ハイデ(ッ)ガー読書5 [無断転載禁止]©2ch.net
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『存在と時間』
『形而上学の根本諸概念』
『哲学への寄与』
他
おーぷん=糞!クソ!
おーぷん運営=糞!クソ!
おーぷん削除人=死ね! ハイデガーなんてただのあれだぞ
言葉遊びの人生論エセーで文学を味わってるだけだろ >>750
>中山訳でもまだ「sich vorweg」を「自己に先立って」と訳すと、
>誤読を誘発することは修正されそうにない。
誤読なんかしません。その訳で正しいのだから。存在は「自己に先だって」世界を
開示し、人やモノに出遇わせるのです。だから自己にとって大きく、また或る思想家
にとっては「ハイデガーのいう存在とは自由の否定であり、むしろ自己こそが
何者にたいしても先行し、全体化するのである」という批判に的にもなった。
しかし先の訳にかんしてはあれでいいのです。 中山元からしたらあれだろ
またixtlanとかいう頭のおかしい奴からキチガイメールが来た
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npo法人 sta >>756
「自己に先立って」という訳だと、「先立たれた自己」という意味が前提される。
それは、企投と被投性のどちらかと言ったら、被投性の方に解される。これを「誤読」と言っているのだ。
事実、前に私と対話した人はそう解していた。だが、テキストではそうはなっていない。
この部分はゾルゲの1番目、すなわち企投 Entwurf を説明した箇所だからである。
sich vorweg の正しい訳は、「自己に先立って」ではなくて、「自己の前方に」である。
<未来>は<自己の前方にある>。そこに向かって意味を投げること(Entwurf)、これを企投とみなしたのがハイデガー。 >>760
前の投稿のお仕舞いで、「(Entwrulf)」は、「企投」のあとに付けてください。
ちなみに、この企投とほとんど同じ意味で使われるのが、<超越>。こっちのほうは、<事実性>と対になっている。
企投−Entwrulf−超越
被投性−Geworfenheit−事実性
まずこの対へ向かって、『『存在と時間』は進む。その際、人間の心性の対が重ね合わされている。
つまり、企投には<了解>が、被投性には<気分>が。
だが、基礎存在論が人間を超えると自負していても、このように人間の存在様態を絶対視しているのだから、ハイデガーが言うほど「基礎的」でも、また<脱認識論的>でもなかった。
>>756
ハイデガーは決意を強調させすぎて一本化🐗
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植村玄輝・八重樫 徹・吉川 孝 編著
ワードマップ 現代現象学
―― 経験から始める哲学入門
こうした状況に一石を投じるべく書かれたのが本書である。現象学は哲学として生まれ、哲学の問いに取り組んできた。本書はそのような哲学としての現象学を現代に蘇らせようする試みであり、現象学を通じて哲学に入門するための手引きである。
したがって、フッサールをはじめとした古典的な現象学者の注釈・解釈を目的にはしていない。また、心理学、社会学、教育学、考古学などの人間を対象とする個別科学に方法論として組み込まれているかぎりでの現象学も、さしあたり本書の主題ではない。
本書のタイトル「現代現象学」は、現代哲学のなかに現象学を再び位置づけようとする意図をあらわしている。もちろん、これとは別の方針のさまざまな「現代現象学」の可能性が成立しており、本書の立場からもそれらは歓迎されるかもしれない。
しかし、執筆者たちは、現代の現象学はさしあたり本書のようなスタイルが望ましいと考え、その姿をなるべくはっきりと描き出してみた。
本書は、通常の現象学の入門書の冒頭で紹介される「現象学的還元」「形相的還元」などの方法にはほとんど言及しない。というのも、方法論から話を始めると議論が抽象的になりがちであるし、手段と目的の関係が転倒してしまうことにもなりかねないからである。
泳ぎを覚えるには、座学から始めるのではなく、まず水に入って体を動かしてみるのがよい。本書の目的は、あくまでも哲学の問いを考察することであり、問うべき主題から切り離した現象学の方法をそれ単独で明らかにすることではない。
現象学のアプローチの特徴――長所だけでなく短所も含めて――は、さまざまな哲学の問題の考察を通じて示されることになるであろう。 ハイデッガーは近代西洋哲学者の中では特にギリシャ哲学の伝統に忠実だな
読んでて違和感ないというか安心して読める そのつど私、とか、各私性とか何言ってるさっぱりわからん
現存在は必ず人称代名詞を付けて語られなけばならない、ってそれってドイツ語の都合だろう
人称代名詞が世界の言語の中でも希薄な日本語使ってる身からすれば説得性なんてないな
時性とか現存在の歴史性とかもこれまたドイツ語(あるいは同じような時制をもつ言語)の都合でしかないし
印欧語のような時制の観念を持たない日本語や中国語、アラビア語の視点からすればこれまた説得力ない 毎月のお支払い、生活費、携帯代でお困りの時はご相談下さい。お金の悩み、相談はエス ティー エーで
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存在は「自己に先立つて」世界を開示し、人やモノに出遇わせる。
これは、被投性であり、「存在の生起」として捉えられている。
他方に於いて、「未来に向かって意味を投げる」ことは、企投であり、現存在の能動的な
存在了解として捉えられている。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
6KRI8 茶の本のバックボーンは道教
仏教にはない発生論がそこにはある
参考:
"Heidegger and Asian Thought"p.102-103
(1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙における老子#15の引用)
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
山小屋にて1947年8月9日
親愛なるシャオ様
私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。
孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。
濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。
道徳経(天の道)より
親愛なる情を持って
あなたのマルティン・ハイデガーより ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています