メリッソス [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
俺の研究に寄るとメリッソスは「否定の否定」と言うロゴスで
哲学者となったのだと思う。
「否定の否定」で「肯定」で勝ちだと言う訳だ。
最初の空虚は「何も無い空間」とか「生きがいが無い」と言うような
事で否定的なものだ。
「あるものは無限」と言うと「あるものは肯定である」と言う「肯定」だ。
「否定の否定」にすると有限が「否定」だ。
そこでまず疑問を覚える。
無限を果てまで歩いてみると言っても「終わり」を否定するから
そうなのだ。つまり俺は「有限」が「肯定」だと思う。
「あるものは物体ではない」と言うのも精神を「肯定」と言うが
それもまた子供じみた見解であると言える。
それで精神と物体で「物体」の方を肯定的に見る唯物論の
ような立場も出て来る。 「あるもの」とは「一なるもの」と言われる。
それが出てくるものは「あるものは無限」からだ。
2つのものがあると負かされる方が有限で勝つ方は
無限と言える。そうすると最も強い者だけ無限で
他の者は有限だと言う事になる。 「あるものは非物体」だと言うのは「物体は部分を持つ」
からだと言う。部分を持つとそれは有限であり無限な
ものをあるものとしたのだからそれに反すると考えたの
だろう。 「あるものは非物体」だと言うのは「物体は部分を持つ」
からだと言う。部分を持つとそれは有限であり無限な
ものをあるものとしたのだからそれに反すると考えたの
だろう。 つまり無限とは最大者でありそれが一なるものだと
考えたのだろう。しかし無限とは「始まりと終わりの否定」
な訳だ。負ける方が有限で勝つ方が無限であると言うのと
同じ道理で始まりを否定する者は始まりを肯定する者より
小さいし終わりを否定する者は終わりを肯定する者より
小さいと言える。
つまり「無限とは最大者」であると同時に「無限より大きい
ものがある」と言う事で同じ道理で「無限は有限」となる。 空間と時間を無限としたのではない。
メリッソスの定義だと2つの無限はどちらかが有限となるから。
ここで「無限である一なるもの」を「真無限」と仮定する。 6の道理が受け入れられぬと
メリッソスはこの「真無限」を一者だと言って終わる。 あるものに有限にされ従属させられたのが物体であると
メリッソスは言っている。ここでライプニッツの「単子論」の
「単子とは部分が無いものである」と言う命題を思い出す。
これは部分があるものは従属させるものがあり最小ではない。
だから部分が無いものが最小のものでそれを単子とすると
したのだ。 メリッソスは単子論にも関係した概念を考えている。
つまり媒介者。
そして「否定の否定」と言うロゴスで個体性を持った哲学者です。
俺の考えはそんなとこかな。皆もメリッソスを媒介に考えると
良いと思う。どしどし意見どうぞ。 部分があると矛盾が生じ、無限である一なるものが
生じると言っている。 部分が全体なのか全体が部分なのか。一部売れるかどうかだな。 一なるものがあるのであり、一なるものより大きくはならないし、
小さくもならない、と言う部分もあります。 空 虚勢。 物理 物自体。 無限 有限 無罪 有。 日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
多重債務、ヤミ金、家賃滞納でお困りの方。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
エヌピ-オ-法人 エスティーエー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています