>>552
 取り敢えず事項索引のついているものにしておくのが良いと思います。ハイデガー自身は
自分の本に事項索引をつけるのを許さなかったらしいのですが、あれがないと読みたい箇所
や一概念の関連個所を見つけるのが難しい。

 辻村公一訳はハイデガーのポリシーに忠実に、事項索引はつけてないですが、あの訳書の
唯一の難点がそこです。事項を探しにくいこと。なので他の例えば原・渡辺訳書の事項索引で
まず調べ、次に該当箇所を辻村訳書で読む、ということまで私はしていました。私は辻村公一
訳で初めてあの本を読んだ人間で、次に原・渡辺訳でも読みましたが。

 sein には
「〜がある」と「〜である」という、用法がある。「〜である」の用法は「存在」という訳では
読みとれない。よって「有」という日常的ではない語を使う理はある、と
『ハイデッガーを学ぶ人のために』(大橋良介編 世界思想社 1994.11.30初版)に書いて
あります。

 また、元々存在と存在者とかは日本語では区別が曖昧で、しかしハイデガーでは
その区別が思想の根幹として重要である。そこを有と有るもの、という区別で書かれた
辻村訳はハイデガーの意図に沿ってはいると思いましたね。