佐藤優が以前宇野弘蔵と廣松渉を比較していて興味深かった記憶がある
仏教的とキリスト教的…
熊野純彦のように廣松の方が不純なるがゆえに見所があるという見方もできる
ただ宇野は不純な部分を経済政策論に回していて
ヘーゲルの純粋な展開を借りていても資本主義の不純な部分を
視野に入れているのは宇野の方だと思う
簡単にいうとヘーゲルは社会革命の基盤にならない
廣松はせっかくカント的4分割を導入していたのにヘーゲル弁証法の悪い部分を
最後まで引きずっている
宇野はヘーゲルの3分割を借りているだけで弁証法を信じていない
宇野はスピノザの影響を少し受けている…
マルクスは柄谷のようにカント的に読み返すべきだ