ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 20 [無断転載禁止]©2ch.net
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ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 19
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1454335694/l50
単著
『ヒュームあるいは人間的自然 経験論と主体性』 木田元・財津理訳 朝日出版社:エピステーメー叢書、1980
『経験論と主体性 ヒュームにおける人間的自然についての試論』 河出書房新社、2000
『ニーチェと哲学』 足立和浩訳、国文社、1974
『ニーチェと哲学』 江川隆男訳、河出文庫、2008
『カントの批判哲学』 中島盛夫訳 法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1984
『カントの批判哲学』 国分功一郎訳 ちくま学芸文庫、2008
『プルーストとシーニュ』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974
『ニーチェ』湯浅博雄訳 朝日出版社、1985/ちくま学芸文庫、1998
『ベルクソンの哲学』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974
『マゾッホとサド』蓮實重彦訳 晶文社、1973
原子と分身 ルクレティウス/トゥルニエ 原田佳彦・丹生谷貴志訳 哲学書房 1986
『差異について』 平井啓之訳 青土社 1989、改訂1992.2000
『スピノザと表現の問題』工藤喜作ほか訳 法政大学出版局、1991
『意味の論理学』 岡田弘・宇波彰訳、法政大学出版局、1987
『意味の論理学』 小泉義之訳、河出文庫上下、2007
『対話』 河出書房新社
『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社 1994/平凡社ライブラリー 2002 ドゥルーズってのはじぶんで言うのもなんだけど、単なる還元論的な部分が多いんだけど
その還元論のなかに記号論的考察をちりばめてしまったところが作為だと思うわけよ
要は、無意識溢れる意味への支配を試みたのがわたしことドゥルーズ
これを提示すれば、こういう考えにたどりつくって神話がある場合に、その大元まで分解して考えてみたわけよ >>430
そうですね。非常に示唆的だし、『三つの革命』という本にも、D=Gの思想にも
興味が湧いてきます。
一個のマジョリティを志向するのではなく、多数のマイノリティを原型とする
ことに、革命性を変更する、というのは重要であるし、国家主義・民族主義・用材主義・
有用性主義・生産力主義・資本主義に対抗する武器としての概念になるんじゃないか
と思います。 >>433
国家主義・民族主義・用材主義・有用性主義・生産力主義・資本主義に対抗する概念にはなっても、武器にはならないだろ。
用材主義ってなんだかわからないけど。 ドゥルーズ 思考のパッション
ピエール・モンテベロ 著
大山 載吉 訳
原 一樹 訳
単行本 46 ● 380ページ
ISBN:978-4-309-24527-0 ● Cコード:0010
発売日:2018.03.23(予定)
予価4,536円(本体4,200円)
数多いドゥルーズ論の中でも定評のある名著、待望の翻訳。スピノザ、ニーチェ、ベルクソンなどの哲学史の中にドゥルーズを位置づけ、哲学史を組み替えつつ、その「非人間主義」をきわめる。 海外のD論紹介において河出書房新社は偉大。
ドゥルーズ 思考のパッション2018/3/23ピエール・モンテベロ
ダーク・ドゥルーズ2016/11/28アンドリュー・カルプ
ドゥルーズ 常軌を逸脱する運動2015/9/29ダヴィッド・ラプジャード
ドゥルーズと精神分析2014/9/25モニク ダヴィド=メナール
ドゥルーズ ---経験不可能の経験2013/5/8ジャン=クレ・マルタン
ドゥルーズとガタリ 交差的評伝2009/8/22フランソワ・ドス
身体なき器官2004/9/18スラヴォイ・ジジェク
ドゥルーズ―存在の喧騒1998/2アラン・バディウ
ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学1997/2フランソワ・ズーラビクヴィリ 法政大学出版局ドゥルーズの哲学 (叢書・ウニベルシタス)1996/3マイケル・ハート
法政大学出版局サハラ―ジル・ドゥルーズの美学 (叢書・ウニベルシタス)2001/3ミレイユ・ビュイダン
松籟社ドゥルーズ・変奏1997/7ジャン=クレ・マルタン
松籟社現代フランス哲学―フーコー、ドゥルーズ、デリダを継ぐ活成層1999/6エリック アリエズ
勁草書房ドゥルーズ、映画を思考する2000/12/1ロベルト デ・ガエターノ (編集)
筑摩書房ドゥルーズへのまなざし2003/7/1ルネ・シェレール
青土社ジル・ドゥルーズ (シリーズ現代思想ガイドブック) 2006/2/1クレア・コールブルック
青土社ドゥルーズと創造の哲学 この世界を抜け出て2010/2/26ピーター・ホルワード
新曜社ドゥルーズ哲学のエッセンス―思考の逃走線を求めて2009/5/22ライダー・デュー
書肆心水ドゥルーズ=ガタリにおける政治と国家 ―国家・戦争・資本主義2018/3/31ギヨーム・シベルタン=ブラン 三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学 (講談社選書メチエ)2017/12/13佐藤 嘉幸、 廣瀬 純
動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 (河出文庫)2017/9/15千葉雅也
ドゥルーズと多様体の哲学: 二○世紀のエピステモロジーにむけて2017/2/27渡辺洋平
ドゥルーズ (Century Books―人と思想) 2016/8/1船木 亨
ドゥルーズ 抽象機械2016/4/23大山 載吉
〈物語る脳〉の世界―ドゥルーズ/ガタリのスキゾ分析から荒巻義雄を読む2015/10/15藤元登四郎
ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために (講談社学術文庫)2015/10/10小泉 義之
贈与-生成変化の人間変容論-ドゥルーズ=ガタリと教育学の超克2015/9/11森田 裕之
ドゥルーズ・知覚・イメージ―映像生態学の生成2015/7/30宇野 邦一
ドゥルーズキーワード89 2015/3/19芳川 泰久, 堀 千晶
経験と出来事―メルロ=ポンティとドゥルーズにおける身体の哲学2014/9/1小林 徹
ドゥルーズと狂気 (河出ブックス)2017/2/24小泉義之
「誤読」の哲学 ドゥルーズ、フーコーから中世哲学へ2013/11/22山内 志朗
ジル・ドゥルーズの哲学: 超越論的経験論の生成と構造2013/6/25山森 裕毅
ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)2013/6/19國分 功一郎
子供の哲学 産まれるものとしての身体 (講談社選書メチエ)2012/11/9檜垣 立哉
死と自由2012/10/10澤野雅樹
ドゥルーズ=ガタリのシステム論と教育学―発達・生成・再生 (学術叢書)2012/10/1森田 裕之 終わりなきパッション: デリダ、ブランショ、ドゥルーズ2012/3/22守中高明
ドゥルーズ---群れと結晶 (河出ブックス)2012/2/11宇野 邦一
魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ)2015/8/28西川アサキ
ドゥルーズ 千の文学 2011/1宇野 邦一 (編集), 芳川 泰久 (編集), 堀 千晶 (編集)
瞬間と永遠――ジル・ドゥルーズの時間論2010/12/15檜垣 立哉
ドゥルーズを「活用」する2009/9/25澤野 雅樹
ドゥルーズ入門 (ちくま新書)2013/11/15檜垣立哉
権力と抵抗―フーコー・ドゥルーズ・デリダ・アルチュセール2008/8佐藤 嘉幸
ドゥルーズ/ガタリの現在2008/1/11鈴木 泉、 小泉 義之
ドゥルーズ・映画・フーコー2007/5/1丹生谷 貴志
ドゥルーズ (現代思想の冒険者たちSelect)2005/12/16篠原 資明
ドゥルーズ―生成変化のサブマリン (哲学の現代を読む 2)2005/12/1松本 潤一郎、 大山 載吉
存在と差異―ドゥルーズの超越論的経験論2003/9江川 隆男
ドゥルーズ 解けない問いを生きる シリーズ・哲学のエッセンス2015/8/31檜垣 立哉
ドゥルーズ 流動の哲学 (講談社選書メチエ)2001/4/10宇野 邦一
「場所的」ということ―ドゥルーズ・西田幾多郎を読む1999/2/1佐伯 守
D―死とイマージュ1996/9宇野 邦一
フーコー・ドゥルーズ・デリダ (河出文庫―文芸コレクション)1995/5蓮實 重彦
ドゥルーズ横断 1994/9宇野 邦一 (編集) とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
ZEXWC 原田 忠男 💿@harapion2017年12月13日その他
佐藤・廣瀬『三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』は、市倉宏祐訳『アンチ・オイディプス』を、旧訳として片づけることが出来ないとして評価する。
市倉氏の読みの丁寧さは『現代フランス思想への誘い』でも分かる。市倉氏は特攻隊体験から戦争に抗する思想を構築する。 花田娯作@犯罪者安倍を国会から叩きだせ!@Apeiron__2013年8月21日その他
これからドゥルーズを勉強してみようという方に、個人的には『現代フランス思想への誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ』 市倉 宏祐(著)がおすすめです。わかりやすい。 花田娯作@犯罪者安倍を国会から叩きだせ!@Apeiron__2013年8月21日その他
これからドゥルーズを勉強してみようという方に、個人的には『現代フランス思想への誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ』 市倉 宏祐(著)がおすすめです。わかりやすい。 原田 忠男 💿@harapion2013年6月28日その他
ドゥルーズの解説本は、年を追う毎に徐々に精度の高いものになってきた観があるが、
『アンチ・オイディプス』の最初の翻訳者である市倉宏祐の『現代フランス思想の誘い―アンチ・オイディプスのかなたへ』(岩波書店)が、
書いた人の内的必然性という点で、一番説得力がある気がする。 このスレには解説本好きの人が多いね。
商売だからしょうがないんだろうな。 『批評空間』第二期に載ってた「思い出すこと」ってドゥルーズの著作に再録されてる?? ドゥルーズは、先行者の思想の解説でアグレガシオンを得ました 『現代思想 特集ドゥルーズ』1982年12月号、青土社
『現代思想臨時増刊号 総特集ドゥルーズ=ガタリ』1984年9月、青土社
『現代思想 緊急特集ジル・ドゥルーズ』1996年1月号、青土社
『現代思想 特集ドゥルーズの哲学』2002年8月号、青土社
『現代思想 特集ドゥルーズ』2008年12月号、青土社
ユリイカ 1996-10(特集 ドゥル-ズ『シネマ』を読む)青土社
シネティックvol.1 1993-07【小特集】ドゥルーズの『CINÉMA』
情況 2003-04特集 ドゥルーズ固有の哲学--差異と反復
情況 2003-07特集 ドゥルーズ・ガタリ
情況 2003-12特集 『千のプラトー』を読む--ドゥルーズ・ガタリ
情況 2004-07特集 ジル・ドゥルーズ「スピノザ」
情況 2004-12特集 ドゥルーズの起源をめぐって
情況 2010-01〈ドゥルーズとガタリ 交差的評伝〉をどう読むのか
批評空間 第2期15号「特集=ドゥルーズ」
批評空間 第2期18号「小特集ドゥル−ズ的思考」
批評空間 第2期20号「特集:ドゥル−ズをめぐって」
表象 (4),2010(小特集 ドゥルーズの逆説的保守主義)
表象 (8),2014(小特集 ドゥルーズの時代)
『ドゥルーズ 没後20年 新たなる転回』河出書房新社編集部 編
『ドゥルーズ 没後10年、入門のために』河出書房新社編集部 編
『ドゥルーズ横断 』宇野邦一 (編集)河出書房新社
『ドゥルーズ・知覚・イメージ―映像生態学の生成』宇野邦一 (編集)せりか書房
『ドゥルーズ 千の文学』宇野邦一 (編集)芳川泰久 (編集)堀千晶 (編集)せりか書房
『ドゥルーズ/ガタリの現在』鈴木泉 (編集)小泉義之 (編集)檜垣立哉 (編集)平凡社
『ドゥルーズ、映画を思考する』ロベルト デ・ガエターノ (編集)勁草書房 千のプラトー時代はいいけど、アンチオイディプスは時代の加害被害の暴力書で
あまりお勧めはしない。 LNO: Gilles Deleuze | Architexturez Network
http://network.architexturez.net/pst/az-cf-56379-817742161
http://d.hatena.ne.jp/femmelets/touch/20120215/1329232117
ジル・ドゥルーズ「思い出すこと」
(聞き手:ディディエ・エリボン、鈴木秀亘訳、『批評空間』誌第II期第9号、太田出版)、p.11-12
〈マルクス〉
…
マルクスを読んだのはニーチェと同じ時期でした。素晴らしいと思いました。彼の生み出した
さまざまなコンセプトは、私にとって今でも役立つものです。そこにはひとつの批判、根本的な
批判が存在しています。『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』はマルクスに、マルクス主義に 完全に貫かれた作品です。現在私は、自分を完全にマルクス主義者だと考えています。
例えば、「管理社会」について書いた記事は(月刊ロートル・ジュールナル1号 1990年5月号に
掲載、ミニュイ社刊『記号と事件』に収録、邦訳河出書房新社)、マルクスが彼の時代には知り
えなかったことを語っているにもかかわらず、完璧にマルクス主義的なテクストです。
マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解でき
ません。マルクスは終ったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは
何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返
らなければなりません。
〈著作〉
次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。
… 哲学書新刊情報
@Philo_Shinkan
【7月16日発売予定】
『個体化の哲学: 形相と情報の概念を手がかりに (叢書・ウニベルシタス)』(ジルベール・シモンドン著 法政大学出版局)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4588010832
【Amazon紹介文】「「認識論および存在論に先立つ真の第一哲学」としての個体発生の知に迫る。」 ドゥルーズはシモンドンの議論をいかに理解し使用 したか/ ドゥルーズの忠実さと過剰さ
近藤 和敬 鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集
https://ir.kagoshima-u.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=12078&item_no=1&attribute_id=16&file_no=1&page_id=13&block_id=21 https://ir.kagoshima-u.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=12078&item_no=1&page_id=13&block_id=21 >>459
いまとなっては、なぜドゥルーズに夢中になったのかわからない、という人が多いだろう。
なにかへの思いの強さだけは伝わってきたが、中身は陳腐だったり無意味だったり。
哲学に夢中になれる人がいた、ということだけは間違いない。
思春期の恋の病みたいなものかな? >>460
確かに香ばしかったがここも五十歩百歩だろ こんなの読んでる暇がったらアルト−の詩でも読んだほうがいいよ ダブルバインドの反復により発症する分裂症の症例の分類:
1言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)
2言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型[解体型])
3コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)
ベイトソンの1956年に発表した論文「精神分裂症の理論化に向けて」(『精神の生態学 』新思索社,299~308頁)参照
浅田彰『ダブル・バインドを超えて』(1985)では、1がジョイス、2がベケット、3がアルトーに対応するとされている(64,87~8頁)。
Joyce 妄想型 paranoid https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses メタファー
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad リテラル
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman カット・オフ
ただし、破瓜型は近年では解体型と呼ばれ、また、ダブルバインドのような理論の多くは統合失調症の原因というよりも、
パーソナリティ障害の原因らしいと言われている。(岡田尊司『統合失調症』PHP新書)。
《…ベイトソンは…バリへ行き、ともすれば暴力の突出につながりがちなニューギニアの社会とは対極的な、エネルギーを小刻
みに高く保つ術にたけた柔軟な社会を、そこに見出します。で、それを分析する途中、事実上ダブル・バインドに触れているんですね。一九四九年に出た「バリ:定常状態の価値体系」という論文の中では、母親が子供を愛撫し、子供が興奮して抱きついてくると
急に冷たいそぶりを見せる、という状況が描写されています。こうして適度のダブル・バインドをくぐりぬけることにより柔軟な
性格が形成される。それが、クライマックスの突出を避け、エネルギーを小刻みに高く保とうとする文化を生み出す。おおよそ、
こういうことになるでしょう。蛇足ながら、ベイトソンはそういう高エネルギー定常状態を「プラトー」と呼んでおり、そこから
ドゥルーズとガタリの書物が『ミル・プラトー』と名付けられることになります。》(『ダブル・バインドを超えて』100~1頁) ドゥルーズを読む人はヘーゲルやデカルトはバカにして読まなそう 小泉義之はドゥルーズ研究者として通ってるがデカルト研究者でもあったな
財津理もそう >>466
財津理だと、ヘーゲルはまるで理解できなさそう。 >>469
今どきドゥルーズに関心持つのなんてもともと哲学に興味のある人だけだから
ドゥルーズやデリダが世間で流行した時代はもう終わっただろ >>470
ヘーゲルを理解できるかできないかの話じゃないの? いや、SNSとかでは未だに現代思想かぶれをよく見るぞ
ていうか大学の教員にも多い
とくに文学や美術が専門の人 >>473
もう廃れてるだろ?
いまはドゥルーズじゃ、大学に残れないんじゃないか? >>475
それは失礼。
あのパンジー畑のようなドゥルーズで、どうやって論文書くんだろう? ドゥルーズは第一に哲学史家
差異と反復も哲学史として読める >>477
なにしろドゥルーズだからどう読むのも自由だけど、『差異と反復』を哲学史して読むと何か発見でもあるの? >>473
哲学史全体の理解が浅いままドゥルーズにばかり言及するのはかぶれだよ スレ民は近藤和敬ぐらい読むべき
ドゥルーズガチ勢はちゃんと学者だから >>480
ドゥルーズガチ勢が学者、というのは形容矛盾だろw 仮にドゥルーズが思想家ではなくポエム家だったとしても
大学に在席してその研究をしていれば学者だよ
どんなポンコツ詩人が研究対象でも文学者は文学者に変わりないのといっしょ >>483
>大学に在席してその研究をしていれば学者
それも学者の定義の一つだね。
在野の学者を含めることができないのが難点だが。
たしかに、ドゥルーズはポンコツ詩人だが、研究というからには、歴史的にと同時代としての位置づけができないといけないよね?
思い付きの言葉の理解と創出、使い古された心理と社会の分析しかできなかったドゥルーズに、そんな位置があるのかな?
そもそも、なんの歴史と時代に位置付けるんだろう?
哲学での位置づけは、無理だろ? ドゥルーズがいなければタルドやシモンドンは邦訳されてないだろう
スコトゥスも
サドとマゾの定義もドゥルーズが変えた
スピノザとライプニッツの関係も変えた
接続詞「と」の認識はゴダールに先行する
ハイデガーも出来なかった複数性を提示し得た
20世紀最大の哲学者はドゥルーズ >>485
>サドとマゾの定義もドゥルーズが変えた
>スピノザとライプニッツの関係も変えた
>接続詞「と」の認識はゴダールに先行する
>ハイデガーも出来なかった複数性を提示し得た
スゲえな・・・
なにをどう変えたの? ハイデガーが一元的なのはあえて神学的なオントロジーの問題を追求した人だから当然では
複数性は何もドゥルーズにかぎった話じゃないでしょ
ニーチェもライプニッツもだし、なんならプロタゴラスもそう 吉本の『アンチ・オイディプス』評は、率直な読みとしてこの本のもっとも優れた批評だと思う。
スターリン的云々というのが唐突だが、哲学史的な知識と無関係に独立して読める。
《…わたしが『共同幻想論』でやったことは、この
本でD―Gのやったのと、まったく反対のことだった。国家や社会体は「共同幻想」であり、家族は「対幻想」
であり、個人は「個人幻想」であり、この三つはまったく異なる次元の幻想として扱われなければならない。こ
の著者たちが「一切は機械をなしている」と述べているのになぞらえていえば「一切は幻想をなしている」とい
うのがわたしの理念の生産であった。この本の著者たちがいうように「一切は機械をなしている」というのが唯
物論的だとすれば、わたしは極度の観念論的だということになるし、著者たちからわたしの「対幻想」の分離と
設定が反動的にみえるとすれば、その度合に応じて、わたしの方からはD―Gたちはスターリン的マルクス主義
のラジカルな変種にみえることになる。 》
「『アンチ・オイディブス』論」(『吉本隆明全集撰3 政治思想』590-1頁より)
両者の関係を考える時、以下のヴィトゲンシュタインの言葉が示唆的だ
《私が進んできた道は次のようなものである。観念論は人間をユニークなもの
として世界から分離する、唯我論は私だけを分離する。そして最後に、私が見て
とるには、私もまた残余の世界に属するのである。従って一方には何も残存し
なく、他方には世界がユニークなものとして残存する。このようにして観念論
は厳格に考え抜かれると実在論に至るのである。》
(ウィトゲンシュタイン、1916年10月15日、
「草稿」邦訳『ウィトゲンシュタイン全集第一巻』277頁より) AOに関してはガタリを無視出来ない
以下参考:
吉本隆明&ガタリ1987
善悪を超えた資本主義の遊び方、マリクレール1987年4月号(『よろこばしい邂逅』青土社 より)
…
ガタリ 吉本さんの考え方で資本という言葉のかわりに市場、国家という言葉のかわりに
社会的実践と、もし入れかえていただけたら私は吉本さんに全面的に賛成です。つまり資
本とは、ある一定の国際的なカーストの力ですからね。それに対して市場経済とはまさに
財、思想、文化、研究といったものの自由な流通、サーキュレーションです。ですから私
は市場経済には全く賛成ですが、資本に対しては反対です。…吉本さんのお話をたとえば
チリのような国に適用したとすると、それはもう社会、経済の根本的な破壊につながるこ
とだと思います。
…
吉本 いや、正にその問題がガタリさんの著書を読んでいてぼくが一番違和感を感じると
ころなんです。いま何を一番考え直さなきゃいけないか。それは資本主義と社会主義を先
験的に分けてしまうその考え方です。ガタリさんの著書を読むと、資本あるいは資本主義
は先験的に悪なんです。… ガタリ 私は資本主義が悪だと言ったことはないし、資本を全面的に否定したつもりもあ
りません。私は資本の優越性は、あるタイプの社会・経済関係をよく整理することができ
るということにあると思うんです。その点に関しては、私は資本主義が社会主義より劣っ
ているとは考えていません。また私は社会主義と資本主義とを対立させても考えておりま
せん。私は、さまざまなタイプの社会主義はすべて資本主義のヴァリエーンョンの一つだ
と思うんです。…創造的な態度をとる必要があります。それゆえに美学的なパラダイムが
非常な重要性を持っているのです。音楽家が音楽を創り、画家が絵を産み出すように、い
ま社会を生み出さなければならないと思います。…
第三世界に対して食糧を運ぶことが必要なのではありません。飢餓自体は吉本さんのお
っしゃるとおり現地の権力の腐敗や収奪といったものにも起因しているわけですから。そ
うではなくてむしろ最新のテクノロジーや新しい生産様式を彼らが自分のものにすること
の方が大事だと思います。…
私がどうしても認められないのは、まず最初に荒廃があって、その荒廃の上に進歩みた
いなものをつけ加えるという考え方なんです。その荒廃がいけない。
吉本 いや、ぼくは、国家なり社会なり制度というものは無菌的よりも、デカダンスを包
括していないとダメなんじゃないかと思うので荒廃に対してあまり否定的ではないんです
よ。もう時間がなくなってしまい残念ですが、またいつかお会いする機会がありましたら
是非とも続きをやりたいと思います。
(一九八七年一月二十一日、銀座三笠会館にて)通訳 小林康夫 アオちゃんの書だよ。アンチオイディプスは。分裂症があの短文で捌けるか?
その段のレヴェルですら無理そうな感じ。 とりあえず長文連投はやめてくれないかな
2ちゃんなんて3行でおさまる内容の話だけしてればいいんだよ
それ以上の話がしたければ学会に行け >>493
横だけど、君に哲学スレは無理だよ・・・ こんなの読んでる暇あるならアルトーの詩でも読んだほうがいいよ ボブ・ディランもオススメ
《BOB DYLAN / 11のあらましな墓碑銘 (より、つまみ食い的抜粋。)
…
さよう わたしは思想ドロボー
だが 誓って 魂のぬすっ奴じゃない
わたしは建て 建てなおした
海辺の砂を待っているものの上に
たくさんの城をきざむ
わたしの時間の前に
開かれているものの上に
ひとつのコトバ ひとつの調子 ひとつの物言 ひとつの行
わたしは心をひらく
そしてわたしの戸棚思想裏庭的雰囲気をみとめる
ちがう わたしは抵抗しすばやくツバを吐く
コトバという武器で》
上記はドゥルーズが『ドゥルーズの思想』(ディアローグ---ドゥルーズの思想 )で引用して話題になった。
《質問 ボブ・ディランって、本当に脱領土化なんですか?
ジル・ドゥルーズ ええ、そうですよ。ディランの声とは音楽的に言って何でしょう?
一種の抑揚のない声ですね。非常に面白い。どんどん鼻にかかったものになっています。》
(ジル・ドゥルーズ「音楽について」ヴィンセンヌでの講演、一九七七年三月八日)
(批評空間1998 6月 第二期18号) アルトーよりマルクス詩集ははるかに上。アルトーは交渉技術が舞台でぶれて、
簡単な世界で地方で終わったバカ。かっこいい役者持てる役者ってバカだろ? 罵る、罵声を浴びせる、下品な言葉を使う、とかが文学に関係あることは明白。
文学科なら、お国柄で、哲学者を飲み込んでしまえ。
哲学科があるなら、また話は違う。快速で、後塵を拝させる、切れ味のよさとか・ 哲学にかぶれた哲学者もどきは本当の声、本当の言葉、本当のうめき、本当の
吠え声、本当の書体、本当の咆哮を自己抑圧して無しにしてしまう、危険に気づかない腰抜け、
間抜け、だからな。哲学に教育者は必要で、戦場での驚きやひらめきの方がもっと大事で
どんな次元の教育が、統率行動が、文学悪にかったかな? https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784560096512
酷い時代だがよさはあるよね。統失は女性の症例です。クスリも出ていて
心配ないでしょう。本人はそれほど
大げさではない。他者にとってどうかというところ。転移概念じゃ語りつくせないし、
精神分析のはるか先を行く。 >>501
ここに書いてれば、九大准教授や九大元院生みたいな事件は起こさないだろう。 こんなのって2ちゃんのことだよね?
全面的に同意する >>494
ここの哲学スレごときをどんな評価してるんだよw
真面目な話、短文でまとめてるレスの方が内容も的確なのが多いだろ >>508
短文しか読めないのが、ネット世代の特徴になっちゃったね。
短文は短文、思い付き以上のことは書けないよ。 《‥…「私と同じようにやれ」と 言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちに
とっての唯一の教師は、わたしたちに 対して「私と共にやりなさい」と言う‥… 》
(『差異と反復』単行本49頁より) . >>509
つまりそのレスも思い付きを書いただけで無意味ってことだな トーマス・マン『魔の山』より
「おそらくあなたは悪意にたいして少しも敵意をもっていらっしゃいませんな、 技師さん。
私は悪意というものが、闇と醜悪さの力に対抗するための理性のもっとも輝かしい武器だと
思っているん ですよ。悪意というのはね、これは批評の魂です。そして批評というのは、発展
と啓蒙の源泉なんです。」
別訳、
「…あなたは意地の悪さに反対ではないでしょうね、エンジニア? わたしの見るところでは、
意地の悪さこそ暗黒と醜悪の諸勢力に対する理性のもっともかがやかしい武器なのです。
意地の悪さとは、あなた、批評の精神であなた、批評の精神であり、批評とは進歩と啓蒙の根源なのです」そして急にペトラルカについて話しはじめ、ペトラルカを「近代の父」と呼んだ。
魔の山 第三章 悪魔(サタナ) kindle版 訂正
「…あなたは意地の悪さに反対ではないでしょうね、エンジニア? わたしの見るところでは、
意地の悪さこそ暗黒と醜悪の諸勢力に対する理性のもっともかがやかしい武器なのです。
意地の悪さとは、あなた、批評の精神であり、批評とは進歩と啓蒙の根源なのです」そして急に
ペトラルカについて話しはじめ、ペトラルカを「近代の父」と呼んだ。
魔の山 第三章 悪魔(サタナ) kindle版 より 《ビンビイは私に、めったに多くを語らなかった。彼は個々の
人間にたいしてつっけんどんだったが、私は彼に好かれている
と感じた。彼と友だちになろうという気になったのは、彼が宗
教を論じるのを聞いたときである。私は自らを、もはや無神論
を越えたものと見なしていた−−つまり私はサタンだった。し
かしビンビイは無神論哲学を、いわば一つの体系のなかにおさ
めたのである、私はそれまでの激しい罵倒による宗教攻撃をや
めてしまった。私の態度は彼にくらべるとじつに迫力のないも
のに思われた。そのうえ彼は、下品な言葉など一度も口にした
ことさえなかったのだ。》
(『マルコム・X自伝』邦訳206頁 ) >>511
そういうのは反論にならないんだよねw
短文でなにかを言い切るというのは、小泉が流行らせた。
安倍も真似をして、中身が無くてもただ言い切ることで、人々の信頼を得ている。
ヒトラー・ナチスを継承している政治家だが、それに乗るのが短文愛好家の若年層なんだろうな。 >>516
根拠なく決めつけるのが、長文が理解できない、新聞も読めない知的下層の特徴だもんね。 >>517
うんうん
だから短文が好きな人は小泉やナチスの影響下にあるとか
短文は思い付きしか書けないとか根拠もなく決めつけちゃうんだよね >>518
根拠はあるよ?
小泉、安倍の短文切り捨て口調を支持してるのは、若年層の、新聞も読まない人たちなんだから。
考えさせないことが、小泉-安倍の政権運営法だし、それを支持してるのが若年層だ。
考えさせない政権、というのはナチスに端を発して、小泉‐安倍、あるいはトランプに引き継がれている。 ドゥルーズは、わけのわからないことをたくさん考えさせる、という哲学者だったなw >>521
わかる人にとっては、考える必要もない? ジルベール・シモンドンの『個体化の哲学』からやり直すの推奨
特に吉本隆明のドゥルーズ批判が世界で最も優れているみたいな妄言をはきつづけているやつがここに居座ってる以上、
なんかない限りこのスレは不毛なまま 誰でも薄っすら感じてることを勿体ぶった言い回しで延々と言い換えて書いてるだけの人 >>428
こういう「私は純粋です」ポーズ、すげえダサいわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています