存在論 [無断転載禁止]©2ch.net
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事物の同一性は何よって成り立っているかを簡潔に述べよ(10点) 「同一性」ではなく、「自己同一性」。 「アイデンティティ」の問題なのだ。 これに答えを出してしまうと哲学は「終わる」w >>81 物理的事態としての事物の同一性を保証するものは何もない 対象を同一とみなす心的事態としてのみそれは存在する 「存在」とは何か。ずっと考えた。 「存在」とは「自己同一性」を持つということである。 それは「ループ」である。 対生成・対消滅から考えてみた。 対生成・対消滅の「ループ」を「無秩序の海」で発生させると、 もうひとつの「反・無秩序の海」がみえてくる。 「ループ」は2つの「無の世界」を行き来する。2回まわって元に戻る。 「存在」は「無」を生産する。 「存在」には常に反転した「存在」があり、反転した「存在」の反転した「場」もできる。 「対称性の破れ」が「存在」をつくる。「存在」とは「対称性の破れ」である。 とても雑な考えだが、素朴な「存在」の概念を破壊して、「対称性の破れ」としての「存在」という概念を再構築できるかもしれない。 てか、そんなことを書いていて、過去の自分の書き込みが目に入った。 「存在」とは「情報」である。 ループだ自己同一性だとかいうのは、結局、「情報」である。 情報としての存在論、情報としての認識論。 認識論的存在論と存在論的認識論を統合すると「情報論」。かもしれない。 図書館にいって、いろいろあさってきた。 「存在」とは「対称性」である。 「対称性」が破れることで新たな、より小さな「対称性」がうまれる。 「同一性」とは「対称性」である、と言い切ってもよいだろう。 ここで先送りしていた「自己同一性」を考える。 「存在」とは「自己同一性」を持つということであり、対称的なもうひとつの「存在」とペアになっている。 ペアでなければ「自己同一性」を持たず、「存在」でもない。 物理や数学だけでなく文学や美学や、とりあえずなにかひとつで乗り切るとしたら、 それは「対称性」である。 むろん哲学も「対称性」である。 「存在論」は「美学」であり、「対称性」の論でなければならない。 そうなってくると「認識論」も「対称性」であり、「情報論」も、もちろん「対称性」だ。 物理・数学・哲学・あらゆる学問から思想や人生にいたるまで、たったひとつの概念で乗り切るとしたら「対称性」なのである。 とりあえず「対称性の哲学」と呼んでおこう。 Aが存在するとは、Aが束縛変項の値であることである。 To be is to be the value of a variable. ですね。 variableをなんらかの情報空間とするならば、valueとは情報空間上の位置にほかなりません。 「存在」とは「情報」のことです。 「存在空間variable」上で「位置value」を特定できるということが「存在」です。 なぜ何もないのではなく、何かがあるのか、という哲学の究極の問いはわたくしが解きました。 未解決問題は解消されました。 存在論の終焉です。 What does it mean to be there a variable? ということは存在空間variableなるものは存在してないのね ジム・ホルト(Jim Holt)「宇宙はどうして存在するのか」 実は、太陽系の近くの空間は慣性系でありません。 この銀河系は回転していますから。 銀河系の外の空間にしても同じです。 ですから、慣性系というのは人間の頭の中で考えたことで、この宇宙のどこにも存在しません。 ショーペンハウアーは「物自体」を「意志」と同一視し、その道徳観の基礎としている 認識論的存在はvirtualなものであり幻想あるいは虚像である。 非認識論的存在があったとしても認識に頼るしかない。 認識される存在とは情報である。 存在とは情報論的なものであり、存在=情報と考えてよい。それが人間の限界だ。 情報論的存在は、数学的存在+αであり、数学的存在は自然数論+集合論からひきだされる。 この+αをめぐる物語が哲学としての存在論である。 (+αは−αかもしれないし、位相の違いかもしれないし、確率的なものかもしれない) 仮想粒子としての情報粒子を考えるならば、情報粒子がモナドである。 このモナドは単数かつ複数であり、存在かつ非存在である。 存在しないという存在。 存在しないということで存在し、存在するということで存在しない。 そこには、アクセス不能でなんらかの大きさのようなものをもつものが「ある」。 矛盾をつくりだす核となるものは「ある」のだ。 ほぼ、超ひも理論における存在論だ。 キーワードは共形対称性・双対性。 物理的に無意味となる半径がある。 この無意味が意味であり存在である。 犯人は対称性だw 真の存在には内面が無い。まさしくモナドか。 対称性がモナドとしての狂言回しの存在をうむ。 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l l 電波を感知しました。 l l__________l / / / _ ビビビ /ll__l∧ / 。.l.(O´∀`) / l≡( )) ))つ `ー| | l (__)_) 慣性系というモノが敷衍的にある気がするけど、僕たちは重力を背負っているけど、 背負えば背負うほど、慣性系の世界の到来によって身体が自由だろう。 モナドを考えてみてもモナドじゃないモノの構造があるんだから、モナドは侵食 し過ぎていると思われる。 思弁的実在論など、老荘思想よりも劣る。 タオイズムではなく純道家の思想。 まあ21世紀にはあたらしい哲学はあらわれていない、 哲学者の文章は読むに堪えない。 科学者の文章もしかり。 は! モナドはパイプラインか。 「つながる」ということはどういうことかと考えていたが、 モナドを「単子」というより、「接続の単位」と考えた方がよさそうだ。 でもって、これを逆転させる。 究極のモナドは「ひとつ」である。これを実モナドとすれば、モナドと呼ばれていたものは虚モナドだ。 「接続」などしていない。「ねじれた」だけだ。 この「ねじれ」が対象や空間や時間をつくりだす(そのようにみえる)。 みえるということもねじれであるw はたして、この考えで「哲学」を終焉させることはできるのであろうか。 終焉といっても終わらせるという意味ではない。 関係としての哲学から ねじれとしての哲学への転換。 レヴィナス以降意味をなさない存在論。 もはや科学哲学、生物学哲学、脳科学哲学、詩文哲学など、細分化されつづけるのみ。 存在とは何か、ではなくて、なぜ存在なのか、それだけが重要だ。 WHATならば、科学でもなんでも定義できる。 マルクス・ガブリエルの新実在論のどこが新なのか。 オンラインゲームに興じることに違和感のない世代からすれば、あたりまえのことを言っているに過ぎない。 西洋哲学、大陸哲学の脆弱性はもはや同情の余地すらない。 虚構は存在する。 そんなことは四歳児にだって認識できる。 認識がなくとも虚構は存在する。 存在するかどうかはそいつの理論の束縛変項に何を置くかによって決まるよ 存在?二つの異質な属性によって、左伝であることだろう。 ハイデガーは過大評価 ドイツに甘すぎるのが西洋。 そしてこれからは東洋の時代。 存在とは意識の流れ、そうベルグソンはおっしゃっておられる おまえの子房は果実として認めん おまえの子房は種なし おまえの子房は発達しない おまえには果実がない ガブリエルの新実在論 どこが「新」なのかさっぱりわからん やっぱ大陸系はだめだね ドイツ人の文章のへたくそさは、尋常ではない。とくにカント、ヘーゲルは悪文。 フランスだと、サルトルのへったくそなテキトー雑文もくそだが、ラカンのような詩にこだわりすぎて、オナニー文になってしまう馬鹿もいたり。 なによりレヴィナスってのは、自動書記なんじゃないのかな。 推敲しろよ、と。もちろん西田幾多郎もだが、推敲しろカスってかんじ? ,、..':::" ̄:::::ヽ_ /::::::::,ニニン´`ヾ::::ヽ /彡ン´ ',ミミ ,':::z´ ',ミ:} {:::{ =≡=、 ,ィ=≡t、_}::::l 〉ト{ ィtォ、 }'^{ ィtr }'!rト '、lゝ、_ .ノ ヽ、__ノ |!/ | ,.(、 , )、 |} < おどろどろいたね | ,.(、 , )、 |} | ,.(、 , )、 |} | ,.(、 , )、 |} | ,.(、 , )、 |} | ,.(、 , )、 |} | ,.(、 , )、 |} | ,.(、 , )、 |} ', ,..、 ,..、_ l '、 `~=~´ / |\ ´ ` , イト、 /ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ /::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ 理解力どころか、読者を意識してない屑どもの論文は、まず売れない。 文学者はその点、文章がうまい。 シオランだろうと、ヴェイユだろうとお話にならない。 まあ哲学者で文章のうまいやつはいないってことだ。 むずかしいことを難しく言うだけなら、馬鹿でもできるということ。 ひろまつなんちゃらみたいなのが、馬鹿の象徴的事象。 元来、論文ってのは主に専門家に向けて書かれるもんだから 無学で理解力のないタコに合わせて書く筋合いのもんじゃないだろ "Have you lost your mind?" 「お前は心を失ったのか?」 失ったのが正気なら、それを取り戻すことはできるかもしれないが、 心を失ったのなら、これからはサイコパスとして生きていくしかないでしょう。 レビナスの捕虜体験はペースが速い疲労とか、参考になった。 徹夜で作業すると平衡感覚が失われる 平衡感覚の機能を犠牲にして脳を目覚めた状態に保っている 目覚めていることと平衡感覚が徐々に失われることがトレードオフ関係にあるわけだ 眠ることで平衡感覚が回復する 眠ることによって整理される雑多な情報の過剰な蓄積が、 目覚めていることによって雑多なままに放置されることで 「目舞(めま)ひ」を生じさせる 常に目覚めているとしたら世界から秩序は失われ 目舞ひしか残らないだろう ビジネスが覚醒であるとしたなら、人文学は眠りである 哲学は文学の一分野にすぎぬ。 科学も哲学もおなじく文学の奴僕 哲学は文学の一分野にすぎぬ。 科学も哲学もおなじく文学の奴僕 そら、文科省の馬鹿官僚ですら、そういう認識だからなあ。 文学の汎用性やエンタメの有用性には、哲学は勝てませんよ。 まず売れないし、内輪にしか通用しないし。 それは科学や宗教もそうだが。 文学のすごいところは、芸術でもあるところだ。 ぶんげい 【文芸】 1. 言語によって表現される芸術。 「―作品」 2. 学問と芸術。芸文。 「―復興」 哲学は芸術になりえないし金にもならない。 ただの論文。 詩が一番偉くて、哲学は詩がパフォーマティブに暗に示したことをロゴスで説明する仲介者にすぎん なお哲学研究者は哲学者ではない 日本の哲学研究者は、外国の著名な哲学研究者の論文を翻訳して、それを元ネタにして、自分の専門とする哲学者についての論文を書いてる人 ちょっと高度な写経や習字の練習にすぎない 日本で面白い人は、哲学科ではなく、ちょっと別の分野に属しながら哲学書も読める人 ディヴィッド・アッテンボロー 「トラは地球最強の肉食獣で脅かす者が誰も存在しない全ての野生動物の頂点」 ジョージ.B.シャラー 「トラはヒグマを捕食する。ネコ科は自重の3倍の動物も容易に仕留める。」 http://www.root-pictures.com/tigar/t_seisaku.html メドビエデフ「アムールトラは野生動物の頂点に立つ。密林の王者だ」 New Jersey City University 「虎は全ての動物の中で最も強い。闘技場で武装した数頭の象と闘わせたりもした。」 http://faculty.njcu.edu/fmoran/vol5tiger.htm#note153 アルセーニェフ『アンバ(虎)』 「我が国では、この虎に勝る獣はいない。虎が餌を探す所では熊も競わない。熊はいつも自分の縄張りを虎に譲る」 http://big_game.at.infoseek.co.jp/combat/combat1.html トラとヒグマが戦った例がある。 丘を転げ落ちつつ両者は咬み合い、草叢とブッシュを踏みしだきながら、200〜300mをくんずほぐれつ、転げ回ったが、遂にトラはヒグマを殺した。 しかしトラもかなり傷ついたらしく、抜け毛の塊がそこここに撒き散らされていた。 プルツェワルスキーがハンターから聞いた話である(小原秀雄、1970)。 同プロジェクトでは大きなヒグマがトラの獲物を奪うことが何度も観察されている。 しかしクマは逆に餌食とされてしまうのを避けるため、主に雌のトラを相手に選んでいるようだという点で関係者の意見は一致している。 「わぶ」≒"diminish oneself"である。 学研全訳古語辞典 わ・ぶ 【侘ぶ】 [一]自動詞バ行上二段活用 {語幹〈わ〉} @気落ちする。悲観する。嘆く。悩む。 出典伊勢物語 九 「限りなく遠くも来にけるものかなと、わびあへるに」 [訳] この上もなく遠くまでもまあ来てしまったものだなあと、互いに嘆き合っていると。 A困る。困惑する。当惑する。 出典源氏物語 花宴 「いといたう強(し)ひられて、わびにて侍(はべ)り」 [訳] まったくたいそう(酒を)無理強いされて、困っております。 Bつらく思う。せつなく思う。寂しく思う。 出典古今集 雑下 「わくらばに問ふ人あらば須磨(すま)の浦に藻塩(もしほ)たれつつわぶと答へよ」 [訳] たまたまに(私のことを)尋ねる人があったなら、須磨の浦で藻塩草に潮水をかけながら(涙を流して)せつなく思っていると答えてください。 C落ちぶれる。貧乏になる。まずしくなる。 出典古今集 仮名序 「あるは、昨日は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび」 [訳] ある場合には、昨日(まで)は栄えて思い上がっていたのに、(今日は)時の流れに合わないで勢力がなくなり、世間で落ちぶれて。 Dわびる。謝る。 出典宇治拾遺 一一・三 「『ただ許し給(たま)はらむ』とわびければ」 [訳] 「ともかく許しをいただきたい」と謝ったので。◇「詫ぶ」とも書く。 E静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。 出典松風 謡曲 「ことさらこの須磨の浦に心あらん人は、わざともわびてこそ住むべけれ」 [訳] 特にこの須磨の海岸では、情趣のわかる人は、わざとでもわび住まいをして住みつくであろう。 [二]補助動詞バ行上二段活用 活用{び/び/ぶ/ぶる/ぶれ/びよ} 〔動詞の連用形に付いて〕…しづらくなる。…しかねる。…しきれない。 出典伊勢物語 七 「京にありわびて東(あづま)に行きけるに」 [訳] (ある男が)都に住みづらくなって東国へ行ったが。 そういう書き込みこそ、頽落。 ハイデガーのメッセージは、頽落するな、ということだったが。 和解はイエスキリストによって成立 十字架に、よって人類は救われた 他の言語を無視して国語学が成立すると考えるのは愚かだ 突然の思いつきでタミール語を勉強しても問題は解決しない とはいえ、「古語辞典」には、随分、お世話になっている。 朝鮮語起源とか、そこに書かれている説明を信用してはいけないというだけの話だ。 信じるということ自体には あまり哲学的な深みはないのよ✨ 日本語では、従来、「〜を信じる」ではなく、「〜を頼む」だろう "In god we trust"≒「我々は『神を頼む』」であって、「我々は『神を信じる』」 ではない。こういう重要な部分の理解をいつまでも誤魔化しているから、 いつまでも理解のギャップが埋まらない。 愚か者が信仰によってフラットになって勝つ権利はあるだろう。 なぜ、存在者があるのか? そして、むしろ、無があるのではないのか? 「なぜ、何かがあるのではなく、何かの不在があるのか?」 これが正しい問ひだ。 >無があるのではないのか? ナンセンスな問ひに応えようとしてはいけない。 意味をなさない問ひに意味があるかのように振る舞うことを 強制されることにより、誤った前提を正しいと信じている かのように思い為すことを余儀なくされるからだ。 説明はできないけれど、絵として 見えてわかることってあるでしょ。アウグステ ィヌスが、「時間とは何でしょうか?」と質問されて、 こう答えたんです。「ああ、それはね、質問されないかぎり、 みんな、時間とは何か、わかってる。でも、もっと詳しく教えてほしいと言われると、誰も、時間とは何か、説明することができない」 「存在とは?」とか、「神とは?」なんて問いは 、むなしいんですよね。ちゃんとした定義がない と動けない自然科学や法律は別だけど。ヴィトゲ ンシュタインは『論理哲学論考』を書いて、哲学 問題はすべて解決したとして、哲学を捨てたわけですけど、 彼が問題にしていたのは論理言語だけだったんです。 論理言語による理想の宮殿は、氷のように透明で純粋だけど 、ツルツルすべって歩けない。 時間とは、反復する現象の観察から推定されて、単位として用いられる曲率円の円周長である。 円という全体を真として前提するしかないのが、物理学とか数学なのよねえ。 意味ないっす。 はい、却下。 前提となるものはなにかと問えば、それは「美しさ」である。 その前提となる「美しさ」を探求するのが哲学なのだろう。 この「美しさ」と「存在」は同じものである。 美しさゆえに存在してしまう。 もし、「世界」が存在しないのであれば、それは「美しくない」からである。 体格のいいユイの筋肉質でちょっとカチッとした感じで 時々獣臭くておしっこ臭い漫湖 これこそが究極にして至高の存在なのじゃよ〜♪ ..____ .. /... .....\ ../ .. ヽ 蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅 .... | ..│ f''|: .◞≼☉≽◟ii◞≼ⓞ≽◟ | T . ト  ̄ i  ̄ | ノ . | ;; \ ^-^丶 / l | ;; / 米 \ ... :ノ ヽ │ヽ__ノ│/ \,,,__,,,,/ >氷のように透明で純粋だけど、ツルツルすべって歩けない。 スケート靴を履けばいいのでわ? 存在論的転回って何ですか?存在論的転換じゃないのですか? 存在論的転換って、そりゃなんだ? 転回しなきゃ意味がない。 「美しさ」が「存在」である。昨夜おもいついてからずっと考えてみた。 正しい答えだった。 「美しさ」こそが「存在」をもたらす。 注意すべき点は、あくまでも哲学で語られる「美しさ」のことであって、一般的な用法の「美しさ」とは異なる。 ネーターの定理は「美しさ」のひとつであろう。 「美しさ」は「対称性」であり、それが「存在」となる。 転回も対称性だな。 「対称性」こそが哲学の究極奥義であり奥儀である。万物の理論なのか。 同じであって、かつ、違うということ。それでいて自発性もある。 ちょいとレヴィ=ストロースの講演ビデオをみなおし。ヒントがあるかも。 結局、対称性という定義から考えてみても、存在とは対称性のことである。 そして、存在とは、対称性のもとでの保存のことである。 ここでいう保存とは不変性のことである。 問題は、不動点であろう。存在が、単に不動点にすぎないものであったなら... 哲学そのものも、「必然的偶然」にすぎない... 必然性。それだけが探求すべきものとして残されるのだろうか... 動的カシミール効果なんてのは普遍性がまだない。 実験数が少なすぎてな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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