい説明だ。

ハイデガーの存在概念は、さらにそれを時代を超えて、世界の本質として、「存在」なるものを設定する。
設定する意味が不明だともいえるが、「神」を設定したかっただけだだともいえる。

メルロ=ポンティは、現実の構造=人間と対象(環境)との関係に目を向けた。
その結果として心理学に向かった。
生活の糧を得るためだけで、心理学に進んだわけではないだろう。
『見えるもの見えないもの』は、言葉の問題にむかったといえるとは思えないが。
0585考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 22:23:35.850
>>584
ごめんなさい
ちょっと何を言おうとしているのかわからないです
返答しようがない
0587考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 22:54:59.080
>>586
>>584の文章すべてです
私の文章とは関係のないことが書いてあるようにしかみえません
全然別の話題を書いているように思えます
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