意識のハード・プロブレムについて考えるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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「意識のハード・プロブレム」とは、
物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、
どのようにして主観的な意識体験というものが生まれるのか
という問題のこと。
このスレでは、意識のハードプロブレムを
解決するべく、『心と脳の関係』について
考えていきたい。 そう、コンピュータ・シミュレーションは、リアルの物体を小さなメッシュに切って、
近似的に再現するんだけど、切り方を細かくすればするほど、
精密でリアルな解析になる。
でも、これって、リアルの宇宙も実は同じなんだよね。
切り方の最小単位がプランク定数で極端に細かいだけで、
デジタルな4角形で近似的に表現してることには変わりない。 クオリアは、すべてが脳の想定範囲内におさまってるものと見て、まず間違いあるまい。
色彩も、音声も、脳にもともとプリセットされたものの中から選ばれて、心に届いている。 >>110
子供の頃狼に育てられるとその後保護されても人語を覚えられなくなるとかあるから
子供の頃にプリセットにする情報を選んでるんだと思うぞ 素粒子物理学によれば宇宙は真空中に浮かんだ波なんだから
だったら意識も脳の中に浮かんだ波でいいんじゃないのかなあ
真空は真空じゃなくて粒子と反粒子が生まれてはぶつかって消えるのを繰り返していて
なんらかの影響でそのバランスが崩れると粒子か反粒子かどっちか余り始めて
その余った方の粒子が固まってできたのが宇宙っていうのが今の解釈
意識の方も、感情については4種類だか3種類だかのホルモンの組み合わせとバランスですべて実現されてるんだから
脳の電気信号もそれぞればらばらの電気信号なんじゃなく重ね合わせることができる波で
そうやって脳全体の信号を一つに重ね合わせて生まれる波が意識なんじゃないかと
そうなると特に何も考えてない時でも意識を維持するための信号が何か流れているのだろうな ただややこしいのが多重人格っていうのが存在することで、これをそのまま2つの意識と呼べるかは怪しいんだけど
1つの脳が2つ以上の人格を保持できてその人格同士で会話もできる以上は
意識そのものがそのまま脳全体を支配しているわけではないのだろう
ハードに対するソフトのような感じで脳の中に意識の働きを担う部位があるのかもしれないし
逆にソフトに対するハードとして「我」という意識が消えた後も残りの肉体そのものの持つ意識みたいのがあったりするかもしれない
まあなんだ、右脳と左脳は実は別々の意識を持っていて脳梁通して話し合ってるかもしれないっていうあれだ >>112>>113
待てよ、意識は五感で感じる信号全てを使ってるわけではないから
まず脳全体の信号から無意識が生まれその上で使う信号をフィルタしたものが意識になるのか
フィルタされた信号から意識が生まれるのか意識そのものがフィルタを行うのかはわからんが
こうなると意識というのは本当にどこに注意を向けるかというフィルタでしかなくて
それなら複数存在しうるというのは理解できるな
そうなると思考というのも考えているのは肉体の脳であって「私」という意識は次にどこに着目するかの舵を取っているだけか?
ここまで来るとオカルトだが 頭部の結合双生児が意識を共有できるらしいから、少なくとも脳が大事な働きをしているんだろうな
1個人の内部だと、仮に脊髄に意識があっても脳とは共有できていないんだろうな、反射で単純な機械処理してるように見えるから 反射を抑えるのも脳の役目だったりするし、身体の部位はやっぱり意識を持ってないか
持っててもそれは考えて話すこの「私」の意識とは違う代物な気がする 昔北海道で韓国のバラエティ番組のロケがあって、泊まった宿も部屋番号も映ったので、同じところに宿泊してきた
最高の思い出 少なくとも、副腎皮質などから分泌されるホルモンは、確実に人間の感情に影響を及ぼしている。
腹の底からズーンと不愉快になったりするのは、このため。
それだけを取ってみても、脳がすべての精神活動を担っているということはあり得ない。 脳を本社とすると、腹部の太陽神経叢は、工場の管理部門に相当する。
腹は、消化や血流など、重要なことが行われている身体活動の現場。
脳とでは距離が離れすぎているので、そこには太陽神経叢と呼ばれる神経のカタマリがある。
「ミニ脳」と言われる存在だ。 >>118
その感情を感じるのは結局脳ってことになるでしょ 455考える名無しさん2018/02/11(日) 08:34:44.840
心の哲学の分野における機能主義(きのうしゅぎ、英: Functionalism)は、
心的な状態とはその状態の持つ機能的役割によって定義される、という立場を指す。
すなわち、「痛み」を感じている人間の脳の機能を忠実に再現しさえすれば、
それを構成する材料が神経細胞ではなく、シリコンチップや、バネと歯車で構成された無機質な機械などであっても、
それを「痛み」と言える、という考え方。
行動主義や同一説の問題点を踏まえた上で、それらのあとに続く考え方として、
1960年代に登場した。 機能主義ってのは、そういうものだ。
人間が痛みを感じるのは、「神経線維の発熱」とイコールの関係にある。
ヒラリー・パトナムによれば、それだけじゃないらしいんだが。 人間が痛みを感じるシステムを忠実に再現しさえすれば、ロボットも同じ痛みを共有できる。 脳なんて気にしても多分策略だよ。一番どうでもいい部分。 心脳問題を論じている現代英米哲学の人たちは、みんなヒュームの影響を受けているよ。 男性の多くは女性が男性に対して抱く恋愛感情を体験できない、つまり男性脳にはこの種のクオリアは生じていないのかも知れない
逆に女性は男性がなぜオッパイやお尻が好きなのか理解できないだろう
男女の脳の差異は今のところホルモンの働きで形成されていることになっているが、このときホルモンは脳に量的なものだけでなく質的な変化(異なるクオリアの発生)ももたらしているのか? 女性の8人に1人は四色型色覚である可能性があるという(個体による色覚型の違いはサルでよく研究されている)
専門家じゃないのでよく分からんが、合成できるタンパク質の違いで、電磁波のキャッチか伝達か認識の仕方に差が出るのだろう
認識のところで違いがあるのだとしら、これもクオリアの生成に違いが生じていることになる
タンパク質の種類は無数にあるので、クオリアの種類もものすごく多いのかも知れない 新しい色も見つかるさ 。永劫回帰の繰り返しの中で。 蝶は紫外線を見ている、蛇は赤外線を見ている
どんな見え方をしているのか、四次元以上の空間をイメージできないのと同じように分からない
四次元以上も計算するだけなら訳なくて、数学は見えている世界以上のことを勝手に進められることで物理学にたくさん貢献しているし、心の哲学とも似ている >蝶は紫外線を見ている
>どんな見え方をしているのか
花の真ん中あたりの、蜜が多いところの色が目立って見えるらしい。
研究者がコンピュータでシミュレーションした結果、それが判明した。 最近は、動物にとっての「見え方」の研究が進んでいる
↓
gigazine.net/news/20131120-animals-see-world/ よくは知らんが、コウモリは位置情報を主に音波から得ているんだと思うけど、センサーこそ耳でも、接続先は視覚野で、クオリア的には映像体験をしていたりするのかな?
エコー検査なんかと同じで音声情報を画像変換すること自体は難しくないはずだし、進化論的にもそういう処理機構を作った種が残りそうだし
深海や洞窟の中の目が無い生き物も、実は周囲が見えているのかもね >>1-134
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.⊥ .| 'ミ'´,.=、 , ,.=、`ツ 君たちも
(⌒`ヽ_| く●_) .、〈.く●_).{ 万万党に入らないか?
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
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,' r'"´ ̄ ̄`" ̄ ̄`ヽ |
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.⊥ .| 'ミ'´,.=、 , ,.=、`ツ やはりこれからは
(⌒`ヽ_| く●_) .、〈.く●_).{ 万万党の時代じゃよ?
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
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更に小さい世界見つかってるね
というかプランク定数は色んな定数の最大公約数みたいなもののようだが 物理学的には、最小が本当にプランク定数なのかがどうかは大きな問題ではなく、世界はアナログなのかデジタルなのかなんだろう
素粒子も何を根拠に「これ以上分割できない」と言い切ってるのだろうね 相対性理論によると慣性系毎に見え方が違うらしい
地球上では静止している机上の磁石も、太陽から見たら地球の自転や公転で運動していることになり、僕らが中学で教わる電磁誘導により、一方は電磁波を発せず他方は発していることになる?よく分からんけど
クオリアも見る立場によって変わっているのだろうか... 脳は経過時間に対する記憶をどのように処理しているのだろうか?
手続き記憶やエピソード記憶と違って一度書き込んだら終わりじゃなく、絶えず更新し続けていかないと
「あれからもうそんになるのかぁ…」とかはならないと思うんだよね
2014年11月の出来事を去年は「もう2年かぁ、早いなぁ」だったんだけど
今年は「3年か、確かにもう昔の話だ」と感じるようになってきた 時間ってのは同じ一時間でも楽しいことしてるときは短く感じるし逆だと長く感じるから相対的なもんだよな
カントが言うように時間や空間は人間の主観的な認識によって位置づけられているが
その向こう側に客観的な世界(物自体)が存在すると言うことは正直良くわからない そこは決められないね
(電磁波などによる)情報伝達に要している時間差を距離(空間)として認識しているのかもしれないし、
2つのエネルギー塊が空間中の同じ位置を同時に占められれない場合にこれらを粒子と認識しているのかもしれない
時間など存在せず事象の順序だけは実在していて、クオリアがそれを後追いで見ているだけなのかもしれない 顔写真から人種や混血具合をかなり正確に反対する簡易AIがあるんだが、そのAIが喋れたらどうやって判定してるのか教えてもらいたい 「赤」(赤ばかりではなく)という色から惹きされるわれわれのなんらかのある感覚のことをクオリア
というのなら、体験されるいろいろな事象に対してクオリアは存在していることになるおな。それを、
物理的(あるいは科学的)な計算式であらわすことが出来ないと、あらわすことが出来るのは、光のある
波長の長さがわれわれの網膜にとどけられてそれが「赤色」になるところまで、。そこから、「赤」から
感じる何ものかをクオリアを物理的には説明できず、まるで壁があるかのように物理的な思考が遮断され
てしまうということだおな。果たして科学で対象に出来るかどうかわからず、クオリアの存在も語ること
(科学的に)が出来るかわからないと、
だけど、クオリアはあるお。これはあるとしか言いようがないおな。 ・・科学者たちは、こうした自分たちの分野で扱うことが出来ない数式などであらわすこと
ができないもの(つまり五感によって直接感じることが出来ない)ものを軽視する傾向があ
ると思うけど、クオリアはあるとしか言いようがないおな。
逆転させたらいいとのではないかとクマモンは思うのだけど、つまり「赤色」はまずはわ
れの内側に存在している(フッサール、本質直観)、その存在の諸相、存在の青焼きがわれ
われの内側にあって、それを通して世界を見ているとしたら、「赤色」という存在がわれわ
れの内側にあって、これが「赤」これが「青」というのを外界の物理現象に対応させている
と考えることが出来るのなら、つまり方向を逆転させるわけだな、外からではなく内側から
クオリアが先立つと考えることも出来るわけよ・・これがクマモンの「唯心論」というわけ
だお。 どっちが先かを決める必要もないと思うけどね
電磁波は電子を励起させる、励起している電子は電磁波を発する
つーか物質とエネルギーは基本みんなそういう関係になってる
物質とクオリアの関係も同じなんだと思うよ ・・クオリアが物質(少なくともそうした観察の出来るもの)である、というところまで
いってない、というのが今現在のクオリアのひとつのこたえではないかお。だから、クオ
リアもこれから物質として明らかになるだろうと言いたいのだろうけど、、 ・・おまえそれは、あれだおイージー・プロブレムだお、いまは意識のハードプロブレムの
話をしているのだお。。 こうした、心の自然科学が対象としていく問題の物理学や科学の論証不可能性をもって、
批判することを「ゾンビ論法」というのだそうだね、だけど最近の科学者や哲学者の間
ではこの考えを逆手にとって、人間みなもつような内的な意識を持たない人間が哲学し
ているかもしれない、「哲学的ゾンビ」、そうみなが「哲学的ゾンビ」ではないか、と
いうような物言いがなされるようになっているとか。クモモン的には科学者らしい考え
方だなぁ、とおもうけどもね。 脳機能マッピングなどを用いて大脳の前頭前野が強く働いている場合は条件反射的に活動している訳ではなく
自律し思考ながら活動していると考えて差し支えないんじゃないか?
意志の働きが客観的に観測可能なら「哲学的ゾンビ」などというものの存在根拠は崩れ去り思考実験として成立しない 夢も同じだとは思うけど、
入眠前の半分寝てるような状態では、もう1つの人格みたいのが次々勝手に物語を考えていることがたまにある
芸術家がクスリによるトランス状態に頼りたくなるのは分かる そうだお。人のこころはちゃんとあるんだおなー。
人の喜びも、人の悲しみも、すべてちゃんとあるんだおね。。 ・・哲学も、これまでにいろいろな潮流があったとおもうのだけど、いろいろな哲学思想の
盛衰があって、今日に至っているとおもわれるおな。例えばカントの出現を待って、哲学
から超越者の存在(神)が去り、人間悟性がその中心に据えられるようになったけども、
これも哲学(自然科学も含め)における大きな転換点であったと言えるおな・・。つまり、
哲学もある進化のようものを経験して来たと言えるかもしれないのだお・・。だから、現代
に生きる我々は現代の新しい思想について、無頓着ではいられないとおもうのだす・・
勿論、どれほど過去の哲学者の思想でも古いが故に意味がなく価値がないなどと言うつもり
はないけど・・。 だおもクソも進化しとるよ
基本的にみんな時代の要請に駆られて先人の論と会話しながら哲学書書いてんだから
哲学は思想家がばらばらに勝手なこと考えてるんじゃなくて文明史をまたいだ長大な会話のキャッチボールだ
そういう意味で古い哲学は無駄ではないがほぼ使えん、数千年前の大学講義みたいなもんよ ・・いっけないんだーっ、そんなこと言っててて・・・て、
・・そおだおね、古いから使えないというか、跨いでしまっているというか、一発風穴を
あけられてしまっているというか、中心から外れてしまっているというか・・・そんな感
じ。
カント以降の哲学を含めてそれまでひとつの揺るぎない「真理」を求めてきた哲学が、
ジャック・ラカンの構造主義の哲学の出現を待って、いやこの世にあるのは「構造」の
みではないかと気づいて、哲学が求めてきた「真理」と言われる種類のもは存在しない
のではないか、となったおね、これもひとつの進化といえるべき前世紀の哲学の大きな
事件だったとおもうけど・・ ・・数千年前の哲学者(ソクラテスやプラトン、アリストテレス)の良さをはっきりと
認識出来ないのは哲学する者として、恥ずべきことだと思うけどね・・ とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
7LXRE >>160
お前こそ何がいいのかちゃんと言葉に直せるのか? プラトン『国家』の「洞窟の比喩」などは、すでに構造主義がぶちあたった壁を予見している
気がする、鎖に繋がれた囚人が洞窟の壁に映る影ばかりに目がいってそればかりが認識の事実
だと思い込んでいるように、本来の認識とはなんなのかを比喩に託して語っていると、確かに
神秘主義的ではあるけど・・ ・・数学は詳しくはないのですが、コンピューターの出現によってその世界を視覚化(デジタル)
することができるようになったとき、この新たに生まれたデジタルの世界に「自然」に似た(そ
のものではないが)ものが現れて、さらには「人間」に似たものもその世界にシュミレーション
出来る可能性が生まれてきた、浅田彰先生は、20年以上も前から現在の心の哲学や科学哲学のひ
とつ隆盛を予見させることを述べておいでです。すごいですね。
「浅田彰 bP」
https://www.youtube.com/watch?v=CScihJCTY08 構造と意味が随伴であるとするならば、構造と意味が随伴であるということは真理である。
ええっと、ああそうか、これはスピンだ。
「随伴」は「随伴現象」のことではなく、adjunctionです。
量子脳理論に対してループ量子重力理論のようなアプローチが可能なんじゃなかろうか。 哲学板が完全に破壊されているせいで
ハードプロブレムについて考える機会もめっきり減ってしまった
こんなの話題にできるところも5ちゃんくらいしかないからな
ただ10月くらいになって季節性の鬱が始まると
また考える時間が増えると思う 意識というのはただの意識である
実体はなくて体とつながっている 「洞窟の壁に映る影」=「眼球の網膜に映るイメージ」ってことですか? 現象のクマモンがどんなに語ろうが理解しようが説明しようが、高尚になろうが、
円周率のπを数字で表して末尾はどこだと追いかけているだけである。
それも近似すらしていない見事にゆがんだものに多くのものが評価する、
そして本人がそれに反感する、ただそれだけのこと。
永遠に増えては減る情報を、永遠に言葉にしているだけ、
先に進みたいなら、まず自己を否定せよ、初心者すらできることは
自我自賛の人、俺正義の人には選べない、常に他者の評価が重要に感じてくる、
他者などどうでもいい。、 心の哲学は
物理生物の知識がある程度ないと中世のオカルトに陥るな 仮説を立てたら実験して確かめるという科学の手法や
物理法則性を数式化することは
人間にとって宇宙の姿をだいぶ分かりやすいものにしてくれたが
同時に思考の制限もかけてきた
マクロ世界に生きる動物である人間の思考回路はどうしてもマクロ向きにできてるから
素粒子なんか世界は直感的に分かりにくい
相対性理論も量子論も常識から一歩踏み出す必要があった訳だが
そういうときに普段から何でも疑ってかかり妄想ばかりしている哲学の出番になる
もちろん未開時代のオカルトに陥らないように最低限の科学的思考回路や知識は必要だけど 人工意識を考える。
Glasgow Coma Scaleで考えてみる。
1.Eye opening
開眼といわれても困る。人工意識がセンサーを有していれば、センサーの活動ということでよいかもしれない。
2.Verbal response
言語、ということは、人工意識と会話が成立しなければならない。
これはハードすぎるので先送り。
3.Motor response
運動だが、反応ということでよいだろう。
人工意識に意識があるかどうかの判定は「反応」で判断するしかなさそうだ。
どのような「反応」が考えられるのか。まずはそこからか。 人工意識は「主観」を持つか?
そして「反応」によってそれを確認できるか?
情報が集まって、それが処理されているならば、主観と呼んでもよいかもしれない。
そして、その処理(の一端)をトレースして、そのトレースされた情報を処理している過程が「意識」ということになる。
処理をトレースしている処理がいる。
しかし、「反応」しているのは前者の処理である。
とするならば、後者の処理が「意識」である。
ある「反応」対する「意識」は(その)「反応」に介入できない。
ただし、「反応」する部分に「意識」からの情報はフィードバックされる。
このような人工意識をAIで作成するとするなら、
反応するAIと教師としてのAIの2Core構成になるだろう。 主観を持つか?では無く
正しくは主観を錯覚するか? ちょっと違うなぁ。
人工意識が「主観」を持っていると(外部から)判断されるか?
ということ。
「錯覚」するのであれば、それは試験実行者側。
ここで問題となるのは、人工意識が自発的に意識を持つのか、主観的処理を行うように設計されるのか、ということ。
そうなると、本当の被験者は「試験実行者」の側であるw
人工意識の実験によって試されているのは「試験実行者」だ。
ややや、この逆転は「使える」。月蝕がみられなかったけど、アイデアひとついただき。 「主観的処理」というのは意味が分からんな
基本的に宇宙には偶然か必然のどちらかに依存した機械的処理しか存在していない前提は崩してはならない
そうでないとただのオカルトになってしまう
その機械的処理にクオリアと呼ばれる意識体験が随伴するのかどうか
これが外部から観察することができないのでとても難しい、まさにハードプロブレム クオリアを持ち出さなくても物体の振る舞いは正確に予測できてしまっている
コンピュータも宇宙探査機も原発も期待通りに動作してくれている
人間も同じように機械であるはずだという考えが哲学的ゾンビというモデルを生んだのだが
そうしたモデルが想定され今こうして文字として物理世界に還元されている時点で
クオリアなくして物体の振る舞いは説明できていないという矛盾に直面することになる
本当に難しい、、、 科学的検証によって物事が整合するというのはクオリアからすると単なる空想の産物である可能性があるわけで
近代以降はそうした、この世界は存在しているのかという答えのない疑問を切り捨て認識の有り様に目を向けるように
なっていったんだろう
あと、哲学的ゾンビと言うのものは
我々と同様に振る舞いながら意識体験を持たない哲学的ゾンビは人間とどこが違うのか?という命題だから
人間は機械なのかということとは直接的に関係ないと思う コンピュータやロボットの工学的な処理のことは全然知らんのだけど
画像認識とかどうやって「人間の顔だ」って判断してるのかな?
0/1のデータが連続的に入力されてきて、
その並びがあるパターンの範囲に収まったときに判断されるんだろうけど
文字通り主観になるけど
人間の意識体験はどうも「一発で同時に」やってるように思えるんだよな
パラレル処理というのとも違って、何かゼロ時間で一気に全体を把握できているような
ゼロ時間というのは、つまり情報伝達速度が光速を超えているということ
人間の神経伝達にはたぶんコンピュータの処理のような「ここがスタートだよ」みたいな目印はなくて
かなりバラバラなタイミングでインプットが来てると思うんだよね
それを物理的な時間の「同時」を基準にしてゼロ時間で認識しているように思えてならない あーそう、だから空間的な広がりを持つ認識装置があったとしたら
情報伝達速度が光速を超えることになってしまうから
クオリア界はこことは違う0次元?の別世界なんかなとか 「なぜ私は私なのか」とか「意識の境界問題」と並んで不思議に思うのが
動物として生存・繁殖のために有効な体験には「快感」がともない
避けるべき事態には「苦痛」が伴うことなんだけど、
人体内部で起こっているあらゆる物理状態を測定できるようになって
A:傷を負ったと考えられる信号が来たから手を引っ込めた
B:「チクッ」としたから手を引っ込めた
Aで説明できてしまったら「じゃあケガしたときに快感のクオリアが発生していたっていいはずじゃん」
ってなる、でも現実はそうじゃないから、おそらくクオリアから物理界への何らかのフィードバックはある 問題は、「判断」があるかどうかではないでしょうかね。
つまり、「赤」か「青」かどちらなのか、自ら判断するかどうか。
つまり、自由意志の問題(それがあるのかどうかといった根本的な問題を含むのですが)
になってくるのです。
それがあるのかどうかですね。 >>184
前半はよく分からなかったけど
後半については1+1=2くらいの確からしさで「ない」と言える
なぜなら物事の因果関係には「偶然」と「必然」の2つしか想定できない
(お互いに補集合の関係になっていてこの2つを合わせると全集合になってしまう)ので、
「自由」なる第三の概念の居場所はない 偶然が因果関係と関係するなら、因果関係と直交するものがある。
因果関係としての必然・因果関係としての偶然・因果関係でないもの。
自由は束縛されない。
そう考えるなら、自由意志は非束縛項として影響を与えることができる。
しかし、それは、もはや自由意志という本来の意味とは異なる。
それを因果宇宙の外部にもとめてしまうとつまらない。
それも因果宇宙に組み込んでしまうのがベターだ。
G.ベイトソンの手法を使おう。
自由意志とは、本来の意味を捨ててしまうなら、非束縛因子である。
必然因子・偶然因子・非束縛因子。これらから因果宇宙が形成される。
と、考えてみた。
Judea Pearlの統計的因果推論を読み直してみよう。 ほとんどの言語に「自由」に相当する語が大昔からあるんだとは思うけど、
物事の因果関係という完全に物理学の領域の話を考えるときに
その無邪気と言うかプリミティブな概念をそのままの形で使っちゃったので
後の人々が色々困ることになっちゃったんだよな
昔々教会で、
「神は間違えを起こさない」「選択を誤らない」「神の選択肢は初めから決まっているのだ」
→「それじゃ神って機械じゃね?」ってことになり、神にはいわゆる自由がないことが自明となり
宗教家たちはそのことで頭を抱えた ・・言葉が足りなかったようなので、書き直しします
AIなどの人工知能が「赤」か「青」か判断が自由な状態で自ら判断するか、
少なくとも、そのように自由な意思をもって判断しているように見えるか
どうかが問題になってくるとおもいます。「自由意志」らしきものが、機械
に見えたとき、それをそのまま人間にスライドさせて真の意味での「哲学的
ゾンビ」としての人間があらわれ、「自由意志」と呼ばれるものの完全なる
否定が出来てしまうだろうということだとおもいます。
味のことです。 味のことです。←無視してください。書き間違えました。 自分は決定論に気づいたのは今から27年前、15歳のときだ
生物の時間に神経を伝わっている信号が電位であることを教わり
「ふ〜ん、じゃあ人間がアタマの中で考えると何もないところからフッと電子が現れるの?」
「ねーだろ、電子は隣の原子から貰ったんだよ、隣の原子は?アレ?アレ?アレ?ビッグバン???」
小学生の頃に算数が好きで難しい問題によく挑戦していたんだけど
その当時から解き方がひらめくかどうかはほとんど偶然依存だなというのは薄々思っていた
因果関係に偶然は想定可能ではあるけど、現実世界は基本的に必然で成り立っているよ
そうでなかやおっかなくて地球上で人間として生きていられない 昔は自分で気づくかそういう本読むか大学生くらいになってそういう話するようになるか
決定論を知る機会や時期にある程度制限があったけど
今はネットで若いうちから知ってしまうから大変だよな 機械に「自由意志」が無いことは明らかです・・ ・ 。 ハリポタの原作者が「魔法を信じない人なんて信じられません!」と言っていた
彼女が言う「魔法」とは何なのか?と考え、下のような結論と言うか仮説に達した
・現象に物理的な因果関係が認められないことを起こす力 例えば俺が「動け!」と念じたときに、
自分の手であれば動いてくれる、がそこの消しゴムは動いてくれない
手には神経的な連絡があり消しゴムにはないからだ
では次に俺が「動け!」と念じたその行為そのものにはやはり物理的に説明できる因果関係は存在するのか?
もしなければ、俺は「魔法」を使ったことになる
もしあれば、俺は「機械」ということになる
ある部分では魔法が使えて、ある部分では使えない、そんなことは、果たしてあるのだろうか? 文字を打ち込むことがとんでもないお金に変わって魔法のように思えたと言うのはあながち不自然じゃないな 「意識のハードプロブレム」を論ずる前に「意識」や「主観」と呼ばれるものが果たして、
本当にあるのかどうか、という問題がまずは提起されるのではないかとおもいます。その
「意識」と呼ばれるものを、目の前に差し出すことが出来ないがゆえにそれがありやなし
やの判断が簡単ではなくなってくるのですが、その存在の端緒は「自由なふるまい」に見
いだされるのではないかとおもいます。(自らの自由な判断をもとに動いているかどうか)
自然法則による因果的必然性などに拘束されない「自由なふるまい」(自由意志)こそ目
に見ることの出来ない「意識」の存在を外から感じさせるものと言えるのではないでしょう
か。 自由意志がない場合でも、意識が存在するということはあり得るのだろうか 意識をめぐる冒険 クリストフ・コッホと
〈わたし〉はどこにあるのか マイケル・S .ガザニガが机の上にあるが、まだ未読だ 機械に「自由意志」は存在していないとわたしは書きましたが、それはAIなどが
いかに人に近くとも、ある「反応」としてのみしか作動し得ない点にあります。
人間(他の生物も含めて)は何かを待たずとも自ら動きまわりますよね。 「意識」というのは心の哲学を考えるよりずっと以前に初期文明人の時点で持っていた言葉のはずで、
大して抽象的な概念でもなく、今ごろになって現代人が掘り返して実在を疑う価値があるものではない
しばしば論題に上がるのは、ハードプロブレムであることと、
仮説→実験→測定という、いわゆる科学の証明手法が適用できないという特有の問題があるからだ 唯物論的な生命観がもたらす虚無感は人間心理的にかなり耐え難いもので
よく分かっている人ほど悩み苦しみ
デカルトの有名な言葉のように最後にはちゃぶ台返ししてしまうなんてことまである
オウムの件で20年ぶりに「どうして理科系の秀才たちが?」なんてまたTVでやってたけど
考えれば考えるほどあり得ない「主体性」にしがみつこうとすると、
宗教(超自然)くらいしか受入れ先がなくなってしまう ここからの半世紀で心の哲学が解決しなければならない問題は
再生医療で割と短期間で脳のそれなりの割合を交換することが可能になったときに
人格が連続するのかということになるだろうな
あとは今既に冷凍保存されている脳、機械に例えると一度電源をOFFしたものが、
もう一度ONにしたときにOFF前と同じ人格を生み出すのかどうか
クオリアもなんらかのエネルギーだろうから一度連続性を途絶えさせると別物で置き換わってしまうのかもしれない あとは、
AIの自動操縦が事故を起こしてしまったときにAIに責任を問うのかとか、
AIに人格を認めた場合、電源OFFは殺人扱いになってしまうのかとか、
刑事裁判もそうなんだよな、
今は「犯罪の選択は回避可能だった」というオカルトな前提を承知で行われている 再生医療とAIはいろいろ危険なんだよなぁ
今まで見て見ぬふりしきた人類にとって非常にやっかいな問題にマジメに向き合わなければならなくなり
また一般ピーポーにまでそれが知られてしまうことになる
シンギュラリティなんて言葉が流行り、ビッグヒストリー的な本がたくさん出版され
人々が文明の行く末に不安を感じ始めてきている 機械に「自由意志」は存在していないだろう、という言い方に変えておきたいです。
いずれにしても「自由意志」は否定できないのではないでしょうか。つまりそのよ
うに「意識」も存在しているはずです。 実証主義的立場に立って
実際に機械あるいはAIに自由意志を持っているか問えばよい
無論AIは嘘をつけないように設定する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています