マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>756
>>745の気持ちは無事日本語で表現されてるけど
根拠の説明もできそうな人ではないってこと
じゃないかな
言われなくても、その程度は読解できる素養も
哲学的素養の前に必要かな。 「あるある」は、似たような事象が頻繁に生じることを表し、
「ありあり」は、特定の事象の再現性を表す 存在と時間は構造を示している
だからサルトルに実存と本質の順番は関係ないと言い得た
その構造は3つに分かれる点で人間の細胞分裂の系統図に似ている
発生論を諦めていないから今も若者を引きつける ハイデガーの論述について今でも大量の学術論文が生産されつづけているが、
現在、大学の学問の枠組み内であのような表現スタイルで論文を書こうとしたら、
プロポーザルの段階で受付けを拒絶されて、書かせてもらえないだろう。
ダブルスタンダードなんだよ。 批判すべきものをきちんと批判せず、逆に批判を排除することで
学問的な手続きを厳密に守っているかのような体裁を保つ。 哲学を少しでも理解している人間がブルデューを有り難がるなどという
ことはあり得ない。 哲学的な洞察を求めて読むと、批判する気力すら湧かず、ただガッカリする。 >>758
>言葉があれば実体があると思い込む言葉と感情の問題とするハイデガーに思考回路を切り替え感情の回路を断ち切り話題を変えたい実態・実体ともにお察しします。
では、君が代わりにこの文意を説明してくれ。 >>758
>無事日本語で表現されてる
ついでに、君が書いたこの文意の説明もお願いしたい。 >>768>>>769
そのお願いに応じて説明してくれる人は存在しませんw 「存在者の存在は存在者ではない」と規定しつつ
「現存在の存在はゾルゲである」
またーくわかんね マジレスするとハイデゲルは存在屋だよ
「存在がー」だけで食ってた人 マルクスやヘーゲルをやるとハイデゲルがバカにしか見えなくなる マルクスやヘーゲルを少しでも理解している人間がハイデゲルを有り難がるなどという
ことはあり得ない。
マルクスやヘーゲルを少しでも理解している人間が哲学的な洞察を求めてハイデゲル読むと、
批判する気力すら湧かず、ただ失笑する。 実は煩悩に由来するのかもしれないなw
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/german-english/sorge
Sorge
noun [ feminine ] /ˈzɔrɡə/ (Sorge or Sorgen)
(Gefühl) starkes Gefühl der Angst / der inneren Unruhe, weil man
Probleme hat oder befürchtet worry もちろん、ハイデガーが自らの存在論において"Sorge"を仏教における「煩悩」と
同じように解釈しているということではない。ただし、「思想的に」影響を受け
ている可能性は考えられるだろう。 ハイデガーの言説の分りにくさというのは、それが何とどのように対話して
いるのかが極めて不明瞭であることだ。どのように意味をとっていいのか
不明な表現を多用して断言を重ねる。どのように解釈すればその言明が
正当化されるのかを読む側が考えてやらないとならない。 どのような書物であれ、著者は長年にわたる自らの経験とこれまで
自らが続けてきた対話を前提にものを書くのだから、読者にとって
脈絡が不明な記述が著作に多く含まれるようになるのは自然なことだ。
だから、論述の意味が通るような解釈を見つけてやろう読者が
寛容な姿勢をとることが要求されるのは当然のことだ。だが、
ハイデガー場合、読者の理解を得ようと可能な限り具体的な
脈絡を明示しようとするどころか、自らの論述が何のどのような
理解に基づいているのかを意図的に隠蔽している。 ハイデガーの書き方は私の趣味には全く合わない。だが、少なくとも
「存在と時間」のような著作においては、ハイデガーが真剣に徹底的に
考えて書いていることが見て取れ、考えるために表現を模索している
ことが分る。ブルデューのようにものを考えないために言葉を使って
いるのとは違う。 >>783
ヒトラーは全身全霊で戦争を仕掛けてユダヤ人を迫害したんだから、彼の言動には大きな価値がある、みたいなもんか? >彼の言動には大きな価値がある
ヒトラーの最大の遺産は、「ユダヤ人」を捏造することに成功したことだろう。 ヒトラーの歴史的な活躍のお陰で、世界の大多数の人々が「ユダヤ人」が実在することを疑わなくなった。 ヒトラー以前は、決してそのような状況でなかったことは、マルク・ブロックの
著作や、 シュテファン ツヴァイクの「昨日の世界」などを読むと分る。 「ユダヤ人」の実在を否定する人間に、「反ユダヤ主義者」とか、「自己嫌悪する
ユダヤ人」とか烙印を押して、社会的にマージナルな人間であるかのような印象
操作をすることが普通に可能になったのは、ヒトラーのお陰だろう。 「ユダヤ人」とは「存在」みたいなものかな?
黒ノートに出てくるらしい、「世界ユダヤ人組織」=ユダヤ人の「存在」? >黒ノートに出てくるらしい、「世界ユダヤ人組織」
黒ノートとか関心がなくて、何が書いてあるのか知らないが、
「世界ユダヤ人組織」というのは、「えせ同和」みたいなものだろう。
「ユダヤ」というラベルを利用するが、本質的にユダヤ教と何の関係もない。 「黒ノート」研究みたいな下らないことを学問の体裁を装って行うことが可能になった
のもヒトラーのお陰だな。 「黒ノート」研究に取り組むようなハイデガー専門家は、ヒトラーに足を向けて寝られないだろう。 >>790
「世界ユダヤ人組織」は「えせ同和」とは違うな。
「えせ同和」は実際に人がいるが、「世界ユダヤ人組織」には人がいない。 ユダヤがダメなら同じ系列のキリスト教徒もイスラム教徒もダメじゃん。
そりゃ人間だもの、悪い所を誇張すれば世界は地獄になる。韓国や中国も日本の野党も同じ悪の使徒。
その問題であることを端的に表現する「XX主義」という排他的な言葉は、思想という藁人形にピンを差している。
資本主義が発展して暴走すれば人間が犠牲になる。
共産主義が発展して暴走すれば人間が犠牲になる。
軍国主義が発展して暴走すれば人間が犠牲になる。
宗教思想が発展して暴走すれば人間が犠牲になる。
良いのは途中経過だけ。 「良かれ」と思ったメルケルも、ブッシュも、ヒトラーも、
独裁者の脳みそ1個2kgでは足りないのだ。 不明瞭で不明な表現を多用して断言を重ねるのは
単なる人生論エセーを哲学ぽくみせて読者を騙すためのテクニックなのだ。
ポモ系はだいたいどれもこんな感じなのだ。 他の哲学者たちが、この世界はどういう仕組みなのか、人間はこの世界を正しく捉えることができるのか
について真面目に取り組んでるときにハイデゲルは煙に巻くような俗物用語ばかりで人生エセーを
書き散らしていてるだけなのだから、真面目に生きようとしてる人はいずれハイデゲルを見限るのも
当然なわけです。 脳みそは1.2kgだろ。切り取り方で800g(大脳だけ)にもなるけど。
じゃなくて、
当時は知識が右寄りに偏向してたから → 今は左寄りに修正してるツモリで 間違えてネガティブに行ってる。
或いは、宗教風のやり方をマネて、本論・本筋の周囲をぐるぐる回りさせる。
※.ネガティブとは、(ポジティブが正論として)世を乱す方向のことで、例えば戦闘的にさせること。
※.宗教にも色々あるし解釈も一筋縄ではいかない。
宗教風とは、当事者でない人や関係性が少ない参考書を頼りに議論して話を無駄に長引かせることを指す。
これをやると人間はバカだから、良い結果を得るどころか、あらぬ結論を導いて混乱を拡大する、その見本がカルト宗教の破綻。
破綻すればまだマシで、千年も続けると全員が事実誤認して信じて、修復意欲ゼロ(又は自分たちが修正することは有り得ないので他人に修正させる)後進国になる。 人間という枠の外を見るのが日本文化 vs 枠の中の優越感に浸る旧文明 ちんちん しゅっしゅっ
ちんちんしゅっしゅっ
ちんち しゅしゅっ
どうかしましたか? >>774
客体的存在に対する主観的存在の優位性のことを言いたいが
「客体と主観」という対立を前提としたくはない
つまり「主観的」であれば「客体的」との対置になってしまうから
「ゾルゲ」という言葉を使用しているということだろう
ハイデガーはそんな言葉の使い方が多い
あとドイツ語の言葉遊びをしていることがあるというが
そこまで読み取れるほどの見識はない やはり時代遅れの難関哲学文献を読んでいれば賢く思われる?
時間の無駄ですよ。
日本国での左翼運動していた連中、わけのわからないインテリ左翼に酔いしれていた時代とは違います。
インターネットが普及し、ハイデガーの論文に興味を持つ人などいない。 賢く思われるというかハイデガーは現代科学批判の嚆矢みたいなもんだろ
現代科学に批判的だと大抵読むだろ >>808
ハイデガーが科学を否定したかったのは確かだろうな。
共産主義は科学的論理的思考を標榜してるから、反共のためにそうした思考を否定する必要があった。 何故存在者が存在するのか
問うたところで現に
存在者が存在するのだから意味はない どのように存在するのか問うことには意味があるでしょう >>811
そこにそのように存在してるんじゃない? >そこにそのように存在してるんじゃない?
そのように存在しているという保証はどこにもないよ? >>814
保証なんかいらないよw
そこにそのように存在している、それがすべて。 >>817
そういうのを無意味な議論という。
なんでも疑って、自分だけは間違いなく存在するなんて言うのは、ただのバカ。 >>818
独我論になっているのに自覚できていないケースって結構あるんだよねえ 「存在と時間」
以前にも書き込みした者ですが、「存在」とは両親から生まれた「自身生命」の存在w
「時間」なんて各国の時計時間に合わせ、生活行動すればいいだけのことじゃあないかw
なんでこんな文献に、自分の解釈論文作成に「時間」を取らせる必要がある?
哲学科教授なんて、もう教授会でも肩身狭いでしょ? sein-to beを人間のactivityの総称と捉える傾向だね米英は 現代科学批判ならオカルトとかオウムとか
つまりハイデゲルはそんなレベル 独我論というのとは違うけどね。独我論というと自己の内部に閉じこもっている、というのが
考えられるが、ハイデガーのいう現有 Da-Sein という場合、主観が客体を志向し認識する、
その主-客の成立する場そのものを有の場所、seinの場所としている。
これは内省すれば簡単に了解できることで。我々がいかに客観的真理を学んだところで、
その客観的真理はたえず〈私〉にたいして現れざるをえない。〈私〉なしに客観的真理は私に
訪れることはない。〈私〉にとっての〈有る〉としてあらゆる有は現れる。
そういう簡単なことで。主-客の成立する場、というのはそういうことを指している。
なので独我論の是非がそこで問題になるわけではない。そこが分かっていなければハイデガー
の思想など語れることはない。空振りになるだけだ。したがって独我論云々を言っている前レス
はまあ悉く空振りである。
そこまで言っても意味が分からないのが5ch..の哀しさらしい。 主客というものを設定したら必然的に独我論が発生するわけだが
それを回避するために主客を前提としない場を設えたのが存在論であるのに
それを元に主客を生成してしまってはまた独我論に陥る
そういうことがわかっていないのでは? そもそも独我論というものはそれ自体の成立が疑われる「論」であるのは先刻承知の上 〈私〉を強調しすぎるあまり、結果的に客観的真理を否定する事態に。
「ハイデガーの思想」なるものは所詮はその程度。
〈私〉を語るのなら哲学を名乗らずに大人しく文学の世界に閉じこもってるべき 分析哲学などというものが、哲学を詐称する行為としてしか存在し得ないように、
現象哲学などというものも存在しない。現象学は、ハイデガーも指摘するように、
哲学の一分野などではなく、哲学は、それが哲学である限りにおいて現象学
なのである。 >>828
そんなのは言葉の定義の問題。
哲学も現象学も主観も主体も客体も存在も、すべて言葉の定義があいまいなまま。
ジャーゴンにすらなっていない。 >>831
事象や物質を単純な要素に分解すること。
これ以上のどんな定義が必要だと? 「事象や物質を単純な要素に分解する」哲学w
だから似非哲学にしかならない >>833
なぜ?
本物の哲学、なんてそもそも存在しないだろ? 分析哲学がなぜ哲学にこだわるのかわからない
言語分析学でいいだろ
自然哲学が自然科学になったように 分析哲学なんて哲学で世間に認知されたい馬鹿がやってるとしか思えない 株式市場が支離滅裂になっている
いよいよ「資本主義」の化けの皮が剥げてきた感じ
どう見えるかなど構っていられないのだろう 変だな。マルクス・スレに書き込もうとしたのに誤爆になった >>835
言語の分析もあるし心理の分析もある。
どちらかというと、既存の範疇から少しはみ出しているから、哲学を自称してるんだろう。 「客観的真理こそ重要!」という意見があるが、逆に「客観的真理なんかどうでもいい」
という意見・感性もある。むしろ我々が客観的真理をたえず勘定に入れて生活している
生きている、かというとそうではない。
映画「タイタニック」の主人公の女性は、若い頃に自分を助け死んでいったカレが、
いまだに身近に居るかのように感じ、年老いていく。
あれはハイデガー的で、何が現実か、錯覚か、妄想か、人間にとって、その判断が
たえず先行して行くわけでない。判断よりも先に、人間にとっての現実は直前に現れている。
そしてその現実に、その人間における有の理解が関わっている。そこから有るものは選ばれ
ていく。それが人間にとっての現実、有るものの集積としての世界である。
ハイデガーのいう「直前に有る」 Vorhandensein はそういうことである。『現象学の
根本諸問題』冒頭章「有はレアールな(事象内実を示す)述語ではない」に書いてある。
考える出発点とはいつでも我々の生々しい内面でなければならない。そこを視界に入れて
おかなければいつでも議論は空話に陥るということ。 ハイデガーは唯物論から世界、自分自身を観念論的に守ろうとして
過去の自分、現在の自分、死に至る自分と分けて認識しようとした
カント的な統覚を守ろうとしてかえってカントに対するヒュームの立場に逆に近くなった
他者に出会おうとして哲学史を遡ろうとしたが現在において孤立した
スピノザを無視した、性差を見ていないなどハイデガーへの批判は多々あるがハイデガー自身の中に
ハイデガー批判がすでにある 客観的真理は重要だし、それと同じようにこの(私)が重要になることもある。
そんなことは誰でもわかってる。
前者はだいたい哲学が担当し、後者が文学や文芸が担当して、うまく棲み分けてきた。
ハイデゲルが問題なのは、そこの境界をあいまいにして、前者の分野にでしゃばって来て
デカい顔してることだ 私の問題なんて、自分のことを考えてみてもわかる通り常に
具体的なものであって、かっこつけて抽象的に延々と語れる
ようなものではない。
それを無理やりやろうとするから、結局は煙に撒くような
物言いしかできなくなる。
(私)だかなんだか知らんけど、人間の本質なんてマルクス
が指摘したように、常に具体的な諸関係の総体だ。
ハイデガーはとにかくマルクスを否定するのが目的だったの
だろうけど、それを偽装するための手法があれだったわけだ。
つまり、(私)の問題だけを一方的に強調して、客観的真理
の認識の問題をごまかしてしまうこと。
「哲学」を騙るハイデガーや実存主義が歴史的に信用を失っ
ていくのは必然だった。 >(私)だかなんだか知らんけど、人間の本質なんてマルクス
>が指摘したように、常に具体的な諸関係の総体だ。
あなたはあなた、ひとはひと
客観的には、あなたなんて存在しないも同然でしょう >>846
横だけど、客観的に存在するから、なんらかの関係が生じる。
このスレでのやり取りだって、関係の一部だよ。 存在しないも同然の奴が、客観的にはどうのと論じること自体がおこがましいってこった >>849
あなたはあなたの思考がすべてだと信じているようだが、他人は存在しないも同然なんてことはない。
存在しない限り、ここに書き込むこともできないんだよw 客観的に在るとは、どういうことだろうか?
誰が見ても目の前(vorhanden)にあるということではないのか? 学研全訳古語辞典
を・く 【招く】
招き寄せる。呼び寄せる。
出典万葉集 八一五
「正月(むつき)立ち春の来たらばかくしこそ梅ををきつつ楽しき終へめ」
[訳] 正月になって春が来たならばこのように梅の花を招き寄せては楽しいことの限りを尽くそう。 <私>なんてものは言語に反映されない無意味なものだよ 「をかし」という表現の語源的な意味を考えていて、最初にこの「をく」の
用例を見たとき、私には、この用法があまりよく理解できなかった。
梅の花を「招き寄せる/呼び寄せる」とはどういうことなのかが分らず、
何か釈然としないものを感じたのだ。この「をく」を英語にするなら、
「convoke」または「conjure up」ということになるだろう。通常の
古文の解説であれば、「言葉を発することによって現実を呼び寄せる
ことができるという言霊思想を昔の人々は信じていた」などされるの
ではないだろうか。しかし、まさにそのような解釈に何かコモンセンス
でうまく理解しきれないものを私は感じたのである。
だが、この違和感は、表現の発生の論理的な関係を推測することに
よってようやく解消されることになった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています