量子力学 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
デンプスターシェイファー理論におけるファジィエントロピーについて
*森 伸之1), 本田 あおい1), 岡崎 悦明1)
1) 九州工業大学
公開日 2010/11/05
キーワード: ファジィ測度, エントロピー, デンプスターシェイファー理論 生体は今まで量子計算を用いることはなかったのか?全くなかったのか?本当に? 言葉(思考)は量子論的ではないかと思っているわけです。
言葉は意味を持つとしてもひとつの意味ではなく、量子論的に再発展して別の意味を持つ。
少なくとも、ひとつの言葉(単語)は正逆の2つの意味を同時に持つ。
なので、再発展しないと困るwのでそういう事例が物理現象にもないかなと思って探しています。
ま、時間的に逆方向をみれば再発展でもあるわけです。その点、思考は時間的にも自由ですね。
そして言葉(思考)は多世界的でもあるわけです。
これらが量子論でないわけがないw
そうすると、「哲学」そのものも「量子論的」であり、物理の量子論は「哲学」が物理世界にあらわれているだけではないかと。 量子計算をいじりながらいろいろ考えていたら、多世界がみえてきた。
多世界が余剰次元にくっついている。
エネルギー論的にうまくつりあえばよいのだが。 多世界なんかあるわけないだろw
量子計算とかファンタジーだからw (量子論的)コインを考える。観測されるのは表か裏である。
1枚のコインでは、観測前には、2つの観測されるであろう世界がある。
観測後には、観測された世界と、その観測された世界で観測されなかった世界の2つの世界がある。
最初から多世界なのである。
観測されていない2つの世界、そして、観測された世界と、その観測された世界で観測されなかった世界。
観測前と観測後でも2つの世界がある。
世界は分岐しない。
観測されるであろう2つの世界は、コインができたとき既に存在している。
観測によって分岐するのは観測されたか観測されなかったのかということだけであり、観測というものが一回性のものである限り、
観測者とそれぞれの世界への接続形態が異なるというだけだろう。
未観測->(観測+非観測)
分岐しているわけではないのだから、
(未観測+未観測)->(観測+非観測)
観測される側の世界は増減していない。 「分岐」ではなく「分裂」のほうが的確か?
「分裂」だとエネルギー論的な問題が発生してしまう。
だから「無い」のだ。 足し算の世界では、たとえばa+b+c+dなどのようなとき、
b*0となればbが消滅する。
掛け算の世界では、たとえばa*b*c*dなどのようなとき、
b^0となれば、これは1となり、bは消滅する。
*0や^0とはどういうことなのかと哲学的に考えるのもおもしろい。
エネルギー論的には*や^の左側の数値の情報はどこかに保存されるべきだと考えられる。
どこにどのような形で保存されるのか。
そもそも0とは哲学的にはどのような存在なのか。
無であり無限であり、ブラックホールとホワイトホール両方の性質を持つのか? 量子論語る奴と日本のラップって似てるよな
どこか本場でない感じの優越感 0は普遍的に存在する。
集合論における∅(空集合)と同じなのであろう。
ただし∅は集合の元ではない。部分集合をとらねばでてこない。
このような哲学的概念。モナドを否定し置き換えるべき存在なのか?
それともモナドそのものなのか? A=[a,b],B=[c,d]とする。[1,0]が表で[0,1]を裏とする。
AとBは独立であってそれぞれがバラバラに表裏がでる。
CNOT=[1 0 0 0,0 1 0 0, 0 0 0 1, 0 0 1 0]ゲートを通すと、
A'=[ac+ad,bc+bd]=[a(c+d),b(c+d)]=[a,b] (c+d=1なので)
B'=[ac+bd,ad+bc]
になる。
これが量子もつれ(のひとつの例)である。
A'=[1,0]のとき、B'=[1,0]となるなら、[c,d]=[1,0]であり、
A'=[0,1]のとき、B'=[0,1]にならねばならず、
A'=[1,0]のとき、B'=[0,1]となるなら、[c,d]=[0,1]であり、
A'=[0,1]のとき、B'=[1,0]にならねばならない。
数式で計算すればわかりやすいのだが、日常言語派哲学では、
この現象をどのようにあらわすことができるのやら。
量子ゲートを抜けたあとのいまここに内在する過去が、いまここの関係によって固定されてしまい、
いまここの未来を決定してしまう。 現在の関係によって過去が固定される。
ぐだぐだと書いていたがつまらないので考え直して週末に書こう。 A'=[a,b]
B'=[ac+bd,ad+bc]
この2つの量子状態を引き離してもa,bは同じでなければならない。
引き離す前には決定していない。
プログラム的に考えれば、これらのa,b,c,dはリンクであり実体はそれぞれ一つということだ。
そう考えたとき、われわれの世界は実体へのリンクからできているということだろう。
実在論の「実在」とは、ここでいう実体であり、われわれは「実在」へのリンクをみている。
実在(実体)を直接扱っているのではなく、間接的にしか(実在へは)アクセスできない。
そもそも実在とはアクセス不能であってもかまわない。ただし、間接的にも影響を受けない実在は実在していないとすべきだろう。
(リンクをたどって実体にアクセス可能かどうかは先送りする)
すべての実体はわれわれのこの世界における(直接的な)存在ではない。
つまり、言葉を吟味せずに暴力的に結論をだせば「実体は無い」ということだ。 なんというか、この世界はプログラムであるというところから始めてしまったほうがはやいのではないかとさえ思う。
(プログラムの設計者・製作者がいるという意味ではない)
リンクがエネルギー論的にエネルギー0であれば、多世界のエネルギー保存問題も解消できる。
多世界とは同じものを異なった角度(角度とはもちろん本当の角度の意味ではない)からみたウインドウがたくさん開いているということなのかもしれない。
ウインドウとは量子ゲートと同じものなのだろう。 哲学を広義の計算としてとらえるなら、哲学(哲学計算)とは量子計算である。 まあ、哲学と量子力学は(ある意味で)等価だといっているにすぎない。
(「哲学」とは「哲学という学問」のことを指してはいない) 確かにそうだ
迷宮に迷い込むという点では同じ計算かもしれない 重ね合わせの状態とは、観測者によっては異なる値が観測されるということだ。
重ね合わせでない状態とは、観測可能な観測者にはすべて同じ値が観測されるというだろう。
観測できない観測者は、いるかもしれないw
ただし、値という問題や観測者そのものの問題は先送りする。
おなじような現象といえば、相対性理論などでよくでてくる同時性の問題だろうか。
因果関係がなければ観測者の位置によっては2つの事象の順序が異なる。
量子力学では因果性があっても観測者の立場によって事象の順序が異なるとも考えられる。
それは観測者の世界の中での因果性ではない。
最初から可逆な関係であり、観測者の世界と接続(射影)していなければどっち方向でもありなのだ。
そもそも方向などないのだ、と考えた方がよいのかもしれない。
アナロジー的には液体とか気体あるいはプラズマのようなフレキシビリティ?がある。
そもそものシュレーディンガー描像やハイゼンベルグ描像は、観測側の時空間にある。
量子状態そのものに内在した時空間ではない。 すこし訂正すれば、因果関係があっても事象の順序は入れ替わる。
原因が結果より遅延してつたわれば入れ替わるw
観測者しかいないのだとすれば、この宇宙は観測者宇宙であり、構成物?も観測者である。
観測者といっているが人間のことではない。モナドすらも観測者だw
観測者しかいないとわりきったほうがよいのかもしれない。
もちろん観測者は無定義用語だ。それだけでは足りない。
足りないのは何か? >>868
その可逆的であったり、因果関係の順序が逆になれると、いうのが大事な視点だね。
事象Aが生起すると、事象Bが生起することが必ず観察される場合、AとBには因果関係、
もしくは相関関係があることが推論されるのだけどA→B、別に量子の世界でなくても、
事象Bが生起したので「それが原因となって」、Aが生起し得たA←Bという、因果が逆向き
となる日常の直観には反する現象も、日常の中にはあるのかもしれない。
再生医療とか、そういう雰囲気があるよね。死んでしまったはずの組織が[過去]、
可逆的に巻き戻されて(初期化されて)、再生するのだから、それは、
死者が生者として甦るイメージなので、時間の向きが逆に流れているような感触も
そこには感じられる。 もなとなんて低レベルな概念なんじゃないかな。人を許す。 、z=ニ三三ニヽ、
,,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
}仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi
/  ̄`Y  ̄ ヽ lミ{ ニ == 二 lミ|
/ / ヽ {ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ
,i / // / i i l ヽ {t! ィ・= r・=, !3l いつまでこのキャラ続けるんだ?
| // / l | | | | ト、 | `!、 , イ_ _ヘ l‐'
| || i/ ノ ヽ、 | | Y {.┬=、__` j ハ ̄"''─-、
(S|| | (●) (●) | ,. -‐ へ、`ニ´ .イ / / ,, -‐‐ヽ
| || | .ノ )| /、 |l`ー‐´ / / -‐ {
| || |ヽ、_ 〜'_/| | / l l |/__|// /  ̄ /
____ / | / l l l/ |/ / /
(_ ) ・ ・ || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 電子は通常は波だけど観測機で観測すると粒になるというのは観測機から出ている電磁波などにより波が消され粒になるだけ
つまり人間が観測すればそのようなことにはならない あなた方が洞察しているものが運命を見抜かれた、悲運な命、モノだ。 量子力学は全くの素人ですが、偉い人誰か教えて
エヴェレットの多世界解釈って、量子コンピュータと矛盾してないの?
多世界解釈的には粒子は観測されてなくても確率波とかではなくちゃんと粒子で存在してるんだよね?
量子コンピュータは粒子が観測してない状態では1と0の重ね合わせとして存在する性質を利用して高速計算してるって聞いたんだが、これって多世界解釈と相容れなくない? 解釈の違いであって、とくに問題ありません。検証できませんから。
量子コンピュータは重ね合わせて計算しても答えはひとつです。
量子状態はコピーできませんから同じ量子状態から何度も計算することはできません。
同じ条件でつくった量子状態なら何度も測定して統計をとれます。
多世界の観測者同士が連絡をとれればいいんですけどねw
いろいろなやりかたがありますけれど、超並列コンピュータとしていちどにたくさんの計算結果を得るのではなく、
たくさんの同じ計算を異なるパラメタで同時に行って、結果として求めたい答えだけが得られるように量子もつれなどで細工します。
まあ、他にもいろいろな手法があるのでしょうがね。
わたしは趣味でやっているだけで偉い人ではないので間違っているかもしれません。
AIへの応用で、たくさんの可能性の中から確率0でないよさそうそうなものをピコーンとはじきだせればよいだけですからわたしは。 実際に量子計算のロジックはできたのですが、
どうやってやりたい計算をやらせればよいかと、いろいろ実験しながら調べています。
そして、その得られた現象を哲学的に考察しようとしたら、たまたま哲学に量子力学とタイトルのついた板があったので。。。。とおりがかりにときどき書き込んでいたりw この世を作った神様の立場に立って考えてみたが、
なぜ、神様はここまで複雑な世界にしなければならなかったのか?
果たしなく超巨大な宇宙を作り、ミクロの世界はわけが分からずこれまた果てしない。 足し算の世界では0になった項は消滅する。
掛け算の世界では1になった項が消滅し、0になる項があればすべてが消滅する。
量子演算をしていると、A=[a,b]のaとbが揃えば確率1となって消滅する。
消滅するといっても実世界?へ値が放出される。
対消滅? そんな感じだ。
そうすると量子状態になるというのは対生成か?
古典的情報から量子状態が対生成して、量子状態が対消滅して古典的情報を放出する。
はたしてこのアナロジーのような考えから、なにか発見ができるのであろうか。 量子とはなんや。ファインマンの光と物質の不思議な量子電磁気学を見ると、回転ベクトルやという事になっておる。そのベクトルの合成で、ほんまに現象が計算できておる。 なんだっけ さんかしてるつもりな あわれでみじめでざんねんすぎる
しゅうだんすとーかーから うまれたときから
じつひがいうけまくりの
ひへいしただめにんげんのいてもいなくてもどうでもいいごみくずにんげん
ってそういうもんだよ
ぶらっくにしゅうしょくできればいいけどね
かねがつきて せいかつほごももらえっこないしな もらえてもせいかつできないし
ころんでしぬかもな つかれて つかれてたもんなー まえいもいまも うるさいくるまかなんか さっきもなんかあったかな
しらない まけぐみでしか いきられないから ひがいしゃもかがいしゃも
だいじょうぶじゃないのかな かちぐみさまはもう しらないけど かちぐみじゃないんでどーだか むつうで すっていしきなくなって しぼうなら ちょうよくない?
したいをどうつついて げすがいじろうがかんけないしね
しんでっからもうそのときは >>886
なるほど(о´∀`о)
助言せんきゅー。 人に嫌われるのは勿論のこと、好かれるのも場合によってはきついなんて。。。 対生成した状態が量子状態ではなく、
量子状態から対生成すると考えれば、2つの世界ができる。
量子コインの表がでた世界と、裏がでた世界。
量子コインを中心に、そこから世界が2つに引き裂かれていく。
はたして1量子ビットは最初から2つ分の世界をまかなえるだけのエネルギーを持っているのか?
2つの世界に分かれるのであれば、分かれる前は2つ分のエネルギーがあればよい。
そのような気配があればそれでよいのだが。
しかし、時間とかエネルギーとか先送りされているものが最初からあるかのように考えるのはどうなのだろうか。
哲学的にすべてを疑えばなにもはじまらない。
哲学はどこからスタートすべきなのか。
それは(思考する)「わたし」なのか。 >>893
>対生成した状態が量子状態ではなく
量子状態ではないって事は量子力学の考えを捨てるって意味じゃないのか?
意味が通じないというか意味不明なんだが。 益々日本語として意味不明なんだが
観測した結果なんで二つの世界出来るんだ?
それに対するプロセスが分らんのだが 大体量子力学って微小世界の観測法が確立できないから巨視的な確率論で推測するんだろ?
巨視的には明確故に成り立っているのに微小な誤差を拡大解釈したら前提が成り立たないんじゃないのか? https://ja.wikipedia.org/wiki/ハラルト・ボーア
1908年ロンドンオリンピックに出場し銀メダルを獲得した。リーマンのゼータ関数を研究し、概周期函数論を創始した。兄は原子物理学者のニールス・ボーア。 観測したことで世界が分岐するのは多世界解釈です。
ただし、「わたし」という観測者は多世界のどれかにしか「わたし」はいません。
もしかしたら「わたし」という解釈の(哲学的)問題なのかもしれませんよw
おれの見解としては、多世界は射影/投影であって、ひとつの世界の中に情報が残っている。
また、対生成/対消滅は2つへの分岐ではなく、生成点/消失点からの3つの分岐であると考えています。 場合の数の世界に分岐するが、
ボース・アインシュタイン統計に従うか、
フェルミ・ディラック統計に従うかで異なる。
物理の世界へ入らずに、哲学の世界で統計の違いを考えたい。
素粒子物理学を下敷きにしないで、哲学単独でそのような統計の違いを論じた哲学者はいたのであろうか?
いたはずだ。きっといたに違いない。 観測する事によって変わるというれど
それは観測行為自体に物理的影響力が伴っているからだろ。
現状それを排する方法が無いからそういった考えが出てくるだけじゃないのか。
知る事が出来ないことをいいことに。
いわば悪魔の証明みたいなもんだ。 観測とは、ActiveであろうとPassiveであろうと「接続」であって干渉する。
観測することは世界と世界の接続であり、組み合わせの世界が広がる。
「可能性がある」ということと「可能性がない」ということで接合したり分離したり。
そうやって世界がくっついたりはなれたりする。(ただし可能性の世界)
量子計算とは「可能性の計算」なのである。
おそらくこれこそが「哲学計算」なのだろう。
括弧にいれて先送りして、後で回収すれば「現象学計算」になるw
回収できなければバックトラックすればよい。
量子計算ならバックトラックする必要もなく、最初からもつれとして仕込まれる。
哲学すべき量子計算の問題とは、つじつまはなぜ合うのか/合わねばならないということであり、
それは「調停機構」か?
「わたし」と対象の間での「調停」は、「時空間」を生むことで矛盾を回避している。
「概念」とは「調停」の産物であり、「実在」も「調停」の産物である。
つまり、「哲学」とは「調停」あるいは「調停」の産物を探究するものである。
(Caution:「哲学」と「哲学という学問」を混同しないこと) 量子計算に「わたし」という「調停するもの」を組み込んだものが(哲学的に?正しい)AIであろう。
現在の「単なる分類器にすぎないAI」から脱却するためには(いまのところ)それしかない。
(と、わたしは思う) >>903
量子レベルで問題を考えると難しくなるけど、マクロで考えるとイメージしやすい。
たとえば、日本の政治で言えばそれぞれ可能性を求めて、新しい政党が出来たり、
離党、入党を繰り返して、それぞれが生き残る戦略だけに従って、状態を変化
させている。生命系は基本的に、全部そんな感じで、どう動いたら得になるか、
すなわち利得関数を最大化させることであったり、種の保存に役立つような
振る舞いをする。だから、種の保存に役立つような行為は、すべて快刺激として
生命にあらかじめプロットされている。食べること、生殖等。
政治や大企業の合従連衡や外交もそのような感じで、そこに特に優れたヴィジョンと
呼べるものはなくて、ただその組織や企業、国家が生き残ることだけに主眼が
置かれている。だから、政治や企業は単純な原理で動いているので退屈と言える。
哲学や数学、科学の方が知的で楽しいだろう。 マクロで計算結果が一緒ならミクロの可能性は測定ミスだろ。 架空の世界を考える。細かいところは先送りw
量子論的コインと観測者だけがある/いると考える。
観測者が観測すると量子論的コインは表か裏が観測される。
逆の面はコインによって隠されていて、単に隠されているというより、観測者の世界と直接に接続されていない。
これを観測による対生成と考える。対生成された片方は「隠されていてみえない」。
以前に「決死圏SOS宇宙船」理論を考えたことがある。この映画ではもうひとつの反転した地球は太陽によって隠されていて見えない。
もう一つの面を隠しているのは、量子論的コインのみている面のせいか、観測者あるいは量子論的コインのみえている面と接続された観測者の世界のせいか、どちらかである可能性が高い。
コイン側か観測者側か、どちらかの問題である。この二者しかないのだから。
コイン側と観測者側と、2つの「系」があり、それが組み合わされることで可能性の宇宙が複数できる。
観測者側をとりあえる一つの状態としかないと考えれば、
コイン表×観測者側
コイン裏×観測者側
の2つの可能性世界ができる。
観測者側が2つあるのは好ましくないので結合させる。
(コイン表+コイン裏)×観測者側
これに係数を与えよう。
(α・コイン表+β・コイン裏)×観測者側
α+β=1(または絶対値の2乗同士を加算して1)だ。
αが1になればβは必ず0になる。
βが1になればαは必ず0になる。
隠されているというのは、この係数が0になるということである。 この式をどう読むかが、射影仮説と多世界解釈の違いである。
もちろんそれ以外の読み方もあるだろう。
「射影」というからには、係数が0の側でも消失せず保存されていることだ。
多世界はもちろん消失しない。
観測者側から係数0の面への「アクセス」がなんらかの問題で遮断されるということである。
いや、観測者側からのアクセスと考えるのは早計かもしれない。
係数0の面から観測者へのアクセスも遮断される。
つまり、量子論的観測者も捨ててはならない。じつのところエヴェレット解釈とは「量子論的観測者」を提起したということであり、
彼自身は「多世界」なんて言葉は使用していない。 量子論は方法の一つであって、間違ってるということはない
量子論の中での解釈に間違いがある 量子デバイスもないので量子計算をがしがし行う。
いかにして現在の非量子コンピュータで量子計算を高速化するか。
量子状態をA=[a,b]のように(横に書いてはいるが)縦ベクトルであらわすとき、
a+b=1である。確率解釈では確率1ということだ。
本当はa,bともに絶対値の二乗をとらねばならないが、複素数ではなくあくまでも記号として計算している。
a+b=1だが、1-a+b=2bである。1=a+bに置き換えるのでa+b-a+b=bなのである。
1は必要に応じてa+bだったりc+dだったり、好きに解釈できる。もちろん必要なものに解釈される。
1が対生成してa+bになったのである。
量子状態から対生成して世界が分裂するイメージもあるが、
確率1から対生成して量子状態というイメージも捨てられない。
この2つを融合させた形こそが求めるものなのだろう。 簡単な理論、簡単な数式じゃ、どうやって子供編むの? む。a+b-a+b=2b でした。
これに1/√2が2回掛かっているのでbになる。
計算とは、単純に球の回転なのである。
球形の計算尺なのか。
(ただし、わたしはブロッホ球が2回被覆されていると考えています)
モナドの本来あるべき姿は、これだと思っているのです。
モナドはスピンである。そうでなければならない。 セカイは積と和でできており、たえずいろいろなものが生まれては消滅している。
それでいて全体は保存されていて増減しない。
新しい哲学構造が必要だ。
折り紙かあやとりか因果ネットワークか関係ネットワークか。いっそのことネンド?
とりあえず「マルコポーロ構造体」と(勝手に)呼んでいる因果ネットワークに生成・消滅を明示的につけくわえて拡張を試みたい。
構造体というとイメージが強すぎるかもしれない。「マルコポーロもつれ体」あたりが適当か?
因果も言葉の意味が強すぎる。これこそが「もつれ」だろう。 A系・B系2つの系を考える。A=[a,b],B=[c,d]である。
2つの系を積で結ぶ。組み合わせである。
組み合わせによって空間が拡張される。
A×B=[ac,ad,bc,bd]と4つの組み合わせになる。
4つの組み合わせを元に戻す(分解)するには和を使う。
A'=[ac+ad,bc+bd],B'=[ac+bc,ad+bd]。
a(c+d)=a,b(c+d)=b,(a+b)c=c,(a+b)d=dなので、
A'=[a,b],B'=[c,d]になるのである。
積で空間が広がったのに、和によって元に戻る。
和の組み合わせが変われば、元には戻らず、AとBが交換したりもつれが生じたりといろいろなことが起こる。
2つの場合があるものを2つ組み合わせれば4つになり、
4つから2つずつ組み立てなおして2つの系に戻す。 混ぜる・組み替える・分解する。
積の逆の演算が和である。なんていうと誤解が生じる。
積と和以外にも配置と選択があるのだ。
2つの系を組み合わせて結合された空間に配置する。
配置されたものを選択して加算することで2つの系に分解する。 時間や空間、そして物質なども、つじつまあわせの幻想にすぎない。
実体すらも幻想である。
現象という幻想はどこから来るのか、というとメタ哲学の領域になってしまうのだろうか。
哲学において最初に疑うべきものは「わたし」なのであろうか。
「わたし」が「わたし」を考えている「わたし」を疑う。
「考えている」ということだけが仲間外れだ。
これは「わたし」に取り込んでしまって「考えているわたし」にしてしまおう。
「考えているわたし」が「考えているわたし」を疑う。
まだ仲間外れがいる。「疑う」だ。
「考えているわたし」は先送りすることにして、「疑う」ということを疑わねばならない。 「実体すらも幻想である」という言い方は変だね。
まず「実体」が疑問視されて比較が行われ、実体としてではなく、
関係が認識され、その関係の認識を厳密にするために数量化が行われる。
ところが、今度は、その数量化された数量の方が実体的に捉えられる
という倒錯が生じて、それを関係主義的に捉え直すために抽象化が
行われ、数量的な概念の抽象的な操作が厳密に行われるようになる
のだが、すると、今度は、その抽象的な概念の関係性が実体化
されて、結局、何を扱っているのか分らなくなるw そうである。どこかおかしいのである。
それを解消するために哲学としては「疑う」ことを疑うことからはじめねばならないのではないか、
ということだ。
思弁的疑論かもしれないw
「疑う」の対義語・反対語は「信じる」である。
しかし真逆ではない。「信じる」に対しては疑いを持たない状況も考えうる。
しかし「疑う」には「信じる」も同居している。「疑う」と「信じない」とは同じではない。
日本語的な問題かもしれないが、「疑う」を量子状態と考えて。。。様相論理を量子論理にアップグレードすることできるのではないかと思う。
(注:量子論理にはいろいろな概念があってひとつではない)
哲学(人工)言語としての論理式は、量子計算として、いちおうの完成に導けるのではないかと考える。 量子は回転ベクトルである。光子は毎秒10の15乗回ほど回転しておる。
衝突する時は、これが一丸となって当たるので、粒子性を持つ。空間を移動する時は、
光速で飛び、回転が波状に引き伸ばされる為に、干渉や回折をする波動性を持つ。
そして現象は、回転ベクトルの合成として得られる。
これは電子にも言え、陽子にもかなり正確に言えることが、電磁量子力学で確かめられている。 量子は回転ベクトルである。光子は毎秒10の15乗回ほど回転しておる。
衝突する時は、これが一丸となって当たるので、粒子性を持つ。空間を移動する時は、
光速で飛び、回転が波状に引き伸ばされる為に、干渉や回折をする波動性を持つ。
そして現象は、回転ベクトルの合成として得られる。
これは電子にも言え、陽子にもかなり正確に言えることが、電磁量子力学で確かめられている。 量子計算を非量子計算機で行う。
いろいろ実験していろいろと哲学的に考察している。
積形式と和形式。この2つの形式間のつながり。そこが問題だ。
もっと単純にいえば、積と和の違い。ANDとORの違いでもよい。 哲学の見果てぬ夢であった(人工)哲学言語としての論理式を、
量子論理計算として復活させようという魂胆であるw
簡単にいえば(新たな)哲学言語の作成だ。
ド・モルガンの法則と量子もつれを利用する。仕組みは単純だ。
現在の非量子コンピュータで、いかに高速に計算させるか、という問題を考えながら哲学的に楽しんでいる。 量子はスピンを持っているが、実際に回転しているわけではない。
われわれの物理法則ではとらえ切れていない。
そういうことは先送りして量子計算が行われる。
積とは何か、和とは何か。ド・モルガンの法則とは哲学的にはどのようなことなのか。
それは「否定」とは何かということでもある。 積和否定系よりも、シェーファーの公準の方が基本的である。
ファインマンの量子電磁力学では、量子を回転ベクトルとして、高精度の値を実際に得ている。 ナラトロジー、すなわち物語論で扱える/扱うべきなのではないか、そう思い始めた。量子力学を、である。
量子力学とは、確率として考えるなら、確率1の内部を扱う。
確率1の内部には豊饒なセカイがある。
その豊饒なセカイが、確率1の外側の、われわれのセカイで「語られる」ということが「量子力学」なのであろう。
この「量子力学」で語られたものがわれわれのセカイでもある。「語られたセカイ」。
第一話だな。 美魔女っていう人のレスは面白くないね。もう少し面白いこと言えばかまってもらえるのにね。ではさようなら〜。 NHK教育
モーガンフリーマン時空を越えて
人は何故嘘を付くのか >>935
信じるとか、そういう問題じゃないだろ(笑) 次スレは量子哲学スレにしてくれよ
理系と文系の融合 量子哲学
とかカッコいいスレタイで頼む とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
QTVO9 量子論は現実である。そしてその実験結果から、量子現象を説明する数量式にして表し、
その式を如何に解釈して、素朴な数論と、現実の量子論とのシェーマーの差異を明確にして、
現実の世界をあらわにするかが重要である。
太陽は存在し、地熱は存在し、原水爆は存在し、光合成は存在し、光電効果は存在し、
黒体輻射は量子で説明され、半導体レーザーは存在し、超電導磁石は存在し、
切らずに中が見える核磁気共鳴によるMRIは実用化され、
量子計算機も実用化されようとしている、現代なのである。
量子論は社会に応用され、自然への解釈をも根底から深めて行くのである。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。