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存在論 [無断転載禁止]©2ch.net
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0249考える名無しさん
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2019/09/13(金) 06:43:35.730
まじで?
0250考える名無しさん
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2019/10/13(日) 23:48:13.420
存在論を
プラトニズム、有限主義、形式主義の3つから考えてみようとしたが、
結局はどれもが認識論的存在論に落ち着く。(個人的な感想です)
それでは認識論を克服できない。
かといって存在論を優位にもってきたとしてもなにも解決しない。
とりあえず、存在論は存在を説明できず、認識論も認識を説明できない、としてみる。
存在と認識の間には不確定性がある。
とすれば、これは量子論だw
存在を「対象」、認識を「射」とすれば圏論である。
そうなってくると意味論もつけくわえたい。
意味とは「その構造を保つ対応関係」に与えられるものである。

哲学的圏論は存在論・認識論・意味論をパッケージ化?した哲学言語となる...はずだ...
もちろん、それが理論なのではなくtoolである。
0251香川照之
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2019/10/14(月) 00:09:09.120
ほんとうに、そうでしょうか?
0252考える名無しさん
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2019/10/14(月) 16:21:30.310
数学からアプローチすれば、存在とは4次元の構造にある。
0253考える名無しさん
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2019/10/16(水) 06:50:45.810
>結局はどれもが認識論的存在論に落ち着く。(個人的な感想です)
それは主体的認知論であって、非主体性認知ではないのは明らかである。
常に対象を狭めて論じることは重要であるが、非たる対称する相反する関係にこそ
本当の存在が存在いたしめる本質があるということである。
0254考える名無しさん
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2019/10/16(水) 08:28:04.400
>>253
あなたの言ってることも非主体性認知って造語が何を意味する概念なのか
言明しないで明らかであると言ってるだけの主体的認知論になりますよ。
0255考える名無しさん
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2019/10/18(金) 19:29:32.660
認識論とは、Epistemologyあるいは theory of knowledgeであって、
cognitionとは違うのです。
0256考える名無しさん
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2019/10/18(金) 19:33:50.540
認識論は主体とは関係がなく、むしろ客観的な知識論なのです。
0257考える名無しさん
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2020/03/18(水) 13:03:09.900
しかしまー、ハイデッガーなんてのは根本的に哲学の才能がなかったんだなと思うよ。
ハイデッガーの著作読んでも詩の才能の欠片も感じない。
本当に哲学の才能があるなら詩人になるからね。
0258考える名無しさん
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2020/03/18(水) 14:12:45.180
英語の"spot"と日本語の「坪(つぼ)」はイメージも発音も
似通っているという印象を受ける。無論、語源的に
関係しているわけではないだろう。「スポット」と「ツボ」
では、「ポ」と「ボ」の違いがあるが、日本語では、
この位置で「ポ」は現れないので、「ボ」の発音が「ポ」に
対応するイメージを代わりに担っている感じがする。

「ポ」の発音から私に想起されるのは、「空間を有する局所性」だ。
英語の"pocket"は、はまり込むような局所的な穴の開いた様態を
表現するが、日本語でも、心に「ぽっかり」と穴が開くと表現する。
0259考える名無しさん
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2020/03/18(水) 14:14:31.120
「ポカ」をやらかすという場合も、意図せずに落ち度が生じること、つまり、
うっかりと穴をあけてしまうことだろう。
0260考える名無しさん
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2020/03/18(水) 14:19:45.800
英語の"point"は、尖っていることや、大きさのない点を表すようにも
イメージされるが、もともとは、やはり、小さい穴をイメージさせた
表現だろうと考えられる。

https://www.etymonline.com/search?q=point
point (n.)
c. 1200, "minute amount, single item in a whole; sharp end of
a sword, etc.," a merger of two words, both ultimately from Latin
pungere "to prick, pierce," from nasalized form of PIE root *peuk-
"to prick." The Latin neuter past participle punctum was used as
a noun, meaning "small hole made by pricking
0261考える名無しさん
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2020/03/18(水) 14:25:31.120
骨(ほね)も、「ぽね」と発音されたとすれば、「ポキポキ」と簡単に
折れるような中空のイメージが強くなるのではないか。中空の根
としての「骨(*ぽね)」である。
0262考える名無しさん
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2020/03/19(木) 08:38:24.000
英語の"point"に対しては、日本語では、「ぽつり」という表現がある。

https://www.weblio.jp/content/ぽつり
ぽつり
( 副 )
(多く「と」を伴って)
@ 雨やしずくが落ちるさま。 「 −としずくが落ちて来た」
A 点や小さな穴のできるさま。 「 −と穴があく」
B 一つだけ離れてあるさま。 「 −と一人座っている」
C 言葉少なに話すさま。また、一言だけ物を言うさま。 「 −と一言つぶやいた」
D 糸やひもなどが途中で切れるさま。ぷつり。 「糸が−と切れる」
0263考える名無しさん
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2020/03/19(木) 10:05:56.800
言語学にも哲学にも無知な人が、なんで連投してるんだろう?
0264考える名無しさん
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2020/03/20(金) 07:41:24.650
役に立つ知見があると思うのなら、それを自ら示せばいいだけ
0265考える名無しさん
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2020/04/19(日) 03:14:18.790
「私が「〜〜という状態」を所有する」という文章と「私が「〜〜という状態」にある」というのは「私が「〜〜という状態」」が成立していて、同じ事を言ってる気がしたけれども何か違う気がして、何が違うのか考えたところ、第二の文は
「〜〜という状態」が、私を所有する
と言い換えられます。
ここで第一の文と第三の文を比べると、所有するの主語と目的語、主体と客体が入れ替わっている、同じ事を言ってるのにも関わらず矛盾している、と考えました。
さらにこれを推し進めて、所有するの定義は何か考えたところ
AはBを所有するをA⊇Bと書いたところ、先ほどの文はA⊇BかつB⊇A、すなわちAとBの境界、輪郭のことだとわかる。つまり、存在とは輪郭、内側でもあり外側でもある主体と客体の境界のことだとわかります。

つまり主体にとって客体が定義されなければ存在が成立しない。
ゆえに人は、自己は、他者なしに存在することは出来ない。


夏目漱石の「それから」と言う作品の終わりの方に、主人公がヒロインを口説く言葉に
「僕の存在に貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」と言うシーンがありますが夏目漱石も自己の存在に他者が必要だと言うことに気がついていたのでしょう。

或いはBUMP OF CHICKENの藤原基央さんがカルマという曲の中で存在について歌っていますが同様の結論に達しているのでしょう。

ニーチェもまた同様の結論に達しているようです、あまり詳しくは知りませんが。

キリストが隣人愛を説いたその理由はこういう事かなと私は思います。

つまり存在とは何か最初に答えを導いた人間はキリストであると。

世界が平和になりますように。争いがなくなりますように。他者を大切にしますように。

人を愛しますように。
0266265
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2020/04/19(日) 03:31:46.320
ドストエフスキーの作品の罪と罰の最後のエピローグでラスコーリニコフとソーニャが手を繋ぐシーンがありますが、存在とは輪郭のことだとドストエフスキーは伝えたかったのではないでしょうか?必然的に他者がいなければ存在は成立しないと。
ラスコーリニコフが老婆を殺したのは、自分一人だけで存在が成立すると思い込んで、本質、真実、つまり自己の存在には他者が必要だということが見抜けなかったが故に彼は敗北したのではないかなと。

ドストエフスキーはまた作品悪霊の中で
存在の最高の形式は愛である
と作中の人物に発言させていますが、彼もまたキリスト、夏目漱石、藤原基央さんなどといった方々と同様の結論に達していたのでしょう。

その根源を求めれば聖書のキリストの発言に遡ると思います。
0267考える名無しさん
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2020/07/06(月) 22:37:36.130
第一の文章だけでは存在は成立しないので、第一の文章のみ成立し第二の文章が成立してない、存在するも存在しないも成立してない状態があるようにみえます。つまり、目に見えない世界がある。これを波動空間と定義します。


目に見える空間の存在は波動と波動の重ね合わせによって定まっている、のであれば、片側の波動を変えれば目に見える存在は変わる。というのを病気という現象に応用した時、病気にかかっている人間の波動が変われば病気も変わるのではないでしょうか?病も気から、という言葉がある通り、本人の波動、精神が病気という現象を定めているのではないでしょうか。
0268考える名無しさん
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2020/07/07(火) 10:31:30.740
日本語の「と(溶)ける」、「と(溶/解/説)く」、「とろとろ」などの
表現において用いられている、古語における乙類の「と」として
用いられる発音は、現代の中国語の「荡(蕩・盪)ピンインdàng」
につながる表現の発音を流用したものではないかと思う。

万葉仮名で乙類の「と」の発音に当てられる頻度の最も高い漢字は、
「等」であり、古い中国語において想定される発音において、
「等」と「荡(蕩・盪)」と「湯」は似通っているように見える。
0269考える名無しさん
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2020/07/07(火) 12:51:21.490
日本語において「湯」という漢字は、「湯治」の場合、「とう」と
読まれるが、もう1つの読み方は「ゆ」であり、これは、「ゆる(緩/弛)む」
の「ゆ」でもあるだろう。
0270考える名無しさん
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2020/07/07(火) 12:59:46.030
https://en.wiktionary.org/wiki/
融 (OC *luŋ, “to melt (at normal temperature); to blend”)
鎔 (OC *loŋ, “to smelt; to melt (at a high temperature)”)
熔 (OC *loŋ, “to smelt; to melt (at a high temperature)”)
溶 (OC *loŋ, *loŋʔ, “to dissolve (in a liquid)”)
0271考える名無しさん
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2020/07/07(火) 20:18:52.130
日本語と英語の間でも案外、発音とそのイメージに共通性が感じられる
事例に出会うことがある。例えば、日本語の「た(垂)る/た(垂)れる」と、
英語の「droop」、「drop」、「drip」などとの間には、何か重なり
合うものが感じられる。

日本語の「た(垂)る」という表現の「た」が対応する中国語の表現は、
「堕落(だらく)」の「堕(だ)」および「惰性(だせい)」の「惰(だ)」
だろう。中国語においても「堕」と「惰」の発音はほとんど重なって
おり、さらに、日本語において「惰」は、「おこ・た(惰)る」という
表現にも用いられており、「おこ・たる」の「たる」は、明白に
「た(垂)る」と共通している。
0272考える名無しさん
垢版 |
2020/07/08(水) 09:48:06.950
だらしない
大辞林 第三版の解説
( 形 ) [文] ク だらしな・し
〔「しだらない」の転。近世以降の語〕

「しだらない」であれ、「だらしない」であれ、これらの表現形成
の中心となっているのは、「た(垂/惰/堕)る」であり、「〜ない」
は「極まりない」を表すように用いられている。
0273考える名無しさん
垢版 |
2020/11/22(日) 12:13:33.440
存在論は哲学の柱だったが、いまや素粒子物理学がすごすぎて圧倒されてしまっている
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