岩波古語辞典の基本助詞解説において、「を」について、「本来は感動詞
であったものと思われる。」、「感動詞『を』とは物事を承認し確認する気持ち
を相手に表明する語であった。」、「こうした用法から、動作の対象の下について、
それを確認するためにこの語が投入された。そこからいわゆる目的格の用法が
生じたものと思われる。」と記載されている。

しかし、「あたら〜を」において、「あたら」に「惜」という漢字が当てられる
ニュアンスが、「〜を」という形から生じていることからも分るとおり、「を」
は、必ずしも「承認し確認する気持ち」を表現しているわけではなく、むしろ、
感嘆の呼び声であると考える方が妥当だろう。すると、現代の日本語において
目的格を表すように用いられている「を」は、既に以前のスレッドで検討した
「をかし」、「を(招)く」、「を(食)す」、「をさ(治)む」、「をし(教)ふ」
などの「を」と語源を同じくして、「呼びかけの声」であると考えられること
になる。まあ、「を(惜)し」も、その「呼びかけの声」から派生しているの
ではないかと推測されることになる。なぜなら、「あたら」に「惜」の
ニュアンスをもたらしたのは、「あたら〜を」の「を」であり、現代の日本語
で考えても、「若い命を」、「使えるものを」、「食べられるものを」、
「着られるものを」などの表現において、「惜しい」というニュアンスを
もたらすのは「を」に他ならないからである。