>>858
病気の人に「病気だ」と言って治らなくても、組織なら健康な生き様を体現している人も多いだろうから直る可能性がある。
一般に、個人攻撃はいけなくても 組織や組織を代表する人の場合は攻撃でなく指摘になる。だから法的にも個人はある程度保護されるし、組織体や代表には別途責任が課せられる。

西部氏の場合は、水準以上の見識があるし、大学教授の地位にいたこともある。多く論陣を張ってきたのだから、宮本武蔵のような孤高でもない、というワケで論を吹っ掛けられる。
氏は憲法改正案をすぐにでも作れるようなことを言ったと思うが、それほど簡単だろうか。

というのは現在の日本国憲法はアメリカにおけるキリスト教との共立でできていると考えられるし、
かつて大日本帝国憲法は日本の伝統と神道の理解に基づくと考えられるが、
西部氏の背景は仏教のようである。これでは無理だ。

なぜなら世界的なの争いごとの多くが宗教宗派の対立が原因であるからだ。
この問題を回避するために西洋では(30年戦争の後に)政教分離にたどり着いた。もし今30年も戦争したらドエライことになる。

つまり氏が言うように一国の歴史を現在の認識として憲法に現すのでは諸宗教との調和に支障をきたす。
この問題が現実に差し迫っている今、昔の特定の伝統にこだわっていたら、まるで大相撲のようになる。つまりこれらの問題は「国際問題を解決する原理」に人類が到達していない、という危機緊急の課題なのだ。

この現在の病状を認識し、対処を示し、原因に迫る という具体的で客観的な診断書を添えてこその大法であり、総意(2/3の合意)に基づく憲法として価値あるものになる。
もし氏が言うように「一人で書けるもん」だと神の御宣託と同じ「独り善がり」になってしまい、争いの元になる。つまり病気のままなのだ。
氏には「2600年」という言葉に象徴される真意・底意をまず示して貰いたいものだ。