ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ@哲学板 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレ
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1492948034/ 仏教=無我=慈悲=縁起=空 →日本人の勤勉=世間=慈悲型贈与交換 仏教=無我=慈悲=縁起=空
→日本人の勤勉=世間=慈悲型贈与交換 日本人は仏教徒ではない。
日本人は仏教に救済を求めなかった。
日本人は仏教を経済的な基盤として消化した。
それは世間と言われる。
そして日本人はお経を唱えないが、勤勉であることで祈っている。 最近、オゾンホールが小さくなったというニュースがありました。
まさにここ数年の環境技術の成果ですね。
環境技術と言えば、日本です。
車にしろ、エアコンにしろ、快適を進めつつ、省エネする。
ここには名もなき多くの技術者の勤勉さとサービス残業があったわけです。
名もなく地球を救うって、超空ーるじゃないですか?
さすが日本人ですね。
日本の工場での、品質、改善。
かつては日本の経済発展の推進力と言われて、
たとえばアメリカ製品は品質が悪く競争にならなかったものが、
いまや海外でも日本人式の工場運営が広まって、
高い品質を達成するようになっています。
まさに空が広まった例ですね。
果たして、西洋思想と日本人の品質思想は、
どちらが世界へより大きな影響を与えているんでしょうか。 >>840、>>854-855
ブッダが「世界を空なりと観ぜよ」と言っているのに、
連想ゲームの果てに経済を観想してどうする。 >>858
そう言われても日本人がブッダの言葉を守らなきゃいけない理由は無いしな
それとも原理主義になれって言ってんの? エセ仏教でもなんでもいいんだよ
日本人には日本人にあった宗教観と距離感で 国家を無くそうという主張があるのは知っていますが、
国家に代わるものがあるとすれば何だろうか? >>862
つまりヒャッハーでフリーダムな世界を皆んな望んでいるんだよ 国家と言っても、様々ある。
江戸時代、国は藩だった。
現代の国家と言えば、近代国家。 ちょっと失礼。
底辺、昨日気になっていたんだ。
それは文明の進化によってグローバル化が進んだが、法律っていうのはその国々の文化や歴史に則り少しずつ集積されてきたものであり、それ故に絶対に国境を持つ。
では、デジタル化が進む昨今で従来のものから改変するのが難しい法律はどうなるの?って疑問に思ったんだ。
そこで、哲学にはおそらく国境はないだろうから、哲学が役に立つのでは?と。
そういったものを扱う分野としては、法哲学になる?或いは国際法の分野になる?
底辺、社会という教科にかなり疎いから気になった。
自分スレに書こうと思っていたのだけれど、禊さんが詳しそうだからここにウンチしちゃお! 近代国家は、経済の構造が農業から産業に変わることで、
経済競争体制になる。
隣国との土地、人員の境界を明確にして、
富をめぐり競い合う。
よりよい経済合理制として、自由平等が進み、法治国家となる。
この経済構造が続く限り近代国家は変わらない。 >>866
哲学に国境がないという西洋中心主義(笑) 農業社会では、土地は富を生む源泉だが、
それは耕された農地であり、
荒れ地には価値がない。
誰の所有だろうが興味がないし、それをめぐり争いは起こらない。
生産は農地に制約されて、人はネズミ算式にすぐに増えるので余って、価値を持たない。
すなわちマルサスの罠。
工業社会では、工業的開発力で荒れ地も富をうむように開拓できる。
人はいるだけ労働力として富を生む。
すべての土地と人が富を生むから、取り合いが起こり、近代国家という囲い込みが起こる。 人々は日々生き延びなければならないわけで、
哲学もそこから逃れられない。
日本人の空も生き延びるための知恵。
貨幣交換 (お金による等価交換) → 自由主義経済
再分配 (税) → 国家
贈与交換 (贈り物とお返し) →家庭、友達、親しい人々
これはどの国でもある。
そして日本では、
慈悲型の贈与交換 (返礼を求めない贈与。) → 世間をみんなで豊かにする。おもてなし。
空、慈悲は、精神論ではなく、経済そのもの。 哲学者は、学者ではなかったとのこと。
崇高な精神のニートが哲学を考えてまわりに伝えて、死後、後代になって、
哲学者の学者の称号を誰かがつけるようになったことが考えられます。
また、崇高な精神のアルバイトをやりながら哲学を考えてまわりに伝えて、
死後、後代になって、哲学者の学者の称号を誰かがつけるようになったこと
が考えられます。
崇高な精神の農業の生業をやっていて、哲学を考えてまわりに伝えて、死後、
後代になって、哲学者の学者の称号を誰かがつけるようになったことが考え
られます。
学者としての哲学者となってから、大学に哲学科ができ、大学の哲学科専属
の教授になる方が出て来て来るようになったと思います。 >>865
「国家は個人を抑圧する悪しきもの」っていう感覚は
昔からありますよ。文学や芸術は常に国家を否定してきた。
それについてはどう思いますか? なんで日本ってこんなに科学技術あんのに
ゴミ分別しなきゃいけないんだろう
科学技術で燃やせよ
もともと環境考える人種でもねえしよ 農業社会の前は、狩猟社会では、原始共産制とも言われる社会ではあったと言います。
一つの村が一つの家族のような。
農業が発展すると富の蓄積ができて、
その富を巡って、闘争がおき、
勝った者か権力者となる。
その権力範囲が初期の国家でしょうが。
近代に繋がる巨大な国家は、それらを束ねる絶対主義国家の登場と言われます。
このような絶対主義国家は大航海時代など、農業を超えた公益によりより巨大な富が生まれたからです。 >>876
リサイクルするためですね。
江戸は世界一のエコな都市でしたね。 絶対主義国家と、近代民主主義国家は連続性があります。
集約されて巨大な国家の富をいかに管理するか。
そしてさらに発展するにはどうすればいいか。
その解が自由民主主義です。 イタリア都市国家→ポルトガル→スペイン→オランダ→イギリス、フランス
海外交易をめぐり、欧州の強国は移りました。
これは富の移動であり、また政治体制の変化でもあります。
絶対主義国家から、自由民主主義国家へ >>795
貴方がかきこまないほういいよ
理解できてないだろうけどね 三段階に、経済構造を示しましたが、
それぞれに主要な交換様式は先にあげたものになります。
原始社会
贈与交換 (贈り物とお返し) →家庭、友達、親しい人々
農耕社会
再分配 (税) → 国家
近代資本主義
貨幣交換 (お金による等価交換) → 自由主義経済
日本の場合、
江戸時代は基本は農耕社会ですが、ブレ資本主義経済が育ち、江戸は世界一の商業都市でした。
その中で日本人の慈悲型贈与交換は、農耕、資本主義経済を補完する形で広がりました、 再度、日本人の空、慈悲型贈与交換とは
>>
鈴木正三
どの仕事もみな仏道修行である。人それぞれの所作の上で、成仏なさるべきである。
仏道修行で無い仕事はあるはずがない。一切の[人間の]振舞いは、皆すべて世の為と
なることをもって知るべきである。このような有り難い仏の本性を人々[は皆]具えている。
本当に成仏を願う人であるなら、ただ自分自身を信じるべきである。
自身とはつまり仏であるから、仏の心を信じるべきである。
<<
>>
石田梅岩
士農工商は、天下が治まるために役立ちます。その中の一つでも欠けてしまったら、
世の中はうまく動かなくなるでしょう。士農工商を治めるのは君主の仕事であり、君主を助けるのは、
士農工商の仕事です。侍は、位をもった臣下です。
農民は、野にある臣下で、商工は市井の臣下なのです。臣としては、君主を助けるのが正しい道です。
<< すなわち勤勉です。
勤勉とは一生懸命働くとではなく、
世間のためにはたらくことです。 近江商人の教え
買い手よし、売り手よし、世間よし
今もトヨタの社訓でもあります。 日本で勤勉のような自主的な経済活動が発展した理由はいろいろあるが一つは、戦国時代の下克上秩序崩壊が上げられる。
飛鳥時代に天皇を頂点とした中央集権を制定したが、実際は豪族、貴族とのせめぎ合いが続く。
それが貴族の私有地である荘園制である。
貴族が私有地として土地を囲い、農民を働かせる。
平安時代以降は荘園制の時代と言える。
それが変わるのが戦国時代の混沌である。
権力構造の変化の中で、農民は自立し自治的に惣村と言われる自治村を運用し出す。
村は治安維持の武士、商人、そして教育機関、情報機関としてのお寺を内包する。 戦国時代も収まり、秀吉家康はこの自治村を利用する。
荘園制では中間搾取が横行したが、より直接村から税を徴収する。
それが新たな権力者と農民ともに有効である。
検地で公平な税を、刀狩りで武士で、商人を城下町に移す。
日本の農民が西洋のような農奴でなく、自治的、そして生産性を上げればそれだけ自らの富となる勤勉性はここから来る。
さらに自治において大きな役割を果たしたのがお寺である。
主には葬式仏教。
葬式の始まりは、家族を生み、そして先祖を生み出す。そして村としての共同体としての助け合いを生み出す。
これを利用したのが、家康の寺請制だ。 贈与交換は、人間の経済活動の基本だが、
その基本は知り合いに限られる。
困ったときは助け合う信頼関係を作る。
慈悲型は、助け合い圏がより広くなる。
必ずしも顔を知らなくても、みなで助け合おうという経済だ。 >>888
>>
鈴木正三
どの仕事もみな仏道修行である。人それぞれの所作の上で、成仏なさるべきである。
仏道修行で無い仕事はあるはずがない。一切の[人間の]振舞いは、皆すべて世の為と
なることをもって知るべきである。このような有り難い仏の本性を人々[は皆]具えている。
本当に成仏を願う人であるなら、ただ自分自身を信じるべきである。
自身とはつまり仏であるから、仏の心を信じるべきである。
<< まあ理想は慈悲型だけど
オレオレ詐欺はそれすらも利用するから
禊の現実に沿ってない空想論かな
それ自体は素敵だと思うがただの空想 日常の労働を仏行とする。
わざわざ祈る必要も、座る必要もない。
働くことそのものが仏行であり、慈悲である。
この画期的な発明。
思い出すだろうウェバーで有名になったプロテスタンティズムの天職概念。
労働が天職という神に与えられた奉仕である。
それが資本主義の原動力となった。
日本人の職分仏行論、すなわち勤勉はこれに近い。
しかし日本人の勤勉は、資本主義の初期に限らない。
いまも変わらない。 慈悲型社会とか言って
自分の親がオレオレ被害に合ったら
2秒で消える思想 勤勉の発明は、たとえば目の前の困っている人を助ける必要はない。
他人に冷たくてもいい。
ただ自らの仕事を全うすれば言い。
貢献は間接的であることが重要だ。 >>894
なぜ?
犯人を憎むから?
人を憎んでもいい。
自らの仕事に勤勉であれば 様々な宗教の慈愛のような高度な行為を求めない、
ただ自分の仕事を行うだけて、慈悲仏行なのである。 高潔な精神性を求めない。
理性も求めない。
ただ懸命に勤勉であればいい。 勤勉
Diligence
元はラテン語
Dilegere
Di「心の傾注」legere 「選ぶ,読む」
勤勉
まあつまり心が傾いてるものを読むってことですかね まあ英語の勤勉は心に正直みたいなことだけど
日本語の勤勉は勉強や仕事するみたいなイメージ
これが国家としての致命的なミスとセンスのなさ だいたい勤と勉みたいな漢字
ネガティブなイメージしかないわw >>901
西洋では、
心の中に宿る絶対神に忠実、と言うことでしょ。
そこにはすでに最初から絶対的な価値がある。
しかし仏教では、神はいません。
みなでともに向上していく。
それが日本人の勤勉です。 西洋においては、
労働より思惟が高い地位にあります。
肉体よりも精神が高尚です。
勤勉の地位は低い。
プラトン主義ですね。 何かここ読んでるとさ、「日本人はなんで西洋哲学なんかを
社会に入れてしまったんだろうか」なんて感じるな。
元々必要ない物を有難がってるのかな? 西洋哲学なんてほんといらなかったよ
ただ西洋化しないとあまりにも田舎臭くて耐えられなかったんだろうね
昔の若い人とか 西洋化しても土人だからあんま意味ないんだけどね
服装が変わっただけ 欧米的なセンスを持ってる人など
どこ見回しても皆無 しかし西洋においても、プラトン主義が力を持つのは近代です。
科学がプラトン主義だからです。
日本人も科学を重視しますが、
日本人らしいとは科学よりも科学技術を重視します。
技術は、プラトン主義だけでは上手くいかず、
現場での調整が重要です。
勤勉です。 個人的には西欧的「個人」の概念に馴染めないです。
…変な文章だな「個人的には」って要らなかったかな? そんなに勤勉が好きなら
5chなんてやらずに働けばいいのに笑 西洋人はとかくプラトン主義であり、設計主義です。
理想的な解があることを信じ、求めます。
しかし日本人さ現場主義です。
理屈では上手くいかないことを知って
最後は現場での調整、さらには改善します。
それは理屈ではありません。
そこに空があるのです。
理屈に囚われない。
いつも脱構築する。
そしてその原動力が世間ためです。
すごい理論を構築して、我を誇るより、
実際に世間の役に立つことが大切です。
だから勤勉は公平でオープンソースです。 日本にもジョブズ級の人間はたくさんいるでしょうが、
無我を美徳とします。 まあそういうことですね
無我でやってく社会の方が治安はいいでしょう 最近、オゾンホールが小さくなったというニュースがありました。
まさにここ数年の環境技術の成果ですね。
環境技術と言えば、日本です。
車にしろ、エアコンにしろ、快適を進めつつ、省エネする。
ここには名もなき多くの技術者の勤勉さとサービス残業があったわけです。
名もなく地球を救うって、超空ーるじゃないですか?
さすが日本人ですね。
日本の工場での、品質、改善。
かつては日本の経済発展の推進力と言われて、
たとえばアメリカ製品は品質が悪く競争にならなかったものが、
いまや海外でも日本人式の工場運営が広まって、
高い品質を達成するようになっています。
まさに空が広まった例ですね。
果たして、西洋思想と日本人の品質思想は、
どちらが世界へより大きな影響を与えているんでしょうか。 そうは言っても、近代を作り出したのは西洋人です。
中華帝国、ペルシャ帝国を出すまでもなく、
日本人に比べても、薄汚い西洋の山猿がよくやったものです。
ギリシャ文明、ローマ帝国の末裔という冗談をひっさげて でも日本が勤勉で発展して行って
SF的な近未来になったら
それはもう西洋の世界観なんだが
日本の慈悲とか空ってやっぱりアミ二ズムというか
自然あってなんぼの神だし
都市型の慈悲とか空って完全にもう西洋じゃねえかwww >>922
オリエンタリズムですね。
所詮、西洋人が考える東洋であり、未来像です。 SF的な近未来で慈悲とか空とか残っていたら
それはハッピーですね >>924
SF的な近未来でおにぎりとかおみそ汁とか残っていたら
それはハッピーですね SFのような未来で最高に心温かいおもてなし
や相互扶助の慈悲型社会を作り上げた日本人
もう文句ねえじゃんww 基本的に、慈悲と空を伝承するツールは日本語です。
近未来に日本人は何語をしゃべっているんでしょうね。 逆に言えば領土や土地を奪われても
日本人さえ生きていれば
慈悲や空は未来に残るのではないか >>926
現在、日本人史上、人類史上、もっとも豊かで公平な社会を作りました。
今後、黄金の時代と呼ばれるでしょう。
これから人口減少時代、もはや日本人を維持できるかどうか インドを真似するしかない
あそこだけ右肩上がりだから 2050年くらいには
たしか20億だっけかな
4人に1人はインド人笑 仏教は、バラモン教から分かれましたが、
バラモン教は、インドヨーロッパ語族から来ています。
というのは、インドヨーロッパ語族の宗教の特徴は心身二元論です。
魂が死ねば肉体から離れて輪廻する。
これはプラトン主義のもと、ピタゴラス教も同じです。ここから西洋の、精神中心主義が生まれます。
キリスト教はユダヤ教をもとにしていますが、
キリスト教が成熟したヘレニズム期にプラトン主義の影響を受けています。
それがのちに世界宗教になりえた理由です。
精神中心主義として、仏教もプラトン主義もキリスト教も同じ根を持ちます。 プラトン主義でも、魂の純化には汚れた肉体を鍛えるという禁欲主義に向かいます。
仏教もまた身体的な修養を重視します。
キリスト教ももともとはユダヤ教の原理主義で、厳しい禁欲主義です。 プラトン主義は、死後の魂の世界を理想としてイデアとして、現世でも肉体の欲を抑えることで、イデアに近づけると考えます。
イデアとは調和であり、ロゴス主義としてキリスト教にも継承されます。たとえば神学。
対して、仏教は輪廻そのものを逃れられない苦とします。
そこから逃れには無我によりこの世の法を悟ることですが、法は言語ではわからず、その向こう側です。
我とは言語的な囚われです。
それがさらには空になります。
真の言葉を探すプラトン主義、キリスト教、
真の我とは理性です。
言葉の向こうを目指す仏教。
真の我などなく、無我を目指します。 しかしいまや仏教は縮小しています。
インドではヒンズー教が主流で、仏教はなくなっています。
いまも経験なのが、東南アジアですが、これらは小乗仏教系です。
出家して、悟りを目指します。
お金を貯めて、一時期仏門に入るのが、人生の目的らしいです。
在家を重視して、みなでの救済を目指す大乗仏教は中国を経由して、日本にも入ってきましたが、
中国ではいく回かの仏教排斥があり、今では少数です。
現在が大乗仏教が国家レベンで残っているのは、チベット、モンゴル、日本と言われています。
やはり仏教は高度すぎるんだと思います。
キリスト教もただ神を信じるというものですが、
仏教は神がいなく、自らの高めなければならない。
さらに空という概念はあまりにも高度です。
現代の西洋思想さえ超えてるわけですから。
そしてさらに空の実践の慈悲は難しい。
見ず知らずの人にこそ多くを与える。
ヒンズー教もパラモン教の系譜ですが、階級制を認めて、神に祈るわかりやすい。 その世界一難解な空を日本人は国民レベルで実施している。
釈迦が生きていれば泣いて喜んだかもしれませんが、
それもそれなりの工夫があります。
日本人は世界的に見て、そんなに他者に優しいか。
おそらく直接的にはキリスト教徒の方がずっと優しいです。
電車でお年寄りに席を代わるのに、シルバーシートなんていりません。
ボランティアは市民として当然の行為です。
多くにおいて日本人は他人に薄情です。
日本人はあからさまな他者救済を好みません。
ここにも空があります。
空においても、強者と弱者は解体されます。
困っているから助ける。
それでいいんでしょうか?
それは自分が業者で相手が弱者として決めつけているようなものです。
また助けられる方も弱者認定されて恥をかくかもしれません。 シルバーシートは、気兼ねなく他者を助けて良いしるしです。
そこでは弱者であることを認めた人がいます。
助けても相手に恥になりません。
やや面倒くさいですが、それが、空です。
それだけ難解で簡単に国民レベルで実現するようなものではありません。
日本人が空の実践として発明したのが、職分仏行論です。
みなが勤勉に働くことが仏行である。
このような間接的な慈悲では誰が強者とか弱者とか、あからさまな我もありません。
このような空、慈悲の実践は日本人の発明です。
直接的には他人に冷たく厳しい日本人は、間接的に優しい。
そして西洋に比べても、豊かで公平な社会を実現しています。
日本人はお百姓さんに、技術者に、働く人々に、そしてその作られたものに、感謝します。 こうして、日本人は初めて空を国民レベルで実践しえた人々になりえたのです。
日本人は、数々の奇跡を起こしています。
江戸は世界一の人口を誇る大都市でしたし、
調和されたエコシステムは、その清潔さはその時代では奇跡的でした。
明治には短期で西洋に追いつき、
戦後も奇跡の復活を遂げます。
これらの根底にあるのは勤勉です。
勤勉は懸命に働くことではなく、
世間のために働くことです。
空による労働です。 日本人マンセー気持ち悪いと言われても、事実だから仕方ありません。
戦後にかけられた国民総懺悔の呪縛から、自らを語ることの失語症になって、
日本人マンセーを聞くと、無意識に吐き気を催すとしても、
事実は事実なので 科学技術は新しいものほど尊い
宗教や歴史は古いものほど尊いとされる
はてさて人類は何千年もかけて知識や文化を進歩させてきたのではないのか?
なのに何故カビの生えた歴史を誇るのか
ここに権力構造と人間の愚かさが垣間見える 新しいというだけで、
一部の信徒が暴れただけで否定されて消えていった宗教・思想多くあるだろう
中にはキリスト教・仏教・イスラム・ヒンドゥなどよりはるかに優れた宗教が数多くあったにもかかわらず悪習のみが生き残る
人類はやはり愚かだ
誰かが導かなければならない
それが出来ぬのなら新人類の礎として消え去るしか道がないのに
もう時間は無い
新人類の誕生は目前だ
誰かが率いねば滅ぼされのみ >>944
進歩史観は近代に生まれた比較的新しい考え方です。
科学が進歩することを基本にしていますが、
科学以外も同様に考えられるかは、
安直に考えられています。 >>947
ニーチェの超人も似たような様な考えだろ
超人になれない奴は礎になれって言ってる 山本七平は『日本人とユダヤ人』で日本人は自分が日本教徒であるという自覚を
持っていないが、日本教という宗教が存在し、それは血肉として日本人自身も自覚
しないほどになっているので、日本教徒の日本人を他の宗教に改宗させることが
可能であると考えるのは「正気の沙汰ではない」という。山本によれば日本教とは、
神ではなく人間を中心とする和の思想である。
奥山実は芥川龍之介の作品である『神神の微笑』で老人が神父に語ったことば
「我々の力というのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」
に注目し、「日本は外来のすべてを日本化してしまう」と指摘する。また、
『おぎん』・『おしの』といった作品にも日本教が現れているとする。
奥山によれば日本教に絶対はなく、絶対者を知らない日本教徒は相対の
世界に生きており、日本教の最大の特徴は「相対化」であると述べる。 日本教(にほんきょう)とは、「日本人のうちに無意識に染み込んでいる宗教」という意味の概念を表す山本七平による造語である。
奥山実は日本教がすでに芥川龍之介によって語られていると指摘する。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。