490 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/04/20(木) 11:15:11.90 0
ここまで論を進めてわかったことは、市場というものもまた、合理の終端に位置しているということ
市場は、異なる合理の衝突を解決する機能があるわけだから、そこでいったん合理は終端し
アナログに変換され、人間の欲求や感情、そして乱数などを媒介として、異なる合理の解決がなされ
再びデジタルに変換される
合理の終端には、ある種の信仰が発生する
これは、武力によって合理の衝突が解決されていたときも、武力がある種の信仰の対象になったことから
わかると思う
そして、富の偏りを解決するための処理の粒度について言えば、これは市場のアナログ領域ではなく、
デジタルに変換された後、つまり合理の終端の内側での処理ということになるだろう
そこで、ITを使って合理の粒度を高めることで、終端からの処理のひずみを最小限に抑えることができる

それに対して、欲求や感情のひずみについて言えば、これは合理の終端の外側のアナログ領域の話であって
そこでITは適用できず、偏りの解消のために、乱数を使うのもやむを得ないといえるかもしれない

491 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/04/21(金) 08:28:10.87 0
ここで、気がつくのは「市場的公正さ」が合理の外側で決まるってこと
そもそも、合理というものは透明であって、合理自体が公正さの基準、あるいは正しさの基準を
決めることはできない
そうした基準は合理の外側で決まる
合理とはそうした外側の基準(あるいは信仰と言ってもいいかもしれない)に対して、
透過に論理を進めていくことに他ならない