数学を初めとした理系の学問と哲学について 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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たとえば科学哲学はあっても哲学科学はないわけよ
数理哲学とか論理哲学とか、これはあるわけ 社会哲学とか経済哲学もあるわけだし、
マルクスの資本論にも数式は出てくる。 >>758
それは数式を自由に使いこなせるレベルの人間が言って、はじめて意味がある w このスレは、数学が出来ない約2名(波平と底辺(発狂)さん)がルサンチマンを
発散させているだけだからね。
数学が出来ないで、哲学が出来ると言い張る方が、むしろ変だよ。 底辺(発狂)って波平しか言わないんだよねw
怪しい。 別に変ではない
そういうことを言うから勘違いされるのだ おまえ、その底辺(発狂)ってどこで知ったの?
ご丁寧に()内に別名まで書いてあるが、そんなもん波平以外使うか?
めっちゃ怪しい。 抽象性の話に戻ると、具体的な個別性というのは風化、減価しやすいよね。
その意味で、ジャーナリズムの知識は賞味期限がとても短い。
それに対して、√2は無理数である、という知識は、風化することはない。
DNAの塩基がA-T(アデニン-チミン)、G-C(グアニン-シトシン)で繋がり、
RNAでは塩基がA-U(アデニン-ウラシル)、G-C(グアニン-シトシン)という
塩基配列になっている知識は、そこに科学的な真事実が付加されて
書き換えられない限り古びることはない。
哲学者が抽象度の高い言葉でその哲学を構築するのは、そういう普遍ベース
で思考を展開しているからだろう。だから、現代でもカントの哲学書は
それなりに価値あるものとして読める。 灘中学・高校の国語教師の橋本武は、「すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる」
と言って、中勘助の自伝的小説『銀の匙』を扱った独自の授業で知られる。
そういう意味で、数学も哲学もすぐに役立つものではないので、長期的に考えると
非常に価値ある対象であることが判る。日本人は職人気質の現場主義・即物的な
プラグマティストが多いので、こういう考え方がなかなか出来ない。
一見すると実用性に欠いているように映る抽象度の高いものは、この意味で、
とても価値がある。
この橋本武の授業を受けた最初の生徒たちが、6年後の春には東京大学に15名合格(1956年・新制8回生)、
更にその6年後には東京大学に39名・京都大学に52名合格(1962年・新制14回生)、
また更に6年後には132名が東京大学に合格し、東京都立日比谷高等学校を抜いて
東大合格者数全国一位となる(1968年・新制20回生)。その後も6年おきに120名(1974年)、
131名(1980年)が東大に合格という快挙を成し遂げる。 数学だけじゃなく「理系の学問」とある。
以下のTED講演のビデオなんかも面白い。
倫理の問題も、動物(霊長類)からの進化で考えてる。
15分すぎの哲学者に対する皮肉なんかも面白いよ。
https://www.youtube.com/watch?v=b_Lm49XVkGQ
Frans de Waal: Moral behavior in animals >>815
たしかに当該哲学板同様殺伐としてます。
数学板は、既に焦土と成り果てましたが、でもいつからそのような惨事が加速したのでしょうか? >>749
不遜を与えない態度が、山水へと通じる関門を開放し、盲目の僕らを”石に枕し流れに漱ぐ”非日常へと誘引するであろうか。 >>866
それ言うなら「石に漱ぎ流れに枕す」では? >>867
彼の言葉を拝借すると、威嚇、挑発のジョーカーなのでは?と思います(о´∀`о) >>861
この人の訳書は結構出てるよね。
最近刊は「道徳性の起源」だったっけ。
全米アカデミーの会員で、タイム誌の「世界で最も影響を与えた100人」に選出されてる超有名な人だけど、日本のガラパゴス文系は知らないのが多そう。
公平性はフランス革命からって皮肉、笑える。 たしかに言葉遊びの学問はもうちょっとで滅びる運命にあると思うね。 >>864
なにが、哲学板同様 だよ w
殺伐どころか、哲板って冗談みたいなスレばかりだろ。 >>869
日本人がこんなペダンジジイに流されたら逆に困る
道徳の基礎付けなんか不可能だよ 質と量の関係を考えることが、数学と物理と哲学をつなぐことになるのではないかと思うのです。 例えば、足すこと/引くことと、増える/減ることは、どちらがより基本的なのでしょう? 算数では、まず足し算/引き算を学び、その後に掛け算/割り算を学んで、増減の割合を
考えるように教えられるのではないでしょうか。すると、足す/引くことの方が、増減の割合を
考えることよりも基本的であるかのような錯覚が生じます。 ところが、実際の経験を考えてみると、まず何らかの変化がある。それは太陽の位置が高く
なることであったり、影が短くなることであったり、植物が成長して長くなることであったり、
植物に成った実が重たくなったりする、というようなことです。高い/低い、長い/短い、
軽い/重いというのは、まず質的な変化として認識され、その質的な変化が量的な対比
として捉えられて量の変化として認識され、その量の単位として数が現れるという順序
ではないでしょうか? まず何かが変わったときに、「どのように」変化したのかが問われ、次に「どれだけ」変化した
のかが対比され、その後に、その「どれだけ」が数えられることになるのではないでしょうか? >>877
足すことと引くことも
増えることと減ることと同じなのでは? >>880
「どのように」と「どれだけ」の違いを定義してもらわないと意味がわからない 「どれだけ」と問うことができるには、それがまず「長い/短い」であるのか、
「重い/軽い」であるのか、「高い/低い」であるのかというような「どのように」
が問われなければならない、ということです。 >>883
ならば「どのように」で測れるものは数学的には点の集合と解釈されるのでは?
数学では「どれだけ」と「どのように」の区別はされない >>881
では、「足る」を知ることと、「足す」を知ることはどちらがより基本的ですか?
言語表現から考えるなら、明らかに「足る」ことの方が基本的でしょう。
なぜなら、「足る」の否定である「足りない」ことがあって、その「足りない」
ことを解消するために「足す」のですから。 >>885
足るも足すもどちらも同質であり違いはない
お前がやってるのはただの言葉遊び 足るは満足する、足すは加えるで
違うような気がするが。 どのようには How about --?
どれだけは How much --?
のような違いがあるように思える。 こんなとこで油売ってねーで高校行け
通信制という手もある あのなあ「気がする」じゃ数学は定義できないの
哲学舐めてんじゃねえぞガキ それ以外では説明できないと定義は可能だけど、それでは関係性とそれを用いた
理解説明をする証明は不可能だということになる。 >>897
???????????????????????? >>898
さわるな897を相手にすると人格が遷るぞ、 >>895
>哲学舐めてんじゃねえぞガキ
ハタシテソウカナ、ホントウニソウナノダロウカ 「どのよう」であるかを問うことが、「どれだけ」を問うことよりも基本的であることは、数学でも
同じではないかと思うのです。何らかの方程式の解を求める場合、まず、その解が
「どのよう」なものであり得るかが、方程式の形によって規定される。例えば、それは、
解が整数であるのか、実数であるのか、複素数であるのか、平方根であるのか、3乗根で
あるのかといったようなことです。その「どのよう」であるかが決まった後に、「どれだけ」
であるかが求められることになるのではないでしょうか。 >>901
数学でも妄想哲学が重要である部分はあっても、それは数学へ至るための術であって
数学ではない。
証明に達し得ない妄想は幻想にはるかに劣るチンカスレベルでしかない。
幼児が思考するレベルで数学言うのもいいけど、哲学と数学をまぜこぜにするべからず。 >>901
やっとコテ付けてくれたかd
「どのような」の普遍的な基準を明記してくれないといくらお前さんが主張しても、それは一個人のフィーリングでしかない。
整数は実数に内包される。
複素数は実数を内包する。
平方根と三乗根は無理数でありかつ実数に内包される
さて、これらが「どのように」異なるのかを示す一般的な判別式を提示してくれる?
つか少し煽られただけで反応するくらいならここに来るな。 ちがうね
名無しのくせに「やっとコテ付けてくれたかd」とか
何様よってことだ どのようにか異なると認識されているから区別されているのでしょう。 先に数なり、量なりが存在するとする考え方が間違っていると言っているのです。
まずは解が「どのよう」であるかが考えられ、それから「どれだけ」であったり、
「いくつ」であったりするかが考えられる。 先に無理数なり、実数なり、複素数が存在すると考えてしまうことにより、数学は既に哲学ではあり得ないし、
哲学の基礎にもなり得ない。 >>910
もっとも簡単な形では無理数だろ?
特に言及する必要はないと思ったが もっとも簡単な形?
それが「一般的な判別式」ってわけか >>911
>>912
だから数を「どのように」思うかはお前の認識次第じゃん
それは数学とは関係ないだろ
そして数学が哲学の基礎になり得ないのは当たり前、常識
わざわざここで張り切って宣う必要はない
だから>>875が間違っていたということを認めろ >>914
違う
お前「判別式」も知らないのか
やはり中卒だったか >>914
あのね
「もっとも簡単な形」っていうのは受験数学の常套句なんだよ...
それの意味がわからないってお前の学歴がお察しになるんだよ... >>911
つかお前いちいちコテ外して反応してるからコテ付け忘れてるぞ
わざわざ口調変えなくていいからコテ付けたままでいてくれる? >>916
だったら「もっとも簡単な形」では話にならないね
>>917
4の平方根は2だよ
もっとも簡単な形ってなに?? 畢竟するにこいつは認識論を数学に持ち込もうとしてるんだけど数学に公理公準があって数学が無根拠の前提に基づいてることを知らない
で、その認識論すら「どのように」みたいな曖昧な言葉しか使えてないので論に定義できていない
それを持って他人の共感を求めようとしてるから馬鹿にされる コテ忘れてました。
自作自演がひどいようですね。
相手にするだけ無駄なようなので消えます。 >>919
もっとも簡単な形で平方根になるってことだよ
√4はもっとも簡単な形では2だからこれは平方根とは判別しないということ
分かったか?池沼 >>922
涙目敗走ですか
頭が悪いと自分の間違いを認められなくて大変ですね 自作自演を相手にしても労力が無駄だからです。では、さようなら。 「コテ付け忘れた」と言っておいて「自作自演がひどい」という矛盾
やっぱりオツムの弱い子なんだろうか >>925
「どのように」は君の認識でしょw
だってそれを数学的に定義しろと言われたら黙り込むんだからw 貴方、「もっとも簡単な形では無理数」とか言ってるけど>>913
√4はもっとも簡単な形では整数なんでしょ>>923
ちゃんとやってくださいよ ◯「どれだけ」と「どのように」の違いを数学的に定義できない
◯「もっとも簡単な形にせよ」という受験数学で使い古されたフレーズを知らない
◯「判別式」の意味を知らない
◯それでもって数学と哲学を繋ぐことができると思っている
◯自分でコテの付け外しを認めているの関わらず自作自演がひどいと言い逃亡宣言
(´;ω;`)ブワッ >>930
違う違う
もっとも簡単な形で平方根と三乗根なら無理数ってこと
だから√4はもっとも簡単な形では有理数
√4は有理数だが、2は4の平方根
お前の読み取りが間違ったる >>
なんでもかんでも数学的に定義できるわけない
どれだけが「○○メートル」で、どのようは「長さとして」
簡単なことだろ
どこに「判別式」があるのかね >>910で平方根が無理数とは限らないだろと言われたから
たしかに4の平方根は無理数じゃないよと言っただけ
しかし√は付かないよね?ってこと >>936
そうか?
「もっとも簡単な形」というフレーズを知っていたら正しく解釈できた
まあお前が最低水準の教育を受けていないという証左になったとは思うが >>934
えっ、長さって線分のことだろ
それって点の集合じゃないの?
あと数学的に定義できないならどうやってそれを数学と結びつけるの? 「長さとして」←これってなに?
曖昧な言葉使わないで具体的によろしく
それが哲学だから >自分でコテの付け外しを認めているの関わらず自作自演がひどいと言い逃亡宣言
コテとコテじゃない奴を混同しちゃう知的障害? >平方根と三乗根は無理数でありかつ実数に内包される
>さて、これらが「どのように」異なるのかを示す一般的な判別式を提示してくれる?
一般的な判別式なんてないだろ >>939
数学的定義とは何かもしらないのに何でそういう態度できるの? >>938
人格攻撃は別にいいけど自分の間違いを認めないの?
論理より自分が可愛いなら哲学はできんの >>940
厳密の定義はどれだけ難しいか理解しとらんようだな
数学で数字の1,2,3,4と個別の定義が成されるまでどんだけ手間と苦労が
かかった歴史すら知らない無学か? >>941
コテじゃないやつがコテの自分を騙っていたらそいつは俺じゃないと安価つければいいだけ
つは >>940
「長さ」って曖昧な言葉なのか?
一般概念に対して「具体的によろしく」って
何が言いたいのかわかりませんね >>942
だから「どのように」の一般的な定義を明記しろと言っとる
フィーリングであーだこーだ言ってるだけだからチンカスなんだよ >>947
厳密な定義する場合は論文並の説明が必要になるのに、それを個々で説明しろとか
言い出すDQNを相手にしてはいけない、そもそも何人も発言しているのに、奴と2人しか
いないようにしか認識していないDQN >>947
お前が書いたのは「長さとして」だろ
誤魔化すな
これに含まれる「として」ってなに?
長さとは違うの?ww >>948
一般的という意味を理解できていないだろ、一般なんてものはどうにでも変貌するもので
あって定義するという言い回しが日本語ではない。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。