ジャン=ジャック・ルソー [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>2
ルソーはロリコンじゃなくて貴族夫人のパトロンだったから年上好きだろ。
母親を早く亡くしてるしな。 学問や芸術の復興は、習俗を純化するのに役立ったでしょうか、それとも習俗を腐敗させるのに役立ったのでしょうか
「学問、文学、芸術は、政府や法律ほど専制的ではありませんが、恐らくいっそう強力に、人間を縛っている鉄鎖を花輪で飾り、人生の目的と思われる人間の生まれながらの自由の感情を押し殺し、人間に隷従状態を好ませるようにし、いわゆる文化人を作り上げました」
ルソー 「我々の学問と芸術が完成に近づくにつれて、我々の魂は腐敗したのです」
「おお、徳よ! お前を知るには多くの苦労と道具とが必要だろうか。
お前の原則はすべての人の心の中に刻み込まれていはしないのか。
お前の掟を学ぶには、自分自身の中にかえり、情念を静めて自己の良心の声に耳を傾けるだけでは十分ではないのか。
ここにこそ真の哲学がある。
我々はこれに、満足することを知ろう」
ルソー >>4
学者や芸術家が平和平和言うから、人々は平和こそ尊い、普遍的な
価値を持つものだって思い込まされた。とか、そんな感じ? 今日『エミール』を買った俺にはタイムリーなスレ
まあ読むのはしばらく先になりそうだが >>7
平和?とは違うんじゃない
現代日本のアカデミーの多勢を占める左翼系学者さんたちはルソーを肯定的に評価する
平和主義者さんだけど。ときに暴力的だけどね。 >>8
エミールも日本の左翼系教育界では肯定的な評価がある
ルソーは日本では人気ある思想家。
イギリスでは全体主義の祖みたいな扱いで
批判されてるようだけど ルソーは無知の知とか徳だとか
学として法やマナーの行動様式を教わることより
自然な倫理の重要性を説いた
ルソー自身は破廉恥でしたけどね
4足歩行の獣や原始人の世界の倫理なのかどうかは知らんが、露出狂だし強姦容疑あるし
子供を捨ててる性的倒錯者というのは
よく知られたこと ルソーの人格やら、影響を肯定的にも、批判的にも解説するだけの連中ってつまらんわ
別に偉人伝とか聞きたいわけじゃないし
「実はこんな卑俗なとこがありました。知ってた?みなさんルソーは自然に還れなんていとててないですよ」
「ルソーは乞食みたいな生活をしていて
肖像画も美化しすぎなんです」
(某大学名誉教授ルソー研究者)
俺はルソーは考える素材として
非常に面白いと思う 日本が自然状態になって、無法地帯と化したなら
美魔女は襲われるのか?襲われないのか?
どっちだ? この世の中
無責任でいいかげんな気持ちで生きてる人たちが多いのは現代の事実ですよ。
でも無責任でいいかげんでもいいやという自分の気持ちにも 嘘はつくことはないんじゃないかなあ
他人から世間からどんなに非難されてもね。
互いに顔つきあわせていてもさ 本当はわかっているはずだと思うんだよね。
好悪の感情とか生理的嫌悪とかね。それが基本だと思うね。 人の繋がりは。本当はすごく簡単なことだ。
それをひとそれぞれに勝手な解釈でうまくやれるつもりで
いることの浅ましさってあると思うわけよ。
互いに濁りまくっているわけさ。ストレス感じて、口臭くしてね。
借り物言葉で平等だの和だの労働者の団結だのって
アジってたりしてる人もいるけど、愚の極みだねえ。
そんなもので繋がりたくもないし、金のほうがまだマシってな話ですもの。
自然な感情で人は繋がりあえばいいんです。
本音の和がルソーの言いたかったことです。
貴族制の文明社会の虚飾を剥いだ言説は
子供の貧困等、現代日本の格差社会にも訴えるわけです。 他人に対する興味は社会において必要とされるわけでなく
タテ社会に必要な共通観念。金であれ、組織のシステムであれ、法律であれね。
これは過度な日教組の教育にある。
他人に対して期待してるのに言葉や観念が邪魔をして
繋がりを遠ざけてている。
目の前の存在で感じるものしか確かなものは本当はないのだ。 人が人を殺さない理由とはなんだろうか?
憎い相手の人間関係を考えられることが人間なんだ
なんて教育をとなえる人もいるんだが
そんなふうに定義づけされる鬱屈な社会こそ
逆説的に無差別殺人者の殺害正当化の主張に繋がっていないかね。
嘘くさい人間関係の世の中では、自分を見失ってしまい
他人のアラ探しや不公平や矛盾を意識する人間ばかりになるのだ。 >>21
それは君が本当のうんちに出会えてないからじゃない? >>22
本当のうんち?
確かにストレスが胃腸にきて下痢症なのは
ガキの頃からだな
小学生のときに学校に正露丸持っていって
教室中、クレオソートの臭い充満させて
顰蹙を買ったのは遠い昔のこと。
本音の人間関係に恵まれれば
日々、快便、一本クソになったであろうな。 学校であれ、会社であれ
現代日本で人間関係で苦労しないこと
ないんじゃない?
こんな時代だからね
難しいですよ
本音でぶつかりあえることは
でもネットでもいいから、ぶつかれるなら
そういう繋がりは嘘がないんじゃないでしょうか ?
俺は現代のリアルの人間関係もおおいに歪に感じるわけだ。
いいように旧世代に利用されるだけのシステムに知らず知らずのうちに
染まってはいないだろうか?娯楽品の提供はガス抜きではなかったか?
社会構造の病理を感じるよ。
この出会い系サイトは俺なりの思想の拳骨であり
アンチテーゼなんですわ。
http://www.rescue.ne.jp/cgi/c-box2/sample/pobox.cgi?action=login&ID=open >>26
君も私が考案した出会い系サイトで
モルモットいや、人柱いや
真の哲学を語り合おうではないか 2ちゃんねるなんて
なくなりゃいいのさ
(マジレス)
そうすりゃ出会い系サイトで
ネットからリアルを変革できるさ いや2chの方が俺はいい。
意外とオープンだから。 >>30
でも、そのうち共謀罪なんてできたら
2ちゃんもどうなるかわからんよ
国会で成立しそうだしね
刑法の体系も結果無価値から
戦前の行為無価値に戻るかもね
哲学なんかより法学のほうが問題として
急課題さ >>29
一人で金儲け たくらむなよ
2ちゃんねる造り出した人は大金持ちだってな ネットでリアルを変革とかw
ネットはリアルの反映ではあるだろうけど。 哲学じゃなにも変わらんさ
ルソーもそう言ってる
匿名掲示板でもなにも変わらん >>32
あめぞうって知ってる?
2ちゃんなんか金儲けになるわけねえだろ
広告なんかたかが知れてるしよ
それより匿名で趣味話題別で私書箱
出会い系なんだよ
広告もマッチングだから問題なしだしな >>39
おまえに言ってねえわ
有志あるモルモちゃんに奨めてる 考案した俺としてはだな
まずは運用モルモちゃんが現れ
次に利用モルモちゃんが現れ
ネット革命!
なわけよ >>44
立派だと思うなら
リンク先のサイトで
私書箱を作成して、送信しておくれ
出会いが始まるさ >>46
哲学なんてくだらねえから
出会い系サイトでモルモットになって
楽しませろって ワンクリ詐欺とネカマの返答がセットになってくるじゃネ 匿名で自己主張しても
話が合うやつだけで
匿名で繋がってるほうがいい
傍目なんか気にしてると面白くねえからな 繋がりは知られてねえほうがいい
既存のSNSなんか人気で比べあいだろ
フォロアーが何人だの、いいね!が
たくさんだの、友達何人だの、プロフィールは
立派だの
そんなの関係ねえほうが
面白いんだよ 嫌いなやつでも
先輩だから
親だから
上司だから
権力者だから
だから、だから、理由で自分を殺してさ
So fucking
What?の精神が
ルソースピリットだ まあ、適当だけどな
宣伝終了〜
おしまい
そんじゃな ルソーほど正しい思想家はいない
あまりにも正しいので特殊な利害を持った人らは敬遠しがちかもしれない >>57
よくルソーが批判を受けるのは
懸賞論文で成功した後の作品からだと
思うんだが。
全体主義の開祖という扱い。
人間不平等起源論
社会契約論
これらの作品はルソーが論文を受賞して
地位を確立したうえで、当時の現実に
向きあって思想設計したものだから、現代に
おいてその是非の評価をするのは
それ自体が的外れなものだ。
後世、ロベスピエールやマルクス、レーニンに
影響を与えた事実を持ってルソーを評価するのは、ルソー思想の本質を分かってないね。
学問芸術論とはいわば観念否定論であった。 祀りごととしての政治の問題を形式的に考えてみる必要があると思うのです。
1.我<人<主
2.人/我=主
3.人/主=我
4.主×我=我×主=人
ここで、「主の下で人はみな等(人/1)しい」を公理とすると、民主主義の理念に
おいては、主=民であるとされる。すると、民主主義の政治においては、我(わ・れ)
または私(わ・たく《托》し)は、主である民(≒人々)によって下される命(みこと)に
よって規定される人の等(人/1)しさに常に従属させられることになる。そこで、
我や私が一方的に人に従属させられることを望ましくないとするなら、主である
民(≒人々)や人がどのようであるべきかを考えることになるのです。 よくわからんがさ
ルソーを語るうえでは、当時の封建制を打破した思想的功績だけの評価で十分なんだよ。
抑圧されてるなら、そもそも既得権益の欺瞞を
疑えってところでね。
まあ、無知の知なんて学のないやつに説かせたところで
シルバー民主主義やソフィストに殺されるオチであることは歴史が証明してるわけなんだが。
だいたい、一般意志の概念だって
立憲的意味の憲法によって十分に結実してる
わけじゃんよ
ルソーの思想に近づけたいなら
国民投票をしやすくするために96条を改正して憲法を軟化させるというのが、政治の話。 >>59
すべてを民の主権の下に置くという名目の私有財産の国有化、逆に可能な限り「我」や
「私」の権限を拡大するという名目の市場原理主義は、既に人々が経験してきたことで
あり、いずれの場合にも「我」や「私」が人にさらに従属させられることになることを
人々は既に知っている。 八月革命なんてえのは
ケンカで負けたやつが性格を変わったのを
自分で改心しましたとうそぶいてるような
もので
美濃部なんたら機関なんたら憲法学者連中はなにもオラつく輩をコントロールできんかった
わけでな。
革命だのなんだのって嗤えるわ 美濃部博士は戦前の憲法学の中で唯一の良心だろ、何言ってんだ
上杉慎吉みたいなキチガイ学説を振りかざす輩が軍部を助長させてた訳で濡れ衣もいいとこだな >>59 >>61
人は、我や私が人として扱われていることを求めているのであって、
人が人として扱われるべきことは、我や私にとって、その要求を
正当化するための抽象的な理念である。 >>63
無力な良心
革命を騙る弟子を育てて
アメリカ様から与えられた憲法で
権威ぶる
美濃部→宮沢→芦部→高橋
という流れやね 人々が民主主義の形骸化を感じているのは、>>59の1.我<人<主の関係だけ
を職場でも、生活の場でも実感させられ、4.主×我=我×主=人の関係、
すなわち、主と我が交換可能である人としての関係性が失われていると
感じているからではないだろうか。 >>65
あの時代、全体主義の流れに立ち向える者など誰一人いないでしょ
天皇主権派の学者に説得力があったから世相がそう動いた訳ではない
そういう世相になったから彼らの説が持て囃されただけのこと >>67
じゃあ、今はどうかな?
安倍自民や維新、日本会議
このままだと憲法改正は濃厚だね
学者さんはいつの時代も無力なものだな
無知な若者を煽って国会前でデモやってるが
無力なものだ。 近代民主主義と人権尊重の思想を語るうえで
イギリスのホッブズ、ロック
フランスのルソー
の三人の社会契約説、自然権思想はどの教科書にも必ず載っている。
だが日本はプロイセン思想の影響の流れを
受けたままにして、戦争で敗戦するまで
君主制を続けた。
自然権思想を本当にわかっているか疑わしい。
なぜなら、それらの思想は成立過程に
階級闘争があることが必然の理としてあるからだ。日本の教育界はルソーの思想の都合のいいことばかり拝借して、逆に、自然権思想の本質としての反逆のエネルギーを骨抜きにしている。 つまりは
日本は戦前の体制に戻る可能性は非常にあるということ。
八月革命だのと飾り立てることは
逆に本質をボカすことに他ならない。 フィヒテ全集でも読みなさい。
特に「フリーメイソンリーの哲学」とか。 >>71
ドイツ観念論だっけか?
まあ、ここは文学としての哲学を
語るとこだからな
日本の思想的元凶はカント哲学にあるという
考えってどう?
後期シェリングなんかは俺も賛同できるが
ドイツ観念論なんてえのは糞だな。
ドイツは結局はナチズムに席捲されて
敗戦したからダメですわな ヘイゲルも面白いこと言ってるが
精神、精神、言ってる思想ってダメだわな
マルクスもそこらへんを文句言いたかったのと
違う? >>71
逆に
ドゥルーズを勧めます
資本主義と分裂症アンチオイディプス
ミルプラトーとか
そんな敗戦国の思想なんて読んでも
しょうがないよ 観念だの精神だの
書斎に隠って紡ぎ出すような思想は
大概、無力だ。
ルソーやデカルトは放浪して見聞を
広めたし、イギリスは伝統としてある。
民衆、大衆の琴線に触れる思想というのは
ありふれた低俗ともいえる日々の切実な
想いや倫理観に拠るのだよ
書斎や寺、象牙の塔にこもる連中は
世を変革する力たりえないのだ
「革命があったようなものですよ」
アホかと
何百万人が一部な専制的観念に囚われて死んだと思ってんだ。
オタク学者は死んでいいわ。 観念論がどうこうという前にブルーノ・バウアーの
「ヘーゲルを裁く最後の審判ラッパ」でも読んだらどうでしょうか。 >>76
いや、俺は基本、法学方面の人なので
正直、文献学、哲学マニア的な嗜好はないんですわ
ここはルソーのスレなんで
ルソーの影響とか語るのが主旨じゃ
ないですか?
あなたが個人的に嗜好する書籍を紹介するのではなくてね。
自分の好きな本の知識共有したい要望は
わかりますが、それは他のスレ他の方にどうぞ。 英国および英国領は今現在でも君主制なんだが、自然権を理解してない民主的ではないと言うのかな
戦前の議会制はイギリスを手本としていたのだが やっぱ、あれかね
文学としての哲学が限界なんだろうね
2ちゃんねるって。
言い換えれば娯楽としての哲学。
法学の俺としては哲学や思想は切実な
社会問題としての素材なんだがなあ
失礼した。
つまらんので終了するわ。
本を薦められるならアマゾンのおすすめ
と変わらんじゃん。
バイなら。 俺も、君らのような低次元なやつらとは話はできないな!失望した! 哲学は 如何なる学説でもなく はたらきです🍒
「哲学」って名詞ではなく副詞または動詞です🍒 >>85
そんなあなたに贈る曲です。
Ricardo Arjona - Jesus Verbo No Sustantivo
https://www.youtube.com/watch?v=u6aWGwMddiA 1.我<人<主
2.人/我=主
3.人/主=我
4.主×我=我×主=人
我=人/主=人/(人/我)=人/(人/(人/主))=
人/(人/(人/(人/我)))...以下同様 >>87
関係式を単に与えられた関係としてではなく、作用/動作/様態として理解する
必要がある。我(われ)が体現されるとき、それは人(1)に対する引け目または
負い目として、つまり、「数ならぬ身」としてある。だからこそ、自らを
「我(われ)」と呼ぶとき、人/我=主により、相手を主(ぬし/あるじ)として
認めているという意図を示すことになる。それをちょうど逆転させた関係が、
相手に対して主(ぬし/あるじ)として振る舞うことによって生じる。古語には、
「あるじ(主/饗)す」という表現があるが、自らの屋敷において「饗応する」
という意味であり、「あるじ(主/饗)」されることは、人/主=我により、
我、つまり、人に負い目のある立場に置かれることになり、人に対して自らが
「あるじ」することはやはり、その相手を我の立場に置くことになる。
したがって、一方的に「あるじ」されたままの状態を放置すると、自らと
相手の関係が、我と主の関係に固定されることになってしまう。その固定が
生じる危険を回避するのが、自らが人に「あるじ」された場合には、それに
応じて、今度はその相手を自らが「あるじ」して、我×主=人により、
ひと(人/等/1)しさを回復することである。ひと(人/等/1)しさを人
の理想とするならそのようにすべきであるとする格率が、互酬性と呼ばれる
ものに他ならない。 哲学における従来の自我論の困難は、共通感覚において我が常に既に
マイノリティであることに対する十分に明瞭な自省が欠落していることに
起因している。 >>91
作用/動作/様態としてこれらの関係式を理解すれば、階層社会がなぜ
「無限の発展」という幻想をイデオロギーとして維持する必要があるのか、
なぜ継続的な発展を人々が信じなくなるとたちまち、不可避的な統治の
困難が生じるのかも直ちに理解できる。 祈れ、主よ、わたしたちに向かって祈れ、わたしたちは近くにいる
― パウル・ツェラン (生野幸吉 訳) 「わたしは自分のことはよく知っている。だから、どのような人の、どれほど
純粋な恩恵であっても、どれほど率直にして、無償の歓待であっても、もしも
それが必要性にしばられてのものであるなら、わたしからすると、あいにくの
身勝手で、とがめるべきものだと思わないわけにはいかない。与えることに、
誇示するような優越的性質が認められるのと同様に、受けとることには、服従
する性質が伴っている。その証拠に、バヤジト一世は、ティムールからの贈り
物を罵倒してけんか腰で突き返した。またカリカットの皇帝は、オスマン帝国
のスレイマン皇帝から送られた贈り物に大いに憤慨して、自分も、先帝たちも、
人から物をもらう習慣などない、われわれの義務とは、人に与えることだと
いって、それを手荒く突き返したのみならず、この目的で遣わされた使節一同
を地下牢に閉じ込めたという。」モンテーニュ「エセー7」p.51-52 宮下志朗訳 「道徳性を普遍的な行動体系としたルソーに
従おうではないか」
カント
「ルソーは、国家とは、
無数の複雑で歴史的な弁証法的な
一連の過程における個人を飲み込む
絶対的な統一体だと教示している。」
へーゲル
「人間が利己的なのは資本主義社会がそうさせたからだ、とのルソー説は正しい。
個人の利益と全体の幸福は一致せねばならない
とのルソー説を実現する、人間が社会化される
日を到来させねばならない。」
マルクス
「個人の自由意志を重要視し、社会的自我より
真正の自我を選択する必要性を説くルソーの
見解は、実存主義哲学の基礎となった。」
サルトル
「ルソーは精神分析の先駆者」
フロイト 多くの哲学者は、各自の目的のため、
ルソー哲学をそれぞれに解釈し活用した。 「科学や知に関わる概念の意味や用法は権力が
他の意味や用法を排除して決定したものだ、
とルソーは気づいた」
フーコー
「ルソーは非常に早く現れた
ポストモダン思想家であるとも言える」
デリダ
ポストモダン思想の哲学は、人間とは外部の
力でどうにでも改造できる、とのルソーの
言説を共有する。
自由な人間を従順な臣民に変える機能を持つ、
自生的な社会諸制度に対して、ルソー以上に
批判的である。 ルソーは、文明人とは仮面を被った人々だと主張した。
現実はいつも見かけに湖塗される。
人間は、実際の自分を見せることを恐れる。
教養のある人々も、表では礼儀正しく魅力的ではあるが、
心の中では恐怖、疑心、憎しみ、裏切り、冷笑だらけである。
文明人とは、社会慣習の枠で踊る操り人形だ。
我々は他人の期待に応えるだけの存在である。
現代の人間は、弱く、自己中心的で、物質の奴隷になっている。
真の自分を疎外している。 「人間を含んだ自然界には宇宙的な調和がある。
すべての存在物に神が課した道徳の秩序がある。
この真理ゆえ、私は楽観的でありつづけられる。」
ルソー 1755 人間不平等起源論
1762 社会契約論
江戸中期に日本に入っていないのだろうか? 「嘘には二種類ある。過去に関する事実上の嘘と未来に関する権利上の嘘である。」
『エミール』岩波文庫版,p149
事実に関する嘘=自分が行ったことと異なる事を主張する
→罰する事をやめれば、子供は自分のしたことに対して嘘をつく事は無くなる
子供には自然で自由な教育をするべし
未来に関する嘘=守る意思のない事を主張する
→子供は視野が限られており、未来を見通す力がないし、約束の意味も分からない。
子供は嘘をつく能力が乏しい、その場限りの事しか言えない。
子供が嘘をつくようになるのは教師が根拠のない教訓を詰め込もうとし、
詰め込む方が、無知で裏表のない状態よりも良いと教師が考えているせいである。
子供にははっきりと分かりやすい原因と結果があり、嘘をついたら不利益が
真実を述べたら利益があると分かる場合のみに、自発的に述べさせるのが良い。 ルソーなんて諸悪の根源を信奉してる連中がこんなにいるのか
ぞっとする http://www.connebox.jp
宣伝です。
ルソーは諸悪の根源?
なに言ってんだか
手前勝手な解釈したバカどもの問題だわ
カントだのヘーゲルだのマルクスだの
こいつらのルソー解釈は
クソみたいなもんだ
>>110
それはルソー=全体主義の教祖という
イメージが定着してしまったからでしょうね
人間不平等起源論であるとか
社会契約論というのは当時の封建時代を変えさせるという意味では
非常に有効な劇薬であったけども
その劇薬自体の効果は過ぎれば極端な性善説思想から全体国家の悪しき理論を
導きされ濫用されてしまうものだからでしょうな 人間はもっと動物的に快楽に忠実に生きて良いと思う。 忠実に生きてて罰する法律や規則が存在するか?
ニートやネカマには無理なだけだ とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
2H0F7 先日の駅伝を見て、ヴォルテールが放った罵倒を思い出した者も多いのでは? 彼らの話しているのを聞くと、まるで広場に並んで大声をあげている香具師(やし)の集団かと見まごうほどなのです。
「さあいらっしゃい、いらっしゃい、本当のことを知っているのはわたしだけだよ」と。
ある人は「物質などは存在しない。あるのは人間の観念だけだ」と言い、
ある人は、「この世に存在するのは物質だけだ。神など存在しない。宇宙があるだけだ」と言います。
またある人は「善も悪も存在しない。そんなものは妄想だ」と言い、
またある人は「人間は元々は互いに喰らいあっても平気な狼のような存在だ」と言うのです。
哲学者とはかくも立派な連中なのです。
こんな有り難い教えは、発表などせずに、自分の友達や子供たちだけに教えておいてくれたらよかったのです。
そうすれば、彼らはすぐにその報いを受けたでしょうし、わたしたちも彼らの考えの信奉者が身内にいるのではないかと心配することもなかったでしょう。 ヒュームと意気投合したけど即座に喧嘩別れして
そのヒュームに師事したのがアダム・スミス
ルソーはどちらかというとサヨですか
読んでないんだけど「悪魔と裏切者: ルソーとヒューム」は面白そう 私は今まで優れた人間というのは良い大学を出ていたり立派な家柄の生まれだとか大きな会社や国家の中枢で働いているような社会的地位が高く賢い人のことをいうのだと思っていた
しかし本当に人間として大切なのは優しさや思いやり、他者への愛情を持てることではないかと思うようになった
人間性というものは他人に優しくできるかどうかにかかっている
無学だがとても心優しい君といる内にそう感じたのだ
-ジャン・J・ルソー 服を脱がす
ブラのホックを外す
服を脱ぐ
キス
顔舐める
首
パイ揉み
乳首吸う
クンニング
口でしてと言う
きつつきフェラチオ
イラマチオ
シックスナイン
手マン
挿入
腰持ってピストン
恋人にぎりしながら名前連呼ピストン
駅弁、背面駅弁、立ちバック、座位、騎乗位、寝バック、松葉崩し
中出し 主権は譲渡されえない。
同じ理由から、主権は代表されえない。
主権は本質的に一般意志のうちにあり、そして意志というものは代表されるものではない。
一般意志は一般意志であるか、一般意志でないかのどちらかで、その中間というものはないのである。
だから人民の代議士は人民の代表ではないし、人民の代表になることはできない。
代議士は人民の代理人にすぎないのである。
代議士が最終的な決定を下すことはできないのだ。
『社会契約論』 ノモス主権論というやつ
民主主義というのは政治的妥協であって数は力、理念の政治とは異なる ルソーは今の世界で流行してる地理学的見地から言語学、
人類学、芸術論を語るスタンスの世界の学者や建築家達の
間で大人気なんだよ。 ルソーが全体主義思想の源流という英米派の指摘は
あながち間違ってはいないと思う。
ルソー自体にそのような派生思想の責任があるわけではない。しかしながらルソーの直接民主主義の考えからすると、結局は似非な民主主義国家にいきつくというのも予想できる。つまり共産思想なのだが
ルソーの言ってることは現実化すれば
人間動物園ということになる。
動物のままの本性で過ごしながら生活。
餌の心配はない。管理されてるから争いもない。
共産党はいわば動物園の園長である。 議員はどんなに神のごとき知能をもってして理想や観念を説いても民衆の客観視の囚われから
抜けることはない存在だ。つまり背後から撃たれる存在でしかない。人間動物園の園長は唯物論を説く観念を独占する動物であり物でしかないのに
背後から撃たれるのは外国からの心配でしかない。 ルソーの作品は処女作、学問芸術論と人間不平等起源論、社会契約論の間に大きな隔たりがある。
カッシーラの「ジャン・ジャックルソー問題」にも
その矛盾が指摘されているが
放浪思想家から懸賞論文で入選したあとでは
その後の展開が飛躍するのは当然でしょうけど。
かなり論争を巻き起こした(人間に四足歩行させるのが良識だとでもいうのか!)
末に、じゃあ国家としてこうすればええじゃん、となった帰結が社会契約論である。
理性や良識を一括にさせて国家に移譲させることで
みんな自然の本性で争いなく生きられる
といったところ。 あえてルソーを批判させてもらえばこういったところなわけですが、それでもなお私にとっては
ルソーは賛意する思想家でしかない。
作曲家でもあったルソーは「本音の和音」を聞きたかったのだと思う。孤児になり、家族の愛から見放されて放浪しているなかで嘘や虚飾のない人の繋がりを夢見ていたのだと思うのです。
私なりにルソーという人間から汲み取った心情は
おおいに共感できるところでもあります。 自然科学の発達が未熟だったせいで今の常識からみると間違った認識も多々
見受けられるが、それでもなお古さを全く感じさせない思想は素晴らしいの一言
それは人間がこの先どう変化を遂げようと変わらない本質について
述べているからだ 教育論における不朽の名著「エミール」を書いたが、自分の子どもはみんな孤児院に入れた ヴェーバーとルソー読むと、今の野党が政権とれないのにはちゃんと理由があると分かる >>139
たしかに非道いことで、自身は育児を放棄しながら
教育論を説くのは説得力がないように思えるだろうけど、でもよくよく考察してみるとその思想と実践は矛盾していない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています