数学を初めとした理系の学問と哲学について 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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自然科学と精神科学の関係が密接であったのと同様に、
数学と哲学の関係も切っても切れない関係にあることは間違いない。 恣意的偶然性でかかわってたんじゃないの?ほとんどの人は。
偶像崇拝というか。悟性じゃなく。 カントの『純粋理性批判』も認知科学の一種だと言えるかもしれないね。 デカルトもカントもフッサールも著作の中でちょくちょく幾何学を引き合いに出しているから、
少なくともこれらの人々の哲学書を理解するためには数学は捨てられないな。 ■数理神学の復活
プラトン主義を考えるとき、師匠のピタゴラス教を考えるとき必要がある。
ピタゴラス教は輪廻転生を基本とする。
人は生まれる前に魂として、すべてが調和された完全な世界に住んでいる。
それがこの世界に生まれるときに、生まれる前の記憶は失われて、肉体をもち欲望などの下俗の欲を持つ。
だから重要なことは想起である。
肉体からの欲を抑制して、生まれる前の完全な世界の記憶を取り戻すこと。
そして調和された完全な世界は数学によりできている。だからピタゴラス教において数学は神の言葉である。
数学的な調和を探求する、想起することが重要である。
基本的にプラトン主義とピタゴラス教を継承してている。
ピタゴラスが数学にこだわったのに対して、プラトンはイデア論として、ものへと拡張した。
プラトンの理想の国家は、もっとも完全な世界を想起した哲学者を統治者にして、
国民は肉体を管理するように禁欲的で鍛錬し、そしてそれぞれに適した役割を担う。
ここで重要なことは、完成された世界がすでに存在していること。イデア論
それを魂=精神は知っている。人は完成された世界を作り出すのではなく、想起するということ。
心身二元論、理性主義。
プラトン主義というこの特殊な神学は、ローマ時代に忘れ去られ、ルネサンスに再発見される。
そして近代化の中で世界を席巻する。
まさに科学はプラトン主義を基礎としている。
科学は世界の真実=イデアを発見する。
イデアは数学的な調和で記述されている。
人間の理性のみがそれを発見することができる。
現代人はプラトン主義者であるが、あまりにあまりまえすぎて自らがプラトン主義であることを意識しないし、
だからプラトン主義の外があるとを知らない。
プラトン主義の外がいかなるものか想像できるかい? この特殊性は、世界の完全な設計図はすでに存在し、理性はそれを知っていること。
ここにプラトン主義の最大の特徴である客観主義がある。
このとき理性はこの世界の外に立っている。
設計図とこの世界を客観的に見比べる神の位置を獲得している。
まさに科学はこの客観主義を引き継いだことで成功した。
世界を主観を排して、客観的に観察し、そして作り替えること。
たとえば20世紀に入り知の限界として、自己言及が現れた。
ラッセルと嘘つきのパラドクス
ケインズの美人投票
そして量子力学など
すなわち世界を客観的に見ようとしても、この世界に自分がいることで、世界に影響を与えてしまう。
客観主義の限界である。
逆に、人の知は限界点まで達したということだ。 数学という発明が発見と錯覚されるのは、数理神学故だ。 >>8
哲学素人ですがちょっと。国家が人民を管理するのが理想ですか?
そんなに権力が大事ですか?大切なのは市民の自由ではないですか? 管理職になったらいいじゃん。今時はやんないけど。
権力とかはまあ、意志しててもしょうがないけど、表象的に考えて、
のぞみみないことかもなあ。
市民の自由といえば、シチズンの時計が壊れたのが、吉と出そうだな。 >国家が人民を管理するのが理想ですか?
>そんなに権力が大事ですか?
>大切なのは市民の自由ではないですか?
こう言うのって誰が教えるんだろうね。
マスコミは基本は左翼だし
教師も基本は左翼だし
思想教育されるんだな >>11
だよね✨
大切なことは生きていることですよね🍒 >>16
命が生命以外に宿ることを理解できるなら、はじめの1歩 関曠野の本で最初に触れたからプラトン思想はとことん邪悪っていうイメージが強い。 >>20
そうそう。
めちゃくちゃ面白かったけどなんか妙な先入観が出来ちゃった。
とにかく文章がわかりやすいから素人の自分にも読めるのがうれしかった。
ソフィストを一番評価する立場なんだけど似たような立場の哲学者っているのかな。 高峯一愚の本を読んでいると、純粋理性と実践理性はセットで考えないといけないということを痛感させられる。 イデーン買っちゃった。
買っちゃったからには読まなくっちゃ。 トリコ買いましたら今回で最終回でした。🍒
宇宙を食い尽くす食欲のエネルギー(>_<) カントはそんなに民主制のことをいいように見ていなかったみたいだけどね。 >>20
調べてみたけど、強烈な反資本主義な方みたいだな?
>>29
民主主義が一番!も、疑わなきゃならないんだな。
独裁でも上手くいけば良いのかな? カントだったら民主的立憲王政ならいいと見てたんじゃないのかな。
日本人の感覚もそれに似てる気がする。全然哲学的じゃないけど。 別に天皇制を解体する必要はないんですよ。歴史資料をすべて公開してしまえば
本当の意味での象徴天皇制になる。敗戦を機にそれをやらなかったのは、やはり。
利権を維持させて、弱みを握ったままの方が好都合だったからでしょう。 ある種の奸計がなされたままおよそ70年経ったというわけか 高峯一愚の『自由の歴史』を読むと、哲学的な話から日本のジャーナリズムの話まで多士済々いろんなことが出てくるが、
ある意味日本は今と変わっていないことがわかるから変な意味で安心できる。 >>32
>>33
>>34
やっぱり天皇や皇族の存在に否定的なんですか? >>30
かといって社会主義者ではないよ。
この本とハムレットの方へは本当に奇跡みたいな名著。 >>41
だらしない人間は支給された途端に遊興費に使っちまうよ。 金は天下の回り物だからいちいち回り方に注意する必要はあるのだろうか。 自己への配慮という面から問題にするというならわかるけど。 自由論を考えるにあたってはカント哲学に懊悩するだけじゃなくて、
シェリングに関しても触れないといけないね。 悪の問題を考えるにあたっては、
『人間的自由の本質』と『実践理性批判』あるいは『道徳形而上学原論』が
読み併されねばなるまいな。 日本の哲学者を読むにしても、彼らが読んでいたであろう外国のテクスト群の読解は不可避だ。
翻訳してくれているとありがたい、 日本人は西洋人ではないのだから、
その哲学は日本人哲学者の著書の中にはない
日本人は哲学を本になどしない
というか、日本人なんだから自分に聞け 哲学は普遍性のあるものだからな。
西洋だけ、日本人だけ、とはいかない。 プラトン、アリストテレス、どちらも極めるのが理想だよな。
まだまだ手が出ないけど。 >>56
普遍的なプラトン主義の存在を信じているのですね >>59
信じているというが、
現代の科学技術はプラトン主義なので プラトン主義と、仏教の空観
日本人のすばらしさは生活レベルで、
この両極を知っていることですね。 日本人も肉体が全ての西洋主義になったからなぁ
切腹した武士の持ってた宗教と今の日本人の宗教は違うと思う やっぱり切腹 斬り合い 神風特攻隊
こんなものが日常にあるなら本気で仏教やらざるを得ない
今とは全然違う >>61
現代の科学技術はプラトン主義だという貴方一人の思いが普遍的であると信じているのですね 基本は変わらないですよ。
武士道の普及は戦時の国民総動員で頂点に達して、
戦後は会社主義として継承されて今に至りますから。
日本人は意識するときはプラトン主義と、
無意識では武士道ですね。 >>65
仏教の教えは無我、
我を滅するところに救済がある。
武士道は仏教に学び、主君、家などのために、無我となることを美徳とする。
自死は結果でしかない。
この無我の美徳はいまの日本人も変わらない。
まさに西洋人が理解できない日本人の倫理です。 死んだらどこに行くかという神話は人々を楽にしただろうけど
科学主義は一向に人々を楽にしない件 日本人の社会で西洋人のごとく我が、我が!とやれば、
とたんに空気を読めないと排除される。
我が!とか、美しくないんです。 まさにジーザスクライスと科学は常にセットであり
キリスト教なき科学はもはや死の直前恐怖しか与えない 科学に何を期待してるんだこの人は
キチガイクレーマーみたい 日本人は科学技術においてはプラトン主義者なんですか、
哲学、倫理においては、慈悲なんです。 ああ、キチガイなんて言ってごめんなさい
機嫌直してください 日本人が西洋哲学を必要としないのは、
無我、空観、慈悲があるからです。 まあ、そんな日本哲学を意識した西洋の研究もあるみたいだけどね。 プラトン主義は、科学技術で成功したから流行っただけで、
倫理的には、武士道の方が高尚なので
しっかり学んでほしいですね。
キリスト教も無駄に排他的だし >>81
キリスト教のプロテスタントの高度さは
史上最高峰なんですよぉ😉
知らなかったでしょ?😜 ごめんなさい波平さん
私をスルーして下さいね✨
私を相手にしたらしんどいので💗 >>83
プロテスタンティズムは、近代化に適合するように、
職業倫理を取り入れたのはいいですが、
なんせキリス回帰で、禁欲主義がきついのは何ともしがたいですね。
世界中に性倫理を押しつて、みんなへきへきしてます。
最近だと、オタク萌え文化にロックオンしつつあるので、
うざいですね。 オタク文化とかプロテスタンティズムとか、哲学しにくい話だな。 プロテスタンティズムといえば、マルティン・ルターは領主に反抗する農民に厳しすぎて
文学を死滅させるとか言われていたらしいな。 実際、資本主義社会での社会設計は、
財に関するものが中心です。
どこまでの自由競争を許すか、
どのように富を分配するか。
1つの科学技術でもあります。
その意味でプラトン主義の客観主義は重要です。
しっかり西洋哲学を学びましょう。 キリストと三位一体の第三位格の聖霊論的出発は人間的なるものと人間がなしうることが新しい強調を可能にします。🍒 聖霊論的出発は神学の優位を否定することなく
人間学的局面にもその位置を正しく与えます。🍒 乗り越えて克服していく性格のものではなく
継承し発展させていくものでしゅ🎉 神学とか人間学を含んだ精神科学でやっていかないとね。 >>92
知ってます✨
だから相手にしていません。😄 いわゆる「自由」を愛し重視する人にとっては、やはり資本主義が
理想なのかねぇ・・・ 愛してるのは「現在上手くいってる自分の暮らし」でしょ じゃあ何故みんな自由のために命までかけて来たのですか? 関曠野は宗教を政治的紛争の幻想的解決と定義するんだけど仏教に関しては現実的解決だと自分は思ってる。 自由貿易の理念は理念として参戦する動機になるのかもな。第一次世界大戦のアメリカみたいに。
で、終わってみると参戦した意味は本当の所なんだったのか
わからなくなって「失われた世代」となる。 なんだかんだ言って戦前の日本で戦争に最後まで反対したのは自由主義者で、
共産主義者の中には転向する者もいたから、
ある意味根性はあると思う>自由論者
まあ、あまり大したことがないと見られて検挙されなかったのかもしらんがw 自由という側面において日本は物凄く遅れているし
どちらかというと北朝鮮に近い 日本はクローニズムの強い国だから身内をも簡単に粛清する北朝鮮よりも、
イタリアに近いと思う。 日本人って単なる”肉体主義”なんだよね
だからロリコンに熱い熱を燃やす
こんな人種が勝てるわけがない まあ、筋トレとか健康ランドとか温泉みたいなの好きな人多いよね。
肉体で共同するというか。 イタリア人とかまだ かっこいいから
黄色い顔でそれやってみろってんだ
アジアもろとも吹っ飛んでよし アジアっつーのはもともと地球上にいらなかったんだよ たびたびチョンが現れるよな、哲学板って
ヘイト撒き散らす単発スレを立てまくってるし そうは言ってもイタリアは創価学会と密接だったりするし、
妙に近い部分があるのは確かだと思う。 >>114
話を大きくして正体をボカすくらいは誰でも思いつくさ
今もこうして取繕おうとしてる>>115 >>112
チョンというのは朝鮮の人に対する蔑称だろ?
ヘイトスピーチをしてるのは日本人なんだが… 日本人の命だけ価値あるってのも謎だよな
黄色いくせに 顔が黄色い人のすることには限界がある
なぜなら”黄色い”から 「チョン」という書き込みからのこの発狂ぶり
某スレの数物コンプに通じるものがある 何だよこのスレ。ヘイトスピーチスレか?何故朝鮮を嫌う? まあでも顔もブサイクだろ
世界のスタンダートから行くと 自由の問題を話していたらタガが外れてしまいましたね。 東京一極集中はソウル一極集中と似ていて、新興宗教も盛んでって似ているけど、
日本はそんなにキリスト教信者は多くない。創価学会がやはり強い。 顔黄色くても才能あればいいよ
チョンチョン騒いでんのはもう才能もねえだろ
黄色いし 数学はRPGおもしろい
哲学はシューティングうーんあんまりつたわらん
どういう意味? >>614
面識もない年上にさんつけて当たり前です
>>615
小国が戦争勝てないw歴史勉強してこいバカ この反応、本当に量子力学スレの数物コンプレックスくんとそっくりじゃないか 反論するとき句点を混ぜたり混ぜなかったりするところもそっくり 読点は使わないところもそっくり
矢継ぎ早に反論するときLINEユーザーのように単文連投になるからだろうね >>113と>>145はヘイトを含んでいないね
もう少し適当な例は見つからなかったの? その二つは他の連投くんと比べて異質だもんな
そりゃ君はレスなんてしてないのかもしれないな 理数系出来る人は素直に尊敬するわ。
哲学者の中島先生も一度哲学から転向して物理科学を極めたいと決意して勉強始めたんだけどある段階から全く理解不能になって挫折したって書いてた。 哲学と理系も運命の出会いがあったんだろうな。
両取りじゃなくてもいいんじゃないの。必ずしも。
ま、ある分野の秀でた学問であるけど、
学問としては哲学に唯一無二のことを感じるなあ。
数学は性質上分岐しているからもある毛とあまり目立つものでもない。
。数学は自分のライフタームではだんだん使えるようになってきた、あるいはくる学問だよな、
経営、経済、物理 化学とか。可能性が計り知れないのが数学後。 >>166
そうそう。
東大だから一般人よりはるかに理数系も出来る方なんだろうけど途中から全然サッパリの状態になったらしい。 東大は、国民のあらゆる層から選抜されるから、レベルの低い国民層も
背負ってるところが難点だな。私大の方が、生徒の質は高いだろう。
レベル別、習熟度別で、チャンスもみんなにあるし。 学歴なら世界を想定して自己紹介に盛るか盛らないか、
ぐらいの気分でいいのに。俺は学歴なんて羞恥心があるから、
あまり取り上げないよ。ビジネスの方が好きだ。 デカルト フッサール デリダ
カント シェリング 西谷啓治 高峯一愚
手広げすぎちゃってるな俺。 フッサールを4割程度しか読まずにデリダのフッサール研究書を先に読むことは
考えずに問題の答えを先に見ることに等しいから、なんとなく、買ったからといっても憚られる。 竹田青嗣さんとか自分でも読んで理解可能な文章を書いてくれる著者の本しか読まなくなった。
他の著者のヘーゲル関係の本とかもういくら読んでも全然わかんなくてストレスしかない。
自分は例えば法律関係の本とかなら大概理解出来るから哲学特有の現象だと思う。
あとは井筒俊彦さんの著作も例外的に理解出来る。 自分はむしろ、哲学書を読むようになって、
以前は読むときはサラサラ読んでた岩波新書の本が難しく感じられるようになった。
藤田正勝の西田幾多郎とか苅部直の丸山眞男とか。 私大トップの早慶はお金で誰でも入れるからね。
学部によっては卒業させてくれないが。 山内得立とか岩崎允胤にも手を出してしまってるからなあ。
収拾がつくのやら。 >>173
わかるわかる✨
隠れて法律でライバル店を四軒追い込んだもん 善悪の価値観が逆転している人間同士が生きていく世界において法律の正義とは何か。
善悪と正義は別物ということか。 法律書もレベルの高いのがいいだろうな。全く
法契約が犯罪刑務所めいてないやつというか。
そこまで単純じゃないけど。 判例通説通りの木村光江『刑法』でいいかと思ってたけど
井田刑法とかの方がいいのかもしれんな。 民放は基本内田でいいのかもしれんが、
代理については佐久間、物権法に関しては加藤雅信がいいかもしれん。 他人を自分のために利用することにしか関心がないヒトモドキ 刑法なんて契約してない人のほうが大半だよ。強制勧誘もよくない。
国家丸ごと刑法は廃棄されたっていううわさも聞くし。 判例から判断するわけじゃなくて、状況対応だよ。
もし刑が成立しうるなら。刑の古典学でも、監禁拘束、留置、死刑、懲役
がないものがよいでしょうねえ。現代は科料で十分。 拷問とかも人権説から否定。色気が無駄になって、婚期や妊期がずれて
将来のおっぱいなどがなくなるのが刑の定義ではない。
流産事故や、きつい死産にならないように諮るのがよいでしょうねえ。
刑法は負担を背負っているからほぼ役に立たない世代、現代。
善い哲学書の方が代えがたい。 というか、形而上学が文字通り司法より上なわけだな。 刑事訴訟というのもあるけど、圧倒的に民事のほうが一番人気。 普段、サイコパスと馬鹿と卑怯者を区別することは難しい。
でも、嘘が発覚して、都合の悪い事実が明らかになったときの反応で大抵、区別がつく。
1.馬鹿は、嘘を自分も本気で信じていて、悪事をなしているという自覚がないから、
嘘が発覚すると、自分もそれに加担していたことに驚いて、恥じ入り、黙り込む。
2.卑怯者は、嘘が嘘であることに気づきながらも、サイコパスに追従して気づかない
ふりをしているだけだから、嘘が発覚して情勢が変化しそうになると、自分を正当化
する言い訳を用意する。
3.サイコパスは、もともと相手を利用するために嘘をついているから、嘘が発覚
しても動じることなく、嘘をついていたことを追求したり、非難する相手を徹底的
にどんな手段を使ってでも潰そうと、反撃を開始する。周囲の同情を引こうとして、
自分も騙された被害者/馬鹿であるふりをしたり、強制されて仕方なく従った卑怯者
のふりをするおとはあるが、その戦術を反撃行為と組み合わせて使うので、注意
深く観察していれば、区別できる。 サイコパスねえ。アニメで見たけど、
割合かかわりないなあ。
自殺行為と他殺行為と復讐と復讐代替の見分けがつかない次元の時代のことかな。 精神病院や刑務所が社会や地域に近づく時代なのかもなあ。 サイコパスだらけで、本物の馬鹿と、本物の卑怯者を見つけることの方が困難 やっぱりそんな社会なんですか(>_<)
身を守るには生きていくには、どうすればいいのでしょうか😿 精神病院はある特定の疾患の症状に合わせて施薬的に処方をする、あるいは予防する、
機能ぐらいをはたせてればいい。
刑務所は、兵糧の策から、何とかなっていった歴史がある。 神学や宗教学からすれば病院や、刑務所自体が救済の対象で、
哲学的には、先鋭先陣を張っている関係者がいるのがたのもしいぐらい、
だが病院施設、刑務所施設なら、違法建築での操業はご法度であり、
24HOUR昼夜間外出が自由にできる建物だけを稼働すればいい。
路上労働者の生き方、現代人からすると哲学者の古典から学ぶことも多い。 >>203
今まで通り生きていけばいいんです。
貴方こそが旧人類が恐れるサイコパス社会に適応したサイコパシー。
この一連の流れでそれを理解できていない事こそが共感能力が欠けている証拠。
貴方は羊の群れに紛れ込んだ狼。
恐ろしい。 >>206
わーーん😭
毎日お利口さんしてるもんー それでいいんです。
貴方のふるまい、思考の全てがサイコパスであり今の社会に最適化されているんですから。
例え20世紀には悪女と呼ばれていようとも21世紀では賢い女としていきていけます。 禁固、拘置、とかも評判悪いよなあ。それも含めてそうなんだろうな。 >>211
はい、よくわかんないけど
ありがとうございます✨ 逮捕とかもあるいみ行動に移すと人の気がくるってるわけだなあ 変な人の行く末は、精神病院と刑務所のほかにもうひとつあるよ
ホームレス 企業と芸能でバカを騙して搾取する構造を数値化するとこうでッツ!! ポスト真実?
真実を言うことでみんなに高く評価され、感謝され、褒美をもらえる
ような時代がいつあったというのか? 不特定の人がそれを前提に行動しても、経験的にその前提に裏切られることがないことじゃないかな。 真実に気づいてしまっても、それを認めることすらできない哀れな連中だな 東浩紀の『観光客の哲学』を買ってきた。
東も東なりに悩んでるんだなと思った。 >>228
何故そこまで自分の真実に自信を持てる?
信念は真実を曲げるよ 気づいてしまった真実は、気づいてしまった人の真実ですよ? ポストトゥルースというのは公的な真実とは別の私的な真実なんだろうな。 私的な真実なんてなにも特別なことではありませんよ。
仲間数人と映画を観に行って、映画館を出た後、仲間がみんな面白かったねと
盛り上がってるところで、自分だけはつまらない映画だと思っても、それを
口に出したりしないでしょ。嘘を言ってでも適当に誤魔化して仲間に合わせて
る方が無難だからね。 エスパーが真実かもなあ。
嘘といえば即ラテン語じゃないし、ギリシャ語なのかもなあ。
自分に足りないものは。 フォームのシビアさが笑えると思うよ。見てないけど。 >>235
で、この場合その映画は面白いか面白くないか、
客観的にはどっちという設定なんだよ? >>231
「気づいてしまった」と書くといかにもそれが本当の真実だと
馬鹿な読み手に思わせてしまうトリックになるよね。 そんな単純に読みしかできないようでは、到底、権力について語ることはできませんよ。 完全な凪だな。いつまでつづくのか、なんとなくデ・キリコが描く風景を感じさせる。 と言いつつ『カント純粋理性批判入門』を30ページ近く読んでいた。 wikiによれば毎月第四金曜だから
来週なんじゃないのかな。 >>247
ヤッタ!⤴o(^o^)o嬉しいです
ありがとうございます✨長すぎて、もう待ちくたびれちゃうもんー 『観光客の哲学』88ページまで読めたがそこから先が進まん。 と言いつつ150ページまで読み進めた。
ここから後は数学などの理系的な技術が駆使されているようだ。 数学が正しいのは一から十、十から百・・・と数字が整列しているから。
二進法になったら、数学の式は途端に間違いになる。 ネットワーク理論と数学か@『ゲンロン0 観光客の哲学』 225ページまで読んだ
存在論的、郵便的も買おうかなあ まあでも、東の象徴界を映画見る際の監督の存在になぞらえる喩えはわからないでもない。 いやでも意外と早めに読了できた。
産み落とされたものとして生きるだけでなく生み出す者として生きよという感じ。 東が『ゲンロン0』はkindle化しないとtwitterのアカウントで言ってたり、
街の本屋の広告を載せてたりする辺り、
ゲンロンはアナログな路線で行くつもりだんだろうなと思った。 カリフォルニア・イデオロギーをロシア文学で換骨奪胎するところは上手いっちゃ上手いのかな 時間と変化は、相補的な循環論になりますが、
空間に対する「それ」は何でしょうか? 空間を自由度(の次元)とすれば、空間に対するものは粒子(あるいは存在?モノ?)
空間をコトと考えれば、対するものはモノ?
エッシャーのだまし絵的な関係にある何かなのかもね。 全てのことは時間を使って言い表せる
社会や権力や日常は縦の時間として
青春や反社会や非日常は横の時間と表せる
時間は物語や空間を使って表せる
哲学も数学も物語で空間
数学は空間を説明するための空間
哲学は空間を変えるための空間 細かい議論をすっとばせば、「場」と「素粒子」は同じものである。
「空間」とは「場」であり「素粒子」でもあるが、「場」よりな表現。
「考える」ということに「自由度」としての「(空間)次元」は、必須である。
「思考空間」で考えるモノやコトは、思考空間という場そのものであり、
それが「量子化」されてモノ(あるいはコト)になる。
空間にモノがあるのではなく、モノが空間そのものを構成している。
ただし、そのモノを(広義で)認知している(広義の)観測者の存在をわすれてはならず、これ抜きには何も成立しない。 >>270
既にあなたが在るから。
と立ち返る形を取りますね。 哲学の限界は「考える」ということにある。
かといって「考え」なければ哲学は成立しない。 >>267
空間は要素から成り、要素は空間へある。 「考える」ってのは科学で言えばただの電気信号だったりする
でもその電気信号の全体像はまだ解明されていない
もし解明されたら機械でも哲学出来るようになる 神経精神分析って面白そう@『表象11:ポスト精神分析的主体の表象』。 ニーチェにしろ 精神分析にしろ
ハイデカーに劣る 後はレヴィナス。 アレは数学屋だよ。古今まれにみる英才。文字通り。孤独なな。 『デカルト的省察』を先に読んで『省察』は後に回そうか。 桑原武夫氏の蔵書1万冊廃棄 京都の図書館、市職員処分
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20170427000086
中島岳志が目をつけていたのにとツイートしていたけど、
廃棄処分される前に呟いておけばよかったかもな。
研究のオリジナリティを発揮するためには情報はなるべく出さないほうがいいと思ってたんだろうが、
資料に対する目配せぐらいは公にしておくべきだったな。 浅田彰と東浩紀の対談が載ってる2014年6月号の新潮を買った。 やっぱり買うのはやめてデリダのフッサール本やイデーンとかを読み進めよう。 五月病にかかってしまった。
本が読めない。以前読んだことある本でも。 ムハンマドの数学はどうなのかなあ。数学は宗教と関係がありそうで、
哲学と対バン張ってもしょうがない気がする。 『現象学の理念』が少しだけ読めた。長谷川宏訳は読みやすい。 日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
総量規制オーバーや、過去のトラブル等で借入れが難しい方。
多重債務でお困りの方。
誰にもバレずに借りたい方。
お金に関するお困り事や法的トラブル等HPに記載以外の事でも、お気軽にご相談下さい。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
詳しくはHPをご覧下さい。
npo法人 sta うちは2.5階建て。将来は平屋みたいに使うと思う。 やっぱり村田純一の本買ってしまった。
書店依存症だわ。 このスレ数学板や物理板にも建ててこいよ腰抜け共、「何を的外れなこと言ってるんだ?」と馬鹿にされるのが怖くてできないんだろ 哲学が数学や物理学をも包摂していると思ったからこっちに立てた。 数学と哲学の角度は
45度、90度、135度、180度? 360度でしょうね。ただしスピノルにおける360度。
メビウスの輪における、360度まわった真裏の位置。 数学は今の数学を包括して発展してくけど
哲学は今の哲学を否定して発展していくから
構造が違うものと見た方が有意義 竹田哲学の集大成の本の完成を心待ちにしている。
自分の能力でも理解出来る文章を書いてくれるのがありがたい。 >>318
哲学の発展は、論理が数学的構造に基づいて発展し、
そこへ直感的推察と、他学問の発見による、
視点逆転が起きる。
これが綿々と続く。 数学は全領域で連続性がある
その剛性によって他の学問を
はかる物差しとして使える なるほど、削られてるわけね。だったら逃げればいいじゃない。 理系の方が否定づくで進む議論が自分の世界には多い気がする。 数量的に記述できないものを計れるわけがないし、数量的に記述できたものを計ったと
しても、その数量的な記述が妥当な限りで、計られた結果が妥当となるに過ぎない。 数量的に計れるものだけが数学ではないでしょう
トポロジーとか群論とか聞いたことありませんか お前らちょっと頭良さそうな雰囲気なのに知ったかで話してるから単なるニートの世間話になってんのがすっげえあれだわ 素人同士で数学語っててワロタw数学板で専門家と議論してこいよ、無知を自覚して恥かいて学ぶ勇気があるならなw >>327
それらでも定義できないものは計れない、定義するために概念を数量的に扱うことが
必要になる。
熱力学の孤立した系は計れるが、孤立していない開放した系は定義も数学化も
形にすることもできない。
なぜなら時間と共に秩序が変貌して形や模様として捉えられないからだ、
形や模様として捉えることも数量的に捉えることになるということだ。 ちょっとそれ数学板で言ってきてよ、あの人達がどんな反応するか見たいんだ >>332
概念がないと、測るどころか、意識すらできないですからね。 >>329
こっちはリベラルアーツで言う数学だから 物理や工学を最初学びだしたが、使われている数学の基礎が気になって不安になり、数学に転向して結局数学の大学教員になった。
数学の基礎が気になったとき、数学の哲学というのを覗いて見たことがあるが、際限なく議論を繰り返しているだけで、学んでも何かが明確にわかったという気になることはなかった。
結論が出ないと分かりきっていることを議論するだけで仕事になるんだから楽な商売だと思ったし、
論争というのは時間を忘れるほど熱中する面があるが、
結局人生の浪費に思えるし、心が安らぐこともないから全然羨ましくはない。
好奇心で覗いた仏教哲学も似たようなもので、こちらは党派性とか感情がこもる分だけもっと悲惨な気がした。
数学ならショボい論文や本でも読めばそれなりに啓発され、自分が少しは進歩した気がする。
数学のほとんどは世の中に直接役立つこともないし、究極の確実性などはないことも今は知っているが、
小さなものでも自分で定理や公式を作って論文を書けば、何かを作っているという体感はある。工芸品を作る職人のようなものか、
といってもテレビなどで見る一流職人の努力とストイックさを見ると恥じ入るばかり。
まあ、俺のレベルでは教育の仕事が大半で、研究は半分趣味みたいなものではあるけど。 理論数学は詰めといたけど。
概念というかコンセプチュアルなものは、数量というより、
アイディアに近い空想の世界観をもすだろうな。その方が自然分娩
自然体外内受精の選択肢で、繁殖にもややいい影響と思う。 >>340
正直だな。
日本で数人以外は君のようにもんだよ。 >>340
数学の哲学とか、物理の哲学とか、一線でやるだけの能力ないのが、「お勉強」してるようなもんだろ。 >>345
○○の哲学なんて、哲学業界でしか需要ないよ。 哲学業界がどの程度の規模なのかだよな。
現代思想とかゲンロンとかそれなりに売れてる気もするし。 問題は、「○○の哲学」が、○○自体の理論的発展に影響を与えたなんて例は皆無というところだろ。 ○○の側からの寄稿、それを受けた哲学の側の○○の哲学、そして一般人の受容
という構図なんだろうな。 ○○の哲学は○○と一般人の仲立ちという感じのものではなかろうか。 「○○の哲学」について当たり前の常識を持っている人たちがいることがわかってすこし安心した。
心の哲学なんて、脳科学・認知科学の研究者に馬鹿にされるだけということがわからないんだろうか?
それにしても哲学界は非常識な馬鹿がなぜはびこっているんだろう。 まあ、分析哲学はあんまり他分野のこと気にしてないんじゃないのかなあ。 認識の発達に存在の方が追いつけていないのは確かかもしれませんね。 哲学の問題点は「人間が考える」ということだ。
考える「主体」が存在してしまう。
しかし「考える」ことしかできない。
そこをどうやって克服するかも、「考える」しかない。 「存在」というものも「矛盾の解消」のために発明されたものだと「考える」ことができる。
哲学は一度終わらせてしまうのがベストかもしれない。リブートできるかどうはわからないが。 すべての哲学は根底から問いなおされなければなりません✨👰 「存在」と「し得る」は「全単射」の関係になってる。 入り口の扉がたくさんあってモンティ・ホール問題になっている。 >>362
存在の問いを新しく打ち立てる努力をしなければなりません✨😊 >>362
つかめないものを具体的な方法で掴もうとするものには、常にモンティ・ホール問題で道が塞がれる。
お前も例外じゃない。
つかめないもの、つかめないと定義したものを掴む方法すら知らないのか?
矛盾と立ち向かう能力がないのは無能という。 >>362
学問におけるモンティは、先達だ。
プレーヤーは、ドアを開けた者だけだ。
まず、ドアを開けなくては、車は当たらない。
ドアを開けるなら、モンティがハズレのドアを開けてみせるだろう。 当たって砕けろみたいな話かな?
バット振ったらボールは飛ぶ♪オリックスの応援歌 ゾルゲの中心があるので1側面ではなくて了解と気分もしくは企投性と被投性の合体させるようにして下さい。⭐ デカルトとかカントとかいなくてもよかったのだと思うが、 >>371
反対です👸
ハイデガーは一本化で周りが見えてない独我論ですので結局 上の人のが基礎ですので大事です カントよりデカルトよりのほうがいいかもね。
割合血統や、宗派によるだろうけど。 でも
存在について問うということは
生そして死について問うということです👸 学生運動なんかやってたらよかったかもね。哲学者が。
生と死。さらにいうと。まあ常識の範疇かもしれないけど。 長谷川宏や加藤尚武なんかは学生運動やった後に哲学者になったよね。
しかも両方ヘーゲリアン。 >>371
今では常識になっただけで二人とも重要だぞ
コロンブスの卵とか車輪の発明みたいなもんだ >>371
認識論は無くてもよかったというのは現代の常識 理系は哲学がなくても進歩していると言われればその通りかもね 認識の外側に世界はあるのか。認識の内側に世界はあるのか。
認識に境界はあるのか。認識しているのか認識されているのか。
認識など存在しているのか。
認識主体として宇宙を想定すれば、われわれは認識の中にいる。
しかし「想定」しなければならないのは哲学の限界なのか。 >>380
>>381
それこそモンティ・ホール問題 理系は哲学だから文系哲学がいらないだけ。とも考えられる。 >>382
流石にそこまでは…
好奇心と問題意識が、生き残って発展する術になって来た訳で。 >>387
362だが、ちゃんと理解できているひとがいたのはうれしい。
ま、ジョークだったのだが。 >>389
理系には哲学が根差している
文系哲学は、より多くの他人へ伝える為に必要なのだろう ョョ!
らがぼがらがらがぼがらがらがぼがらがらがぼがらがエズオドットコリ〜モナ〜ぼがぼがぼがらが
数_.!レのョョ!らがぼがらがらがぼがらがらがぼがらがらがぼがらが;,.!レのョョ!
_.. ,,.-'ヽ
ヽ "゙ー-、、 / : :!
i 、 :. ヽヽ_,,.....、,,,....._;/ ,;' ;,.!
i., ..;;;ヽ ヾ ,,;_ , /
ヾ_:::,:' -,ノ
ヾ;. 、;,
;; -=・=- , ...-=・=;:
'、lゝ、_ .ノ ヽ、__ノ |!
| ,.(、 , )、 |} < おどろいたね
', ,..、 ,..、_ l
'、 `~=~´ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ すべての板のすべての皆さんの思想くらいなら
弁証法神学のが断然と有利です⛪✨ 理系の中では、[哲学]という言葉が禁句になっていることは確かかもね。
理系と言うより一般社会でもそうだよね。
「哲学などと言っていないで、額に汗して働け」
という感じかな。 一般にはそんな認識だよな、この板の住民もそんなレベルだけど 理論理性=哲学は実践理性=日常活動と地続きなようなものだと思うが。
r、 三 η r、 三 η r、 三 η
〃ヽヽ //ヾヽ 〃ヽヽ //ヾヽ 〃ヽヽ //ヾヽ
⊂ニ()ニ⊃ ⊂ニ()ニ⊃ ⊂ニ()ニ⊃
ヾヽ// ヽヽ〃 ヾヽ// ヽヽ〃 ヾヽ// ヽヽ〃
ι' 三 ヽ) ι' 三 ヽ) ι' 三 ヽ)
{l〈 ヽ-=・=- i、-=・=_ 〉!}
ヾ|  ̄ノ  ̄ |シ
l (∴∴()∴∴)l 発狂さん
l\ ┏-=ニ=-┓/:l とぼけても無駄だよ?
ヽ ┃ `ニニ ┃ /
\┗‐--‐┛/
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別格の新チャンピオン 角柄礁
数学でも純粋数学は哲学をも超えて宗教に近づくことを知っている人は少ない。 私を咲き誇ろう。⭐
貴方は貴方として咲き誇りなさい。⭐ 元々全部哲学だったのが、とある学派は帝王学と呼ばれ、とある学派は科学と呼ばれ、音楽と呼ばれ、数学と呼ばれ、政治学と呼ばれ、経済学と呼ばれ、化学と呼ばれ、物理学と呼ばれ、
誰にも見向きもされなかった残り物が哲学です。 >>410
哲学の行き着くところは愛の開明でもあります👸 というか哲学の大部分は既に終わった議論だから役に立たないのはしょうがない 物理学科でもともとは哲学なんて出鱈目だと思ってたけど、量子力学とか学ぶとアプローチが違うだけで哲学も正しいと思えるようになってきた。
シュレーディンガーが哲学者でもあったことの理由がわかった気がする
全ての物事を本当の最小単位まで遡った時に存在するのは精神なのか物質なのか、みなさんどうお考えですか? >>416
それが自己満足なら学校教育の内容の9割方自己満足だよ >>418
ですよね✨😊
自己満足で終わってはいけませんよね✨ まあ哲学のために哲学やってる内は自己満足か
哲学の立ち位置や経緯も確認しないとね ネイションとグローバル資本のせめぎ合いを乗り越えようと考えて、
共同性が重要だと思い、フッサールの間主観性にたどり着くまでの論考に着手し、
また、フッサールを受容した日本の京都学派などの思想も追っかけ、
そして、共同性がわかって初めて考えられるコミュニズム思想とつなげる予定。 そうです✨😊
哲学は新しく新しく問い続けることが大事です👸どんな答えが出ても いづれ相対化されます✨哲学に、これがあれば大丈夫って知識を期待してはいけません。⭐真理がもし有るのなら
すべての人のすべての考えは破壊されなければ出てきません✨😊 >>417
それは要素だよ。
精神とか物質とか、区別する情報すらない。 >>415
普通全て終わったものだけが役に立つんだけどね
哲学が役に立たないのは最初からやる意味がなかったからなんだよなあ >>426
そうだよ、昔の哲学で一旦決着のついた議論が自然科学とか政治学とかになって今でも役に立ってる
哲学が役に立たないのはそういう既にみんなが合意して土台に置いてる話を蒸し返す行為だから
例えば1+1がなんで2になるのかとかを考え直すのに近い >>417
物理がわかっていないんだよ。 きみは。 精神は物質かな。制身体の配合をを触らずに分析したとて、
精神が物質である証明にはならない。 >>433
だよね✨😊精神は物質と違いますよお✨🚀
ノーベル賞の立花隆も利根川進もシユレティンガーも精神は物質だなんて言わないですよお✨🚀 >>429
単純で良いね✨😊
そう思っておきね✨🚀 >>429
気持ちはわかるけど
人が自分は何の為に生きてるのか考えてることも哲学よ✨🚀 どうでもいいけど、哲学ってなんの役に立ってるのか具体的に書き込む人が一人も居ないよな
別に俺はどうでもいいからどっち派でもないけど、
哲学ってなんの役に立ってるの? → 歴史を調べろよ
みたいなのだと、典型的な朝鮮人理論だぞ 哲学は日常生活に役にたちません✨
でも日常を成り立たせているものを疑うことができるのが哲学です👸 >>429
すべての事実が明らかになったとしても
いつまでも残る謎が有るのです。
哲学者は謎を謎のまま思考します✨👰 哲学者は人々に真実を与えません✨
真実を探すことを要求します✨
何故なら答えは一つではなく
人間の数だけ哲学があるからです。⭐ 一流大学の文学部哲学科卒ですが、哲学書は原書で読まなくてはわかるはずないですよ。 Old pond and frog jump into the sound of water
みたいなもんか? >>446
やっぱり〜☆
アチコチから付け足しただけ🚀 >>451
続き。⭐もちろん真面目に書きましたよ✨💮 時間よ〜止まれ〜命の〜
めま〜い〜の〜中で〜♪
「時間よ止まれ」 「現代思想」はゲーデル特集だね。
数学を構文論(自然言語)の枠組みで説明しようとしたウィトゲンシュタインの考えを、ゲーデルが明確に否定した小論文が載ってる。
やっぱり、ゲーデルの方が圧倒的に頭いいね。 「フッサール、ゲーデルから線形論理へ」とか、渋すぎるな w >>438
論破されて火病るのと都合の悪いことを見ないのは典型的な朝鮮人気質じゃないの?ww 家出して縁を切ったので一緒にしないでくださいと言ってます 帰りに紀伊国屋いったけど売り切れてた。あしたはジュンク堂いってこよ。 2店に在庫あるのは確認した。
帰り道に紀伊国屋があるのでよったのだ。
まさか在庫切れだとは考えてもみなかった。
地方はつらい。
ちょうどゲーデル使おうと思ったとこだったのでちょうどいいやと思ったで欲しいのだ。
ま、ゲーデル本は、いいかげんな解説も多いから、現代思想に書くような人はどのくらい間違えているか
なんてことを読むにはよさそうw 10年前のやつの新装刊ですね。
やっと入手したのでこれから読みます。
のっけから、チューリングマシンという方法が導く哲学的帰結はもっと注目されるべき問題であると。
実際に、量子コンピュータやAIつくりながら哲学しているわたしとしてはうれしい言葉ですw 哲学の祖タレスは数学の証明を残してるから、学問としては数学の方が古いんだよね。 ゲーデル、エッシャー、バッハは今に至るまで積んどく状態だったけど、読むかな。 >>475
うお、凄いっすね。
外部への出力は、どうやっても不完全性定理に阻まれるのかな…? 量子効果は使ってないよ。複素数のマトリクスだけ。
やっぱゲーデル特集買ってよかった。10年前に買うべきだった。
不完全性定理よりおもしろいことがいろいろ書いてある。 >>454
ウィトゲンシュタインってあんまり数学得意じゃないだろ。
まあ、哲学の題材に数学を持ってきた程度のもんだろうけど。
コクセターなんかも、それらしいこと言ってる。
ゲーデルとじゃあ、天と地の差だろ。 >>487
真偽の概念はあったが命題からの関数概念も無ければその値としての真理「値」という考え方もヴィト以前には無かった。
少しは検索でもすればいいのに。 真理値表の最初の考案者は、Emil Leon Postだよ。
少しは検索でもすればいいのに。
https://en.wikipedia.org/wiki/Truth_table >>481
言語ゲームとか、たしかにアスペっぽいアイデア。
彼は50歳になるまで、マスターベーションの常習者だったからねえ。 どうでもいいことで、真理値表なんてたいした発明ではない。 19-20世紀にかけて、同じようなこと考えてたような人多かったらしい。
まあ、便利なツール程度のものでしょ。 でも、ウィトゲンシュタインって数学者にコンプレックスあるみたいで、ケンブリッジでの自身の哲学の講義に数学専攻の学生をさ参加させたのは有名な話。
いあゆる「文系」タイプの哲学専攻の学生は相手にしなかった。 ウィトゲンシュタインと数学と言えば、小学校教師時代、数学(算数か)の問題解けなかった生徒を態度悪いとか言ってぶん殴ったり。
変わってるね w 子どもに手にかけるというのは、さすがに性格的に問題ある w >>495
その話も盛り過ぎだろうね。
ウィトの講義に感心するような数学科の学生がいたとしたら、随分とできの悪い学生と思うよ。 時代が違うから何とも言えん
一流の数学者が数学の基礎を論じていた時代だもの >>499
上にも名前のあがってるコクセターなんかはその一人だね。 絶対原論⭐一元体。和の無い世界。絶対体。
絶対ゼータ関数論。絶対線形代数。絶対極限公式。絶対、三角、ゼータ🍀 >>504
はい✨😄
代数学のオススメの本が3冊あります✨
松阪和夫の「代数系入門」岩波書店⭐
「初等代数学」の森北出版。⭐
加藤明史の「読んで楽しむ代数学」現代数学社⭐ さて、時間スレもすべてなくなったし、ここいらが適当か?
宇宙は宇宙によって記述されている。宇宙は宇宙を記述しており、宇宙は記述である。
記述論はどこまでいけるのかw
エッシャーの自分を書いている手の画。まさしくソレなのだが、
記述されている自分自身を記述することは可能なのだろうか。
ゲーデルがチューリングマシンに言及したいたなんて、現代思想買ってくるまで知らなかった。
チューリングマシンそのものをもっと吟味すべきなのだろうと思う。
(万能)チューリングマシンが自己複製可能だというのは大きな間違いである。
限定された状況において可能なだけだ。 ブートストラップになっているのは何か? それが問題だ。
哲学のブートストラップはいったいなんなのだろうか? 理系のわたしには文系哲学は悪い冗談にしか思えないのだw 2〜3人で文書校正を行い最終的に定型文を打てればカネは稼げるので
そういうのを全部一人でやれるとかいうのは、凄いと言えば凄いが、
理系に例えれば、ソースコード5万行を1人で打てますよとかのレベルで
効率的にあまり意味がないし、ただの趣味で終わる。 自分が自分に言及するためには、言及する自分か言及される自分がいなくてはならない。
言及する自分が存在するためには自分が言及しなければならないが言及する自分は自分が言及しなければ存在しない。
ああ、ややこしい。 言及だけあれば良い
あとはないものがあるように見える 「言及」がブートストラップということですね。
なんだかわからないけど、ふとしたはずみで「言及」が生じてしまい。
「言及」するものも「言及」されて生じてしまった。
とりあえず「言及」が発生するメカニズムを考えてみましょう。
「わたし」が「言及」するのではなく、「言及」したものが「わたし」である。 違う
言及がただ言及としてある
私は言及とは無関係であるが、あたかも関係あるように思い込むこともできる
>チューリングマシンが自己複製可能だというのは大きな間違いである。
常に可能だけど、チューリングマシンは容量無限という絶対に実現しない前提を持ってるマシンなので、
チューリングマシンの話をする時は仮定と現実の区別をする必要がある うん。考えていることがちょっと違うようですね。
「言及」によって存在してしまうならば、ということからはじめています。
「言及」されずに「言及」がただ存在することができるか、
できるとしたら、そのメカニズムはどうなるかと考えています。
チューリングマシンはテープが無限かどうかではなく十分に長いかですね。
解釈実行する機構そのものまで自己複製できていないというところが問題なわけです。
無からなにかを生み出すのは無理として、なにが最小限必要なのかということで、
とりあえずの候補として「言及」を考えています。 対象は存在せず、恒等射のみが存在する。
これが(とりあえず)もっとも原始的な「言及」であろうと考える。
ここから出発するのがいまのところベストであろう。
恒等射が存在してしまう世界。これが宇宙という知性体のはじまりでしょうね。
時間というものもここからはじまる。だんだんイメージができてきた。 言及なんて無限にあるから、それこそ霞食べて暮らすようなもんなの。 >>514
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%B3
>チューリングマシンはテープが無限かどうかではなく十分に長いかですね。
(一部抜粋) 無限に長いテープで構成されます。
>解釈実行する機構そのものまで自己複製できていないというところが問題なわけです。
(一部抜粋) いかなるチューリングマシンであろうとも、それを模倣することが可能なチューリングマシンが可能である。
不可能なマシンはチューリングマシンではありません。
>なにが最小限必要なのかということで
無条件に無限に供給される容量を想定して、なんでも出来ると言い張ってるのがチューリングマシンです。
チューリングマシンを想定する意味は、その手法に一貫性を持たせて議論することが可能になることです。
この時人は共通言語を持つことができます。(正確にはあたかも共通されているように思えるだけだが、そこにミスがなければそれが表面化することはない。(この状態は存在と同様であり等価)。
現在のチューリングマシンを考える時はテープではなく、チューリング完全の言語がチューリング完全として動作する状態を思い浮かべるほうが良いですよ。
ミンコフスキー空間で示される物を考える時は一般に、HDD無限メモリ無限CPU無限の環境でチューリング完全を満たした言語の動作が想定される。(もっと単純にEだけを無限にしても良いが、これはコンピューターであるとは限らなくなる)
これを用いて、「正直に」自分で自分を記述する際は、外的に定義された抽象概念と、それを示す記述子が必要なため、現実上は必ず容量不足になる。
正直に記述しない場合は、一切破損のないAを生み出すAを記述することは常に可能。(これはマシンに関係ないが、マシンがマシンとして動く程度の容量は前提される)。
なお、あなたのお手元のマシンが宇宙の状態にかかわらず永久に動作し続け、その結果を「今」受け取れるならそれはチューリングマシン。
チューリングマシンは容量無限を前提とするため必ず現実的な矛盾が生じる仕組みになっている
>「言及」されずに「言及」がただ存在することができるか
そもそも存在は実在ではないよ
まあそもそもなんの話をしてるのか知らんのだけどね ああ、疑問がわかったかもしれない
内側から外側を知ることは原理上出来ない。
論文の意味を理解する論文自身を記述することは原理的に可能だが、
論文自身が書かれているインクの種類を知ることは出来ない。
しかし記述方法がどのようなものであれ、その論文はその論文として常に一定である。
よってインクの種類や紙の種類が問われることもない。 無知の知
I know I know nothing 「言及」が「存在」であって、「実在」は考えない。 無限テープと十分なテープの違いはわかってもらえなかったようだ。 また、万能チューリングマシンが、それを考える世界を超えようとすると万能ではないということにも 気づいてもらえなかったようだ。
ま、そこんところはどうでもよい。
「言及」に関する基本的なイメージはできあがってきた。
2−3オートマトンを1−2オートマトンから発生させる機構。
そして1−2オートマトンを0−1オートマトンから発生させる機構。
この2つの機構をどこから得ることができるか。。。それが問題だ。
ここでいう0−1オートマトンは閉じたひもを想定されたい。
対象の無い自己言及であり、それ自身が対象である。(「非主流な」圏論の定義を援用w) クレタ人の エピメンデスが、「クレタ人は嘘つきだ」と言った 言及によって存在が成立するかを考えているのに言及自体が存在とな・・・?
そもそも何について話しているのかは知らないけども。
チューリングマシンの定義は(どうしてもテープで表現したいなら)常に無限のテープだよ。
同時に物理が可能とする全てだから、世界を超えるもなにもない。これは定義の問題。
また先程も言ったとおり
「正直に」自分を記述しない場合は、Aで表現されたAは、必ず後者のほうが容量がが小さくなる。でもどちらも等しくA。
無限に自分自身を内包して余力が出る。
宇宙は宇宙を表現してなお余力を持つ。
後者のAが取りうる最小理論値の説明は昔読んだことあるが、難しかったので理解できなかった。 >>506
この世界のほかに、世界はあるのか?
そんな問ですね。 >>518
おお、流石です。
ラッセルのパラドックスですね。 うむ、「言及」をわかってもらえなかったようだ。
ま、それはそれでよい。
「射」という「存在(対象)」なわけだ。
ただし、これに類が加わる。類はどのように扱うべきか。。。
哲学的に「類・クラス」はどのようにあらわれて・あつかわれてきたのか。
そう「分類」の「類」である。
「階」もどのようにあらわれてきたのだろうか。「階層」の「階」。 チューリングマシンはフォン・ノイマン・マシンにはなれない。
しかし、チューリングマシンの奏でる世界の中でフォン・ノイマン・マシンを作成することは可能だ。
閉じた世界の中では「不完全性定理」に気を付ける必要がある。 信じすぎない方がいい=啓蒙書レベルの理解に留めよう >>527
あなたから見た世界が正しいならそうかもね
でも実際は違うと思われたものが同じかもね
もしくは違うと同じの概念の適用は不可かもね
>>518が言うように、あなたとあなたの世界を構築するインクや紙の種類、もっと言えばその存在自体が問われることがないのだから 内側とか外側は厳密にはないんだな
仮にAにAが内包されたとして、一番外側のAを見分けることは出来ないでしょうね
目の前のコンピューターが宇宙の起動原因だとしても、それはそのコンピューターで起動されているものを解析しない限りは無理なのよ
そして、その宇宙には当然同じコンピューターがあり・・・ どんどんよけいなものが持ち込まれて関係ない方向にひっぱられてる気がするw
ま、そこはどーでもよい。
「射」が「対象」である、
としたとき何がブートストラップになるのかという問題である。
「記述」とは「射」のこと。なぜ「記述」されてしまうのかという問題は先送りする。
「恒等射」があるとき、その「恒投射」以外の、その「恒投射」からその「恒投射」への「恒投射」(ああややこしい)を
想定することは健全かという疑問。(宇宙が健全であるとは限らないし、「健全」とは何かということも先送りだがw)
そのへんをブートストラップとして宇宙を構築できるのではないかという予想。
(なにをしているかというと、「宇宙」を作ろうとしているわけですよ) つまり日本国内のアスファルト舗装を担うのも
ここにコメントを投稿するのも実際そうかわらない
ということですね 存在なんだから余計じゃないでしょう
知覚は人間の処理の結果による抽象的な産物であって(古い哲学でない限りは)それに対して「存在という名前」が与えられてるのだから。
視覚があるのも空間感覚があるのも、わたし特有の、極論的には麻薬と同等の幻覚症状。
コンピューターと同じだね。
私を構築しているのは私かもね。夢を見るように。(ただし現実は精度の悪い処理なのですぐ夢と気づくが)。
私は宇宙を作りたくないし、作る際の手法もどうでもいいので、これでさよならだ
まあなんだったら宇宙ができる論文が出来た時は読ませてくれな 現実世界からはなれて、ミニマムな世界で、必要なものだけを必要なときに追加していく哲学が必要かと思う。
dockerですね。複数のdockerを協調させて、哲学というsystemを動作させるw
現在ある哲学をDocker Habとして使う。
そういう手法です。 HabじゃねーやDocker Hubだ。ま、スペルミスや変換ミスはめんどーだから気にしない。
たまに啓示になっていることもあるしw 言及は双対をうんだりするから、単射ではないよねぇ。
単射ではないから、エントロピーの増減があるはず。 >>534
あなたの存在に関わらず、成り立つ存在は有り得ますか、
では? 「言及」によってエネルギーや質量や情報として呼ばれるなにかが発生するメカニズム。
それを考えているわけです。宇宙生成には必要ですよね。
このD-xx世界と同じような宇宙をつくるにはね。そうでない世界もあるだろうw それわざわざ圏論の用語を使う意味あんの?
ってところが構造主義っぽい 空間とか時間はない。外部もない。内部も無い。
あるのは「記述」という「射」のみ。とりあえず「彼」と呼ぶ。彼だけがいる。
「記述」を「射」とするならば対象が必要とされるかもしれないが、「射」も対象である。
「射」から自分への「恒等射」。2つの「射」はひとつである。
「恒等射」は「対象」との二重性を持つ。
「彼」が「仮想粒子」であるとすれば...
「恒等射」は振動の単位のようなものだと構想できる。
「振動」とは「写像」なのか。
ここで哲学dockerの内部から出て、外のhost哲学で「振動」と「写像」を考える。 dockerではなくてcontainerから出るとするべきだった。
docker哲学はまだ構想しながら試験中。隔離されたcontainerの中で哲学世界を構築する。
そこでは物理法則ならぬ哲学法則が異なっていてもよいw ペンローズが構想したようにスピンが基本単位だとするなら、
恒等射はスピンを持つ。恒等射はスピンの違いによって複数種類ある?
ちょっと短絡的すぎる。哲学containerに隔離した「彼」をもうすこし観察してみよう。 哲学の本はふざけてるから
真面目な雰囲気の図書館の方が良く
数学の本は真面目だから
ちょっとふざけた感じのカフェのが良い 各学問の単語を置き換えるなら、
必然、その論理構造は同一。
そこに、某かの予測、推論、解釈があると良い。 >>540
もうちょっと真面目に答えるとその問は難しい
なにが難しいって、哲学者によって微妙に定義が違うから dockerでは商品名になってしまうから、container哲学に統一。
さて、containerに隔離した「彼」は「恒等射」である。
「我思うゆえに我あり」であって、そこが踏み台になる。
対象があって対象としての自分から自分への「射」とするのではなく、
「恒等射」そのものが「対象」を「存在」させる。
すなわち「恒等射」が「対象」となり新たな「射」が発生することで、
その「対象」そのものが、その新たな「射」においての「存在」になる。
相補的ともいえる関係によっていろいろなものがうみだされる。
とりあえず、うみだされるというシナリオは先送りする。「射」がうみだされるシナリオが先だ。
「恒等射」はスピンか?
スピンとは環境とつながっていて変化(回転)することだ。
まだ空間は無い。
「恒等射」は関係であり、つながってはいるが「変化」は無い。大きさもない。ヒルベルト空間の導入は(まだ?)必要ない。
しかしながら、考えているシナリオでは最初からつながっているものが生成されないと宇宙はできない。
単独で発生したとして、後からつながるというシナリオがみつからないのである。 「恒等射」には「変化」が無い。
と考えていたのが間違いだったようだ。
「射」である以上「対象」から「対象」へのつながりである。
しかし、「恒等射」が「対象」であるとしても、その「対象」が「恒等射」の「対象」ではない。
「恒等射」が「波動」であれば、複数の状態の重ね合わせであり、
その干渉がたちきられて選択されたものが、その「恒等射」の「対象」としての姿になる。
射影仮説だ。
「記述」=「恒等射」ではなく、「恒等射」が「記述」されることで「対象」になる。
まだ不明確だが、ビッグバンへのシナリオが作れそうな気配はある。
「恒等射」を「対象」とみなすのは圏論のひとつの(主流でない)定義だが、
そんな単純なものではないということだろう。 「恒等射」が「対象」であれば(さらに)「恒等射」がある。
「恒等射」と「対象」には二重性がある。
そこに「スピン」の存在がみえてくる。
スピンネットワークを形成するシナリオが少しみえてきた。
ちょいとループ量子重力理論を検討しなくてはならないようだ。 containerに閉じ込めた「彼」の正体がわかってきた。
彼の名は「対象O」である。というか、勝手に名付けた。
0や∅に近い存在である。同じかどうかは不明だ。
ウィルソンループというワードがでてきたのでちょいと調べている。 >>551
説明責任は著者ではなく読者にある(笑) 西洋においては、一方が自らの名誉を回復するために、書面で決闘を申し込む。
ゆえに、決闘状を満足に書けないような下層階級は、決闘を行うことはできない。 最近の日本においては決闘は不良少年グループがやるもので、
最近では大阪の堺や東京の多摩地域で起こり、
後者では警視庁がソフトボールでの戦いに変えるよう指導したようだ。 約3年前に買った岩崎允胤『現代自然科学と唯物弁証法』をようやく少しだけ読んだ。
昔はこういう風な左翼哲学と理系の学問の融合があったんだね。 対象O(オー)を観察し続けた。(思考実験?)
恒等射は、それそのものが対象である。
しかし、射は一般的に対象から対象への矢印などで表される。
対象は自分自身であり、自分に戻る。波動の基本単位なのか?
元に戻るのだからスピン1である。2回転しているわけだ。
720度回転して元に戻る。波動関数を2回くりかえして元に戻る。
波動関数とは時間や空間で発展する。
これを逆に考えれば、波動関数が時間や空間を作ってしまうということだ。
対象Oはスピンであり、時空間のもととなる。
対象(すなわち存在)とはスピンである。
恒等射とはスピンであり、2回転している。 表と裏があり、よじれてつながっている。
もしかしたら超弦理論も、幅はないとしても表と裏のあるひもの振動なのではないのか?
振動とはよじれではないのか? 対象Oには時間も空間もない。大きさもない。
その時点ではスピンもない。
大きさがないにもかからず捩れができる。
よじれがスピンを生み、時間や空間として認識されてしまう因果ネットワークを形成する。
この因果ネットワークが宇宙だ。
あくまでも仮想の宇宙をつくっているだけなので、現実の宇宙とは関係がなさそうだが、
もし、この宇宙が一筆書きで記述できるならば対象Oの宇宙である。
捩れを戻せばOになる。
折り紙の紐版か、なんておもったら、「あやとり」があるじゃないですか。
「あやとり」宇宙。どんな指がどのようにあやとるのか。
「折り紙」宇宙も捨てがたいが、捩れるならともかく自然に折れるのか?
折れるシナリオが思いつかない。捩れるシナリオならなんとなくつくれそうなのだが。 本来理系の人ってめちゃくちゃなこと言わないんだけどね。
しかも文章先行で。 「言及」は「恒等射」において「対象」となる。
これは「自己同一性」があれば「対象」だということだ。
指示できなければ「対象」にはなれない。
(もちろん自己同一性を持たないものを「対象」にするための、いろいろな手法はある。
それはまた別の話だ)
先送りしていた「恒等射」ができるという(架空の)現象を考えねばならない。
これは「自己同一性」だ。
そういうことであれば、「自己同一性」をうみだすのは「自己同一性」を持たない世界である。
何もないところからなにかを生み出すことはできない。
あるとすれば、自己同一性を持たない何かで満たされた世界だろう。
そういや「モナド」は明示的な自己同一性を持っていたんだろうか? 自己同一性の射とは、2x2行列であらわすなら
I=[1 0, 0 1] である。(ハイゼンベルグ描像のように、これを無限次元化する?無次元化?)
I・I=I
「対象」は列ベクトルではなくマトリクスだ!? モナドは自由すぎるよ。
同一性は他人に溶け込んだところで意味をなさないだろう。
宇宙も安全第一でいけば色彩が鮮やかさ。 自我同一性は 孤独の心理 哲学と 相性がいいように思う。 自己同一性の無い世界。
そもそも時間や空間は自己同一性がなければ成り立たないだろう。
いろいろ疑問がでてきたので図書館にいっていろいろ借りこんできた。
「無」とは「自己同一性」が無いということであり、
「有」とは「自己同一性」のことである。
「自己同一性」が無くても、「指示」できないこともないだろうが、
それもは入(容)れ物(集合やクラスのような?)が必要だろう。
群として同一性があるかもしれない。それほど単純ではないようだ。
自己同一性で「存在」が得られたとして、「つながる」という問題がある。
とりあえず、議論を先送りして「因果ネットワーク」を導入したい。
最終的には自己同一性も因果ネットワークに取り込ませたい。 数学は妄想を記号で記述し論じる言語である。
妄想といって毛嫌いするやつは自覚して妄想していることすら否定しているキチガイ。
妄想が問題なのは、本人が妄想だと自覚していないことだ。 迷妄 想念
神は文学者だったり哲学者だったりしませんか? いろいろと本を借りてきて読んでいる。
「自己同一性のない世界」、
それは「自己同一性」とは「秩序」の根本と考えたとき、
「無秩序」のことをさすのかもしれない。
そう考えれば、「自己同一性」とは「秩序」のことであリ...あれ?ループしてる...
「秩序」とは「ループ」である。
同じことを繰り返す。
これは、つながっていて変化しているということであり...スピンだ!
つながる相手が同時にできるなら対生成でよい。
だんだんイメージができあがってきた。
自己同一性から2-3オートマトンをひきだすのではなく、
自己同一性そのものができあがったときすでに2-3オートマトンなのだ。
とりあえずこれを「クロック」と命名しておこうw
これがモナドの運動なのだろう。原動力は「矛盾」である。
なぜそれが「存在」してしまうのか。
モナドの場合、それの存在理由ってあったんだろうか?
ま、それよりも無秩序からクロックができるメカニズムを考えようと思う。 ふ。チューリングマシンとフォン・ノイマン・マシンを融合させるための思考実験をしているのだ。
なにが必要なのかといえば、無秩序からうまれる秩序であり、それはスピンとなる。
簡単にいえばカオスの逆であり、散逸構造やオートポイエーシスと関連する。
モナドと同様に運動がなければならず、その原動力が無秩序。
実際に仕事にモナドを活用しており、それはライプニッツのモナドではないが、モナドとしての働きを観察しているとおもしろい。 特殊相対性理論のときはポアンカレ、一般相対性理論の時はヒルベルトが、タッチの差でアインシュタインに遅れたんだよね。
ゲーデルもそうだが、数学者って、尋常じゃない。 ここまで考えたことを現実世界に適用するならば、
「われわれの宇宙は無秩序の海の中にある」、ということ。
「無秩序」がエネルギーや運動をうみだす。
うみだすために最小限必要なものが自己同一性(または自己言及)。
これらに相当するものをcontainer内に設置すれば宇宙をつくれると考える。container内の宇宙。
TensorFlowをいろいろ使っているが、これらを組み入れられないかと構想中。 なぜ物理学者はポアンカレ アインシュタインとか
そんなリソースだけ頼って愚鈍化していったんだろう。 無秩序の海において秩序は矛盾である。
自然が無秩序の海における秩序でなりたっているとすれば、
自然は「矛盾」である。
そして、自然のところどころから「無秩序」が顔を出す。
無秩序は局所的にはともかく全体としてはエネルギー0となる。
矛盾が解消されると無秩序に戻る。エントロピーは増大する。
結構良いシナリオができたように思う。
1bitの無秩序状態から始めて...と考えたとき0bitの無秩序状態は秩序なのか、とか、
「無秩序状態」は確率的なのだと考えれば量子状態と等価にできるのではないか、とか...いろいろでてきた。 「無秩序」を考える。
役者としてA=[1,0],B=[0,1]を持ち込む。全体でエネルギー0なのだから最低でも2人必要だ。
この2人は相反していなくてはならない。A+B=0となるのが適当だろう。
A=-B,B=-A
マイナスをNOTと考えれば、NOT=[0 1,1 0]
マトリクスのまま考えれば A+B=[1,1]
これがエネルギー0である。
[1,0][0,1]のペアは秩序的である。これが無秩序であるとは...
選択的ななにかが必要となる。
このペアの間にあるのはNOTだろう。
NOTが2つを引き離していると同時につなげている。
A=NOT・B なのだから、選択とはNOTと片方との演算にある。
確率的に選択されるということが「無秩序」の正体なのではないのだろうか? >>594
秩序をすべて含まない無秩序はエセ無秩序
人が作る都合の良い擬似乱数のようなもの 今日は初めて家以外で調理した。
料理は文系と理系、でも理系のほうがおいしいだろうか。 2つあってトータルが0であるというのは、秩序と無秩序の限界なのだろうか?
揃うことはないのだから固定である。
可能性の「空間」があれば秩序とか無秩序といえる。
可能性が無いのであれば秩序ですらないのではないか?
そこからひとつを選ぶのであれば可能性の空間が生じる。
選ばねばならない状況があるのだろうか?
それは物理的には限界状態とか境界において生じる。
哲学的思考実験においてそのような状態はあるのだろうか? なければ哲学はただのカスになってしまう。 秩序と無秩序を圧縮の問題と考えてみる。
コルモゴロフ複雑性というやつだ。
秩序があれば圧縮しやすい、圧縮は秩序の記述である。
無秩序は圧縮できない(のだとすれば)、無秩序は記述できない。
もちろん全件?を記述することはできるかもしれない。
A=Bであれば、どちらをとっても残るひとつは同じであるといえる。
A!=Bのとき、どちらをとっても残るひとつはとったものの否定である、
ということだけでは足りず、とったのはどちらなのかという情報が必要である。
情報量に差がある。
無秩序には情報が無く、秩序には情報がある。
自己同一性には情報がある。それと同時に負の情報がなければならない。
因果ネットワークでつながっているとすれば、
A-Bという(マイナスではなく線の)つながりの両端が結合して消滅し、
線だけがループとなって残る。このループ上の2方向の情報?の流れが...
スピンやひもの振動となるようなシナリオを考えだせるかどうか。そこが問題だ。 本当に「無秩序」でよいのか疑問に思い始めた。
無秩序の海ではなく混沌なのか?
そこには最初から秩序と無秩序が混沌としている?
無秩序が基本であり、秩序が発生しては無秩序に戻ろうとする。
それがエネルギーであり情報であり粒子であり、もちろん波動である。
ひとつの秩序を基準とすれば負の秩序もある。
秩序とは圧縮である、と考えるならば、それは...それは? 物語はGEBの最終章より始まる。
描いているわたしと描かれているわたし。
2つの秩序を描いているのは無秩序。
エッシャーを画の中に取り込めるか。それが問題だ。 『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』か。 数学とか、明確に定義された問題しか扱えないんだろ?
哲学は、何が問題なのかを明確にしようとしているのだから、哲学の課題を数学で解決できるわけないんじゃね? 数学的に明確に定義しようとする試みもまた数学
こんなのは別に数学に限った話ではないけど じゃあ、数学的に明確に定義することで解決できた哲学の課題って何があるの?
無限とか、連続性とかは、数学的な問題を数学的に定義しただけだよね。 みんな小賢しいサルのくせに
ずいぶんこ難しそうなことを
得意そうにしゃっべってるね 言語学と数学って前者は後者の応用研究バージョンのように思える。 「数学の無矛盾性」が何を意味するか、その哲学的な解釈は定まっていないのでは? >>611
完全な哲学は、あり得るかどうか。
明確に証明された。 世界は数量的「にも」把握されているというだけですよ?
問われるべきなのは、「数量的に把握するとはどういうことか」でしょう。 言語行為の基礎にあるのは、互いを意図的に欺く(deceive)ことができるという
能力の認識でしょう。数えるという行為自体、例えば、このリンゴとあのリンゴ
は別のものであるにも関わらず、それぞれを1つのリンゴとして数えるわけだから、
意図的な自己欺瞞、つまり、再帰的に用いられた欺く能力の表れではないのでしょうか。
「かぞふ」という表現自体、おそらく語源的に「か+そ(添)ふ」と分解できて
再帰形をしているし。 「わづらふ」というのは複雑なことに巻き込まれるという再帰表現でしょうね。
「お手を煩(わづら)はせてしまいすみません」と言うからね。
「患う」という漢字字体、串+心で「串」が輪を連ねているように見えるのが面白い。 数学は、
記号を操り社会現象や自然現象を解き明かしていく愉しみのようなものではなかったのか。 数学と哲学をひっくるめて記号遊びをしているとも言えなくないか。 誰が哲学の話なんてしてるのよ
>>626が下らないってことだろうが 私は言葉遊びをすることは大切だと思っているのですよ。
例えば、日本語において同じ「〜ふ」という表現が、メタ言語を用いるなら、再帰、相互性、
反復と分けられるような異なる動作/作用/様態を表すのに用いられている。なぜそのよう
なことになっているのかは、言葉遊びをすることによって初めて見えてくる。
さらに、そこから見えてくる関係性は、数学の基礎とも無関係ではないだろうと私は思う。
「〜ふ」の再帰的な用法は、1人称的であり、相互的な用法は、2人称的であり、反復的な
用法は、3人称的であると言うことができると私は考えるが、このような異なる用法は、
いずれかが先に生じたというより、現実が常に既に人称的に捉えられていることの反映
であると考える方が自然でしょう。 この場合、「〜ふ」という表現の再帰的用法、相互性的用法、反復的用法を考えるのに、
数学の記号を隠喩として用いることは役に立つ。
再帰としての「〜ふ」の用法は、A=Aと記述される場合の「=」の用法に喩えることができ、
同様に、相互性としての「〜ふ」の用法は、A=Bと記述される場合の「=」の用法に喩える
ことができ、反復としての「〜ふ」の用法は、A=C=Bと記述される場合の「=」の用法に
喩えることができる。それぞれの記述において「=」の用法は異なっているが、これらの
異なる用法における「=」が別起源であると考える人はいないでしょう。むしろ、
A=C=Bから、A=Bが導かれ、A=B=AからA=Aが導かれる関係が全体として
常に既に現実の捉え方として成立していると考える方が自然です。逆に、隠喩として
見るならば、意識されようと、されまいと、数学操作においても、日常言語の場合と同じ
ように現実は常に既に人称的に捉えられていると言えるのではないかと私は
考えています。 〜ふ。すきやきの時代よりはいい曲が増えたな。Jも。 「〜ふ」って何かわからんけど、
哲学版では「数学」という単語を書いたら、だれも読まんよ。
クレタ人みたいになっちゃったけど 例えば、
>「〜ふ」って何かわからんけど
と「問ふ」ことですよ? 言語って、もっと根源的(生物的)なゲシュタル知覚・認識から派生したもんだろうな。 数学は地球から月に行くロケットで
哲学は月から地球に帰ってくるロケット 帰ってくる場所があると思い込んでるのが哲学で、
最初から帰ってくる場所と行く場所を差別してないのが数学 同一であるとはどういうことかという問題ですね。
数学記号を隠喩として用いるなら、同一性は、例えば、A=Aと表現される
ことになるのではないでしょうか。ところで、この「=」が何を意味して
いるのかは自明ではない。AがAとしての同一性を表しているなら、
Aと表記すれば済むことで、「=」は不要である。「=」が意味を有する
とするなら、「=」は別々の2つの項目を関係付けていることになるが、
その場合、「=」は、同一でない2つのものが同一であることを表して
いることになり、これは矛盾である、というのが哲学で議論されてきた
同一性のパラドックスでしょう。
同一性を表すのに数学記号の「=」を隠喩として用いることを続けるなら、
私は、このパラドックスは、同一性を、あたかもそれが閉ざされた単独性
を意味するかのように、すなわち、「=」がそれぞれ孤立したものである
かのように考えていることに由来するのではないかと思います。ところが、
A=Aにおける「=」は、A=C=Bにおいて用いられる「=」と別の
仕方で用いられているわけではない。A=Aという表記において、「=」
は1つしか現れないが、この「=」は、A=C=Bの場合の2つの「=」
が、互いに他方の反復であるように、明示的に現れない他の「=」の
反復であり、何が反復されているのかと言えば、それは、「相互性」と
「再帰性」でしょう。つまり、同一性とは、相互的な再帰が反復すること
を意味しているのではないでしょうか。 作用こそが本質であり、物象化された同一性は見かけに過ぎないが、
作用は、その見かけに対する効果としてのみ姿を現す。 >>652
そうですね。
そこにはご自身の解釈がありますし。 http://dokushojin.com/article.html?i=1410
デカルトの『医学論集』が法政大学出版局から出たあと、
その次には『数学・自然学論集』が出るらしい。 >>644 >>647
これを似非量子力学的にまとめると、次のようになります。
物象化された同一性である光子は見かけに過ぎず、相互的な再帰が反復すること
である波の作用こそが本質であるが、この作用は、その見かけに対する効果として
のみ姿を現す。 作用が、あたかも時間を超えて存在するかのように思い込むことが物象化であり、
同一性を有する物が存在することは、そのような思い込みに過ぎないのです。 又聞きだけど、ソーカルって素朴実在論じゃだよね?
相手にする価値なくね? 科学用語を乱用するポスト・モダン主義者が存在するという存在論とも無関係です じゃあ、やっぱり素朴実在論(そういうポストモダン主義者が存在する)と関係あるんですか? ポエマー呼ばわりされてキレてるのか?
駄々こねてみっともねえなあ 野矢茂樹は『心という難問』で素朴実在論を擁護したいと言っていたな。 「したい」と思うのは自由だけど、「したい」のと「できる」ことは別だよ。
私も自分の力で空を飛びたいけれども、それができるわけではない。
できないなら、したいというのはその人の単なる願望であって、
それを他人に言っても仕方のないことじゃないかな?
「したい」というのが、印欧語の未来形のように、これからそう「する
つもり」だということなら、実際に「できる」ことを示す必要がある。 また、そうではなく、その「したい」というのが、「おしっこしたい」のように
他人に許可を求めているのなら、どうぞご自由にと言うほかないでしょ。 野矢は屁理屈のような哲学的議論を紹介してそれを批判した上で
上記のような願望を言ってるからな。
文脈を示すべきだった。 風になりたい?
冗談じゃない。そんなのは御免だね。
自由自在に可逆的にその風が私になれるなら話は別だが。 >>454
そりゃオツムは、ゲーデル>>>>>>>>>>ウィトゲンシュタインだろう。 「全ては思い込み」で思索が終了するのが哲学徒の限界なんだよな…
具体的、精密なことは何も言わない、言えない そう感じるのなら、自分自身で、より具体的に、より精密に表現してみせればいいだけの話です。 哲学板に書き込んでいる時点で哲学徒になろうとしているようなものだしね。 他の動物を例に考えてみればいいことです。
仲間の動物は、木の実の在り処を知らせてくれたり、獲物の捕え方の手本を示してくれる
かもしれない。でも、実際に殻を噛み砕いて中身を取り出したり、逃げる獲物を捕らえ
たりして、食べられるようにするのは自分自身なのです。自分の消化力が弱いことを
仲間の責任にしても、何も得られません。 なぜこんなことを言うかと言えば、それは、哲学が本来的に分業ではないからです。
知的作業の分業を望んでいる人は、そもそも哲学に向いていない。
自分で思索することを厭うなら、いくら哲学書を読んでも、哲学をすることはできないのです。 >>675
ご心配なく。
各々の生き方に、反映されてますよ。 >>675
まあ、今の哲学徒なるものは、ただの文献講読屋だからね。 アスペルガーでもできるのが数学
アスペルガーだとできないのが哲学
もしかすると
アスペルガーでないとできないのが数学かもしれない >>683
数学知ってるんだ?
じゃあ、数学ってなに?
数ってなに? >>688
哲学者のウィトゲンシュタインは典型的なアスペルガー症候群と言われてる。
一生独身で、50過ぎてもマスターベーションの常習者だった(日記に残してる)。
数学に関する講義もあるが、数学者からはバカにされてる。 アスペルガーであることは別に悪でもなんでもないんだけど、
聴覚障害のある人間にオーケストラの指揮者を任せるべきではなく、
視覚障害のある人間に交通整理を任せるべきではなく、
味覚障害のある人間をレストランの料理長にすべきではないように、
アスペルガーの人を教育者にしたり、組織で人を管理する役割を与えたりすべき
ではなく、そういう人事を意図的にやることは悪そのものだと思う。 それで、アスペルガーの人がその人事が変であることに気づかないで
他人に被害を及ぼす場合、オーケストラの指揮を任されているのに自分が
聴覚障害であることに気づかない人や、視覚障害があるのに交通整理を
得意になってやっている人や、味覚障害があるのに威張って見習いを
指導している料理長と同じ程度に、本人にも罪があると思う。 結局、物としての同一性というのは、「昨日作って食べたカレーはおいしかった
から、残っているカレーは今日も同じようにおいしく食べられるはずだ」という
のと同種の思い込みに過ぎない。その思い込みは、妥当である場合もあれば、
そうでない場合もある。昨日おいしかったカレーの残りを今日食べて、食中毒
を起こさない保証はない。 作用が存在することが時間なのだから、作用が時間を超越して存在するはずがないのだ。 作用としての同一性が時間であり、時間とは、存在することである。 障害も健常の部分がほとんどだし、偏見からインフラたたきなんてしないでもいいのに
。 昨日のカレーばもうカレーではなく、カレーうどんに過ぎないし、
そんなものに同一性があるかどうかだな。作用も
。 >>689
そんなことも知らずに毎日生きてんのか
数学の素養がないのが簡単にバレるね
ま、教科書読んでも書いてはないけどな 数学の素養は、問題を解く訓練を通してしか会得できないだろうね。
言葉での解説は二次的なものでしかない。
楽譜が読めず、演奏ができず、ましてや曲を鑑賞する能力すらない人間が、吉田秀和の著作をいくら読んでみ意味ないようなもんで。 数学は問題を解くことではない
それだと数学は永久に分からない 定理の証明をすることだったりするの?>数学の素養を培う手段 言語とかそんなふうに考えてたら数学は永久にわからんよ それは君が自分好みの見解しか認めるつもりがないというだけのことだ 過去に人類が積み上げてきた数学だけでも余りにも広大で
これからも際限なく広がりしかも深まり続けるだろう。
ある分野にある程度深く沈潜して、新たな問題設定なり定理の証明なりして
認められるくらいにならないと、
数学とは何かなどと口にする資格もないと言えよう。 とすると、>>710はそれよりさらに高みにいる人の口からしか出てこない言葉に聞こえる
哲板にそんな凄い人がいるとは思えないけど 高校数学も分からないのに、数学の本質とか言い始めるアホもいるからな。 高校数学も分からないのに、数学の本質とか言い始めるのがすなわち哲学の本質なのだよw 数学ができても板違いがわからないのならそっちの方が問題だろ 板違いも分からないのに数学語ってる時点でヤバイだろ アナルクサマンコドロドロスも知らずに
高校数学も分からないのに、数学の本質とか言い始めるのがすなわち哲学の本質なのだよw
などと言ってしまう低能がゴロゴロいるのが
哲学板の特徴ですね 数学板があるのに哲学板でわざわざ逃げるなよ
数学が得意なら本場の数学板でやれよ この板にある大半のスレタイの意味すらわからずに哲学について偉そうに語る奴が多すぎないか? 2chの学問板は屑の巣窟だぞw
哲学板は一番ましな方だよ この板にある大半のスレタイの意味すらわからずに哲学について偉そうに語る奴が多すぎないか? ■とか意味不明のスレは波平っていうキチガイが立てたスレだしな 分からい事柄について、その本質を語る
それが哲学 w 分からない、だろ
分からい、は誤字
そして誤字するのは波平くらしかいない >>692
算数や数学はとどのつまり右辺と左辺の辻褄合わせ、つまり"無矛盾"だよね
物理学等において数学は現象を記述するよね
このことが示すのは因果律において諸々の現象に矛盾はないよという事だよね。
で問題はなぜそうなのか、という事だけど
ツイッターでjoe@king_joe6931,@big_gun6931読んでみて
虚数の実体が見えてくると思うよ >>727
>>分からない、だろ
自覚があるから、すぐわかるんだね w 波平はストーカー容疑で埼玉の警察から呼び出されて厳重注意くらうほどのキチガイ 虚数だの イマジナリーナンバーだのという呼称に問題がある。
歴史的経緯から当初はそう名付けられてもしかたなかったが
今やその実在性は実数と何ら変わらないんだから アナルクサマンコドロドロスのスレは立ってなかったけどな
似て非なる間違いタイトルのスレはあるようだが 言語だと思いたければ言語だと思えばいい
日常生活に支障があるわけじゃないんだし なにこれ
「数学の本質」くん、とうとう発狂したの? 誤解している向きが多いがこれは波平の仕業に非ず
純一な
178 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:03/03/23 01:28 ID:???
エズオドットコリ〜モナ〜ワラウム返し
エズオドットコリ〜モナ〜ワラウム返し
藁藁
諏訪内のマムコ濡れ濡れでムンムン
あたりにマム臭が漂っています
バラ( ・e・ )( ・e・ )( ・e・ )( ・e・ )
エズオドットコリ〜モナ〜ワラウム返し
エズオドットコリ〜モナ〜ワラウム返し
藁藁
諏訪内のマムコ濡れ濡れでムンムン
あたりにマム臭が漂っています
バラ( ・e・ )( ・e・ )( ・e・ )( ・e・ )
エズオドットコリ〜モナぼがらがらがぼがらがエズオドットコリ〜モナ〜ぼがぼがぼがらが
数_.!レのョョ!らがぼがらがらがぼがらワラしののりそだかまだのいっつのワラ
放ら放がらがらがぼがらエズオドットコリ〜モナ〜ワラウム返し数ら放ら放ら放 ,;';,.!レのョョ!
らがぼがらがらがぼがらがらがぼがらがらがぼがらがエズオドットコリ〜モナ〜 >>736
おまえだろ純一
ごまかしてんじゃねーよ おやおやw
高校数学すら理解できない低学歴のお出ましだww 数学基礎論を齧った程度で数学を論じたつもりになっている哲学学者っていうのも
かつてはのさばっていたな この板にある大半のスレタイの意味すらわからずに哲学について偉そうに語る奴が多すぎないか?
波 卑 土 此 不 酉 野 降 毎 哲 十 第 以 酉 女 御 波 学
平 猥 下 板 浄 投 尿 臨 日 板 年 三 来 度 之 杜 平 説
本 文 座 見 脳 稿 待 ,;f  ̄ ̄ ̄ ヽ 来 之 益 々 栗 玖 脳 巴
人 字 謝 張 不 後 伏 .i: i. 発 波 々 外 見 椀 内 栗
心 絵 罪 睡 浄 悔 前 | |. 狂 平 発 仕 迄 頂 得 常
経 大 一 眠 考 十 科 | |. 信 御 狂 忘 放 戴 呂 習
好 切 不 不 年 一 | ^ ^ ) 者 施 上 却 尿 角 是 波
物 皆 足 浄 間 飯 (. >ノ(、_, )ヽ、} 増 主 荒 是 草 辛 波 平
自 無 屁 行 ,,∧ヽ !-=ニ=- | 仕 決 叢 栗 平 本
演 茶 是 /\.. \`ニニ´ !,ヽ、,._ 是 定 潜 為 学 人
満 羅 輪 rー'""l, 'l,  ̄ ̄ .| ||/`> 学 的 伏 待 江 心
載 魔 廻 / | 'l, / .|./》/ ∧ 者 証 即 伏 江 経
迷 訶 / , | ヽ ヽ,、/.@ / 《l,l / ヽ 拠 阿 根 虚
惑 不 / 、,ヽ|/ ヾ。ツ`' 「ゞ / /《ヾ /゙ヽ 有 保 情 言
是 思 ./ ///l`゙'゙ー-'" / // ノ// //`l.、 老 爺 持 癖
究 議 ,|. /// | |___,,,ノ≡≡ツノ//_,,-‐'"".l., 害 変 主
極 老 | /// /| /二=‐'"´´ 波平大師.l.. 爺 態
>>738と>>745が「数学の本質」くんで合ってる? 国家の科学技術政策や社会統計などに役立つものだという理解でいいかな。 >>753
都合よく傍観者気取りに切り替えても自分すら誤魔化せないよ まあこの板はそもそもモンティホール問題すらネットの誤りを鵜呑みにしちゃう程度の連中ばかりだから 自分が興味を持っている哲学者のフッサールが元数学者だし、
同時代の数学者であるゲーデルの本にも手を出そうとしている。 テンソルを行列でしか理解できなかったり、添え字の上付きや下付きが形式でしかないとかのたまったり
その大胆さこそがこの板の魅力だよなw はあ。哲学対数学?すごいマッチメイクだな。センスが。リングに架けろ以来だ。 >>754
そういう即レスに悔しさが滲み出ているね 数学が得意なら数学板でやれって
そこなら数学得意な猛者がいるだろ / ヽ
/ ヽ
{l〈 ヽ<二>、<二>_ 〉!}
ヾ|  ̄ノ  ̄ |シ
l (∴∴()∴∴)l
l\ ┏-=ニ=-┓/:l チンポール!
ヽ ┃ `ニニ ┃ / チンポール!
人 \┗‐--‐┛/ ノ
┌、. / ヽ ⌒ \.
ヽ.X、- 、 ,ノi ハ
⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ
入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
/ `ー''"´ ,' c〈〈〈っ<
/ __,,..ノ ,ノヽー'"ノ ここは哲学板だから哲学が得意な奴はいるが、
一学問に細分化された数学についてそんなに興味もっている奴はいないだろ 大体、数式しか書けないのに哲学板に来てどうする?
数学からなにがしかの哲学に貢献できるトピックを持ってこれるならともかく >>759
何を言おうと「数学の本質」くんの勘違いぶりは覆らんよ
未だに痛々しいとの自覚がないようだけど たとえば素数について哲学板で語るに相応しい解答をかんがえました、
とかならまだわかるけど、ボク計算できるよ?ぐらいだろ >>765
じゃあ、その古い数学で哲学の難問を解いてみせろや ¥ ◆2VB8wsVUoo のレスばかりが目立つスレが多くて、
盛り上がってたスレは読書スレぐらいだったな。>数学板 漢字板から来て、じゃあ哲学板の連中はこの難しい漢字が読めるか?とか
数学板から来て、じゃあ哲学板の連中はこの難しい数式が解けるか?とか
どうでも良い事だろ、哲学の能力に関係ないし。 >>777
ん?
別に誰かの能力を試そうなんて意図はないぞ
数って何?というお題に乗っかってみただけ 数学のトピックから何らかの哲学的問題に派生できるならともかく、
単に数式を解けるだけでは電卓と変わらん。 電卓脳では思考はできない。
要は数学ができるだけじゃ哲学はできない。 それが数学脳では無理。
考えるという作業が数学脳ではできない。 数式を読めないのは、英語を読めないのと酷似している。 倫理学には数学的考慮が相対的正義のために必要になるかもしれないが、
哲学には数学は難問として向き合うような対象物と言えるかもしれない。 だが、数学を生業としている人間は、どういうことだろって思ったりもする。 優れたAIでも自発的に考えるというのがまず無理だからな。
考えているように装うことはできるが、自発的に考える、つまり哲学するというのが数学脳では無理。 数式っていうのは答えがあらかじめ決まっているから、
そのパターンで動いているだけで考えてない。 >>791
あなたは、科学者ではないと推測される。 >>791
座学で終了した人間か、座学をやっている途中の人間 たとえば、1+1=2のような場合、
答えを出す時、思考はほとんど介在していない。
あるのは反射だけ。 論理学も数学化されてるからなあ。
今時アリストテレスで論理学を勉強する奴はいないし。 数式はどれだけ高度になっても慣れてしまえば
単なる反射となる。
これを考えてるとは言わない。 無限もパラドクスも、ほとんど数学のテーマと言っていいし。 >>795
そうでしょうね。
あなたとは考えが合わない。 どうでもいいけど「数式を解く」という言い回しは
いかにも受験数学しか知らない人の使いそうな表現だから避けた方がいいよ >>797
考えてるか考えてないかは問題ではない。
論点がずれてる。 哲学というのは1+1=2をいかに早く解くかという数学的馬鹿さではなくて
1+1=2とは何かという方向で思考するのが哲学。
数式はどれだけ高度でも慣れた公式の反射で成り立っているから別に思考している訳ではない。 >>803
それが、受験で終わってるといわれる所以 >>800
それ以前に数学コンプがどうとかいう言い方がそもそも受験っぽいけど 20世紀以降、論理学上の重要テーマって、ほとんど数学者か、数学者兼ねてる哲学者がかかわってるだろ。
一番、思考能力の高い連中だと思うけどなあ w 数学コンプがどうとか哲学板で言われても、
この難しい漢字が読めるか?と言ってるのと変わらん。
そんなもん両方、哲学の能力と関係ないし。
数学知らなくも哲学はできるし、漢字がどれだけ読めるかもあんま関係ないし。 哲学板の連中は胸筋を鍛えてるのか?とか言われても
哲学に関係ねーだろって思うのと一緒。
数学できなくても哲学の能力と関係ないし。 誤解してる人がいるけど、数学板はいま機能してないよ それ以前に論理学=哲学ではない。
そう思いたいんだろうが。 それ言ったら哲学板も波平ってキチガイのおかでで機能してないよ。 >>811
学問的な繋がりを意識してない時点で、幼稚。
というか若い。 >>803
受験数学や、大学教養課程の試験を突破するための数学を、数学と誤解していませんか? 数学を哲学と錯覚するのも結構だし、
胸筋のトレーニングが哲学だと錯覚するのも結構だけど、
基本的には無関係かな。 というか数学と哲学の密接な繋がりということがそもそも錯覚なんだよね >>813
思考能力はかるには、論理学は最適だけどね。
それと、古代、中世を通じて、論理学は哲学上の主要分野だったよ。 >>816
あなたもここが数学板だと誤解していませんか? 論理学を押すのは英米系だけなんだよね
哲学の分野だと あ、こりゃほんまもんの馬鹿だったか
783 : 考える名無しさん 2017/06/24(土) 23:38:20.93 0
それが数学脳では無理。
考えるという作業が数学脳ではできない。 なんでこのスレこんな伸びてんの?
哲厨はやっぱり数学コンプなのか >>822
恐ろしい無知だな。
古代アリストテレスから始まって、特に中世のスコラ哲学なんて、半分は論理学、残り半分が神学みたいなもんだよ w 馬鹿かどうかは哲学板が決める。
数学しか知らずに哲学を知らない素人で決められるもんではないわ。 >>826
それ自体が英米系特有の哲学史の解釈なんだよね >>788
大丈夫かなこの人
現代の物理学でも数学でも、自発的に考えることなしに発展することはあり得ないんだけど >>829
ジルソンも、そう言ってるけど、あの人は英米系ですか (大笑) ラッセルとかだったら>>826みたいな解釈をするんだろうな〜って感じ。
イギリス特有の見方だね。 >>830
物理板とか数学板でそういえば良いでしょ。 馬鹿かどうかは哲学板が決める。
そもそも、この板にある大半のスレタイの意味すらわからずに哲学について偉そうに語る奴が多すぎないか? エティエンヌ・ジルソンって、20世紀最大の中世哲学史家だろ。
また、マリタンとならんで、ネオ・トミズムの代表者。 ■とか意味不明なスレは波平ってキチガイが立ててるスレよ 数学を解明っていうか、そもそもジャンルが違うしな。
トロンボーンをバイオリンで解明したバイオリストっているの?って質問がいかに無意味か考えてごらんよ。 中世哲学の海外の研究者ってリーゼンフーバーしか思いつかない。
中世史のジャック・ル・ゴフくらいしかきいたことない。 数学だって哲学者にとってはりっぱな研究対象じゃないのか? たとえばこんな文章があるやん?↓
ところで、今回は、久々に現象学、それも、フッサールの観点から見た『存在と時間』の評価に
注目したいと思います。おすすめの論文は、フェレスダールの "Husserl and Heidegger on the
Role of Actions in the Constitution of the World" です。Essays in Honour of Jaakko
Hintikka の中に入っています。この本の冒頭にヒンティッカの写真が二枚ほどありますが、
なんかその辺のサラリーマンみたいです。あと、ドレイファスが『世界内存在』の中で、
フェレスダールの見解を批判していますが、これがどの程度妥当であるかも調べて見ましょう。
(フェレスダールはこの論文を草稿の段階でドレイファスに見せています。)
あと、Biemel の、"Husserls Encyclopaedia Britannica Artikel und Heideggers Anmerkungen
dazu" (Tijdschrift voor Philosophie, 12, 1950: 246-80) は基本文献なので読んでおいた方がいいです。
邦訳はあるのかどうか知りません。有名なものだから多分あるはず。
あと、俺の手元に今、何冊か最新の研究書があるが(例えば、Hopkins の Intentionality in
Husserl and Heidegger, 1993 とか)、これはこの板の住人にはちょっと荷が重いと思いますので
(この発言に対して「ふざけるな!」という猛者がいることをちょっと期待する)、上の
基本文献でやろうかな、と。 リーゼンフーバーなんて日本国内だけだよ、名前知られてるのは w
ジルソンと比べるなんて。
本当に信じられないレベル ww まず、フェレスダールって聞かねーしって思うわな。
それを当然のようにマイナーなのを持ってくる奴って結構いるからな。 > あと、Biemel の、"Husserls Encyclopaedia Britannica Artikel und Heideggers Anmerkungen
> dazu" (Tijdschrift voor Philosophie, 12, 1950: 246-80) は基本文献なので読んでおいた方がいいです。
> 邦訳はあるのかどうか知りません。有名なものだから多分あるはず。
もうね、この時点で詭弁なんだよね。
有名な奴なのに邦訳がねーのかよって話ね。
それってマイナーってことやん。 そりゃ、ニーチェをかたる時にペーターガストとかを挙げても良いのかもしれないけど、
マイナーな名前だし過ぎだろって思うわな。 >>848
ジルソンは、翻訳いくらでもあるぞ。
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3&rh=n%3A465392%2Ck%3A%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3
みすず書房や、筑摩から主要本出てるよ w フッサール語る時に、フッサールの叔父方の従妹の母型の姉妹の弟に
ジャンという若手研究者が現象学に必須の研究論文を去年学会に出しました、とかさ。
知るかって感じ。 >>850
ジルソンじゃなくて、Biemel の、"Husserls Encyclopaedia Britannica Artikel und Heideggers Anmerkungen
dazu" (Tijdschrift voor Philosophie, 12, 1950: 246-80) だってさ、
基本文献て言ってるけど知ってる?
知らんでしょ。 ジルソンって、欧米では超一流の学者しか講演できないギフォード講義の講師を務めた学者なんだけどなあ w
無知って恐ろしいね。 ちなみに、ジルソンの前年の講師はホワイトヘッド w ジルソン?聞いたことないな
ドレイファスなら聞いたことあるけど 1 :
女子高生です
2016/08/02(火) 08:08:50.52 0
高校生です。西洋の古代や中世の哲学、特に中世を勉強したいと思っているのですが、おすすめの大学や先生など、教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。 46 :
女子高生です
2016/08/02(火) 11:58:07.12 0
哲学界のアイドルになりたいのです。
頭のいい人達に囲まれて、チヤホヤされたいです。 案外、凜々花なんじゃない?
中世哲学のジルソンを読んであの会見 中世哲学といえばジルソンも訳している服部英次郎訳の『告白』が読みかけだわ。 アウグスティヌスの告白ね。
ジルソンって、そういう人が翻訳するくらいの大学者。 数学はもともと無理な低IQなスペックのオツム
ジルソンも知らない浅はかな哲学史の知識
今時、文系の哲学行くやつなんて、こんなレベルだよ。 ラッセル、ホワイトヘッドは言うまでもなく、フッサールも数学出身。
プラグマティズムと記号論の創始者として見直されているパースは数学者・論理学者といっていい。
日本でも田辺元は数学畑出身だし。
非常に密接なつながりあるね。
元をたどればプラトンまで行き着く。 デカルト、パスカル、ライプニッツなどは、数学者と哲学者を一身に兼ねていたような存在。
数学の能力がダメになったのはヘーゲルあたりから。 ヘーゲルの時代はほぼガウス、ガロアの時代に重なる。
現代数学への端緒が開かれた時代で、難解すぎてついて行けなくなった面もあるけれど。 カントはどうなんだろう。
ニュートンを意識していたような気はするが。 >>871
カントの形而上学がニュートン力学の基礎を与えるなどという妄想だ一部あるけど、カントでは数学の部分は充分に理解できなかったと思われる。
もっとも、アインシュタインの相対性理論がニュートン力学を包摂してしまったけど。 数学と哲学が密接に関連しているなんて
哲学習得する一番最初の時期に気付く事
だろ。それを分からずに直感的に理解し
ようとするのは凡人には無理。 俺はこのスレを立てたフッサール好きのスレ主なんだけど、
思想は有斐閣の政治思想史から入り、哲学は熊野純彦の西洋哲学史から入った。
哲学と数学というか理系の学問に密接な関係があると知ったのは教養の講義でフッサールを知ってからだった。 最初に買って読んだ哲学書はJ.S.ミルの『自由論』だった。 むしろ、こじつけようとしてる人は結構いるけどな。
数学を哲学と関連づけようというか、数学ができる自分に酔っているというか。 >>867
ウィトって、あのオナニーバカか。
そこまでアホとは思わなかったが。
まあ、発想が引きこもりのオナニストっぽいのは、以前から感じてたけど。 そもそも数学が哲学を凌駕してるなら
数学板の奴全員が哲学が得意ってことになるがそもそも古典読めないだろ。 数学と哲学は基本的には関係ないな。
英米系に特化したなら関係と言っても良いが、
それはフードファイトが料理と関係あるからスポーツと料理は不可分だ、と
言ってるくらい数学と哲学が関係しているという程度。 >そもそも数学が哲学を凌駕してるなら
あなたが何と闘っているつもりなのかよく分かるレスw 数学が哲学と関係あるというよりも、
哲学史の中から無理やり数学に関係ありそうなのを無理矢理引っ張ってきたら
>>869になるって感じ 多数いる哲学者から数学寄りを勝手に選んできて
さあ、数学と哲学は密接だぞ〜って言われてもな
おまえがそういうのを選んでんだろっていう >>882
何を今更
昨日はアスペアスペと見苦しく喚いてた人間ですよ プラトンの「メノン」も読んだことないのかな w
数学・幾何学の証明は、プラトンの「イデア」概念を支える重要な根拠でしょ。
そういう古典知識もないんだ w 「幾何学を知らざるもの、この門をたたくべからず」 プラトン w >>884
あなた昨日は哲学やるのに数学の素養は全く必要ないとまで言ってませんでしたっけ 政治哲学とか社会哲学を極めるにしても、
どこかで統計だとか確率だとかのような数学の分野が必要になってくるような気はする。 とはいえ、ロールズのトロッコ問題のように簡単に割り切れないような問題を、
数式でバッサリ切り捨てるわけにはいかないだろうな。 数学と哲学が関係あるっていうのは
哲学初心者がありがちな間違いのひとつ
音楽で言えばビジュアル系がガチと思ってる人レベル >>880
もしかして「哲学には数学が必要」と「数学があれば哲学には十分」を混同してませんか? >>890
この先、哲学で生き残れる分野があるとしたら、倫理学くらいだと思うよ。
もっとも、問題を提示するだけで、なにも「解決」はできない問題が多いだろうけどね。 倫理学も結局は哲学の力を借りないといけなくなるんじゃないかな。
文献学的な知識だとか、自ら問いを立てて根源的に考えてそれに対する答えを導き出すような純哲の方法とかを。 自分の方が解決の糸口を知っているという場合、
自分の方に文脈を引き寄せるためにレトリックを使うことも必要じゃないかな。
もちろん、解決といっても「最終解決」みたいな悲惨なものではどうしようもないけどさ。 今、岩崎武雄の『西洋哲学史』を読んでるんだけど、
巻末にエティエンヌ・ジルソンの『中世哲学史』が載ってたわ。
買おうかな。 技巧は凄いけど結局何を言ってるのかよくわからないよね 関係ないってw表面だけ見て本質を理解し
ていないからそういう事が平気で言える。
哲学のように抽象的に物事を理解しようと
する学問と進化生物学は似ている。あれこれ
考えを巡らしてみても様々な事象を関連
付けているだけでは真実は見えてこない。
それが理解出来ないなら哲学でもなんでもな
いヨーロッパの哲学史に詳しいだけのただの
哲学オタクになってしまう。 本質となると、
資本制は必ず社会の崩壊をもたらす。
社会の崩壊までに処方箋を考えておかないとダメ。
こんな感じかな。 資本主義の進行は必ず社会を壊す。
社会が壊れる前にありったけの知恵を絞って再生案を練っておかないときついだろうな。 数学推しが一人いるみたいだけど
そんなに推して何がしたいのか 数学に打ち込んでそれに対する思い入れが強いのか。
はたまたマウンティングのために数学を持ち出しているだけなのか。 何というか、
このスレに来て数学の優位を説く人は、
廃墟になりそうな数学板から亡命して来ているように感じる。 板違いなのに堂々と数学を宣伝できる神経が凄い
普通は迷惑行為だろ >数学の優位を説く
被害妄想でしょ
哲学に数学が必要という話がどうしてこうなった 被害妄想と攻撃性
そんなだから数学コンプと揶揄されてしまうのにね だから哲学に数学はいらねーって話してんだろ
やりたきゃ数学板でやれ 哲学と数学の蜜月があった時代から見ると、
今の時代はAIと学問の蜜月が訪れようとしているものなのかなとも思う。 >>913
数学はいらないから数学板でやれという人と数学と哲学の関係性を説く人をごっちゃにしていた。すまん。 まあ、事実上数学コンプとか上から目線で喋ってるけどな 数学の話はいらねーっつってんのに
数学コンプだの上から目線で数学優位を説いてるやん 数学と哲学。
どちらがより根源的に問題を掘り下げているか。 無駄と判断する時点では無駄かもしれないが、
いつか役に立たないわけでもないから、
考えを巡らしておくに越したことはないと思う。 うん。自然科学全般含めた理系の学問の代表選手として、
哲学と戯れあう数学スレはあってもいいと思う。 数学よりダイナミックなものはない
数学よりダイナミックなものはない
というのは哲学 哲学と数学を始めとする諸学問は、互いに補完する関係ですな。 数学をはじめとした諸学問がボケだとしたら、
哲学はそれらに対するツッコミを入れる立場だわな。 そして、そのボケとツッコミの妥当性を勘案するのが倫理学と言えるかもしれない。 はじめに言葉ありき。
言語ゲーム。
くだらなくない言葉遊びはシャレにならない結末を迎えそうでこわい 言語ゲーム w
あの、上のレスでオナニーバカって言われて人? 454 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/05/18(木) 22:55:45.56 0
「現代思想」はゲーデル特集だね。
数学を構文論(自然言語)の枠組みで説明しようとしたウィトゲンシュタインの考えを、ゲーデルが明確に否定した小論文が載ってる。
やっぱり、ゲーデルの方が圧倒的に頭いいね。
おれも断然そう思う w 煽りばかりだなこのスレは。
なんでこうなるんだろうか。
でも、たしかにウィトって過大評価されてると思うよ。
ミーハーが飛びつきあいやすいレベルなんだろう。
ラッセルなんかの方が、後世に残る業績ある。
でもゲーデルなんて本当に読んでるの?
名前だけ出てるけど、おそらくのスレの住人で、彼の論文に直接当たって理解できるのは少ないとと思うが。
そういうおれも、不完全性定理、何度もトライするけど、途中で止まってる。 青土社から出てる『ゲーデルの世界』を読んだくらいだな。 ウィトなら、論考も探求も、講義録も比較的読みやすいけど。
ゲーデルって、論文は超少ないかわりに、超高密度だし、数学の素養ないとまず無理だし。
よく、岩波で出したと思うわ ww 理系というかカテゴリは学問文系だからな
勝手にカテゴリーを変えるなよ 関係ないけど、岩波って、ボーアの論文集だしたり、ブロイの「物資と光」出したり。
哲学スレでも量子力学とかあるけど、「物資と光」って一般向け講義でいいよ。
数学でいうと、ポアンカレの一般教養人向け小論集も出てるし。
古本で買えるから読むといい。
日本って、恵まれてると思う。
amazonのおかげで絶版本でも簡単に手に入るようになったし。 wikiより。
不完全性定理は、ジョン・フォン・ノイマンなど当代一流の学者の激賞を受け、「人間の理性の限界を示した」とも評されている。
まるでカントに対する評価のようだな。 物理板でそれをやるならまだ分かるけどな
板違いであることすらわからんのか そもそも数学を理系といいっていいか w
理系の学問は大きく数学に依存してる。
だから数学は理系の学問だというのは、論理的に言っても、初歩的な誤り。
古くは、音楽とも関係あったし、プラトンは哲学を学ぶものの必修科目として幾何学を重視したし。
理系だと何より実証性が重視されるが、数学は実証性と無縁だし。
不思議系の学問だよ。 >>943
今どき、物理学や生物学無視して哲学やってるのなんか、日本くらいだぞ w >>944
おまえの頭の中での話を一般化するな
理工学部に哲学科が設立されてるならともかく一般的に哲学科は文系
2chカテゴリでもしっかり学問文系カテゴリに分類されておるわい おまえが思ったから理系、じゃあないんだよ
論理的な手続きくらい踏めよ
数学得意ならさ 理工学部の教授でも、郡司ペギ夫みたいな人もいるけどな。 というか文学部の哲学者って、なんか業績あるの。
文献紹介以外に w というか文学部の哲学科だろ、普通。
理工学部に哲学科が設立されたなんて聞いたことないわ。 既存のカテゴリーを疑うのが哲学だろう。
般的とか、2chとか。
まあ、ここは2chではあるが。 哲学が一般的に理系だと認識されているのだとするなら、
当然、理工学部等の理系学部に哲学科がある筈だがない。
ということは?
そう、青字の認識が世間からズレてるだけってこと。 カントだけどカント研究は、カントの可能性を細部において追っており素晴らしいと思う。
カントは大鉈を振るったと思うが未完で終わった。カントの業績の細部を論文としてやるのは素晴らしいと思う。
曖昧ですまんのだけど。 青字が言ってるのは哲学が理系だという認識が常識だって言ってる訳だろ。
全然常識じゃないじゃん。 大体、数学をやたらと推すのは英米系の一部だろ哲学でも。
音楽で言えばビジュアル系ぐらいの位置。 実際に数学を学ばないと数学の本質はわからないし
学んだからといって確実にわかるものでもないのだよ 常識論、慣習論でいくのか。
世間知、日常知は馬鹿にはできないが、
あえて哲学の隣接分野にも手をだす理性を持ってあえて賢かかるべきだという考え方もありだと思う。 カントは哲学は、物理学、倫理学、論理学の散文矢田と言ってる。
純粋理性批判は、熊野純彦は感性論にその真骨頂があると言ってるが、多少読んだが、超越論的論理学が多くの紙数を得てる。
勿論カントの哲学は、カントによる哲学ですらと言うべきだが、それで終わりではなく、しかしカントはそれを終わらせる事無く亡くなった。 勿論数学否定はしてない。
というか哲学において自然科学、更には論理学は重要だと思う。
それは当然として、そうでない哲学を非哲学とするのは請求過ぎないかと思う。 ○性急
数学、自然科学を学べというのは良い。そういう進めも良い。
良いけどもう少し議論できないのか。 生物学だと、里山、里海のあり方を知ったり
林業の様子を学んだりすることが、都市生活を省みることのきっかけにはなると思う。 数学に関しては応用数学もすごいが、規制の数学のアレンジで、純粋数学はすごい。 上のは良くある煽りばかり。煽りも良いんだけど、煽りで消されるものもあって、所謂文系の哲学なるものだが、
それを知らずもどかしい。 というか変わるするようだけど、文系の哲学なんて存在しないと思う。
各哲学者の研究は所謂文系の哲学とされるかもしれないが、最新の独自の研究であれば自然科学的な要素も取り込んでると思う。 言わずもがないう感じ。煽りとしては良いんだけど。
所謂文系の哲学を卑小に理解しすぎてしまうし。 哲学は理系と言われても。
哲学において自然科学は重要というのはそれはそうでしょう。
俺はもう半ば忘れたが、経済学で使う数学で不動点定理は分かり多少は参加してもいい。 科学は近代のパラダイムであって自然科学批判を哲学はするに決まってるし。
それは当たり前。 >>964
アメリカでは、進化論は哲学の主要テーマだよ。
人間も生物の一種だからね。 言語による哲学は、十九世紀のキルコゲ−ル位からハイデガーで頂点に達し、後は言語批判になってる気はする。 言語批判が自然科学に、更には数学的なのはそうだと思う。
結局は俺も同様に学べば良いと思うのだが、言語による哲学も否定は出来ない。それをしたら二十世紀以前の哲学の多くがダメになってしまう。
気はするではダメで荒らしてすまん俺は黙る。 >>973
言語にフォーカスあてるのは、アメリカあたりではもう廃っているけど。 どっちかというと、思考実験的なものと、形而上学が復権しつつある、あちらでは。 >>976
いや、どんどんしゃべってよ。
それが2chの(唯一と言っていい)良いところでしょ。 この議論では哲学史に言及すべきで、それには読んでは無いが俺はこう思う、そんな気がするでは何の意味も無い。
俗な感想しか言えず黙る。哲学は俗でないとも言えない。俺は黙る。 荒らしてすまん言及は出来なかった。
任せる。俺はクズで黙る。 >>979
勉強してる最中はキモくなる過程があるby千葉雅也 論理実証主義も百年前だが、「現代」の哲学は理系的な哲学なのだと思う。
現代は更に進む。文系哲学を批判する人は「現代」、現代の哲学を知ってそうしてるのだと思うが、
それも批判しないといけないと思う。 慎みを持とうぜ
ここは文系学問板の哲学板で
理系学問板でも数学板でもないぞ? 理系全般板見てもなんか学内行政の延長でおしゃべりが進んでる感じで、
向こうからこのスレにやってくる人がいても無理はない気がする。 学内行政でも良いんだけど、それで理系に関心が向くのは啓蒙として素晴らしいが、虚しい。 きんじょの高校生にかかわるな言われたけど↑のことなのか!? 総合科学とかデータサイエンスとか国際人間科学とか都市科学とか、
文理融合型の学部がどんどんできている現状は、哲学にとっても悪い状況ではないと思う。 ここは、哲板でも例外的にまともなスレだろう。
他のスレ名見たことあるのか ww 手段としての啓蒙じゃなく現代の哲学を知ってもいるのだろうし。
それを聞いても俺はどちらにもつけない。友敵理論はここでは要らない。
聞いても流すしか出来ずもどかしいが、俺は黙る。 法哲学、政治哲学、経済哲学ももっと盛んになっていいと思う。 数学の哲学や物理学の哲学や生物学の哲学はあるんだけど、
地学の哲学はなかったようだが、最近になって稲葉振一郎が宇宙倫理学を提唱している。
良い兆候だ。 >>994
まあ、なんでもありの板には見えるわなw すまん、哲学は理系でもあるというのはそうだと思うが、現代哲学を学んで教育的にそう言ってるのだと思うが、
それだけで流されるのはもどかしいが、俺は要らず黙る。 このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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