愛 [無断転載禁止]©2ch.net
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勘違いオジサンがシバかれるもラノベに回帰する現象~ 1/3
プレスナーが提唱した人間の概念は、生物一般から、特殊には動物から展開されている。人間の身体は、中心的立場性という動物的構造をもっている。
人間という存在は、質的に異なる特別な器官ないし特別な遺伝子から成り立っているのではなく、
自らの中心的身体から距離をとる能力をもっていること、まったく存在しない立場から、自分を振り返る能力をもっていることによって成立している。
プレスナーは人間と動物を比較するなかで、優れて人間的なものを極めて控えめに、かつ、臆することなく誇り高く定義した。
動物には否定的なものにたいする感覚が欠けている。 2/3
したがって、理解力しかもっていないが、現前していない次元には関与しない。
もし特権が存在するとすれば、それは、人間が全然存在しないものを表象できるということだ。
人間は、立場的領域にたいしてユートピア的・否定的関係をとることができる。
自分が想像した事物を探求できるし、神々をつくりあげることができる。
陰界を想像でき、溢れるばかりの空虚と宣言することができる。 3/3
実在的な事柄においては、我々は動物と比べ、尊大な特権をもっているわけではない。
我々は、行儀、料理法、調理器具のことを一瞬忘れさえすれば、キツネが奪ったガチョウを両の歯で食することもできよう。
とりわけ中心的と言えるのは、人間が自分自身の体を離れて、他者の立場に立てることだ。
人間は、他者の立場に取って代わりうる動物なのだ。我々は自分たちの立場性を脱中心的に取り替えて、こう言うのだ、「僕は君の代わりに、君は僕の代わりに」、と。
「人間とは何か〜三人間と非ー人間」より ホモサピエンスじゃなくて
ホモライトノベル
ライトノベルを読むのは人間だけ とりわけフロイトージャック・ラカンは、他者と脱中心的なものを性エネルギー、エス(欲動)、自我(外と内、エスと超自我の調整機能)、超自我、意識と無意識によって他者性対象性に光を当てた。
特にラカンは他者の欲望を慾する接点、対象aを提唱した。
例えば昼間のこのスレのやりとりから、ある欲動、ともすれば言語の記号論理学や抽象概念、数学と言語、取り分け非ー言語的な見地から、
言語の複雑化の縮減についての欲望を慾するというものが移ってきた。その欲望は、たしかにロボットのイメージに近い。
言語からも乗り移ることから実際に人間と人間が対峙すると、その対象から自分を映し出すメデゥーサの目のように、たちまち意識が石化してしまう。
それを考えれば、転移というものの恐ろしさに慄かざるを得ない。人間とはかくも恐ろしいものなのだ。
人は目の前ないる対象の欲望を感じ取って、自分はそれを慾する。否応無く。
人はその人の立場に立ち、自分となる。これは正常と異常の臨界であり、異常は他者の立場と自分の立場の区別がつかなくなってなる。 加藤茶ってまだ死んでなかったんだ。
見た目ヨークシャーテリア、心ブルドッグ、嫁の前では忠犬ハチ公。 文化人類学者の山口昌男氏の提唱した概念に「象徴的宇宙」と言うものがある。
これを読んでいると、吉本隆明の「共同幻想論」などを想像しながら読んだが、遠からずちと違う。
「象徴的宇宙」
人の生活および意識の中で、人が、制度的な規定・定義を超えて、感覚をも動員して、何事かを理解するレベル。
個人の生活史と離反することなく、訴えることができる。
個人の小宇宙と制度の大宇宙を直に結びつける。
様々の格を存在のヒエラルキーの中の様々の現象に振り当てることによって、このヒエラルキーのなかで社会的なものの拡がりを定義づける。
象徴的宇宙は、普通とは異なる人間に、人間以下という規格化を行う。我々の視点から言えば、「内側」の秩序を確認するために「人間以下」が強調される。 >>635
嫁の愛で油物のオンパレードですよ。
愛だお。愛(о´∀`о)! 象徴的宇宙を具現化して語りたいが、インテリからちと違うんじゃないの、と言われるのがちと怖い。
事物の神格化は、他の対になる事物の獣化を前提とする。
歴史は全ての集合的な事件を過去、現在、未来に分配する。
過去についても、未来についても歴史の中で語られる事象には、
成功者/失敗者、賢者/愚者、富者/貧困、勇者/卑怯、勝者/敗者、善人/悪人
といった価値で色付けされており、それらが「怠け者→貧困」という連想を前提とする。
「怠け者は貧しくなる」といった文に見られるように一定のディスクールの組み合わせとして成立する。
一つの文中にも「秩序=生=意味」「反秩序=死=無意味」という対立にまで隠喩的に読み替えていくとしたら、
歴史は宇宙的秩序を再確認するための聖典。 人間の「脱中心的な立場性」には懐疑論的なニヒリズムに至る陰部が隠されている。エロティシズムとは違うけど、どこか方向性を見失うような、そんな厭世的な気分。
形而上学的な
プラトンの「イデア」とかアリストテレス「純粋形相」あたりのものが、黄金比的な意味合い程度にしか真実を持たないとしたらどうだろう。
↑
現代風に言えば、「くだらない」とかシラけるとか。
マジ卍、神的なとか「イデア」を思わせるようなものと対比して、美的なものでさえも脱構築してしまう。
象徴的宇宙は、文化的にはそれが、かなり複雑化している。
社会分化のせいだろうか?
漫画の世界にも象徴的宇宙は未だに息づいている。が、みんなちょっとやそっとでは納得しなくなっているような気がする。
その物語のなかで勧善懲悪が読み取りにくくなって、逆に水戸黄門みたいな物語の型をみて安心する場合もある。
例えば、漫画「寄生獣」のなかのミギーや他の寄生獣。「いぬやしき」の獅子神。
正直言って、何が「良い」のか何が「悪い」のかがわからない、というのが若い連中の本音だろう。
チャラいのがいいのか、ヤンキーがいいのか、オタクがいいのか、普通がいいのか、何がいいのかわからない。
それが高校生くらいまでのほとんどの人間が抱えている命題だ。とりあえずなんでもいい、という連中が学校カーストの上位なのだから、
この煩雑な命題は、とりあえずイケてる人間がいい、というのが本当にとりあえずの結論。 あぁぁあぁあ 救えなかった なんてなんて僕は無力なんだぁぁあ
ぁぁあ可哀想に >>645
あぁぁあぁあ 救えなかった なんてなんて僕は無力なんだぁぁあ
ぁぁあ可哀想に タロットの愚者は最強かもねえ。
分化が目的ではなく激しい恋愛の試練や、順序だった行動のせいで
そうなったわけじゃないか。
人生はゲームだ 恋愛は無意味だ 人生は無意味だ 恋愛はゲームだ とか。 >>635
ライトノベルを読んでて今期、調子いいよなあ〜 ホップ と バーボン もいいんじゃないかな。若いうちは、効果があって。 わるい あく の語源を遡及して定義してみること。病状悪化も最悪版もなんのその。 らしくないじゃない。ノベラーはいつもキレキレだったのに。 >>659
ぷぴぴ(о´∀`о)
なんで、カタカナ!!!
ぱぴならー!。゚(゚´ω`゚)゚。
今日は猥褻語でも書こっかな。 乳首ドリルすなが結婚できるのに、底辺は。゚(゚´ω`゚)゚。ぱぴならー! >>662
ノベラーがインテリはない。
インテリに負けて号泣させられたノベラー。゚(゚´ω`゚)゚。 ノベラーが1番やばいのは、顔じゃない。
表にでてる基地外じみた性格ゥと裏にあるもっとお基地外じみた性格。でもバレたァ。 ノベラーでも、事実でないことで人を傷付けたら精神科に受診しなきゃなあ >>669
うん。゚(゚´ω`゚)゚。だって精神科連れてった人がいじめてると思わないじゃん!
うわー(о´∀`о)ぷぴぴ。 >>670
精神科を一回受診するなんて、インフルエンザの予防接種となんら変わらないよ
ちょっと、妄想で人を傷付けて悪いなと思ったら、精神科に受診 >>671
しのちゃんの場合、薬漬けにして喜んでそうだったから、投薬やめたんだおな。why?と思ったんだおな。 あとは、テレパスライトノベルがどこまで本当なのか心配。僕しか知らないことが書かれまくってた。 ノベラーでも、妄想を持ってたら精神科に一回だけでいいから受診しなきゃ >>675
いや、それは別の話だよ。
妄想は認めるけど、それは別の話。 僕の妄想かもしれないな
そう思うと消極的になる
なにもできんよ いや、あれは妄想じゃないよ。
ああいうことは初めてだけれど、
不思議な現象が起きたことは何回かあった。 妄想じゃね絵可能性の方が強いとか、どんだけご都合主義なんだよ というか、底辺が哲学板に来たこと自体がまずおかしいでしょ。。。5chなんて本当にRom専だったんだおな。 いや、御都合主義ではないよ。
あんなの普通は都合の良い話でもない。 夢とか創作じゃないのに、妄想を持ってたら、やっぱりダメでしょ
それで人を傷付けたら、一回、精神科で精神の歪みを治してもらわないと 妄想を持つとお父さんが他所の女とセックスしてるとか考えだすの
幾ら事実を見せても治らない >>688
そう 妄想を持つと近所の人同士でセックスしてると妄想を持つの
何回説得しても無理
精神科で治してもらわないと治らない >>689
そうだったんだ。
おしどり夫婦演じてるなーとは思ってたけれど。別に今さらどうでも良い。 それよりも、僕の勇気は奪われるね
ちょっとやそっとどころではない
厳しいよ 精神科治療でもいい五言律詩や絶句に残るかな。
西晋華知良でも無理でしょ。 何で、脈もねえのに。そういうのをキモいつうんだよ。 オラオラ系風俗よびこみちゃんにーしかおもいだしぇなィ たぶん生き方自体わりーんだよ。おれも人のこと言えんが、少なくとも清見より人のことわかるし思い遣りがあると思うよ。 清見の言説からわかることがある。
それは自分の理屈を優先させていることだ。遥かにあんたが思っているより他人と自分は違う。
自分の考える行動規範や理屈は、それがひとつの善だとしても、そういったものが他人には通用しないことなどいくらでもある。
まあわかってはいるだろうが、かなりそれを自分の方に引っ張ろうとする理説が幼稚なんだよ。
自分の理屈を持つなとは言わんがな。 女っつうのは一応こちらが真剣に何かものを云おうとするとピタッと行動をやめて立ち止まって耳を傾ける。
見たことあるだろ? 女は重要なことは一応訊く生き物だ。男はこちらが喋り出したら、それを訊かずに話をしようとする。
本当のことを言えば女は頷くし、本質から外れたことを言えばすぐにそっぽを向く。それが女だ。
清見の場合、そっぽ向かれる方だろうな。本当のことを言えるようになれ。哲学や理屈は一旦括弧で閉じろ! 思いやりってのはさ
自分勝手でも底に信頼があることだと思うんだよな
マケドニアとギリシャでの戦争で
ギリシャの捕虜が人質交換の条件として解放されて
その大臣は本国に戻って、この人質交換の条件には断じて乗るなと主張した後
人質に戻るために敵国に帰ったんだよね
他の人たちは「戦争だから戻る必要はない」と主張したけど
大臣は「そうはいかない、戦争でも守らねばならないルールがある」と言ったんだよね 人質交換を条件にして、さらに人質を増やすことはできる
「なんでもあり」とか「戦争だから」とかね
根底で信頼を損なうものがあることは悲惨だ
僕らはいがみあっていても、ケンカしても、身勝手でも、わがままでも
根底では「信」を置くことはできるんだよね
逆に、うわべだけの思いやりを演じながら
根底で「信」が崩れてしまえば
それは思いやりではないとも思うんだよね うわべだけの理解は必要なくてさ
根底の論理が同じなのに表層が違うということはありえなくて
根底の論理が違うからこそ表層が異なるんだよね
僕らは、表層だけを違えるのではなくて
根底の論理から根本的に異なる異種の別々さを持つ
だからこそ、根底の論理のぶつかりあいが必要不可欠なんだ
そうでないものはうわべだけの仲良しでしかないんだよね
根底の論理がどう土台を作って建物を建てているかを見抜いた上で
その仕組みへの衝突を果たしてこそ、表層の違える中を相互理解が可能になる
「根底では理解できないのだから、うわべだけでも仲良くしよう」というのは僕にはアレルギーが出てしまう
「根底では違えるからこそ、少々の衝突はあっていい、でも根底での相互理解と信頼を欠いてはいけない」
というのが
僕の考える思いやりなんだ
僕にとって「思いやり」って、そういうものなんだ 根底が違うって事は利害関係に齟齬があるからだろ
そうなったら信用とか関係ない
その程度の事が分からないのか?
衝突する事が善で衝突しないことが悪?
戦争ってのはうわべの言葉で解消できない問題に対処するものだろ
何故ここまで愚かなことを口にするのか
自分以外はバカだと思いこんでいる世間知らずの愚か者だな それにだ
信用が出来ない相手と取引したくないのは当たり前だが信用は築くものだよ
うわべだけでも仲良くできる人間は根底での理解でも当然仲良く出来る
それと根底でしか仲良く出来ない人間とどっちの方が人としての器量があるか
冷静に考えてみろよ
バカ 結局あいつは信用できないと疑ったり、否定してばかりで周りの人間を不快にしているだけでしょ?
不快人間関係なんて広く持ちたくないのに一々つっかっかて来られても迷惑ですわ
そんな思いやりは親や嫁さんと議論しててくれ
言ってる理屈が全てガキ 僕は自分に利がなくても害があっても信頼関係を築きたいと思うな
ギリシャの大臣はそのままギリシャにいることができたし、
敵国に帰れば、酷い目に合うことは目に見えてた
だけど彼は、自分の利よりも理屈を優先したんだ
ヒトラーが自分が生きることに利があると思ってたとしても
自分にユダヤの血が入ってるなら自分が死ぬべきと思ってたなら
彼は、自分の利よりも理屈を優先していることになる
そして、自分の利よりも理屈を優先することが
建物の土台づくりには大事だし、
理屈を優先するからこそ、理解が可能になる
「理解」と書くわけで、「利解」とは書かないわけだからね
相手の理屈を解ることが理解
そして、相手の理屈を分かったとしても、その理屈に合わせる必要はないんだ
利に生きる者は理に生きれない >>709
いやいや
君の方こそ、自分に利がないと判断したら、信用できないわけでしょ??
義を持つ者は、根底で「信」を築ける
上で「ヒトラーはケモノだ」と言う人がいたが
僕らはケモノとは「信」は築けないが、僕はヒトラーと「信」は築けると思う
その上で、僕はユダヤ人虐殺には反対なんだ
ヒトラーに反対するけど、ヒトラーとの間に「信」は築けるんだ >>708
君のような人間が、権力を持つとパワハラをするのだろう、と思うね 仮に心理的に嫌であったとしても
社会的な利害関係から利益があるなら、それを受け入れざるを得ない
という利益ベースの思考が、パワハラをつくりだすのだろうね 僕は寿司が好きだ
で、僕の友達には生ものが食べれない奴がいる
そいつと飯を食う時には寿司は食えない
でも、それでもいいと思ってる
僕だってゴキブリは食べたくない
でもゴキブリを食べる人と友達になれないわけではない
(ゴキブリを食べる女性とキスはしたくないけどね)
僕が寿司を好きなのも
友達が生ものを食べれないのも
どっかの国の人がゴキブリを食べるのも
全部表層的なことだ
その都度、適当にその場を過ごせればいい
根底にあるべきは、人の好き嫌いへの理解だ
それが理解できるなら、食事はできる
少しばかり不便かもしれないけどね
ナマモノを食べれないことを時に笑い話にしながら、食事はできる 僕が偉くなっても
ナマモノを食べれない奴に寿司を食べさせる人間にはなりたくないね
外人が松前漬けを食べさせようとする隣人を訴えた、という話もあったね
「腐ったものを食べさせようとする」って どうでもいいけど
小室哲哉見てると介護には限界があるんだなとつくづく思うわ >>702
しのちゃん、ふぁいと(о´∀`о)!
ありがとう! 聞いた話だけど
ケイコがくも膜下出血の後遺症で
ほとんど会話できないし、小四のドリルを嬉々として解くほど、脳がやられちゃったらしいんだよね
どんなにステキな人でも
知性が失われたら、つらいんだろうな、と思うよ
人は、その容姿を愛するんじゃないんだよね
その人の知性を愛するんだよね
知性ってのはハードカバーではなくて
(どこどこの大学を出た、とか、試験で1位だった、とかは、本のハードカバーみたいなもの)
思考や会話の端々から見える思考OSであり
昔は「魂」と呼ばれたものなんだよね
人は魂を愛するんだよね
くも膜下出血は魂を汚したんだよ ヘルパーを呼ばなくなった障害者をどう介護しようとしてたの。障害者がヘルパー好きになっただけの話だけれど。 それでもKEIKOは小室哲哉のことが好きなのは覚えていると思うけれどね。 結局しのちゃんは、利害ベースでしか物事を考えづらくなってきたのでは?
そういう環境に身を置きすぎて、そこに心を置くことで自分を守っている。
僕はあなたが好きです。 >>703
ここからわかること。清見は完全無欠に女に嫌われる考え方の持ち主だということ。
まず女はおまえの理屈など訊かんし、屁でもないと思うだろう。その理由は、おまえの考え方がひねていてウザいからだ。 >>706
>だからこそ、根底の論理のぶつかりあいが必要不可欠なんだ
そうでないものはうわべだけの仲良しでしかないんだよね
まあ言ってることは理解できるが、結びつきと個人の「方向性」は違う。
結びつきっていうものは即時的なものだ。方向性や利害の根底からの一致はそれとは別の話。
物事を分化させているわりには考えが浅いよな。 >>707
清見に関しては馬鹿としか言いようがない。正直に生きられないんだよ、こいつ。難しい本を読むってことは、ある種、悪い考え方を生む原因かもしれんね。
清見の考え方は、本当大したことないんだよ。女からすれば一目瞭然なのだが、それを理解することはないだろう。
ただ、清見の考え方にサディズムの傾向がないだけ人類にはマシなんだけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています