ヘーゲルスレがなくね? [無断転載禁止]©2ch.net
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`ー――――― '" >>458
宇野弘蔵とスピノザに関係があるのか。
初耳だな。 >>468
スピノザ本の書き手だろ。
折に触れてスピノザを推してるw >>469
もちろん、宇野のことじゃなくて、スピノザ押しの人のこと。
念のため補足w 宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
――スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」(全文)
「序言
経済政策に就て記述した大抵の人々は、恰も彼等が商品経済の法則に従う商品経済的の
物を取り扱うのでなくて、商品経済の外に在る物を取り扱うような方法を取っている。
云々
定義
一、二 略
三、経済政策とは商品経済の運動を増加し、或いは滅少し、促進し或いは防止する商品
経済の発動、及びそれと同時に、これらの発動の観念であると解する。
それ故に若し社会がこれらの発動の妥当なる原因であり得るならば、社会は政策を働'と
解し、然らざる場合には受'働'と解する。
仮定
一、商品経済の社会はその活動を増加或いは減少する多くの仕方において刺戟され、又
同様にその活動力を増加或いは減少しない他の仕方においても刺戟されることが出来る。
二、商品経済の社会は多くの変化をうけ、且つその際に対象の印象或いは痕跡に従って
物の同じ表象像を維持することが出来る。
定理
一、政治は或働を為し、又或る働を受ける。即ち政治は妥当なる観念を有する限りに於
いて必然に或る働を為し、又非妥当なる観念を有する限りに於いて必然に或る働を受ける。
証明。略
系。これから、政治は非妥当なる観念を一層多く有するに従って益々多くの働を受け、
又反対に、妥当なる観念を一層多く有するに従って、益々多くの働を為すことが起こる。」
(2008年お茶の水書房、宇野弘蔵『『資本論』と私』271-272頁より。同書解説ではスピ
ノザのパロディと解釈される。初出は1935年、東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号。)
参考:大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007 http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf 「…宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋 化によって要請される政策目標設定との
「同時並行性」を指摘するのであるが, この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身 に
よって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説 明がない以上,その真意は測りかねるが,た
とえばアルチュセールによれば, 「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。 これは並
行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実 現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に
対して,知性(精神)からの 制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」 の名で知ら
れるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考すると
いうことであり,一方の 他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに おいても想定可能
である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本
と「ともに」思考 する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を 展開するのである。国家
という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本 の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という
「身体」と「と もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした 理解を示すかのように,
宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と 身体との関係になぞらえるのである (宇野弘蔵『資本論五十年』上,
法政大学出版局1973]:476)。」
大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007より
http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
(これは、大黒弘慈「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」1999『批評空間』第II期第 20 号,太田出版 他を纏めたもの) 参考までに、、、、
宇野弘蔵は自身の『経済原論』(1950,1952)をヘーゲル『小論理学』に対応させて章立てした。
ヘーゲル『小論理学』(松村一人訳)目次に対照させて宇野が書き込んだメモの写真版が『『資本論』と私』
(2008年、お茶の水書房)に口絵として紹介されている。
http://4.bp.blogspot.com/-3aLw87pUP6M/U13r_zLYmEI/AAAAAAAAdrM/39cQih4aVU4/s1600/uno.a.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-NkCuVdTFt14/U13r-3CMQHI/AAAAAAAAdrE/5bhnrqeOFQs/s1600/uno_0001a.jpg
以下、文字ズレするかも知れないが多少恣意的に図解させてもらうと(左下から反時計回りに見る)、
/\
(絶対理念)
(生命) 理念 (認識) ヘーゲル『エンチクロペディ』より、
/_<利子>_\ 『小論理学』
/\ 「概念論」/\ &
/推論<<分配論>>_\ <<<宇野弘蔵『経済原論』>>>
/ 主観的\ / 客観 \
概念<利潤>判断/_<地代>_\
/\ /\
/ \ 『小論理学』 / \
/限度 \<<<経済原論>>>/現実性 \
/_<資本>_\ <資本の再生産過程>
/\ 「有論」 /\ /\ 「本質論」/\
/ <<流通論>> \ / <<生産論>> \
/ 質 \ / 量 \ /存在本質\ / 現象 \
/_<商品>_\/_<貨幣>_\<資本の生産過程><資本の流通過程>
注目すべき点として、宇野はマルクスの<<生産論>>と<<流通論>>の位置を逆にしている。
さらに「概念論」最終部分、ヘーゲルの弁証法(認識)を含む理念に<利子>を対応させている。
宇野のこうした夾雑物を排除した『資本論』理解は労働価値説の軽視とも受け取られ、
後に廣松渉によって批判され、佐藤優や熊野純彦によって再検証されている。
(ただし弁証法を信じきっているのは宇野ではなく廣松の方だと思う) 限界文明の所産だよ。加害に無自覚な文明。被害に永遠に怨みを抱く遅策。 精神の現実性ーヘーゲル研究 (リベルタス学術叢書)
ミヒャエル・クヴァンテ, 後藤弘志, 桐原隆弘, 硲 智樹
2018/1/20
https://www.amazon.co.jp/gp/product/490520808
内容紹介
ドイツ観念論と現代分析哲学の最も幸福な邂逅。現代ドイツにおける「人格の自律論」の泰斗
が、ヘーゲル研究の集大成、ここに刊行。
著者について
1962 年生まれ。ベルリン自由大学、ミュンスター大学で哲学を専攻。1992 年にミュンスター
大学で博士号取得、2001 年に教授資格を取得。デュースブルク=エッセン大学教授、ケルン
大学教授を経て、2009 年からミュンスター大学教授。ヘーゲルを中心としたドイツ観念論の
研究のほか、生命医療倫理学の面でもドイツの研究をリードしている。 >>461
読みやすいと言われているが、誤訳も多いとのこと。
金子訳がいいらしい。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
KPWN9 コジェーヴの「ヘーゲル」を読むべきか
坂井礼文の「コジェーヴ」を読むべきか。 / \
/ /ヽ|
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\/\ /ヽ /
(( ^ ) ^ ))
゚∧ ノ・・ヽ / ゚ 忖度内閣へ
)人 ⌒ .人(
__> ニ <__
\ / ゚・。.._ _。゚ \ /
\/ * 電通の工作
\ ヽ / ヽ / /
\ \◎/ \◎/ /
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ミミミミミミ 秘書が改竄
:::' ミσミ ヽ:
⊃ .:://:\\::. ⊂
二⊃ ::( ( ◎ ) :: ⊂二
\ ::`.. \:/ ..': 内閣機密費
\ ::::*:::: /
\_______/ ̄\_____/
昭 恵 ブ タ の 隠 部
( )
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゙ミ;;;;;,_
ミ;;;;;;、;:..,,.,,,
゙ゞy、、;:..、) }
.¨.、,_,,、_,,r_,ノ′
/;:;":;.:;";i; '',',;;;~;;;′.ヽ
゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.: ._ 、}
".¨ー=v ''‐ .:v、,,、_,r_,ノ′ マルクスとヘーゲルの関係性で宇野は捉えられるってことじゃないの。
その関係性に注力した一人が武市健人。 資本論の草稿段階でマルクスはヘーゲル小論理学を研究し構成の参考にしている
そこに着目したのがレーニン、宇野弘蔵等で
宇野弘蔵は特にヘーゲル論理学の構造に資本論を構成し直している 見田宗介の父親、見田石介もそんな感じのことをやっていたんじゃなかったかな。 宇野の自伝読んだけど、彼はそんなに高尚な学者じゃなかったみたいね
ソ連かどこかに留学して、その時に学んだことの焼き直しを何十回も
繰り返したとか。
それより、ヘーゲルの話したいあげ。
哲学素人の俺に、近代哲学の王者へ―ゲルの良さを教えてくれ。
分かってるのは、ヘーゲルが独特な史学家だったことと、
弁証法(いわゆる止揚)を得意としたくらいだ。
簡単な哲学書、と銘を打ってるものほど分かりにくいね。 原因大好き近代哲学のかわりに
結果大好き弁証法の哲学を披露した
精神(現象)は自身を否定して原因を超えた結果へと至る、という過程を繰り返し進展・展開するものであると示した
ちなみに俺はヘーゲルを読んだことがない ヘーゲル体系というと馬鹿にされる傾向があるが
そこまで馬鹿にできない
特に日本の官僚機構などはヘーゲルの系譜(シュタイン)にある
以下のサイトの日本語版を作って欲しい
System of Science-hegel.net
http://hegel.net/index.htm.en 細川亮一『ヘーゲル現象学の理念』の説 だと、『精神現象学』は『哲学史講義』と並行対応関係にあり、
『哲学史講義』は『精神現象学』(特に前半)と一緒に読むといいそうだ。
以下、『精神現象学』内の章:対応する哲学者(及びキーワード)。
意識
感覚:パルメニデス(本来の哲学が始まる)からヘラクレイトス(一般的な過程)
知覚:レウキッポス(自立存在の定義、正なるものを負なるものの空虚として)
悟性:プラトン「ソピステス(ソフィスト)」(抽象的な統一)
自己意識
生命: アリストテレス「霊魂論」(一般的)
主と僕:アリストテレス「政治学」(服従)
ストア派(自然な素朴さ)
懐疑派(内容の否定)
不幸な意識:
新プラトン主義(統一、三位一体) ヘーゲル『精神現象学』(1807年)の「意識」の章の終わりあたりより、翻訳の比較です。
以下、同じ箇所を引用してみました。
_________
「知覚を越えて高まったとき、意識は現象という媒語を通じて超感覚的なものと推理的に連結し
たものとして現われてきて、現象という媒語を通じて[超感覚的なものという] この背景(後ろの
根拠)を観じている。」
金子武蔵訳、岩波書店『精神の現象学』上166頁
「知覚を超えて高まったとき、意識は、現象という媒語[中間]によって、超感覚的なものと推理
的に結ばれて、現われる。この媒語を通じて意識はその背景を見るのである。」
樫山欽四郎訳、平凡社上203頁(河出書房新社、世界の大思想版もほぼ同じ)
「知覚を超えた境地にある意識は、現実界を媒介とし、現実界の背後を透視するというかたち
で超感覚的世界とつながっている。」
長谷川宏訳、作品社117頁
「意識[自身はというと、それ]は知覚よりは高まっているから、現象という中項を介して超感覚
的なもの[内なるもの]と連結するのであり、意識はその中項を介してこの[超感覚的なものと
いう]背景を覗き見るのである。」
牧野紀之訳、未知谷311頁 精神現象学はまじでわけ分からん。
長谷川宏の解説(新しいヘーゲルじゃない方)が一番分かりやすいが、東大で学者になれなかった恨み言をヘーゲルに仮託して喋ってるようにしか見えない。 樫山版がいちばんわかりやすい感じですね
長谷川訳は、境地、透視、世界だのって、実存主義みたいで気持ち悪い 上の方で言われてた事ですが、廣松が毛沢東主義者であったとしたら?何か問題ありますか?? 廣松、宇野、毛沢東、砂糖優、柄谷はスレチです。
バカに占拠されてしまってるマルクススレに行って下さい。 精神現象学はもうドイツ語で読まないとアカンな
ドイツ語で読んでもたぶんわからないのだろうが 精神現象学は分かるとこだけ吸収して、あとは研究者の解釈を楽しめば良いと思う 精神現象についてのほうがいいテーマだ。学者は食えないよ。 >>491
ためになる指摘だな
『哲学史講義』も読んでみようと思うが、これまた長谷川訳でいいものかね 人口20万都市の図書館に行った。
ヘーゲルの哲学史講義も、精神現象学もあった。
我が図書館では小川仁志のしかない。
やっぱ、図書館の格の違いを思い知った。 >>504
そんなマイナーな人のがあるなら、端倪すべからざる端図書館ということになるな。 公立の図書館ってときどき糞マイナー本置いてあるよね
そこらへんの二流私立には置いてない本とか マルクス主義全盛の頃に買ったとおぼしき社会主義関連の本が、田舎の図書館に山ほどあったりするから驚く。
その関連でフォイエルバッハとヘーゲルもあったりするな わかる
ヘーゲル全集がキチンと入っててマルクス研究書や解説書がやたらいっぱいあったりする
そして誰かが返さないからだろうか資本論が岩波文庫の第二巻しかない
それもクタクタ フォイエルバッハとか全然信用できねえ
「人間主義的唯物論」はあ?って感じ だいぶ前に、近所の公立図書館にイポリットの論理と実存があってビビったが、
この前言ったら廃棄されててたっぽい >>509
それってエンゲルスがそう形容しただけじゃないの? 普通に学問してる人なら分かるけど、
「人間主義的」って分析基準としては極めて情緒的表現なんだよな すべてを物理的なものには還元せず、人間的なものを基礎に置く唯物論という
ことだろうか。意味はわからなくない。 >>514
どうして?
というより、情緒的じゃない主義の表現てあるの? 世の中には情緒とか気質をまったく入り込ませずに学問出来ると思っている人がいてビックリするんだけど
経験上それを指摘しても怒り出すか無視されるかなんで黙ってる
とはいえ人間主義にこだわりすぎると事物の分析が人間周辺のもので止まっちゃうんでそれはそれでつまらん 人間には錯覚がつきもの。
視野が狭いと錯覚に陥りやすい。 視野?ビジョナリーになれますか?十ドルで?殺覚?いらないね。 人間主義的、、、バカですか?
昔の左翼が好みそうな言葉ですがw
唯物論だと冷たい感じがするので人間主義的唯物論とか。
それ、どうやって計量するんですか?
最近は法学でも計量の時代ですよ。いや、法学だけではない。
全ての学問でエビデンスを求めます 法学で計量とか絶対無理だけどな。
職人的な「勘」が支配する世界なのに、何をどう計量するんで?具体的な判例挙げて説明してもらえます? >>522
バカだねえ・・・
価値観にエビデンスなんかあるわけないだろ?
学問というのは価値観の研究。
証明があったり答えのあるものは学問にはならない。 >>525
いや別に証明があったり答えがあったりしてもよくね? >>526
価値観の研究にどういう証明や答えがあると思う? >>527
「哲学」ってくくりじゃなくて「学問」ってくくりの話だよね?
「カモノハシなんて奇天烈な生き物おらんわ!どうせ継ぎ接ぎやろ!!」
「おるで(実物どーん)」
この流れも証明でしょ? >>528
それは学問ではないと言ってる。
なんにしても、もう少しまともな日本語を書いてくれ。
証明以前の問題だ。 そもそも価値観ってことばで>>528は何を表現しようとしているのか >>531
人間にとって価値のあるものはなにか、という研究のことだよ。 >>532
まだ曖昧さが残っているが、人間一般にとって価値のあるものとはなにか、という研究? >>533
人間一般の価値観であったり、立場による価値観であったり、立場とはなにかであったり、そういうことの研究。 であれば、その価値観一般のうちで特殊科学の一部門として数学が存在していて
そこで証明やら答えやらに特殊な価値を見出していてもいいんじゃないか?
>>534の数学やその他の現存する学問に対する評価が聞きたい
というかこれを聞くべきだったか >>535
数学は価値観一般とまったくかかわりがない。
いわゆる理系は、すでにある答えを探し出しているに過ぎないから。 そういう「学問」観を>>536が持っていても別にいいけど
他の人は同意してくれないかもしれないという話にしかならない気するのでここで終わりにする >>537
もともと、全ての学問でエビデンスを求めます、なんていう中学生レベルの開き直りをからかったんだよw >>524
>>522では、内田貴の法と経済学を念頭に置いた。
多分、合理的判断人を誘導する法政策の話と思う。
それと、法学が計量という意味は、民事事件でも刑事事件でも、
最後は数字の問題になるよね?損害賠償がいくらとか、懲役何年とか。 >>539
横だけど、「損害賠償がいくらとか、懲役何年とか」いうのは社会通念として決めてるだけだぞ?
収入の将来予測だったり慰謝に対する標準的な相場だったり社会の処罰感情だったりを、三権がそれぞれの立場で設定しているだけ。 計量可能性の話してんだよ馬鹿。
セミプロ相手に偉そうな口叩くな 「損害賠償がいくらとか、懲役何年とか。」が問題になるから「法学が計量」というのであればもはや何も言っていないに等しい。
例えば損害賠償額の算定をどのようにやるかを、引き合いに出した内田貴の教科書で見てみると良い。
そこでは裁判官の裁量が大きく働く(このことは民事訴訟法第248条からも明らか)。裁量が大きく働く、というのは言い換えれば「職人的な勘」が支配する領域だということだ。
こういう意味で「計量」と言っていたわけではないだろう?
それと「内田貴の法と経済学を念頭に」と言っているが、正直このレベルで本当に読んでいるか(読めているか)かなり怪しい。 >>542
おっさん、論破してやるよ。
裁判官の職人的な勘。たしかに裁判官の判断は職業的直観に基づくものが多い。
しかしそれは、個々の裁判官に大きい裁量があるわけではない。
どの裁判官でも、大体おおよその「相場」の落ち着く物なのだ。
でなければ、公平な裁判所で裁判を受ける権利や法適用の平等に反するだろう。 横入り?>>543=>>539でいいの?違う感じするけど 同一人ね。
俺は別に>>543に異論ないし、>>542と>>543は別に矛盾しない。何が論破なのかよく分からない。
「どの裁判官でも、大体おおよその「相場」の落ち着く」から「最近は法学でも計量の時代」なの?
そこで言う「計量」って何? 裁量ってのは、判断可能領域のことだろう?
個々の裁判官に「大きな裁量」なんてない。
仮にその「大きな裁量」を使ってはみ出た判決を出す裁判官は、
上にはいけません。
>>546
いや、俺に質問しなくていいから、自分の考えを述べてくれ 君が持ち出した「最近は法学でも計量の時代」を定義しない限り論点がとっちらかるばかりだよ。
「自分の考え」を述べようがない。
裁判官の裁量の幅の議論をしたいなら、具体的な事例を持ち出さないと無理だが、そういう話をしたいわけじゃないだろう?
(そもそも一連のレスを見ている限り、この点にそう主張の差があるとは思えん) >>541
私は学長です・・・
とかいうツイートが話題になったことがあったねw
計量が可能じゃないものを数値化してるだけだから、固定された数値にはならない。
高校生レベルのセミプロには理解できないかもしれないけど。 損害賠償じゃくえないよ。もっと大きなおカネの動きがないと。
軽量も質素だし、若い世代にはいいかな? もうすぐニ十才の原典を超えて四十路の水景になるよ。 マルクススレを荒らしてたバカが今度はこっちに流れてきて
また荒らしてるのか ライプニッツは法学を幾何学になぞらえ、籤引きや裁定者の個人的見解等による解決ではなく、
法の中に解決があるとした。
Leibniz Disputatio De Casibus Perplexis in Jure(「法律に於ける紛糾せる事例」)の扉に
は、以下の図版が掲載されている
https://i.imgur.com/0kLXFxz.jpg
ラテン語がわからないのでだいたい見当をつけると、以下のような図式だろう。
A市民法(国内)
自然法 実定法(都市)
3 条
件 件
条 1
条 件 2
C 紛糾、結婚 B国際法
間
(この三角の構成は見れば見るほどヘーゲルに似ている。)
『条件論』という別の論考は以下のような趣旨らしい。
http://d.hatena.ne.jp/theseus/comment?date=20090416
《…ライプニッツの『条件論』は法学の学士号取得のための研究の一部をなす。哲学的色彩が
きわめて強いことが特徴で、法律に条件が付けられる場合を検討している。もし条件が不
可能か不確実(偶然的)か必然であるなら、結論として法律は無効か条件付きか絶対的で
ある。ここでライプニッツは無効・不確実・絶対的ということを0・1/2・1と表記している。》 >>492氏が挙げてくれてた各訳、なんで原文から「推理的に」とか「中項」とかが出てくるんだろうか。
"Erhoben über die Wahrnehmung stellt sich das Bewußtsein mit dem Übersinnlichen durch
die Mitte der Erscheinung zusammengeschlossen dar, durch welche es in diesen Hintergrund schaut."
「意識は知覚よりも上になって現象そのものを通して超感覚的なものに結び付いて現れ、
意識はこの現象を通してその背後を見る。」
ではダメなのだろうか >>557
それが原文か。
その訳ではなにを言ってるかわからない。
他の訳もわからないけど、他の訳は日本語としては整ってる気がする。
自分で文が理解できるように、訳文を頑張ってみて。 >>557
> 「意識は知覚よりも上になって現象そのものを通して超感覚的なものに結び付いて現れ、
> 意識はこの現象を通してその背後を見る。」
・「意識は知覚よりも上になって」は普通に「知覚を超えて」でいいだろう。
・「現象そのもの」の「そのもの」はどこから出てきた?
・「この現象」の「この」は必要なように見えるが余計。
・「その背後」の「その」が何を指しているかこの文ではわからない。 die Mitte が抜けている
各訳が中間とかに翻訳してるのはそれ 意識は「知覚を超える」んじゃなくて、「知覚より高い段階にある」って意味じゃないの?
Mitteって「真ん中」じゃないの? Mittelなら「介在物」みたいな意味だろうけど。
「意識のど真ん中を通して」→「ずばり意識そのものを通して」 武市さんの訳はどうなってるんだろうな
俺は余裕がないから武市さんの本は買えないし >>561
> 意識は「知覚を超える」んじゃなくて、「知覚より高い段階にある」って意味じゃないの?
意識の章では、意識が感覚的確信→知覚→科学的精神へと高められる話をしているん
だから、動的な過程であることがわかるように訳文を作る必要がある。
> Mitteって「真ん中」じゃないの? Mittelなら「介在物」みたいな意味だろうけど。
この場合のMitteは中間項という意味。AからBに至るのにCを経由する必要が
あるのならCが中間項になる。 https://i.imgur.com/0kLXFxz.jpg
訂正
sequendi Falleret indeprensus, Ut quondam Creta fertur labyrinthus in alta:
et irremeabilis error. Parietibus textum
「出口もわからず帰る道、 「そのさまたとえばその昔、
さえも知られぬ迷い地に、 由々しき島のクレータの、
無益(むやく)と ラビュリントスがその内に、
なるというごとく、」 A の壁が織り上げる、」
(都市、壁の中の迷宮)
(自然) 3 条 ter frustra comprensa (PER)manus effugit imago.
<千年の、時の輪 件 件<三たび空しく腕はずれ>(アエネイス)
がめぐったその時に> 条 1
ubi mille rotam (CONTRA)
volvere per annos, 条 件 2
C B
del mihi se f?(adZoilum) mci ed cu widones?
<変身物語>
(蛇)
caecis iter, ancipitemque Mille viis habuisse dolum, qua signa
「網のような道すじの、無数のために人びとを、
惑わす詐術を打ち払い、
足跡綴ってそのあとを、しるす糸さえかしこでは、」 https://i.imgur.com/0kLXFxz.jpg
訂正
locus I
/\
anterior
hypotheca tacita
/ \
positionem3 / \positionem1
/contra per \
/ \
posterior intermedia
/ dos hypotheca expressa
/___________________\
locus Ill per locus II
positionem2 d.5 Mens. Nov. A. MDCLXVI
場所I
/\
事前
住宅ローンの暗黙の了解
/ \
位置3 / \位置1
/〜対して 〜によって\
/ \
事後 中間
/持参金 住宅ローンを表明
/___________________\
場所 Ill 〜によって 場所II
位置2
1666年11月5日。 追記:
ライプニッツの法論Disputatio De Casibus Perplexis in Jure(法律に於ける紛糾せる事例)1666、
https://digital.slub-dresden.de/werkansicht/dlf/60594/1/
http://digital.slub-dresden.de/fileadmin/data/358423678/358423678_tif/jpegs/358423678.pdf
その口絵に引用された変身物語、
https://la.m.wikisource.org/wiki/Metamorphoses_(Ovidius)/Liber_XII
Det mihi se: faxo, triplici quid cuspide possim, Sentiat.
《やつがわたしの領分までやって来さえすれば! そうすれば、この三つ叉の鉾の威力を
思い知らせてやれように。》
オウィディウス『変身物語』巻12岩波文庫下186頁
間に挟まれたad Zoilumはホメーロスを批判した批評家の名か?正確にという意味に解釈できる。
変身物語第12巻には三つに分かれた口絵に似た世界観を示している部分があり興味深い。
全体はこれ以上ない暴力描写に溢れているが。
口絵がどこまでライプニッツの意図を反映しているかはわからないが(本文にはアエネイス、
変身物語への言及はない)結合法論的志向が興味深い。真ん中の三角形は回転するのではないか?
その三角内の構成=「暗黙→媒介→究極」はやはり見れば見るほどヘーゲル=「意識→対他→
絶対精神」に似ている。
ヘーゲルはライプニッツのこの著作を知っていただろうが、ケインズが受け継ぐことになる
確率論的な部分は重視しなかった
絶対精神は確率論を排除するからだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています