客観的に話をすればよいだけのこと
それができないのは若くて情報が足りないか、先入観で固定観念が出来上がっているから。
国際交流ってのは、互いの情報交換をどこまでやるか、上辺だけならマスゴミでもう沢山だ。

ところでなぜ衝突するかというと、面と向かって話をぶつけるからであるという。
最近面白い本を読んだ。「日本語が世界を平和にする これだけの理由」金谷武洋によると
そもそも日本語で主語は控えめにして言わないことが多い。主語が明らかなら まず言わない。
ところがSVO式の言語だと、前のOが次のSに掛かるなどして三段論法になり勝ちだという。

しかし日本語は「おはようございます」「良いお天気ですね」と何が主語だかわからない。
というより大枠が「結構」であり、朝は早よからや、良いお天気は添え物だという。
ここで人間は「結構」という乗物から外を眺めるので目線が同じ方向を向くので 衝突しにくく平和的に論じられるという。
ところが国語の時間に先生が主語が重要であるかのように教えるので日本語がおかしくなり、言葉が乱れ、議論下手になるのだという。

その意味で早期からの英語教育が日本人の言語構造に与える影響を心配するという。
三段論法だと結論が初めから限定されて自由度が狭まるというのだ。

先のあいさつの例で大枠は「結構」だったが、ここスレの大枠は「各個人が尊重される未来という方向」だろう。
と、話は簡単なのだが 人によって それは先の先の話で今はそれどころではないと、すれ違うことが問題になっている。