ハイデ(ッ)ガー読書5 [無断転載禁止]©2ch.net
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『存在と時間』
『形而上学の根本諸概念』
『哲学への寄与』
他
>>721-722
自己完結している、というのはちょっと読めてないというしかないですね。
というよりかそもそも〈自己〉という概念について、あれは根本的な
問いを発してる。たえず〈向こう側〉からやってくるのも〈自己〉であって、
いつの間にか抱え込まれ、包括され、塗りかえられていたりするのも〈自己〉
。
そもそも何かが気になって行く、何かが許せなくなったり、或いは
素晴らしく思えたり惹かれていたり忘れられなくなっていたり。
そういうことってのは別に主体的に求めることもないまま何時の間にやら
なっている。
すなわち人間には自分が意図的に求める訳ではないのにそうなる、という
側面がしばしばある。恋愛でもそう。「何故あんなのがいい?」と訊かれても
答えられない。しかし明らかに自分は惹かれている。
人間には〈自己〉内部に〈他者〉を抱えているとしか思えない瞬間が
しばしばある。で、〈自己〉の本来性を自分に教えてくれるのも実はそういう
〈内部-他者〉だったりするわけです。 730つづき
ハイデガーが本来性と云う場合、〈良心の呼び声〉といったりする。〈良心
の呼び声〉によって本当の自己に気づかされたり、または顔をそむける自分
を責めたりもするわけです。〈自分が本当に求めているのは…〉と気付かさ
れる。
あれが実存思想でもありそれもリアルな実存思想でもあるのはそういう
内実を言い当てているからでもある。
ハイデガーが政治的加担が有名だからあれが実存思想であることには
消去されたりするが、実は実存の在りか、それが本来的には何だということ
についてはよく言い当てている。
その言い方を辿ってみると、「自己完結の孤立化での安らぎと希望 」
「自己閉鎖と庇護性と孤立化自己完結人生観」
というよりは、絶えず自己に於いて震動し、〈向こう側からやってくる〉
何か-それも自己だが-に対峙することが視線に入れられていることが分かる。
そのように自己を問われている。まったく「自己完結」などしないわけです。
ハイデガーが表す実存ていうのはそういうものです。 731つづき
あと彼の性起論では特にそうだけど。
自分の存在が何なのかも分からなくなり、たとえば学生なら学校や学校的
日常に適応する中で、たえずストレスを抱えながら硬直し、陰湿に加虐的に
なるか、反対に自虐的になるかしか発散の方法はない。
労働者ならノルマやルーティンに慣らされて調教され、しかも
企業の利潤のために搾取され、要らなくなれば捨てられていくしかない。
たえず効率と能率で選別されていくしかない。
ちょうど酒鬼薔薇聖斗が「透明な存在」と自己を表現したことに
それは見合っている。
存在-窮乏といいますが、そういう状況での人格変貌についてもよく
論じている。硬直した主体から退行することでしか生きられなくなった
実存が、拒絶する存在の場所と化して、いわゆる脱-社会的存在と化す。
酒鬼薔薇聖斗が「透明な存在」と自己を表したのにこれは対応している。
また、上に書いた本来性の現在的動態としても読むことができる。日本の
1980年代以降の実存のダークサイドについて、ここまで論じられている
論考は存在しないと思いますね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています