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ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 20 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001考える名無しさん
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2017/03/18(土) 13:25:17.840
ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 19
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1454335694/l50

単著
『ヒュームあるいは人間的自然 経験論と主体性』 木田元・財津理訳 朝日出版社:エピステーメー叢書、1980
『経験論と主体性 ヒュームにおける人間的自然についての試論』 河出書房新社、2000
『ニーチェと哲学』 足立和浩訳、国文社、1974 
『ニーチェと哲学』 江川隆男訳、河出文庫、2008 
『カントの批判哲学』 中島盛夫訳 法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1984 
『カントの批判哲学』 国分功一郎訳 ちくま学芸文庫、2008 
『プルーストとシーニュ』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974
『ニーチェ』湯浅博雄訳 朝日出版社、1985/ちくま学芸文庫、1998
『ベルクソンの哲学』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974 
『マゾッホとサド』蓮實重彦訳 晶文社、1973
原子と分身 ルクレティウス/トゥルニエ 原田佳彦・丹生谷貴志訳 哲学書房 1986
『差異について』 平井啓之訳 青土社 1989、改訂1992.2000
『スピノザと表現の問題』工藤喜作ほか訳 法政大学出版局、1991 
『意味の論理学』 岡田弘・宇波彰訳、法政大学出版局、1987 
『意味の論理学』 小泉義之訳、河出文庫上下、2007 
『対話』 河出書房新社
『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社 1994/平凡社ライブラリー 2002
0002考える名無しさん
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2017/03/18(土) 13:29:04.420
『感覚の論理──画家フランシス・ベーコン論』山縣煕訳 法政大学出版局、2004 
『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』 宇野邦一訳 河出書房新社、2016 
『シネマ1 運動イメージ』財津理、斎藤範訳 法政大学出版局、2008 
『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一ほか訳 法政大学出版局、2006 
『フーコー』 宇野邦一訳、河出書房新社、1987/河出文庫、2007  
『襞──ライプニッツとバロック』宇野邦一訳 河出書房新社、1998 
『記号と事件 1972-1990』 宮林寛訳、河出書房新社、1992/河出文庫、2007 
『批評と臨床』 守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社 2002/河出文庫、2010
『無人島 1953-1968』宇野邦一ほか訳、前田英樹監修 河出書房新社、2002
『無人島 1969-1974』稲村真実ほか訳、小泉義之監修 河出書房新社、2002
『狂人の二つの体制 1975-1982』宇野邦一ほか訳 河出書房新社、2004 
『狂人の二つの体制 1983-1995』宇野邦一ほか訳 同

ガタリとの共著
『アンチ・オイディプス──資本主義と分裂症』 市倉宏祐訳、河出書房新社、1986
『アンチ・オイディプス』 宇野邦一訳、河出文庫上下、2006  
『カフカ──マイナー文学のために』 宇波彰・岩田行一訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1978 
『リゾーム…序』 豊崎光一訳、朝日出版社(『エピステーメー』臨時増刊附録、1977/単行本、1987) 
『千のプラトー──資本主義と分裂症』 宇野邦一ほか訳、河出書房新社、1994/河出文庫上中下、2010.9−11 
『哲学とは何か』 財津理訳、河出書房新社、1997
『政治と精神分析』 杉村昌昭訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1994

他の共著
『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』第5巻、蓮実重彦訳、小沢書店〈叢書エパーヴ〉、1975年。
『ドゥルーズの思想』 田村毅訳、大修館書店、1980年
『情動の思考-ロレンス『アポカリプス』を読む』 鈴木雅大訳、朝日出版社〈ポストモダン叢書〉、1986年
『消尽したもの』 宇野邦一・高橋康也訳、白水社、1994年
『重合』 江口修訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、1996年
『ヒューム』 合田正人訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000年
『対話』 江川隆男・増田靖彦訳、河出書房新社〈ちくま学芸文庫〉、2008年
0003考える名無しさん
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2017/03/18(土) 14:08:32.780
代表的な研究者または論客には次のものがある
浅田彰『構造と力』『逃走論』日本におけるドゥルーズ紹介のセンセーショナルな先駆者
蓮実重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』
吉本隆明「『アンチ・オイディプス』論」「『千のプラトー』」『アンチ・オイディプス』日本版刊行当時に根底的な批判。宇野邦一との討論もある
宇野邦一『ドゥルーズ――流動の哲学』『ドゥルーズ――群れと結晶』『ドゥルーズ横断』 編集 フランスでドゥルーズの研究室で学んだ代表的な論客
江川隆男『存在と差異――ドゥルーズの超越論的経験論』『アンチ・モラリア――〈器官なき身体〉の哲学』
小泉義之『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』『ドゥルーズと狂気』『ドゥルーズ/ガタリの現在』、鈴木泉・檜垣立哉共編
檜垣立哉『ドゥルーズ――解けない問いを生きる』 『ドゥルーズ入門』『ドゥルーズ/ガタリの現在』 小泉義之・鈴木泉共編
千葉雅也『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』2013年に同著刊行し話題になる。ドゥルーズ論の新世代といわれる
0004考える名無しさん
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2017/03/18(土) 23:52:16.160
つーかさ、結局D=Gを実践した人ってだれよ?
理論武装はもういいからさ
0005考える名無しさん
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2017/03/19(日) 07:03:13.370
おーぷん=糞!クソ!

おーぷん運営=糞!クソ!

おーぷん削除人=死ね!
0006考える名無しさん
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2017/03/19(日) 13:52:57.920
>>4
理論武装の意味がわからない
>>3
の人たちが大なり小なりD&Gに影響を受けつつ今の地位を築いた
それが実践になるんじゃないの?
0007考える名無しさん
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2017/03/19(日) 14:05:32.480
>>6
個人的に地位を築いても、それは実践とはいわないな。
株で設けた程度のことだから。
D=Gの成果はその程度、ということの証明にはなるけど。

哲学関連の職業を拡大はしたけど、それが逆に、政権による大学からの哲学の抹消政策につながっている。
0008考える名無しさん
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2017/03/19(日) 14:26:03.490
>>7
「実践」とは、貴方においてはどういう行為を指すの?
そして
>哲学関連の職業を拡大はしたけど、それが逆に、政権による大学からの哲学の抹消政策につながっている。
これもわからない。拡大と抹消の関連性がさっぱりだ
0009考える名無しさん
垢版 |
2017/03/19(日) 15:26:37.620
大学教授という恵まれた地位を再生産しただけ
ドゥルーズの成果などその程度
大学という体制をヨイショするご用哲学
0010考える名無しさん
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2017/03/19(日) 15:31:29.470
そして畳水練ばかりで、実際に水に飛び込まないドゥルーズ信者
もしくは論語読み論語知らず
0011考える名無しさん
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2017/03/19(日) 15:55:13.160
にちゃんねらーはドゥルージアンである
同一の主体ではなく、匿名という衣を着て
日々生成変化する遊牧民だ
0012考える名無しさん
垢版 |
2017/03/19(日) 16:02:00.500
IDやホスト表示があるとそうもいかなくなるけどね。
0013考える名無しさん
垢版 |
2017/03/19(日) 16:49:43.640
泳げるようになるまでは、水の中に入ってはいけない。
0014考える名無しさん
垢版 |
2017/03/19(日) 20:32:06.730
>>8
哲学における実践というのは、社会の変革。
変革への具体的な発言も含む。

哲学関連の職業の拡大というのは、翻訳や解説などによる、主に大学関係者の収入源の拡大。
拡大した結果、わけのわからない自己満足な論文が増えたので、政権は、哲学系大学関係者には社会的な寄与がないとみなして、文系学部、学科の整理統合に乗りだした。
0015考える名無しさん
垢版 |
2017/03/20(月) 23:19:21.940
>>4
そりゃガタリ本人でしょ
0016考える名無しさん
垢版 |
2017/03/20(月) 23:38:31.200
心療内科に何年も世話になってる者としては、精神疾患を
インテリの知的遊戯の道具にしないで欲しい。
精神科医とつるんでまで…我々をおもちゃにしないで下さい
0017考える名無しさん
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2017/03/21(火) 00:04:38.630
>>16
哲学をたんなる「知的遊戯」とみなすあなたのほうが失礼では
0018考える名無しさん
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2017/03/21(火) 07:37:27.100
>>16
>>17
 D=Gが書いた本の中にある根本的な疑問の1つなんです。社会が変わる
ために難病まで総動員するという。しかし
そこには難病に日々苦しむ患者の苦痛や苦労やにたいする配慮も視線も
欠けている。こういうのが彼らのいう〈実践〉だというならそういう
哲学って一体何だ。根本的な欠陥ではないかということです。

 彼らの「意味の論理学」においては精神病というのは規範を外れる
最も良い方法だ、また精神病を治す必要などないのだ、精神病に
なったらそれは「革命的」なんだから良い事だ、家族の三角形で
この素晴らしい事態を決めつけることをしてはいけないのである、
だから精神分析は駄目なのだ、あんなものは嘘っぱちである。
〈n+1…個の性〉を自己内部に見定め拡大するべきである。それこそ
が革命的なのである。

 彼らの分裂者分析はあの吉本が痛烈に批判してるわけです。

《きみもわたしも無条件でこれに賛同できれば、独身主義者、
職業革命家、職業宗教家それからいかがわしい精神医学者になれる。》
《わたしは破産が誰の眼にも明らかなこんな陳腐なラジカリズムは
御免蒙りたい。ただ家族の崩壊という現状に直面したヨーロッパが、
じぶんにラジカルな根拠を与えてくれるチャンピオンを繰り出して
いるとしかおもえない。》『アンチ・オイディプス』論

 D=Gを読めばよほどの信者か「専門家」じゃないかぎり疑問を
感じる特徴が述べられています。この特徴があるから彼らの本には
胡散臭さが付きまとうことになってしまいます。また、擁護者は
こういう点について「あれはたとえだから。本当の患者じゃない
から」とか今度はD=Gの本気さに泥を塗るようなことを言って自分
では擁護してる気になってる。それも駄目なんですね。あれは本気
で分裂病を褒め称えているんですから。
0019考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 10:58:25.780
>>17
哲学すべてが知的遊戯ではないが、ドゥルーズの「哲学」は、知的遊戯だよ。
自分が読んだ中で知的遊戯じゃない哲学というのは、カント、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、ヴィトゲンシュタインなどだ。
サルトルやメルロポンティも方向は違うが、現実を見据えた優れた考察を残している。

ドゥルーズは、フォイエルバッハやヴィトゲンシュタインが、せっかく知的遊戯から哲学を救い出したのに、ハイデガーと同じで言葉があれば実体があるという、知的迷妄に嵌まりこんだ。
だから、現実世界に触れたとき、驚くような無知と見当違いを曝け出した。
それが、ドゥルーズが権力者から嘲笑され軽視される根拠なのだ。

「ドゥルーズ? 好きにやらせとけよ。でも、金はもったいないから哲学科は廃止な。」
0020考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 18:00:23.700
なんでこの粘着はドゥルーズだけひたすら下げまくってるの?
分析哲学については何も言えず吉本隆明にすがるクズ
0021考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 18:19:09.980
>>20
ドゥルーズが批判されるのが、そんなに悔しいの?
哲学を標榜するなら、批判にはきちんと答えないと。

それもできない君は、ドゥルーズの研究者でも読者でもなく、まるで恋人だねw
想像してしまうと気持ち悪いけど、まあ、フーコーが恋敵だったりするのかな?w
0022考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 18:25:56.930
アンチスレじゃないのだから、本来ならアンチスレを立てるべき
0023おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 18:27:25.890
アンチオイディプスっさ
最初は勘違いして
反父権主義?反パターナリズム?
みたいなイメージだったんだけど
よく調べたら、反フロイト
アンチオイディプスコンプレックス
だったんだわな
0024考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 18:32:44.390
>>22
お仲間の褒め合いスレにしたいのかよw
本気で思ってるのか?

そんな女の腐ったのみたいなこと考えてるんなら、哲学なんかやめちまえよ。
(女のみなさん、ごめんなさい m(_ _)m)
0025考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 18:39:56.590
>>23
D=Gのフロイト理解が定型的で貧相な分だけ、D=Gのフロイト批判もまた、底が浅い。
0026おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 18:59:22.320
>>25
でも、俺もフロイトの性解釈って
素朴におかしいと思うけどね
オイディプスコンプレックスとか
(;´Д`)?だけど。
0027考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 19:13:53.110
>>26
表面的には気が付かないことだから、フロイトが偉大だともいえるんだよね。

現代では、自分の両親との関係の中で、男なら父親に、女なら母親に、両義的な愛憎をみることは難しくはない。
男であるか女であるかによって経路は違うが、この両義性は否定できそうもない。

ただ、それはあくまでも家族の関係の中でのことだから、それを無限定に社会にまで拡大したり、まして、拡大した部分を批判したりしても意味はない。
0028おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 19:24:22.970
>>27
なんかよくわからんけど
心理学っていまいち興味持てんかったわ
俺は法学崩れでさ
法哲学とまではいかないが
実定法解釈とか、バカバカしくてさ

この板はあくまで文学部哲学科的な
話題に終始するのが2ちゃんねるのカテゴリーとしての筋なのかもな
0029考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 19:32:18.660
>>28
その心理学を無理解のまま否定したのが、D=Gということだね。

哲学には、心理学と切り離せない部分もある。
心理的な要素を無視しては、哲学は成り立たない。
フォイエルバッハとかメルロポンティとかは、だから心理的に哲学の課題を追及している。
0030おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 20:16:24.860
>>29
気分悪くさせるかもしれんが
哲学という定義も人それぞれに違うとは
思うが
俺は文学としての哲学にはあまり興味なくて
思想として、現代、現実に、働きかけるもの
としてドゥルーズ・ガタリの主張は非常に興味深いんだわ
真理の探究という意味ではこれは
理数系の世界でほとんど答えが出るものとは
思う。
しょせん人間も物だからね。
観念で幾何学や規則性を持って物に働きかけ具象化させる。動物との違いはそこだ。
肉体の物理、化学反応反応で人間関係を再構築する分裂、地下茎的なノマド的な変化
これは興味ある。国家というのはパラノ・ツリー型だからね。世界が一つになる
前提に国家が平和的に分解される必要がある。
0031美魔女
垢版 |
2017/03/21(火) 20:20:19.320
>>29
ですね
0032考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 20:40:00.630
>>30
世界が一つになる必要がありますか?
0033おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 20:46:56.180
>>32
必要じゃなくて
俺がしたいんだわ
社会を解体したりするのって
面白そうだ
親会社だの子会社だのあるけど
資本主義の硬直したツリー型構造を
解体したいのさ
0034考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 20:52:04.990
>>34
革命を起こして人を傷つけたり殺めたりするの?
0035おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 20:57:53.630
仕事がきつくて不眠気味なんでさ
強めの睡眠薬は医者の処方が必要なんで
心療内科にいくわけよ
薬が安く欲しいだけだけなのに
精神科医という詐欺師が「バウムテストとか
やってください」とかな医療費上乗せして
くるわけだ。
「木を描いてください」
めんどくせえなあw
そんなもん詐欺師とやってること変わりねえわw
はよ、薬よこせよみたいな
という俺だから物理学的な考えかもな
0036おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 21:09:51.490
>>34
いや
出会い系サイトを開いて
リアルの人間関係を匿名リゾームネットで再構築して社会をスキゾさせて、しがらみから解放されたノマド民が高原を闊歩するかのように
自由に主体的に生きていく世の中を
妄想中
0037美魔女
垢版 |
2017/03/21(火) 21:13:05.030
うん✨おとうさん可愛いね✨
0038おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 21:16:09.110
金儲け精神科医のバウムテストとかいうやつには木じゃなくて蓮根でも描いてやりゃ良かった

どういう心理学的診断するか知らねえけどなw
診療費をさらに上乗せか?
0039考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 21:16:38.000
自分が自由に生きてるか、主体的に生きてるかどうかなんて
客観的に証明できるのかな?「実感」なんていい加減な物に頼るわけ?
0041おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 21:21:45.640
>>39
君も俺が考案した出会い系サイトで
実感してみてよ
0042おとうさん
垢版 |
2017/03/21(火) 21:27:14.640
2ちゃんねるなんて
解体しよう
0043考える名無しさん
垢版 |
2017/03/21(火) 22:20:32.570
 2015年10月に出た本で『ドゥルーズ 没後20年 新たなる転回』と
いうのがあって。巻頭に千葉雅也と小泉義之の対談があるんだけど。
どうせ決まりきったことしか言わないんだろうと思ったら意外に
赤裸々に喋ってるのが面白かった。

 ただそこで二人がD=Gの分裂病分析について云うのを読むと、結局
いまだにどう読めばいいのかよく分からないというのがよく出ていた。
「変な人を肯定したいが変な人と云うのは同席するとイライラさせら
れる」いやD=Gのは「変な人」どころか病気の人ですよ。妄想に
駆られたり幻聴を聴いてたり、自分で自分がもう分からない人。
ちょっと甘いと思いましたね。「症状を出している人を視ると
肯定したくない場合が多い」そりゃそうでしょ。そういう度はずれな
人物をD=Gは提出して変革の土台だとしたがっているんじゃないの。
そこがまた本気かと吉本辺りに突っ込まれていた訳で。

 どうも、あの哲学にある概念人物について、安易なところでコミ
ュニケーション可能にしたがっているように見える。そんなもん
じゃないでしょうアレはと言いたくなった。『記号と事件』でも
ネグリとの対談で「今必要なのは腐りきったコミュニケーションで
貨幣に換算されるだけのコミュニケーションじゃなく、非-
コミュニケーションであり断続器である」とまで言ってる。

 そういう意図について、捉え損ねてるのじゃないかと思えたね。
「困った人」「迷惑な人」を肯定していいのか、とか。だって
本家が書いてたのはそういう人だから。やっぱり
本家はそこだけは「研究家」よりは本気だったと認識しましたね。
0044考える名無しさん
垢版 |
2017/03/22(水) 16:32:02.490
>>30
気分は悪くならないが、こちらのレスの主旨の把握がまるでできていない。
僕は、「ドゥルーズ・ガタリの主張」が「現代、現実に、働きかけるもの」では、まったくないと指摘している。

ちなみに、「理数系の世界でほとんど答えが出る」「真理」というのは、答えのあるもの。
文系の「真理」には答えがなく、価値観があるのみ。
だから、階級という概念も階級闘争という概念も成立する。

「地下茎的なノマド的な変化」などというのは、シールズや日本会議といった草の根運動と変わらない。
さらに指摘しておけば、それはナチスに象徴される、ファシズムの方法と結果と同じであり、TPPに象徴される、資本による経済権力の一元化と同じことだ。

その程度の現実把握もできずに書き連ねられたのが、「ドゥルーズ・ガタリの主張」だ。
0045考える名無しさん
垢版 |
2017/03/27(月) 15:38:30.810
「困った人」「迷惑な人」を否定しても仕方ないわけで
肯定するしかないんじゃないか、それも根底から
0046美魔女
垢版 |
2017/03/27(月) 15:56:41.770
>>30
哲学は定義できないよぉ

人間を物にしてるから不正解にしか行かないよぉ😃
0047美魔女
垢版 |
2017/03/27(月) 16:01:33.890
>>44
うわっ
カッコイイ 秀才様ですか😍
0048美魔女
垢版 |
2017/03/27(月) 16:23:40.420
>>46
続き

ですから
現実把握もできないんですよ♪
0049考える名無しさん
垢版 |
2017/03/28(火) 09:01:38.090
ダブルバインドを否定的に捉えたのがA.O、肯定的に捉えたのがM.Pである。

deleuze A.O#2:4
《ベイトソンは、たがいに矛盾する二つの秩序のメッセージを同時に発信することをダブル・
バインド〔二重拘束〕と呼んでいる(例えば、父が息子に、さあ、私を批判してみろ、と
いう。ところが父は、あらゆるほんとうの批判、少なくともある種の批判は歓迎されない
ことを強力にほのめかす)。ベイトソンは、ここに、とりわけ分裂症をひき起す状況を認
めて、ラッセルの階梯理論の見地から、この状況をひとつの「ナンセンス」として解釈し
ている。私たちにはむしろ、このダブル・バインドつまり、二重の袋小路はありふ
れたものであって、とりわけオイディプス化的な日常状況であるように思われる。》

#2:4
《…ダブル・バインドを深く洞察した最初の分析の実例は、マルクスの『ユダヤ人問題に
ついて』の中に見いだされるかもしれない。それは家族と〈国家〉の間の──家族的権威の
オイディプスと社会的権威のオイディプスとの間のダブル・バインドである。》

M.P#1
《グレゴリー・ベイトソンは「プラトー」という語を、きわめて特殊なものを指すの
に用いている。すなわち、さまざまな強度の連続する地帯、みずからの上に打ち
震え、何かある頂点へ、あるいは外在的目標に向かうあらゆる方向づけを回避し
つつ展開される地帯である。ベイトソンが実例として引いているのはバリ島文化
であり、そこでは母子間の性的な戯れ、あるいは男同士の喧嘩はあの奇妙な強度
の膠着状態を経由する。「一種の連続した強度のプラトーがオルガスムにとって代
わっている」、戦争にあるいは頂点にとって代わっているのだ。》

(「バリ―定常型社会の価値体系」及び「精神分裂症の理論化に向けて」参照。
共に『精神の生態学 』新思索社所収)

参考:Learning to Dance
https://i.imgur.com/g8XsVOc.gif
0051考える名無しさん
垢版 |
2017/03/28(火) 21:37:32.220
香山リカと哲学者たち 明るい哲学の練習 最後に支えてくれるものへ 単行本 – 2017/3/24
中島 義道 (著), 永井 均 (著), 入不二 基義 (著), 香山 リカ (著)

永井が昨今の右傾化に絡めて吉本隆明を熱く語っている。
対する香山はドゥルーズデリダsage。
0052考える名無しさん
垢版 |
2017/03/29(水) 11:08:55.970
>>51
税抜き2000円か。
高いんだね。
この種の雑談本だと、1000円がいいところじゃないのかな?
0053考える名無しさん
垢版 |
2017/04/05(水) 13:20:03.950
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総量規制オーバーや、過去のトラブル等で借入れが難しい方。

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0054吾輩は名無しである
垢版 |
2017/05/03(水) 19:47:05.350
【選者:篠原雅武(1975-:哲学・建築思想)】
現代思想の転換2017 知のエッジをめぐる五つの対話
篠原 雅武(編),中村 隆之(ほか述)

ディアローグ ドゥルーズの思想
ジル・ドゥルーズ(著),クレール・パルネ(著),江川 隆男(訳),増田 靖彦(訳)

ドミトリーともきんす
高野文子

あなたを選んでくれるもの
ミランダ・ジュライ(著),岸本 佐知子(著)

対面的 〈見つめ合い〉の人間学
大浦 康介(著)
https://honto.jp/booktree/detail_00003661.html
【選者:渡辺洋平(1985-:大学等非常勤講師)】
ドゥルーズと多様体の哲学 二〇世紀のエピステモロジーにむけて
渡辺 洋平(著)

ギリシア人の神話と思想 歴史心理学研究
ジャン=ピエール・ヴェルナン(著),上村 くにこ(訳),ディディエ・シッシュ(訳),饗庭 千代子(訳)

カントの自我論
中島 義道(著)

臨床医学の誕生
ミシェル・フーコー(著),神谷 美恵子(訳)

文明の生態史観ほか
梅棹 忠夫(著)
https://honto.jp/booktree/detail_00003662.html
0055どっちも良いよ
垢版 |
2017/05/05(金) 23:21:14.240
>>19

ウィトゲンシュタインこそ、知的遊戯の王様だよ。

ちなみにハイデガーもそうなのだ。いくぶんバカにしているかもしれない。

読んでて面白いが、よく分からない。

 ドゥルーズは、非常に苦労し、意に反して読むところが多々あり、ある段階がくると、「理解」が来る。
本物の哲学は、ドゥルーズの方にあるし、ある種の「分かった=喜び」が来る事が
こちらにある。

しかし、ウィトも、特にハイデガーに関しては、まだまだ、研究するべき
だ。というか、ハイデガーを我々は、ほぼ読んでいないのではないと思う。

ウィトゲンシュタインに関しても、。バカにしすぎた感はある。
それに、ウィトを一番理解しているのが、ドゥルーズという、妙な事態があるし。
0056考える名無しさん
垢版 |
2017/05/05(金) 23:34:54.560
>>55
>ウィトを一番理解しているのが、ドゥルーズ

時代が逆なら、自分が全否定されてるはずの相手を、一番理解している?
0057考える名無しさん
垢版 |
2017/05/06(土) 00:17:23.880
「意味の論理学」、「襞」で、ウィトを語っていたのは、ドゥルーズではなかったかな。

ウィトと宗教、ウィトの生涯、ウィトとの対話、ウィトと禅とかそんな本ばっかりで、ウィトの哲学の「本気の解説」が

無かったような気がするので、そういったんだけどね。
0058考える名無しさん
垢版 |
2017/05/06(土) 00:22:26.340
 ウィト一派を、学閥(排他的集団)として、哲学の暗殺と、アベセデールで語っていたことも
含めて、ドゥルーズは、敵に関してはするどい。ラカンもそのようなことを言っていたよ。
0059科学ーとー哲学
垢版 |
2017/05/06(土) 18:10:02.570
>>30

「真理の探究という意味ではこれは理数系の世界でほとんど答えが出るものとは
思う。」

そうかも知れない。でも、表層の領域があり、「車と言えば、車が口から飛び出る」byクリュシッポス。

「君が杖を持っていないなら、杖をあげよう、持っていないなら取り上げる」by、禅宗。

また、肉が切られるとき、切られるという属性が発生する、など、表層の出来事、に関して、

つまり、「言葉そのものに関して」の考察は、科学のあまりの無知に関しては、そこを自覚して

いただきたい。科学もまあ、唯物論的だ。こういう風にしかいえない。権利上成り立っていると。(つまり、想定した道理の基準を
満たす、実験結果によって・・か、ある種の仮定の上で、後で事実がそれを証明したか)。

誰も科学を否定しないけれど、ことに「人間」「言語」「脳」の領域になると、とたんに「トーンダウン」する。
ニューロンやシナプス、シナプス間の「空(から)」のこと、病気のこと、科学は、あんまり真面目に取り組む気が
無いのかとさえ思う。つまり、科学はいったい「何の役に立つのか?」という問い。

「何々星を発見」、「ロケットを飛ばした」、「メタンハイドレートの採掘法」など。部分的には科学はすごく役に立ってきた。

 科学もサイエンス「フィクション」だよ。言葉が崩れれば全部崩れるし、「真理とは何?」とう、ポンテウス・ピラトゥスの
言葉も今も、有効で、キリスト以外答えられていない。 

「真理の探究という意味では・・」これは、冗談としても笑えないよ。量子力学とかいう空想の科学もあるからね。
そっちの方「量子力学」は、そちらで葬ってもらいたい。
0060宇宙にいっているやつに言いたい
垢版 |
2017/05/06(土) 18:30:37.130
宇宙で遊んでいるやつに言いたい。

科学はフィクションは言いすぎだった。・・科学は役に立っている、

ただ、科学は、地球、宇宙、惑星とか、そんなことばっかりやって、

人間、病気、がん細胞とかの領域に踏み込まないんだ?素人的と
言われるかもしれないけど、「宇宙に生命体がいるか」はどうでもいいし、

衛星を飛ばしあって、戦争ごっこをするのは仕方ないとしても、

そんなことに税金を払いたくない。止めて貰いたい。ということ。Jaxaとかはいらない。
宇宙飛行士はいったい何の役に立っているのか?金持ちの道楽にしては、「それ風な顔」を

してないので、批判しづらい。が・・これが哲学の仕事なのだ。
0061考える名無しさん
垢版 |
2017/05/07(日) 00:10:25.080
>>57-58
ヴィトゲンシュタインを理解していれば、ドゥルーズもだいぶ違ってたんじゃないかな?

たしかに、哲学の暗殺者だけど、ヴィトゲンシュタインは、それを自認してたというか、それを使命だと思ってたわけだから。
0062ドゥルーズのレガシー、1
垢版 |
2017/05/07(日) 02:23:43.840
 まとめる気はないし、そんな能力も無いけれど

どの哲学者も、特に偉大な人、プラトン〜ハイデガなど。現在はジジェク?なのか、良く

分からないけれど、万能の人はいないし、万能である必要もない、

・・ランボーがくたばる、くたばったところから、誰かやり続けろ・・と、

同じく、ライプニッツ、ニーチェは矢を投げる、拾うものを期待しつつ、
ドゥルーズが拾った、しかも、巨大な威力で拾い、「矢」の必要なきところはそぎ落とし、

本質的な「矢」を放った。巨大な「矢」だけれど、簡潔になった「矢」でもある。

適当に言ったけど、本質は、「反時代的」「奴隷からの解放」「知的作業の継続」

これらのことが言いたかったのである・・と思う。

 
0063ドゥルーズのレガシー・2
垢版 |
2017/05/07(日) 02:24:36.910
例えば、アンチ・オイディプスで、「工場は監獄である」、比喩ではない。と言った、ドゥルーズ。

いや、言われなくとも分かると、「真に」言えた人がいるか?ということ。
もうあきらめて、そんなもんだよ・・と。そこから思考は、再起動し、鋼鉄の資本主義に

向う。ドゥルーズの教えは、「水漏れ」は必ずある、「反時代的エネルギー」は
必ずあるが、それを、「やつら」が逆に利用するという可能性もある・・。そういうことである。

あるコードがある。働け、責任、約束・・これは、埋め込まれて、体の底まで貫いている。

故に、反コードは「引きこもり」とか、名づけられている。人間は働くべきという
非常に強力なコードを利用している。結婚せよ。同じである。責任とかいうのもそうである。

なぜ、人間は「自ずから奴隷を目指す?」、スピノザ、ニーチェ、ライヒは問うた。
権利に責任が伴うとか、自由にも公共性の範囲内で、・・・これらを「最大限利用する」

やつらがいる。そういうことである。
0066考える名無しさん
垢版 |
2017/05/09(火) 17:15:27.480
以下、ドゥルーズ哲学とは何か#1「ひとつの概念とは何か」より

 もちろん、どの概念もひとつの歴史をもっている。わたしたちは、いま述べ
た他者概念によって、ライプニッツ、ライプニッツにおける可能的世界、そし
て世界の表現としてのモナド、この三つにまで遡ることができる。しかし、問
題は同じではない。なぜなら、ライプニッツにおける可能的世界はリアルな世
界のなかに存在するわけではないからである。その他者概念はまた、命題を扱
う様相論理学をも指し示している。しかし命題は、その真理条件に対応するリ
アリティーを、可能的世界に与えることはない(ウィトゲンシュタインは、他
者を、ひとつの他の主体とひとつの特別な対象のあいだで揺れ動くままにして
おくので、恐怖や苦痛についての命題を考察するときでさえ、そうした命題に
、或る〈他者の位置〉」のなかで表現可能な諸様相〔可能性、現実性、必然性
〕を見ることはできないのである)。可能世界〔という概念〕は長い歴史をも
っている(1)。…

(1)この歴史は、ライプニッツとともに始まるわけではないが、ウィトゲン
シュタインにおける恒常的なテーマとしての他者に関する命題(「彼は歯が痛
い‥…」)からミシェル・トゥルニエにおける可能的世界論としての他者の位
置(『フライデーあるいは太平洋の冥界』)にわたるほどの様々なエピソード
を経ている。
0067考える名無しさん
垢版 |
2017/05/09(火) 17:29:20.450
>>66
>ウィトゲンシュタインにおける恒常的なテーマとしての他者に関する命題

ヴィトゲンシュタインに、そんなテーマがあるのか?
0068考える名無しさん
垢版 |
2017/05/12(金) 22:44:12.850
>>14
ニーチェ然りマルクス然り
思想が実践に踏み込むと大体ろくなことにならないからどうなんだろう
ただイデオロギー闘争の時代が終わったのはドゥルーズの仕掛けだったりするのかしら
0069考える名無しさん
垢版 |
2017/05/13(土) 18:52:19.940
>>68
「思想が実践に踏み込む」とか意味不明じゃない?
現実に対する見かたや考え方が思想なんだから。
君が想定してる思想って、たとえばどういうもの?
0070考える名無しさん
垢版 |
2017/05/13(土) 23:05:48.690
>>69
理論と思想を取り違えてないか?
実践を伴う思想は珍しくもないぞ、ギリシャ哲学や諸子百家の中にもいくらもある
日帝だって根っこは朱子学だからな

実践が必要くらいならまだいいんだが考えるだけじゃだめだって思想家が時々現れる
考えるだけじゃだめだって哲学はほっとくと進歩主義になる
進歩主義は進歩も生むが成果や目標を求めてイデオロギーを生む
イデオロギーが成功した例はあまりない、思想から作物は取れないからな
0071考える名無しさん
垢版 |
2017/05/13(土) 23:52:01.210
>>70
また意味不明なレスがついたね・・・

現実に働きかけるのが実践。
現実を見たり考えたりするのが思想。
人がその思想を元に現実に働きかける場合はある。

思想がそれ自体で現実に働きかけるというのは言葉の錯誤。
せいぜい、声に出したときに近くの人間につばがかかる程度w

見たり考えたりすることがダメだという考え方も一つの思想。
それを実行するかどうかは、実行できる環境を作るかどうかは、人の行動。
実践の内容は、現実の関係の中でしか決められないので、思想そのものは、直接には、関係することができない。

イデオロギーというのはすべての人が持っている。
食品添加物を避けるというのも、食品添加物は気にしないというのもどちらもイデオロギー。
共産党も自民党も、イデオロギーによって政策を決めている。

現代の日本は、自民党という資本主義イデオロギーを標榜する組織が日本を支配している。
資本家階級という階級にとっては、成功しているイデオロギーだといえる。
0074考える名無しさん
垢版 |
2017/05/14(日) 00:19:40.770
>>72
思考と行動は2元、あるいはそれ以上に決まってるじゃないかw

>>73
人は現実を無自覚に肯定している、と指摘しているんだが、理解できないのか?
これがどうでもいいなら、すべての学問がどうでもいいw
0075他者
垢版 |
2017/06/02(金) 23:22:32.860
他者については、ドゥルーズに従えば、?

 例えば、「恐怖」の顔の「他人」を見る。それは「恐怖」を表現している・・と
受け取る「何か」がいる、ただ「恐怖の表現」、と「その強度(とでもいおうか」」

は「お互いに巻き込まれあっている」、「表現するもの」と「表現される」ものは、

違うのである。というのも、「恐怖の表情」を「恐怖の表情」として受け取るわけではなく、

ある「何か」として、受け取る、そういう「風景」の関係が「自我」をつくるのである。
だが、「恐怖=顔」を受け取ったとき、受け取る点は、「それを」表現できるかどうか分からない。可能性としての表現。

ところが「それが」、自我の「別名」なのである。というか、自我の始まり、の中心になるのである。
それで、その「風景」らが、「他者」であると言えるが、既に、「巻き込み」をされている他者なので、
それが、「客観的」「主観的」を決めるのである。それを示しているのが「言語」なのである。
0076考える名無しさん
垢版 |
2017/06/02(金) 23:37:41.990
ドゥルーズは「内在:ひとつの生」でもサルトルの『自我の超越』に言及。
『意味の論理学』(邦訳下258頁)のトゥルニエ論の注でもサルトルの他者論を参照している。

《...ここでのサルトルは構造主義の先駆者である。というのは、サルトルが初めて、他者を、
固有の構造として、あるいは、対象と主観に還元できないと特殊性として考察したからである。
しかし、サルトルは、この構造を「まなざし」によって定義したために、対象と主観のカテゴリー
に再び陥って...》
0077考える名無しさん
垢版 |
2017/06/02(金) 23:47:27.570
>>75
>「恐怖」を表現している・・と受け取る「何か」

バカじゃない?
ただの経験に決まってるだろw

そんなものを積み重ねて客観だの主観だのというなら、たしかに哲学など抹殺されるべきだ。
0078考える名無しさん
垢版 |
2017/06/03(土) 00:54:55.870
>>77

「何か」は、まだ「経験」を言えない。まあ経験だが、それは「経験」を言う
前提だよ。 「経験」と言えるのは、自我が出来たあとだよ。
言い忘れたが、この前提は、いわゆる無人島ね。
0079じいさん ◆6rgGIYz09M
垢版 |
2017/06/03(土) 02:06:09.150
>>78考える名無しさん2017/06/03(土) 00:54:55.870
>「何か」は、まだ「経験」を言えない。まあ経験だが、それは「経験」を言う
前提だよ。 「経験」と言えるのは、自我が出来たあとだよ。

人が「何か」を認識する為には自我が立ち上がって無くてはならない。
例えばコップを見てそれをコップと認識する為には自我が立ち上がって無くてはならない。
大事な事はコップと認識する前の段階の「何か」というものは存在しないという事だ。
誰か「純粋経験」等といった人がいるが、そんなものは存在しない。
外界のコップの認識にはその人にとってのコップの心像というものが脳内で対応して始めて認識となる。
其れまでは単なる光の信号に過ぎない。
尤も貴方の言う「何か」が「光の信号」と言うことなら、勿論同意します。
0080考える名無しさん
垢版 |
2017/06/03(土) 12:43:06.170
>>78>>79
「自我」という言葉を無限定に使ってしまうような哲学なら、消滅した方がいい。
フロイトに遠く及ばない。

僕が「経験」と書いたのは、個人にとってのすべての関係という意味だ。
「自我」もまた「経験」により形成される。
もちろん、人類としての生物的な要素を含む。

ドゥルーズ(ハイデガー)のように、抽象的な「差異(存在)」のようなものを設定すること自体が、言葉の遊びだ。
何かがあるからそれを存在といい、その存在に違いがあるからそれを差異という。
逆ではない。
0081考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 00:04:14.070
>ドゥルーズ(ハイデガー)のように、抽象的な「差異(存在)」のようなものを設定すること自体が、言葉の遊びだ。
何かがあるからそれを存在といい、その存在に違いがあるからそれを差異という。
逆ではない。

だから、哲学は「サイエンスフィクション」なんだ。権利上「そういうこと」が言えるということだよ。

ライプニッツの「モナド」も同じだよ。

例えば、「ビッグバン」の説と同じだよ。「そう説明したら、まあ納得できるかな」ということ。

それと、あんまり対立や、非難ばかりじゃなく、どうもそれが「原則」になっているのがおかしい。
馴れ合えとは言わないけど、お互い、ヘーゲルじゃないけど、「修正し合って」、止揚していけばいいのに。

この辺りは、日本人の欠点でもあるよ。「相手を怒らせて、理性を失わす」そして、議論する・・これは
イギリス人が得意なことだ。白人の知識層とか。関係ない話をしたようだけど、いったい、
田布施システムで製造された南朝推しの首相よりは、冷静でいよう・・と俺は思う。
0082考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 00:32:42.590
>>81
別に権利などあるわけではない。
言葉というものがいかに恣意的に使われやすいかということを示しているだけだ。

自然科学系は、実験や観察の進化で事実が確認できる。
哲学なら、事実が確認できなくてもいいということではない。
その言葉が事実に即していなければ、修正も止揚もしようがない。

ドゥルーズ(ハイデガー)は、ただ(文法通りに)言葉を並べて意味(に見えるもの)を成立させているだけで、意味を持った論理にはなっていない。
現実と人間としての理想を追求したヘーゲルとは、まったくの逆方向だ。
0083考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 02:15:01.630
>ドゥルーズ(ハイデガー)は、ただ(文法通りに)言葉を並べて意味(に見えるもの)を成立させているだけで、意味を持った論理にはなっていない。

権利の概念が分かってない。権利とは「〜できうる」と言うことである。そういう論理を構成した場合、それに反論する

論理より意味を持った論理の組み合わせが出来ているという「力」であるのである。、俳句が上手くいった場合、ある力が発生する。
文学も「大きな俳句」である、哲学は、力の質は違うが、巨大な力の組み合わせ(関係)である。地域 中国 ●▲3.11

ttps://www.youtube.com/watch?v=hCxcOM9wFXI&feature=youtu.be

俺は去るぜよ。・・。
0084考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 09:12:52.500
>>83
>権利とは「〜できうる」と言うことである

そういう言葉の使い方を、恣意的といい、言葉の遊びだといっている。
言葉の定義を曖昧に、あるいは無視をして、文法通りに言葉を並べれば哲学になると勘違いしている。

ドゥルーズ(ハイデガー)と同じ、哲学の仮面をかぶったアリスの世界だ。
0085考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 11:30:25.340
PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)ペンパイナッポーアッポーペン/PIKOTARO
(ピコ太郎)
https://youtu.be/0E00Zuayv9Q

ドゥルーズ『意味の論理学』より
11.ナンセンスについて(カバン語)


 11.ナンセンスについて

…カバン語それ自体が二者択一の原理であり、この原理によってカバン語は二つの関係項を
作る(frumieux=fumant〔湯気が立つ〕+furieux〔怒った〕、 もしくは furieux+fumant)。こうした
語のそれぞれの潜在的な部分は、他の部分の意味を指示するか、逆にその部分を指示する
他 の部分を表現する。この形式のもとでも、語の全体はそれ自体の意味を語り、この新しい
資格でナンセンスである。実際、意味を与えられた名の、第二の通常の法則は、それらの名
の意味は、それらの名が入って行く二者択一を決定できないということである。したがって、ナ
ンセンスには二つのかたちがある。ひとつは退行的な綜合に対応するかたちであり、もうひ
とつは分離的綜合に対応するかたちである。
 こうしたことのすべては、何を語ろうとするものでもないという反対論がある。定義によって、
ナンセンスには意味がないのであるから、ナンセンスがそれ自体の意味を語るとするのは
駄洒落だというのである。こうした反対論には根拠がない。ナンセンスには意味がないという
意味があると語るのは、ことばのたわむれである。しかし、われわれの仮説はそんなことでは
ない。ナンセンスがそれ自体の意味を語るというとき、われわれはむしろ意味とナンセンスは、
真偽の関係を写すものではありえない特別な関係、つまり、単なる排他関係とは考えられえ
ない関係を持っていると言いたいのである。これが、意味の論理学の最も一般的な問題であ
る。真実の領域から意味の領域へと上昇したとしても、もしもそれが意味とナンセンスとのあい
だに、真と偽とのあいだにあるものと似た関係を見出すためであるならば、何の役にも立たな
いだろう。われわれはすでに、可能性の単なる形式として、条件付けられたものと類推して条
件を考えるために、条件付けられたものから条件へと上昇することがむだであることを指摘し
ておいた。条件とその否定との関係は、条件付けられたものとその否定との関係と、同じタイ
プのものではありえない。
0086考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 11:31:04.910
鏡の国のアリス#6ハンプティ・ダンプティ

…「なるほど、よくわかります」とアリス。「では『ぬなやかな』は?」 「うむ、『ぬなやかな』は、
『しなやか』──『しなやか』は『活発に動いている』という意味だが──かつ『ぬるぬるしてい
る』ということだ。つまり、旅行カバンみたいなもんでね、二つの意味がひとつの言葉におさまっ
ているわけだ。」…河合訳

Lewis Carroll
THROUGH THE LOOKING-GLASS
And what Alice found there 1872
_____


かばん語 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%B0%E3%82%93%E8%AA%9E
かばん語(かばんご)あるいは混成語(こんせいご、英: portmanteau)とは、複数の語のそれ
ぞれの一部を組み合わせて作られた語である。語の一部ではなく全部を組み合わせたものは
合成語である。その語源からポートマントーとも。

ジェイムズ・ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』において、広く混成語を使用した。
0087考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 11:34:19.880
http://tenhare.hatenablog.com/entry/2015/06/30/154812
事実問題と権利問題というのがあって、カント哲学では区別して考える。
事実問題は事実の確定に関わる問題で、権利問題は法律がその一例で、所謂べき論である。
僕は哲学も法律も専門ではないが、「働いていない」は事実問題で、「働いていないからダメだ」は権利問題になる。
働いていないかどうかは調べればわかるが、働いていないからダメかどうかは議論の余地がある。
両者を混同すると、話しがかみ合わない。
(だから事実と意見は区別しなければならない。)
0088考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 11:41:08.540
真実は事実問題、
意味は権利問題、ということになる

ドゥルーズは後者を重視した

これはドゥルーズのヴィトゲンシュタイン(分析哲学)嫌いを上手く説明する
『哲学とは何か?』ではもう少し踏み込んで可能世界の問題として論じている

潜在性は事実としてある、というのがドゥルーズの主張だ
0089考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 12:13:35.720
>>85
>意味とナンセンスは、真偽の関係を写すものではありえない特別な関係、つまり、単なる排他関係とは考えられえない関係を持っていると言いたいのである

自分が読んだ訳とはだいぶ違う言い回しだけど、内容に変わりはない。
ここでも、「ナンセンス(無ー意味)」の定義をすり替えている。
「ナンセンス(無ー意味)」の定義とは、「石は豆腐と呼ばれている」というような偽であることなのだ。

そこに意味を見出そうとしても、言葉の遊びにしかならない。
言葉の遊びが面白いと感じる人もいるだろうし、幼児のように言葉の遊びで関心を買おうとする人もいるだろう。

しかしそれは、哲学(人間や社会の分析)にはならないし、幼児の砂遊び以上の「意味」を持つものでもない。
「ナンセンス(無ー意味)」にこだわろうとした時期のドゥルーズの幼児性を表しているだけのことだ。

その後のフロイトやマルクスへの言及が、著しく定型的なのも、その幼児性に源流があるのかも知れない。
0090考える名無しさん
垢版 |
2017/06/04(日) 12:19:33.680
>>87-88
「働いていないからダメだ」は、法の倫理の側面としての義務の問題ではあっても、権利の問題ではない。
権利と義務という言葉の混同だ。
真実が事実でもないし、意味が権利でもない。
0091考える名無しさん
垢版 |
2017/06/05(月) 22:20:16.240
>>84

そうなれば、定義とは何か?となる、そしてそれが決められたとしても、

誰が決めた?となる。 そういうわけで、表象は、表象以外になる他無い。それに頼るしかない。
定義は、その定義を表現する表象の組み合わせに
よる「強度」に、「力」になるわけである。表象の意味も、それ以外のものによって決定されている。無意味な表象、意味ある表象

いずれにしても、表象それ自身に決定権はない。「権利」は、法律と必然的な関係はない。

未開の部族の村に行って「襲われても」、弁護士をよぶ権利がある!というのは、ばかげたことだろう、そういえるのは
ある種の国家の中でだけ、通用するのである。国家の「力」を「足して」通用するのである。通用しなければ「権利」とはいえない。

これまた「権利」概念の論争になるが。

やはり、権利とは「〜できうる」、「為すことが出来うる状態にある」と言うことが出来うる状態が確実である・・というのが
一番近いだろう。と思うのだが。要するに、「曖昧」にしておくことは、実は「曖昧」ではないからである。
0092考える名無しさん
垢版 |
2017/06/06(火) 09:43:25.180
>>91
まず、定義の話ね。

君のような循環論法を、言葉の遊びというんだよ。

つぎに、権利の話ね。

君の言ってる権利というのは、「女にも男を選ぶ権利がある」ということだよ?
それでもいいけど、そんな言葉の使い方をしても、実態が伴わなければなんの意味もないだろ?
哲学や思想で「権利」という言葉を使いたいなら、ミルのように社会的な問題と個人的な問題を分けなきゃいけないんだよ。

君たちが蛇蝎のごとく嫌っている吉本隆明も、社会の実態になんの力も及ぼさなかったことでは君たちと同じだ。
でも、個人と社会の問題を混同することはなかった。
そこだけは見習った方がいいと思う。
0093考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 00:37:42.450
>92

>A[やはり、権利とは「〜できうる」、「為すことが出来うる状態にある」と言うことが出来うる状態が確実である・・というのが
一番近いだろう]

に対して

>B「君の言ってる権利というのは、「女にも男を選ぶ権利がある」ということだよ?」

は違うね。?がついてるのは見逃すよ。よく読んでくれ。「女には男を選ぶ権利」というのは、単なる可能性だ。

Aの言いたいことは、「男を実際に獲得できる状態にある」・・そういうふうに言って「その可能性」の方に傾き、傾向が
あるということだよ。「そのように言っても問題ないどころか、説得力がある」ということだよ。傾きが、可能性より「より離れて」
「実現性」の度合いが高いと「思わす」効果があるということ。

これを「力」と言うんだ。何かを思わせる「傾き」をさせること・・それを力という。物理学的な意味ではないが。
0094考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 01:09:27.600
>>93
「〜できうる」、「為すことが出来うる状態にある」と言うことが出来うる状態が確実である・・というのが、「可能性」でなければ、なんだというんだ?
「力」だの「傾き」だのという曖昧な言葉で誤魔化しても、なんの意味もない。
それを言葉の遊びと指摘してるんだよ。

その証拠wに、ドゥルーズは現実においてなんの力も実現できてないだろ?

おまけで指摘しておくと、「?」を「見逃す」のは、言葉の感受性が弱いんだよ。
「、」も「〇」も「?」も、そして、もちろん空白も、言葉として大きな意味を持つんだよ。
言葉に対する感性が鈍すぎるから、言葉で遊んで満足していられるんじゃないかい?
0095考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 01:31:36.680
>>94

 現実とは、労働、社会のことかい?それこそ騙されているよ。

現実は「これだ」って決められているわけではない。

どんなものも現実だよ。「お前は社会を知らない」とか、

そういう言葉にひっかかる人は、「労働力」にされるよ。
「厳しい」から現実、楽なのは「非現実」とかいうのも、おかしいね。

働かない・・っていう選択肢はないようになっている・・それが「社会」だ。
お金を得るぞ!と「脅迫」されている人、それは資本家やユダヤ人、

今や、人間自身が資本になっている。ユダヤ人が「お金を持っていないなら」、
彼は、ユダヤ人ではない。そういうふうに「金持ちユダヤ人」は言うだろう。

つまり、人間も「資本」になってしまったのだ。
0096考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 01:49:46.510
>>95
どこまでいっても、言葉の遊びだね。
社会も経済もわからない君に、いちいち言葉の遊びを指摘することはしない。

君は言葉だけだから、どんなことにでもどんないい回しでもする。
石とは豆腐のことだ、と言ってる相手に言葉を返すのは無駄だ。
繰り返しておくが、せめて、言葉の定義ぐらいは自分で自覚しておけ。

ドゥルーズと同じように、マルクスを読んだことはない、と威張りたいんだろうが、それも愚かなことだ。
現代の資本主義社会を理解するためには、マルクスは依然としてもっともすぐれた経済学者だ。
現実を見ることができなかった幼稚なドゥルーズがそれに気が付いた時には、気の毒なことにもう時間が残されていなかったようだ。

君にはまだ時間があるのだろうから、少しは現実を見る訓練をしたらいいと思う。
どうせ、君の言葉の感性は鈍いのだから、せめてもの、哲学に近づく方法だろう。
0097考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 01:53:34.820
現実を言うなら、例えば
鬼塚英昭氏のdvd,youtube を見てくれ。

これの真偽はともかく。日本がタルムード法典の「ゴイム化」
の過程に入っていることを。

俺は陰謀論信者でではない。
0099考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 11:54:36.760
>>98
マルクスがどこで書いてるのかは知らないけど、言葉として変だよ?

訳者のせいなのか、転記ミスなのか。
0100考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 11:56:04.580
>>97
世界の歴史は陰謀だらけだよ。
ただそれが一般に知られることがごく少ないだけ。
日本の陰謀の元祖は、ヤマトタケルかな・・・w
0101考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 15:09:31.760
>>99

「資本家が尊敬されうるのは、ただ彼が人間となった資本であるからである・・」

マルクス=エンゲルス全集 、23巻 b 771ページ。
0102考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 15:49:38.330
>>101
ありがとう。
そこは、第22章第3節だね。

どういう意味でここを引用したのかな?
自分の持っている訳では、少しニュアンスが違う。

「ただ資本の人格化としてのみ、資本家は尊重される。」(旧ME全集)
「資本の人格化としてのみ、資本家は尊敬すべきものであるか。」(岩波文庫版『資本論』)

この節は、資本や資本家を擁護する主張に対しての、マルクスの反論なんだよね。
この節全体を読めば、資本家という人間に対しても資本そのものに対しても、尊敬とか尊重ということが、むしろ逆説的に語られていることはわかると思うんだけどな。

それを承知の上での引用なら、引用のしかたがあまり適切ではないかも知れないね。
0103考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 16:28:56.460
>>102

マルクスが言いたいことは、プロレタリアより、ブルジョアの方が奴隷だということ。

なぜなら、ブルジョアは「偏執的」に金を求めている・・・もうそれしかない・・・

これが奴隷の極致である。そして「自らの価値」も「そのお金の量でしか見られていない」

、つまり資本になった人間だということ。つまり「永遠にお金を求けるハムスター」だと、ひろゆきや、
ホリエモンと同じだと。こういう人は、コンプラドール(ユダヤの人形)として、つまり「お金」崇拝者。
「お金」教信者として、システムの歯車に入る連中だということ。そして「賢い」の定義が「お金をもうけるもの」
になる。もしくはそうしたい。

そのためにそれらを活動させる「システム」・・を確立したい。だが、いつでも、「はみだしもの」
「テロリスト」「やくざ」がいて、困る。ので、彼らに「カネ」を渡せば良い。となる。

空気(二酸化炭素)も、商品にして、「市場」に乗せたいのだ。で、トランプは、猛攻撃にあっている。

ただ、トランプが、ユダヤ陣営かどうか、見極めがたい。・・とかね。ただ、ドゥルーズの偉大さは、

そんなことを見透かしている。というか、マルクスが見透かしていたということ。
0104考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 18:19:45.600
自死の直前だよね
ドゥルーズが自分はマルクス主義者だと言ったり、最後の著書はマルクスについてだとか言いだしたの
それまでほとんどマルクスに触れなかったと記憶している(平凡な管理社会についてのテクストは別として)
0105考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 20:46:56.490
>>103
そんなふうにしか読み取れないから、マルクス理解がまるっきり幼稚だと言ってる。
マルクスを語りたいなら、精神と経済社会をきちんと分けないといけない。

資本家だから資本の精神的な奴隷になったり、労働者だから自由であったりすることはない。
そんなことは、完全に個人差だ、というより、『資本論』はそんな議論をしているのではない。
経済社会における、階級の意味を提示しているのだ。

労働者だからといって労働者階級としての意識を持つわけではないし、資本家だからといって資本家としての意識を持った個人ができるわけでもない。
裕福になれば、自己を肯定するという意味で、資本家らしくなってしまうということはあるだろうが。

残念だが、ドゥルーズには、マルクスを学ぶ時間も姿勢もなかった。
言葉遊びで楽しんでいたツケが回ったということだろう。
その死に対して哀悼の気持ちはもつが、その業績は惜しむようなものではない。
0106考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 21:45:08.450
>>105

まあ、そう非難されるべきは俺であっても、ドゥルーズが非難されるべきかどうか分からんがね。

少なくともドゥルーズは若い頃に「経済学、哲学草稿」をドゥルーズは読んでいる、
「哲学の教科書」に出てくる。
0107考える名無しさん
垢版 |
2017/06/08(木) 21:53:07.590
>>106
それは知らないが、読んだとしてもまったく理解してないな。

ちなみに、普通は「経哲草稿」を読むと、一気に資本論まで読みたくなるものなんだ。
0108考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 00:02:35.250
http://noos-academeia.com/archive/paper/difference_in_quantum.html

まあ、ドゥルーズは今だ理解されてないのは、確かだね。

内包、外延、内包=強度=差異化 外延=異化ー分化。

これらのことを理解できないうちに、安易にドゥルーズを批判するのは
どうかな。

永劫回帰のこと。これは諸規則それ自体反復され、八つ裂きにされるということ。

骰子一擲』とうしいってき)マラルメ・・。ニーチェ。
一回で充分、一回だけで分からないと、分かったことにならない。
なぜなら、何回も振るやつは、「肯定」の意味を分かっていないから。

これは、ある種の直感で分からないと分からない。説明しにくい。
いきなり「分かる」ものである。
0109考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 00:32:09.660
>>108
相変わらず、無意味な言葉の遊びが好きなんだね。
ドゥルーズファンお得意の、「おまえには理解できない」宣言だ。
君が理解したのなら、説明してごらん。

直感で理解するもので、言葉では説明できない、とか逃げちゃだめだよ。
説明できないなら、理解したことにはならないのだから。

日本の作家で夏目漱石という人がいるのは知っていると思うが、その漱石は一時期禅に凝っていた。
公案を与えられて、数日間考えて結局なんの答えも得られなかった。
公案を与えた禅僧に、「ただ熱心が大切です」と言われて禅寺を去ることになる。

ドゥルーズファンは、このあたりは喜ぶかも知れない。
しかし、後日、漱石自身は禅問答に非常な懐疑を持ち、禅というのはデタラメだ、という結論を持つに至る。
0110考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:01:18.090
>>109

禅は、言葉だけが、世界だけではないよ、ということ、意味以外の世界も
あるということ、表層の世界があるということを教えてくれる。

パラノイア(夏目漱石)には、分からないだろうね。
0112考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:03:33.210
>>109

>説明できないなら、理解したことにはならないのだから。

そんな不思議な意見初めて聞いたよ。説明と理解は違うね。
0113考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:05:53.670
>>111

言葉だけ?というのは、シニフィアンだけ?という意味?

言葉は、支持、表現、表現するもの、されるものを含むよね。
0115考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:08:35.090
>>113
言葉は言葉であって、表出されたものがすべて。
対象は対象であって、言葉ではない。
まさか、言葉があるから実体があるとか思ってないよね?
0116考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:10:48.240
>>114

また、不思議なこというね、

あることを説明できないのと、「全部」説明できないは違うからね。

特殊なことを一般化してはいけないよ。
0118考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:13:36.680
>>115

それは「在る」の解釈に関わるね。

〜がある、〜である。これこそ権利問題だよ。
0119考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:14:55.940
>>118
それはただの言葉。

石の中に豆腐がある、という言葉のどこに権利問題があると思う?
0120考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:18:29.190
>>117

じゃあ、まあ、原子は電子と原子核からなる。原子核は陽子と中性子からなる。

車といったら口から車が出てくる、これは、言葉上の純粋な出来事を表している。
0122考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:20:41.890
>>119

石の中に豆腐があることは、権利上どちらとも言えないということになるね。
0123考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:21:47.670
>>122
権利の問題じゃなくて、ただのデタラメ。
前にも指摘しただろ?
幼児の言葉遊び。
0124考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:22:48.000
>>121

クリュシッポスが言う意味分からない?

まあ、もういいよ。禅もストア派も理解できんだろう。
0126考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:25:05.410
>>124
ストア派はただの言葉の遊び。

言葉というものが実体とは無関係だということを表わすという意味でだけ、存在価値がある。
0127考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:26:11.690
>>125
言葉遊びは哲学ではないから。
哲学とは、人間や社会を分析するもの。
別の定義がしたければ、その定義を示すことだ。
0128考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 01:28:48.600
シェストフごとく、君を黙らせる方法があるよ。

定義とは何か?永遠に君の言った答えに、〜とは何か?

哲学とは、人間や社会を分析するもの?誰が決めたんだい?
0130考える名無しさん
垢版 |
2017/06/12(月) 12:08:24.610
>>128
結局、なにも答えられずに逃亡か。

定義とはなにか、と問うこと自体が言葉の遊びだというのは、すでに指摘したとおり。
ストア派だのシェストフだの、恥ずかしくないのかな?
そんなのを持ち出すのは、自分はドゥルーズと一緒に言葉遊びをしてるんだからほっといてくれ、と言ってるようなもの。

まあ、そのとおりなんだから、適切だとはいえるけど、ドゥルーズファンが自分で認めちゃだめだろ?w

漱石をパラノイアの一言で切り捨てたことは、君の知性がどの程度のものかをよく表している。
「空中浮揚」の存在を信じ憧れる信者たちと変わらないのだろう。
ドゥルーズを信奉することはもちろん自由だが、信奉する自身の心性を省みた時に、はじめて哲学になるということは知っておかなければならない。
0131考える名無しさん
垢版 |
2017/06/13(火) 00:05:42.710
>>130

まあね、何か、次々に問いが来るんでね。
ついつい、向きにもなるよ。俺だってわかってるさ。

負けたよ。
0133考える名無しさん
垢版 |
2017/06/13(火) 15:41:15.070
ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 20 [無断転載禁止] https://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1489811117/ https://itun.es/i6Dm5F9 #2tch
>>130
>定義とはなにか、と問うこと自体が言葉の遊びだというのは、すでに指摘したとおり。

こういうブーメランに無自覚なのは滑稽

そもそも遊びを貶めるのは時代錯誤
意味の論理学(>>85)の意義がわかってない
パゾリーニもドゥルーズと似たようなことを言っていた
0134考える名無しさん
垢版 |
2017/06/13(火) 18:29:00.300
>85の理解は、以下のように理解したのだが・・・。

ナンセンスもひとつの意味だということ、「無」も存在がごとく。

[可能性の単なる形式として、条件付けられたものと類推して条
件を考えるために、条件付けられたものから条件へと上昇することがむだであることを指摘し
ておいた。」の部分は、

これは、「可能性」の概念が、現在の根拠に基づいている以上、未来のことを
「真に」考えることができないということかな。

例えば、東京五輪(未来)では、テロの可能性があるというとき、その条件は

現在のテロの可能性(の条件)を
引き写してだけだということ。条件の発生の根拠が、現在か過去の「対称的総合」による以上、
未来の予想は、条件(現在)の引き写しをを根拠とするのだということ。それ故、つまり未来の「可能性」は、いつでも

条件付けるもの(現在)と似ているということ。
0135余談だが
垢版 |
2017/06/14(水) 00:00:06.690
 漱石は頑張ったよ。彼をパラノイアと言ったのは、彼の「全体的傾向」のこと。
漱石の全作品を読んだ。少ないからね。大概、親戚と、借金、妻(さいくん)

とかとの「いざこざ話」だ。草枕だけは、特別に「直に感動する」。音楽に似ている。
強度では、芥川の「蜜柑」に匹敵するものがある。だが、漱石が西洋民主主義を批判し始めたころ、

ニーチェは、民主主義の終わりの次を考えていた。ニーチェのせいかも知れないが、ショーペンハウエル、スピノザ、デカルト、

プラトン、ライプニッツ、カントなどには興味を持つ、が、マルクスはなぜか、読まない。ただのプロレタリアの
ルサンチマンか、あまりに「人間的」なので、「後回しに」なる。ヘーゲルは、明らかに観念的、抽象的で、
矛盾を原動力とし、対立という二元論というだけで、また「精神現象学」・・これは、随伴現象学だと分かるので読まない。

というのも、意識が「足」や「腕」に命令するとき、その0.3秒前に「無意識」の方が先に動くという「医学的」事実を知っていた
からも知れない。意識は「結果」、反射の最後、というのは、間違いないないからだ。・・要するに、始めに出会った哲学者が
誰かで、それ以後に、選択する人が決まると思う。ただマルクスを最初に読んだ人は、別の道になるだろうという類推が

できうるのだろう。・・・。
0136考える名無しさん
垢版 |
2017/06/14(水) 16:29:43.270
>>135
>漱石が西洋民主主義を批判し始めた

不勉強なので、漱石が西洋民主主義を批判したということは知らなかった。
具体的には、どこに出てくるのだろうか?

漱石が、マルクス主義に親近感を持ったことは、「野分」に色濃く表われている。
0137考える名無しさん
垢版 |
2017/06/14(水) 23:21:49.630
「私の個人主義」というエッセイにそれを読み取ることはできないかな。
0138考える名無しさん
垢版 |
2017/06/14(水) 23:51:49.870
または、「現代日本の開化」という講演で、
日本が「西洋化した以上、−略ー 外発的というより仕方が無い」・・。

ヨーロッパの精神を浴びてしまったという、ことの残念だが・・という気持ち。

それを事実直視せねばならないとする、漱石。
0139考える名無しさん
垢版 |
2017/06/15(木) 00:01:28.080
>>137
違うと思うよ。
漱石の個人主義というのは、民主主義の否定には繋がらないと思う。
0140考える名無しさん
垢版 |
2017/06/15(木) 15:10:12.070
ドゥルーズだの吉本だのと喧嘩してる間に、組織的犯罪処罰法の改正(共謀罪の新設)が成立して、戦前の治安維持法と同じ社会になった。
日本人というのは、自由も民主主義も嫌いだから、しかたがないのだろう。
ドゥルーズ信奉者にしろ、吉本信者にしろ、その責任は免れない。

ドゥルーズは日本とは無縁の人間だから、本人にはまったく責任はないが、吉本には戦後民主主義と共産主義運動を全否定してきた大きな責任がある。
スレ違いになるので吉本のことは問わないとしても、日本にいるドゥルーズ信奉者としての知識人は、少しでも恥ずかしさを感じるべきだ。

大学の予算が減ることばかりに気が向いて、政権への迎合しかしない大学哲学など、もちろん存在価値はない。
0141考える名無しさん
垢版 |
2017/06/15(木) 19:11:06.230
パゾリーニ「不純行為」#2『愛しいひと』42~3頁より

AMADO MIO preceduto da ATTI IMPURI
by Pier Paolo Pasolini

 一月からぼくらは芝居のけいこを始めた。民話劇『子供たちと小妖精(エー
ルフィ)たち』で、戦争が終わったらすぐにもカスティッリオーネで公演する
つもりで、ぼくがそのために書きおろしたものだ。あの日々のけいこはぼくの
少年たちにとって無上の喜びの瞬間をなしたし、思うに彼らは大人になってか
らも、自分たちの少年期のある種の象徴(エンブレム)として思い出すことだ
ろう。ニシューティは小妖精のひとりで、ぼく自身は人喰い鬼(オールコ)だ
った。しかし民話の筋立ても言っておかなければならない。なん人かの小妖精
が、父親の人喰い鬼と一緒に、森の真ん中で、追い剥ぎをして暮らしていたが
、ときたま人を喰うこともあった。いまは彼らの掘っ立て小屋の前、緞帳下の
空き地にいる。舞台に立った彼らはまちがいなしにいじわるで皮肉屋で邪悪な
役に扮するのだけれども、と同時に感じのよい少年たちであってもよい。する
とそこに歌声が聞こえてくる。子供が二人、家出をして、冒険を求めて森に入
り込んだのだ。人喰い鬼と小妖精たちは子供の声を聞きつけて、身を隠す。そ
してあの二人が野営地にさしかかったとたん、跳び出して彼らを生け捕りにし
てしまう。人喰い鬼がなにがしか悪事をはたらきにでかけているあいだ、捕虜
の番をするのは小妖精たちの役目だ。こうして戯曲の核心にぼくらは入る。「
よい」世界があることを子供たちが小妖精たちに明かして見せることに、この
戯曲の核心はあるのだけれども、はたしてどうやって? 小妖精たちに遊びを
教えることを通して。
0142考える名無しさん
垢版 |
2017/06/15(木) 19:11:42.080
小妖精たちはだんだんに子供たちの遊びにひきこまれて
いく。そしてとうとうみな一緒に逃げ出す決心をする。ちょうどそのとき子供
たちの叔父さんが折よくふいにやって来たので。だが、なんとしたことか、い
ちばん肝心なときになって人喰い鬼が帰ってきて叔父さんと決闘をはじめる。
この果たしあいは初めのうちこそ互いにお世辞と善意の抗議でしのぎを削って
いたのに、やがて公然と険悪になって、グロテスクな闘いから凄まじい闘いへ
と変化する。しかし人喰い鬼が虎、怪物、ジャッカルなどの助勢を求めてよば
わると、森からは小鳥たちのさえずりとヴァイオリンの音色が彼にこたえ、人
喰い鬼が闇と嵐を求めると、あたり一面に燦然と光がふりそそぎ、ついに絶望
しきった彼がおこがましくもその山刀に訴えると、袋のなかにあるのは山刀の
かわりにパイプだ。よいひとも改心したひとも歌いながら退場する。
0143考える名無しさん
垢版 |
2017/06/15(木) 20:21:35.700
>>141
児戯に等しい大衆演劇に逃げ込む知識人は見苦しい。
幼稚な知識人を担ぎ上げることで、自身を擁護する知識大衆はさらに醜悪だ。
0144美魔女
垢版 |
2017/06/15(木) 20:36:34.820
今日はうちのお店が赤字です😫
0145考える名無しさん
垢版 |
2017/06/15(木) 20:47:24.700
知識人が、敗北を認めて酒と女に現を抜かす時代ではないのだろう。
敗北すら認めずに、現実を離れる。
酒と女があっては、そこに敗北の現実が生まれてしまう。
0146学術
垢版 |
2017/06/16(金) 08:31:32.260
刑法 入院法が日本軍敗北の大きい要因だったろう。
0147考える名無しさん
垢版 |
2017/06/16(金) 19:55:07.320
ドゥルーズ 黒澤明を語る 1987「創造行為とは何か」より
https://youtu.be/qugxjC8Rwrg
0148考える名無しさん
垢版 |
2017/06/17(土) 23:39:06.970
>>147
ありがとう。
楽しく見せてもらった。
これがドゥルーズの理解なのかと思うと、ちょっと・・・
0150考える名無しさん
垢版 |
2017/06/25(日) 11:54:00.370
“私たちに欠如しているのは、真に一般的に言えば、《東洋》の微粒子であり、《禅》の穀粒である。”

― ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ 『ディアローグ』 (2011)
0151考える名無しさん
垢版 |
2017/06/29(木) 18:25:25.420
同意
0152考える名無しさん
垢版 |
2017/07/02(日) 22:24:15.310
財津理の思想研究 ドゥルーズ/ラカン/ハイデガー
http://zaitsu.blog137.fc2.com/blog-entry-151.html

だが、『差異と反復』全体をおよそ三年かけて改訳すると一応出版社に約束したので、これを最優先の仕事にしなければならない。
0153考える名無しさん
垢版 |
2017/07/03(月) 11:23:53.780
>>152
この翻訳者はまじめな人なんだと思うけど、主観と客体の区別がついていないところは、ドゥルーズと同じだね。

哲学者って、言葉と実体の区別がつかない人がなるのかな?
0154考える名無しさん
垢版 |
2017/07/03(月) 20:42:27.340
《ドゥルーズは、訳者の顔をまじまじと見つめながら、しわがれた低音で、「何を研究して
いるのか」と尋ねた。訳者は、「フランス現代思想を学んでおりますが、デカルト研究から
出発し、いまでもデカルト研究を続けています。したがって御著書の訳者としては必ずしも
適任ではないかもしれません」と答え、そして念のため「大学で教えています」と付け加えた。
つまり、ドゥルーズが訳者に対して抱いたかもしれない或る種の疑念を払おうとしてである。
ドゥルーズは、安心したようにうなずいて、「デカルト研究を続けるのはよいことだ。私も、
スピノザの研究者であり、ライプニッツの研究者である」と語った。この現代哲学の天才の
あまりの謙虚さに、訳者は一瞬言葉を失った。》
差異と反復 解説にかえて
0155美魔女
垢版 |
2017/07/03(月) 21:05:54.940
>>153
アスペルガーが多いよね💧
0156考える名無しさん
垢版 |
2017/07/03(月) 21:58:47.930
>>148
>>153
>>155

 何が言いたい?wいい加減な文句を並べてるんじゃない。

 根拠の出せないただの上から目線じゃないw馬鹿じゃないの?w
0157考える名無しさん
垢版 |
2017/07/03(月) 22:27:28.520
>>156
言いたいことは、書いたことそのままだよ?
いい加減だと思うのはどうして?
なんの根拠を出してほしいの?

たとえば、ドゥルーズの黒沢理解が低次元だという理由が欲しいの?
君はあれを素晴らしい黒沢理解だと思ってるの?

どこが素晴らしいのか、先にその根拠を聞きたいな。
0158考える名無しさん
垢版 |
2017/07/04(火) 01:17:25.280
>>157
 おいおいw「これがドゥルーズの理解なのかと思うと、ちょっと・・・」
という上から目線の理由を聴いてるのは俺だよ。

 あと、誰が「素晴らしい」と言ったんだよ、「素晴らしい」と俺が言いた
いのか、「良くない」と言いたいのか、どっちにせよ根拠がなきゃ意味がない
訳だ。じゃなきゃお前さんの書いたような思わせぶりとおんなじだろう。

 その思わせぶりなもの良いは何だ?

 「いい加減だと思うのはどうして?」

 だから根拠のない偉そうな思わせぶりだろうがあんたの書き方がさ。

 「AはBである」なら根拠を示せ、とただ言ってるわけだ。お前さんは
言えない。だから「いい加減」だろうがw

 早く書きなよw「これがドゥルーズの理解なのかと思うと、ちょっと・・・」
と言える理由をさ。
0159考える名無しさん
垢版 |
2017/07/04(火) 02:17:58.480
ドゥルーズの黒澤明論は空間論になっていて
シネマ1ではより詳しく溝口と対比する形になっている

ちなみにフランスの当時の映画批評業界では
溝口派と黒澤派のように派閥があったがドゥルーズが軽やかに飛び越えてみせたのは
新鮮だった

シネマ1,2が示すのはドゥルーズにとって1968年より第二次大戦の方が本質的変化として
決定的だったということ
この観点からドゥルーズはさらに小津を重要視する

こうした映画が思考のモデルを提示し得るということは、実存と本質がそれぞれ同時にあるという
サルトルを反面教師としたスピノザ理解を更新する
0160考える名無しさん
垢版 |
2017/07/04(火) 02:51:31.500
158つづき

 せっかくだからあのドゥルーズの動画の感想も書いておこう。

 黒澤映画における‘切迫した状況に直面しながら、実はより切迫した問い
を見出すそしてそれに応える’という構造がある、を見出した点。これは
また私が思うには、人間における〈状況〉と〈問い〉の深まり構造とに関わる
問題にもなる。〈状況1〉に関わる間により深い〈状況2〉に知らずに
いつの間にか直面しているまたは到達している。

 実際『生きる』に於いては主人公は癌宣告され、取り乱す。
しかし、それを忘れたいとして色んな場所へ行き、色んな人物と出会う間に、
より重要な、‘私は生きているうちに一体何を為せるのかまた何を為すべき
なのか’といういわば先駆的覚悟性の問いに入って行く。

 その意味ではドゥルーズの観方は当たっているし、良く視ている。また、
黒澤映画を語りながら、行為や出会いや出来事という表層を通した、
より深部の問いとの出会いや発見、という哲学という営為の意味にも何気に
触れている。

 そう視て行くと、興味深い指摘であり動画だと言える。

     ・・・

 きついかもしれないが、これくらいは書いてほしいね。持って回った
分かった風な言い草だけじゃなくね。
0161考える名無しさん
垢版 |
2017/07/04(火) 10:02:22.840
>>158
>上から目線の理由を聴いてる

学問にも批評にも、上からとか下からとかないよw
>>154みたいな「下から目線」は滑稽なだけ。
「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」w

>誰が「素晴らしい」と言ったんだよ

君は、ドゥルーズの発言はすべて「素晴らしい」と思ってるから絡んできたんだろ?
ファンなのか信者なのか知らないが、中身のない過大評価は現実を見失う。

>お前さんは言えない。だから「いい加減」だろうがw

言えるか言えないかもわからないのに、言えないと決めつけて、いい加減だと罵る。
まともな人間のやることじゃないと思うよ。

アスペルガーなのかな?w
0162考える名無しさん
垢版 |
2017/07/04(火) 10:07:58.160
>>159
>溝口派と黒澤派のように派閥があったがドゥルーズが軽やかに飛び越えてみせた

そう思ってるのは、ドゥルーズファンだけかもしれないよ?
僕は、「フランスの当時の映画批評業界」のことなどまったく知らないから、一般論として、だけどね。

>サルトルを反面教師としたスピノザ理解を更新する

サルトルのなにを反面教師としたと思うの?
ハイデガー的存在論の否定を反面教師にして、ハイデガー的存在論にもとづく「差異」の概念を提示したということ?
0163考える名無しさん
垢版 |
2017/07/04(火) 10:12:55.260
>>160
>きついかもしれないが、これくらいは書いてほしいね。

全然きつくはないが、書くくらいならはじめから書いてる。
君とは正反対の評価だけど。

面白い動画を紹介してくれた人への感謝として、批判は最小限にとどめたかった。
はっきり言えば、論ずるほどの価値があることが述べられていないのは、アベセデールとかいうインタビューと同じだ。
0164考える名無しさん
垢版 |
2017/07/04(火) 23:01:24.560
>>161-163

 おお、3レスに亘って書いてる、と思ったら何だいこれはw

 散々「読み方はない」と云われて、それでやっと自己の読み方を提示すると
思ったらやっぱり何もない。で、「何もないと決めつけてる」と。実際に
お前さんは書けないのだから「何もない」という他ないだろう。「そんな
ことはない」と云うんだったら自分のあの動画への読み方を書けばいいじゃ
ないかね。何故書かないのかね。要するに何も出てはこないのだろう。
ならば「何も出てはこないので書けない」というしかなかろう。知性もないし
正直さもないのかなあ。

 色々書いてはいるが自分の読み方は何もないのだね。プライドだけは
お高いが。
 
 あと私はドゥルーズをほめちぎる気など毛頭ない。むしろ批判の方がある。
だが、だからといって何もないくせにさも読めているかのような人間に
同調する気などないってことだ。

 というか、ドゥルーズは論じない、ではなく、論じれる対象などあるのか
な。そこから疑わしいなあんたの場合は。一向に自己の読書の成果は出せない
ようだが。

 「論ずるほどの価値があることが述べられていない」とか言ってるが、
で、「論ずる価値があること」は出せないのだな。いつでも同じだな。
元々感性も臭覚も思考も鈍い御人なんだろう。おまけに自己の貧困さを
上手く誤魔化すことだけ長けている。仕様もない人だ。
0165考える名無しさん
垢版 |
2017/07/05(水) 11:31:14.180
164つづき

 かなり悪口かいたがw期待したのに一向に持論をやらないのでイラついた
のだよ。あんたが悪いw

 貴方はあのDVDまで視たというのだからかなり知っているのだと思うが、
にしては感想が貧しいのだな。「論ずるほどの価値があることが述べられてい
ない」が貴方の感想なのだろう。それは例を上げればどういうセンテンスの
ことを言っているのか、そこを挙げて行けば、そして「こんなことをいうため
にわざわざ映像に残したのだろうか?こんなことは昔〜がとうに書いている」
といった指摘をしていけば、貴方なりの批評になるのだ。そういう「書く
こと」を省くと議論にさえならないよ。貴方は読書家なのだろうから
それくらい分かるだろうがね。

 それと上にも書いたが「論ずるに値する文章」とは誰のどういう作品を
云うのかも貴方は挙げていない。これも議論を避けている外見だ。
よって具体性はまったくなくただ「つまらない。価値はない」だけ。という
のはまあ馬鹿にされる理由になると思うがね。読書家らしくはないね。
ましてや哲学板のね。

 貴方の持論を期待したが肩すかしを食った人間のぼやく姿を視ていただいた
のだと思っていただきたい。
0166考える名無しさん
垢版 |
2017/07/05(水) 11:32:07.910
165つづき

 あの動画を再論すれば。黒澤の『生きる』を出してきたことは私には
相当面白かったよ。ああいう謂わば実存的な作品、ハイデガーにも通ずるよ
うな作品をあげて、映画や哲学の持つ意味にも移って行く。日常の切迫から
より次元を深めた場所に、切迫した問いに、移動することだと暗示する
ドゥルーズという変幻自在な思考人の思考の地盤をさりげなく見せてくれて
興味深かった。ドゥルーズが人間を、日常の切迫した次元から、自己の本来
的な使命、私とは誰なのか、何を為すべきなのか、というより大きな切迫さ
に気づいて行く人間に、彼なりに言及し、映画的方法や哲学の役割とも絡め
て論じていた、というのは大きな発見だったよ。
彼がそういうことを論ずることがあった、というのがね。
0167考える名無しさん
垢版 |
2017/07/05(水) 13:43:54.760
>>164
君のレスが、内容のない、ただの罵倒だということに気づこうね。

学問や批評に上からとか下からとかいう「目線」があると思うの?
なぜ、君は僕のドゥルーズ批判に絡んできたの?
なぜ、君は僕を罵倒したいの?
映画批評に派閥があると思うの?
サルトルのなにを反面教師にしてると思うの?
アベセデールのどこに論ずる価値があると思うの?

「せっかくだから」、君の書いた感想を取り上げてみるね。

>人間における〈状況〉と〈問い〉の深まり構造とに関わる問題にもなる
>‘私は生きているうちに一体何を為せるのかまた何を為すべきなのか’といういわば先駆的覚悟性の問いに入って行く

バカじゃないの、の一言で片づけてもいいんだが、「〈状況〉と〈問い〉の深まり構造とに関わる」ってなんだよw
状況が動き続けてることは、日々生活をしている人間は、みんな知ってるw
それは、君がバカにしてるサルトルの「実存」だぜ?

ハイデガーみたいな妄想とヒトラーみたいな覚悟に付き合ったって、興味深くもないし、ドゥルーズを救い上げることにもならないよ。
0168考える名無しさん
垢版 |
2017/07/05(水) 22:20:34.740
 今度はあんたが悪口かね。やれやれ。

 あんた、溝口と黒澤の関係やらサルトルやら語っているのを同じ人間だと
思ってるのかもしれんが別人だぞ。>>159とその前後の>>158>>160は別人だ。
一緒にするな。書いてる文体が全然違う。それに>>159の人は私よりも
ドゥルーズの本をよく読んでいる。私はそこまで読んでいないので身の程を
超えて語ったりはしない。よくみろ。

  「〈状況〉と〈問い〉の深まり構造」てのはたまたまそう名付けたわけ
だが、或る状況にあることで、「今事態はどうなっているのか」と自己に
問いかける。ドゥルーズのいうように、切迫した問題にぶつかっていたりす
る。
 しかし状況は動いて行き、留まるうちにそこでもっと深化した、「私とは
誰か」「人間とは誰か」という問いにぶつかっていく。これは思考する
人間が辿って行く経路としてある。ドゥルーズが語ったこともそこを連想
させる。まあ、ちんぷんかんぷんだろうが一応指摘しておく。

 サルトルの〈実存〉を馬鹿にした・・・私がどこで馬鹿にしたのか、ひとつ
教えてくれないかねえ。覚えがないんだがな。あんた、何を視たのかな。
サルトルにも批判はあるが、「バカにしてる」覚えはないが。
0169考える名無しさん
垢版 |
2017/07/05(水) 22:21:33.430
168つづき

 第一私はいまだにサルトルの生前のテキストを一生懸命に読んでいる。
『弁証法的理性批判』にせよ『家の馬鹿息子』にせよね。読むたびに
感心させられている。その鋭利な切り口にね。ただサルトルの初期の
『存在と無』には感心しない。また、サルトル自身、後年にあの時代の
自由と責任論について自己批判している。具体的には1970年インタビュー
「サルトル、サルトルを語る」また1971年インタビュー「『家の馬鹿息子』
について」で初期の自己の哲学の自由と責任について、前者では「鼻持ちな
らない」とし、後者では、「自己との共犯的ではない浄化的反省とは一生
かかってできるかどうかである。私はそういうものがありうるとは書いたが、
それができるとは書いていない」と修正している。前者は『シチュアシオン
\』(人文書院)81頁。後者は『シチュアシオン]』(人文書院)99頁に
ある。

 「ハイデガーみたいな妄想とヒトラーみたいな覚悟」てのもいかにも
生半可な情報通らしいんだな。どこまで低次元をみせつけるのかね。
この男は。ハイデガーの本など読んだことなどあるようには視えない
が。

 「ドゥルーズなぞどうでもいい。ただ何となく感想言っただけです。それで
何か問題でも?」ということなら正直に白状しなさいな。どうせそんなところ
だろう。
0170考える名無しさん
垢版 |
2017/07/06(木) 00:37:41.880
>>168
サルトル云々は>>159宛だぞ?
君であるか別人であるかに関係なく、きちんとアンカーを付けているだろ?
アンカーを付けない、小ずるい逃げの姿勢の君とは違うんだよ。

>「私とは誰か」「人間とは誰か」という問いにぶつかっていく。

なんで、そんなくだらない「問い」にぶつかるんだよw

>サルトルの〈実存〉を馬鹿にした・・・私がどこで馬鹿にしたのか、ひとつ教えてくれないか

そこはたしかに>>159と混同したな。
削除してお詫びするよ。
でも、君はサルトルについてなにかを言いたいようだから、スレ違いにならない範囲で、あらためて議論してもいいよ。

>いかにも生半可な情報通らしいんだな。どこまで低次元をみせつけるのかね。

それでは、ハイデガーについても議論をしよう。
僕は、ドゥルーズとハイデガーはまったく同じ、くだらない「存在論」者だと思ってるし、レスにもそう書いた。
君の考えを聞かせてくれ。

ドゥルーズについての僕の考えは何回か書いてきたが、僕としては、まともな反論にであったことがないと思ってる。
0172考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 06:10:29.080
>>170
>なんで、そんなくだらない「問い」にぶつかるんだよw

 「私とは誰か」「私はどこから来たのか」「人間とは何者か」という問いを
めぐって多くの思考や思想やが為されてきたのは明らかだと思うが?上記の
問いから発展し「社会とは何か」「善悪とは何か」「人間はどこへ向かうべき
なのか」
という問いへも向かう。

 なのでこれが「下らない」となるとその人間は思想的問題とはそもそも無縁
ではないかと思うが?
0173考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 06:12:25.960
172つづき

>ドゥルーズとハイデガーはまったく同じ、くだらない「存在論」者だと
>思ってる

 ドゥルーズてのは人間が如何なる意味で如何なる時間的射程で歴史的である
か、如何なる存在者が覆蔵されているか、まったく指摘も論及もないまま人間
から狼男への変身を言い始める。
いきなり生成変化を言い始める。結局そこでは共感や震撼や陶酔や熱狂やあら
ゆる移し置きやが分子レベルでの変化に変換されて、それが
遂には「狼男」への変身だと定義される。〈アレンジメント〉というのが重要
な概念だが、如何なる〈アレンジメント〉であろうが、即座に人間が「狼男」
に変身する〈アレンジメント〉があるとは私には思えない。

 そういうところでドゥルーズにはキテレツ本扱いされる要素があるし文学扱
いされる要素がある。
0174考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 06:13:58.480
173つづき

 ハイデガーには人間が如何なる意味で歴史的であるか、緻密に論じてみせて
いる。初期の『Sein und Zeit』も『現象学の根本諸問題』でもそう。だから
人間に於いてはまだどういう存在者が覆蔵されているのか、未明さや未開或い
は人間以前が残ることが言えるし、そもそも理性・悟性を逃れて行く力動があ
るのだということも言える。そしてその論考はドゥルーズのキテレツさを免れ
ている。

 以上のようにドゥルーズとハイデガーの間には重要な違いがある。またその
違いに無頓着ならそもそもどっちも読めてはいないということになる。
0175考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 07:19:46.82
ハイデガーには人間が如何なる意味で歴史的であるか、実存と歴史との
密接な関係について、緻密に論じてみせている。初期の『Sein und Zeit』も
『現象学の根本諸問題』でもそう。だから
人間に於いてはまだどういう存在者が覆蔵されているのか、未明さや未開或い
は人間以前が残ることが言えるし、そもそも理性・悟性を逃れて行く力動があ
るのだということも言える。そしてその論考はドゥルーズのキテレツさを免れ
ている。

 以上のようにドゥルーズとハイデガーの間には存在論として重要な違いがあ
る。またその違いに無頓着ならそもそもどっちも読めてはいないということに
なる。
0176考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 07:20:31.29
>ドゥルーズとハイデガーはまったく同じ、くだらない「存在論」者だと
>思ってる

 ドゥルーズてのは人間が如何なる意味で如何なる時間的射程で歴史的である
か、如何なる存在者が覆蔵されているか、まったく指摘も論及もないまま人間
から狼男への変身を言い始める。いきなり生成変化を言い始める。結局そこで
は共感や震撼や陶酔や熱狂やあらゆる移し置きやが分子レベルでの変化に変換
されて、それが遂には「狼男」への変身だと定義される。〈アレンジメント〉
というのが重要な概念だが、如何なる〈アレンジメント〉であろうが、即座に
人間が「狼男」に変身する〈アレンジメント〉があるとは私には思えない。

そういうところでドゥルーズにはキテレツ本扱いされる要素があるし文学扱
いされる要素がある。
0177考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 07:21:07.84
>>170
>なんで、そんなくだらない「問い」にぶつかるんだよw

 「私とは誰か」「私はどこから来たのか」「人間とは何者か」という問いを
めぐって多くの思考や思想やが為されてきたのは明らかだと思うが?上記の
問いから発展し「社会とは何か」「善悪とは何か」「人間はどこへ向かうべ
きなのか」 という問いへも向かう。

 なのでこれが「下らない」となるとその人間は思想的問題とはそもそも無
縁ではないかと思うが?
0179学術
垢版 |
2017/07/16(日) 09:15:22.930
嘔吐の発作を気にも留めないようで気にしているロカンタン

完璧な瞬間がないといったアニー。

なかば、違和感の中で過ごし昔の恋人に会って恋人の言葉を語らう。

中年になって昔の恋人と再会するなんてことありえないけどさあ。

ドゥルーズについては後期。
0180考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 11:43:27.590
>>172
> 「私とは誰か」「私はどこから来たのか」「人間とは何者か」という問い

「私とは誰か」=「私」と表現している時点で「私」という特定ができている。
「誰か」と問うこと自体が間違い。

「私はどこから来たのか」=「どこ」というのが、たとえば場所であるか歴史であるかの概念が足りない。
「どこ」という言葉を限定なく使うことが間違い。

「人間とは何者か」=「人間」というのが、たとえば自然としてであるか精神的な面であるかすら限定できていない。
「人間」という概念を無限定に使うことが間違い。

すべて、問い自体の間違いだということ。
だから、「くだらな過ぎる問い」だ。
0181考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 11:45:26.390
>>172 つづき
>「社会とは何か」「善悪とは何か」「人間はどこへ向かうべきなのか」という問いへも向かう

これは普通の「問い」だし多くの人が解明を試みている「問い」だが、「私」云々とはまったく関係がない。
言葉や概念も整理する必要がある。

「社会とは何か」=漠然とした「社会」ではなく、たとえば市民社会であるとか国家であるとか家族であるとかいう、社会のどの側面から考える必要がある。
なぜ個人は社会に押さえつけられてしまうのだろう、という「問い」は、普通の人が日常的に疑問を持っているところだ。

「善悪とは何か」=善悪というのは、たとえば個人の価値観による場合もあれば共同体としての価値観による場合もある。
その価値観の根拠を解明するという意味での「問い」が普通の人の「問い」だし、日常的に問われ続けていることだ。

「人間はどこへ向かうべきなのか」=歴史としての人間の方向性を明確に提示して見せたのは、ヘーゲルとマルクスだ。
ドゥルーズも、晩年にはマルクスの方向を探ろうとしたようだが、時間が足りなかった。

こちらの「問い」は、くだらなくはないが、概念を規定していない分だけ、極めて薄まった「問い」となっている。
日常的な一般市民の問いかけの方がずっと高級だ。
0182考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 12:10:11.420
>>173
君も、ドゥルーズは「くだらない存在論者」だという見かたに賛同している、と受け止めていいのかな?

>>174
ハイデガーが『存在と時間』で、「存在」という概念を捻くりだして空中分解したことは認めないのか?
『現象学の根本諸問題』は、スコラ哲学のただのおさらいだろう。

>未明さや未開或いは人間以前が残ることが言えるし、そもそも理性・悟性を逃れて行く力動があるのだということも言える

そんなことは一般市民が日常的に言っている。
「魔が差す」という言葉を言い替えているに過ぎない。

そんな理解で、「ドゥルーズとハイデガーの間には重要な違いがある」などと言い切っているのか?
ナチスを礼賛したのも、ナチスの標的であるユダヤ人の教え子を愛人にしたのも、「魔が差した」だけなのか?
戦後のハイデガーの言い訳では、そうとしか思えないんだが。

僕がハイデガー読めているかいないかは別として、君の理解だと、ハイデガーは人生論者になってしまうと思うが、それでいいのかな?
ハイデガーにしろドゥルーズにしろ、たしかに、つまるところは人生論であるといえなくはなさそうだが。
0183考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 12:27:41.240
>>180
>「私とは誰か」=「私」と表現している時点で「私」という特定ができている。
>「誰か」と問うこと自体が間違い。

 この問いの場合、「誰」というのは何処から来たどういう存在者なのか、
という問いを表している。「私」とは「私」に決まってはいるが、それが一体
何処から来た何者なのか、という局面になると何ら鮮明ではない。そう言う意味
での「誰なのか」なのだ。哲学が問題にする場合、「私」とはどこから来たか、
どこへ向かうべきなのか、が問題になる。「私」とは誰か、は「私」の
現在と過去と未来また共同体における個をも表す。「誰」という一語で
そこまで表している。すなわち一言で「私」と言ってもそこまで不鮮明な
存在者であるということだ。

>「人間とは何者か」=「人間」というのが、たとえば自然としてであるか
>精神的な面であるかすら限定できていない。
>「人間」という概念を無限定に使うことが間違い。

 この場合でも貴兄が書く自然・精神・歴史・社会という全ての意味で哲学は
問題にする。その、あらゆる意味での問いが「人間」だと言っている。
実際に解剖して行く場合に初めて個別な領域に分けるという作業が必要に
なる。だが、ひとますは「人間」が問題で足りる。
0184考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 12:29:04.950
183つづき

 この話の発端は黒澤映画を論じるドゥルーズにある。そこで「状況と
問いの深まり合い」を彼が論じた。そして私はそれは哲学的問いだとした。
日常の出来事の切迫さに追われている人間が我に返り、もっと深度のある
問いに入って行く。それが「私」とは誰か「人間」とは何者かだと。

 この文脈で言ったまでであり、その意味では私の解答は至極尤もと言える。
貴方はこの文脈で出てきた問いだということを思い出さなくてはならない。

 よって文脈を綺麗に忘れた貴方が「この問いは曖昧である」と言っている
だけ である。最初から私はただ黒澤映画を解説したドゥルーズの後を追った
だけである。

 だが、その抽象的な問いから、様々な哲学的な問いは生まれた。よって
何ら無意味な問いでもないということだ。元々の問いとは私が出したような
「私」とは「人間」とは。なのだから。あとは貴方なりが具体的な分野に
取り出 して論ずればよいのだ。
0185考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 12:37:51.740
>>183
>「誰」というのは何処から来たどういう存在者なのか

自分が生まれ育った遺伝と環境に決まってるだろ?
それ以外にはない。
「私とは誰か」というのは、昔流行った「自分探し」みたいな、自分の好きなことはなんだろう、という問いの方がまだ具体性がある。

>自然・精神・歴史・社会という全ての意味で哲学は問題にする

すべて、というのは混同することでも一般として抽象することでもない。
まして、はじめに「人間」があるわけでもない。
「人間」というのは、自然として、あるいはその状況でしか「人間」ではない。

ハイデガーの「世界-内-存在」というのも、それを提示したものだぞ?
0186考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 12:42:31.620
>>181
>「社会とは何か」「善悪とは何か」「人間はどこへ向かうべきなのか」という
>問いへも向かう
>これは普通の「問い」だし多くの人が解明を試みている「問い」だが、「私」
>云々とはまったく関係がない。

 「私」という一語には私にとっての私、貴方に取っての私、社会にとって
の私、国家における私、とが集約されている。「私」にはそれだけの私が
集約される。よって社会や国家とも関係はある。貴方にはそれが分からない
らしい。
 また貴方の不思議なのは、「私と社会とは関係ない」としながら
「社会のどの側面をいうのか」と今度は関係があるかのよう言う。訳が分か
らないではないかw

 私の言い方はマルクスや吉本によっている。上部構造や下部構造という
言い方に拠っている。吉本にすれば国家・社会・家族とはひとまず別個に
論ずるものだ。また、彼らも亦「私」と社会・国家が無関係なぞ
言いはしない。むしろ密接な関係があるというだろう。なんで貴方は
そう知ったかぶりし、それで見当はずれなことばかり言うのかね。
0187考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 12:42:38.140
>>184
>元々の問いとは私が出したような「私」とは「人間」とは。なのだから。

違うよ。
自分はどうすれば幸福になれるか、自分を妨げるものはどうすれば排除できるのか、という価値への問いから始まるんだよ。

「私」だの「人間」だのというのを「問い」にするのは、言葉を現実から遊離させて妄想の世界に遊んでいるだけ。
0188考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 12:53:53.260
>>186
>「私」にはそれだけの私が集約される

それは集約ではなく、言葉だけに頼った混同だ。
君に欠けているのは、言葉と現実の結びつきへの理解だ。

>「私と社会とは関係ない」としながら

そんなことはどこにも書いてない。
悪意の曲解でなければ、君の読解力不足の問題だ。
自分で相手の言葉を曲解して、それをもとに「知ったかぶりし、それで見当はずれなことばかり言う」のはやめた方がいい。

マルクスや吉本について議論をしたいなら、それぞれのスレでいくらでも相手をしてあげる。
0189考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 13:07:00.560
>>182
>ハイデガーが『存在と時間』で、「存在」という概念を捻くりだして空中分解
>したことは認めないのか?

 「空中分解」の意味が分からないが。雲散霧消させたというなら誤りだな。
彼はseinについて、〈存在する〉について、太古から問題にされたその問いを
復活させることを言明し、『Sein und Zeit』では改めて〈存在する〉に
籠められている時間・歴史・自然・個体における生存、を浮き彫りにさせた
のだ。よって解剖して見せる作業によって現代に於いて、〈存在〉問題は
人間とは切り離せない問題であることを論証してみせたのだ。

 本当に『Sein und Zeit』を読んだのなら浅いにもほどがあるな。

>未明さや未開或いは人間以前が残ることが言えるし、そもそも理性・悟性を
>逃れて行く力動があるのだということも言える
>そんなことは一般市民が日常的に言っている。
>「魔が差す」という言葉を言い替えているに過ぎない。

 「魔が差す」くらいで済めばいいんだが。ことが殺傷事件ということ、そ
れも動機不明な殺傷ともなると、「魔が差す」くらいでは収まりはつかない
し、一般人は特にネットの住人などは「死刑にしろ」と騒ぎだす。ハイデガー
がいうSeynとか、そういった、現代人を不安に陥れ、常識を無化し、絶望に
落とすような精神を指している。しかし、人間における歴史の深淵は、一体
どういう存在者を覆蔵させているのかは分からない。そこであれらの動機
不明な殺傷事件に照明が当てられていく。ハイデガーの射程というのは
そういう未開・人間以前と現在とを線で結んでみせている。それだから
彼は自分で、Seynは人間を絶望させるという。しかし、それはただ
「短絡的に思索する」或いは「決して本来的には思索しない」故の「絶望」
だとする。
0190考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 13:16:30.390
>>182
>そんな理解で、「ドゥルーズとハイデガーの間には重要な違いがある」などと
>言い切っているのか?

 先に書いたように両者には歴史にたいし、歴史と存在について、論証の
有無がある。この違いは他方をトンデモ本とし、他方を20世紀最大の哲学書
ともする重大なものだ。
 
 貴方はその違いはとんと読めてはいない。読めないから上のような
一緒くたが出てくる。あの言い方は読めなかったことの証明だよ。

>僕がハイデガー読めているかいないかは別として、君の理解だと、ハイデガ
>ーは人生論者になってしまうと思うが、それでいいのかな?

 本人の繰り返すようにただseinをめぐる論考をし続けたのがハイデガー
だね。彼の「存在論」ではよく言われるように繋辞としての〈ある〉が絶えず
視界に入ってくる。繋辞の分析というのは人生論ではないからね。
0191考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 13:35:31.680
>>189
>雲散霧消させたというなら誤りだ

空中分解というのは、「雲散霧消」ではないよ。
まとまりがつかなくなって(結論を導けなくなって)、「存在」概念が宙に浮いてしまったということだよ。
君には、日本語の読解力が欠けている。

>〈存在する〉に籠められている時間・歴史・自然・個体における生存、を浮き彫りにさせた

なにが浮き彫りになっているというのだろう?
浮き彫りというのは、具体的な内容を提示して、それぞれの関係を説明することだ。
ハイデガーに浮き彫りにされた具体性など皆無だ。

>動機不明な殺傷ともなると、「魔が差す」くらいでは収まりはつかない
>一般人は特にネットの住人などは「死刑にしろ」と騒ぎだす

ただの人間心理の問題だよw
個的であろうと群衆的であろうと、心理の問題だ。
「存在」などという無意味な抽象概念を持ち出しても、なにも解決しないし、「魔が差す」以上の理解もできない。

>現代人を不安に陥れ、常識を無化し、絶望に落とすような精神
>ハイデガーの射程というのはそういう未開・人間以前と現在とを線で結んでみせている

そんなことはとっくに、フロイトが極めて的確に極めてわかりやすく説明している。
哲学的には、マルクスの提示した人間と自然との融合かつ排他的なありかたの問題ともいえる。

そもそも、人間が絶望するのもしないのも、個人の主観(心理ありかた)に過ぎない。
そんな主観を「存在」などという、くだらない抽象概念と結びつけようとしても、空中分解するのはあたりまえだ。
0192考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 13:36:15.420
>>188
>「私と社会とは関係ない」としながら
>そんなことはどこにも書いてない。
>悪意の曲解でなければ、君の読解力不足の問題だ。

 ちょっと待ちなよw君、自分が書いたこと忘れたのか。こう書いただろう。

>>181
>「「私」とは誰か」「「私」とは何処から来たのか」「人間とは何者か」
>という問いは(>>172
>「社会とは何か」「善悪とは何か」「人間はどこへ向かうべきなのか」と
>いう問いへも向かう
>これは普通の「問い」だし多くの人が解明を試みている「問い」だが、
>「私」云々とはまったく関係がない。言葉や概念も整理する必要がある。

 貴方は「社会とは何か」等々の問いは「私」云々とはまったく関係が
ない、と明言しているではないか。誤魔化してはいかんよ。きっちり貴方は
「私」云々の問いと「社会」云々とは「まったく関係がない」と>>181
言っちゃってるのだから。これ以上どこを「読解」するのw何が
「見当はずれ」なのよw

 自分が言ったことを慌てて言ってないかのようにするなどどういう詭弁
論理学ですか。
0193考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 13:44:11.200
>>190
>20世紀最大の哲学書

そんな出版社のキャッチフレーズを信じてるのかよw
なんておめでたいんだろう?
フーコーが20世紀はドゥルーズの時代だ、とかいう帯書きを書いたのと同じことだ。

ドゥルーズにも歴史はないが、ハイデガーにも歴史などない。

>繋辞としての〈ある〉が絶えず視界に入ってくる。繋辞の分析というのは人生論ではない

たしかにそれなら人生論ではないが、君の理解は人生論そのものだ。

一般に、繋辞というのは、現実との結びつきがあって、はじめて意味のある論理になる。
言葉だけの繋がりでは論理にはなっても、現実とは無縁だ。

君は、一度でもいいから、きちんとハイデガーとナチスの関係、ハイデガーの愛人問題を検討してみるべきだ。
0194考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 13:47:08.820
>>192
「私」云々というのは、「私」とは誰か「私」とは何処から来たのかという「問い」のことだぞ?
君は、云々、という言葉の意味が分からずに、まさか「でんでん」と読んだわけでもあるまい?
だから、君の日本語理解を危ぶんでいるのだ。
0195考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 13:57:08.490
>>191
>浮き彫りというのは、具体的な内容を提示して、それぞれの関係を説明する
>ことだ。

 別に具体的ではなくとも概念で言えれば問題はない。ハイデガーの歴史観
では種子はそこに埋没しながらたえず発芽する機会を伺う。その種子とは
歴史的に継承されたものである。で、それは必ずしも人間的なものとは
限らない。また近代的なものとは限らない。

 この歴史観は吉本にも通ずるものである。『心的現象論』をめぐる論考
にある。吉本の場合は解剖学の成果を引用し、人間精神に魚類や爬虫類や
鳥類の精神が覆蔵されている可能性を暗示してみせている。これはハイデガー
よりは具体的だが、概念でみればまったく同じことを言っているとも言える。

 具体性などなくとも用語を注意深く読みこめば視えるものがある。目が悪け
れば何も視えない。

>まとまりがつかなくなって(結論を導けなくなって)、「存在」概念が宙に
>浮いてしまったということだよ。

 まったくseinをめぐる論は抽象的ではないがね。そもそも〈〜である〉
〈〜がある〉という文法の分析からきたものであって、そこでの〈ある〉
に籠められた時間・歴史・自然を基としていったのがハイデガーだからね。

 一体何を読んでいたのか。こっちが不審になるほどの眼の悪さだが。
0196考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 14:06:03.360
>>194
>「私」云々というのは、「私」とは誰か「私」とは何処から来たのかという
>「問い」のことだぞ?

 おいおい君、それなら尚更社会や国家やと関係あるじゃないかね。
〈私〉がたった1人で生活できるのではない限り、社会や国家が付随してい
く。そこで〈私〉を考えることは社会や国家を考えることと同義にもなる。
全然〈私〉とは誰か〈私〉は何処から来たか、人間とは何者かは社会や国家
と無関係ではない。何故ならば社会は〈私〉が生まれる前から存在し、
国家も同じである。〈私〉の生誕や生存に密接な関係があるに決まっている。

 君は本当に人間について考えたことがあるのかねえw
0197考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 14:10:18.430
>>195
>別に具体的ではなくとも概念で言えれば問題はない

それを浮き彫りとは言わない。
浮き彫りというのは、具体的な事象と関係づけるか、多方面からの関係を説明できているときに使う。
これも日本語の問題だ。

>種子はそこに埋没しながらたえず発芽する機会を伺う

種子は機会を伺ったりはしないw
環境条件が発芽に適した時に発芽するだけだ。

>人間精神に魚類や爬虫類や鳥類の精神が覆蔵されている可能性を暗示してみせている

それはフロイトの受け売りでもある。
かつては、フロイトの決定論ともいうべき進化概念を否定していた吉本だが、母型論あたりから、フロイトの決定論を信奉するようになった。

>〈ある〉に籠められた時間・歴史・自然を基としていったのがハイデガー

どこに「歴史・自然」があるのか例示して見せてくれ。
0198考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 14:27:10.020
>>193
>ドゥルーズにも歴史はないが、ハイデガーにも歴史などない

 歴史てのを一体何だと思っているのかな。そこが言われないしそこで
一方的に「歴史がない」と云われてもね。

 歴史てのは史実や史料に当たり時代を区分することばかりではないんだぜ。
その手の事実学だけが歴史だとするならハイデガーにはないが、だが人間
が如何にして自己の内部に経歴を刷り込ませ、その経歴から何かが萌芽する、
そういう構造を唱えたという意味では歴史を論じているし、一個の人間に
おける歴史の意味を突き詰めたということも亦言える。

 史実としての歴史はないが、個体と歴史の関係が突き詰められている。
そこが読めないならまあ終わりだな。関係ないからとっとと消えればいい。

 それと繋辞てのは現実との関係があろうがなかろうが個体における
判断や認識やを表すことを主眼とする。そこで〈ある〉が表出されていく。
現実との関係がなければ意味がないなど誰が言ってるのかね。繋辞は
自己にとってまず意味を為すそして対象を、それは他人には視えようが
視えなかろうが措定する。その措定こそが〈ある〉だとも言える。

 こういうことを言われなきゃ分からないのだからお前さんの読書も
大したことはないのではないのかね。
0199考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 14:29:55.870
>>196
>〈私〉を考えることは社会や国家を考えることと同義にもなる

言葉の詐欺だなw

僕は、「私」とは誰か、「私」とは何処から来たのか、などという「問い」が言葉として無意味だと説明した。
それに対して、「私」の概念をいきなり普通の社会や国家などと結びつける。

社会や国家を考えるときに、私は誰? ここはどこ? みたいな自分探しと混同してどうするんだよw

>君は本当に人間について考えたことがあるのかねえw

人間について考える、などという言葉に意味がないことが、まだわからないのかw
人間と自然の関係、人間の共同性の問題、個としての人間と社会の関係の問題、等々、人間の問題というのは、具体的な状況の問題だ。
0200学術
垢版 |
2017/07/16(日) 14:30:23.280
フロイトにしろジルドゥルーズの資本主義と分裂病にしろ救いはなかったんだよ。
時代はね。今や見てみるがいい、世界にこんなにもの自由が。

過去の地球を救え。
0201学術
垢版 |
2017/07/16(日) 14:32:15.980
ハイデカーは大学職だし見たくないものを多く見たのだろうさ。
0202考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 14:37:35.780
>>198
>史実としての歴史はないが、個体と歴史の関係が突き詰められている

どこがどう突き詰められているのか、具体的に提示しろと言っている。
たしかに、「それができないならまあ終わりだ」。
消えるのも残るのも君の自由だがw

>繋辞てのは現実との関係があろうがなかろうが個体における判断や認識やを表すことを主眼とする

「個体における判断や認識」が現実と反すれば、その論理は間違いだということだ。
豆腐は石でできている、というのは言葉の繋がりとしては正しくても、事実に反しているから間違いなのだ。
それは言葉の定義の問題でもある。

「こういうことまで言われても分からない」君は、どういう読書のしかたをしているんだろう?w
0204学術
垢版 |
2017/07/16(日) 14:40:17.990
自の他動性の中に私という概念の萌芽が見て取れるかもしれないなあ。
0205考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 14:44:31.130
>>197
>〈存在する〉に籠められている時間・歴史・自然・個体における生存、を浮き
>彫りにさせた
>なにが浮き彫りになっているというのだろう?
>浮き彫りというのは、具体的な内容を提示して、それぞれの関係を説明する
>ことだ。

 どうもどうでもいいような枝葉末節に関わっているようで無意味だね。
人間が経歴に拘束され、それと渡り合い、乗り越えむとしながら
生きるしかない。また、自己の内部にはAを選ぶことは不誠実であり
Bを選ぶことは誠実であるという価値が、誰に言われた訳でもないのに
存在する。それらは皆、自己と歴史性(生誕や経歴)が作りだすもので、
自己が生長してから手を出しても変更できないものがある。これらを
〈ある〉の問題としてサルトルやハイデガーが出した。で、前者と後者は
違いはあるが、個体と経歴という一点でそれぞれ展開した。個体と経歴
てのは時間や歴史また自然(刷り込みの強さ)の問題でもある。

 ここまで言われたらそこで具体的な個人の諸々が例証として浮かび上がる
のは当然な話である。「浮き彫り」というならそういうことでもいい。

 しかし、私が書いたようなことも全然脳裏には浮かばないのだから、
お前さんは多分ハイデガーは読んでも無なんだろうな。多分これからも
無駄だろう。
 
 本てのは書き手がどういう事態を言いたがっているのか、察知する
力が必要だが、お前さんにはないんだな。なので見当はずれな話ばかり
出てくる。私の話は別に変わった話ではないしハイデガーでもきっちり
読んでれば分かるものばかりだと思うが。不思議だな。このずれ方は。
ほんと疲れるだけの男だ。
0206学術
垢版 |
2017/07/16(日) 14:50:03.280
浮き彫りというより、人生でそれらにたまった表象、深層的意味を考えてほしい。

歴史などあてにならぬよ。血統史の方が貴重だ。サラブレッドしかり。
0207考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 14:59:00.150
>>205
>〈ある〉の問題としてサルトルやハイデガーが出した

サルトルは「存在」一般なるものを認めてない。
具体的なものを離れての「存在」はない、と論証したのが『存在と無』だ。

>私が書いたようなこと

君が書いたようなことは、普通の人が誰でも感じて思っていること。
だから、君が書いているのは人生論に過ぎないと指摘している。
なにも言ったことにはならないし、わかるとかわからないとかいうほどのことではないということ。

その辺にいる教訓爺さんとまったく同じだ。
0208考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 15:31:30.640
>>202
>史実としての歴史はないが、個体と歴史の関係が突き詰められている
>どこがどう突き詰められているのか、具体的に提示しろと言っている。
>たしかに、「それができないならまあ終わりだ」。

 〈有は既有的に将来する〉という命題が出てはこないで他人に
聴いてくるとはね。こういうところはあの思想の肝であるはずだが。
何ら掴めては居なかったのかね。

 個体には自己には知られないまま覆蔵された経歴があり、その経歴は
生長するにつれて、または何らかの契機に促されて、思いもかけないように
表出されていく。それは当人からすると、主観的な抑制を飛び越えてやって
くる本来的な自己であると映現する。自己はその〈ある〉が自己のこれまでの
理性的自己とかけ離れたものであったり、打ち消そうとするがここで良心は
逆に本当の自己から何故目を逸らすと呼び掛ける。これが本来性や良心
の力動だと言って良い。人間はその本来性の奪取に賭けて行く。

>「個体における判断や認識」が現実と反すれば、その論理は間違いだと
>いうことだ。豆腐は石でできている、というのは言葉の繋がりとしては
>正しくても、事実に反しているから間違いなのだ。

 「豆腐は石でできている」てのは触れば正誤は分かるので良い例ではないね
。それでいうならば、「この豆腐を視ていると昔みた自殺した人間の脳を
思い出す」と言って豆腐が食べられなくなった、などの例がいいだろう。
自分の中にある映像がある豆腐と自殺者の飛散した脳を直結させて、食べられ
なくしてしまった。「この豆腐は脳に似ている」が彼に豆腐を食べられなく
した。

 豆腐が脳なわけがないのだが、論理や常識で納得しても彼には食べられ
ない。〈ある〉は論理の正誤を越えて個体を拘束するってことだ。
0209考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 15:35:21.490
タカタの社長の母方の祖父は、戦後、米国から紙幣印刷技術を導入して日銀券を
印刷していた凸版印刷の山田三郎太

タカタを買収した中国資本の企業KSSのCEOの父親は南満州鉄道勤務
>Key Safety CEO Jason Luo
>His father spoke fluent Japanese and worked on the Japan-owned South Manchuria Railway.

安倍首相の祖父、岸信介は満州国総務庁次長

なんかいろいろと因縁を感じてしまいますね。
0210考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 15:46:38.430
>>208
>個体には自己には知られないまま・・・思いもかけないように表出されていく

あたりまえだw
ただし、それは固定的に「覆蔵」されたされたものではなく、常に状況とのゲシュタルトとして表われる。

>これが本来性や良心の力動

本来性だの良心だのというのは、個々の状況によっても時代の変遷によってもまったく異なる。
固定的な「本来性」だの「良心」だのというものがあるわけではない。

>触れば正誤は分かるので良い例ではない

「触る」ということはすでに現実との照合を意味している。
現実を失った「繋辞」が無意味であることの証明になる。

>「この豆腐は脳に似ている」が彼に豆腐を食べられなくした
>〈ある〉は論理の正誤を越えて個体を拘束する

それは、〈ある〉の問題ではなく、ただ個人の心理の問題。
だから君の書いていることは人生論だと指摘している。
0211考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 16:49:19.240
>>207
>サルトルは「存在」一般なるものを認めてない。
>具体的なものを離れての「存在」はない、と論証したのが『存在と無』だ。

 『存在と無』というのは後年、そこでの反省作用の全能や、自由と責任
の論理に就いて、第二次大戦中に対独運動におけるレジスタンスを英雄視
したいたことが、影響を与えている。そこで、この世界に賛成するのか、
反対するのか、という視点を籠め過ぎていたと回想している。社会において
は対独運動時代のような、絶対的悪は視えない。そういった単純な二分法
が戦後なくなったことから戦後は始まったとしている。ジャン・ジュネ
を書いたのも、人間が他者から受けた、他者が作り上げた規定や疎外を、
それを受けながらその条件付けから自己を乗り越え、作り上げて行く
ことを書きたかった。

 なので『存在と無』を辿ると、どこまでも選択主義、人間は自己を選ぶ、
意識主義であり、それは一般性に人間を落としこむのではないかと視えます
けどね。そーんなものかね、というね、気が付いたらやっちゃってること、
或いはどう人に説明されても自分は変えられないことだってあろうじゃない
のとね。そこではハイデガーの方がリアルな人間に近い。サルトルの哲学
は意識偏重じゃないかと視えますけどね。
0212考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 16:55:39.860
211つづき

 で、ハイデガーが存在一般を語ったかというと、たしかにそこを問題には
したが、書かれているのは没-交渉的な本来性や決意性であり『Sein und Zeit』
ではそこから動いては居ない。なのでナチス加担でもってあの思想を裁断して
はその全体はまた『存在と時間』は視えない。何故ならそこでは単独的存在
こそが問題になっているからだとなる。

 あれを語る際に実際に講義やテキストを読まずにただに政治的履歴だけで
裁断すると、いつでも失敗するだろうということはそこから言える。
0213考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 17:11:05.810
>>210
>本来性だの良心だのというのは、個々の状況によっても時代の変遷によっても
>まったく異なる。固定的な「本来性」だの「良心」だのというものがあるわけ
>ではない。

 あんたさ、ハイデガー用語で書いてるんだからそういう脈絡で読まれないと
困るんだな。あなたが上に引用する本来性やら良心やら、もろハイデガー用語
なわけだ。あんた、そこは読めないのか。ならこの対話は労力が多すぎる。
本来性も良心もハイデガー思想では没-交渉的すなわち他人から視れば
理解不可能なものだ。あんたが言ってるような文句は全然『存在と時間』など
知らない人間のいう文句なんだ。ちょっと失望させられたな。ここまで
読んでないとは思わなかったね。それでハイデガーなぞで私と論争する気
だったのか。何であんたにいちいち用語を解説しながら論争しなきゃ
ならんのだw

 『存在と時間』くらい読みこんで身に付けてから私に挑んで来いよ。
お前さんにいちいち解説する義理などないんだからさ。
0214考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 17:18:25.610
>>211
>ハイデガーの方がリアルな人間に近い。サルトルの哲学は意識偏重じゃないかと視えます

どう見るのも自由だが、サルトルは『存在と無』で、ハイデガーの「存在」概念を否定して、具体的なものを離れての「存在」はない、と論証したことに変わりはない。

>書かれているのは没-交渉的な本来性や決意性

固定的な「本来性」だの「決意性」だのというものを語っても、まるで意味がない。
人間は、状況とのゲシュタルト(構造、関係)としてしか存在できないのだから。

>いつでも失敗するだろう

政治的な履歴や実際の言動を無視して、講義やテキストを読んだところで、現実を肯定するだけのことだ。
君は自分が、ハイデガーの「本来性」や「決意性」が、ナチスや愛人にあると書いていることに気が付かなければいけない。
0215考える名無しさん
垢版 |
2017/07/16(日) 17:30:44.990
>>213
>もろハイデガー用語なわけだ
>他人から視れば理解不可能なもの

そんな言葉の使い方には、意味がないと指摘している。
理解不可能なら、君にも理解できていないのだ。
君自身が理解していないことの表白としてなら、君の言葉を受け止めてもいいw

まともな解釈なら、ハイデガーの「哲学」に価値はなく、ただの言葉の遊びだ。
君の解釈では、どこにでもいる教訓爺さんの人生訓だ。

どちらにしても、たしかに論じるほどの意味があるわけではない。
君は、自分に「挑まれる」ほどの能力があると自認しているようだが、それが自己を尊大化する誇大妄想から来るのでなければ幸いだ。
0216考える名無しさん
垢版 |
2017/07/18(火) 01:49:19.020
>>215
 何何w自分が理解できないものは、意味がない、というまた自己正当化かね。
そういう輩のいうことは大体おんなじだ。バカだねえ。

 「理解不可能なもの」というのも没-交渉性としての本来性のことだが、
当然そのレベルでは私にだってお前さんにだって誰にだって理解には限界が
できてしまう。だからこそ没-交渉性なわけだが。「理解不可能」というのを
「頑張っても理解できない」のだから「理解できなかった」ことは駄目なこと
だとか、負性とかマイナス要因だとか思ってんのかねこの男は。ていうか、
「理解できない」ことは負であり「理解できない」ことはその知性や理解の
劣性を表すとかまた歪めてるのかね。どこまで頓珍漢な大馬鹿なんだろうか
。この男にはバカの果てはないのかな。途轍もないなこりゃw

 単独性・有限性・世界というのは1930年ハイデガー講義のタイトルなん
だが、それらの先に言われていた概念として没-交渉性なんだが。愛読者
にはなんら難しくはない概念だし『存在と時間』の重要語だ。読んでも
分からなかった男には何一つ掴めなかったのかね。ひどいなしかし。
悲惨というか。

 で、それで「言葉の遊び」?そういう文句てのはハイデガー読んでも
何も視えなかった読み手がいつも言う言葉だよ。お前さんみたいにね。
「分かりませんでした」と正直に良いな。もういい加減に。無理するな。
お前さんには無理だったのだ。
0217考える名無しさん
垢版 |
2017/07/18(火) 04:17:11.920
 「ハイデガー読めず」で有名なA氏に合わせているとどんどん下らない
いちゃもんとか決めつけやらでうんざりしてくるので、A氏の決めつけを
使ってこちらで勝手に考えることにする。

 「ハイデガー読めず」で有名なA氏は>>210で、私が想定した「自殺して
脳髄を飛散させた遺体を視て以来、豆腐が食えなくなった」というのは
「個人の心理の問題」よって「人生論」だとする。

 心理学或いは精神分析学とハイデガー存在論というのは結構面白い問題
である。というのもハイデガー存在論には心や精神やがどこから人間に
訪れるかとか、或いは精神病をどう捉えるか、と関わってくる面があると
思えるからだ。そして実際ハイデガー思想に惹かれた人間にはメダルト・ボス
やビンスワンガーのように精神科医や精神医学の研究家がいるというのも
よく知られた話である。メダルト・ボスはハイデガーを随分長い間スイスに
ある自己の精神科医サークルのセミナーに招待し、講演をしてもらい、
列席する精神科医や臨床心理学者からの質疑応答に答えてもらったりしてい
る。その長年の記録が『ツォリコーン・セミナー』になっていることも知ら
れている。
0218考える名無しさん
垢版 |
2017/07/18(火) 04:26:42.050
217つづき

 その『ツォリコーン・セミナー』では心理学批判が為されている。
心理学は非-物体的な何かを承認するが、同時にそれを物体的な対象化の
方法によって規定する。伝統は、実体性という存在性格や、対象化と
物象化以外は知らない。伝統の圧力のもとで心理学の諸理論が発生した
のである。

 『存在と時間』の成果というのは、生誕以前からの経歴の堆積とその萌芽
として、現存在すなわち存在の開けを捉え、現存在が生長しながら自己の
未明の可能性に気づいて行き、応答していくことを本来性の奪取としたこと
にある。
 そこでは人間は《既有的に将来する》のであって、しかも未明な可能性
としてである。

 先の例で言えば、経歴の堆積として世界を形成するが、しかしまた
未明な自己の萌芽としてはその世界は刷新され変更されていく可能性も
絶えず残っている。そこで人格にたいする心理学的な実体的・物象的規定は
不十分ということになる。
0219考える名無しさん
垢版 |
2017/07/18(火) 08:20:41.370
「…、ひと〔ハイデガー〕が、異なるものを取り集めているとみなされる《同じ》もの
〔自体〕の深さを、自己に等しいものとしての《同一的な》ものの平板さに、専門用語
を用いてただ対立させるだけでよいとしているかぎり、わたしたちにはとうてい、《差
異》の哲学は十分に確立されているとは思えない。というのも、差異を含む《同じ》も
のと、差異を自己の外に放置する同一的なものとは、たしかに多くの仕方で対立させら
れることが可能だが、しかしそれらはやはり、いつでも表象=再現前化の原理であるこ
とに変わりはないからである。それらは、無限な表象=再現前化と有限な表象=再現前
化との口論を活気づけるぐらいが関の山である。本当の区別は、〔ハイデガーのように〕
同一的なものと同じもののあいだにあるわけではない。第一のものとして様々な資格で
定立されるがゆえに、ここではほとんど重要性をもたない、同一的なもの、同じもの、
あるいは似ているもの――と、第二の力=累乗(ピュイサンス)〔2乗〕として説明され、そ
れだけにますます強力であり、またそのとき差異のまわりを回りながら、それ自身における
差異について言われる、同一的なもの、同じもの、あるいは似ているもの――のあいだに、
本当の区別がある。そのとき、すべてが実際に変わるのだ。《同じ》ものが、永久に脱
中心化されながら、実際に差異のまわりを回るのは、その同じもの自身が、《存在》の
全体を引き受けつつ、ひたすら見せかけ(シミュラクル)たちに、しかも「存在者」の全体
を引き受ける見せかけたち(シミュラクル)に適用されるときだけである。」
結論 差異と反復 文庫版下342~3頁
0220考える名無しさん
垢版 |
2017/07/18(火) 09:18:24.950
どうせ複利金利の話とかなんだろ?
0221考える名無しさん
垢版 |
2017/07/18(火) 09:27:33.000
で、ドゥルーズは、《同じ》であるとは、どういうことだと言っているのですか?
0222考える名無しさん
垢版 |
2017/07/18(火) 12:32:28.680
>>216
>自分が理解できないものは、意味がない、というまた自己正当化かね。
>そういう輩のいうことは大体おんなじだ。バカだねえ。

他人のことを見下すことでしか、自分の存在価値を認められないのかな?
周囲から評価を得られない、気の毒な人なんだろうな。

ま、そんなことはどうでもいいけど、相変わらず君は、とんでもない読み違いをしてる。
僕が理解できないから意味がない、などとはどこにも書いてないし、ハイデガーを理解できないなどと思ったこともない。
僕の理解が正当であるか不当であるかとは別の話だ。

ハイデガーを「理解できない」と書いたのは、君自身だw
マイナスであろうとプラスであろうと、君が理解できないものに、君にとっての意味があるわけもない。

努力がいつかは実を結ぶ(理解できる)、などというのは、教訓爺さんの人生訓以外のなにものでもなく、根拠もない戯言だ。
無駄な努力は無駄を拡大するだけだ。
無駄の〈累乗〉になるかどうかは知らない。

実を結ぶ(理解できる)かどうかは、適切な読解と適切な批判によるのだ。
複数の話題を出すと、君は混乱してしまうようだから、まず、この点(僕が理解できないと書いたのではなく君が理解できないと書いたこと)を確認してから、他の雑多な話題にレスすることにするよ。
0223考える名無しさん
垢版 |
2017/07/19(水) 02:53:51.450
《7[一五六]
 私の哲学は逆転したプラトン主義。真に存在するものから遠ざかれば遠ざかるほど、
より純粋に、より美しく、より良くなってゆく。仮象のうちなる生が目的。
1870年末−1871年4月》
(ニーチェ「遺された断想」『ニーチェ全集』第1期第1巻白水社267頁より)

【読書メモ】ハイデッガー「形而上学の超克」 要約
http://42286268.at.webry.info/201411/article_3.html
ハイデッガー「形而上学の超克」1936年-46年(『技術への問い』平凡社、2009年、所収)

《 九 〔「形而上学の超克」をどのように考えるべきか〕
ニーチェは「形而上学の超克」を目指したが、そこでは「超克」されるべき「形而上学」は
プラトン主義〔=感性によってとらえられるものを、感性を超えたものが支配しているという
考え方〕に限定されていた。
したがってニーチェの「形而上学の超克」は、プラトン主義のたんなる逆転にすぎず、じつは
形而上学の枠内のものでしかない。
本当は、「形而上学の超克」は、存在忘却〔=「存在」の真理を忘れてしまっていること〕の
原初的耐え忍びの前兆として考えられるべきである。》

http://deleuze.web.fc2.com/DR-1.html
《現代哲学の責務は「プラトン哲学の転倒」として定義された。ところが、
プラトン哲学の転倒には、数多くのプラトン哲学の特徴が保存されている
のであって、これは、たんに避けることができないというだけでなく、望
ましい事態でもある。》(ドゥルーズ『差異と反復』邦訳単行本p102)

《プラトニズムの転倒とは、シミュラークルを上昇させ、イコンもしくは
コピーのあいだでのその権利を確認することである。》『意味の論理学』付論1より
0224考える名無しさん
垢版 |
2017/07/19(水) 15:10:10.480
>>217
>ハイデガー存在論には心や精神やがどこから人間に訪れるかとか、或いは精神病をどう捉えるか、と関わってくる面がある

それが、世界-内-存在。
ただ、ハイデガーの世界というのは、存在一般という架空で内実のない世界だ。

ヘーゲルもフォイエルバッハも、もちろんマルクスも、あたりまえのこととして世界は前提されてる。
その世界というのは、まさに、そこにある実在であり関係だ。
そして、その関係の分析の結果が、弁証法であり、唯物論だ。

世界のあり方としての心理的な分析は、フォイエルバッハが具体的で詳細なので一読を勧める。
0225考える名無しさん
垢版 |
2017/07/19(水) 15:14:03.260
>>218
>生誕以前からの経歴の堆積とその萌芽として、現存在すなわち存在の開けを捉え

それを普通は歴史という。
もちろんその歴史には文化の変遷を含む。
「既有的に将来」だの「未明な可能性」だのと神秘めかしても、それはただ人間も社会も歴史の中で生まれてくると言っているだけのことだ。
0226考える名無しさん
垢版 |
2017/07/20(木) 01:07:52.400
>>221

 同じというのは、「差異」「変化すること」について言われる。なぜなら、変化することが必然であるのである。
つまり「変化」以外在り得ないので、「変化すること」=「同じこと」、「異なる」ことが、永遠であるとすれば、

異なることこそ、永遠に変わらない(永遠である)。。異なることこそしかないので、異なるこそ「永遠」であり、異なることは
永遠に変わらない。故に異なる=永遠=同一、である。・・例えば、

・・地球が出来る、山と海ができる、生物が生まれる、動物が生まれる、哺乳類が生まれる、人間が生まれる
人間というやつらが「思考する」、人間が滅ぶ、ゴキブリが生き残る、地球が太陽に飲み込まれる、地球が無くなる、

これが、同じものの永遠回帰である。同じものは「異なること」について言われている。異なるものは永遠に来るので
ある。「戻る」=「異なる」、「回帰=異なる存在の到来」、こういうj表現の仕方は、同一性を前提とする思考の方向を

前提した上での観念の使い方である。・・・。同じは差異を前提としている。本物のエビフライと、ショウウィンドウのエビフライが

「すっごい似てる、そっくり」・・というとき、人は差異を言っている。「そっくり」は差異の表現である。
0228名無しさん
垢版 |
2017/08/20(日) 21:29:11.290
アンチオイディプスを図書館で借りようとして
少し立ち読みして借りるの止めたわ
「シュレーバー控訴院長は肛門を太陽光線で
かがやかせる」
この行を読んだら萎えたわ
背景はある程度わかってるつもりだけどさ
一般人が読むには敷居が斜めに高いというか
こんなものインテリの肩書きがない人間が
読んだって危険なだけだと思うわ
ずいぶん前に精神分裂患者の手記とか読んだことあるんだが、確かに統合失調症の患者は
こういうどうしようもない支離滅裂なことを
口走るわけ。それをどう前向きに捉えて
思想として昇華できてるかといえば、これは
非常に無責任に疑わしい。
0229考える名無しさん
垢版 |
2017/08/31(木) 00:40:39.300
「存在の空孔から「神」のものでもないような意味を生産させること。ドゥルーズは、それが現在ということであり、現在の仕事だと語りかけている。」
意味の論理学 (法政大学出版局) - 著者:ジル・ドゥルーズ - 吉本隆明による書評
https://allreviews.jp/review/981
0230考える名無しさん
垢版 |
2017/08/31(木) 01:51:40.850
統合失調症の患者は少しでも「普通」になって
社会に出て行きたい人が大多数なんじゃないかな?
哲学者と哲学かぶれの精神科医の思想の世界の住人として
輝きたい訳じゃないと思うよ。
0231考える名無しさん
垢版 |
2017/08/31(木) 02:53:26.320
どうしても統合失調症にしたい人がいるらしい。
0232学術
垢版 |
2017/08/31(木) 06:29:15.420
意味不明なことではなくて何か意味がある高尚なジョークなんだと思うよ。
病気は関係ないかな。
0233考える名無しさん
垢版 |
2017/08/31(木) 11:44:33.710
それはないな。ただ悪口がいいたいんだけれど、身バレしたから間接的にいいたいだけ。そういうところだよ。
0234考える名無しさん
垢版 |
2017/08/31(木) 11:46:56.590
まぁ分かりやすすぎて間接的でもないんだけれど。
0235考える名無しさん
垢版 |
2017/08/31(木) 11:52:39.780
動物占いはあからさますぎてやめた。そんなところかな。
0236考える名無しさん
垢版 |
2017/08/31(木) 11:52:40.370
動物占いはあからさますぎてやめた。そんなところかな。
0237考える名無しさん
垢版 |
2017/09/06(水) 22:05:53.900
ベルクソン『物質と記憶』を診断する 単行本 – 2017/10/30
平井靖史 (編集), 藤田尚志 (編集), 安孫子信 (編集)
単行本 ¥ 3,780
拡張ベルクソン主義宣言! 第二弾

時代にあまりに先駆けて世に出たがゆえに難解書とされてきた『物質と記憶』を、隣接諸領域の最新成果と接続しつつ現代的に読み解く野心的試み。そのさらなる展開!
0238考える名無しさん
垢版 |
2017/09/06(水) 22:06:46.050
目 次

序論 平井靖史

第1部 読解の諸問題

潜在性とその虚像――ベルクソン『物質と記憶』における潜在性概念……村山達也
『物質と記憶』と形而上学の直観的再興――純粋理性の第四誤謬推論と第一・第二アンチノミー……カミーユ・リキエ(天野恵美理訳)
《コラム》「永いあいだ客として遇されてきた異邦人」――リキエによるベルクソン的カント主義解釈をめぐって……藤田尚志
ベルクソンの未来――『物質と記憶』における場所の論理・超図式論・憑在論……藤田尚志
過去は何故そのまま保存されるのか――『物質と記憶』の記述の多層性について……檜垣立哉
《コラム》記憶力の二形態……村山達也

第2部 心と時間

ベルクソンにおける在ること・夢見ること・見ること……バリー・デイントン(木山裕登訳)
《コラム》いかにして記憶は感覚を生み出すのか――形相からの質料の「発出」……清水将吾
〈時間的に拡張された心〉における完了相の働き――ベルクソンの汎質論と現象的イメージ……平井靖史
《コラム》心の出現――散逸構造と持続……永野拓也
0239考える名無しさん
垢版 |
2017/09/06(水) 22:07:09.330
第3部 科学との接続

『物質と記憶』と深層学習……デイヴィッド・クレプス(齋藤俊太訳)
空間的神経表象から時間的圧縮過程へ……太田宏之
《コラム》直接実在論と神経上の時間圧縮についてのベルクソンの議論――デイントン教授と太田教授へのコメント……マイケル・R・ケリー(山根秀介訳)
記憶力と脳――ベルクソンの誤り……ジャン=リュック・プチ(原健一+田村康貴訳)
ベルクソンの第一の記憶を理解する試み――フロイトの記憶論と知覚失認(精神盲)の自験例を導きの糸として……兼本浩祐
《コラム》エーデルマンとフロイト、そしてベルクソン……三宅岳史

第4部 芸術・道徳への展開

『物質と記憶』を診断する――ベルクソンと脳・時間・記憶の諸問題……ユリア・ポドロガ(持地秀紀訳)
《コラム》芸術の現在と時間の隘路……増田靖彦
生への注意――『物質と記憶』における道徳性の進化……マイケル・R・ケリー(山根秀介訳)

人名索引・事項索引
0240考える名無しさん
垢版 |
2017/09/20(水) 14:24:22.070
カフカ〈新訳〉: マイナー文学のために (叢書・ウニベルシタス) 単行本 – 2017/10/27
ジル・ドゥルーズ (著), フェリックス・ガタリ (著), 宇野 邦一 (翻訳)
単行本 ¥ 2,916
内容紹介
世紀の名著『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』の間に刊行された、すさまじい思考の生気が、新訳で蘇る!
ただ不条理を内向させるのではなく、あくまで闘うカフカ、書きながら、奇妙な戦いを続けたカフカ、悲劇ではなく喜劇、否定ではなく肯定、超越ではなく内在……。
〈マイナー文学〉として、カフカ自身の書いたテクストを〈名作〉の囲いから引きずりだす。〈政治〉の定義を再考し、生々しく蠕動する〈過程〉そのものとして読み直す。

登録情報
単行本: 216ページ
出版社: 法政大学出版局 (2017/10/27)
言語: 日本語
ISBN-10: 4588010689
ISBN-13: 978-4588010682
発売日: 2017/10/27
0241考える名無しさん
垢版 |
2017/09/25(月) 20:57:08.870
2017年11月15日発行予定

知性改善論・短論文

知性改善論・短論文
[著者] スピノザ [訳者] 佐藤一郎
A5判 タテ210mm×ヨコ148mm/560頁 定価 (本体7,800円+税) ISBN 978-4-622-08348-1 C1010
0242考える名無しさん
垢版 |
2017/10/04(水) 20:48:31.300
デリダの「声と現象」はドゥルーズの「差異と反復」のパクリじゃねえか。
0243考える名無しさん
垢版 |
2017/10/04(水) 22:34:26.710
あ、本当だ。まちがえてた。

デリダ「声と現象」1967
ドゥルーズ「差異と反復」1968だ。
0244考える名無しさん
垢版 |
2017/10/04(水) 22:53:48.950
ドゥルーズ、つまんね。
ドゥルーズが監視社会を書いたってのはどの本。それ読むから教えて。
0245考える名無しさん
垢版 |
2017/10/04(水) 23:09:12.370
ドゥルーズとかフーコーとか、その他大勢の忘れられていく哲学者の一人なんだろうね。

もちろん、デリダもだが。
0246考える名無しさん
垢版 |
2017/10/05(木) 00:58:59.220
「差異と反復」 ドゥルーズ
313位/349作品。翻訳小説SF以外。
イデアの内部に差異があるとしているのでくだらない言説である。
ディオニソスや永劫回帰がニーチェの哲学で重要だとは思わない。駄本であろう。
0250考える名無しさん
垢版 |
2017/10/05(木) 12:35:48.170
坂本竜馬がドゥルーズを評し、「大きく叩けば大きく響き、 小さく叩けば小さく響く」と言ったのは、
礼記の影響なのではないか。
0251考える名無しさん
垢版 |
2017/10/05(木) 16:18:38.610
>>248 イデアでできた人間を倒すにはどうしたらいいですか?
0256考える名無しさん
垢版 |
2017/10/07(土) 17:11:13.230

 次はCで やや広いテ一マです
何だい?
 "教養(Culture)"です
ふむいいだろう


私は教養もなく 知識人でもない
つまり知識のス卜ックを持っていない
それで何の問題もない、
私が死ぬ時、何か貯め込んでないかを探しても無駄だ
私は貯め込まない
知識を蓄えておくようなことはしない
特定の仕事のために私は学ぶが 学んだすベては、
仕事が終われば忘れる
だから10年経った頃に似たような主題をまた再開せざるをえなくなると
一からやり直しだ
いくつか例外はある
スピノザは私の核心部にあるから忘れない
0257考える名無しさん
垢版 |
2017/10/07(土) 17:28:58.020
>>256
たしかに、ドゥルーズって教養ないよな。

マルクスもフロイトもろくに読んでないんだから。
0258考える名無しさん
垢版 |
2017/10/07(土) 17:30:28.480
>>255
答えになってないよ?

聞いて欲しいことがあるのかないのか聞いてるんだから。
0259ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/10/07(土) 18:12:30.86
少し適当なレスになるがご容赦を

>>257
マルクスwwwフロイトwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いらねええええええええええwwwwwwwwwwwwwwwwwww
哲学者じゃなくて初学者なら必須だろうがジルさんには不要だは

>>258
何を答えるかも何が答えられるかも私が決めると言ってるんだが?
私が答えられるのは私が答えられる範囲にあることだけだし何が聞きたいのかと私が聞いてるのだから
そもそも質問に質問で返すんじゃねえよダボが
0260考える名無しさん
垢版 |
2017/10/07(土) 18:17:39.690
>>259
なんだ、ただの妄想君か。

君みたいなファンに付き纏われるドゥルーズが、かわいそうになってくるw
0263学術
垢版 |
2017/10/07(土) 18:41:25.390
汁 度流素。
0264底辺
垢版 |
2017/10/08(日) 05:35:01.750
>>263
学術(о´∀`о)ぷぴぴ。゚(゚´ω`゚)゚。
0266名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:42:16.930
『ダーク・ドゥルーズ』 アンドリュー・カルプ (2016)

ドゥルーズは喜びと肯定の哲学ではなく憎しみと破壊の哲学だ。
暗黒のドゥルーズを召喚して世界の破壊を共謀する最も危険な哲学の誕生。
ドゥルージアン4人による応答を併載。
0267名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:42:37.290
“ジャック・デリダの「解体」哲学、ドルーズ=ガタリの「リゾーム」理論に代表される
 現代ヨーロッパの前衛的思想フロントは、明らかにアンチコスモス的である。

 コスモスへの反逆、「ロゴス中心主義」的存在秩序の解体。
 西洋思想のこのアンチコスモス的動向が提起する存在論的、意識論的問題群にたいして、
 東洋哲学はどのような対応を示すであろうか。”

― 井筒俊彦 「コスモスとアンチコスモス」 (1989)
0268名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:42:54.260
井筒は悪い意味で言っているのではないがね
0269名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:43:09.400
ドゥルーズとガタリの両方をやらないと、ドゥルーズ=ガタリの理解は深まらない
0270名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:43:27.620
フェリックス・ガタリ 『人はなぜ記号に従属するのか』 杉村昌昭訳 (2014)

訳者あとがき
「ガタリはドゥルーズ/ガタリの一部だったのではなくて、ドゥルーズ/ガタリがガタリの一部だった」
0271名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:43:55.920
非シニフィアン(A-signifiant)

“非シニフィアン的記号論。
 これはシニフィアンの記号学とは区別されなければならない。
 ここで問題となるのは要するにポスト・シニフィアン的記号論である。
 非シニフィアンの記号論というのは、たとえば意味作用を生産する使命をおびていない
 数学的記号の機械とか、科学的、音楽的、芸術的といったような類の技術−記号的複合体とか、
 あるいはまた分析的な革命機械といったもののことであるといってよい。”

その他、非記号論的コード化、発生論的コード化、意味形成の記号学、前シニフィアン的記号学

― ドゥルーズ/ガタリ 『政治と精神分析』 (1994)
0272名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:44:12.370
非シニフィアン的記号論の例に挙げられるのは
・音楽のエクリチュール
・数学のコーパス
・情報科学やロボット工学のシンタックス
など

(ガタリ 『闘走機械』 (1996))
0273名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:44:33.080
この辺りからポストポスト構造主義は始まっていた
0274名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:46:40.260
>>1
次スレから「ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ」両方の名前を入れてはどうかな?
0275名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 18:48:02.570
【カオス】フェリックス・ガタリ【モーズ】
https://academy3.5ch.net/test/read.cgi/philo/1100232911/

昔はガタリスレもあったみたいだが、なくなってしまった。
ドゥルーズとガタリの知名度の差だろう。
0278ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/10/24(火) 16:36:32.28
>>276
構造主義ってのはソシュール的な理解では、所属している構造に着目した自己言及型の判断のことを意味する。
要するに自分が所属している立場から、自分に関する言及を始めて、自分の判断を相対的に客観化していくわけ。

例えば僕たちが日本人であることを踏まえて、
「海外のスターの人たちにとって裕福さとはとるに足らないことなのです」
などと語る時にそこに構造主義的な考えが潜んでいるわけです。

とある物事を把握する時に、
物事の関係性、ドゥルーズとデリダなどというものの、純粋な差異を抽出することから
明らかにしていこうとするのが構造主義なわけです。
0279考える名無しさん
垢版 |
2017/10/24(火) 16:40:47.020
>>278
明快な説明ありがとう。

でも、それだと人には人の数だけ環境があるって言ってるだけみたいだけど?
0280ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/10/24(火) 16:52:53.41
それは現代社会論みたいな話で

個人が所属する最小単位は家族から始まり、居住する地域から、国家、そして国際的社会へと広がっていく
人間は個別にみれば延々と分化可能なようで例えば、所得などという単純な切り口によって社会的階層が決まってしまう
血統と言う抗えない環境を見ても民族という「構造」は存在しているし、言語体系で考えても同じような状況がある

要するにどのように分化させても、必ず集合し所属している「構造」は価値的に存在し得るとは通常的に考えられる
0281ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/10/24(火) 17:01:24.22
たぶんだがソシュールは言語の二重あるいは三重構造のその先にあるような、
社会を記述する時の立ち位置からなる自己と他者の二重構造、三重構造みたいなものが、
言語的な表現として構造というか立体的と言うか、機序があるシステムとしてとらえられたのだろうネ

もっと分かりやすく言えば、私が他者を語るのは神目線なのか私目線なのか、
他者を語る私が他者目線の私になっているのか、とかそういうことに興味があったはずで
そこから自分の立ち位置を常に客観化することが常日頃のテーゼだったように思える

実際はどうなのか、
ソシュールを晩餐冠に読んでカントあたりに司会をさせて、
ヘーゲルにボケさせながら聞いてみたいね…(笑)
0282考える名無しさん
垢版 |
2017/10/24(火) 17:04:38.970
>>278
ポスト構造主義やポストポスト構造主義はどうなるの?
0283ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/10/24(火) 17:16:11.38
>>282
ポスト構造主義、ポストポストなんたらってのは要するにポストモダン現象の一つで
ジルさんはむかし追いかけていたものだけど今となれば青春のファンタジーみたいな甘酸っぱい思い出みたいなものかな

非常に簡明に端的に説明すれば「真理」なる「真理」からこの世界の秩序を取り戻そう、みたいな衝動のことだべよw

「真理」はある「真理」を構築していると捉えるのが構造主義的な考えだが、
それを批判的に継承すると「真理」は「真理」によってしか記述できないから
絶対なる「真理」をまずは打ち建てて「真理」なる「真理」の「真理」なるしん…
と続けていくことで真理が審理されればいいかなというギャグですわ
0284学術
垢版 |
2017/10/24(火) 17:50:47.850
ポストhyper complex ポンド handi cap構造主義的か。

真理ツキ。
0285考える名無しさん
垢版 |
2017/10/25(水) 10:25:53.990
>>280
その「構造」の在り方を考えるのが哲学だろ?

>>281
どこに目線を置いても自分の目線だなんて、デカルトで終わった話じゃないの?
0286考える名無しさん
垢版 |
2017/10/25(水) 10:28:35.780
>>283
「ポストモダン現象」は「世界の秩序を取り戻そう」ってことなの?
違うんじゃないの?
0287ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/10/31(火) 09:31:09.29
>>286
失われた近代に対するルサンチマンというのが私のポストモダン現象の理解です
その意味で、世界の秩序を取り戻す的な、中二病的な衝動は、ポストモダンを言い表すのにピタリだと思った次第
ポモについては詳しくはググったほうが良いでしょう

>>285
ソシュール的な理解の構造性を考えるのは哲学よりも社会学というか社会科学の領域になると思います
0288考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 09:35:21.460
社会学は文学や経済学を切り捨てることでジャンルを確立した
ドゥルーズはそれらの成果を取り入れた上で構造主義の静的な欠点を突破し
動的かつ離散的な認識を手に入れた
日本では土台となる構造主義、言い換えれば近代主義が確立していないので
その意義が理解されにくい
0289考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 12:56:03.700
>>287
「ルサンチマン」と「世界の秩序」じゃ、ずいぶん違うね。
石を食べたら身体が大きくなる、と言ってるようなもの。
念のため言っとくと、僕は君にポストモダンについての一般論を聞いてるんじゃなくて、君の理解を聞いてる。

同様に、君の「ソシュール的な理解の構造性」だとか、「社会科学の領域」だとかいう曖昧な言葉の具体的な内容の理解も聞いておきたい。
0290考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 12:59:57.470
>>288
ドゥルーズは「文学や経済学」のどんな成果を取り入れたと思うの?

君にとっては「構造主義」と「近代主義」はイコールなの?

>日本では土台となる構造主義、言い換えれば近代主義が確立していない

君の理解を具体的に説明してみて。
0292ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/10/31(火) 13:12:14.70
一応可哀想すぎるほど理解力のないものへの補足だが、
世界の秩序への回帰がルサンチマン的だと言ってるわけで
世界秩序がすなわちルサンチマンであるわけではない

むかしは良かった思い出に浸りながらそこへと戻ろうとする動き、
これが世界の秩序を取り戻そうとする衝動と述べてるわけで
そこに回帰することがルサンチマンなわけ

そしてポモってのはそういうしみったれた近代への回帰現象でしかないってのが私の捉え方
もっと高尚で納得のいくポモ論があるなら聞いてみたいが、まぁ土台無理な話ではあろう
0293考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 13:28:16.340
>>291-292
自分が理解してないのを、他人のせいにしないでねw

「世界の秩序を取り戻そうとする衝動」が「ルサンチマン」?
俺様定義なのか、言葉の無知なのか・・・

学生さんが背伸びしてるのかな?
0295考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 16:52:07.400
Putsch Démonってとってつけたような名前だよな
トランプ大統領と似たり寄ったりの命名のセンス

Jan Eikelboom‏@janeikelboom
Typisch gevalletje van Nomen est Omen: De naam van de Catalaanse leider wordt uitgesproken als Putsch-Demon.
0297考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 18:33:32.470
これで本当にベルギーに亡命したらお笑いにしかならない
0298考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 18:36:00.810
21世紀は、20世紀にいろいろとやってみせたことのネタばれをお笑いとして反復してみせる世紀となるのか?
0299考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 18:46:13.440
フランスは、文化政策には力を入れてきたけど、ジャーナリズムはないに等しいんだよね。
日本はお話にならないけど、フランスの週刊誌とかもチラシ・レベルでしょ。ドイツの
ジャーナリズムは、意識的に教科書的ではあるけれども、自己批評があるから、まだ
救いがある。それが作り手の意図どおりに機能しているわけではなく、裏読みを助けて
くれるということではあるけれど。

Jan Böhmermann: Porträt vom "Neo Magazin"-Moderator - SPIEGEL ...
www.spiegel.de › Kultur › TV › Fernsehen
2013/12/31 - Jan Böhmermann war eine der interessantesten Personen im Medienjahr 2013.
Erst wurde der ... das Fernsehen zu retten? Böse könnte man sagen: Böhmermann ist so etwas
wie der Hofnarr für Menschen in den Medien.
0300考える名無しさん
垢版 |
2017/10/31(火) 23:13:05.800
>>287
どこにそんな話がある?

ポストモダンwiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3
ポストモダン(英: Postmodern)とは、「モダニズム(近代主義)がその成立の条件を失った(と思われた)時代のこと。
ポストモダニズム (Postmodernism) とは、そのような時代を背景として成立した、モダニズムを批判する文化上の運動のこと。
0301考える名無しさん
垢版 |
2017/11/01(水) 18:55:35.770
文學界2017年12月号
▼松本卓也「健康としての狂気とは何か―ドゥルーズ試論」
0302考える名無しさん
垢版 |
2017/11/02(木) 20:51:27.220
>>301
内容とはなんの関係もないけど、松本卓也という人の経歴をwikiで見たら、主任教授だれそれに師事、と書いてあった。
本人が提出した経歴書かどうかわからないけど、精神医学や哲学で師事とか出てくると、つい笑っちゃうね。
やっぱり、日本で学問は無理だな、と。
0303考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 11:02:26.200
>>302
 まあ、「師事」自体をどうこう言う気はないんだが。「師事」しながら批判を持つということも
違う方向に行き、顰蹙を買うということも、あるわけだから。
たとえばフッサールとハイデッガーの関係のようにあるわけだから。フッサールは『存在と時間』
について、認めていなかったらしいから。

 しかし学者の世界を垣間見たことがあるが、名刺交換やら上下関係、サラリーマン社会
みたいに見えるところもある。文学・哲学ではぎりぎりまで行くと反社会的なところまで包括する
しかないこともある。だが学者の世界ではそういう見識は無理だなと思うし、保守的だから、
小難しい言葉で誤魔化すようになるのがオチだと思いますね。

 バタイユにせよハイデッガーにせよ、D=Gにせよ。反社会的な要素を持っている。
酒鬼薔薇聖斗に通ずるような公共性・人間性からの逸脱の哲学がある。酒鬼薔薇は
犯行声明で「私を透明な存在にした学校社会への怨み」と良い、ハイデッガー存在論を
彷彿とさせる過激な言葉を書いている。

 また、バタイユでいう供儀 sacrifice 、禁止 interdit と侵犯 transgression とも関係が深い。それ
らによって人間は主体的な個体性を破壊し、存在の非連続性から脱離し、連続性に
移行する。これと酒鬼薔薇聖斗の事件との関係について私はバタイユ研究者
に訊いたことがあるが、その研究者は巧く誤魔化すことしかしなかった。

 酒鬼薔薇はブログでは上半身人間・下半身サソリに自己を見たて、画像まで掲載している。
ペニスがエイリアンの頭になっている画像も。完全にD=Gでいう生成変化の願望だと思うが。

 彼は現代思想愛好者にとっては刺激的な素材を多く提供している。だが学者はおろか
ただの愛好家でさえ言及することはない。
 結局過激なことを思想的言辞を用いて言ってはいても、いざ実際にそれを現実化する
人間が登場すると、即座に関係ないを装って行く。バタイユやらハイデッガーやらD=Gやらの
愛読者とは内実は社会道徳を重んじるな教養人であり、いざとなると無関係を装う仕様もない
輩がほとんどだ。じゃあD=Gなんか論じるのは辞めたらどうかと言いたくなる。
0304考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 11:22:01.590
>>303
バタイユとかハイデッガーとかD=Gとかは、実社会での反社会的な行動は皆無じゃないのかな?
あまり知らないから、断定する気はないけど。

ハイデガーは反社会的どころか、完全に社会に順応したから、大学の学長になったんじゃないの?
前学長が反社会的な姿勢をかたくなに守ったから、罷免されてハイデガーが選ばれた。
0306ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/11/03(金) 11:49:36.83
未だにゴミ本のハイデガーの名前を出してくるとか
連続性に関してならベルクソンだし、アンリ・ベルクソンもまともに読んでないんだろうな
という浅学を感じざるを得ないわけで
0307考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 13:37:06.420
>>394
 いや、本家は本気ですよ。彼らは理性や合理性や道徳モラルでがんじがらめ
になり、身動き取れなくなった世界を変えようとしていたのだから。

 バタイユは戦前、無頭人という結社をクロソウスキー、カイヨワ、アンドレ・
マッソンらと作り、集会では動物を殺傷する儀式を執り行っていたと言われている
。会報も出しており、頭部がなく、右手に火を吹く心臓、左手に剣、腹部は切り裂
かれて内臓が視えている、そういう絵をマッソンが描いていた。

 人間にも同じことをやる予定があったとされている。
0308考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 13:46:57.880
>>307
それが事実なら、バタイユって、ただの妄想癖のバカじゃないかw
社会が変わる根拠なんか、完全にゼロなんだから。
人間にやってたら、猟奇殺人だね。

ハイデガーとD=Gは?
0310考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 13:50:44.440
307続き

 無頭人の表紙 アンドレ・マッソンによる
https://pbs.twimg.com/media/DA0bXBlUMAAqTI7.jpg

 それからハイデッガーは1930年代前半ナチスに期待し、加担した後、徐々に自分の思って
いた思想とは食い違っていることに気づいて行く。人間を合理的に改良し、淘汰し、世界の
主人とし、審美的に製作するという思想であることに気づいて行った。また、計画的に自然を
搾取し、人間にその役割を負わせ、できない者は淘汰していく集-立の一種としてアメリカニ
ズムや共産主義とも同類であることに気づいて行く。
 その後、逸脱し没落する、存在喪失の中で神と突発的に交感し、拒絶を開蔵する超-存在
を追究するようになり生前未公開の覚書に書き始める。

 フーコーもまた、バタイユにおける侵犯行為の概念を称揚している。フーコーはガリマール
から出たバタイユ全集の序言まで引き受けている

 先入観で片付けず、色々読んでみた方が良い。
0311考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 13:55:41.640
>>310
D=Gはいうまでもなくだけど、結局ハイデガーも、他人頼みでなにもしなかったということ?

フーコーはサービス精神旺盛だから、帯でも序言でも誉めまくるだろw
監獄闘争とかもバカみたいだし。

いろいろ読むにしても、もう少しまともな人の本を読みたいな。
0312考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 13:59:08.270
310続き

 ちなみに何故無頭人かといえば、頭部のない人間でなければ合理性と計画性でがんじがらめ
になった社会を変えることはできないという発想らしい。

 バタイユは中国の処刑である百刻みの刑の写真が好きで愛好していた。これは罪人の
死刑の方法で、アヘンをかがせ、無感覚にした上で磔にし、公衆の面前で手や足をのこ
ぎりで切って行く、あるいは腹部や胸の肉を切り取って行くというものだ。↓

http://1.bp.blogspot.com/_-M5PyYHH2kk/SQHMXrpj0pI/AAAAAAAAAws/cfGZZbwfNrg/w1200-h630-p-k-no-nu/fou.jpg

 ちなみに生前の三島由紀夫はバタイユを、「西欧で一人だけあげるとしたらバタイユです
ね」と死の一週間前のインタビューで語っている。
0313考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 14:06:20.370
>>312
ただの残虐趣味じゃないw
少なくとも、なにかをした、ことにはならないよ。
口だけでなにもしなかった、というのが、バタイユ、ハイデッガー、D=Gの共通するところってこと?
0314考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 14:11:45.180
>>309
>単なる自閉症児的なヒステリーによる防衛機構

 それは何?wあんたはD=Gなど止めていんちき精神医学でも論じてなさいな。その方が
向いてる。

>>311
 酒鬼薔薇のようなことを誰でもやれるわけではない。やれば一生棒に振るわけだから。

 だがああいった行為の意味を真価を、TVコメンテーターのデマゴギーに任せず、書いて行く
ことは思想にしかできない。もっとも彼らの思想に触れても、それと酒鬼薔薇とどういう関係が
あるのか一向に視えないとしたらどうしようもないわけだが。

>>311
>まともな人

 「まともな人」を標榜する人間などろくなものじゃなかろうにw変態標榜の方がまだ救いがある
ぞw
0315考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 14:22:04.740
>>314
Dは精神医学者ですらないけど、Gは「いんちき精神医学」者じゃないの?

酒鬼薔薇のような行為の意味に「真価」なんかあるの?
異常者の幼稚な残酷趣味だと思うけど?
たとえば3人の「思想」と「酒鬼薔薇とどういう関係があるの」?

「まともな人」を標榜する人がそういるとは思えないけど、他者からはまともに見える人は多いよ?
「変態標榜」のどこに「救い」があるの?
0316考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 14:34:05.600
>>313

 何何?w結局行為したら残虐行為で、やらなければ「口だけ」ってwただ悪口言いたい
だけかw一体どっちが良いのだね。

 残虐行為であってもそこに人間にたいする研讃と知が重なっているならば、それはただの
残虐行為ではない。バタイユは人間における禁止と侵犯の関係について延々と書いており、
ガリマールから全集として出ている。読めば禁止を破る瞬間というのが理性的個体性を
解体する瞬間と同義として考えられている。それを延々と未開の儀式などを出しながら
論じて行く。

 それらを辿れば人間にとっての近代と閉塞を如何にして破るのかと云う思考がみえる。
それと、人間にとっての禁忌と侵犯性にどういう意味を与えれば良いのかという問いへ
重要な寄与をしている。

 バタイユだけじゃないが、現代思想がどういう発想をしてきたか、闘い方をしてきたか、
参考になる。まあ読んでもすぐには解読はできないだろうがね。

 ちなみにバタイユへは三島由紀夫からリスペクトをしており、また澁澤龍彦がやはり
翻訳で頑張っていた。70年代には吉本隆明がやはりリスペクトを表している。
 面白いところでは渡欧時代の岡本太郎が親しくしており、だが岡本は「一緒にいると
バタイユに思想で支配されてしまう」ことを恐れて離れた、としている。バタイユをめぐる
状況はとにかく面白い。
0317考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 14:57:27.850
>>315

 それは>>310にハイデガーの場合として書いてある。存在忘却が進行し、忘却さえ忘却された
時点までいったとき、突発的に神との交感が傍過し、人々をして驚愕させ、畏怖させ、慎みを
させまた絶望させる出来事が生起する。それは大衆を絶望させるが、深くまで思索するもの
はそうではない。それは超-存在として深淵から訪れる没落、犠牲となる逸脱の行為である。

 酒鬼薔薇は何度も言うように「私を透明な存在にした学校社会への積年の怨み」を
書いている。これは学校社会で存在を、言い換えれば自分の本来性への問いを場所を
喪失したと言っているので、きわめてハイデッガー的なと云う問いかけだと言える。また、
ハイデッガー的な問いに直結する犯行声明だと言える。

 まあハイデッガーなど読んだこともないのだろうから難しいだろうが、関係は非常に
強い。元々酒鬼薔薇は読書家で埴谷雄高もどうもあの年で読んでいた形跡がある。
あんたやここの住人よりも読書はしていただろう。あの犯行声明にもその跡は視える。

>他者からはまともに見える人は多いよ? 「変態標榜」のどこに「救い」があるの?

 まともに見える人間がsexで何をしている?w夢中でヨダレたらしておまんこに肉棒突っ立
てて喘ぎ、或いはちんちんに跨り体を夢中で振り、体液をたらし或いは注ぎ込み、しかも行為
が終われば素知らぬ顔になる。で、sexしない人間などこの世にはいない。変態性とはsex行為
自体にある、してない瞬間からみれば全部変態的だ。

 あんたは童貞かね?w
0318考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 18:29:32.430
>>316
どっちもダメだろw

「人間にたいする研讃と知が重なって」いようがいるまいが、残虐行為は唾棄されるべきこと。
人間なんだから。
どんな理屈をつけても、肯定される要素などないよ。

「現代思想」なるものがどういう発想で闘おうが、残虐性を持っていれば、人間にとっての害悪でしかない。
三島や渋沢や吉本や岡本がなにを言おうと、それは変わらない。
残虐性を崇拝したりカブレたりする方が、悪であり愚かなのだ。
0319考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 18:41:31.220
>>317
酒鬼薔薇のようなただの異常者にカブレる君も、頭がおかしいのか、自分の残虐性を肯定したいだけなのかのどちらかだろう。
ハイデガーを読んだ人間は残虐になる、とでもいいたいのか?
犯行声明が「ハイデッガー的な問いに直結する」と主張するなら、ハイデガー自体が、くだらない思想家だといっているに過ぎない。

>学校社会で存在を、言い換えれば自分の本来性への問いを場所を喪失したと言っている

「自分の本来性」などという、無意味な設定に振り回されているのは、犯人じゃなくて君の方かもしれない。
殺人犯がどんな本を読んでいようと、正しさの証明にはまったくならないw

>変態性とはsex行為自体にある、してない瞬間からみれば全部変態的だ。

ここまでくると、「まともな」人間の思考じゃないなw
人間が性行為をすることで人間は生まれ、人間の歴史が積み上げられる。
それが、なぜ「変態」なんだ?

ものすごく「まともな」人間の行為だぞ?w
0320考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 19:03:12.250
 ちょっと忘れていたが。バタイユをリスペクトする思想家にはジャック・デリダも含まれている。
デリダの初期の論文集『エクリチュールと差異』にはバタイユを素材にした「限定経済学から
一般経済学へ」が含まれている。

 バタイユに向けた論文やバタイユ未発表論文や討論を集めた『バタイユの世界』(青土社)
にはデリダ、フーコーの他、アレクサンドル・コジェーヴ、フィリップ・ソレルス、ミシェル・レリス、
ピエール・クロソウスキーその他のバタイユを素材にした論文が収められている。いずれも
バタイユがフランスで如何に注目されていたか、多大な刺激を与えていたかを物語っている。

 また、サルトルはバタイユを批判してもいるが、同時代の大きな存在としてやはり
一目置いていた。上掲書にはサルトルが同席した討論の記録「罪について」(1944年)が
収録されている。

 日本で最もバタイユに早くから注目していたのは作家では三島由紀夫がいる。死の一週間
前のインタビューでもわざわざバタイユの理論を簡潔に紹介し、共感を見せている。その
一週間後に三島は百刻みの刑よろしく自らの腹を切り裂き、腸を50cmもはみ出させ、
首を切り落とさせた。
0321考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 19:07:31.440
>>320
どんな表現者にもカブレる奴はいる、の一言で片付くね。

ハイデガーやドゥルーズにカブレる奴もいることだし。
0322考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 19:13:12.030
さらに続ければ、フランスでのバタイユとの僚友としてモーリス・ブランショがいる。

 日本人では三島の他に岡本太郎がいるが、岡本が太陽にこだわり続けたり、形式や伝統
にたいし闘争心を終生燃やした背景に、絶えず内部で炎の生成と消滅と爆発を繰り返す太陽
に執着したバタイユがあることは想像できる。岡本の例の「芸術は、爆発だ」も元はと言えば
バタイユの影響だろう。
0323考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 19:17:16.400
誰それが誰それを崇拝しているから、崇拝された人間は正しい、ということがほんの少しでもいえるなら、習もトランプも安倍もそして金正恩も、完全に正しいことになる。
習もトランプも少なくとも数億人が、安倍は数千万人が、そして金正恩でさえ数百万人が支持している。
崇拝している人間も、その1割はいるだろうw
もちろん、その中には知識人、芸術家が多数いる。
0324考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 20:03:13.810
>>319
 「異常者」というのはまた単純なwでは今現在は一般人に交じって生活しているという彼は
「異常」なのか、「正常」なのか。「正常」を装った「異常」なのか?つまりそういう区分けを
訳知り顔でやってみても意味はないということだ。

 人間がsexしてる姿を視てれば、何も知らない子供などは大人が別人のようにふしだらに
なっている姿をみて「異常」「おかしくなった」と思うかもしれない。日常の理性的な顔からは
想像つかない動物的な姿になって獣性の声で咆哮しているのだから。そんなものだ。
 
 お前さんは何かと言えば「異常」「正常」「まとも」という区別で済ますところが一般人だが
全然そこでは解決できない人間の様相というのがあることは知っておいた方が良いな。
一体どっちなのか、いまだにあの酒鬼薔薇でも根本的な解決などできてはいない。

 それとバタイユの理論では、人間が動物性から嫌悪・離脱し、だがそれは完全な離脱では
なくしばしば復活してしまう瞬間について、〈聖なる〉という概念で当て嵌めて行く。人間に
とって、不潔・死・性器・暴力・錯乱・畸形といった禁止(外部)が、禁止によって隠されていった
ものが、突然開けてしまい、現前する瞬間を聖性としている。よって性交における獣性
もまた、バタイユの理論では聖性とされる。そこで人間は元の獣性に復帰するかに見えるが、
だがそれは獣性にみえても復帰ではなく、第二の人間性ともいうべき領域にあるということ。
こういった、第一次禁止の破れた領域の出現を、聖性としている。

 人間にとって死や死体、畸形、狂気、性、自然災害など、禁止や災厄を表す現象に、特別な
宗教的意味合いが徴され与えられていくことにこれは対応している。
0325考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 20:03:50.780
>>323
 思想がどういうものかは支持者がどれだけいるかではない。そんなこと当たり前ではないか。
お前さん等が全然無知なようなので紹介しただけだろう。私が一生懸命紹介しなければ
ならないのは何故か。あんたらが無知だから。ただそれ以外ではないだろう。バタイユのこと
くらい少しは読んでいると思っていたら、何これだぜwほんとに思想のアマちゃんなんだなあ
こいつらは、が正直な感想だ。
0326ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/11/03(金) 20:09:45.91
バタ子さんは食パンマンに憧れてはいるが
その実はジャムオジサンの慰めものでね
しかしアンパンマンは救わない。だってドキンちゃんとデート中だから
0327考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 22:49:10.280
325続き

 思想が支持者の多さで測られるのでは勿論ないが、それにしてもバタイユを
リスペクトするそうそうたる顔触れは圧巻だと思う。

 改めて最初の論旨に戻れば。酒鬼薔薇と現代思想ということでいうと、彼を
異常者とするむきはある。だが例えばバタイユにせよハイデッガーにせよ、
D=Gにせよ、彼らに共通する認識として、人間性の中には一般に人間性とされて
いるもの或いは社会的存在とされているものを、逸脱したものが含まれている
のではないかという認識である。彼らの残したテキストを辿ればたちどころに、
一般に人間性とされているものないし人間とされているものを逸脱する、
或る場合反社会的ともなる領域を含有している、という認識があることが分かる


 侵犯行為は人間性に含まれており、それを媒介して〈聖性〉を媒介して
人間は最初の禁止に戻る。
 ハイデッガーにおけるSeyn 超-存在の領域もまた、存在を喪失した超-現存在は
神の傍過によって神が超-存在を必需とし、その神と交感する瞬間、拒絶を贈与
する。拒絶は大衆に絶望を贈る。
 D=Gに於いて人間は人間以外のものに生成変化するものである。

 このようにみれば、あの事件の主人公が異常者だとしてもそうではないと
してもたいした問題ではなくて、問題はあの事件が、人間性の閉塞にたいする
一種の逸脱の暗示を秘めていたのではないかということだ。
 現代思想はあの事件で容疑者がわざわざいくつかの思想的語彙を使って
みせ、問題の所在を暗示したにもかかわらず、結局反応することはできなかった
。だがたしかにあの事件には、現代思想の大物が唱えていた概念に対応する
ものがあった。そのことだけは、確認するしかない。
0328考える名無しさん
垢版 |
2017/11/03(金) 23:56:08.200
ポスト真実時代に入っても酒鬼薔薇とか信じている人いるんだ?
0329考える名無しさん
垢版 |
2017/11/04(土) 02:47:57.940
酒鬼薔薇はニーチェの文庫一冊読んでたのは事実だけど
さすがに埴谷雄高までは読んでないよ
っつーか、当時は埴谷雄高の本なんてあの歳の少年には入手不可能だよ
父母も別にインテリじゃないから家にあったとは考えにくいし、
今は講談社文芸文庫から埴谷雄高の作品はいろいろ文庫化されてるけど、当時はなかった
0330考える名無しさん
垢版 |
2017/11/04(土) 10:38:20.050
ラカン 「無意識は言語のように構造化されている」 (Lacan, "L'etourdit", Autres ecrits, Seuil, 2001)


ここで使われている「言語」とはラング(言語)ではなくランガージュ(言語活動)。
(L'inconscient est structure comme un langage)
0331↓↓↓↓↓↓↓
垢版 |
2017/11/04(土) 10:38:44.470
ガタリ 「無意識は言語のように構造化されていない」 (ガタリ 『人はなぜ記号に従属するのか』 (2014)) >>270


ガタリは無意識のあり方について、
ラカンがいう「"ひとつの"言語のように構造化されている」のではなく、
「"多様な"記号化の様式として構造化されている」と説明した。
0332考える名無しさん
垢版 |
2017/11/04(土) 10:38:56.380
この辺りもポストポスト構造主義の始まりの一つ。
0333考える名無しさん
垢版 |
2017/11/04(土) 13:37:21.770
>>324
精神の異常というのは、丸いものを四角である認知し、人間を人間ではないものとして認識すること。
残虐性というのは、人間を人間として認識できないことによって生じる。

その源泉は、人間が人間として確立できていない時代の原始性にある。
残虐性が幼稚で原始的に見えるのはそのためだ。

残虐性の否定は、人間が人間として他の自然から分かれていく(疎外されていく)にしたがって、薄れてきた。
それが人間の文化であり、人間の確立ということだ。
残虐性が「聖」などであるわけもないし、「聖」だとか言いたがるのは、思想の袋小路に行き詰った末の、ただの逃げ口上だ。

ハイデガーだのドゥルーズだのという、現実からの逃避としての思想が大好きな君には、もちろん、理解できないだろうが。
0334考える名無しさん
垢版 |
2017/11/04(土) 13:39:59.090
>>325
>思想がどういうものかは支持者がどれだけいるかではない。そんなこと当たり前ではないか

そのとおり、当たり前だ。
だから誰それが崇拝してるの評価してるのといった、愚かなレスは無意味だといってるんだよw

君の日本語理解は、一般の人よりかなり劣っているようだ。
0335学術
垢版 |
2017/11/04(土) 13:40:23.840
禁止にって隠れていたか?それじゃ二度手間だよなあ
0336考える名無しさん
垢版 |
2017/11/04(土) 13:55:54.540
>>327
人間の中に原始性の名残りがあることは「聖」などではない。
ただの退化だ。

時代の思想的な方向を見失ったハイデガーやバタイユなどがどこまで退化しようと、時代にも思想にも、なにひとつとして加えられるものなどないのだ。
そのことは、現在そのものがよく示している。
酒鬼薔薇のような原始的で幼稚な精神異常者をもてはやしても、思想にも「問題の所在」の「暗示」にもならない。

もし、「現代思想の大物が唱えていた概念に対応するものがあった」とすれば、それは「現代思想の大物」が、ただ現実を失った張り子の「大物」であることを示すに過ぎない。
吉本隆明という思想家が、原発推進を唱えてその張り子の「大物」ぶりをさらけ出したようにだ。

ドゥルーズの張り子ぶりもまた、その吉本の指摘を待つまでもなく、そのフロイト理解、マルクス理解の浅薄さを見ればすぐにわかることだ。
0337学術
垢版 |
2017/11/04(土) 15:55:56.780
フロイトとマルクスを並べるのも変だよねえ。ドイツ人の同僚みたいでさ。

ハイデカー バトゥユ の方がいい時代かもねえ。のちの世には。
0338学術
垢版 |
2017/11/04(土) 16:06:08.120
異常に性欲がわく方が、いい繋養 繁殖にならんかなあ。
宿屋住処を変えたり。リフォ−ムするとか、家を改造するとか。
0339学術
垢版 |
2017/11/04(土) 16:08:13.910
宿や、訂正。
0341考える名無しさん
垢版 |
2017/11/04(土) 22:58:47.210
>>340
そういう言葉の遊びが、哲学を下らないものにしてることに気づきなさいねw
0342考える名無しさん
垢版 |
2017/11/05(日) 10:02:11.830
千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』‏
文化相対主義は英語圏の文化人類学では1970年代から批判されてたが80年代になっても英語圏の批評や日本の大学教育では影響力あった。
出発点のひとつがマーガレット・ミードのチャンブリ民族誌だったから性差問題も巻き添え喰って21世紀初頭まで…とか書くとバックラッシュと言われるの?
千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』‏
50過ぎ、いや40代の人でも、大学の文系学部を出たあと、この話題にかんする知識のアップデートをとくにしてない人は、
20世紀が「魔が差して」生まれたサピア=ウォーフ説とかミードのチャンブリ民族誌の世界像(要は燃素とかエーテル的なもの)を本気で信じてるかもしれない。
千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』‏
社会生物学・進化心理学方面でいい本はいくらでもあるけど短時間で洗脳を解きたいならドナルド・E・ブラウン『ヒューマン・ユニヴァーサルズ 文化相対主義から普遍性の認識へ』の176-196頁。
四半世紀以上前に書かれたこの本自体はすごく「いい」本ではないが脱洗脳には便利な本。
千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』
ブラウン『ヒューマン・ユニヴァーサルズ』の変なところもあって、それはオイディプスコンプレックスをノーチェックで人類普遍のものと認めて、とくにそれにかんする説明をしないところ。
あとレヴィ=ストロースは出てくるのに近親相姦禁忌の章ではまったく触れてないのが武士の情けを感じる。
1件の返信 4件のリツイート 7 いいね
千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』‏ 7月4日
文化相対主義の責任を問われるべき人としてマーガレット・ミードの名前ばかり出すのが偏ってるなら、ほかにルース・ベネディクトとかクローバー(ル・グィンの父だっけ)もかなりアウトだと思います。
千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』 7月4日
この話題について言えることはあとふたつ。ひとつは、人間の行動のうち社会的学習によるものの比率は、かつて考えられたよりは小さいということ。
もうひとつは、文学作品の翻訳家が「翻訳」の不可能性を強調し過ぎるときは、ただの職業的な自己神話化でありハッタリであるということ。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
0343DJ gensei学術 暗公 fineshi pas contenau
垢版 |
2017/11/05(日) 10:28:52.960
ものがたり のむかしにわかがありましたが、

ものがたりというと、子供の時に人生を終わりまで見て楽しんでしまうという
後悔から成り立っているのが、僕の物語論の初めだったっけ。

わかでも大人のものだから、恋愛のネタバレがあったり、やはりしつけや
エディットしながら、子供や孫のことを考えてみるべきだと思います。
0344考える名無しさん
垢版 |
2017/11/05(日) 19:01:40.290
“非シニフィアン的言語活動においては、何を使ってもよいのである。
 つまり、この言語活動においては、いかなる音声の流れも、文字の流れも、
 身振りの流れも、特権をもたない。この言語活動は、無定形の連続体をなるものである”

― ドゥルーズ=ガタリ 『アンチ・オイディプス』 3、市倉訳 (1986)
0346考える名無しさん
垢版 |
2017/11/05(日) 19:12:29.910
>この言語活動は、無定形の連続体をなるものである

むしろ、数えることにおいて現れる単位の自己解体ではないのか?
0347考える名無しさん
垢版 |
2017/11/05(日) 19:30:34.020
>>346
×無定形の連続体をなるものである
○無定形の連続体をなすものである

普通に、ソシュールのランガージュの話では
0348考える名無しさん
垢版 |
2017/11/06(月) 00:30:09.910
ドゥルーズ=ガタリは読んでいないので知らない。
「言語活動」にではなく、「流れ」と「無定形の連続体」に反応したレス。
0349ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/11/06(月) 10:02:31.90
言語なんてのは無意識的であろうと
何かの代替性と交換価値、ここではメッセージ性を意図したものでしかないわけで
言語体系であろうが言語表現であろうが、それは殆どが遊びでパロディなんだよ

要はお前らがやるべきはソシュールじゃなくて、もちろんバタイユやハイテガーでもなくて
アンリ・ベルクソンただ一人のみ。ベルクソンこそがドゥルーズにピタリと符合する生命の、
生き生きとした哲学なんだ
0350考える名無しさん
垢版 |
2017/11/06(月) 12:58:10.560
ソシュールだ、ベルクソンだ、ドゥルーズだ、じゃなくて、
「生き生きとした哲学」があると感じるなら、その「生き生きとした哲学」を
感じた文章を引用すべきでしょう。でないと、仏だ、キリストだ、いや
アッラーだ、というのと変わらない。
0352ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/11/06(月) 13:10:41.51
それなら絶好のものがあるぞ。
クワトロ・バズーナのダカール演説を私は紹介したい

>閉会するな!この席を借りたい!
>議会の方と、このテレビを見ている連邦国々民の方には、突然の無礼を許して頂きたい。
>私はエゥーゴのクワトロ・バジーナ大尉であります。
>話の前に、もう一つ知っておいてもらいたいことがあります。
>私はかつてシャア・アズナブルという名で呼ばれたこともある男だ。以下略

詳しくはダカール演説で調べて欲しいが、これほど生き生きとした展開というか、シチュエーションというか
シチュエーションが魅せる哲学みたいなものの象徴的な例がダカール演説だ
0353ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/11/06(月) 13:17:12.51
私が見るに、お前らは神秘主義のまどろみに陥っていると思うわけだが
ベルクソンの言葉を引用すれば「完全な神秘主義は行動に他ならない」

まさにそういうことなわけ

そして経験に即した最善観念というものが存在する以上は
快楽や苦痛の観念からなる議論を越えた、いわば低俗なる観念よりも高次な
つまり存在することについての純粋な歓びというものが君たちには是認されているのだ

そうした生を、ありのままの生を君たちには謳歌してほしいと思うよ
0354ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/11/06(月) 13:25:35.68
上のくだらないバタイユ云々の議論にしても、議論してる奴にしてもさ、
なんだかんだ猟奇的になったとしても、生、つまり生きることには執着してるわけじゃん

この世界の最高のあり方とか善から構築する悪性みたいなものを考えているとしたひとまずはやめて
そんな必要はないわけだから、おめーら生に執着してる時点で、生きる必要はあるわけで、それで良いわけだから
さらに生きていかなければならない意味もあるわけで、生きなければ成し遂げられないものもあるんだろうよ

それが何であれそうあるということは、生きるということはすでに善いものとして生が肯定されているということなんだよ

ここに創造主論からなる善思想をも超えた、ベルクソンの最善観念が誕生するわけだが
ここまで述べたうえで社会を認識し、経験の事実に即した最善観念というものが何か分からないのであれば、
それは社会におけるヒューマン的エラーであるから、

誰にも迷惑をかけずに自殺して死ね

もう一度いうぞ、死ね
0355学術
垢版 |
2017/11/06(月) 13:26:29.070
違うセンスだな。異化言語の受容とか。効果あるかな。徐々にでも。

ベーコンの方がオススメ。フランシスね。
0356学術
垢版 |
2017/11/06(月) 13:27:50.550
死 ジャンケレービチのほうが。鬼のいぬま2
0357学術
垢版 |
2017/11/06(月) 13:36:29.880
異形 奇形 偶像崇拝 の人たちも楽しかったらよかったと思う。
0358考える名無しさん
垢版 |
2017/11/06(月) 23:13:50.760
>>349
> 言語なんてのは無意識的であろうと
> 何かの代替性と交換価値、ここではメッセージ性を意図したものでしかないわけで

それはシニフィアン。
では、非シニフィアンとは何か?
ドゥルーズ=ガタリは読んだことあるのかい?
0359考える名無しさん
垢版 |
2017/11/12(日) 18:11:22.080
ドゥルーズとガタリ、それぞれの単著も2〜3冊ずつぐらいは読んで、
読み分けておかないと、ドゥルーズ=ガタリも理解できないよ。
0360考える名無しさん
垢版 |
2017/11/12(日) 18:12:29.080
文學界2017年12月号 - 2017/11/7
▼松本卓也「健康としての狂気とは何か―ドゥルーズ『批評と臨床』試論」

これは、本格的でよかった。
ドゥルーズが扱った「狂気」が強調されて取り上げられることが多い中、
ドゥルーズ自身は病的でも狂人でもなかったという観点からの解説。

ポスト構造主義的問題系の「深層(profondeur)」と「表面(surface)」、
ラカン派による病跡学的アプローチ。
0361考える名無しさん
垢版 |
2017/11/13(月) 00:50:07.290
本の見出しばかり引用するな
0363学術
垢版 |
2017/11/13(月) 17:42:28.050
エマニュエル レヴィナスの 捕囚 の時のものもいいよ。
0364学術
垢版 |
2017/11/13(月) 17:42:53.000
捕虜だ ごめん。
0365考える名無しさん
垢版 |
2017/11/14(火) 00:18:08.150
>>361
読んだのなら説明してみろ
0366ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2017/11/15(水) 03:50:23.60
ここで少しだけ考えてみないか?

例えば、DとGでの偶発的で非必然的な結びつきというものがあるが、
それは下部構造への還元論に陥ることなく、異質な要素や構造間の複合的な繋がりを分析することで見えてくるんだよ。
必然性のない対応関係というものは、本質論を放棄することで、支配的な権力的関係を組み替えて節合し直すことの可能な、
社会的諸実践間の連携へから絶えず開かれているものだと考えるがどうだろうか?
0367考える名無しさん
垢版 |
2017/11/15(水) 21:55:17.500
思想の言葉(2017年11月号)https://www.iwanami.co.jp/news/n21831.html

精神病理学から読むラカンの理論
鈴木國文

つい最近、ラカンに関するある著作の合評会でのことである。
ラカンの一節「人間の存在は、狂気なしに理解されないだけではない。もし自らの自由の限界として狂気を内に抱えるのでなければ人間の存在でなくなるだろう」(『心的因果性について』一九四六)に触れて、
一人の論者が「このようなことが言いえた時代」は精神分析が「革命的」でありえた時代であり、今日ならこのような気楽なことは言っておれないだろうといった話をするのを聞いて、私は微かな違和感を覚えた。
ラカンの理論を思想史の中に位置づけるとはこういうことなのかと、自身の視点との差異に驚いたのだ。
0368考える名無しさん
垢版 |
2017/11/16(木) 01:33:14.690
松本論考、前半は『意味の論理学』を扱い、

キャロル、ルーセル、ウルフソン
_______________
アルトー、ヘルダーリン

というように表面と深層に分け
ドゥルーズは深層の精神分裂病から上へ、キャロルの自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)評価へ移行したという

さらに論理としては二項を超えた可能性を各作家に見たという
(サドとマゾ(プルースト、カフカも批評と臨床の対象)のように外に開くための二項…)

ただしラカン(=脱ラカン的父権主義)を引くならスキゾ症例三種を
ベケット/ジョイス/アルトーに見た浅田&花村(『ダブル・バインドを超えて』1985)の方が
有益だ

同書1985をさらに敷衍するとそれぞれ

それぞれ想像界/象徴界/現実界の欠損を持った作家ということになる

ジョイス
  ____ベケット
__\__/__
   \/
  アルトー
0369考える名無しさん
垢版 |
2017/11/16(木) 01:35:48.600
プラトン的詩人狂人論、ロマン主義的詩人論、からドゥルーズが遠いことは確かだが、ベケット
論がないとそれがわかりにくい。
ベケット(断片的論考)は『批評と臨床』でも重要な位置(場所)にあるし、ベケット論の消尽したもの
はドゥルーズの実質的遺書でもある


Joyce 妄想型 paranoid https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ

破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の多くは
統合失調症の原因というよりも、パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。
母なるものを批判的に扱うことも批判される(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。
アルトー、ヘルダーリン以外は統合失調症ではなくアスペルガー症候群(ASD)というのが松本
論考の病跡学の主張なので、この流れに沿う。

ちなみにアルトーを擁護するならアルトーは自身の身体に物自体を見たのである。深いという
形容はそのことから目をそらす(誰だって身体を抱えているから)。

ドゥルーズはアルトーのような病気ではなかったから素晴らしい、というのであれば反動思想に
すぎない。
0370考える名無しさん
垢版 |
2017/11/16(木) 01:54:41.170
いやいやいや、、、当然、ドゥルーズが病的でなければそれで良いという問題ではないよ。
0371考える名無しさん
垢版 |
2017/11/16(木) 03:14:37.010
あるいは、


 象徴界  I 想像界
ジョイス  I ベケット(=分裂症ではなくパーソナリティ障害、アスペルガー症候群)
ヘルダーリンI キャロル、ルーセル、ウルフソン
______I___________
      I
 現実界  I  x
アルトー  I

欠損の箇所が作家の生きる場所である
(フーコー、ハイデガーの着目したヘルダーリンはジョイスに近い)
ドゥルーズはベケットに近いがじつは xを志向している

(ベケット論は映画研究の一環だが、シネマ2の「系列」がシネマ1の「狂気」に対する応答と
考えれば臨床と呼べなくもない)
0372考える名無しさん
垢版 |
2017/11/16(木) 03:22:13.640
一応想像界(の欠損)に置いたが
ベケット(を論じたドゥルーズ)において三つの界は一つになっている
0373考える名無しさん
垢版 |
2017/11/17(金) 07:25:33.820
ルドルフシュタイナースレの者です
人智学の方が思想として素晴らしいので人智学を学んだ方が良いです
あなたは残念です
さようなら
0374考える名無しさん
垢版 |
2017/11/17(金) 07:50:51.900
>>345
こういう譜面を見ると、佐村河内氏が新垣氏に示したアイデアの図面でも、十分作曲に値することがわかるな。
佐村河内作曲、新垣演奏、で新垣の演奏を五線譜に写した。
佐村河内氏が非難される理由はなかったと思うんだが、ゴシップ雑誌が発端だし、日本人はゴシップ好きだからしょうがないか。

ま、ドゥルーズとはなんの関係もない話ともいえるけど、少し関係がある話ともいえる。
0376考える名無しさん
垢版 |
2017/11/21(火) 00:27:24.470
ドゥルーズやハイデガーは第一に哲学史家だから
哲学に興味があれば入口に最適
0377学術
垢版 |
2017/11/21(火) 17:35:33.860
ネルヴァルとか 。哲学詩 みたいなものも書いたことあるけど。
0378学術
垢版 |
2017/11/21(火) 17:43:25.540
ネームに哲学がのってるわけじゃなくて、
言葉に自分で哲学的分量を乗せるべき。
0379学術
垢版 |
2017/11/21(火) 17:47:31.260
女神転生の

LIGHT

LAW NEUTRAL CHAOS

DARK

とかかわっていけるの?
0380考える名無しさん
垢版 |
2017/11/21(火) 20:45:38.760
>>376
ハイデガーの哲学史って、スコラ哲学に偏ってるんじゃないの?

言葉の遊びの歴史、みたいなもんだろう。
0382考える名無しさん
垢版 |
2017/11/21(火) 20:58:20.120
>>381
西欧の中世を理解したければ、飢餓にあえでいた一般大衆のことを思い浮かべることが大切だよ。
0383考える名無しさん
垢版 |
2017/12/05(火) 09:07:40.350
ザッヘル=マゾッホ紹介 冷酷なものと残酷なもの (河出文庫)新刊
著者 ジル・ドゥルーズ (著),堀 千晶 (訳)

マゾッホを全く新たな視点で甦らせながら、「死の本能」を核心とするドゥルーズ前期哲学の骨格をつたえる名著。刊行45年目に新訳。【本の内容】

紙の本
ザッヘル=マゾッホ紹介 冷酷なものと残酷なもの (河出文庫) 864円
発売日:2018/01/06
出版社: 河出書房新社
レーベル: 河出文庫
サイズ:文庫/280ページ
ISBN:978-4-309-46461-9

あと新訳プルースト論が出ればいうことなし。
0384考える名無しさん
垢版 |
2017/12/14(木) 21:14:53.580
https://www.mainichi.co.jp/heisei-history/interview/13.html

栗原 でも日本の人文系や文学系の出版社は、ニューアカ以降、ずっと変わらずに、ニューアカ的なものを継承しているんですよね。いまだに若手ドゥルーズ研究者を「気鋭の新人」とかいって売り出そうとする。
この期におよんでドゥルーズ研究の新鋭かよ……と呆(あき)れるんですが、でも、まあ、そういう売り方がいまだに有効であるという現実もあるわけです。
0385考える名無しさん
垢版 |
2018/01/26(金) 19:49:34.850
講談社メチエから出た「三つの革命」って
どうっすか?
0386考える名無しさん
垢版 |
2018/01/26(金) 20:25:23.800
俺はまだ読んでる途中。
印象としては、補論が長い。
0387考える名無しさん
垢版 |
2018/02/08(木) 14:17:02.940
しかし重要なのは、資本主義の廃絶が 、階級やマジョリティ、人間といった状態への再
領土化 (マクロ政治 )によっては決してなされ得ない、という点だ。プロレタリア ( 『アンチ・
オイディプス 』 )によって 、マイノリティ ( 『千のプラトー 』 )によって 、動物を眼前にした人
間 ( 『哲学とは何か 』 )によって始まる 「世界市民 」への生成変化 (ミクロ政治 )の過程
の上に万人が自らを再領土化するときにこそ 、資本主義はその下部から掘り崩される 。
ドゥルーズの単著でまず論じられ 、後に 『哲学とは何か 』で再論される 「出来事 」とは 、
万人による世界市民への生成変化、というこの無限の創造過程のことに他ならない 。ドゥ
ルーズ ゠ガタリは 「革命性への生成変化 [devenir- revolutionnaire] 」を語る 。資本主義
の打倒を革命と呼ぶとすれば、歴史を過去と未来に切断することに存する一般的な意味
での 「革命 」 ( 「転覆(サブヴァージョン) 」としてのマクロ政治 )は革命ではなく 、過去と未来
の間で現在を対抗実現する 「革命性への生成変化 」 ( 「倒錯(バーヴァージョン) 」としての
ミクロ政治 )の方こそが 、すなわち、万人が革命的になることこそが革命なのだ 。ただし、
万人による革命性へのこの生成変化、この 「出来事 」は 、あくまでも 、傷を負った者たち、
収奪され支配されている者たち (プロレタリア、マイノリティ 、動物あるいは犠牲者 )の利害
と結び付いた形でしか始まらない 。

三つの革命より
0388考える名無しさん
垢版 |
2018/02/09(金) 06:25:55.150
上、
よくもこんな薄っぺらな下らない文章を書けるな、
という感しかない
0389考える名無しさん
垢版 |
2018/02/09(金) 08:24:05.300
>>388
薄っぺらで下らないところが、時代に合ったんだろうね。
それまでの理論を追究する息苦しさから逃れた、気分を文章化した哲学風の感情吐露が新鮮に見えたんだろう。
日本で、その中によどむ沈殿した情念を捨てて上澄みだけをすくいあげたのが、ニューアカなのかな。
0391考える名無しさん
垢版 |
2018/02/09(金) 09:18:09.620
戦術は、主戦場をどこに見出すかによって決定される。反資本主義闘争の主戦場として同定されるのは、

『アンチ・オイディプス』ではプロレタリアによる階級闘争、
『千のプラトー』ではマイノリティによる公理闘争(諸権利や等価交換を求める闘争)、
『哲学とは何か』では動物(マイノリティ)を眼前にした人間(マジョリティ)による政治哲学(哲学の政治化)である。

プロレタリアとは何か、マイノリティとは何か、哲学とは何か。

三つの革命より
0393考える名無しさん
垢版 |
2018/02/09(金) 09:30:43.460
いや、過疎スレだし別にステマでも構わないんだけど、自分に騙された感があったということね。
0394考える名無しさん
垢版 |
2018/02/09(金) 20:26:50.000
こんなの読むくらいなら良質なポエム読んだほうがいいです
0395考える名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 09:16:25.380
こういう>>387無意味な文章を読むと、
政治家や霞ヶ関の高級官僚らが
経費削減のために国立大学の文学部を潰したくなる気持ちも分かる
0396考える名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 11:36:28.280
>>395
政治家や霞ヶ関の高級官僚らが国立大学の文学部を潰したいのは、経費削減のためではないよ?
政権批判や官僚批判をするのが文学部だから。
理系はバカだから、政権や官僚に従順だ。
0397考える名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 23:11:59.090
>理系はバカだから、政権や官僚に従順だ。
昨今の物理の入試問題の騒動を見ていると、
予備校の先生は既存の権威に流されないような気もするけど。
0398考える名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 23:14:52.710
文学部の連中の政治経済評論は、お粗末すぎて聞いちゃいられない。

政治経済の専門家からすると、苛立たしいのは事実だ。
0399考える名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 23:16:28.310
政治経済もそうだが、文学歴史だってそうだ。

ド素人から偉そうに批判されるのは、文系ジャンルの宿命。
0400考える名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 23:19:37.210
それにしたって、文学部が左翼の牙城なのは事実
0401考える名無しさん
垢版 |
2018/02/10(土) 23:21:26.850
特にお粗末なのは、内田樹

あれじゃ完全に、ただの三流政治評論家
0402考える名無しさん
垢版 |
2018/02/11(日) 00:20:16.570
>>397
試験問題の間違いを指摘したぐらいでw

予備校講師も生活がかかってるからね。
0403考える名無しさん
垢版 |
2018/02/11(日) 00:23:37.820
いや、文学部も被害者だな。

歴史とか哲学だって、ド素人のトンデモ評論は後を絶たない。

お互いさまだ。
0404考える名無しさん
垢版 |
2018/02/11(日) 00:23:54.010
>>398
政治経済の専門家って、なにか社会に寄与したことがるの?

社会を良くしたり市民生活を豊かにする提言とかすら見たことがないんだけど?w
0405考える名無しさん
垢版 |
2018/02/11(日) 00:24:49.060
しかし、それにしたって、文学部の教授連中の政治経済評論はひどい。

少しは基礎知識を身につけて、それから発言しようとは思わないものなんだろうか?
0406考える名無しさん
垢版 |
2018/02/11(日) 00:24:59.890
>>399
文系というのは価値観の追求だからね。

理系みたいにAIの方が優秀、ということにはならないから安泰だな。
0407考える名無しさん
垢版 |
2018/02/11(日) 00:26:16.160
>>400
だから政権は目の敵にするし、文学部の独立と拡大が重要なんだよ。

市民生活を豊かにするには、左翼が強い必要があるからね。
0410考える名無しさん
垢版 |
2018/02/17(土) 21:22:10.930
ドゥルーズ=ガタリにおける政治と国家 ―― 国家・戦争・資本主義2018/3/31
ギヨーム・シベルタン=ブラン、 上尾真道 (翻訳),‎ 堀千晶 (翻訳)
¥4,212出版社: 書肆心水 (2018/3/31)

ドゥルーズ 思考のパッション新刊
著者 P・モンテベロ (著),大山 載吉 (訳),原 一樹 (訳)
4,536円
発売日:2018/03/23
出版社: 河出書房新社

作品社2018年4月以降刊行予定の本
『「アンチ・オイディプス」入門講義』
 仲正昌樹  予価:2,000円(税別
0411考える名無しさん
垢版 |
2018/02/17(土) 22:56:49.250
フーコー
「わけても偉大なものとみえる二冊の書物、『差異と反復』と『意味の論理学』について語らね
ばならない。たぶんあまりの偉大さ故にであろう、それを語るのは至難の業だし、また、語って
みせたものもほとんどいはしない。思うに、この著作は、他を圧する比類なきいま一つの徴候た
るクロソウスキーのそれと謎めいた共鳴を響かせつつ、ながらく人びとの頭上を旋回するであろ
う。だがおそらくはいつの日か、時代はドゥルーズ的なものとなっていよう。」
(劇場としての哲学 蓮実重彦訳 Theatrum philosophicum 「クリティック」誌、282号、
1970年11月、邦訳フーコーコレクション文庫3:299頁)

http://1libertaire.free.fr/MFoucault244.html
《Theatrum philosophicum》 Michel Foucault
0412考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 08:16:28.290
壮大なことを語ってるようで中身スカスカ
0413考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 09:25:48.860
ドゥルーズはベルグソンの系譜
0414考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 09:40:32.340
フーコーを褒め称えるのはどんな人たちなんだろう?
ドゥルーズ愛好家とも少し違うようだけど。
吉本隆明もドゥルーズはバカにしてるけどフーコーへの評価は高い。
0415考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 12:05:10.550
>>414
いくら吉本隆明とはいえ、世界的に著名な哲学者である
ドゥルーズをバカにするのですか?
0417考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 13:08:42.520
ドゥルーズ本人は(今となっては下らないが)
その当時は確かに何か新しいことを言ったし、関連して雇用も生み出したのでまだ良いが、

一方で、
こういう>>387全く意味の無い文章を書いて、しかも何かを言ったつもりになっているフォロワーは
馬鹿にされても仕方ないと思う。
0418考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 20:30:55.780
その話、フーコーのほうは吉本を馬鹿にしていた(本当に頭が悪いと思った)という有名なオチがついてたな
0419考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 20:34:48.540
>>418
その話は聞くけど、ほんとなの?
フランス人の蓮実の奥さんが、吉本のフーコー宛の私信を理解できないとかいう話じゃなかったっけ?
吉本の私信を訳してフーコーに渡すなんてしてないんじゃないの?
0420考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 21:42:33.480
思想や哲学はどうとでも論評することが可能な芸術のような世界で
リヒターみたいな馬鹿としか思えない絵でも意味があると言えば価値が備わる
これだからそれこそ街で寝転がってる親父とでも話が成立する
0422考える名無しさん
垢版 |
2018/02/27(火) 22:01:35.270
バリウム検診
0424考える名無しさん
垢版 |
2018/02/28(水) 00:22:25.260
リヒターもドゥルーズも、やったもん勝ち言ったもん勝ち、だな。

乗っかる人間は一定数いるね。
0427考える名無しさん
垢版 |
2018/02/28(水) 22:48:30.790
ジル・ドゥルーズといえば哲学界の権威の1人だ。
そのドゥルーズの哲学を「ふうん、そういう考えもあるよね」
としか受け取らないのかな?そういう徹底した相対化が
哲学を含め文系学問の存在意義を失墜させる。
0428考える名無しさん
垢版 |
2018/02/28(水) 22:56:45.630
>>427
ドゥルーズって、哲学界の権威なの?
哲学というのは、自分がなにも知らないということを知ること、なのかと思ってた。
そんな哲学に、権威という人がいるのか・・・
0429考える名無しさん
垢版 |
2018/03/01(木) 11:46:02.580
>>427
ドゥルーズの哲学って、「ふうん、そういう考えもあるよね」以外の受け取り方にはどんな受け取り方があるの?

ドゥルーズの哲学って、なに?
世界にはいろんな違いがあって、その違いが小さければ繰り返しになる、とか、世界の意味は言葉によってつくられる、とか?
マルクス主義前衛党には従うべきだけどフロイトはでたらめだから捨ててしまえ、とか?
0430考える名無しさん
垢版 |
2018/03/02(金) 15:48:03.470
>>387
これって、しょんにゃに意味にょない文章でしょうかにゃ。
標準的にゃ見解にしゅぎにゃいと思うけど。
0431ジル・ドゥルーズ(情報都市ルディノイズ)
垢版 |
2018/03/05(月) 14:47:49.44
ドゥルーズってのはじぶんで言うのもなんだけど、単なる還元論的な部分が多いんだけど
その還元論のなかに記号論的考察をちりばめてしまったところが作為だと思うわけよ

要は、無意識溢れる意味への支配を試みたのがわたしことドゥルーズ

これを提示すれば、こういう考えにたどりつくって神話がある場合に、その大元まで分解して考えてみたわけよ
0432考える名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 17:40:31.810
咥えて奥のほうまで入れるんだ
0433考える名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 20:05:07.980
>>430
 そうですね。非常に示唆的だし、『三つの革命』という本にも、D=Gの思想にも
興味が湧いてきます。

 一個のマジョリティを志向するのではなく、多数のマイノリティを原型とする
ことに、革命性を変更する、というのは重要であるし、国家主義・民族主義・用材主義・
有用性主義・生産力主義・資本主義に対抗する武器としての概念になるんじゃないか
と思います。
0434考える名無しさん
垢版 |
2018/03/05(月) 21:20:13.310
>>433
国家主義・民族主義・用材主義・有用性主義・生産力主義・資本主義に対抗する概念にはなっても、武器にはならないだろ。

用材主義ってなんだかわからないけど。
0435考える名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 08:15:58.970
ドゥルーズ 思考のパッション
ピエール・モンテベロ 著
大山 載吉 訳
原 一樹 訳
単行本 46 ● 380ページ
ISBN:978-4-309-24527-0 ● Cコード:0010
発売日:2018.03.23(予定)
予価4,536円(本体4,200円)

数多いドゥルーズ論の中でも定評のある名著、待望の翻訳。スピノザ、ニーチェ、ベルクソンなどの哲学史の中にドゥルーズを位置づけ、哲学史を組み替えつつ、その「非人間主義」をきわめる。
0436考える名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 08:29:51.060
海外のD論紹介において河出書房新社は偉大。
ドゥルーズ 思考のパッション2018/3/23ピエール・モンテベロ
ダーク・ドゥルーズ2016/11/28アンドリュー・カルプ
ドゥルーズ 常軌を逸脱する運動2015/9/29ダヴィッド・ラプジャード
ドゥルーズと精神分析2014/9/25モニク ダヴィド=メナール
ドゥルーズ ---経験不可能の経験2013/5/8ジャン=クレ・マルタン
ドゥルーズとガタリ 交差的評伝2009/8/22フランソワ・ドス
身体なき器官2004/9/18スラヴォイ・ジジェク
ドゥルーズ―存在の喧騒1998/2アラン・バディウ
ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学1997/2フランソワ・ズーラビクヴィリ
0437考える名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 08:45:58.510
法政大学出版局ドゥルーズの哲学 (叢書・ウニベルシタス)1996/3マイケル・ハート
法政大学出版局サハラ―ジル・ドゥルーズの美学 (叢書・ウニベルシタス)2001/3ミレイユ・ビュイダン
松籟社ドゥルーズ・変奏1997/7ジャン=クレ・マルタン
松籟社現代フランス哲学―フーコー、ドゥルーズ、デリダを継ぐ活成層1999/6エリック アリエズ
勁草書房ドゥルーズ、映画を思考する2000/12/1ロベルト デ・ガエターノ (編集)
筑摩書房ドゥルーズへのまなざし2003/7/1ルネ・シェレール
青土社ジル・ドゥルーズ (シリーズ現代思想ガイドブック) 2006/2/1クレア・コールブルック
青土社ドゥルーズと創造の哲学 この世界を抜け出て2010/2/26ピーター・ホルワード
新曜社ドゥルーズ哲学のエッセンス―思考の逃走線を求めて2009/5/22ライダー・デュー
書肆心水ドゥルーズ=ガタリにおける政治と国家 ―国家・戦争・資本主義2018/3/31ギヨーム・シベルタン=ブラン
0438考える名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 08:58:24.180
三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学 (講談社選書メチエ)2017/12/13佐藤 嘉幸、 廣瀬 純
動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 (河出文庫)2017/9/15千葉雅也
ドゥルーズと多様体の哲学: 二○世紀のエピステモロジーにむけて2017/2/27渡辺洋平
ドゥルーズ (Century Books―人と思想) 2016/8/1船木 亨
ドゥルーズ 抽象機械2016/4/23大山 載吉
〈物語る脳〉の世界―ドゥルーズ/ガタリのスキゾ分析から荒巻義雄を読む2015/10/15藤元登四郎
ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために (講談社学術文庫)2015/10/10小泉 義之
贈与-生成変化の人間変容論-ドゥルーズ=ガタリと教育学の超克2015/9/11森田 裕之
ドゥルーズ・知覚・イメージ―映像生態学の生成2015/7/30宇野 邦一
ドゥルーズキーワード89 2015/3/19芳川 泰久,‎ 堀 千晶
経験と出来事―メルロ=ポンティとドゥルーズにおける身体の哲学2014/9/1小林 徹
ドゥルーズと狂気 (河出ブックス)2017/2/24小泉義之
「誤読」の哲学 ドゥルーズ、フーコーから中世哲学へ2013/11/22山内 志朗
ジル・ドゥルーズの哲学: 超越論的経験論の生成と構造2013/6/25山森 裕毅
ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)2013/6/19國分 功一郎
子供の哲学 産まれるものとしての身体 (講談社選書メチエ)2012/11/9檜垣 立哉
死と自由2012/10/10澤野雅樹
ドゥルーズ=ガタリのシステム論と教育学―発達・生成・再生 (学術叢書)2012/10/1森田 裕之
0439考える名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 09:05:57.560
終わりなきパッション: デリダ、ブランショ、ドゥルーズ2012/3/22守中高明
ドゥルーズ---群れと結晶 (河出ブックス)2012/2/11宇野 邦一
魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ)2015/8/28西川アサキ
ドゥルーズ 千の文学 2011/1宇野 邦一 (編集),‎ 芳川 泰久 (編集),‎ 堀 千晶 (編集)
瞬間と永遠――ジル・ドゥルーズの時間論2010/12/15檜垣 立哉
ドゥルーズを「活用」する2009/9/25澤野 雅樹
ドゥルーズ入門 (ちくま新書)2013/11/15檜垣立哉
権力と抵抗―フーコー・ドゥルーズ・デリダ・アルチュセール2008/8佐藤 嘉幸
ドゥルーズ/ガタリの現在2008/1/11鈴木 泉、 小泉 義之
ドゥルーズ・映画・フーコー2007/5/1丹生谷 貴志
ドゥルーズ (現代思想の冒険者たちSelect)2005/12/16篠原 資明
ドゥルーズ―生成変化のサブマリン (哲学の現代を読む 2)2005/12/1松本 潤一郎、 大山 載吉
存在と差異―ドゥルーズの超越論的経験論2003/9江川 隆男
ドゥルーズ 解けない問いを生きる シリーズ・哲学のエッセンス2015/8/31檜垣 立哉
ドゥルーズ 流動の哲学 (講談社選書メチエ)2001/4/10宇野 邦一
「場所的」ということ―ドゥルーズ・西田幾多郎を読む1999/2/1佐伯 守
D―死とイマージュ1996/9宇野 邦一
フーコー・ドゥルーズ・デリダ (河出文庫―文芸コレクション)1995/5蓮實 重彦
ドゥルーズ横断 1994/9宇野 邦一 (編集)
0440考える名無しさん
垢版 |
2018/03/07(水) 09:19:09.090
計五十七冊
0441考える名無しさん
垢版 |
2018/03/11(日) 02:15:03.990
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

ZEXWC
0442考える名無しさん
垢版 |
2018/03/11(日) 12:27:33.900
ZEXWC
0443DJ学術 
垢版 |
2018/03/11(日) 12:28:19.300
資本主義論から想定するとなあ。
0444考える名無しさん
垢版 |
2018/03/12(月) 12:21:50.580
原田 忠男 💿@harapion2017年12月13日その他
佐藤・廣瀬『三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』は、市倉宏祐訳『アンチ・オイディプス』を、旧訳として片づけることが出来ないとして評価する。
市倉氏の読みの丁寧さは『現代フランス思想への誘い』でも分かる。市倉氏は特攻隊体験から戦争に抗する思想を構築する。
0445考える名無しさん
垢版 |
2018/03/12(月) 12:29:56.770
花田娯作@犯罪者安倍を国会から叩きだせ!@Apeiron__2013年8月21日その他
これからドゥルーズを勉強してみようという方に、個人的には『現代フランス思想への誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ』 市倉 宏祐(著)がおすすめです。わかりやすい。
0446考える名無しさん
垢版 |
2018/03/12(月) 12:29:57.040
花田娯作@犯罪者安倍を国会から叩きだせ!@Apeiron__2013年8月21日その他
これからドゥルーズを勉強してみようという方に、個人的には『現代フランス思想への誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ』 市倉 宏祐(著)がおすすめです。わかりやすい。
0447考える名無しさん
垢版 |
2018/03/12(月) 12:30:59.580
原田 忠男 💿@harapion2013年6月28日その他
ドゥルーズの解説本は、年を追う毎に徐々に精度の高いものになってきた観があるが、
『アンチ・オイディプス』の最初の翻訳者である市倉宏祐の『現代フランス思想の誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ』(岩波書店)が、
書いた人の内的必然性という点で、一番説得力がある気がする。
0448考える名無しさん
垢版 |
2018/03/12(月) 12:36:01.680
このスレには解説本好きの人が多いね。

商売だからしょうがないんだろうな。
0449考える名無しさん
垢版 |
2018/03/16(金) 16:40:32.920
『批評空間』第二期に載ってた「思い出すこと」ってドゥルーズの著作に再録されてる??
0450考える名無しさん
垢版 |
2018/03/20(火) 19:28:55.460
ドゥルーズは、先行者の思想の解説でアグレガシオンを得ました
0451考える名無しさん
垢版 |
2018/03/21(水) 15:52:08.610
『現代思想 特集ドゥルーズ』1982年12月号、青土社
『現代思想臨時増刊号 総特集ドゥルーズ=ガタリ』1984年9月、青土社
『現代思想 緊急特集ジル・ドゥルーズ』1996年1月号、青土社
『現代思想 特集ドゥルーズの哲学』2002年8月号、青土社
『現代思想 特集ドゥルーズ』2008年12月号、青土社
ユリイカ 1996-10(特集 ドゥル-ズ『シネマ』を読む)青土社
シネティックvol.1 1993-07【小特集】ドゥルーズの『CINÉMA』
情況 2003-04特集 ドゥルーズ固有の哲学--差異と反復
情況 2003-07特集 ドゥルーズ・ガタリ
情況 2003-12特集 『千のプラトー』を読む--ドゥルーズ・ガタリ
情況 2004-07特集 ジル・ドゥルーズ「スピノザ」
情況 2004-12特集 ドゥルーズの起源をめぐって
情況 2010-01〈ドゥルーズとガタリ 交差的評伝〉をどう読むのか
批評空間 第2期15号「特集=ドゥルーズ」
批評空間 第2期18号「小特集ドゥル−ズ的思考」
批評空間 第2期20号「特集:ドゥル−ズをめぐって」
表象 (4),2010(小特集 ドゥルーズの逆説的保守主義)
表象 (8),2014(小特集 ドゥルーズの時代)
『ドゥルーズ 没後20年 新たなる転回』河出書房新社編集部 編
『ドゥルーズ 没後10年、入門のために』河出書房新社編集部 編
『ドゥルーズ横断 』宇野邦一 (編集)河出書房新社
『ドゥルーズ・知覚・イメージ―映像生態学の生成』宇野邦一 (編集)せりか書房
『ドゥルーズ 千の文学』宇野邦一 (編集)芳川泰久 (編集)‎堀千晶 (編集)せりか書房
『ドゥルーズ/ガタリの現在』鈴木泉 (編集)小泉義之 (編集)檜垣立哉 (編集)平凡社
『ドゥルーズ、映画を思考する』ロベルト デ・ガエターノ (編集)勁草書房
0452DJ学術 archive gemmar 髭白紫の上
垢版 |
2018/03/21(水) 16:58:26.090
ヒュームがいいと思うよ。面白さ。展開では。
0453DJ学術 archive gemmar 髭白紫の上
垢版 |
2018/03/21(水) 17:01:29.380
千のプラトー時代はいいけど、アンチオイディプスは時代の加害被害の暴力書で
あまりお勧めはしない。
0455考える名無しさん
垢版 |
2018/06/09(土) 08:10:22.110
LNO: Gilles Deleuze | Architexturez Network
http://network.architexturez.net/pst/az-cf-56379-817742161
http://d.hatena.ne.jp/femmelets/touch/20120215/1329232117
ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」
(聞き手:ディディエ・エリボン、鈴木秀亘訳、『批評空間』誌第II期第9号、太田出版)、p.11-12

〈マルクス〉

マルクスを読んだのはニーチェと同じ時期でした。素晴らしいと思いました。彼の生み出した
さまざまなコンセプトは、私にとって今でも役立つものです。そこにはひとつの批判、根本的な
批判が存在しています。『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』はマルクスに、マルクス主義に 完全に貫かれた作品です。現在私は、自分を完全にマルクス主義者だと考えています。
例えば、「管理社会」について書いた記事は(月刊ロートル・ジュールナル1号 1990年5月号に
掲載、ミニュイ社刊『記号と事件』に収録、邦訳河出書房新社)、マルクスが彼の時代には知り
えなかったことを語っているにもかかわらず、完璧にマルクス主義的なテクストです。

マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解でき
ません。マルクスは終ったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは
何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返
らなければなりません。

〈著作〉
次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。
0456考える名無しさん
垢版 |
2018/06/13(水) 12:02:58.650
哲学書新刊情報
@Philo_Shinkan
【7月16日発売予定】
『個体化の哲学: 形相と情報の概念を手がかりに (叢書・ウニベルシタス)』(ジルベール・シモンドン著 法政大学出版局)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4588010832
【Amazon紹介文】「「認識論および存在論に先立つ真の第一哲学」としての個体発生の知に迫る。」
0457考える名無しさん
垢版 |
2018/06/13(水) 12:03:47.760
ドゥルーズはシモンドンの議論をいかに理解し使用 したか/ ドゥルーズの忠実さと過剰さ
近藤 和敬 鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集
https://ir.kagoshima-u.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&;active_action=repository_action_common_download&item_id=12078&item_no=1&attribute_id=16&file_no=1&page_id=13&block_id=21
0460考える名無しさん
垢版 |
2018/09/08(土) 14:21:01.530
>>459
いまとなっては、なぜドゥルーズに夢中になったのかわからない、という人が多いだろう。
なにかへの思いの強さだけは伝わってきたが、中身は陳腐だったり無意味だったり。
哲学に夢中になれる人がいた、ということだけは間違いない。

思春期の恋の病みたいなものかな?
0462考える名無しさん
垢版 |
2018/09/13(木) 18:59:49.240
こんなの読んでる暇がったらアルト−の詩でも読んだほうがいいよ
0463考える名無しさん
垢版 |
2018/09/13(木) 20:41:25.330
ダブルバインドの反復により発症する分裂症の症例の分類:
1言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)
2言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型[解体型])
3コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)
ベイトソンの1956年に発表した論文「精神分裂症の理論化に向けて」(『精神の生態学 』新思索社,299~308頁)参照

浅田彰『ダブル・バインドを超えて』(1985)では、1がジョイス、2がベケット、3がアルトーに対応するとされている(64,87~8頁)。

Joyce 妄想型 paranoid https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ

ただし、破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の多くは統合失調症の原因というよりも、
パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。

《…ベイトソンは…バリへ行き、ともすれば暴力の突出につながりがちなニューギニアの社会とは対極的な、エネルギーを小刻
みに高く保つ術にたけた柔軟な社会を、そこに見出します。で、それを分析する途中、事実上ダブル・バインドに触れているんですね。一九四九年に出た「バリ:定常状態の価値体系」という論文の中では、母親が子供を愛撫し、子供が興奮して抱きついてくると
急に冷たいそぶりを見せる、という状況が描写されています。こうして適度のダブル・バインドをくぐりぬけることにより柔軟な
性格が形成される。それが、クライマックスの突出を避け、エネルギーを小刻みに高く保とうとする文化を生み出す。おおよそ、
こういうことになるでしょう。蛇足ながら、ベイトソンはそういう高エネルギー定常状態を「プラトー」と呼んでおり、そこから
ドゥルーズとガタリの書物が『ミル・プラトー』と名付けられることになります。》(『ダブル・バインドを超えて』100~1頁)
0464考える名無しさん
垢版 |
2018/09/13(木) 20:43:58.630
だから何だよ
0465考える名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 08:03:02.570
ドゥルーズを読む人はヘーゲルやデカルトはバカにして読まなそう
0466考える名無しさん
垢版 |
2018/09/14(金) 16:08:20.650
小泉義之はドゥルーズ研究者として通ってるがデカルト研究者でもあったな
財津理もそう
0470考える名無しさん
垢版 |
2018/09/15(土) 12:18:34.050
>>469
今どきドゥルーズに関心持つのなんてもともと哲学に興味のある人だけだから
ドゥルーズやデリダが世間で流行した時代はもう終わっただろ
0472考える名無しさん
垢版 |
2018/09/18(火) 08:03:47.020
いや、SNSとかでは未だに現代思想かぶれをよく見るぞ
ていうか大学の教員にも多い
とくに文学や美術が専門の人
0474考える名無しさん
垢版 |
2018/09/18(火) 20:35:27.090
>>473
もう廃れてるだろ?

いまはドゥルーズじゃ、大学に残れないんじゃないか?
0476考える名無しさん
垢版 |
2018/09/18(火) 23:33:48.240
>>475
それは失礼。

あのパンジー畑のようなドゥルーズで、どうやって論文書くんだろう?
0477考える名無しさん
垢版 |
2018/09/18(火) 23:47:05.500
ドゥルーズは第一に哲学史家
差異と反復も哲学史として読める
0478考える名無しさん
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2018/09/19(水) 00:01:23.140
>>477
なにしろドゥルーズだからどう読むのも自由だけど、『差異と反復』を哲学史して読むと何か発見でもあるの?
0479考える名無しさん
垢版 |
2018/09/19(水) 11:51:53.230
>>473
哲学史全体の理解が浅いままドゥルーズにばかり言及するのはかぶれだよ
0480考える名無しさん
垢版 |
2018/09/19(水) 13:25:13.340
スレ民は近藤和敬ぐらい読むべき
ドゥルーズガチ勢はちゃんと学者だから
0483考える名無しさん
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2018/09/20(木) 05:29:33.130
仮にドゥルーズが思想家ではなくポエム家だったとしても
大学に在席してその研究をしていれば学者だよ
どんなポンコツ詩人が研究対象でも文学者は文学者に変わりないのといっしょ
0484考える名無しさん
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2018/09/20(木) 09:15:38.050
>>483
>大学に在席してその研究をしていれば学者

それも学者の定義の一つだね。
在野の学者を含めることができないのが難点だが。

たしかに、ドゥルーズはポンコツ詩人だが、研究というからには、歴史的にと同時代としての位置づけができないといけないよね?
思い付きの言葉の理解と創出、使い古された心理と社会の分析しかできなかったドゥルーズに、そんな位置があるのかな?
そもそも、なんの歴史と時代に位置付けるんだろう?

哲学での位置づけは、無理だろ?
0485考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 09:25:54.540
ドゥルーズがいなければタルドやシモンドンは邦訳されてないだろう
スコトゥスも
サドとマゾの定義もドゥルーズが変えた
スピノザとライプニッツの関係も変えた
接続詞「と」の認識はゴダールに先行する
ハイデガーも出来なかった複数性を提示し得た
20世紀最大の哲学者はドゥルーズ
0486考える名無しさん
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2018/09/20(木) 09:36:14.170
>>485
>サドとマゾの定義もドゥルーズが変えた
>スピノザとライプニッツの関係も変えた
>接続詞「と」の認識はゴダールに先行する
>ハイデガーも出来なかった複数性を提示し得た

スゲえな・・・

なにをどう変えたの?
0487考える名無しさん
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2018/09/20(木) 11:46:18.420
ハイデガーが一元的なのはあえて神学的なオントロジーの問題を追求した人だから当然では
複数性は何もドゥルーズにかぎった話じゃないでしょ
ニーチェもライプニッツもだし、なんならプロタゴラスもそう
0488考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 14:22:17.180
吉本の『アンチ・オイディプス』評は、率直な読みとしてこの本のもっとも優れた批評だと思う。
スターリン的云々というのが唐突だが、哲学史的な知識と無関係に独立して読める。

                           《…わたしが『共同幻想論』でやったことは、この
本でD―Gのやったのと、まったく反対のことだった。国家や社会体は「共同幻想」であり、家族は「対幻想」
であり、個人は「個人幻想」であり、この三つはまったく異なる次元の幻想として扱われなければならない。こ
の著者たちが「一切は機械をなしている」と述べているのになぞらえていえば「一切は幻想をなしている」とい
うのがわたしの理念の生産であった。この本の著者たちがいうように「一切は機械をなしている」というのが唯
物論的だとすれば、わたしは極度の観念論的だということになるし、著者たちからわたしの「対幻想」の分離と
設定が反動的にみえるとすれば、その度合に応じて、わたしの方からはD―Gたちはスターリン的マルクス主義
のラジカルな変種にみえることになる。 》
「『アンチ・オイディブス』論」(『吉本隆明全集撰3 政治思想』590-1頁より)

両者の関係を考える時、以下のヴィトゲンシュタインの言葉が示唆的だ

《私が進んできた道は次のようなものである。観念論は人間をユニークなもの
として世界から分離する、唯我論は私だけを分離する。そして最後に、私が見て
とるには、私もまた残余の世界に属するのである。従って一方には何も残存し
なく、他方には世界がユニークなものとして残存する。このようにして観念論
は厳格に考え抜かれると実在論に至るのである。》
(ウィトゲンシュタイン、1916年10月15日、
「草稿」邦訳『ウィトゲンシュタイン全集第一巻』277頁より)
0489考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 14:29:31.380
AOに関してはガタリを無視出来ない

以下参考:
吉本隆明&ガタリ1987
善悪を超えた資本主義の遊び方、マリクレール1987年4月号(『よろこばしい邂逅』青土社 より)

ガタリ 吉本さんの考え方で資本という言葉のかわりに市場、国家という言葉のかわりに
社会的実践と、もし入れかえていただけたら私は吉本さんに全面的に賛成です。つまり資
本とは、ある一定の国際的なカーストの力ですからね。それに対して市場経済とはまさに
財、思想、文化、研究といったものの自由な流通、サーキュレーションです。ですから私
は市場経済には全く賛成ですが、資本に対しては反対です。…吉本さんのお話をたとえば
チリのような国に適用したとすると、それはもう社会、経済の根本的な破壊につながるこ
とだと思います。

吉本 いや、正にその問題がガタリさんの著書を読んでいてぼくが一番違和感を感じると
ころなんです。いま何を一番考え直さなきゃいけないか。それは資本主義と社会主義を先
験的に分けてしまうその考え方です。ガタリさんの著書を読むと、資本あるいは資本主義
は先験的に悪なんです。…
0490考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 14:30:09.720
ガタリ 私は資本主義が悪だと言ったことはないし、資本を全面的に否定したつもりもあ
りません。私は資本の優越性は、あるタイプの社会・経済関係をよく整理することができ
るということにあると思うんです。その点に関しては、私は資本主義が社会主義より劣っ
ているとは考えていません。また私は社会主義と資本主義とを対立させても考えておりま
せん。私は、さまざまなタイプの社会主義はすべて資本主義のヴァリエーンョンの一つだ
と思うんです。…創造的な態度をとる必要があります。それゆえに美学的なパラダイムが
非常な重要性を持っているのです。音楽家が音楽を創り、画家が絵を産み出すように、い
ま社会を生み出さなければならないと思います。…
 第三世界に対して食糧を運ぶことが必要なのではありません。飢餓自体は吉本さんのお
っしゃるとおり現地の権力の腐敗や収奪といったものにも起因しているわけですから。そ
うではなくてむしろ最新のテクノロジーや新しい生産様式を彼らが自分のものにすること
の方が大事だと思います。…
 私がどうしても認められないのは、まず最初に荒廃があって、その荒廃の上に進歩みた
いなものをつけ加えるという考え方なんです。その荒廃がいけない。

吉本 いや、ぼくは、国家なり社会なり制度というものは無菌的よりも、デカダンスを包
括していないとダメなんじゃないかと思うので荒廃に対してあまり否定的ではないんです
よ。もう時間がなくなってしまい残念ですが、またいつかお会いする機会がありましたら
是非とも続きをやりたいと思います。
(一九八七年一月二十一日、銀座三笠会館にて)通訳 小林康夫
0492学術
垢版 |
2018/09/20(木) 16:57:41.090
アオちゃんの書だよ。アンチオイディプスは。分裂症があの短文で捌けるか?
その段のレヴェルですら無理そうな感じ。
0493考える名無しさん
垢版 |
2018/09/20(木) 19:50:29.760
とりあえず長文連投はやめてくれないかな
2ちゃんなんて3行でおさまる内容の話だけしてればいいんだよ
それ以上の話がしたければ学会に行け
0495考える名無しさん
垢版 |
2018/09/21(金) 21:01:56.510
こんなの読んでる暇あるならアルトーの詩でも読んだほうがいいよ
0496考える名無しさん
垢版 |
2018/09/22(土) 09:12:50.960
ボブ・ディランもオススメ


《BOB DYLAN / 11のあらましな墓碑銘 (より、つまみ食い的抜粋。)

さよう わたしは思想ドロボー
だが 誓って 魂のぬすっ奴じゃない
わたしは建て 建てなおした
海辺の砂を待っているものの上に
たくさんの城をきざむ
わたしの時間の前に
開かれているものの上に
ひとつのコトバ ひとつの調子 ひとつの物言 ひとつの行
わたしは心をひらく
そしてわたしの戸棚思想裏庭的雰囲気をみとめる

ちがう わたしは抵抗しすばやくツバを吐く
コトバという武器で》

上記はドゥルーズが『ドゥルーズの思想』(ディアローグ---ドゥルーズの思想 )で引用して話題になった。

《質問 ボブ・ディランって、本当に脱領土化なんですか?
ジル・ドゥルーズ ええ、そうですよ。ディランの声とは音楽的に言って何でしょう?
一種の抑揚のない声ですね。非常に面白い。どんどん鼻にかかったものになっています。》
(ジル・ドゥルーズ「音楽について」ヴィンセンヌでの講演、一九七七年三月八日)
(批評空間1998 6月 第二期18号)
0497学術
垢版 |
2018/09/22(土) 09:48:05.230
アルトーよりマルクス詩集ははるかに上。アルトーは交渉技術が舞台でぶれて、
簡単な世界で地方で終わったバカ。かっこいい役者持てる役者ってバカだろ?
0498学術
垢版 |
2018/09/22(土) 09:48:41.560
アルチュセール ランボー、の方がそれよりまだ上。
0499学術
垢版 |
2018/09/22(土) 09:50:37.140
罵る、罵声を浴びせる、下品な言葉を使う、とかが文学に関係あることは明白。
文学科なら、お国柄で、哲学者を飲み込んでしまえ。
哲学科があるなら、また話は違う。快速で、後塵を拝させる、切れ味のよさとか・
0500学術
垢版 |
2018/09/22(土) 09:54:21.850
哲学にかぶれた哲学者もどきは本当の声、本当の言葉、本当のうめき、本当の
吠え声、本当の書体、本当の咆哮を自己抑圧して無しにしてしまう、危険に気づかない腰抜け、
間抜け、だからな。哲学に教育者は必要で、戦場での驚きやひらめきの方がもっと大事で

どんな次元の教育が、統率行動が、文学悪にかったかな?
0502学術
垢版 |
2018/09/22(土) 10:46:41.010
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784560096512
酷い時代だがよさはあるよね。統失は女性の症例です。クスリも出ていて
心配ないでしょう。本人はそれほど
大げさではない。他者にとってどうかというところ。転移概念じゃ語りつくせないし、
精神分析のはるか先を行く。
0504考える名無しさん
垢版 |
2018/09/22(土) 10:56:19.920
>>501
ここに書いてれば、九大准教授や九大元院生みたいな事件は起こさないだろう。
0505学術
垢版 |
2018/09/22(土) 10:58:33.920
姐さん自験です。
0508考える名無しさん
垢版 |
2018/09/22(土) 22:09:12.660
>>494
ここの哲学スレごときをどんな評価してるんだよw
真面目な話、短文でまとめてるレスの方が内容も的確なのが多いだろ
0509考える名無しさん
垢版 |
2018/09/22(土) 23:31:57.540
>>508
短文しか読めないのが、ネット世代の特徴になっちゃったね。

短文は短文、思い付き以上のことは書けないよ。
0510考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 03:19:35.880
《‥…「私と同じようにやれ」と 言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちに
とっての唯一の教師は、わたしたちに 対して「私と共にやりなさい」と言う‥… 》
(『差異と反復』単行本49頁より) .
0512考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 06:12:57.920
トーマス・マン『魔の山』より
「おそらくあなたは悪意にたいして少しも敵意をもっていらっしゃいませんな、 技師さん。
私は悪意というものが、闇と醜悪さの力に対抗するための理性のもっとも輝かしい武器だと
思っているん ですよ。悪意というのはね、これは批評の魂です。そして批評というのは、発展
と啓蒙の源泉なんです。」

別訳、

「…あなたは意地の悪さに反対ではないでしょうね、エンジニア? わたしの見るところでは、
意地の悪さこそ暗黒と醜悪の諸勢力に対する理性のもっともかがやかしい武器なのです。
意地の悪さとは、あなた、批評の精神であなた、批評の精神であり、批評とは進歩と啓蒙の根源なのです」そして急にペトラルカについて話しはじめ、ペトラルカを「近代の父」と呼んだ。

魔の山 第三章 悪魔(サタナ) kindle版
0513考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 06:14:09.750
訂正

「…あなたは意地の悪さに反対ではないでしょうね、エンジニア? わたしの見るところでは、
意地の悪さこそ暗黒と醜悪の諸勢力に対する理性のもっともかがやかしい武器なのです。
意地の悪さとは、あなた、批評の精神であり、批評とは進歩と啓蒙の根源なのです」そして急に
ペトラルカについて話しはじめ、ペトラルカを「近代の父」と呼んだ。

魔の山 第三章 悪魔(サタナ) kindle版 より
0514考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 06:16:00.190
《ビンビイは私に、めったに多くを語らなかった。彼は個々の
人間にたいしてつっけんどんだったが、私は彼に好かれている
と感じた。彼と友だちになろうという気になったのは、彼が宗
教を論じるのを聞いたときである。私は自らを、もはや無神論
を越えたものと見なしていた−−つまり私はサタンだった。し
かしビンビイは無神論哲学を、いわば一つの体系のなかにおさ
めたのである、私はそれまでの激しい罵倒による宗教攻撃をや
めてしまった。私の態度は彼にくらべるとじつに迫力のないも
のに思われた。そのうえ彼は、下品な言葉など一度も口にした
ことさえなかったのだ。》
(『マルコム・X自伝』邦訳206頁 )
0515考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 10:59:16.520
>>511
そういうのは反論にならないんだよねw

短文でなにかを言い切るというのは、小泉が流行らせた。
安倍も真似をして、中身が無くてもただ言い切ることで、人々の信頼を得ている。

ヒトラー・ナチスを継承している政治家だが、それに乗るのが短文愛好家の若年層なんだろうな。
0517考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 13:13:30.100
>>516
根拠なく決めつけるのが、長文が理解できない、新聞も読めない知的下層の特徴だもんね。
0518考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 17:11:09.140
>>517
うんうん
だから短文が好きな人は小泉やナチスの影響下にあるとか
短文は思い付きしか書けないとか根拠もなく決めつけちゃうんだよね
0519考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 20:07:04.410
>>518
根拠はあるよ?
小泉、安倍の短文切り捨て口調を支持してるのは、若年層の、新聞も読まない人たちなんだから。

考えさせないことが、小泉-安倍の政権運営法だし、それを支持してるのが若年層だ。
考えさせない政権、というのはナチスに端を発して、小泉‐安倍、あるいはトランプに引き継がれている。
0520考える名無しさん
垢版 |
2018/09/23(日) 20:08:11.140
ドゥルーズは、わけのわからないことをたくさん考えさせる、という哲学者だったなw
0525考える名無しさん
垢版 |
2018/09/30(日) 20:37:14.260
ジルベール・シモンドンの『個体化の哲学』からやり直すの推奨
特に吉本隆明のドゥルーズ批判が世界で最も優れているみたいな妄言をはきつづけているやつがここに居座ってる以上、
なんかない限りこのスレは不毛なまま
0528考える名無しさん
垢版 |
2018/10/01(月) 14:24:50.280
誰でも薄っすら感じてることを勿体ぶった言い回しで延々と言い換えて書いてるだけの人
0529考える名無しさん
垢版 |
2018/10/04(木) 20:20:27.910
>>528
つまり村上春樹みたいなものか
0531考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 09:49:03.570
基礎づけるとは何か (ちくま学芸文庫) 文庫  2018/11/8
ジル・ドゥルーズ (著), 國分 功一郎 (翻訳), 長門 裕介 (翻訳), 西川 耕平 (翻訳)

関連論考
ドゥルーズ哲学における思想的断絶と変遷 : 自然の 問題を中心に
小林, 卓也
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/33992/26827_%E8%AB%96%E6%96%87.pdf

《…ドゥルーズ固有のカント理解を読み取るためには、そこで想定されている議論の問題背景を
あらかじめ理解しておく必要がある。そこで本節で参照するのは、1956年から 57 年にかけて
ドゥルーズが行った「基礎づけるとは何か」(Qu’est-ce que fonder?) と題された講義である。
この講義は、1953年の『経験論と主体性』と1963年の『カントと批判哲学』の間に位置し、その
当時のドゥルーズがどのような問題意識を持ち、どのような哲学史的文脈に自らを位置づけて
いたのかを知る手がかりとなるだろう。 》
0533考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 09:57:25.270
眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』 2018/7/26
福尾匠 (著)


また、「私は素朴な観客です」というドゥルーズの言葉どおり、「見たまま」を肯定する態度は、
ドゥルーズの哲学の創造性とどのようなつながりがあるのだろうか。

映画から哲学へ、哲学から映画へ、まっすぐに『シネマ』の核心へとスリリングに論じぬく…

「ゼロから読む」という名前のとおり、この本はジル・ドゥルーズの『シネマ』という書物の入門的
な解説書だ。したがって本書を読むにあたって、ドゥルーズについても、哲学についても、映画理
論についても知っている必要はない。映画をどれだけ見たことがあるかということもまったく
問題にならない。いずれにせよ本を読みながら映画を見ることはできないのだから。
0534考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 10:16:33.560
以下『記号と事件』より、『運動イメージ』について

《ドゥルーズ──視線の概念が本当に必要かどうか、疑わしいと思いますね。目ははじめから事物のなかにあるのだし、
イメージの一部にもなっている。つまり、目というのはイメージの可視性のことなのです。…

目に相当するのはキャメラではなく、遮蔽幕(スクリーン)のほうです。》
0536考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 10:33:06.000
>>530
自分の権威を貶されたと思ったら、いまになって悔しくなっちゃったの?
0537考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 10:39:04.400
>>535
人間というのは、3000年前から似たようなことを考え続けて、誰も答えを見つけられない。
哲学者はみんな一人一説。
考えてることが変だから、なんだろうな。

「人間とは精神を病んだ動物のこと」と言い切ってもよさそうだ。
0538考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 10:55:38.660
このスレだって中二病患者だらけじゃん
文学板のドゥルーズスレを笑えないね
0539考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 12:52:43.000
『基礎づけるとは何か』第3章ソクラテス関連でドゥルーズが珍しくプルードンに批判的に
言及しているが、あくまでマルクス『哲学の貧困』経由の認識であり、原典に当たっていない
のがわかる。

多分ベンヤミンが引用した以下の言葉も知らない。

「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。
アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」
(プルードン『革命と教会における正義』未邦訳、斉藤悦則氏のHPより)
http://www.kagomma.net/saito/works.html
矛盾と生きる――プルードンの社会主義(91.10)
http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。
0540考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 14:49:51.430
>>539
「アンチノミーは解消されない」、この一言で、ヘーゲル弁証法を理解してないことがわかると思うんだが・・・
プルードンは、ヘーゲルをまともに読んだことはないのだろう。
誰かの不正確な解説書頼みだったような気がする。

マルクスを苛立たせたのは、たぶん、そのせいだと思う。
0541考える名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 20:06:34.760
アンチノミー 弁証法 プルードン
言いたいだけなんだろうな
0542考える名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 09:47:25.870
ヘーゲルの弁証法はまさにアンチノミーを解消していく過程のことだからな
0543考える名無しさん
垢版 |
2018/10/09(火) 09:25:29.120
>>540
そこはヘーゲルに対して異説を唱えている部分だから内容がヘーゲルと違うのは別にいいのでは
妥当な主張かどうかは別にして
0544考える名無しさん
垢版 |
2018/10/09(火) 10:25:01.790
>>543
ヘーゲルに対する反論になっていない、という意味なんだけどな。
虎と闘おうとして、猫のぬいぐるみを攻撃してる、みたいな。

関係ないけど、僕自身はプルードンの言い回しは好きだ。
ただ、ときどき、この種の踏み外しが出てくる。
0545考える名無しさん
垢版 |
2018/10/09(火) 10:27:29.690
ヘーゲルを否定するプルードンというのは、フロイトを攻撃するドゥルーズと重なって見えてくる。
0548考える名無しさん
垢版 |
2018/11/12(月) 11:37:18.120
絶対精神を頂点とする弁証法は最悪だが
本来ヘーゲルの体系はAとBがアウフヘーベンされCになっても
CとAがさらにBにアウフヘーベンされるという循環システム(逆回りもある)
父と母から生まれた赤子もやがて親になり循環するというように
(キリスト=子には父がいないからそうした読みはできないが論理学、自然哲学全般、には妥当する)
カントの三批判もそうした読みが出来る
これでヘーゲルの体系を再評価できる
自分はプルードンのヘーゲル批判(>>539)は歴史的には決定的だと考えるが
ただし根本的なものではないというのはわかる
より根本的には柄谷行人のように代替案を提示する必要がある
マルクスから影響を受けつつ柄谷体系がプルードン再評価を含むのは象徴的である
0549考える名無しさん
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2018/11/12(月) 11:49:01.640
基礎づけるとは何か (ちくま学芸文庫) 文庫  2018/11/8
https://www.amazon.co.jp/dp/4480098879

ネットで公開されている「ドゥルーズ哲学における思想的断絶と変遷 : 自然の問題を中心に」
なる小林卓也氏の論考にはこうある。

《…ドゥルーズ固有のカント理解を読み取るためには、そこで想定されている議論の問題背景を
あらかじめ理解しておく必要がある。そこで本節で参照するのは、1956年から 57 年にかけて
ドゥルーズが行った「基礎づけるとは何か」(Qu’est-ce que fonder?) と題された講義である。
この講義は、1953年の『経験論と主体性』と1963年の『カントと批判哲学』の間に位置し、その
当時のドゥルーズがどのような問題意識を持ち、どのような哲学史的文脈に自らを位置づけて
いたのかを知る手がかりとなるだろう。 》

ドゥルーズはヒュームとカント以外にもソクラテスについて書いている。さらにドゥルーズが珍しく
プルードンに批判的に言及しているが、あくまでマルクス『哲学の貧困』経由の
認識であり、原典に当たっていないのがわかる[2018年邦訳文庫版では49頁]

多分ドゥルーズはベンヤミンが引用した>>539の言葉も知らない

ただし、ここからが肝心の点だがドゥルーズは実は思想史的に意図せずしてプルードンを受け継いでいる。
以下のプルードン経済学草手稿の一節は、ドゥルーズ+ガタリによる「器官なき身体」「欲望する諸機械」
といった用語の使用法を想起させる。

「経済学者たちの無能ぶりと科学の不条理さを目の当たりにして,私は仮説を変えた。つまり,定義された
諸観念を使いながら前に進むのではなくて,未定義の観念から出発した方がよいのではないかと考えたので
ある」
プルードン『経済学』草稿(未刊行、邦訳なし)、邦訳なしより
「プルードンの未発表手編『経済学』について」斉藤悦則から孫引き

なお、邦訳文庫版は
1基礎づけるとは何か? の他に、2ルソー講義 3女性の記述 4口にすることの輪郭
5ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ を含みお得である
0551考える名無しさん
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2018/11/12(月) 12:46:32.110
これまで働いたことも無い高齢者が
何を言ってるのだろう
0554考える名無しさん
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2018/11/20(火) 03:56:51.910
「ニューアカ」(笑)ブーム時代に大学生だった世代の長文コピペ連投
0555考える名無しさん
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2018/11/20(火) 09:41:16.150
>>554
ニューアカも、どうせなら丸山眞男でも復権させればよかったのにね。
それなら、少しは現実との対峙も可能になっただろうに。
0556考える名無しさん
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2018/11/20(火) 09:43:46.600
ルソー講義におけるヘーゲルのルソー批判の文脈で
突然スピノザが出てくる(基礎190頁)。
訳注によると神学政治論16,20章の要約らしい。

《スピノザは社会状態においても自由を維持している。「私は単なる
必然性だけでは満足しない」とスピノザは言う。そこで維持される
新しい自由とは,近代世界においては思考の自由ということになろう。》
0557考える名無しさん
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2018/11/23(金) 19:49:43.800
ニューアカは現代日本におけるソフィストだと思ってる
東浩紀とか宮台あたりも
0558考える名無しさん
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2018/12/03(月) 12:16:32.880
ドゥルーズにとって決定的な切断は68年ではなく第二次大戦だろう
(ABCで詳細に語っている)
だからシネマ1,2が重要になる
ニューアカはこうした切断を経ていない
前提として自明視しているものが多すぎるから普遍的思考にならない
東浩紀は社会的インフラを前提にし
浅田彰はテクノロジーを前提にし
柄谷行人は翻訳を前提にしている
柄谷だけが第二次大戦の断絶を経験している…


ドゥルーズを世代論で片付けられはしないが。

《−−あなたは怪物ですか?
「怪物」というのはまず、混成的な存在です。そしてたしかに私は、一見すると多種多様な
主題について書いてきました。怪物には第二の意味があります。すなわち、極端な規定が、未
規定なものを十全に存続させておくような何かや誰かのことです(たとえばゴヤ風の怪物)。
この意味で、思考とは怪物なのです。》
 邦訳『ドゥルーズ書簡』110~1頁より
0559考える名無しさん
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2018/12/03(月) 12:19:17.480
>>556
ドゥルーズの念頭にあるのは以下だろう。

「国家論に関して私とホッブズとの間にどんな相違があるかとお尋ねでしたが、その相違は次の点にあり
ます。即ち私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています( semper sartumtectum conservo )。
従って私は、どんな都市の政府も力において市民にまさっている度合に相当するだけの権利しか市民に対
して有しないものと考えています。自然状態においてはこれが常道なのですから。」*

*書簡50(1674年6月2日付のイエレス宛書簡)、『スピノザ往復書簡集』、畠中尚志訳、岩波文庫、
237-238頁。スピノザは『神学政治論』第16章の傍注(33)でもホッブズの名を挙げて、ホッブズの
説との対比で自説の特色を述べている(岩波文庫上?301−2頁)。
0560考える名無しさん
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2018/12/03(月) 14:05:43.960
コピペばかりで申し訳ないですが誤字脱字訂正のうえ、サルトルのプルードンへの言及を紹介します。
ドゥルーズはプルードンを評価しませんでしたが、晩年、サルトルを再評価していたことは再確認すべきでしょう。
(ちなみに柄谷行人はデリダにサルトルの影響を見ています)
サルトルの弁証法理解はそのままドゥルーズに受け継がれていると思います。
以下引用です。

「マルキシスムもまた競争相手の理論を吸収し、消化して、開かれたままでいなければならなかったにちがいない。
ところが人も知るように実際につくり出されたのは、百の理論の代りに二つの革命的イデオロジーにすぎなかった。
ブルードン主義者は、一八七〇年以前の労働者インターナショナルでは多数を占めていたが、パリ・コンミューンの
失敗によっておしつぶされた。マルキシスムは敵対者に打勝ったが、その勝利は、マルキシスムがのり越えながら
そのなかに含んでいたヘーゲル的否定の力によるものではなく、純粋に単純に二律背反の一方の項を押えた外力に
よるものであった。その光栄のない勝利がマルキシスムにとってどういう代価を意味したかは、何度いってもいい
過ぎない。すなわち矛盾する相手が欠けたときに、マルキシスムは生命を失った。もしマルキシスムが最もよい状態
にあり、絶えず戦い、征服するために自己を変革し、敵の武器を奪って己れのものにしていたとすれば、それは精神
そのものとなっていたであろう。しかし、作家貴族がマルキシスムから千里もはなれたところで抽象的な精神性の番
人になっている間に、マルキシスムは教会になったのである。」

サルトル『文学とは何か』(1947)第三章「誰のために書くか」(『シチュアシオン2』人文書院p141.加藤周一訳)

上記の問題意識は『弁証法的理性批判 』(1960)の組織論、集団論につながります。
0561考える名無しさん
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2018/12/03(月) 14:08:21.180
ドゥルーズ基礎づけるとは何か?95頁あたり、
邦訳は注が充実しているのだが(176頁に関連注)
カントの『活力測定考』(1747)*に言及していないのは惜しい。


1747年 04月22日 『活力測定考』Gedanken von der wahren Schatzung der lebendigen Krafte
(関連論考としては『思想の中の数学的構造』山下正男p205がカントの自然哲学を説明していてわかりやすい。)

運動量をmvとすると、運動エネルギーは1/2mv^2であらわされる。
18世紀これはそれぞれデカルト派とライプニッツ派に分かれて論争になった。
物質を上から落とした時の衝撃がmv^2だ

『活力測定考』(1746)ではライプニッツ的な形而上学的視点を重視しながらもその不備を指摘することで
デカルト派(mv)とライプニッツ(mv^2)の両者を調停しようとしたのだ(多くの研究者はそれが失敗に終
わったと考えている)。
0566考える名無しさん
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2018/12/05(水) 22:19:23.830
>>528
ほんとこれ
意味の論理学読んでる途中だけど
比喩が話をわかりにくくしているだけでずっと同じこと言ってる
ドゥルーズの著書を読むのは初めてだけど読むのが苦痛でしかたない
わざわざ比喩で話す必要がどこにあるのか
卒論の字数かせぎかと思ってしまう
0567考える名無しさん
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2018/12/06(木) 07:09:45.990
ドゥルーズの21世紀 単行本 – 2019/1/17
檜垣 立哉 (編集), 小泉 義之 (編集), 合田 正人 (編集)
単行本: 560ページ
出版社: 河出書房新社 (2019/1/17) 6,264 円

ドゥルーズはなぜ新しいのか。最強の論者が結集した記念碑的論集。
宇野邦一、江川隆男、千葉雅也、國分功一郎、小倉拓也、近藤和敬他

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4309248969
0568考える名無しさん
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2018/12/06(木) 07:31:58.600
分析哲学系の人が論理学の文字につられて意味の論理学を読むと失望するだろう
意味の論理学はレトリックや修辞学を扱っているから
そしてなおかつ本質的な修辞学があり得るという話だから

同じ主題を差異と反復が扱っていてこちらの方が構築的という意味で論理学的だが
比喩を軽視する人には面白くないだろう
比喩というよりも思考モデルと言いたいが
新たな概念の創造に興味がなければドゥルーズを読む必要はない

それでも哲学史に興味があれば差異と反復は最高の哲学史

例えばソーカルはライプニッツも読まずドゥルーズを批判し
ソシュールも読まずラカンを批判している
哲学史に疎いとわからないこともある
0569考える名無しさん
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2018/12/06(木) 07:40:47.260
文学を軽視する人にはドゥルーズがライプニッツの手紙を要約した以下の言葉を紹介したい
ちなみに『アストレー』はロメールが遺作として映画化している

「ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の水準で
新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与 えるのだ(略)。この規則とは可能世界は神が
選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ライプニッツによれば
『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的なものの理念を与えるので
ある。」(ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳邦訳 p110)
0570考える名無しさん
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2018/12/06(木) 11:24:47.360
>>568
哲学史の専門家は『差異と反復』をどう評価しているの?
ライプニッツやソシュールの専門家は?
0571考える名無しさん
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2018/12/06(木) 13:34:09.540
>>566
フーコーに言わせれば、フランス人はまわりくどくわかりにくく書かないと、哲学とは認めてくれないんだそうだ。
0572考える名無しさん
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2018/12/06(木) 13:36:46.510
>>568
『差異と反復』がすごい、とか、画期的だとか、新しい哲学だとかいう人はそれなりにいるけど、なにが、とか、どこが、とか書いてる人を見つけるのは大変だよね。
ドゥルーズの哲学史上の意義というのは、なに?
0575考える名無しさん
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2018/12/06(木) 16:23:58.700
>>572
俺は全く専門外なのでアレだが
ハイデガー以来の体系的な形而上学の思想家だから評価されてるっていうのはあると思う
ここまで巨視的にいろんな方面の話を一つにまとめた人は戦後他にあまりいないよな
0576考える名無しさん
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2018/12/06(木) 16:32:30.390
ドゥルーズは初期ラッセルが発想源のひとつ
分析哲学になる前の頃
0577考える名無しさん
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2018/12/06(木) 21:12:52.470
>>575
ドゥルーズが体系的で巨視的?
ハイデガー以来の体系的な形而上学?
ハイデガー自体、全然体系的ではないと思うが。

たしかに、全く専門外の人なんだろうな。
0578考える名無しさん
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2018/12/06(木) 21:19:11.840
ハイデガーは『存在と時間』だけが一応体系的という感じで
あとはだらだら存在について語っているだけだからね。
ドゥルーズもあまり変わらんと思うけど。
0579考える名無しさん
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2018/12/06(木) 21:35:38.430
ハイデガーの「存在」概念は、手塚修の漫画「火の鳥」に出てくる「宇宙生命」と変わらないね。
勉強家の手塚だから、ハイデガーに影響受けたのかもしれない。
ハイデガーよりよほど明快w
0580考える名無しさん
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2018/12/06(木) 23:08:20.770
>>568
あれと修辞学を一緒にするのは修辞学に失礼な気がする
あれは比喩や思考モデルや概念の創造というよりも媒概念曖昧の虚偽だよ
0581考える名無しさん
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2018/12/06(木) 23:16:46.340
媒概念曖昧の虚偽で片付くならドゥルーズ研究はここまで盛んじゃない
0583考える名無しさん
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2018/12/06(木) 23:29:59.260
>>581
それは権威に訴える論証だ
の一言で終わるとおもしろくないから
媒概念曖昧の虚偽でどう片付かないのか説明してほしい
0584考える名無しさん
垢版 |
2018/12/06(木) 23:35:29.730
>>582
概念の創造に興味がなければドゥルーズを読む必要はないとまで言うのなら
ドゥルーズガタリ好きがどれほど概念を創造してきたのか教えてほしいよね

シニフィアンとシニフィエの結び付きについて書かれたものならロラン・バルトの『神話作用』のほうがよっぽどまとまってるし読んでいておもしろい
0586考える名無しさん
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2018/12/07(金) 00:04:37.650
>>585
吉本隆明ごときにバカにされても、なんの反論もできないのがドゥルーズ研究者。

この情けない現実をどうにかしろよw
0587考える名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 09:17:38.630
媒概念曖昧の虚偽を気にしない馬鹿が大勢いるから
ドゥルーズ研究はここまで盛んなんだろう
0588考える名無しさん
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2018/12/07(金) 11:01:56.140
意味の論理学は本当に意味の生成過程を記述できているのか甚だ疑問だ
自分が使いたいように自分が捉えたいように言葉と向き合っているように感じる
精神分析と言葉の分析を結び付けたあたりがその頂点
0589考える名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:09:25.480
ドゥルーズは文学作品みたいなものだぞ
哲学史と現代社会をひとまとめに説明した文学作品として評価されてるんだよ
0590考える名無しさん
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2018/12/07(金) 18:16:35.190
>>577
ハイデガーが体系的じゃないとなると
もはやヘーゲルも体系的じゃないということになりそうだな
0591考える名無しさん
垢版 |
2018/12/07(金) 19:16:35.780
>>590
ヘーゲルは体系的だろ?
個人の存在から国家の存在まで、人間の精神世界を余すところなく分析しつくそうとした。
ハイデガーのどこが体系的?
0594学術
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2018/12/07(金) 19:52:22.530
ドゥルーズはあまり詳しくないな。資本主義と分裂症をみて幻滅した。
哲学とは何か?のほうがいいかもね。
0595考える名無しさん
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2018/12/07(金) 19:56:00.050
ズドルゥのダムタイプ論は中世論になっていて
パフォーマンス1ではより詳しくインスタレーション
と対比する形になっている

ちなみにハンガリーの当時の舞踊批評業界では
構築派と反プルードン派のように派閥があったが
ズドルゥが意味を宙吊りにし軽やかに飛び越えて
みせたのは新鮮だった

パフォーマンス1,2が示すのはズドルゥにとって
1192年より第一次大戦の方が本質的変化として
決定的だったということ
この観点からズドルゥはさらに中世論を
反サルトル的身振りで重要視する

こうした舞踊が思考のモデルを提示し得るということは、実存と本質がそれぞれ同時にあるという
サルトルを反面教師としたトマス・アクィナス理解を
緩やかに更新する
0596考える名無しさん
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2018/12/07(金) 20:52:20.080
ドゥルーズといえば私でも名前は知ってる。
新聞や週刊誌の書評欄や文化欄みてれば幾度も目にする名前、著名な哲学者ですよね。
それがこのスレではバカにされてる。何故?
0597考える名無しさん
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2018/12/07(金) 21:19:53.770
>>596
ドゥルーズを含むフランス現代思想は一昔前にいい歳をした中二病患者を大量に生み出したんだよ
今はその反動で過去の黒歴史を恥じる人と意識高い系を笑い物にする人がせっせとネガっている
流行り物に乗っかる人と流行り物をバカにする人たちの間で行われているゲームみたいなもの
0598考える名無しさん
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2018/12/07(金) 21:34:35.830
実際読めば
いかにも哲学っぽい言葉に溺れた芸術作品だと分かる
様式としては十分面白いが、そういうジャンル
であると理解できないと不味い
0599考える名無しさん
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2018/12/07(金) 21:40:10.950
ドゥルーズ自身より、流行を追っかけてナンボだった
フランス現代思想業界が30年前のスターだったドゥルーズ
にいまだに頼らざるをえないところが馬鹿にされているのでは
0600考える名無しさん
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2018/12/07(金) 22:05:17.620
ドゥルーズの書き様は
哲学の文学趣味の頂点
原理的にはもっと難解な錯綜した
論文あってもいいはずだがないだろうな

だから読み物としては極めてユニークで勧められる
0601考える名無しさん
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2018/12/07(金) 22:13:32.490
メタファーや造語による読みにくさでごまかしているけど論理が怪しい部分が結構あるよね
哲学史家として終わっていればよかったのに精神分析みたいな訳のわからないものと哲学を結びつけて哲学を訳のわからないものにしてしまった
0602考える名無しさん
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2018/12/07(金) 22:17:21.290
5〜10ページくらいで済みそうな話を数百ページにしてしまう
ある意味才能だと思うけど同じこと繰り返し述べているだけでつまらない
0605考える名無しさん
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2018/12/07(金) 22:30:41.390
フーコーやデリダは読めるがドゥルーズは読めない
フーコーやデリダからは知的刺激を受けたがドゥルーズからは全く受けない
このドゥルーズへの拒否感は自分が頭が悪いからなのかと悩んでしまう
しかしその一方でドゥルーズへの拒否感は概念やモデルへの拒否感なのかもしれないとも思えてくる
概念やモデルに収束していくこと(ドゥルーズ自身は発散を述べているが)
つまりややにすれば思考停止へと転げ落ちるかもしれないという懸念
0606考える名無しさん
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2018/12/07(金) 22:36:18.420
どこかである意味思考停止しないと、一生自分の立ち位置が分からないままだよ。
0607考える名無しさん
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2018/12/07(金) 22:51:55.760
>>603
俺はドゥルーズをケージの書き物みたいに
芸術作品として見ているだけ

でそれは例えばダーウィンの自然選択や
モンテスキューの三権分立みたいな思想
とは一緒にできないという立場

だから思想展開が自己目的化した現代音楽みたいなもんで
知的刺激の作品化
0608考える名無しさん
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2018/12/07(金) 22:53:38.140
近い感じになりがちなやつに
ベンヤミンがいるが普通に読めるものも
いっぱいあるからな

普通に理解して面白い思想だから
多少意味不明でも自分がアタマが悪いとか
思わない
0609考える名無しさん
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2018/12/07(金) 23:07:58.050
昔フーコー読んでて内容はとにかく
訳はなんかザ現代思想じゃないなあ
雰囲気は意外とないもんだなあと思ってた
つまりいかにもフランス思想って感じじゃなくて

でそのずっと後にドゥルーズ読んで
ようやく分かった
ああコレコレ、かぶれはみんなこれをやってるんだ
やりたいんだ、ってとんでもなく腑に落ちたよ
こういう語り口調にメロメロになるんだって
0610考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 08:04:24.160
>>606
デリダは決定できないものを決定する瞬間に責任が生じると言っているが
ドゥルーズからはそういった責任を読み取れない
むしろ無責任にメタファーで遊んでいるように見える
それが文学と呼ばれる所以だろうが
またドゥルーズは発散を説きつつも自身の概念やモデルについては収束することを願っているようにも見える
ドゥルーズ自身が思考停止に転げ落ちている可能性がある
0613考える名無しさん
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2018/12/08(土) 08:32:08.350
フランス思想の恥部だな
恥部を見て感激する人間がいてもいいが
さもそいつ以外にも重要だと言い出すと
おかしなことになる
0615考える名無しさん
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2018/12/08(土) 10:01:44.720
ドゥルーズをバカにする人はモンテーニュやニーチェもバカにするの?
思想と文学は切り離せないものだと思うが
0616考える名無しさん
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2018/12/08(土) 10:26:30.390
奴隷道徳とか普通に理解できるし
エセーは随筆だろう

それがどうした
0618考える名無しさん
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2018/12/08(土) 11:07:07.050
哲学とは何か
文学とは何か
哲学と文学との間の差異とは何か
哲学と文学とを切り離せないということを受け入れるとしても
それは哲学と文学が同じであることにはならない
どうして両者の差異を見えにくくしようとするのか
差異をなくすことや見えにくくすることをドゥルーズは説いたのか
この点に矛盾を感じる
0619考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:20:16.860
エクソソーム研究見てると哲学ポエムって
結局なんやねんってちょっと悲しくなるわー
0621考える名無しさん
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2018/12/08(土) 12:53:09.360
>>618
哲学とは哲学論文として書かれたもの。
文学とは文学作品として表現されたもの。
書いた人の自己申告だよね。
0622考える名無しさん
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2018/12/08(土) 12:54:55.280
>>620
文学なところということなら、モンテーニュやニーチェに限らず、夏目漱石でも柄谷行人でもいいのか。
例にあげる意味はないな。
0623考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:11:08.360
>>621
それを言ってしまうと
意味を究極的に決定するのは主体だということになってしまう
はたしてそれはドゥルーズの主張に合致するだろうか矛盾するだろうか
0624考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:21:09.170
>>622
いいって何が?
ドゥルーズが文学だからゴミって言ってる人へのコメントだけど
文学だからダメっていうならニーチェやモンテーニュはどうなるのって質問
0625考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:25:14.030
>>623
意味という言葉の定義の問題だね。
ドゥルーズに限らず、哲学では、定義が曖昧なまま言葉に引きずられている論考が非常に多い。
0626考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:27:10.950
衒学的ファッションの自由詩として
読めば面白いが、それだけでつまりアート枠
0627考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:29:20.990
>>624
だからさ、ドゥルーズが哲学の論考として文学的な言葉を表出している、つまり自分の思いを言葉に託しているだけだということが批判されてるんだろ?
哲学がいいか悪いか、文学がいいか悪いかの問題ではないということだよ。
自己申告の間違い、言い換えれば、ドゥルーズの自己認識が弱すぎるということだ。
0628考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:31:42.460
マオイズムに熱狂する国だから
哲学ポエムも深遠な神託に感じたんだろうな
0629考える名無しさん
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2018/12/08(土) 13:34:11.250
ドゥルーズ=骨法

こう考えると分かりやすい
面白いけど真に受けたらダメ
0630考える名無しさん
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2018/12/08(土) 13:34:35.120
>>627
そんなこと上では言われてないけど
ていうか思っていること言葉に託すなんて哲学者はみんなそうだろ
言語に批判的な言説さえ言葉で表現する以外ないんだから
ふわってしすぎてて何が言いたいのかわからん
0631考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:38:18.600
だから哲学者はダメってことじゃないか
0632考える名無しさん
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2018/12/08(土) 13:47:35.610
>>630
思っていること言葉に託す、というのは、感情を言葉に託すという意味で使った。
思いという言葉で、論理的な思考を想定することもできなくはないが、普通は「思い」という言い方であれば、感情の意味で使いことがほとんど。

論理を言葉で表す表現方法を哲学として、感情を言葉で表す表現方法を詩とするのが、一般的な哲学や詩の定義。
文学というと小説や文学理論も含むが、小説は広い意味での人間の体験を仮構し表現する。
小説や詩を対象とした論理を言葉で表すのが文学理論というとこになる。

いずれにしても、それぞれの定義を曖昧にしたまま批判だの言説だのといっても、意味がない。
0633考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:50:50.260
>>632
まず詩や文学を感情や体験の問題としてしか考えてない時点で文学のことを何もわかってないよ
話が噛み合わないわけだ
0634考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:55:06.140
>>633
考えるか考えないかではなく、言葉の定義の問題。
定義を明確にしようとしない時点で、哲学的思考として失格。
0635考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:58:36.790
>>634
それだとニーチェ以降の大陸現代思想を全否定することになるよ
まあ別にそれならそれでいいけど
0636考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:01:43.430
>>625
哲学とは何か文学とは何かを決定するのは主体だと明確に主張している(「書いた人の自己申告だよね」)以上全く反論になっていない

はたして意味を究極的に決定するのは主体だということはドゥルーズの主張に合致するだろうか矛盾するだろうか
0637考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:02:29.590
>>635
そうだよ?
定義を曖昧にしたままでの論理は成り立たない。
ハイデガーは論外として、ニーチェも文学的価値しかない。

いくらかまともな論理の考察といえるのは、フーコーぐらいかな?
0638考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:06:26.200
>>636
そもそもドゥルーズに主張などない。
ドゥルーズから主張を読み取れば、貧しい通俗的なマルクスとフロイト理解に突き当たってしまう。
あとは言葉に振り回された惨めな詩人の姿だ。

意味という言葉の定義を明確にしない限り、意味を決定するという言い方自体が成り立たない。
0639考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:08:11.080
>>637
だから論理というより文学と言ってるんだが
そもそも文学が何かをわかってないからそりゃあ伝わらないなとしか
一つ言えるのは、わかっていないものの価値判断を下すのは愚かだろうということくらい
0640考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:13:18.420
>>639
他人がドゥルーズを文学の範疇に入れるにしろ入れないにしろ、本人は哲学の論考だと考えている。
文学とは何かをわかるかわからないかも、まず始めは、文学の定義による。

僕は自分で使う言葉を定義しているが、君は定義を曖昧にしたまま、相手を非難している。
それでは、なに一つ、言えることはない。
0641考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:15:03.850
>>640
でも少なくとも君の言った文学の定義はめちゃくちゃだったからね
それでは、なに一つ、言えることはない。
0643考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:19:51.790
>>642
具体的に書いたじゃん
あと、苦し紛れに草生やすようなゲスと話たくないんだけど
0644考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:20:35.490
>>638
「意味という言葉の定義を明確にしない限り」と言うが一般的な用語にまで「定義」を求めていると会話が成立しない
>>638で言えば
「主張」とは何か
「読み取る」とはどういうことか
「貧しい」とは
「通俗的」とは
「マルクス」「フロイト」とは
「理解」とは
「突き当たる」とは
「言葉」とは
「振り回される」とは
「惨め」とは
「詩人」とは

例えば「マルクス」についてはその意味が明確でない
それは人名なのか
人名であるとしてもどのマルクスなのか(マルクス・アウレリウスの可能性もある)
しかし文脈から人名ではなくて「カール・マルクスの理論」であると判断できる
0645考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:21:50.320
もう誰がどの書き込みをしたのかわからなくなってきたな
0647考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:35:05.180
やっぱり5ちゃんはダメだな
哲学スレでもソシャゲスレでも民度が同じ
議論できるだけの素養がある人間は皆無
0648考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 14:45:09.600
ソシャゲなるものを止めるのがまず最初の一歩だな
君の場合
0650考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 15:35:11.420
ドゥルーズ擁護派は答えやすいものにだけ答えてただけだった
0651考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 15:55:02.940
>>561
>>562
参考:

《…ライプニッツにとってMV^2が意味しているのは、延長を越えたところに力があ
るということだ。運動している物体は、その瞬間 において異なっている。なぜならば、
運動するこの物体は未来の諸瞬間の理由として、より遠くに行く力を含んでいるからであ
る。力は未来の諸々の状態の原理を含んでいる。ライプニッツは微積分法によらなければ、
mv^2を発見することはできなかった。静止は無限小の速度でしかなく、二つの物体の間には
差異がある。静止は運動の特殊なケースである。したがって、力と未来の諸状態との関係
は微分的、積分的なのである。(1=1/2+1/4 + 1/8…)
ライプニッツにとってのデカルトの大きな誤りとは、延長と実体を混同したことである。
デカルトは最も根本的なものである力を考慮しなかった。カントのそれとは大分異なるに
せよ、ライプニッツをもって現象についての重要な理論が創設される。》
邦訳ドゥルーズ基礎 95~6頁
0652考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 15:55:08.040
ノマドとかリゾームがどの程度歴史的に
独創性があるかが問題だ

たとえば家族的類似性はウィトゲンシュタインの
重要な哲学的貢献なわけだが
0653考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 16:22:36.060
>>652
中学校か高校で習うことだけど例えばれんこんは地下茎そのものが中心つまり絶対的な一者であってそこから葉がぞろぞろと生えているから
ドゥルーズの言いたいことの比喩としてリゾームって言葉を使うのは適切じゃないように思うんだけどどうなの?
0654考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 16:29:20.420
せっかくおもしろそうな議論だったのにドゥージアンが発狂して終わった
0655考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 16:31:33.580
>>653
うん俺もそれはいつだったか思ったよ
地下茎そのものがカラダだからさ
とはいえスギナとか親分いないように
見えるから、まあいい気もするんだな

羊羹はどこ切っても同じ味だろ
だから
ノマド的羊羹とかどうだろうか
0656考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 16:35:04.820
ITのいわゆるカーニバルとカテドラルだっけ
あの比喩も言いたいことの狙いは分かるわな

カーニバルも運営団体あるだろうとか
じゃなくてw
0657考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 17:16:38.950
>>655
ノマド的羊羹言い換えると発散するようなどこを切っても同じ味の食べ物
意味不明すぎて笑えてくる
0659考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 18:50:21.130
まずなぜポエムがだめなのか説明しないとな
ポエム=くだらないものという定義付けられていないぼんやりした言葉の印象に振り回されてちゃだめでしょ
0660考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 18:55:28.660
ポエムは鑑賞の効果だけで芸術的に優れている
だから数学の比喩も言語的に面白ければ
それでよし

「微分の天使が積分のインドにニュートン的な
身振りで舞い降りた」
これでいい

ニュートン的の意味を同定する作業は主観的な
鑑賞行為でしかない
0661考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 18:57:00.710
作者が説明を要求された時に
拒否することは全く非難されない

「あなたが読んで感じたこと、それを大事にして」
これで済む
0662考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 18:59:35.900
ポエムがだめとは言ってない

ドゥルーズは発散を説きつつも自身の概念やモデルについては収束することを願っているようにも見える
ドゥルーズ自身が思考停止に転げ落ちている可能性がある

哲学と文学とを切り離せないということを受け入れるとしても
それは哲学と文学が同じであることにはならない
どうして両者の差異を見えにくくしようとするのか
差異をなくすことや見えにくくすることをドゥルーズは説いたのか
この点に矛盾を感じる

と言っている
0663考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 19:01:18.080
あと

意味を究極的に決定するのは主体だということになってしまう
はたしてそれはドゥルーズの主張に合致するだろうか矛盾するだろうか

とも言った
0664考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 20:36:12.960
>>644
ドゥルーズの『意味の論理学』は、一般的な用語をこねくり回してるだけなのか?

まあ、それに同意しないこともないがw

>>663
>意味を究極的に決定するのは主体だということになってしまう

それこそが意味の定義によると、何回書けばわかるんだ?
ドゥルーズ自身がそこを曖昧にしている。

答えはこうなる。
ある場面では、意味を決定するのは主体であり、ある場面では社会的な言葉の通念であり、ある場面ではただの事象のことだ。
合致しているともいえるし、矛盾しているともいえる。

だからドゥルーズは、論理ではなく、自分の思い(感情)のままに言葉を連ねる非哲学者だと言っている。
0665考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 21:14:58.130
>>664
『意味の論理学』ではなくて>>638について言及している
話をすり替えるべきではない

あなたは文脈を誤解している可能性がある
>>621
書いた人の自己申告だよね
と言ったことに対して
意味を究極的に決定するのは主体だということになってしまう
と言っている
つまり
意味を究極的に決定するのは主体だということになってしまう
>>621に対するものであってドゥルーズに対するものではない
そして
ドゥルーズ自身がそこを曖昧にしている
のであればなおさら>>621
書いた人の自己申告だよね
と断言したしたことはドゥルーズの主張に矛盾していることの証明になる
それに意味の定義にこだわっているが
意味とは>>621によると
書いた人の自己申告
によって決定されることになる
例えば哲学の意味は
哲学論文として書かれたもの
であるということになる(循環定義になっていることは気にしないであげてほしい)
0666考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 21:38:46.190
草生やしたり意見の違う相手を発狂呼ばわりする奴なんか相手しないほうがいいよ
0667考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 23:27:14.010
>>665
支離滅裂だね。

哲学でも文学でも、分類の定義は本人の自己申告でしかない。
なぜなら他に分類の基準がないからであって、分類の基準は「意味」ではない。
つまり、「意味を究極的に決定するのは主体」であるとかないとかいう議論とはまったく無関係。

『意味の論理学』では、「意味」の定義が曖昧なままだから、「意味」という言葉の意味を分析できていない。
だから、「意味を究極的に決定するのは主体」であるかどうかの議論はできない。
つまり、「ドゥルーズの主張」は、「意味を究極的に決定するのは主体」であるかどうかという議論とは無縁のところにある。

これでわかるかな?
0668考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 00:11:31.940
>>667
あなたの言う「分類の基準」と「意味」と「定義」をまず定義したほうがいい

「哲学とは〇〇である」という命題は哲学の定義を表し「〇〇」の部分は哲学の意味を表している
この構造を受け入れないと辞書を引いても意味を調べられないことになる

ドゥルーズに対してではなくて>>621に対して言ってるって言ってるよね
「意味を究極的に決定するのは主体」であるかどうかの議論はできない
のに
書いた人の自己申告だよね
と断言したしたことはドゥルーズの主張に矛盾していることになるよね
議論できないのに断言しちゃったらおかしいよね

これでわかるかな?
いい加減にしてね
0669考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 00:47:44.120
ドゥルーズは巨大な独我論だから全部が主体で全部が構造、全部が他者
論理的矛盾はなく差異だけがある
そこでガタリとの共闘が必然的になる
意味というのは最終的に生まれるものだから前提にするのはそれこそ意味がない
0672考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 01:22:14.330
分析哲学とドゥルーズの相性は悪いが
一応分析哲学の成果を
ドゥルーズは踏まえている

例えば、

AO文庫版上P156
「この状況を定式化することを覚悟の上で言えば、これはラッセルのいう
別の種類のナンセンスにかかわるのである。すなわち、二者択一あるいは
排他的離説はひとつの原理との関係で決定されるが、にもかかわらず
この原理そのものが二者択一の両項または二つの下部集合を構成していて、
この原理自身が二者択一のなかにはいっている。」

ただしドゥルーズの関心はオイディプス的な社会構造が強いるダブルバインドの
解消にある
論理学のレベルで正解を出すことにはない
両者は本来は背反しないが論理学自体がオイディプス的教育システムになっているから
現状では背反する

分析哲学系の人には差異と反復を薦めるが
哲学史の本だと割り切ってもらいたい
固有名詞のない純粋な哲学などない
そうした哲学はヘーゲル精神現象学と大差ない
0674考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 08:25:36.240
主体と客体という区分、言葉の一義的な意味に拘るのはまさに近代哲学の世界なのでは
定義にやたら拘ってる人、フーコーだけは認めるみたいなこと言ってるけど
フーコーは言葉の意味の一義性を否定して歴史上の断続的な意味の形成過程に還元した人だよ
0675考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 09:34:05.990
>>668
分類、整理、論理的思考がものすごく苦手なのか、そもそも日本語が理解できない人なのか・・・

哲学と文学に区別するのが、分類。
自己申告というのが、その分類の基準。

まず、これを理解できないと議論にならない。
そのうえで、分類の基準の正否を議論するのはもちろん自由だ。

繰り返すが、「意味を究極的に決定するのは主体」であるかどうかの議論とは関係がない。
つまり、ここでは「意味」の問題を扱っていないのだ。

「意味を究極的に決定」云々については、『意味の論理学』と絡めて簡単に説明したように、ドゥルーズ自身はそういう議論とは無関係だ。
0676考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 09:38:38.660
>>674
>フーコーは言葉の意味の一義性を否定して

フーコーは、言葉の意味の多義性の根拠を探った。
多義性とは、それぞれの場面での一義性であるということを説明した。
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を詳細に分析して見せたともいえる。
0677考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 09:56:11.690
>>676
意味に言語的編成と非言語的編成という2つの契機を求めている時点で一義的とは言えないと思うが
一義性とどこで書いてた?
0678考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 10:11:35.090
>>675
>>621には
哲学とは哲学論文として書かれたもの。
文学とは文学作品として表現されたもの。
書いた人の自己申告だよね。
とあり
哲学も文学も両方とも自己申告によって意味を与えられるとされているのに哲学と文学の分類の基準が自己申告っておかしいだろ
冗談抜きで日本語怪しいよ
仮に「何が申告されるのか」が分類の基準となるということだと好意的に解釈してあげても
「何が」の部分とは何なのかということになる
「何が」の部分が意味に該当すると思われるが

ドゥルーズに対してではなくて>>621に対して言ってるって言ってるよね
同じこと何回言わせるのかな
ドゥルーズ自身はそういう議論とは無関係
であるにもかかわらず
書いた人の自己申告だよね
と断言することはドゥルーズの主張と合致するかしないかどちらだとかんがえてるのかな
0679考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 11:03:15.500
>>678
>哲学も文学も両方とも自己申告によって意味を与えられる

そんなことは書いてないw

哲学も文学も分類だと繰り返し言ってる。
その分類の定義が、自己申告だと言っている。

>「何が」の部分とは何なのか

そこに書かれた文に決まってるw
0681考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 11:18:45.270
>>679
>>621
哲学とは哲学論文として書かれたもの。
文学とは文学作品として表現されたもの。
書いた人の自己申告だよね。
とある以上哲学と文学の区別は自己申告によって行われることになるよね
そしてその意味とは「哲学とは〇〇である」という命題の「〇〇」の部分なのだから
哲学と文学の区別は意味の違いによって行われているよね

>「何が」の部分とは
そこに書かれた文
であるということは
「哲学とは〇〇である」という命題の「〇〇」の部分が「何が」に該当するということになるよね
その「〇〇」の部分を意味だと言っている
つまり「何が」=意味となり意味の違いによって区別や分類が行われているということを言っている

そして>>621では意味=「〇〇」=「何が」は
書いた人の自己申告
によって決定されるつまり主体が決定するとされているが
それはドゥルーズの主張と合致するかしないかどちらなのか
と聞いている
0682考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 11:41:36.400
>>681
哲学であるか文学であるかという分類は、「意味」とは関係がない。
「何が」も意味とは関係がない。
薔薇の花であるか、秋桜の花であるかは、意味ではなく、事象だ。

「何」(文章、事象等)に意味づけをするのは、個人の主観である場合もあり、共同的な位置づけである場合もある。
事象同士の関係性を意味と呼ぶ場合もある。
「意味」という言葉は、様々な場面でその場面に適した内容で使われる。

ドゥルーズは、その場面(状況)による違いを把握しなかった(できなかった)。
だから、ドゥルーズの主張と、君のいう「意味を究極的に決定するのは主体」であるかどうかは無関係な議論だ。
0683考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 11:50:46.890
>>677
>意味に言語的編成と非言語的編成という2つの契機

それは一義性とは無関係だし、意味の成立がその契機によって成立するとも言えない。
あたりまえだが、言葉には多義性があり、多義性というのは数の問題であって一義性との背反概念ではない。
繰り返すが、『言葉と物』は、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」と同じ主題を扱っている。
0684考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 11:54:21.680
>>682
ドゥルーズへの言及じゃなくて>>621への言及だって言ってるのにどうして理解できないの
わざとなのか頭が悪いだけなのかどっちなの
ほんとにいい加減にしてほしい

「哲学とは〇〇である」という命題は哲学の定義を表し「〇〇」の部分は哲学の意味を表している
この構造を受け入れないと辞書を引いても意味を調べられないことになる
って言ってるよね
あなたの言葉を>>621に合わせるなら
薔薇とは〇〇である
秋桜とは△△である


ドゥルーズの主張と、君のいう「意味を究極的に決定するのは主体」であるかどうかは無関係な議論
であるのなら>>621
書いた人の自己申告だよね
と断言することはドゥルーズの主張と合致しないよね
0687考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 12:35:34.730
>>684
>ドゥルーズへの言及じゃなくて>>621への言及
>ドゥルーズの主張と合致しないよね

これを支離滅裂という。

意味を究極的に決定するのは主体であるとないとか、それがドゥルーズの主張と一致するとかしないとか言ってるのは君だよ?w
自分で書いたことも忘れちゃうほど頭が悪いのか?
いい加減にしてほしいのは僕の方なんだが?

「薔薇とは〇〇である」も「秋桜とは△△である」も、ただの定義である場合もあるし、感情の吐露である場合も、その他の場合もある。
それが「言語ゲーム」だ。
〇〇や△△を「意味」だと言い張ることの無意味さに気が付かないといけない。
0688考える名無しさん
垢版 |
2018/12/09(日) 12:49:58.360
>>687
ドゥルーズの主張の適否について言及しているのではなくて
>>621はドゥルーズの主張と合致していないと言っている

>>621を読むと
意味を究極的に決定するのは主体である
ことになるがその>>621の主張はドゥルーズの主張と合致しないと言っている

>>621は定義として述べられている
感情の吐露その他ではない
なぜなら>>621>>618に対して発せられたものだから

「哲学とは〇〇である」という命題は哲学の定義を表し「〇〇」の部分は哲学の意味を表している
この構造を受け入れないと辞書を引いても意味を調べられないことになる
0689考える名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 07:49:01.710
英米でも大陸でも言葉と意味の一対一対応の定義なんて20世紀以降否定されてるのに
ニーチェ以降の大陸現代思想だけじゃなく分析哲学の基礎もわかってない証拠
0690考える名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 10:57:56.040
>>688
いつまで繰り返す気だろう?
言い負けたくない、という情熱だけで同じ言葉を吐き出している。
そこまで偏執的にならせた相手は、君の弱点を突いたということなんだろうな。
0691考える名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 11:14:57.120
まあお爺ちゃんは死ぬまでひたすら逃げれば
いいんじゃないかな
0692考える名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 20:48:00.750
>>690
自分が勘違いしてただけなのにこの人何言ってんの
>>621の発言は
意味を究極的に決定するのは主体
と言っているのに等しいと言っているのに俺が
意味を究極的に決定するのは主体
と考えているとあなたが誤解したのが始まりなわけ
>>623をきちんと理解できていればこんな無駄話はしなくてよかった
もしあなたが俺の発言を正確に理解していたというのなら
>>682
ドゥルーズの主張と、君のいう「意味を究極的に決定するのは主体」であるかどうかは無関係な議論だ
>>621>>623の話の流れにどう関係するのか説明してほしい
まあ
意味を究極的に決定するのは主体
は俺の考えとして書かれたものではないのだが
0693考える名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 20:50:23.480
>>689
誰に対して言っているんだろう
もし俺に対して言っているのなら「〇〇」の部分が代数のようには捉えられないと考えた理由を知りたい
0694考える名無しさん
垢版 |
2018/12/10(月) 23:20:40.370
>>692
まだ言ってるのかw
勘違いなどまったくしていない。

>>621の発言は意味を究極的に決定するのは主体と言っているのに等しいと言っている

何回も繰り返しているが、>>621を完全に読み違えている。
0695考える名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 05:34:05.470
>>694
かわいそうだから逃げ道を容易してあげたいけれども
どうせ>>675あたりからの繰り返しになるだろう
俺が容易してあげられる逃げ道はこの書き込みにおいて
用意を容易と書き間違えてあげることくらいだよ
だから
用意と容易の書き間違えるような低能とは話にならない
と勝利宣言すればいいよ
0696考える名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 10:07:23.440
>>695
あれまあ、悔しくて明け方まで寝られなかったのか明け方目が覚めちゃったのか・・・・w
0698考える名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 20:38:46.300
>>696
かわいそうだから教えてあげるけれども
反論できないからってそういう態度をとるのは恥の上塗りだからやめたほうがいいよ
0699考える名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 23:15:52.840
>>698
反論はし尽してるよw
また君が寝られなくなるといけないから、このくらいにしておくね。
0700考える名無しさん
垢版 |
2018/12/11(火) 23:39:51.450
>>699
>>675あたりから読み直したら?
都合の悪い指摘には答えないのも気付いているけど
かわいそうだから見逃してあげてるんだから感謝してね
0701考える名無しさん
垢版 |
2018/12/12(水) 00:03:48.830
>>693
分析哲学では言語の非決定性原理とデュエム=クワインテーゼに抵触する
大陸現代思想では、そもそもそういう命題化や概念化で排除されてしまうものをどうやって記述するかという試みをずっとやっているわけで、
そういう枠組みの俎上に乗らないから意義がないと言うこと自体が的外れ(ただのカテエラだから)
現代思想を自分なりに理解するためにそういう形式を利用するのは自由だが
0702考える名無しさん
垢版 |
2018/12/12(水) 06:05:07.310
>>701
デュエム=クワインテーゼという言葉をどういう意味で使用しているのかよくわからない
そういう枠組みの俎上に乗らないから意義がない
というのもよくわからないしそんなこと言ってない
ようするにあなたが俺の書き込みをどう理解したのかよくわからない

可能性があるとしたら
「哲学とは〇〇である」という命題は哲学の定義を表し「〇〇」の部分は哲学の意味を表している
この構造を受け入れないと辞書を引いても意味を調べられないことになる
を文脈から切り離してつまり部分において言葉の意味を決定できると信じていると誤解したのだろうか
そしてデリダの言葉で言えば「最初の暴力」の複数性を言っているだけで
言葉の使用においてはつまり言葉が文や文章として構成される段階においては
「最初の暴力」による定義は正確に反復されるわけではないということを理解しないといけない
と俺に対して述べているということだろうけど
そういうことが言いたかったという理解でいいですか

もしそうだとしたらそれこそ文脈を無視して
「哲学とは〇〇である」という命題は哲学の定義を表し「〇〇」の部分は哲学の意味を表している
この構造を受け入れないと辞書を引いても意味を調べられないことになる
を理解しようとしていることになる
上記は意味の定義が曖昧だという指摘に対するものであることを忘れてはいけない
つまりまだ定義の段階の話なんだよ
そして定義の段階にとどまっているものではあるが
「哲学とは〇〇である」
は文脈や全体から意味を理解することと矛盾するわけではない
文脈や全体に合致する「〇〇」を代入すればいいだけだから
0706考える名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 07:55:29.410
いちいち煽りながら話してる時点で議論する資格ないよね
ていうか自分の論にあまり自信がない証拠
0712考える名無しさん
垢版 |
2018/12/18(火) 10:47:24.530
>>621についてではなくて

ドゥルーズは発散を説きつつも自身の概念やモデルについては収束することを願っているようにも見える
ドゥルーズ自身が思考停止に転げ落ちている可能性がある

について語り合いたかったんだけどね
0717考える名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 09:42:59.080
>>712
ドゥルーズはウィトゲンシュタインを哲学の暗殺者と評した。

それぞれの哲学に対する姿勢をよく表してる気がする。
0718a
垢版 |
2018/12/19(水) 10:16:02.970
ドゥルーズのウィトゲンシュタイン嫌いは有名だが『哲学とは何か』ではABCの時と
少しニュアンスが違う気がする。一応ライプニッツの系譜に並べている。

《ウィトゲンシュタインは、他者を、ひとつの他の主体とひとつの特別な対象のあいだで
揺れ動くままにしておくので、恐怖や苦痛についての命題を考察するときでさえ、そうした
命題に、或る〈他者の位置〉のなかで表現可能な諸様相〔可能性、現実性、必然性〕を見る
ことはできないのである》(『哲学とは何か』邦訳文庫版33-4頁参照)
0719考える名無しさん
垢版 |
2018/12/20(木) 09:55:26.820
>>718
ドゥルーズ的な読み違いだろうね。
マルクスもフロイトも読み違えていたけど、ウィトゲンシュタインも読み違えている。
哲学史なんかを学ぶと、通俗評価に頼った読み方しかできなくなるんだろうか?
0720a
垢版 |
2018/12/20(木) 11:48:33.570
哲学史はドゥルーズの言葉で言えばダイアグラムということになる
収束と発散を同時に捉えるのだ
《命題は、その真理条件に対応するリアリティーを、可能的世界に与えることはない》(ドゥルーズ)

これはウィトゲンシュタイン批判というより分析哲学批判である
ドゥルーズによってウィトは一応可能世界論の系譜には位置付けられている
罵倒(発散)すれば批判になるわけではない
ドゥルーズによって可能世界論はライプニッツ、ウィト、トゥルニエと新たな様相を呈するようになる
この場合、文学の優位は意味規定を最初に行う必要がないということだ
芸術の意味は時代によって多義的になるから当たり前だ
ただし哲学的にはウィトはダイアグラムを作成していないのでカント(のカテゴリー論)に及ばないということになる
ウィトを擁護するなら以下のようにウィトはウィトなりにリアリティー、他者にこだわってはいる

http://www.geocities.jp/mickindex/wittgenstein/witt_pu_jp.html
http://www.geocities.jp/mickindex/wittgenstein/witt_pu_jp.html#LocalLink-c257
《257. 「人々が痛みを表現しない(呻かず、顔も歪めない)としたら、どうなるか?
そのとき、子供に「歯痛」という語の使用を教えることはできないだろう。」 ―― さて、
その子供は天才で、感覚の名前を自ら発明すると仮定しよう。しかしもちろん、子供は
その語を他人に理解させることができない。 …》哲学探究
0722考える名無しさん
垢版 |
2018/12/20(木) 23:37:00.620
>>721
アンチオイディプスという著作のタイトルが全てを物語ってるよね
あの本がフロイトをどう書き換えているかということがそのままフロイトへの批判
0723考える名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 10:04:00.360
>>722
批判の対象としているフロイト理解が、あまりに俗っぽい。
マルクス理解の俗っぽさと同じで、ドゥルーズは実際には読みもしないで書いてるんだろう。
ドゥルーズというのは、その程度の哲学史家ということだろうな。
0724考える名無しさん
垢版 |
2018/12/21(金) 21:10:49.940
ドゥルーズは自分にとって都合のいいように読んでいるのが見え見えなんだよな
でもあそこまで行けば才能だと思う
「深い」読みを期待するとがっかりだろうが
0725考える名無しさん
垢版 |
2019/01/02(水) 11:31:58.920
ドゥルーズなんか読む暇あったら莊子読んだほうがいいよ
0726考える名無しさん
垢版 |
2019/01/04(金) 17:22:20.950
國分本を読むと、ドゥルーズがあえて自由間接話法のような書き方を用いている理由は、哲学者の言外の言や意識下で考えていた事を読者に感じさせるため?
0728a
垢版 |
2019/01/04(金) 20:13:17.520
主体を変容させるため
n-1も同じ
0729考える名無しさん
垢版 |
2019/01/05(土) 19:20:27.250
変容した人はいるの?
自覚の有無はどうでもいいとか何とでも言えそうだけど。
0730考える名無しさん
垢版 |
2019/01/08(火) 23:09:15.500
>>489
これはもう俺が話しても同じレベルだな
譲歩している風でいながら相手の話が
展開する前に次々と否定して見せるという
どうしようもない
0731考える名無しさん
垢版 |
2019/01/09(水) 21:53:13.840
>>730
ずいぶんな遅レスだけど、君はもう少し日本語を勉強してから書いたらどうか?

「これは」とはどちらの話なのか、あるいは引用部分全体をさしているのか。
「同じレベル」とは、どこがどう同じなのか。
「展開する前」とはなにがどう展開すると思っているのか。

主語の省略や代名詞だらけで、他人に通じる日本語になっていない。
ドゥルーズの翻訳ですら、もう少しマシな日本語になっている。
0732考える名無しさん
垢版 |
2019/01/09(水) 22:00:50.510
ウノックさんを馬鹿にしたなあ
0733考える名無しさん
垢版 |
2019/01/09(水) 22:53:49.720
すれ違いで無駄な対談
世界的思想家と並んでいるように企画されただけ

無論当時日本が経済的に飛び抜けてた恩恵だなw
0734考える名無しさん
垢版 |
2019/01/09(水) 23:01:17.960
互いに自分の中でのイメージの「荒廃」を
語り、一致していませんね、となる
いやすぐに一致するわけないやんw
そんな大雑把な言葉
0737考える名無しさん
垢版 |
2019/01/26(土) 19:15:40.800
『ドゥルーズの21世紀』 檜垣立哉、小泉義之、合田正人 編 (2019/1/25)

はじめに |近藤和敬
第T部 ドゥルーズを究める
 哲学の奇妙な闘い |宇野邦一
 現行犯での伝説化――ドゥルーズの芸術論における映画の身分についての試論 |小倉拓也
 『差異と反復』をさまようヘルマン・コーエンの亡霊 |合田正人
 〈身体-戦争機械〉論について――実践から戦略へ |江川隆男
 シモンドンと超越論的経験論の構築 |アンヌ・ソヴァニャルグ〔上野隆弘/平田公威訳〕
 『差異と反復』におけるトリガーとしての問いの存在論 |小林卓也
第U部 ドゥルーズを広げる
 類似的他者――ドゥルーズ的想像力と自閉症の問題 |國分功一郎
 ドゥルーズと制度の理論 |西川耕平
 スキゾ分析の初期設定 |山森裕毅
 ドゥルーズの霊性――恩寵の光としての自然の光 |小泉義之
 『シネマ』の政治――「感覚-運動的な共産主義」の終焉をめぐって |堀千晶
 儀礼・戦争機械・自閉症――ルジャンドルからドゥルーズ+ガタリへ |千葉雅也
第V部 ドゥルーズに対する
 パースとドゥルーズ――基層における交錯 |檜垣立哉
 持続は一か多か――ドゥルーズ『ベルクソニスム』の諸解釈をめぐって |岡嶋隆祐
 生き別れの双子としてのシモンドンとドゥルーズ |宇佐美達朗
 ドゥルーズのシモンドン読解について――1966年の書評を手がかりに |堀江郁智
 ドゥルーズとデリダ、内在と超越――近年のフランス思想における二つの方向 |ダニエル・W・スミス〔小川歩人訳〕
 ひとつの生、ひとつの生き延び――ドゥルーズ/デリダ |宮ア裕助
 思考-生-存在――バディウの批判から見るドゥルーズの後期思想 |近藤和敬
あとがき |檜垣立哉
0738考える名無しさん
垢版 |
2019/02/06(水) 21:44:13.530
ドゥルーズ『差異と反復』を読む
森田裕之(著/文)
ISBN 978-4-86182-735-8 C0010
定価 2,200円+税hontoで購入
発行 作品社
書店発売日 2019年3月1日
0740考える名無しさん
垢版 |
2019/02/20(水) 15:23:07.530
今、河出の『差異と反復』を読んでるけど、裸の反復と着衣の反復、デリダの用語で
いえば、同じもの性と同一性を踏まえれば、趣旨は掴めるもんだな

ただ、図書館で借りてるので、上下巻とも2週間で読み終えるのは、ちと辛いが
0743740
垢版 |
2019/02/20(水) 21:31:53.060
>>742
確かにそうだね、甘くみてた

ところで、類(同じもの)が、種(差異)を内包しつつ反復するって理解であってるかな?
そうすると、反復とは、超越論的・経験的二重体になるよね
誤読してる?
0744考える名無しさん
垢版 |
2019/02/20(水) 22:40:12.500
>>743
そこで、螺旋にすればダイナミックな弁証法なんだけどね。

ドゥルーズは静的で詩的。
0745740
垢版 |
2019/02/24(日) 18:34:14.730
継続して読んでる最中

ニーチェに即して、同じものが環帰するのではなくて、同一性を破壊して
同じものを再構成するといってるな、二次的な同一性云々

まだ上巻の120ページ、先は長い
0746考える名無しさん
垢版 |
2019/03/04(月) 12:11:41.380
ドゥルーズ曰く、「差異とは同一性に属するものではなく、まして否−存在でもなく、それは
          (非)-存在、つまり存在そのものである」
痺れるな
0748考える名無しさん
垢版 |
2019/03/04(月) 12:59:53.950
ヘーゲルとの違いは、媒介項を設定するかどうか
ドゥルーズは、そこを批判的に継承し、発展させている
0749考える名無しさん
垢版 |
2019/03/05(火) 01:33:21.870
誰か燃料を投下してくれ
ヘーゲルスレみたいな濃密な議論を望む
0752748
垢版 |
2019/03/05(火) 21:24:25.930
書き方が悪かった
ドゥルーズは媒介項を廃棄しているんだった
0753748
垢版 |
2019/03/05(火) 21:26:14.830
批判的といったのは、媒介項を排しつつ発展させているという謂いだ
0754748
垢版 |
2019/03/05(火) 21:31:20.160
反復は、反復する対象は変えずに、それを鑑賞する精神を受動的に改変する
0755考える名無しさん
垢版 |
2019/03/06(水) 04:04:42.630
DR#1
《無限小の方法は、(一方の本質が、他方の本質に対して、非本質的なものの役割を演じるかぎりにおいて)
諸本質間の区別を維持している以上、矛盾とはまったく異なっているのである。したがって、そうした無限小
の方法には、「副次的矛盾[ヴイス・デイクシオン] vice-diction(45)」という特殊な名前を与えねばなる
まい。〔ヘーゲルの〕無限大においては、等しいものは、等しくないものを本質において所有するかぎり、
その等しくないものに矛盾し、また、等しくないものを否定することによっておのれ自身を否定するかぎり、
おのれ自身に矛盾する。ところが〔ライプニッツ〕の無限小においては、等しくないものは、その等しくない
ものを本質において排斥するもの〔等しいもの〕を、事例において含むかぎり、等しいものに対して副次的
矛盾を起し、おのれ自身に対して副次的矛盾を起すのである。〔ライプニッツにおいては〕非本質的なもの
は、本質的なものを、事例において包含するのだが、〔ヘーゲルにおいては〕本質的なものは、非本質的な
ものを、本質において包含するのである。…

(45) ドゥルーズの造語。vice-diction(副次的矛盾)についての、ドゥルーズからの直接の教示を記す。
viceとは、たとえば vice-amiral(海軍中将、直訳するなら、副−海軍大将)のvice(副)の意。この vice
という接頭辞と、ヘーゲルにおける contradiction(矛盾)とを合成して造ったもの。vice-diction の厳密な
意味は、a la place de la contradiction(矛盾のかわりに)である。したがって、「副次的矛盾」とは、
「矛盾」より劣る事態でも、「矛盾」を補足することでもなく、反対に「矛盾」に取ってかわるものを意味している。》
0759考える名無しさん
垢版 |
2019/03/07(木) 05:48:52.540
差異と反復 解説にかえて より

…ドゥルーズは、訳者の顔をまじまじと見つめながら、しわがれた低音で、「何を研究しているのか」と尋
ねた。訳者は、「フランス現代思想を学んでおりますが、デカルト研究から出発し、いまでもデカルト研究
を続けています。したがって御著書の訳者としては必ずしも適任ではないかもしれません」と答え、そして
念のため「大学で教えています」と付け加えた。つまり、ドゥルーズが訳者に対して抱いたかもしれない或
る種の疑念を払おうとしてである。ドゥルーズは、安心したようにうなずいて、「デカルト研究を続けるの
はよいことだ。私も、スピノザの研究者であり、ライプニッツの研究者である」と語った。この現代哲学の
天才のあまりの謙虚さに、訳者は一瞬言葉を失った。
0760考える名無しさん
垢版 |
2019/03/07(木) 05:49:13.840
 緊張に震える体を感じながら、あらかじめ考えておいた質問にとりかかった。たとえば、『差異と反復』
のなかで、「ヴィス‐ディクシオン vice-diction」こという単語が使われている。これは、どんな辞書にも載っ
ていない言葉である。途方に暮れっぱなしであった訳者は、この言葉の意味をドゥルーズに尋ねた。すると
ドゥルーズは、辞書をもっていないか、もっていたら、「海軍中将(ヴィス・アミラル) vice-amiral」の項を
見よと指示された。そこで訳者がカバンから一冊の仏和辞典を取り出し、頁をめくると、ドゥルーズは椅子
から立ちあがって訳者に近より、指でその項を示してくれた。そして「ヴィス vice」とは、「〜のかわりに
(ア・ラ・プラス・ド)」という意味で用いていると明言された。「ヴィス‐ディクシオン」とは、ヘーゲルの
「 矛 盾 (コントラディクシオン)にかわるもの」という意味である。このような具体的な問いを、時間
が許すかぎり(すなわち、ドゥルーズの健康状態からして約一時間)続けたが、終始ドゥルーズは、たいへ
ん友好的に、というよりはむしろ父親が子にさとすように、ゆっくりと丁寧に教示してくれた。さらに訳者
は、ちょうどベルリンの壁が打ち倒された直後でもあり、東欧における急速な共産主義勢力の崩壊について
も尋ねてみた。当時、新聞の報道は、一般に、東欧の解放という明るい見通しのもとでなされていたように
思う。ところがドゥルーズは、バルカン半島はふたたび混乱の渦に巻き込まれ、多くの地域的な紛争が発生
するだろうと断言された。そのときは、ドゥルーズのひどくペシミスティックな発言にやや納得のいかない
ものを感じたのだが、いまとなってみれば、ドゥルーズの予言は、まったく正しかったわけである。…
0763考える名無しさん
垢版 |
2019/03/07(木) 18:00:20.050
>>757
発展させてないのも分かってたけど、ドゥルーズの哲学そのものが、
哲学史を批判的に継承して、発展的に新たな問を提示することにあるから
つい、そう言ってしまった

國分功一郎が『ドゥルーズの哲学原理』で言ってたけど
0764考える名無しさん
垢版 |
2019/03/07(木) 18:19:08.600
>>763
誰かの受け売りだけど、ほとんどの哲学って歴史も発展もないよね。
それぞれの個人が自分の思いつくままに言葉を魔術のように並べるだけ。
思想として、つまり社会の分析として確立したのは、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクスぐらいじゃないかな。

ドゥルーズは言葉の魔術師の最たるもの、だね。
0766考える名無しさん
垢版 |
2019/03/07(木) 18:27:58.040
>>765
元ネタは団塊じゃないけどなw

それはともかく、こんなところまで出てきて恥を晒すつもりかい?
0773考える名無しさん
垢版 |
2019/03/07(木) 19:53:05.990
分かった!

河出版の『差異と反復』の第2章の冒頭で、ヒュームの有名なテーゼとして引用されてた

それに対してドゥルーズは肯定的に語ってる
0774考える名無しさん
垢版 |
2019/03/07(木) 20:03:27.310
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、 かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
0776考える名無しさん
垢版 |
2019/03/09(土) 19:19:03.730
哲学とは新たな概念(認識)を産み出すことだみたいなこと言いながら大して新しいことを言わなかった人
独特な受け売りの仕方で目立ってしまった人
そんなイメージ
0777考える名無しさん
垢版 |
2019/03/12(火) 16:52:39.720
「リゾーム」はマジかっこいい
速くあれ!たとえその場を動かないときでも!
とかなかなか言えない
まさに良質のポエム
0778考える名無しさん
垢版 |
2019/03/12(火) 22:28:34.050
ドゥルーズのいう「祖先以前的言明」は、メイヤスーのいうところの
0779考える名無しさん
垢版 |
2019/03/12(火) 22:30:57.240
誤爆だった

ドゥルーズのいう「純粋過去」とは、メイヤスーがいうところの「祖先以前的言明」に当たるのか
0781考える名無しさん
垢版 |
2019/03/14(木) 10:51:15.300
>>780
人知が及ばないなら、言及しても無意味だろ?

意味の論理ではどうなのか知らないがw
0784考える名無しさん
垢版 |
2019/03/15(金) 20:46:28.280
もっともSRは既に下火だけどね
日本における受容が周回遅れってだけで
0785考える名無しさん
垢版 |
2019/03/15(金) 21:24:48.440
メイヤスーは『有限性の後で』で、カントの「物自体」を想定できるが言及できない弱い相関主義と
想定も言及もできない強い相関主義を挙げている
0786考える名無しさん
垢版 |
2019/03/15(金) 21:37:20.980
訂正
弱い相関主義=認識できないが、思考可能性を有する
強い相関主義=認識も思考もできない
0789考える名無しさん
垢版 |
2019/03/16(土) 02:20:49.830
SRをくだらないと切って捨てるなら、それ相応の学識を示してみろよ
0791考える名無しさん
垢版 |
2019/03/16(土) 14:04:26.320
スペキュレイティヴ・リアリズム(思弁的実在論)の略だよ
0794考える名無しさん
垢版 |
2019/03/16(土) 15:01:08.920
SR:Speculative Realism(思弁的実在論)
OOO: Object Oriented Ontology(オブジェクト指向存在論 )
OOP:Object Oriented Philosophy(オブジェクト指向哲学)
NM:New Materialism(「新しい唯物論 」 )

参考:
特集現代思想の総展望 現代思想2019/1
討議 思弁的実在論 「以後 」トランプ時代の諸問題
仲山ひふみ +千葉雅也 +小泉義之
https://www.amazon.co.jp/dp/B07M9N5J2C/
0795考える名無しさん
垢版 |
2019/03/16(土) 15:04:44.000
PPAP:Pen-Pineapple-Apple-Pen



かばん語[portmanteau]については『意味の論理学』参照
0798考える名無しさん
垢版 |
2019/03/16(土) 19:32:35.810
>>797
面白くないな。

現代の哲学愛好家たちは、マルクスの名前を聞くと尻尾を巻いて逃げ出すんだよな。
0800考える名無しさん
垢版 |
2019/03/27(水) 19:50:10.990
>>799
ただ感じたことをそのまま書くのと
そこから何歩も進めて考え得たことを書くことはまるで別の事柄だけどね
0802考える名無しさん
垢版 |
2019/03/28(木) 13:29:27.840
《小林秀雄は言う。
「ドゥルーズという若い人がいてね、この人の『ベルクソニスム』という本は
なかなかいい。ベルクソンの影響された当のものは、プラトンしかない、
と言っているんだな。つまり『持続』なんだよ、要するに、こう流れる、
これは『歴史』なんだよ」》(郡司勝義『小林秀雄の思ひ出』262頁)

近年雑誌で大澤信亮氏も小林秀雄の蔵書で赤線の引かれた『ベルグソンの哲学』を確認したと報告している。
それを確かめに某大学にある小林文庫の該当書を調べに行ってみた。
136頁中約60頁に赤鉛筆または青い万年筆による棒線があった。鉛筆によるものも数カ所あった。
文字の書き込みは以下のなかにあるものがすべてである。
『ベルクソンの哲学』ジル・ドゥルーズ著 宇波彰訳 法政大学出版 1974
Gilles Deleuze ,LE BERGSONISME, 1966
(小林秀雄の書き込みは第三章前半、第四章全体に多い。第五章も全体にラインが多い。)
第三章「過去といふ永遠なる存在」56-7
http://1.bp.blogspot.com/-2s2dRQ_mjkM/UWe8Y2VZh-I/AAAAAAAAUhE/rba1cYzvNp8/s1600/kobayashi.jpg
「言語の意味」58-9
http://1.bp.blogspot.com/-USOwW2wZ-vA/UWe8PtCaSKI/AAAAAAAAUg0/qYBYnBd99G4/s1600/kobayashi_0001.jpg
「円錐体」「プラトン」60-1
http://2.bp.blogspot.com/-3vPFXVPNQ7o/UWe8Pni3JHI/AAAAAAAAUg4/qcLFrQGHUf4/s1600/kobayashi_0002.jpg
第四章「一元論」80-1
http://4.bp.blogspot.com/-ZrbYwFOcigk/UWe8ZS-b_gI/AAAAAAAAUhM/O-azkmWDt5A/s1600/kobayashi_0003.jpg
「対象との共存」84-5
http://3.bp.blogspot.com/-kykySwJwLxo/UWe8mY8tTTI/AAAAAAAAUhk/ZmubA4jpvQ0/s1600/kobayashi_0005.jpg
0803考える名無しさん
垢版 |
2019/03/28(木) 20:34:21.020
こういうの見るとやっぱり小林は哲学風ポエムを
文学を題材に書いてたんだってわかるよね
観念語の雰囲気をつなげていくみたいな
作業に取り憑かれていたんだよな

つまりそれが魅力的な文体に見えたということだが

俺はメモ見て評価がけっこう下がったな
哲学風のレトリックにとにかく反応しているのが分かる
0807考える名無しさん
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2019/03/31(日) 21:55:31.670
>>786
 柄谷行人氏によって、とうの昔に決着済み

>強い相関主義=認識も思考もできない

 強い相関主義(無矛盾な公理体系)そのものが自己言及のパラドックスを孕んでるからディコンストラクティブに解体されて終了。
0808考える名無しさん
垢版 |
2019/03/31(日) 22:01:23.730
補足

だから
>認識も思考もできない
そんな心配いらないアルネ
0809考える名無しさん
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2019/04/23(火) 01:03:34.170
考えるということは哲学史、論理学、社会学とは無関係であるとドゥルーズは言ってるね
もちろん道徳、人権、人類が滅びたあとの科学史もね
モネよりマネが美しいかもしれないね
0810考える名無しさん
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2019/04/23(火) 07:33:16.630
交換価値のみのモノが、マネじゃなくて、マネー

特に美しくはないw
0812a
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2019/05/05(日) 13:09:12.720
>>794
0813考える名無しさん
垢版 |
2019/05/05(日) 13:51:40.060
このスレのための言葉

「思弁的実在論運動」なるものは、私が全く共感を抱かないアジェンダを掲げるブログ執筆者たちが抱く妄想の中にしか存在しません。
汎心論的な形而上学とプロセス哲学を少々まぶしたアクターネットワーク理論を支持するブログ執筆者たちのことです。
インターネットが真剣な哲学的議論のメディアとして適切だとは信じておりませんし、またブログを使ってネット上で哲学的運動をでっち上げ、何でも信じこみやすい大学院生たちの方向を誤った情熱を搾取することが許されるとも思いません。
ドゥルーズは、つまるところ哲学の最も基本的な課題は愚かさを妨げることだと言っていますが、私はそれに賛成します。
なので、ネット上で愚かさの乱交を生み出したことが最大の達成であるような「運動」に、哲学的な利点はほとんど見出すことはできません。
0814考える名無しさん
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2019/05/06(月) 07:59:05.310
>>813
哲学専攻の院生は、30半ばで高校の先生になるのが夢なんだろ?
大学は文系の補助金が削られまくってるから、講師すらろくに雇えない。
できれば公立高校に潜り込んでのんびり余生を送りたいんだろうが、哲学専攻じゃねえ・・・

哲学のもっとも基本的な問題は、どうやって生活の糧を得るか、ということだと思うんだ。
0815考える名無しさん
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2019/05/06(月) 19:26:52.940
東大を出て東大大学院を修了したのに定職の無いアラフォーなど
ほんとうに気の毒だ

まあ、ご本人に
「自分の就職先は東大准教授以外認めない、絶対にだ」
というような無駄なこだわりがあれば別だが
0816考える名無しさん
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2019/05/06(月) 23:15:13.000
 大学に閉じこもってしまえば実社会に生息する人間のもつ心情や生活、知識人からすれば
あり得ない生活感や姑息さ、喜怒哀楽やらは視えなくなる。革命など夢のまた夢であり、
思想家が物語る論法が一切通用しない現実も視えなくなる。大学にしがみついていると、
当然諸氏のような、「いまも独立左翼」を鼻高々で謳ってられる、という事も出てくる。
「いまも独立左翼」を企業社会で貫徹するにはそれなりのスタンスでやるしかない。
社員が厭な目に合ってると分かったらどうするか。
それなりの工夫がいる。

 能力主義や勝ち組が幅を利かせ、弱者をふるい落とす手法や「資本主義の無謬性」
がますます浸食していく。そういう時代の現実が会社社会にいれば露骨に目に入ってくる。
大学で閉じこもるのよりもずっと、何が現実かは身に沁みて分かる。

 大学社会に就職できないならそれもよし。社会の風をまともに受けながら、そこに
生息している人間と同じ空気を吸うのは思考活動には悪いことではない。何がリアルで何が
リアルではないかがよく分かるからだ。そこから生まれるのが本当の哲学であり思考だよ。
底辺に生きている連中が何を考えているか。それを知っているのは思考活動のために
悪い事じゃない。

 大学にいなければ勉強できないは嘘。むしろ目の前の精神的物質的な圧倒的貧困と
対照しながら本を読むのは良い勉強の方法だ。むしろそれを知らないでリアルな思考など
できるのか、のほうが疑問だよ。会社社会に生息する人間の生活感と愉しみや趣味や
生きがいをみてるとうんざりするが、これが日本の変わらない現実なんだと思うしかない。
それを知っているだけでもリアルを知っているということで、容易に手に入らないものを
手に入れたことと同じになる。
0817考える名無しさん
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2019/05/10(金) 13:14:33.460
>>256
これマジ?ワロタ
仕事には完全に目的の役目しか与えないんだな
どの本読めば似たようなこと載ってる?
0820考える名無しさん
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2019/06/13(木) 09:23:00.080
>>819
abcのひとつだが、聞く方も聞く方、答える方も答える方という、現代哲学の消滅を象徴してるよね。
ウィトゲンシュタインを哲学の暗殺者と答えてたけど、ウィトゲンシュタインとは無関係に、自滅していったのが現代哲学だろうな。
DVDや本になってる。
0821考える名無しさん
垢版 |
2019/06/13(木) 12:17:32.190
《命題は、その真理条件に対応するリアリティーを、可能的世界に与えることはない》
(ドゥルーズ『哲学とは何か』)

これはウィトゲンシュタイン批判というより分析哲学批判である
(日本では分析哲学は大学の一般教養レベルでさらなる普及が望まれるが西欧では状況が違う)
ドゥルーズによってウィトは一応可能世界論の系譜には位置付けられている
罵倒(発散)すれば批判になるわけではない
ドゥルーズによって可能世界論はライプニッツ、ウィト、トゥルニエと新たな様相を呈するようになる
この場合、文学の優位は意味規定を最初に行う必要がないということだ
芸術の意味は時代によって多義的になるから当たり前だ
ただし哲学的にはウィトは(発散と収束を同時に捉える)ダイアグラムを作成していないので
カント(のカテゴリー論)に及ばないということになる
ドゥルーズの貢献はカントではなくスピノザ哲学の普及だが…
ウィトを擁護するなら以下のようにウィトはウィトなりにリアリティー、他者にこだわってはいる

http://www.geocities.jp/mickindex/wittgenstein/witt_pu_jp.html
http://www.geocities.jp/mickindex/wittgenstein/witt_pu_jp.html#LocalLink-c257
《257. 「人々が痛みを表現しない(呻かず、顔も歪めない)としたら、どうなるか?
そのとき、子供に「歯痛」という語の使用を教えることはできないだろう。」 ―― さて、
その子供は天才で、感覚の名前を自ら発明すると仮定しよう。しかしもちろん、子供は
その語を他人に理解させることができない。 …》哲学探究

ドゥルーズは現代におけるウィトに対するスラッファみたいな存在だ
0823考える名無しさん
垢版 |
2019/06/13(木) 16:43:55.270
ドゥルーズやサルトルが大多数を引き連れて善人的な他者理解を提示する限り、ウィトゲンシュタイン側の苦痛とそういう人たちしか自然には抱かない解消の要求は絶対にわからない
0824考える名無しさん
垢版 |
2019/06/19(水) 19:26:21.490
Gilles Deleuze's Difference and Repetition: A Critical Introduction and Guide (英語) ペーパーバック – 2012/11/30
James Williams (著)

こんなんどうっすか?
0826考える名無しさん
垢版 |
2019/06/20(木) 00:31:53.980
Gilles Deleuze: An Introduction
by Todd May

こんなのはどうっすか?米アマゾンでdeleuzeで検索すると、本人の本以外で
最も上に出てくるやつです
0827考える名無しさん
垢版 |
2019/06/20(木) 12:50:25.560
解説に頼らないと理解できない書物は、解説読んでも理解できないw
0828考える名無しさん
垢版 |
2019/06/22(土) 13:40:35.330
洋書で解説書読むほどドゥルーズに興味ないから翻訳が出るまで待とう
0829考える名無しさん
垢版 |
2019/06/24(月) 09:32:20.540
なんか、ドゥルーズ本って英語圏で毎年のように出てますね…
雑誌もあるようだし…
0830考える名無しさん
垢版 |
2019/06/25(火) 09:40:38.140
>>829
日本では人気凋落の一途だから、翻訳されないんだろうな。

ドゥルーズと日本では、言葉の構造が違うというか、言葉そのものに対する感覚が逆だからね。
0831考える名無しさん
垢版 |
2019/06/25(火) 14:56:47.330
若手の研究者は次々と出てきているし、文庫化もされてるし、
下火とは思えないけど
0832考える名無しさん
垢版 |
2019/06/25(火) 15:00:55.630
>>831
文系予算は縮小の一途。
ドゥルーズなんかやって、どうやって食べてく気なんだ?
もう少しきちんとした知識を身につけないと、高校の先生にもなれないぞ?
0833考える名無しさん
垢版 |
2019/06/25(火) 15:54:07.750
ん?思ったが女神転生の世界のような悪魔召喚プログラムができたら
異世界間転送技術の立証ができるんじゃないか?
0835考える名無しさん
垢版 |
2019/06/25(火) 23:51:53.220
>>834
論理学専攻というのがあるかどうか知らないが、記号論理学なら数学系の教師の道がある。
数学系は、優遇もされないが縮小もされない。
国文学は昔も今も一定の需要があって、大学から国文学が消えることはないし、高校の教師にはなれる。

ドゥルーズ専攻の哲学徒では、基本的な知識も社会常識も身につかないから、予算縮小の大学教員は夢のまた夢だし、高校で教える内容の知識もない。
0836考える名無しさん
垢版 |
2019/06/26(水) 11:38:18.540
英語で書かれたドゥルーズ本でいいものって、何でしょうか…
(翻訳の有無を問いません…)
今はTodd Mayとかいう人の書いた本を読んでますが…
0837考える名無しさん
垢版 |
2019/06/26(水) 14:52:59.610
Mayさんの本はけっこういいかもしれない
0841考える名無しさん
垢版 |
2019/07/17(水) 12:18:17.850
>>837だけど、全部読んだけど、あれですね…ちょっと…
0845考える名無しさん
垢版 |
2019/12/02(月) 21:02:25.690
ドゥルーズは徹頭徹尾精神分析家だったとおもう
比喩の可能性は精神分析擁護につながる
0847考える名無しさん
垢版 |
2020/01/01(水) 15:54:50.060
“注目すべきは、アクセロスがそんなマグマを表現するために用いる手段である。
 プラトンを超えてソクラテス以前の哲学者に向かうとともに、マルクスを超えてポスト・マルクス主義に向かうのだ。

 ヘラクレイトス流のアフォリズムの方式が残されているし、マルクス流のテーゼの方式も働いているし、
 禅のごとき逸話や、いわゆるユートピア社会主義者風の草案・再録・情宜・綱領がある。

 しかしこうも感じられる。すなわち、アクセロスは、音声と映像を発する手段を愛好していて、
 ポスト・マルクス主義者の戦闘部隊の先頭に立って、アフォリズムを瞬時に発信し
 公開討論を永遠に繰り返すためにラジオ局を占拠するヘラクレイトスたらんと夢見ているとも感じられる。

 そこにハイデガーの言葉が聴き取れはするが、それは新しい意味を、田舎向きではなく都会向きに変えられた意味を帯びている。”

― ジル・ドゥルーズ 「断層と局所の火」 『無人島 1969-1974』 河出書房新社 (2003)
0848考える名無しさん
垢版 |
2020/01/01(水) 15:55:22.990
『マルクスとハイデッガー 』 コスタス・アクセロス、学文社 (1999)

Tマルクスとハイデッガー,Uマルクスに関するテーゼ,V惑星的なもの,技術の世界歴史/科学に関する対話,の三部構成。
初心者のマルクス・ハイデッガー論の格好の入門書。
0849考える名無しさん
垢版 |
2020/03/01(日) 11:31:16.260
哲学の探求第40号哲学若手研究者フォーラム 2013年 5月(99-122)
永久革命としての永遠回帰
一一ドゥルーズ『差異と反復』を読む一一
鹿野祐嗣
http://www.wakate-forum.org/data/tankyu/content40.php
0851考える名無しさん
垢版 |
2020/03/08(日) 07:58:27.260
>>845
あり得ない。
0852考える名無しさん
垢版 |
2020/03/08(日) 08:07:46.980
>>823
ドゥルーズやサルトルが善人的な他者理解??? あり得ない。デリダは善人的な他者理解を徹底的に演ずるが、ドゥルーズはそれさえもしないのに。ドゥルーズは演劇的素質を持たない自分のことを「ナイーヴ」と表現する。
0853考える名無しさん
垢版 |
2020/03/08(日) 08:20:11.520
ウィトゲンシュタインなどなにが面白いのか正直わからないな。ドゥルーズも初期のほうが好きだな。五月革命以前。
0854考える名無しさん
垢版 |
2020/03/08(日) 10:19:20.310
>>853
ウィトゲンシュタインの面白さは哲学自体の否定にあるだろ?

だからドゥルーズは、彼を哲学の暗殺者と言った。
0855考える名無しさん
垢版 |
2020/03/25(水) 13:35:00.700
>>854
西欧哲学をよく知っている者なら西欧哲学を否定するとかに面白さを感じるかも知れないな。
だけどもウィトゲンシュタインが西欧哲学を知っていたとは思えない。
彼は分析哲学の文脈でしか思考していないし、哲学を破壊したというなら、その哲学は分析哲学だろう。
ドゥルーズは単にウィトゲンシュタインに関心がなかっただけでは?
ウィトゲンシュタインに関心があったのはデリダとかだな。
0856考える名無しさん
垢版 |
2020/03/25(水) 15:21:32.350
>>855
哲学ってなんだと思う?
僕は哲学の破壊者の元祖は、フォイエルバッハだと思う。
ウィトゲンシュタインは、哲学の意味不明な言い回しをバカにしたんだよね。
0857考える名無しさん
垢版 |
2020/04/01(水) 07:30:58.440
>>856
西欧哲学はプラトン、アリストテレスの遺産。実際の保管者はキリスト教会の修道院などだった。
フォイエルバッハはキリスト教の人間化に本格的に踏み出したので西欧哲学の解体者であると言える。
でも、その前にガリレオ、ニュートン、ダーウィンによる科学革命の影響も考慮すべきか?
それらの下地の上でフォイエルバッハがキリスト教の総括をしたとも言えるかも。
0859考える名無しさん
垢版 |
2020/04/01(水) 20:24:02.110
哲学ってなんだと思う?と聞きつつ哲学の破壊者を語るのはおかしくないか
哲学を定義してからでないと哲学の破壊者について語れないだろ
0860考える名無しさん
垢版 |
2020/04/01(水) 20:27:46.350
哲学を定義してからでないととは哲学とは何かの共通理解がないとってことね
0862考える名無しさん
垢版 |
2020/04/01(水) 21:35:55.340
>>859
変な哲学に夢中になってると日本語の理解が危うくなる一例だね。
「哲学ってなんだと思う?」というのは、質問してるわけじゃない。
いわゆる”哲学”自体を批判してる言葉だ。

言葉を表面的にしか受け止められない君たちを批判しているんだよw
0863考える名無しさん
垢版 |
2020/04/01(水) 22:21:47.070
「哲学ってなんだと思う?」というのは”哲学”自体を批判してる言葉だ

これこそ意味不明な言い回しだろ
0865考える名無しさん
垢版 |
2020/04/02(木) 05:53:52.110
>>864
相手の主張を全く理解してないw
”哲学”自体を批判というのも言葉が曖昧
辞書という共通理解があると言いたくなるだろうが”哲学”としてる以上それは通用しない
辞書には哲学はあっても”哲学”は載ってないからその意味は曖昧で意味不明
仮にその点をクリアしても哲学ってなんだと思う?にしろ哲学の価値はなに?にしろ批判してる以上辞書にあるようなあるいは一般に考えられているような哲学の位置付けの変更をもくろんでいることを暗に含んでいるわけ
ということはやはり哲学とは何かの共通理解が成立しないところに向かっているわけ
0866考える名無しさん
垢版 |
2020/04/02(木) 12:31:14.480
>>865
哲学とは、言葉によって(言葉のつながりで)物事を説明しようとする学問。
言葉が現実を失うことに気が付かない。
言葉のつながりの中で整合していれば真実とみなしてしまう。

だから、ハイデガーは、無意味な「存在」概念を提示してしまったし、ドゥルーズは次から次へと無意味な造語を乱発した。
0867考える名無しさん
垢版 |
2020/04/02(木) 21:33:46.390
>>866
哲学とは、言葉によって(言葉のつながりで)物事を説明しようとする学問は共通理解と言えるのか
その定義が正しいとは限らないし他の人は哲学を異なる定義で語るかもよ
例えば言葉によって物事を説明しようとするのは科学もそうだし宗教や迷信もそう
ただ自然科学はまだ現実を失っていないと言えるかもしれないが社会科学になると現実を失っている
アドルノの問題意識がそのままあてはまる
0868考える名無しさん
垢版 |
2020/04/03(金) 09:34:42.710
>>867
哲学以外の学問は、現実との照合が必須。
ただし、宗教や迷信そのものは学問ではなく、また、言葉にもよらず、感情のあり方、つまり心理学の問題にはなる。

哲学とは、言葉。
違う例を知らない。
0869考える名無しさん
垢版 |
2020/04/03(金) 21:21:07.750
>>868
相手の主張を全く理解してないw
そんなことより宗教や迷信が言葉によらないって何だよw
聖書って知ってるかw
0870考える名無しさん
垢版 |
2020/04/03(金) 22:23:38.450
>>869
君は日本書紀とか柳田国男でも読んでみるといいよ。
宗教や迷信がはどういうものかが少しは分かるだろう。
0872考える名無しさん
垢版 |
2020/04/06(月) 19:15:32.580
いや、哲学はプラトン、アリストテレスの遺産でまず間違ってないだろ。
0873考える名無しさん
垢版 |
2020/04/19(日) 22:45:31.910
ドゥルーズの内在平面は、OSHOの言う無のようなものだろうな。おそらくな。
0875考える名無しさん
垢版 |
2020/05/18(月) 09:21:05.160
8千円もする本を買う奴がいるのか?
あまりにもハイリスクだな。
0876考える名無しさん
垢版 |
2020/05/18(月) 09:29:24.790
>>875
大学や少し大きな図書館ならあるだろ。

何回も読むほどの本じゃなさそうだから、それで十分じゃない?
0877考える名無しさん
垢版 |
2020/06/01(月) 19:05:48.690
鹿野の本は確かに高いが、今後、この研究を踏まえないで頓珍漢なことを言っちゃうと
笑われちゃうので、ドゥルーズの研究者は必ず買っているだろうな。
0878考える名無しさん
垢版 |
2020/06/04(木) 00:18:09.040
ゼミで、博士論文を書くっていうのは、ある分野やテーマでやっぱり一番を目指すってことなんだよ、理念としてはそうで、二番じゃダメなんですかではないんだ、と言った。
ここまで調べたやつはいない、ここまで考え抜いたやつはいない、というものじゃなければ。だって博士なんだよ、ハカセだよ。
0879考える名無しさん
垢版 |
2020/06/04(木) 13:29:45.300
>>878
いまのハカセはそんなに凄いの?
僕らの親年代には、年数やゴマすりだけで博士になった連中が多かった。
周りには博士が何人もいる。
0880考える名無しさん
垢版 |
2020/06/04(木) 17:54:57.380
>>879
いまの博士だってそうですよ
所属大学院の雑誌に載っけて査読論文の件数稼いだりね
0881考える名無しさん
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2020/06/04(木) 18:19:02.530
>>880
査読といっても、学内だったり親しい同業だったりすることがほとんどなのかな?
0883考える名無しさん
垢版 |
2020/06/23(火) 01:11:11.700
>>882
ドゥルーズは『哲学とは何か』の中で、

・西洋哲学=概念による思考
・東洋哲学=形象による思考

とした。

このことを実践で問題にしているのが千葉の『デッドライン』。
0884考える名無しさん
垢版 |
2020/06/23(火) 01:11:52.570
千葉雅也@masayachiba

哲学の概念を形象として、フィギュアとして取り扱うというのは『動きすぎてはいけない』から一貫する僕の思考スタイルで、その意味で、実は僕の哲学の仕事は不純なのです。だからこそ、阿部和重さんは『動きすぎてはいけない』はすでに小説的だと評してくださったのだと思う。
午後9:22 ・ 2020年2月7日

外在的な言語から内在的な言語へ。文学の言葉は内在的な言語。
午後3:14 ・ 2020年1月18日
0885考える名無しさん
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2020/06/23(火) 22:18:07.340
>>883-884
踊りに哲学を見たのは手塚治虫だったな。

哲学はやっと漫画に追いついたのかな?
0886神とは
垢版 |
2020/09/22(火) 17:19:07.600
 一神教の人は、一神教の前提のもとに物を考えているので、曖昧に融合している日本の雰囲気をまたも、分解して一神教的に理解している。彼らが
患っている病は、二元論であり、原子論である。
 そして程度、曖昧、雰囲気を、
そのまま理解せず、結果である「日本的雰囲気」を西洋風に還元、分解するのである。結局二元論から逃れられない無力を示しているのである。

 そして
「日本的雰囲気」「アニミズム的な」そのようなものが存在する・・という
こと・・・・・それは雑過ぎる言い方なのである。。が。雑を本質とする。
 
 んで、アニミズムが物理学と意外に親和性がある。
それら「関係がなさそうな」ものが近いことを知らない。「神」は「でかい滝」「大きな木」「荒れる海」「台風」「森林」・・そういうものに起源を持っている。というか、その「強度」の「名」である。
0887考える名無しさん
垢版 |
2020/09/22(火) 17:19:30.940
和歌山の那智大社の
「御神体」は「滝とそこらの雰囲気」であって、それは「物理的威力」と
無関係ではない。滝は大きいほど「神」になる。
神が複数なのは、「いろんな雰囲気」があることの印である。

「雰囲気」は分解できない概念であり、「微少表象」という概念で
ライプニッツが指摘していたものであり(不十分だけどもう少しで到達出来ていた)、微少表象(微分)の統合(積分)である。というと
近いかな。(小さな傾向の組み合わせである大きな傾向)。
 ニーチェが「ディオニュソス」
という「曖昧」な概念で言ったものである。
 実は「曖昧」というのは
「曖昧」ではなく、明瞭なものである。雑多ではあるが、
雑多を本質としているので分解できないのである。(ニーチェは
体系や理性による整理を批判したいわけである・・)。
 
「ディオニュソス」は「単位」「数」「関係」「変数」・・そういう数学的
という概念より劣ってるわけでもない。別の平面にあるものである。
こういうものに
「還元」して哲学を意図せずかどうか知らないが「暗殺」しようとしたのがウィトゲンシュタイン
なのである。それは「一神教」の「神」の概念がある種の知性にも入り込んでいたことを示すものである。そして「神が独り」という異常事態が
「異常」と認識されない・・。
0888考える名無しさん
垢版 |
2020/09/22(火) 17:19:58.200
・・・自然環境の差がそのまま、自然観に反映するのである。
つまり大雑把に言うと欧米人(インド・ヨーロッパ語族)と日本人の
差異が、自然環境によるものである・・そういう単純なことに起因している。西洋において、砂漠、水をめぐる争い(リバー・・からライヴァル)、そうなのである。そういう自然環境が反映した精神が、神の名などに
なる・・(農業神マルスが戦闘の神マルスに)・。そういうわけで、彼ら(一神教信者)も元は「日本的」なものなのであって、そういうもの
が「科学」によって「キリスト教」になり「科学」に名を変え、
今でも、続いているのである。ニーチェの指摘は思っているより深い。
彼が、冷静に「道徳の系譜」を書く一方で「アンチキリスト」という
暴力的なもので、ハンマーで
葬りたいのは「一神教」、そのバリエーションである、原子論、
 それは彼の家族が「道徳を笠に着た」うさん臭いキリスト教からで
ある。ニーチェがそのことに、その「圧力」の中で苦しんでいて、そして
家族どころかヨーロッパがそういうふうになっていたことに気づいたからである。彼は、「気分が悪くなって」、オーヴァーエンガディーンに
いかざるを得ない・・。
0889考える名無しさん
垢版 |
2020/09/22(火) 17:20:14.800
そして彼らが自然を「敵」として認識せざるを得ない・・。「自然」という概念は物理学の
成果である。が「それも」原子論である。このことはニーチェが
ルソー批判で言っていた意味なのである。「自然に帰れ」などと。
「自然」という概念は、後から発生し、人間とその他を分離するものであり、その起源は「ユダヤーキリスト教」というものが起源である。神が
もともと「神々」というのに、複数なのに、「一人」にしてしまった
せいである。

昔の人々は現在のいわゆる「物理的自然」に対し、
いきなり「ヴィシュヌ」だの「ダーナ」「フレイヤ」だの、名付けていたということなのである。これら今で言う戦争や農業や豊満な女性のことなのである。
(神の名の詳細は知らないけど)そして、それらは「関係」「強度」の
名であって、そういう表現が現在の世界の表現より劣っているわけではない。

 ニーチェの「ディオニュソス」という概念を
分解、解析するようなものである。「原子」は存在しないと、ニーチェが
いう時、言わんとしてることは、「関係」そのものが究極の単位であって
逆ではないということである。そして重要なことは、「原子」が
静止的に表象されていること、「関係」は傾き、ベクトルを持つこと。
0891考える名無しさん
垢版 |
2020/09/22(火) 21:52:56.440
>>890

まあ「日本」とかいうのは、ある種の陳腐な議論で使っていたからそのまま使った。

概念は形象ではない、概念は組み合わせ」であり、概念は揺らぎながら立っている。
0893考える名無しさん
垢版 |
2020/09/23(水) 12:21:55.900
ドゥルーズの本を本棚に置いてるとモテると思われた時代
0894考える名無しさん
垢版 |
2020/09/23(水) 13:25:22.980
吉本隆明は詩に哲学を持ち込んで、ドゥルーズは哲学に詩を持ち込んだんだよね。

二人とも人気者になったけど、残るのはどっちかなあ・・・
0896考える名無しさん
垢版 |
2020/09/23(水) 17:25:36.740
>>895
女の子はポエムが好き。

ドゥルーズの本を本棚に置いとくと、この人は理屈だけの人じゃないんだ、と思ってくれた(と思ってた人がいた)。
0897考える名無しさん
垢版 |
2020/09/27(日) 04:16:59.650
 哲学は、サイエンスとフィクションの両立であり、ポエム(ただの嘘)とはことなる。
逆に言えば、ポエムがサイエンスも備えていれば、それは哲学へとなる。
0899考える名無しさん
垢版 |
2020/10/03(土) 03:36:50.490
>>898
 
 「現実」というものはない。その「脳に」宿る一つの結晶であって、結局「常識、共通感覚」のことである。
脳が、権力によって組織化される苦痛の「名」が現実である。「現実」はと人が言う時、もう権力の側にいるのである。
そういうとき、現実は前提されている。すでに。

 ・・哲学はサイエンスとフィクションの「と」である。

うまく作ったものがたりである。ただ機能はする。言葉遊びとSFは矛盾しない。ただ、哲学は、現動化以前の状態でいつも
あり、現動化されると、再び潜在的になる。反時代的という意味で、時代的というのはいつも痕跡であるからで、真に活動はしていないからである。

表象は力の痕跡だから。
0900考える名無しさん
垢版 |
2020/10/03(土) 08:37:37.350
>>899
>「現実」というものはない。その「脳に」宿る一つの結晶であって、結局「常識、共通感覚」のこと

はじめの1行から言葉の迷宮に入りこんでる。
現実という言葉を独自に定義して、そこから結論を作り上げようとする。

言葉を定義することは大切だが、その定義が一般的な言葉の意味とかけ離れていては内容が成立しない。
定義のしかたが、君独自のものにすぎず、「常識」にも「共通感覚」にもならない。

君がいれば君のいる現実が、君がいなければ君のいない現実がそこにある。
哲学的思考のためには、退屈なサルトルでも、一度は読んでおく必要がある。
0905考える名無しさん
垢版 |
2020/10/07(水) 21:11:46.660
>>900


>「はじめの1行から言葉の迷宮に入りこんでる。
現実という言葉を独自に定義して、そこから結論を作り上げようとする。

言葉を定義することは大切だが、その定義が一般的な言葉の意味とかけ離れていては内容が成立しない。
定義のしかたが、君独自のものにすぎず、「常識」にも「共通感覚」にもならない。

君がいれば君のいる現実が、君がいなければ君のいない現実がそこにある。
哲学的思考のためには、退屈なサルトルでも、一度は読んでおく必要がある。」


現実というものを「取り合う」のが闘争、哲学だよ。

一般的意味もまた「誰が一般的」なのかを「取り合う」のだよ。
定義もまた「取り合う」のだよ。
「君のいない現実=可能態」の現実は、また「君がいない」と言っている君もいないがな。

サルトルは読む必要はどこにある?他に先駆けて?読んでもかわわないが。
0906考える名無しさん
垢版 |
2020/10/07(水) 21:15:31.530
「言葉を定義することは大切だが、その定義が一般的な言葉の意味とかけ離れていては内容が成立しない。」

内容が成立する条件は?
0907考える名無しさん
垢版 |
2020/10/07(水) 21:36:53.590
 ドゥルーズとニーチェの差異など・・。他。

ドゥルーズは泳法回帰を、着衣の反復にした。

ドゥルーズは神の表現を、神の存在として、解釈した。だから神の否定は肯定か否か関係ないとした。

神の否定は「一人の神」の否定であって、一神教の否定である。

潜在性、無意識というのは「身体」のことであるが、どこか精神の臭いがする。それは、「潜む」「無」という意識のアンチであるからである。
でもそれは、そういうものかもな。

ドゥルーズに政治哲学は無いというが、政治に哲学などないので。
デマ、扇動、宣伝などの程度が問題になっている。つまり政治への介入方法である。
結局、民衆へどれぐらいの「ウソ」がどれだけ、どれくらい浸透するか、それを図る機械がいる。

だからといって哲学が政治にばかり向いてるのは、かえって哲学に向かないし、ひいては哲学もダメにする・・。
0908考える名無しさん
垢版 |
2020/10/07(水) 21:55:59.810
>>902

思考にモデルはない。いつでも始原的だと。

しかし、痕跡から逃れれない以上、「条件付き」自由なのだ。で、いつでも「途中」だと。

だけれども、サルトルはやった・・。その成果はない。彼の行為を見よ!ってドゥルーズは言いたいのかね。

風を感じろってところかな。「途中のプネウマ」を感じろということかな。
0910考える名無しさん
垢版 |
2020/10/07(水) 22:39:05.400
>>905
闘争など必要ないよ。

言葉については一般的であるかどうかは大切なこと。
ただし、取り合う必要などない。

定義も取り合うのではなく、一般化できるものが定義。
0911考える名無しさん
垢版 |
2020/10/07(水) 22:42:01.180
>>905
>「君のいない現実=可能態」の現実は、また「君がいない」と言っている君もいないがな。

くだらない言葉遊びに過ぎないな。
そんなことを言ってるから、大学の文系補助金が消えていくんだよ。

現実は現実としてある、というあたりまえのことを認めない限り、哲学はたしかに不要な学問になってしまう。
0914考える名無しさん
垢版 |
2020/10/08(木) 03:26:32.010
まあ、今回の学術会議で

文系の二人は消されそうだ。

菅総理に共謀罪に反対する人が消されそうだ。

なんらかの独裁の兆候かもね
0915考える名無しさん
垢版 |
2020/10/08(木) 10:39:33.330
>>914
いまさら?

70年安保学生運動のころから自民党とアメリカが日本の将来に危機感を持った。
大学の管理を強化するだけではなく、初等教育から国家管理を強めていった。
その結果が、小泉ブームとして結実したわけだ。

以後、資本主義=自由というイメージが固定された。
それに疑問を持たない層が日本では異常に多い。
集大成が反共宗教連合の日本会議によって担がれた安倍政権だ。

独裁は、アメリカの傀儡小泉政権から始まっている。
0918考える名無しさん
垢版 |
2020/10/09(金) 12:31:57.030
>>911

ケルベロスが多少変わろうが、大したことはない。

こういう問題」コロナ問題を先送りにするためのマッチポンプですよ。
0921考える名無しさん
垢版 |
2020/10/09(金) 15:58:14.270
>>918
自民党政権の文系予算削減は、コロナとは関係なくずっと前から続いてる。
たしかに、大学哲学にはなんの業績もなく、ただくだらない言葉遊びで禄を食んでいる教師が多いのも確かだ。
文字通り、スコラ哲学の時代に戻ってしまったのだろう。
0922考える名無しさん
垢版 |
2020/10/09(金) 16:00:06.390
>>919
他人の論文?
その人が、ドゥルーズがそう言った、と書いてるの?
それとも、なにかの本から引用してるの?
0923考える名無しさん
垢版 |
2020/10/12(月) 12:38:12.020
>>922

Gilles Deleuze
L’Ile deserte et autres textes (1953-1974)。
Tetexts et entyetiens (1953-1974)

「無人島と他のテキスト」もしくは、それをダヴィド・リシャールという人が「編集したドゥルーズをまとめた書」

恐らくどちらにも、サルトルの引用されているのかも知れない。?か。よく分からない

そこいらは、詳しく分からない。サルトルにある親近感、自由、風のような空気を感じていたことは
クレール・パルネのインタビューの、若しくは本から分かる。そんなに必死に元文献を探りたいなら、それをオレは知らない。
0924考える名無しさん
垢版 |
2020/10/12(月) 17:26:14.100
>>923
文献云々ではなく、根拠を求めたんだ。

引用されているかもしれないとか、曖昧なことを断定しちゃいけないんじゃない?
0925考える名無しさん
垢版 |
2020/10/12(月) 18:21:21.220
>>924

そりゃ、簡単だろう、サルトルが非歴史的で、自由にものを考えたから、
サルトルを読んでみて、感じてみれば。センスがあればだけどね
0926考える名無しさん
垢版 |
2020/10/12(月) 18:24:13.470
>>924
変な答え方するねえ、曖昧を本質するのは、スタイルを感じるのは大事だよ。
0927考える名無しさん
垢版 |
2020/10/12(月) 18:26:54.900
>>924
 じゃあ、ニーチェのディオニュソスの根拠は? こういう問いがおかしいと思わないかい。
0928考える名無しさん
垢版 |
2020/10/12(月) 20:05:46.730
>>925
>サルトルが非歴史的で、自由にものを考えたから

サルトル読んだことがないんだね。
歴史性はサルトルの大きな思想の基盤だよ。
だから、レヴィ=ストロースとの論争になった。
0930考える名無しさん
垢版 |
2020/10/12(月) 20:08:11.530
>>927
>「現代思想の2002号のp125」からの鈴木泉の論文

この論文からの引用もないから、根拠を求めたんだよ?
0931考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 10:59:48.970
>>930

そこからの引用は自分ですれば、オレはそんな親切じゃないし。

>>928
 歴史性じゃない部分をドゥルーズは言っているんだ。だからスタイルのことだよ。知識ではメルロ=ポンティの方が優れてるだろさ
そういう「ドゥルーズ」の言葉でもって、サルトルを読めばって。そういう動機の生成で十分だが。
>>929

曖昧を本質としている存在があるということだよ。多少間違ってもまあ「補って」読んでるかと思ったけどね。

ディオニュソスは「曖昧」を本質としている・・とかね。
0933考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 11:54:08.610
>>931
だから、ドゥルーズ本人の言葉なのか、鈴木という人の見かたなのかを聞いてるんだ。
そんな本を探して読むほど、僕は親切じゃない。

あなたがサルトルもメルロ=ポンティも読んでいないことはかまわないけど、読んでもいない二人を並べて比較するのは、いくらなんでもね。
それは曖昧さでもなく、ただの虚偽だよ。
0934考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:02:08.230
>>933

ドゥルーズがサルトルをそう思っているに決まってるじゃないか?
そうとしか思えないね。それに鈴木氏は共感したんじゃないかい。


ちなみに、メルロ=ポンティは「行動の構造」読んだよ。
0935考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:07:58.640
>>934
そう思っているに決まってる?
根拠なし?

読んだのに、メルロ=ポンティが知識で論文書く人じゃないってこともわからないの?
サルトルもメルロ=ポンティも思索の人だけど、メルロ=ポンティは教師の職を得るために、心理学の知識を仕入れたとはいえるかも。
0936考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:11:19.970
>>933

読んでもなくても分かる場合があるさ、それは読んでいない著者が他の文献に引用されてるからね。多数に引用されている場合はね。

テルトゥルトゥリアヌス「不合理故に我信ず」など、一言で分かるような人もいるし。

「存在と無」サルトル・・・存在も無も存在なので「存在と無」という著書が「優れていない」とかの傾向はつかめるし。

「弁証法的理性批判」とか、弁証法そのものが「理性的」なのに「題名」が変だとか・・。それとも全部食わないと分からない人かい。
0937考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:12:59.270
>>935

サンフォン(無低)、すなわち根拠はない・・とドゥルーズは主要著書でいっているけれど。
0938考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:13:05.750
>>936
>存在も無も存在
>弁証法そのものが「理性的」

だから読まずに書くなって。
レス読んでるこっちが恥ずかしくなる。
0940考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:14:57.410
>>937
ドゥルーズがこう言ってるから、自分もこうでありたい・・・

ドゥルーズがかわいそうだね。
0941考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:16:40.970
>>935
「教師の職を得るために、心理学の知識を仕入れたとはいえるかも。」

おおかた、「メルポ=ポンティの生涯」とかそういう本を読んだんだろうね。
0942考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:17:42.220
>>939
あなたは、本当は「行動の構造」ですら、目次に目を通したぐらいなんだろう。
なにも読まずにどこまで言い募れるかの実験でもしてるんだろう。
それはかまわないが、お願いだから、読むほうが恥ずかしくなるようなレスはやめてくれ。
0943考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:18:29.830
>>938

無が「無」と思うかい。それは本を読まなくても分かることさ。

本が無い。宇宙が無い。「無い」は存在の前提だよ。
0945考える名無しさん
垢版 |
2020/10/13(火) 12:19:50.640
>>942

まあ、まあ熱くなるな。もう止めるよ。これ以降はしばらくは発言しない。
0946考える名無しさん
垢版 |
2020/10/14(水) 15:20:32.180
ヘーゲル読めよ。
有と無は移行する規定。それだけの話だ。
0947考える名無しさん
垢版 |
2020/11/01(日) 22:48:19.830
ドゥルーズはガラクタの山を漁ってただけ


結局何も出てこなかった
0948考える名無しさん
垢版 |
2020/11/22(日) 12:07:22.680
さすがに、もう古いか
0949論理学者の批判
垢版 |
2020/11/27(金) 01:11:42.800
 ドゥルーズが論理学者を批判する理由がある。例えば、死刑囚のパラドックスについて考えれば分かる。
死刑囚のパラドックスはyoutubeで見れる。非常にバカらしいパラドックスである。これらについて書く・・。

 ウィトゲンシュタインやウィーン学派が最初から終わっているのと同様であることにもつながる。。おかしなパラドックスが
あちらこちらで現れるのも「真・偽」というおかしな概念を導入したからで、これは実は「神」を導入したに他ならない。
「この命題は真である」という・・そのとき、よく考えると「真とはどういうこと」ということになる。キリストにピラト提督が「真理とは何だそれは?」と同じことである。

 「死刑囚のパラドックス」というのがある。。は詳細は省くけど、「お前はお前の予測できない日に死刑は執行される」と看守にいわれ、その期間が「月曜日から金曜日」のどこかの日である。
そして、死刑囚が考える。そして木曜日に生きていたら、金曜日に死刑が執行されるので、なので木曜日に生きていたら「予測可能」だという・・木曜日に生きていたならば・・。
これは、「お前はお前の予測できない日に死刑は執行される」という命題を信じているか信じてないのかという問いへ戻されるが、信じてるかどうかは「決められてない」
でもなぜか死刑囚は仮定をし、「もしも・・ならば」ということを条件をつけていろいろ考える。つまり、いろいろ考えること自体が「看守」の命題を信じていないということである。

 
0950続き
垢版 |
2020/11/27(金) 01:12:34.060
看守は「お前は予測できない日死ぬ」というなら、オレは(死刑囚)は予測できない日に死ぬのである。なのに予測できない日に死なないかも知れない・・という。
これは、命題が単にぶつかっているだけである。単純にいうと「お前は死ぬ」、「オレは死なないかも知れない」という命題が論理上は矛盾するのを「パラドックス」と呼んでるだけである。

 この命題をどちらも「真」とすればぶつかるに決まっているが、ここで「真」という得体の知れない概念(実は神のこと)が前提されている。そして「真」「真理」というのは何か・?となり、
「真理の条件は?」となり、条件は実はなく、人間による定義しかない・・というふうなことになり、人々が「哲学がうさんくさい」という直観が正しいということになる。
なので、形式論理学者は、はっきり言って、不毛で、言葉遊びで、別系統の哲学者には迷惑で、「おまえら、いい加減止めろ、」と言いたくなるのである。

つまり、看守の命題は「劇的命題」であって、論理的ではない。論理が存在するには、媒介の論委が必要であるが、そういうものはない。つまり論理的というものは無い。
相対的に的にある・・とも言えない。相対的と言えるのは「絶対的」を必要とするからである。


 
0951続き
垢版 |
2020/11/27(金) 01:14:23.870
それゆえ、 「・・なので沈黙せねばならない」とか・・に対して、ふざけるな「お前らが沈黙しろ!」と言いたくなるのは当然である。、ラッセルなどは読むに値するが、
ウィトゲンシュタインやムーアとか読んでも意味がない。まして金を払って本を買うのは
バカげたことで、ラーメンでも食べたほうが良いのである、。でも暇つぶしにはなるかもしれない、

 突然だが、ヘーゲルとライプニッツについては、彼らは充分に読みごたえがあり、ちゃんとした哲学者である。
彼らは、情動、強度、内包の概念を表象にしてしまうのであるが。ヘーゲルの「矛盾」は表象上の矛盾である。とはいってもヘーゲルはあんまり読んでいない・・。

 そしてライプニッツの「副次的矛盾」・・、つまり極小の矛盾・・いずれも表象に基づいているけれど、
ライプニッツの微少表象は、表象から離れつつある・・。ライプニッツの方が、「ディオニュソス」に近い、
ディオニュソスの岸辺まで来ていた・・というのは本当である。なぜなら、イメージ無き思考を、思考することだけでしかできないもの
・・それにせまっているのは「海が水滴の集合」だと微少表象できると言った・・微少表象(無意識のことだが、フロイトはそれらを何とか表象で説明を試みる・・」)と思考は・・非常に近い・・

ライプニッツは非常に惜しい。そして、今だに謎はある。・・
0952よく分からないが差異について語る
垢版 |
2020/11/27(金) 02:46:08.490
ドゥルーズは古くはない。と思う。基本概念を書こうと思う。突然だけど。

「差異」とは、? 例えば桜の花が咲くのは、「何度に成ったら咲く」のではなく、温度差に反応している。

温度差それ自身が存在する。 つまり「関係自身」がある。つまり、桜と気候の関係の仕方が複数ある。無限にある。有限だと考えればおかしいという背理法的だが
背理法は「理屈か」「論理」を前提とするので背理法ではない。
これは「生成における同一性」の破壊である。関係は、傾向であり、ベクトルであり、無理数であり、微分方程式である。可能性ではなく、存在でもない。

それと・・。例えば、分かりやすくいうと、「彼らは似ている」・・とかいうとき、実のところ差異について言っている。つまり似ている、同じである
と言えるのは、二つ以上存在するからである。。似ているというとき二つ以上の何かが存在しているからである。

二つのものがある・・それらが完全に一つなら、一つで良いことになる。このリンゴらは似ている・・というときリンゴは二つ以上ある。
二つのリンゴが、完全に同一ならば、それは形、模様、位置も含めすべて「同一」でなければならない。そうすると二つのものは「一つ」になるしかない。
0953続き
垢版 |
2020/11/27(金) 02:46:30.700
「似ている」「同じだ」ということは、「差異」について語っているのである。
これは「類似」の破壊である。

差異が条件である。二つのリンゴは似ている事象(表現そのもの、事態))、「二つのリンゴは似ているという言うこと」=表現するもの
異なる=(表現されるもの)、。スピノザの神についていえば、様態=表現そのもの(虫、動物、地球とか何でもよい)

、属性=表現されるもの(思惟と延長とか)、神=表現が指示するもの?と言って良いかな、人が語るときに他人が受け取るもの、絶対に自分では分からない。
これは、神は「効果」なのでは?ここらへん(表現のことあれこれ)は正直いうとよく分からないが、まあ許してくださると良い。

類比」は、比べるということは、またもや差異を前提としている。
これにより、類比というのが破壊される。 対立というものは、またもや「異なる」を前提としているので、その逆ではない。階級というものは、世代間対立というのは
異なっていることが前提である。それを勝手に「二つに分けている」だけである。なぜ二つなのかと問える。。
0955鬼滅の刃19話について
垢版 |
2020/12/07(月) 21:01:55.470
 記憶の問題と関係がある。記憶は、すべては記憶され、その都度「全体」を反復する・
未来の記憶(言語)、身体の記憶は区別されるが、昔の記憶ほど反復されているため、
強度が昔の記憶がより強く覚えているが、それは「意識に上りやすい」ということではない。

意識(言語)と無意識(身体)の区別が、その境界が限りなく無くなるとき、未来への配慮と過去からの支配(抑圧)
が無くなる瞬間は、記憶がそもまま即自的に出てくるだろう。現前するだろう。その際に現前する記憶は、縮約から発散へなるだろう。
縮約とは、「現在」のことであるが、「現在」は決して現前しない。現在は「縮約」過程だから、死を確信したり、めまいを起こすとき、「縮約」は
行われない。ので過去が即自的に出現するだろう。記憶がどの順番で現前するか分からないが、

まず、炭次郎は、もっとも古い記憶、炭十郎の思い出(演舞=戦いの型であり、戦闘用の型の名残り」から思い出している。しかも「約束=思い出すべき記憶」から
思い出すのは不合理ではない。雪の土地、火の踊り、日の踊り(というとユング的だが)は、今まで思い出していない(相対的に)
なので、もっとも古い記憶から思い出している。思い出す順番に規則はないが、そこはまあ、記憶自信それ自体が、強度順に出てくるのかもしれない。
これに合理的理由はないが、・・。

そして、彼は即自的に「演舞そのもの」=記憶そのものとなり、舞うのである。行動とひとしくなる。父親を反復する。またネズ子はたっぷり寝ていたので「鬼」として
力はついている。しかし、ベクトルは炭次郎を助ける方にt向いているのであるが、母を思い出す、または彼女の中の母が彼女に呼びかけを行う。

こういうときの父、母は精神分析と何にも関係がない。そして彼女は血を爆発させ、炭次郎の刀に付着し、剣が復活し、その剣を振るう炭次郎は
彼女の爆破させている振動と同じタイミングで剣を飛ばす。もしくは剣自身がその血の爆発で剣自身が飛ぶ。
アニメは、現実の合理性(糸は巻くほど強くなる)だとか、アニメ中での合理性(鬼の生存、成長条件がなければならない。
0956考える名無しさん
垢版 |
2020/12/07(月) 21:27:44.810
そして、演舞は、円舞であり、耳飾りの蜘蛛の巣を表すような・・それは、ネズ子との同一性をも示しているのだろうか。
また、「相打ち」ではいけないのであり、それは伝承の規則に反するからであろうか。哲学とは関係なかったのであるが
記憶に関して少し気になってついでにいろいろ考えてみた。のであった。
0957もひとつ
垢版 |
2020/12/07(月) 22:39:52.480
 ネズ子は、寝ているのにネズ子こということ、19話だけで解釈するかぎり、
ネズ子、ねずこか?の力の発動条件の一つは逆様で、また「お父さん」も
なぜ「そうなのか」知らされていない。炭次郎も。

まあ、漫画とかよく知っている人は別のことを言ってるみたいで、多分それはそれはそうなのだろうけど。
2〜3個の話を見ただけでも「いろいろ解釈は出来得るのである。つまり、このアニメ?漫画は多元的解釈の余地が
あることにより、魅力がある。ニーチェは言っていた。私の権力の由来は「謎」である・・ということに由来するのだと。
0958もう一個だけ
垢版 |
2020/12/11(金) 15:14:36.770
 26話において、カマドタンジロウは、コインを投げるとき、まあサイコロでも良いけども、「肯定」の
仕方を知らない。差異と反復の運動を「表が出るまで何度でも投げようと思っていたから」と言うとき典型的な、古典的ギャンブラーになっている。

 またもや、キルケゴールやパスカルの間違いを繰り返している。コイン投げを、サイコロ振りは、それらを
法則に従属させてしまっている。 コイン投げは深刻なものでもなく、どの面が出ても良いのである。ギャンブル自体を楽しむことが大事なんだが。

うむ。ちとドゥルーズから逸脱したけれど、。
0959問答法
垢版 |
2020/12/13(日) 15:23:36.920
鬼滅の刃26話の、敵のラスボスらしい人(鬼舞辻無惨=キブツジムザン)が部下を理不尽に殺すシーンがある。ある種の問答法でもある。

パワハラだと言われている。パワハラと言えばそうであるが、「殺す理由を探している」のではなく、反対である。
、因果関係が逆なだけである。まず殺したい部下(下弦のものという一集団)を殺すのであるが。

論理上は「もう死んでいる」(論理上は)。その結果の「理由」を言いたいのである。死んだ理由をつくることに喜びを感じているのである。
どう答えても死ぬので、理由を言いたいために、死なすのである。目的は理屈をいうことである。

 実際には(死が決まっている相手=部下)に何かを言わせてそれの応答で論理を組み立てる過程
を楽しんでいるのである。なぜなら、いきなり(ボス)から、死ぬ理由を言えば、ただの荒唐無稽で
(ダサい)だからである。「何々だから・・お前は死ね」とか言うのはただの美しくない(かっこよくない)理屈になるので、死なす理由を作りたいのである。

そしてそういう屁理屈自体を製造することが楽しいのである。禅宗やストア派のように表現
できうる最大、最高の論理をつくるのと似ている。。つまり、「何かのために」何かを言うのではなく、言うために「死なしている」。
今=現在=この瞬間が「もう結果」であり、「即役に立っている」のである。理屈と喜びの同?性の実践である。黙っていれば防げるように思われるが、それは「黙って良いとは言っていない」
という論理で殺される可能性がある。防ぐ方法はないが、普通に悪口をいうのが良い。

 程度の低いほど良い。「お前アホか」もいい。反論もダサくなる可能性が高い。殺されるないようにする・・などを考えるのはダメだ。それは決定されているので、ダサい理屈を?わせることが重要である。
(ボス)=鬼舞辻は「かっこよい」セリフを言う事が目的なのだから。殺されるのだから(それを部下は分かっているが工夫に苦労する)。
0960考える名無しさん
垢版 |
2020/12/13(日) 15:30:35.590
>959  訂正

「理屈と喜びの同一性」、「それは決定されているので、ダサい理屈を言わせること」 です。
0961考える名無しさん
垢版 |
2020/12/23(水) 17:17:54.710
昔から漫画に哲学を求める連中は一定数いるね。

手塚治虫、白土三平、つげ義春なんかをそうした連中が祀り上げてた。
0962考える名無しさん
垢版 |
2021/01/05(火) 07:15:53.070
それで言うならアズマン上げないと。
ああいうのはお金になるんだろう。
0964考える名無しさん
垢版 |
2021/01/06(水) 22:43:32.590
漫画では過去が即時的に存在しているな
0965鬼舞辻無惨 と 厭夢 との関係
垢版 |
2021/01/10(日) 15:02:13.570
>https://www.youtube.com/watch?v=WW7a4-DRM00

で、厭夢の鬼舞辻無惨のやりとりを勘違いしている。

アニメ版、鬼滅の刃、26話でキブツジと下弦の鬼らとの問答がある。

で、厭夢が、鬼滅の刃でキブツジムザンの死の宣告による、逃れる方法として、あらん限りの理屈を言うのは
「彼がサイコパス」と何のは関係がない。ムザンによる否定による死を回避する方法で最大限、つまり「ムザンがオレを殺すことは返ってエンムの喜び」になる。喜びを感じるのではなく
「喜びを感じる」という理屈を言っているのである。そうすればムザンがエンムを殺すことは、「エンムの勝ち」になるからである。

ということである。これによってムザンは、論理的にはエンムを「おしゃれな理屈で」殺せなくなった。殺せば、エンムの勝ちになるからである。

一応、言っておく。まあ暇つぶしに・・。
0966多少哲学にもどす。
垢版 |
2021/01/10(日) 15:48:02.790
 皆、トランプ氏らの行動を「民主主義」の崩壊だのなんだの言っている。

事実は、アメリカの「元々」の人物、農民、工業社、デジタルを扱うのが苦手な、庶民層の怒りなのである。

民主党(ロイター、時事通信、ツウィッター、フェイスブック宣伝媒体の占有)・・つまりユダヤ人(その下のプロテスタント)にアメリカの「野生」が怒っているのである。

民主主義が「崩壊」しているのを、その偽善に気づいたからである。ニーチェはプロテスタントより、カトリックを擁護せよと言ったが、これは賢くずるがしいものより
大地に根ざすものを擁護せよ・・という意味である。もはや、情報、デジタル、を占有するユダヤ人どもは、「民主主義」の名のもとに、

「女性」「マイノリティ」を擁護しているふうに見せて、実は利用している。公平ですよ・・と。
メディアは「アメリカの民主主義」の崩壊だというが、経済のためにヨーロッパ諸国が中国の「ウイグル、香港、台湾、一部モンゴル」の人権侵害に妥協していることについて
何にも言わない。

金を貸してもうける・・・。働かないで儲ける。これはコロナ禍の日本でもよくみるこうぞうである。つまり「家賃収入」で儲ける・・ことだ。
働いているものが損をして、ただ「貸している」ものが儲ける・・。ユダヤ式なのだ。で、トランプ主義者のように「バイオレンス」はいけない・・という。
おかしな世界だ。
0967アフォな医者
垢版 |
2021/01/10(日) 23:05:14.850
 pcr検査が無意味だという医者がいる。バカだ。。偽陰性、擬陽性が出るだとか・・・。

もし調べたとしたら、「このような結果にになる」だとか、「調べない想定」でものを考えている。もし・・なら・・だと。

pcr検査は、傾向を探るためにするんであって、正確性の傾向をさぐるんであって、つまり偽陰性、偽陽性の傾向を探ることも含んでいるのである。

アホな医者は、事実(検査)より先に原理(理論)を持ってきて判断している。それが数学的モデルだろうと。モデルは未知のものに適応するべきものだが
検査によって、モデルのタイプを知らない限り、モデルがいかなるタイプを知ることができない。

つまり、検査を行ってから分析すれば良いだけの話で合って、検査する前に検査しない理由を作る宇野に必死なのである。

検査は疫学も兼ねているのであって、そこら辺は彼らは分かっていない。「傾向を見つけるのが」肝要であって、偽陽性、偽陰性も検査なしに、前もって
予想できないからである。彼らは、「・・・であると仮定して」「というが、未知のものに「既知」の基準で測っているのである。

モデルというのはいつも変更される余地があり、それは経験論の「元手を増やし、豊かにする資源」なのである。そして社会的事実(人々が実際に恐れている
検査が必要である・・それが誤解にせよ正解にせよ、そう思っているなら)、そういう観点、そういう事実を見る必要がある。それを考慮しないで、机上の空論ばかりで、
はっきりえいば、狭い観点でものごとを見ている「専門家」どもは・・まあそれが「専門家」たる弱点である。ならば、専門家が「検査すべき否か」は疫学者の領分であり、
疫学者は統計学者でもあるからである。医師は全体を見る専門家でもないし、その能力もないので口出しすべきでもない。これの前提はどうもこの国には「感染症専門家」がいないからである。

また原則、医者は患者を診るものであって、感染症はお断りなどと言う医者は、それは医者ではないのであって、看板に「感染症は見ません」とでも
書いておけばいい。安全が保障されている医者などは形容矛盾である。
0968考える名無しさん
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2021/01/11(月) 20:30:36.500
千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba)
2021/01/11 13:26
宇波彰さんが亡くなったそうだ。
『意味の論理学』の訳は当時まだ研究が進んでいない中で誤訳が多いが、
それでも独特の柔らかな文体が魅力的な訳書だった。今では研究用には使えないが、
あの文体からは影響を受けたと思う。

https://twitter.com/masayachiba/status/1348486370507988994?s=21
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0969考える名無しさん
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2021/01/11(月) 22:58:07.850
>推論規則として矛盾律があると、AにありえないことがくればBにどんな結論をおいて
もよくなります(「ヴィッセル神戸がJ1で優勝するなら太陽が西から昇る」とか)<

これは、言葉の表現の論理の理解としては失格ですね。
「Bにどんな結論をおいてもよい」のなら、
「ヴィッセル神戸がJ1で優勝するなら太陽が東から昇る」
でもよいはずだが、言葉の表現の論理では、
「ヴィッセル神戸がJ1で優勝する」ことをあり得ないこととしているのだから、
Bの結論も「同様にあり得ないこと」を表現しなければ、論理として成立しない。
0970考える名無しさん
垢版 |
2021/01/11(月) 23:00:25.070
こういう基本中の基本をしっかりと踏まえていないと、言葉の論理を扱って
いるはずなのに、言葉の論理とは無関係の別の規則の正しさに拘泥する
ことで、なにか有意義な主張をしているように錯覚することになる。
0971考える名無しさん
垢版 |
2021/01/11(月) 23:05:48.750
例えば、「嘘つき」についての議論は、「嘘をつく」ことが言語的な表現行為
として捉えられている以上、言葉の表現の論理に基づいて論じられなければ
ならない。それを、言葉の表現の論理とは別の論理にすり替えて論じるから
大きな混乱が生じる。
0972考える名無しさん
垢版 |
2021/01/11(月) 23:07:30.120
結局、「論理国語」と呼ばれるものが推進しようとしてる「論理」の
いかがわしさもそこにある。
0973考える名無しさん
垢版 |
2021/01/15(金) 11:01:06.790
言葉というのは常に現実に引き戻されなければならない。

言葉は現実ではないからだ。
0974考える名無しさん
垢版 |
2021/01/15(金) 13:02:38.890
例えば出口汪は論理学の教材として小学一年生に以下の問題を用意する。

(もんだい)つぎの えは  「にくを くわえた 犬」の はなしを
      えに したものです。はなしの じゅんばんに ならべて
     「あ」「い」「う」「え」の きごうを あとの ( )に
      かきましょう。
http://2.bp.blogspot.com/-Ejfb7oX6BWU/VHxR-aqxEsI/AAAAAAAAn1U/9SaTZJqnj4E/s1600/ronri3.jpg
出口汪(でぐち ひろし)「論理エンジン 一年生」(水王舎2007)より
こたえ( い→ え→ う→  あ)
0975考える名無しさん
垢版 |
2021/01/15(金) 13:03:00.960
不完全性定理は素数を使うから数学の素養は必要だが、
以下の3つの作業の順番を守らないと意味がないから上の小学生用の問題と同じだ。

1定理の目印に素数を使う、2対角線論法で数え尽くす、3背理法で証明する

参考:
《ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。一変数の命題
をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),・・・を考察するというの
はまさしく対角線論法そのものである。カントールによって集合の階層構造を引き出すために考案され
た一線論法は,集合論内のパラドックスと絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見とい
う20世紀数最高の結果の一つを生み出すにいたったのである。》
(『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

瀬山は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルによる素因数分
解を使ったコード化)について説明している。
(瀬山も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの結合法論そのものだ。
これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」

(『普遍的記号法の原理』「計算の原理」1679、邦訳ライプニッツ著作集1、64−5頁より)

ドゥルーズ『哲学とは何か』で念頭に置かれているのは多分このゲーデル数だ。
https://twitter.com/lspandc/status/1339515347733377024?s=21
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0977考える名無しさん
垢版 |
2021/01/19(火) 02:35:22.850
トートロジー
0978考える名無しさん
垢版 |
2021/01/28(木) 01:32:31.970
不完全性定理が意味しているのは無限を論理的に扱うのは難しいって話だ。
有限集合について話す場合には完全だ。
ただし、世の中の議論は普通はほぼ無限に関する話だ。
0979木村太郎は・・
垢版 |
2021/02/01(月) 02:16:21.190
 言っていた コロナ禍の。・・つまり非常事態宣言・・に従って家にこもる人がストレスを抱え
通勤などで外に出ている人が「インタビューされ」、その人らは通勤し生活習慣を変えていないである傾向である、そういう人が宣言を継続すべきだと言う。そういう傾向がある。
そのことを鑑み、太郎氏は、「正直者が損している・・云々」という。宮根という凡人はもちろんわからない。

つまり生活習慣を変えられた(ストレスを負わされ、頑張っている人)は、非常事態(ステイホーム)を実行している。(インタビューされていない)
そして生活習慣が変えない通勤の人・・は非常事態を延ばせ・・と言いながら、自分らは通勤している(インタビューされている)。。悪意はない。
 これは、ある一面を捕らえている。そして、マスコミの人は、いつもの仕事をしながら、通勤している。そして「ストレスを負わされた人」によって視聴率を上げてもらっている可能性がある。

何が「ストレス」かは、生活習慣を変えられた人、である。金銭の変動を受けた人である。全員そうか・・とは言えないが、籠ることが慣れてる人には良いだろう。でもいつも焼き鳥を売っている人はそうではない。

こういうこと、その他・・いろいろ分かっていない人がMC(宮根とかいう、いかにも胡散臭い人=金儲けしか頭にない)をしているのは残念だ。マスコミは生活習慣を変えないし、警察官よろしく弱いものにしか取材にいかない。
日本財団(笹川良一系統)が作ってある病床があるのに・・病床がないなどと嘘を言う(予約済みなのか)し、入院させないのは「法律違反」なのにそれを言わない。法律違反が常駐することは
「まあ、いいじゃないか」ということっもあるが、だが実は「本体」が「法律」と共立していない印であって、重大なことなのである。(訴えれば勝つぞ)

 。。木村氏はマスコミは副作用(なぜか副反応と今は言うらしい)を多く言いすぎる・・と言っていた。それは正しい。マスコミは誘導は「テレワーク」「デジタル化」「投資が増えてる」などと、言いすぎる・・。マスコミが無能というのはたやすい。世の中不平等だというのもそうだが。
トランプ派の人々のヴァイオレンスのようなことが日本に起きないというのは不思議である。
0980三段論法
垢版 |
2021/02/01(月) 04:46:18.300
 論理の話の途中で、木村太郎の話をしてしまった。だがそれは是非とも言っておかなければならないこだった。

論理・・。 例えば、欅坂(現在:櫻坂46)の土生瑞穂さんの発言がというかぶっ飛んでいる・・という事態がある。それを分析する。
 それは、彼女の発言がいつも媒概念の表現を欠いているか、すでに表現されているので、瞬間的には「分かりにくい」ということである。
それは、例えば「欅って書けない」という番組の エピソード、172らへん、土生の生態を探ろう!みたいな回。

土生さんへの問い・・、「紅白歌合戦とかけまして、□□と解きます、その心は□□です」

その問いに対して、土生さんは答えた。「紅白歌合戦とかけまして、紅白と解きます、その心は・・・「どちらかにしぼってくださいです」であった。
これは、媒概念自身(紅白)が表に出ているので、粋(いき)ではないけれど、別に「間違い」ではない。そもそも正解、間違いの尺度で測れない。
ただ、二つの目の命題に共通項があるのでなければ、「間違い」とと言われても仕方ない。で、土生さんのは間違いではない。

ううむ。[ミニスカートとかけて、結婚式のスピーチと解く。その心は、短いほど喜ばれる]、というのがある。byウィキペディア。。
というような、なぞかけで、両者に共通なことをいう遊びで、まあ共通項をいえば良い。
 一種のユーモア、イロニーを含むとなお良い・・らしい。音も一緒だとなお良い。

それでお前は何を言いたいんだと言われるが、まず土生さんの数々のぶっ飛び発言は、実はぶっ飛んでない、か独自の媒介項がある。
他の発言からも読み取れる。ただ、。発言が理解されrたり、なぞかけの基本は三段論法である。

 基本は三段論法は、柴犬は犬でである。犬は動物である。よって柴犬は動物である。というたぐいの論理で、

一つの概念が、二つ以上(この場合動物が犬と柴犬)の存在を内包している。媒概念を欠いて発言する場合「ぶっ飛んでいる」と
言われる。・・それは、単なる観念の(内包)の違いである。観念と観念の関係は、「水素と酸素」は水だが、・・それらに共通しているのは
「方法」である。「組み合わせ」である。しかし、「差異と反復」の内包と外延のところは、分かりにくいと思うのはオレだ・・けだろうか。訳者の人も困っていたようだが・・。
0982考える名無しさん
垢版 |
2021/02/02(火) 03:38:51.500
>>980 訂正

観念、酸素、水素。観念の観念は方法、すなわち「水」は観念であるが「方法」の概念にもなっている。

「火」は「何かから出た物質と「そこに居た酸素」の結合過程である。あるいは酸素自体の崩壊過程」でもある。

酸素自体が酸化してゆくのである。(酸素としての能力を失う過程)。
0983考える名無しさん
垢版 |
2021/02/06(土) 10:29:33.780
おもしろい。
0984学術
垢版 |
2021/02/06(土) 10:45:45.060
後年の作品のほうが掘り下げが深い。単純なテーゼ。ピークとかのほうが哲学的。
0985考える名無しさん
垢版 |
2021/02/06(土) 10:45:54.340
ドゥールーズってデリダのあとに研究したほうがいいですか?
0986考える名無しさん
垢版 |
2021/02/07(日) 16:07:52.100
>>985
2人とも研究の対象にはならないだろ。
読んでなにを感じるか、それだけが重要。
学問的な蓄積を求める対象じゃない。
0987考える名無しさん
垢版 |
2021/02/10(水) 15:16:15.710
俺がいまここで「ドゥルーズの哲学」を書き込むことで、明日おれが風呂に入りながら考える「ドゥルーズの哲学」は昨日おれが寝る前に。
0994考える名無しさん
垢版 |
2021/02/10(水) 22:03:08.090
頭が悪いから、能力がないから大学に行く人がほとんどだと思うけどね。
頭が良かったり能力のある人は、大学に行く必要がないから。
将棋の米長元名人が「兄は頭が悪いから東大に行ったが、俺は頭が良いから将棋指しになった」と公言していたのは有名。
0996意味の論理学における禅とかストア派
垢版 |
2021/02/22(月) 13:14:36.400
「 角を持ってなかったら、角をうばう・・。・・」。角を持っていない人「は角を持っていない空間」を持っている・つまり空虚、「否定の空間」が存在する。

「棒を持っていなかったら、もう一個棒を与える。」それは角を持っていたら「もう一個角を持つ空間」がある。空虚に位置を与えている。これも「否定」に空虚の位置を与えている。

「弓道」において、目的は矢を真ん中に射ることだが、真ん中を狙うことが「姿勢の美」の手段になっており、目的が的の真ん中に射ることであるが、
同時に的に当てれば良いということではない。スポーツではない。

 でも真ん中に射ることが目的でもある。「美が目的」だとも言えない。・・・・これはどういう風に考えればいいのだろう。「目的」の無さとそれの存在が同時だということだろうか?

弓を構えた瞬間、「境界」が出現し、目的や手段の区別がなくなる・・。のかな。
0998考える名無しさん
垢版 |
2021/02/23(火) 18:11:31.260
ドーナツの穴は存在か否か、みたいな話だな。言葉の問題なんだよな。
言葉が先にある。言葉によって何か実体らしきものが措定される。
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