ニーチェ36 [無断転載禁止]©2ch.net
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どうしてマルクスがでてくるのか
イデオロギーで世界を二分し破滅的な危機に追い込んだ罪を償え ウィトゲンシュタインがショーペンハウアーを意識して論理哲学論考を
書いたという説があって、それが本当なら
ニーチェもショーペンハウアーを意識していたわけだから
2人とも同じ梯子*を上って別のところにたどり着いたと言える
『論考』でその固有名を言及されないショーペンハウアーは「梯子」の一つだった‥‥
2人とも梯子は外してしまったが
最終的にショーペンハウアーを受け継いだのはニーチェを経由した別分野のフロイトだった
ニーチェ→フロイト
プラトン→カント→ショーペンハウアー〈
→ウィトゲンシュタイン
東洋思想/無意識/独我論
ショーペンハウアーは多面的だしその受容は多様だったが
その大きさは(スピノザ、ライプニッツもだが)カントの陰で忘れられている
(カントはヘーゲルの陰で‥‥)
意志と表象の意志の部分をニーチェ、フロイトが受け継いだとするなら、表象の部分の吟味をヴィトゲンシュタインが
批判的に受け継いだのだ。
(表象から意志への移行をウィトゲンシュタインはショーペンハウアーによる動かない腕の比喩を逆手に取って拒否する。)
*
論考6.54の梯子の比喩は続意志と表象#7に似た表現がある マルクスを加えた図解:
近代から現代へ至る思想の見取り図、小川圭治作成
[個人の内面]
キルケゴール
(主体的実存)
/|
/ |
/ |
[現代思想]/ | [近代主観主義]
ニーチェ/←___|_____ ヘーゲル
(神の死)\ | (絶対精神)
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\|
[社会の現実]
マルクス
(共産主義社会)
小川はカール・バルトの翻訳で知られる。
上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32)。
キルケゴールの代わりにショーペンハウアーを置きたいが、その場合は集合無意識を意味するものになる 書き込みを読んで改めて感じるのは、数式で表せない。それが哲学が他の学問と違うところ。
数式で書いたほうが楽だろうに。
哲学とは何か?
人間の奥をここまで知りつくように出来た人達の言葉。
それは本人が本気で望んだ「絶対」的概念にあらず。
物理学者の味気ない言葉よりも、孤独と戦いそして果てた人の思想の副産物、ニーチェなら心理学、現在のところはここまで。
いつかニーチェを物理学的に判断する未来が来るであろう。個人的にはとても明るい朝の光だと感じている。 思想と哲学の違い
思想は言いっぱなし、哲学はwhyをちゃんと説明する
逆説的に言えば、上手く他人に説明できなければそれは哲学ではない >>970
言葉で説明しても、無意味なものは無意味だよね。
存在だとか時間だとかw >>970
上手く他人に説明できていなからといって哲学かもしれない説明を哲学ではないと覆せているわけではないですけどね >>963
マルクスはダーウィンが目的論から科学を解放したみたいなこと言ってたね 考えるな、感じろというのは思想か宗教であって哲学ではない
ニーチェも他の哲学者も、本の中で長々と考えを述べている
導きだされた答えではなく、考える過程こそが哲学なんだ まだまだ大きな物語はあるだろう、資本主義、文明化が絶対正義のグローバルスタンダードという
世界をひとまとめんとする圧倒的なエネルギーに人々は突き動かされている
そこにリオタールが思い描いていたような熱気のようなものはもう無いんだろうが >>978
圧倒的な資本勢力が、世界を股にかけて搾取できるのは
人々が金と名誉に熱気ムンムンで奔走してグローバルスタンダードに尽くしているからで
リオタールの時代錯誤で冷えきった代物を後生大事にしている人間はもういないんだよ 道徳は弱者の価値転換とか
近代は軟弱な妄想とか
一理あっても全面的に受け入れるのは無理 ニーチェを読みつないでいく誇り。弱者の復讐には無理があって
近代の脆弱な精神にも加害があったこと。 >>980
ほんとそれだな、宗教的倫理というのは自己否定、厭世観ではなく
他者への憐れみだ >>982
そうかな?
自己否定も厭世観も多分に含まれると思うが
他者への憐れみなんてのも自分を相対的に認識してるといえるし レーニンやトロツキーの国家論だと支配者と民衆が争い過ぎると共倒れになるから
国家システムが両者を仲介し、秩序を形成しているという社会契約論的な説がある
道徳も強者と弱者の社会契約論で説明できるんじゃないかな
牧場の家畜が必死の抵抗すると経営者もそれなりに困るわけで、
弱者からの最低限の要求として道徳があって、道徳を共有する限り強者に協力するぞという取引 >>978 >>979
資本主義のエネルギーはかつて予見されていたよりずっと弱い
グローバルスタンダードな大企業・財界・軍産複合体は、文化や民族性を破壊しつくすほどには膨張できなかった
ヨーロッパや北米の白人社会は移民で崩壊するかもしれんが、それは企業および資本主義の発展をも道連れにしてしまうだろう
したがって資本主義発展に伴う世界の人々が均一化されて結びつく動きも頭打ちとなり、マルクス主義的世界観は完全に停滞している
巨大企業の力が絶対的に世界を支配するアーマードコア的なSF世界が唯物史観のシナリオであるから、
国際金融資本が勝手に自滅してる現状、マルクス主義の大きな物語はまたしても「一歩前進二歩後退」中なのだ なるほど道徳社会契約説かあ
ローマ帝国におけるキリスト教国教化なんてまさにそれだね 出来上がっている歴史の道を使ってきた手前、この道筋(ストーリー)が誤解でも
自分も辿った癖に生意気なこと言ってるんじゃないという力
そして結局踏みとどまると稼ぎそびれるから、まぁそういうことでいっかと清濁合わせ持った
自然法則と人間の計略が相互補完され崩壊で展開を繰り返す。
自然にセッティングされていた獣道をアスファルトで舗装した道を道徳の道として
自由に通行していいとされ、どこに続く道か知らずに進んでしまっただけ。
文明が資本力に依存して
自然選択的な力による創造と崩壊の繰り返しで出た瓦礫を叩き潰して文化と称する
王道の倫理観を招いた。
歴史という変えられぬ野蛮な道を省みる人が省みないで進んでいく人と摩擦を起こし
再び清濁併せ持ちながら崩壊への獣道を金と力を合わせて舗装していく人間
資本主義が崩壊しない限り、一向に未来を見据えたルートは開拓できない
まったく進歩せず滅ばない、驚愕の動物人間。
決定していた鉄壁の構図に鉄壁な配役、この自然の成り行き上変わらない
ホモサピエンスというスタート地点から人が始め、死んでも人間は予備を育てるから
新たな配役がリプレイし続ける。そんな平凡な人生が一番だなどといいながら.
資本主義万歳(お手上げ) >>987
貴のための道徳はあっても賎のための道徳はない。
貴とは道徳の体現者を言い、賎とは反道徳者を言う。
道徳とは貴の保存のためにある。
どのような社会であれ、支配者がその社会を支配し続けるための思想が、道徳。 強者の道徳、弱者の道徳のことなら道徳の貴賤とは言わんぞ? 道徳を説くのは、上の階級の人だ。あたりまえだ。
彼ら自身は、道徳的でない、ルールも守らない。「勤勉が徳」だと言いふらして得をするのは
彼ら自身だ。・・本当は、奴隷は、働かなくていいんだ。工場が監獄だとフーコーは言った。
そして、これは比喩ではないともいった。「工場は牢獄である」。しかもカネを取られて。
しかも、本当の牢獄は、「工場牢獄」から得た税金でまかなわれる。奴隷の資金も奴隷からということだ、
・・仏教の「徳」は、実践したら、健康になるもの全般をそう呼んでいる。
上の人は儲けたい、下の人は働きたくない。・・・こういう価値観は西洋のものだった。
しかし、もはや過去のものだ。。ニーチェふうに言うと「日本人は負けたのだ」っていうこと。
グローバリズムはただのローカルな一思想だったが、ユダヤ教がそうであったように普遍的になろうと
している。
・・金持ち、例えばダイアナ妃や天皇が、さやしさ、寛容さを示せるのは、余裕があるからにすぎない。
世界は、上の階級で「団体をつくる」、横でつながっている。
彼らに平等におとづれるのは「天災」「病気」など。 どうせ手口なんてこれしかないんですよ。
まさに馬鹿の一つ覚え。
1.反目させ、孤立させ、誘導する
2.(咎められても)ないも認めるな、すべてを否認しろ、相手を非難しろ このスレッドは1000を超えました。
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