存在論 [無断転載禁止]©2ch.net
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慣性系というモノが敷衍的にある気がするけど、僕たちは重力を背負っているけど、
背負えば背負うほど、慣性系の世界の到来によって身体が自由だろう。
モナドを考えてみてもモナドじゃないモノの構造があるんだから、モナドは侵食
し過ぎていると思われる。 思弁的実在論など、老荘思想よりも劣る。
タオイズムではなく純道家の思想。 まあ21世紀にはあたらしい哲学はあらわれていない、 哲学者の文章は読むに堪えない。
科学者の文章もしかり。 は! モナドはパイプラインか。
「つながる」ということはどういうことかと考えていたが、
モナドを「単子」というより、「接続の単位」と考えた方がよさそうだ。
でもって、これを逆転させる。
究極のモナドは「ひとつ」である。これを実モナドとすれば、モナドと呼ばれていたものは虚モナドだ。
「接続」などしていない。「ねじれた」だけだ。
この「ねじれ」が対象や空間や時間をつくりだす(そのようにみえる)。
みえるということもねじれであるw
はたして、この考えで「哲学」を終焉させることはできるのであろうか。
終焉といっても終わらせるという意味ではない。
関係としての哲学から ねじれとしての哲学への転換。 レヴィナス以降意味をなさない存在論。
もはや科学哲学、生物学哲学、脳科学哲学、詩文哲学など、細分化されつづけるのみ。 存在とは何か、ではなくて、なぜ存在なのか、それだけが重要だ。
WHATならば、科学でもなんでも定義できる。 マルクス・ガブリエルの新実在論のどこが新なのか。
オンラインゲームに興じることに違和感のない世代からすれば、あたりまえのことを言っているに過ぎない。
西洋哲学、大陸哲学の脆弱性はもはや同情の余地すらない。 虚構は存在する。
そんなことは四歳児にだって認識できる。
認識がなくとも虚構は存在する。 存在するかどうかはそいつの理論の束縛変項に何を置くかによって決まるよ 存在?二つの異質な属性によって、左伝であることだろう。 ハイデガーは過大評価
ドイツに甘すぎるのが西洋。
そしてこれからは東洋の時代。 存在とは意識の流れ、そうベルグソンはおっしゃっておられる おまえの子房は果実として認めん
おまえの子房は種なし
おまえの子房は発達しない
おまえには果実がない ガブリエルの新実在論
どこが「新」なのかさっぱりわからん
やっぱ大陸系はだめだね ドイツ人の文章のへたくそさは、尋常ではない。とくにカント、ヘーゲルは悪文。
フランスだと、サルトルのへったくそなテキトー雑文もくそだが、ラカンのような詩にこだわりすぎて、オナニー文になってしまう馬鹿もいたり。
なによりレヴィナスってのは、自動書記なんじゃないのかな。
推敲しろよ、と。もちろん西田幾多郎もだが、推敲しろカスってかんじ?
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/彡ン´ ',ミミ
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/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ 理解力どころか、読者を意識してない屑どもの論文は、まず売れない。
文学者はその点、文章がうまい。
シオランだろうと、ヴェイユだろうとお話にならない。
まあ哲学者で文章のうまいやつはいないってことだ。
むずかしいことを難しく言うだけなら、馬鹿でもできるということ。
ひろまつなんちゃらみたいなのが、馬鹿の象徴的事象。 元来、論文ってのは主に専門家に向けて書かれるもんだから
無学で理解力のないタコに合わせて書く筋合いのもんじゃないだろ "Have you lost your mind?"
「お前は心を失ったのか?」
失ったのが正気なら、それを取り戻すことはできるかもしれないが、
心を失ったのなら、これからはサイコパスとして生きていくしかないでしょう。 レビナスの捕虜体験はペースが速い疲労とか、参考になった。 徹夜で作業すると平衡感覚が失われる
平衡感覚の機能を犠牲にして脳を目覚めた状態に保っている
目覚めていることと平衡感覚が徐々に失われることがトレードオフ関係にあるわけだ
眠ることで平衡感覚が回復する
眠ることによって整理される雑多な情報の過剰な蓄積が、
目覚めていることによって雑多なままに放置されることで
「目舞(めま)ひ」を生じさせる 常に目覚めているとしたら世界から秩序は失われ
目舞ひしか残らないだろう
ビジネスが覚醒であるとしたなら、人文学は眠りである 哲学は文学の一分野にすぎぬ。
科学も哲学もおなじく文学の奴僕 哲学は文学の一分野にすぎぬ。
科学も哲学もおなじく文学の奴僕 そら、文科省の馬鹿官僚ですら、そういう認識だからなあ。
文学の汎用性やエンタメの有用性には、哲学は勝てませんよ。
まず売れないし、内輪にしか通用しないし。
それは科学や宗教もそうだが。
文学のすごいところは、芸術でもあるところだ。 ぶんげい
【文芸】
1.
言語によって表現される芸術。 「―作品」
2.
学問と芸術。芸文。 「―復興」
哲学は芸術になりえないし金にもならない。
ただの論文。 詩が一番偉くて、哲学は詩がパフォーマティブに暗に示したことをロゴスで説明する仲介者にすぎん
なお哲学研究者は哲学者ではない
日本の哲学研究者は、外国の著名な哲学研究者の論文を翻訳して、それを元ネタにして、自分の専門とする哲学者についての論文を書いてる人
ちょっと高度な写経や習字の練習にすぎない
日本で面白い人は、哲学科ではなく、ちょっと別の分野に属しながら哲学書も読める人 ディヴィッド・アッテンボロー
「トラは地球最強の肉食獣で脅かす者が誰も存在しない全ての野生動物の頂点」
ジョージ.B.シャラー
「トラはヒグマを捕食する。ネコ科は自重の3倍の動物も容易に仕留める。」
http://www.root-pictures.com/tigar/t_seisaku.html
メドビエデフ「アムールトラは野生動物の頂点に立つ。密林の王者だ」
New Jersey City University
「虎は全ての動物の中で最も強い。闘技場で武装した数頭の象と闘わせたりもした。」
http://faculty.njcu.edu/fmoran/vol5tiger.htm#note153
アルセーニェフ『アンバ(虎)』
「我が国では、この虎に勝る獣はいない。虎が餌を探す所では熊も競わない。熊はいつも自分の縄張りを虎に譲る」
http://big_game.at.infoseek.co.jp/combat/combat1.html
トラとヒグマが戦った例がある。
丘を転げ落ちつつ両者は咬み合い、草叢とブッシュを踏みしだきながら、200〜300mをくんずほぐれつ、転げ回ったが、遂にトラはヒグマを殺した。
しかしトラもかなり傷ついたらしく、抜け毛の塊がそこここに撒き散らされていた。
プルツェワルスキーがハンターから聞いた話である(小原秀雄、1970)。
同プロジェクトでは大きなヒグマがトラの獲物を奪うことが何度も観察されている。
しかしクマは逆に餌食とされてしまうのを避けるため、主に雌のトラを相手に選んでいるようだという点で関係者の意見は一致している。 「わぶ」≒"diminish oneself"である。
学研全訳古語辞典
わ・ぶ 【侘ぶ】
[一]自動詞バ行上二段活用
{語幹〈わ〉}
@気落ちする。悲観する。嘆く。悩む。
出典伊勢物語 九
「限りなく遠くも来にけるものかなと、わびあへるに」
[訳] この上もなく遠くまでもまあ来てしまったものだなあと、互いに嘆き合っていると。
A困る。困惑する。当惑する。
出典源氏物語 花宴
「いといたう強(し)ひられて、わびにて侍(はべ)り」
[訳] まったくたいそう(酒を)無理強いされて、困っております。
Bつらく思う。せつなく思う。寂しく思う。
出典古今集 雑下
「わくらばに問ふ人あらば須磨(すま)の浦に藻塩(もしほ)たれつつわぶと答へよ」
[訳] たまたまに(私のことを)尋ねる人があったなら、須磨の浦で藻塩草に潮水をかけながら(涙を流して)せつなく思っていると答えてください。
C落ちぶれる。貧乏になる。まずしくなる。
出典古今集 仮名序
「あるは、昨日は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび」
[訳] ある場合には、昨日(まで)は栄えて思い上がっていたのに、(今日は)時の流れに合わないで勢力がなくなり、世間で落ちぶれて。
Dわびる。謝る。
出典宇治拾遺 一一・三
「『ただ許し給(たま)はらむ』とわびければ」
[訳] 「ともかく許しをいただきたい」と謝ったので。◇「詫ぶ」とも書く。 E静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。
出典松風 謡曲
「ことさらこの須磨の浦に心あらん人は、わざともわびてこそ住むべけれ」
[訳] 特にこの須磨の海岸では、情趣のわかる人は、わざとでもわび住まいをして住みつくであろう。
[二]補助動詞バ行上二段活用
活用{び/び/ぶ/ぶる/ぶれ/びよ}
〔動詞の連用形に付いて〕…しづらくなる。…しかねる。…しきれない。
出典伊勢物語 七
「京にありわびて東(あづま)に行きけるに」
[訳] (ある男が)都に住みづらくなって東国へ行ったが。 そういう書き込みこそ、頽落。
ハイデガーのメッセージは、頽落するな、ということだったが。 和解はイエスキリストによって成立
十字架に、よって人類は救われた 他の言語を無視して国語学が成立すると考えるのは愚かだ
突然の思いつきでタミール語を勉強しても問題は解決しない とはいえ、「古語辞典」には、随分、お世話になっている。
朝鮮語起源とか、そこに書かれている説明を信用してはいけないというだけの話だ。 信じるということ自体には
あまり哲学的な深みはないのよ✨ 日本語では、従来、「〜を信じる」ではなく、「〜を頼む」だろう "In god we trust"≒「我々は『神を頼む』」であって、「我々は『神を信じる』」
ではない。こういう重要な部分の理解をいつまでも誤魔化しているから、
いつまでも理解のギャップが埋まらない。 愚か者が信仰によってフラットになって勝つ権利はあるだろう。 なぜ、存在者があるのか?
そして、むしろ、無があるのではないのか? 「なぜ、何かがあるのではなく、何かの不在があるのか?」
これが正しい問ひだ。 >無があるのではないのか?
ナンセンスな問ひに応えようとしてはいけない。
意味をなさない問ひに意味があるかのように振る舞うことを
強制されることにより、誤った前提を正しいと信じている
かのように思い為すことを余儀なくされるからだ。 説明はできないけれど、絵として
見えてわかることってあるでしょ。アウグステ
ィヌスが、「時間とは何でしょうか?」と質問されて、
こう答えたんです。「ああ、それはね、質問されないかぎり、
みんな、時間とは何か、わかってる。でも、もっと詳しく教えてほしいと言われると、誰も、時間とは何か、説明することができない」
「存在とは?」とか、「神とは?」なんて問いは
、むなしいんですよね。ちゃんとした定義がない
と動けない自然科学や法律は別だけど。ヴィトゲ
ンシュタインは『論理哲学論考』を書いて、哲学
問題はすべて解決したとして、哲学を捨てたわけですけど、
彼が問題にしていたのは論理言語だけだったんです。
論理言語による理想の宮殿は、氷のように透明で純粋だけど
、ツルツルすべって歩けない。 時間とは、反復する現象の観察から推定されて、単位として用いられる曲率円の円周長である。 円という全体を真として前提するしかないのが、物理学とか数学なのよねえ。
意味ないっす。
はい、却下。 前提となるものはなにかと問えば、それは「美しさ」である。
その前提となる「美しさ」を探求するのが哲学なのだろう。 この「美しさ」と「存在」は同じものである。
美しさゆえに存在してしまう。
もし、「世界」が存在しないのであれば、それは「美しくない」からである。
体格のいいユイの筋肉質でちょっとカチッとした感じで
時々獣臭くておしっこ臭い漫湖
これこそが究極にして至高の存在なのじゃよ〜♪
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../ .. ヽ
蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅
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f''|: .◞≼☉≽◟ii◞≼ⓞ≽◟ | T
. ト  ̄ i  ̄ | ノ
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| ;; / 米 \ ... :ノ
ヽ │ヽ__ノ│/
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>氷のように透明で純粋だけど、ツルツルすべって歩けない。
スケート靴を履けばいいのでわ? 存在論的転回って何ですか?存在論的転換じゃないのですか? 存在論的転換って、そりゃなんだ?
転回しなきゃ意味がない。 「美しさ」が「存在」である。昨夜おもいついてからずっと考えてみた。
正しい答えだった。
「美しさ」こそが「存在」をもたらす。
注意すべき点は、あくまでも哲学で語られる「美しさ」のことであって、一般的な用法の「美しさ」とは異なる。
ネーターの定理は「美しさ」のひとつであろう。 「美しさ」は「対称性」であり、それが「存在」となる。
転回も対称性だな。
「対称性」こそが哲学の究極奥義であり奥儀である。万物の理論なのか。
同じであって、かつ、違うということ。それでいて自発性もある。
ちょいとレヴィ=ストロースの講演ビデオをみなおし。ヒントがあるかも。 結局、対称性という定義から考えてみても、存在とは対称性のことである。
そして、存在とは、対称性のもとでの保存のことである。
ここでいう保存とは不変性のことである。
問題は、不動点であろう。存在が、単に不動点にすぎないものであったなら...
哲学そのものも、「必然的偶然」にすぎない...
必然性。それだけが探求すべきものとして残されるのだろうか... 動的カシミール効果なんてのは普遍性がまだない。
実験数が少なすぎてな。 こういう暖冬だとあまり感じられないかもしれないけど、
もう少し寒さが厳しくなれば、カシミール効果も実感できるだろう 転回と転換では意味が違うし。
ontological turn だし。
convertじゃないしね。 人間に認識されるのを拒絶している範囲で売れちゃうのっていかがわしくないですかってずっと思ってる。 転びであるかどうかは、重力に従っているか否かでしょう 「ころぶ」の「ころ」は、言うまでもなく擬態語の「ころころ」の「ころ」
と同じであり、「〜ぶ」は、「ころ」という様態が自らに作用することを
表している。「ころす」が「ころ・す」という使役形であるのに対して、
「ころ・ぶ」は再帰形である。 ほころぶ も難しい。ころす。人間の発した動詞じゃないようだね。
真似似非じゃ恥ずかしい。文法や古文も大事でしょう。 前から潜在していたもの、自分の根底にあり自分を作っていたものなのは普段は忘却されている
それを偶然によって取り戻す、取り返すから転回なんでしょう
転換だと、転じて向かう行き先が、前は無かった新しいものというイメージがつくでしょう
転回だと、根源(とされる)に帰るイメージ 取り戻しても知覚の中で再現されても昔のことは結局取り戻せない。 だが、人間を人間たらしめている根拠から、人間が完全に逸脱してしまえば、それを思い出せもしないはずだ
だから、今も継続的にその「何か」は人間を支えているはず
余りに近くて気づかなかっただけなんだよ
今もここにある
それが根拠と非根拠の差だと思う
後者の場合はそれが無くても、人間は生きることができ、だから完全に捨て去ることができる
元には戻らないものは、だから、要らないものであり、人間にとって非本質的なものなのだ サルトルの実存主義みたいに、実存は本質に先立つみたいな話もあるけどね
そういう人間観の場合、人間には戻るべき過去は無く、ただ、未来において、自分を自分たらしめているものを「作る」ことになる
しかし、彼らは、人間には本質が無い、それは作るものだ、ということをある意味人間の「本質」として設定しているわけなんだ
だから、実存主義においても、この事実へ人間を「復帰」させていることになるだろう ウィドゲンシュタインの言語論的「転回」も、論理哲学論考の世界よりも、日常会話の言語ゲームの世界のほうが「古い」わけだろ
フッサールの還元だって、還元した後に残存するやつのほうが「古い」わけだ
還元や、転回は、より古いもの、古層への遡行なのだ ほじくれば、それは今も保存されて「ある」という考え
民俗学や、人類学も、未開の部族のフィールドワークやって、あれは、未開の部族固有のロジックを取り出すだけじゃなく、
太古の世界がどうなってたかを、今も生きる未開の部族を調査することを通じて知りたいわけだ
近代の乗り越えのためのアイデアを探ってるんだな
この場合の超克も、太古への復帰だな 知り得ないんだわ。古代の人間の感性は。
古代の人間の理性は抽出できたとしてもだ。 >>189
「ほころぶ」は、「ころ(転)ぶ」よりもむしろ、「ほろ(滅)ぶ」に
似ているんじゃないかな。「ほろぶ」の「ほろ」は、擬態語の
「ほろほろ」と共通していて、「ほろぶ」は、「ほろ」という
様態が自らに作用することを表している。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/205744/meaning/m0u/
ほろ‐ほろの意味
5 物が裂け破れるさま。
「綻 (ほころ) びは―と絶えぬ」〈源・紅葉賀〉 「あった!」というのが"finden"なわけでしょう。
「あった!」という場合、「どこに?」という疑問と、
「どのように?」という疑問が生じる。
その「どのように?」という疑問に対応する概念が
"Befindlichkeit"です。
「思想」として尾鰭をつけて解釈しようとする前に
まずは素直に言語表現として理解すべきではないでしょうか。 まずは素直に言語表現として理解しようとすれば、自ずと「思想的な癖」の
ようなものも見えてくるのであり、「思想的な癖」の方から哲学を解釈しようと
すべきではない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています