しかし重要なのは、資本主義の廃絶が 、階級やマジョリティ、人間といった状態への再
領土化 (マクロ政治 )によっては決してなされ得ない、という点だ。プロレタリア ( 『アンチ・
オイディプス 』 )によって 、マイノリティ ( 『千のプラトー 』 )によって 、動物を眼前にした人
間 ( 『哲学とは何か 』 )によって始まる 「世界市民 」への生成変化 (ミクロ政治 )の過程
の上に万人が自らを再領土化するときにこそ 、資本主義はその下部から掘り崩される 。
ドゥルーズの単著でまず論じられ 、後に 『哲学とは何か 』で再論される 「出来事 」とは 、
万人による世界市民への生成変化、というこの無限の創造過程のことに他ならない 。ドゥ
ルーズ ゠ガタリは 「革命性への生成変化 [devenir- revolutionnaire] 」を語る 。資本主義
の打倒を革命と呼ぶとすれば、歴史を過去と未来に切断することに存する一般的な意味
での 「革命 」 ( 「転覆(サブヴァージョン) 」としてのマクロ政治 )は革命ではなく 、過去と未来
の間で現在を対抗実現する 「革命性への生成変化 」 ( 「倒錯(バーヴァージョン) 」としての
ミクロ政治 )の方こそが 、すなわち、万人が革命的になることこそが革命なのだ 。ただし、
万人による革命性へのこの生成変化、この 「出来事 」は 、あくまでも 、傷を負った者たち、
収奪され支配されている者たち (プロレタリア、マイノリティ 、動物あるいは犠牲者 )の利害
と結び付いた形でしか始まらない 。

三つの革命より