時間はアリまぁ〜ス 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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●前提
※このスレは粘着荒し『時間の国のアリス』君を、隔離、指導、躾する意図を含んでいます
※『時間の国のアリス』君、通称アリス君は、他人に成りすましてアリス君自信を擁護する場合があります
※アリス君擁護の別キャラが忙しいときはアリス君キャラは出てきませんが設定です
●アリス君の主張
過去とは前の状態の現在であり、未来とは今後の状態の現在である。
現在、過去、未来は状態が違うだけで実は同じものである。
よって時間とは現在の持続であり、状態の変化は時刻である。
常に在る一定の変化を数える事は、時刻を数える事と同じ意味を持っ。
※この主張はあまり考えたものではありませんが、アリス君自信作です
●その他
※『時は存在なり』というアリス君の別キャラが居ますが、アリス君が忙しい
※または別キャラに扮して発狂しているときは出てきません
※それ以外は毎日欠かさず出てきますので、生暖かく見守りましょう
※アリス君は長文コンプレックスです
※アリス君は時折発狂します
前スレ
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1461072404/ アリスの名言と逃亡
> 電気素量が重さであるはずがねーわな
> 電気素量は電荷だ電荷
>
> 電子一個の重さの話→ミリカンの実験
>
> どう繋がるってんだよw
>
> 電気素量→電子の定立→ブラウン管→電子一個の重さ
> だろ、せめて
>
> 出直してこい馬鹿
後の嘘と解り、アリス逃亡 アリスの迷言と逃亡
>ミリカンの実験で電子一個の重さが算出できるわけねーだろ、ぶわーかw
後に玉砕し、アリスだんまり ☆ アリスのご自慢作文 ☆ 馬鹿だけど一生懸命書きました ☆ 下手だけど許してね
> どうして現在は持続するのか
>
> 実際のところ、現在が持続している科学的根拠は、一切ありません
> なぜなら、現在が何であるのかについて、科学は触れないからです
> それは宗教の役目ぐらいに思っているのかもしれない
> それでも、持続している感覚は事実としてたしかにある
> だれにとって持続しているのか
> 結局それというのは、“意識にとっては”、あるいは“意識に於いては”
> 持続している、ということになります
>
> ではその「意識」とは、物理的には何であるのか
> これがほとんど分からない
> 「どうすれば分かるのか」すら見通しが立たない
>
> 自然と現在と意識、この結合が説明されないかぎり
> 時間もまた、いつまでも「無の存在」としてあるばかりです
この作文はアリス曰く、卒論レベルだそうです アリスが書いたほかの文章も載せておきましょう
> ラッセルが観念論を上手に批判しているので紹介しましょう
>
> ・「木がただ観念のみから成る」と言われるとき、彼に言う権利があるのは実は
> 「木についての“思考”が心の中になければならない」ということだけだ。
>
> 時間についても似たような混乱があると思います
> 物体が即座に原始的感覚によって成立するのに対して、「時間」は
> それを認識するのに知性を必要としましたが、だからといって
> 人間が居なければ時間は存在しないことにはならないはずです
時間をかけて下書きから一生懸命書いたようです
ツイート(つぶやき)ではありません
起承転結をきちんと考えてがんばったようです テンプレ終了だと思います
間違いがあったらすみません アリスさんのスレおめでとうございます✨💚
物理板から戻っておいで。👰 おまとめサポート
(平成29年7月よりスタート)
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特定非営利活動法人 STA > 人間が居なければ時間は存在しないことにはならないはずです
?人間が居ても自然には存在しない >>9
人間がいなくても時間はある、ということを言ってるんじゃない? 鼎梯人先生も呼びましょう❗
戻って来てもいいよお😃 「時間」とは人間の持つ「概念」であって、
人間がいなければ「時間」という人間の持つ「概念」は存在しない。
非人間による哲学が必要だが、われわれは人間であることを逃れられない。
これが、人間による「哲学」の「限界」である。
この「限界」に挑むのが、機械による機械のための機械の「哲学」だろうw
犬猫に哲学させるより、人間にとっては機械のほうが扱いやすい。 人間の持つ「概念」は存在しないけど、私達が時間とよんでいるもの、こと、は存在するでしょ。
人間が扱うなら機械の哲学も「機械による」ものではないね。 「点から線が作られるのではなく、むしろ線から点が作られる。」(無限論の教室 ) 31P
自然から三次元が作られる。
運動から四次元が作られる。
時間は運動を量で捉えることから必要なだけ
次元にしても運動を静止で理解するから必要なだけで、現に科学はその自然存在を否定している
それは頭の中にしか存在しないということ
運動を人間は静止で捉えるから量で理解するしかない
ここからここまで、と静止を設定する
その運動量を時間で捉える
その時間という尺度は太陽とか光とかの定期的な運動量の抽象
つまり自然のある特定の何かの運動量を運動量で捉えている
今、現に在るはずなのに幅が無い
在るものを無で理解する
運動は直接に捉えられないから、量にして理解するしかない
時間は他次元同様に目の前の自然から作り出された、自然を理解するための観念的な存在でしかない
科学革命が示すように、次元など無いということになる いずれにしても、今が永遠であり、そのことは運動が永遠ということを意味する
自然がなぜ存在するのかなどは問えない
何故は自然には無いから 理解するのが人間の頭の中だからないことにはならない。
私はあると思うなー。
そもそも概念を超える想いをめぐらしてもいいのが学問じゃないかな。哲学に限らず。 自然という対象は自然に存在しないもので理解されると言っているだけ
対象は対象の否定で理解される ここでいう「機械」を、人間の作ったものだけに限定するか、自然によるものを含むか、それも問題だ。
最初に(人間が)「機械」を作成するかどうかは先送りする。どっちでもいいしw
観測者としての「人間」は、「観測」する以上、なんらかの干渉をしてしまう。
「干渉」とは不思議な言葉であって、影響を与えるという意味ではなく、影響を与えないという意味でも用いられる。
いや、「影響を与えない」と考えているのはわたしだけかもしれないがw
ゼロ知識証明ができるのだから、影響を与えない観測も可能だろう。(トリックは必要だが、不正ではない) 個人的には自然法則の意識的な適用という人間の技術の定義を支持している
自然による生成は意識的な技術の適用はない
観測というか理解するには必ず媒介がある
その媒介を通して理解するしかない
運動する自然を静止という媒介で理解する
これは差異を否定で理解することでもある 過程ちんは人間大好きだよな。
俺は人間なんて単に出力値が傲慢な数値としか思ってないから、そういうところに違いが出るん
だろうな。 理解というのは人間の行為だしなあ
だから常につきまとうものだし 分類しがたいものは分類の本質に基づき、対象は分類とは関係が無い
理解しがたいものも理解の本質に基づき、これも対象の問題ではない 鳥もちと鳥の関係でしょう
鳥は自然
鳥もちを外すと鳥は逃げる けっきょく土俵が違うことがわかっていないから明後日の論議して、また理解しているだけなんだよなあ
話ができる人は滅多に居ない
理系サイトも二割いかない印象がある
アリス?その二号?問題外 自分の土俵すら理解していないということに尽きる
その意識が皆無ということか あれだけ低脳をさらしたアリスが逃亡しないのは偉い
俺にはとても真似できない
スレ主も賛嘆しているんだろう
素晴らしい あちこちでアリスが匿名で憂さ晴らししている
それしかできないからなあ 魔女スレの俺への批判者はすべて自演だと思いたいなあ
何人も居るとしたらバカのスクツ、いや巣窟ということになる
そうだとしたらどうにもならん
元の巣に帰ることにする wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 理解する気が無い人に何言っても無駄だけど、少しわかってくれる人もいるみたいだから、その人向け カルメン 面白かった
カルメンが時々公美子にみえる
歌は上手いんじゃないかと
ホセはドミンゴなんだな
別人だと思えた
この辺りから歌手がわからなくなってきた感じだ
ディースカウ、シュライアーまでだからなあ
歌劇なんて絶対に観ないだろうなと思っていたら意外と面白いのは名演というこが大きいんだろう
ということは他分野もそうなんだろうな 題名のない音楽会みていたら、天才バイオリニストが大安売りしていた
カラスのライバルテバルディだったかな、いつのまにか消えたとどこかにあったな
ガウディのライバルとかいたけど
俺たち凡才は同時代の天才はわからないだろうな
歴史に残る条件とはなんなんだろう
関係は無いけど、わかりたくはある 黒澤明と原節子の映画観たけど後悔した
ノンちゃん雲に乗るの方が面白い
「それから」は藤谷美和子、松田、いいとも青年隊のお騒がせ男、森田監督とかてんこ盛
ヴィスコンティ、キューブリックかな、あとは
もう良いかなとも思えるけど
東京物語はつまらんと思ったが、どういうわけか印象に残る
戸田家の兄妹はいろいろ難ありなので、再挑戦したのが東京物語とか それからの松田優作は何か違う感があるのは俺だけかな
小林薫は○、草笛さんは良い女優だけど△
草笛さん、存在感有り過ぎ
どういうわけか三輪明広さん思い出した
三輪さんの主張とか、それは違うと思うことがあるけど、その人と一体になった主張なんで他人にはあてはまらないのかも知れない
裏を返せば三輪さんには真実なんだろうなと思ったりした
草笛さんは以前主役の若い子食ってしまったドラマがあった
その作品が中古屋で売っていて思案している
主役の若い子のその前のがいろいろバランスがとれていて面白かった
草笛さんは貫禄ありすぎて、周りの俳優さんが力が無いとバランス崩す気がする 死も生もなく、時間も重力も次元もなく
不思議な不思議な自然ということになるのか
そこに深遠を感じるのか、恐怖を感じるのか
生存本能というか感情というか、西洋的な歴史背景で育った人間には進化論のように本能に近いところで拒否するのかも知れない
日本の場合は鴎外が一杯ということでしかないように思える
そりゃ西洋の教科書には書いていないとか言って否定する口 ホッジャーか、CD借りてきたな
ロザリオのソナタ 面白い
しかしいろいろと掘り返すと面白い楽曲が出てくるもんだな
大滝詠一さんのアメリカンポップス紹介のラジオ番組でも面白い曲がたくさんあって
また聞きたいと思ったらその年に亡くなられた
クラシックは独墺偏重で、もう少しいろいろと思う 管楽器主体の曲流していたなFM
以前は管楽器は性に合わなかったが、最近はOKというか良くなってきている 朗読版星の王子様 あと半分か
そういやこの本が絡む黒柳徹子さんのドラマ今週末すべて放送 古事記が交換コーナーにあったんで朗読版のを借りてきてコピー
九枚組みか
さて、その前に聴きたいのがたくさんあるのでいつになるやら
この本はすでに中国の影響が在るとテレビで解説者が言っていた
本居宣長の主張思い出したが、無駄な抵抗という気がする
どんなに自然を素で捉えたいと思っても、認識の在り方はつきまとうのと同じくらいに
日本と外国の文化は気っても切り離せない
そういや古代ギリシャ文化も以前の文化との混交だしなあ
トリレンマ・・・ 内藤さんの星の王子様は最後まで読んでいなかったような気がする
星の王子様は原題小さな王子様だけど、その合理性を池澤さんは日本語として支持していた
本のあとがきにも記してあって、なるほどと思わせた 朗読版だと文学はけっこう読める気がする
黙読だと描写はけっこうすっとばすのかな
今年お花見の時に短編集をもっていって読んだけど、一篇一篇じっくりと読んで面白かった
長編だとやはり飛ばして読む感じになる
朗読の欠点は二時間かかったりすることがあること
まあ読まないよりはと思って朗読に頼ったりする
「模倣犯」は文庫本でかなりになるけど、朗読になったら何時間になるかな
面白くて一気呵成という感じだった
間取りでいろいろ推理する元刑事が、捜査している刑事の相談役として出てくる小説と違って
ドラマでは省かれているし、家族を殺された高校生が親しくしている女の子も同じ扱いだった
あの時間で詰め込むんだからしょうがないかな
そういや「小石川の家」も原作との違いがあるのかな
原作者は子役を褒めていたような記憶がある
星の王子様はたぶん二時間かかならないでよめる本だろうけど
この本はやはり古典だろうなと思わせる面白さで、魅入られるのはわかる内容だった 星の王子様の理屈は子供の理屈だけど、戻らなければいけない理屈でもあるのかな
マイクロソフトの創業者が慈善事業に傾倒しているらしい
金持ちの間でも、俺たちは間違っているんじゃないのかと言いはじめている人も出てきているという報道があった
現状がおかしいという感触は上から下まで出てきているのかな
新たな経済体制考えなきゃいけない気がする
社会主義は社会には向いていないことが証明された現在だが、それでも純然たる資本主義でもないことは社会が示している カンタータの詩を追うのはつらいなあ
歌声も楽器として聴くことにした
農民カンタータ、コーヒーカンタータは追えるかな、とくにコーヒーは
歌曲は時々良いなと思わせるのがある
この間森麻季だったかが歌ったのは良かったけど、作曲作詞全然知らなかった
他にもいそう
そういや高橋マリが歌ったんで、ジャリタレが歌っていて聴く気がしなかった曲が悪くないということを発見したんだけど
いい曲はせめてそこそこの歌手に歌わせろとその時に思ったことが甦ったりした
森さんは中堅ではあるけど、名がつくような水準ではないとこの頃わかった
ジャニスはピアフには及ばないけど良い歌手だし、クルチも良い歌手で好きだが違うかもと思ったりする
グルヴェローバも良い歌手だけど大ではない気がしたりする
・・・まあ俺にはわからないことは確かかな
ホロヴィッツとミケランジェリだったらミケランジェリ選ぶけど、プロが選ぶとなると違うかもと思ったりする
ラフマニノフが代表であとはその他だとホロが言ったと書いていたのを読んだけどCDだとわからないのは
好みの曲をラフマニノフが弾いていないこともあるのかなと思ったりする
ピアノの専門的なことはわからんし 黒澤監督の「わが青春に悔いなし」という映画は戦後直後のある層の開放感の体現のような気がする
今から観るとなんだかなあとしか思えないけど、やはりそれは晴れ晴れとした思いでもあるのかな
ただ何か違うぞと思ったりしたのはその結末を知っているからに過ぎないからだろうけど
将来を見通すのは難しいなあ
あれだけ苦労していろいろ見通せた父もいろいろ間違えた気がする
母みたいに基本なるようにしかならず、行き抜くだけだというのが姿勢としては正しいのかなとも
理知に優った父は動物としての母の姿勢に欠けていたということかもしれない
バブルの時は引退していたので、兄の浮かれぶりにやれやれと言っていたと母は伝えている
母もまた良い時も悪い時も在るからねといつもの姿勢を崩さなかった
こういうのは伝わらないのは歴史が示している
渦中にいればそんなもんなんだろうな
ウォール街の魔女に成れなかった人たちの轍を踏むだろうなとリーマンショック前のアメリカ株式市場の
浮かれっぷりの報道でそう思ったけど、外部がだからわかったことなんだろうな 理知的だった父はけっこう経済は見通していた気がする
母もまた良い時もあれば悪い時もあるからねと準備は怠らなかった
成るようにしか成らないし、生き抜くだけだという動物としての姿勢があった母と違って父にはそれが少し欠けていた気がする
霊を自分の体験で信じた母とはまたそれは別だし
学ぶに足る人間が目の前にいたことを居なくなった今わかったりする
そんなものかな多くの人間はと思ったりする けっきょく日本の歌手が大にも名にも成れない現状は文化土壌の差なのか
良く耕された果樹園なんだろうな、欧州は
科学とか学問になるとそういう要素も在るが、逆にそれが足枷になったりする
それはビッグバン仮説でも明らかだ
彼らは創世神話が身に染み付いている わたしのは素人というか子供の直感のような気がする
しかしプロの解説は不備があるすぎて素人も子供も納得させる段階とはとても言えない段階であることは確か
ニュートンの重力説明でわかったつもりになった過去の多くの人たちと同じ人たちが現代にもたくさんいるという話 経済と同様に学問もまた過去から学ぶ人は少ないということか 今の自然事象の科学者の説明も天動説的説明が多い気がする ラーナー、アルヴェーンは方程式の性格について理解している
「ビッグバンはなかった」で数学についての理解を展開していたけど、もう少し掘り下げるべきだろう 物理的には地動説のほうが合理的である。
しかしながら、われわれの「生活」は天動説で行われている。
太陽は東の方からのぼり、西の方にしずむのだ。
哲学が合理的である必要はなく、「生活的」「日常言語的」な「真理」「本質」に「生きる」べきなのかもしれない。
「生きる哲学」は天動説的である。「理解」のためではなく「生きる」ためにはより「合理的なのだ」ともいえる。
日本における最高の哲学書は「天才バカボン」であろう。なのだ。 北朝鮮かあ
厄介な国だ
北朝鮮貧民共和国だから、金くれ金くれ
自国の政策失敗の尻を他国に持ってくるなよ 先週迷子になって家に来た老女はどうなったかな
警察に引き取ってもらったんだが、報告が無い
そのまま老人ホームで名無しで暮らすこともあるそうだ 塀に寄りかかっていたと連れてきた老人が言っていたんで、母を思い出した
気になる それが本当の母であり、ボケているのは自分だ、という可能性もある。
10年に一度ぐらいの間隔でP・K・ディックの特集本がでるが、ブレードラーナー(ランナー)などもボケとして読み解けたりするのかもしれない。
ふっ(ロウソク消す音) 昨日の落語の映像化、死神のは読んだ覚えがある
けっこう落語は読んだことがあるんだなあ
骨董屋と売る人ちかの駆け引きの話が面白かった
皿屋敷のは知らなかった
落語は半可通批判が面白い
わたしも含めて人のことは言えないのだが ミンツ演奏の奇想曲が出てきた
ミニコンポを面貌にDVD清浄液浸してレンズらしきところをグリグリやったら回復した
冒頭の数曲は違う曲に聞えてきた
フィッシャーの平均律もリヒテルとはかなりテンポが違っていて、違う局に聞えるときがある
こっちがいろいろ理解していないだけかな 曲ってやはり良い演奏家でないとというところがあるかな
高橋マリ子が歌ったら真価がわかることもある
どうにもならないのが歌って埋もれることもあるかも 認識しなかったCDが演奏されるようになった
やはり乾式とかはダメなのかな
そんなに汚れていたということかな
ミニコンポの方がやはり良い音出す 再生装置付きラジオ買わなきゃいけないかなと悩んでいたんで、直ってホッとしている 鈴木優人という人のバッハのチェンパロ曲テレビで聴いていたら
クラシックを聴き始めた時のときめきみたいのを思い出した
たまにこういうことがあるんだけど、至福でもあったりする ああ、根本的に違うことが理解できていないから話が通じない w 生物分類は生物学のプロと議論したことがあるし
けっこう面白い指摘をされていたが、基本は合意している
説明しても、どの土俵でやっているかがわからない場合はどうにもならない
けっこういるんだよなあ
しょうがない 思い出したけど、やはり勘違いして話が噛み合わなくて行司が俺の基本を解説してくれたことがあった
ここにはそういう人がいないからダメだな プロの科学者の理解力は尊敬したなあ
研究員の方も優れていて、いろいろ解説してくれた
このお二方の問題意識と理解力は透徹していたなあ 遠い目 w
もう一方もコンピューターの研究者で新幹線通勤の方がいて、励ましてくださったなあ
もう1人の方も理解力が半端なかった
お医者さんもいたな
理数系はガン無視の方と井目付き合ってくれる方と極端なのが同数くらいだったな
たしかにホーガンが語るように三流の思考ということになるのか
残念 違う土俵で相撲を取ろうとする間抜けとか
あら、土俵が違うし、勝手に相手作り出して倒しているよ、あの頓馬
主客問題にしても、分類にしても、自然を理解しようとするからこそなのだということ けっきょく理解するからこその問題でしかない
それだけだ
単純そのもの こんなに身近なことが問題解決の鍵とは
けっこう間抜けな話だったんだなあ
笑える
ここでのも深めることが出来たんである意味感謝しているよ
アリス、その二号、三号たちには感謝している
割合と真面目に www
三浦さんがポーの小説での認識論紹介していて、それがずっと気になっていた
ポーはあんまり目の前にあるとわからないものだと書いている
地図の地名は細かいのではなく、地図に幅ひろく広がっていると意外とわからない
けっきょく理解することそのものの問題
睫毛みたいなものか
奥義を求めて山に入るが、人里に出るということか モーツァルト、ベートーヴェンも感じないわけではないが
バッハの方がクラシックを聴いたときのときめき感じることが多い
小フーガでクラシックに魅入られたからかな
チェンバロ曲は久しぶりにその気分を思い出させてくれた
朝なんでモーツァルト聴いているけど、ポリーニじゃなくてハスキルの方が良かったかな
ハスキルは全集が出ていたそうで
欲しかったな 主客問題も収穫だったが、「今」の問題が対象とその否定に収斂するというのが一番の収穫だった
すっきりしていなかったんで
宿便が出た感じだ w 桜井章一という方は哲学者だなあ
色々な嘘を見破っているし、考え抜いている
これは彼の体験から出ているし、鍛え抜かれている
母もまた似た認識をもっていたことは行動と言動で明らかだった
やはり俺たち本に偏り勝ちな人はダメな場合が多いんだな 久しぶりのミニコンで音楽は、パソコンで聴いてきたから快く響く
DVDもパソコンだけど、やはり音がナニだな
映像はともかく 十九世紀の大思想家の本の一節を思い出した
いや、まったくその通り 理解するから主客問題が出てくる
それはなんら自然の問題では無い
今には幅が無い
対象をその否定で理解しているということ
しかし視点を一貫させる難しさを思う
自分1人で考えていたら気がつかず、もっと長い間堂々巡りしていただろう けっきょく理解することそのものの問題だったんだなあ、わたしが長年考えてきた問題の鍵は わたしの土俵を理解していない人たちも役に立つことはあるんだよな
理系会議室の人の明後日の方向の批判なんてのは、意外と深い問題だった
その意味ではとても有意義
これもまたある意味逆説的ではある w 宮部みゆきは優れたストーリーテラーだな
くりから御殿の朗読で三島屋百物語追ったが面白かった
人が生きることの切なさがあますところなく描かれている
生きることに意味など無い
それゆえに生は ヒトもまた自然の過程としてただ在るだけ
その上に築かれた幻想は美しくあり醜くも在る
それゆえに哀しい
ただただ哀しい 「けっきょく理解することそのものの問題だった」
なんだ、答えにたどりついてしまったのか、そこが出発点。
入り口がみえただけで、そこから始まるのだ、というのが一般的な仏教的教えだな。 歴史上の人物は時代によって作られる要素がけっこうあるんだな
坂本竜馬像は司馬遼太郎がかなり作ったという話があるが
信長は戦後日本社会がその像を作ったという現在の歴史学の趨勢のようだ
士農工商とかは明治政府が江戸時代を暗黒時代にするための一つらしい
歴史学では江戸時代の農民はけっこう米を食っていたと証明している
歴史は扱う時代によって彩られるということか
わたしたちはその渦中に在るという当たり前のことか
これも自己言及による視点だな >>92
そう、ここから始まる
>>91 >>93
宮台ー小林論争で宮台が言ったことを思い出してにやにやしている 以前博識芸人が徳川家康がよせばいいのに当時最強の武田信玄と戦って
予想通りの惨敗を喫してうんこもらして逃げ帰った話を、止せばいいのにと面白おかしく話していた
それをニュー速である人が取り上げて、その行動がなかったら家康は添加を取れなかったのだと
鮮やかに論証したことを思い出す
この行動を取らなかったら徳川は衰退の一途を辿ったであろうと、他の大名の例を取って論じていた
歴史は扱い方で実学にもなりうるんだなあと痛感した
歴女とかいうけど、個人的にはどうでも良いことに思えてきたのを覚えている
これも基本的には人間とはということなんだろう >>92
かなり前に聖書は歴史的事実ではないのかという指摘があった
ただ、この場合の世界はやはりユダヤ人が住んでいた周りの話でしかない
第九の「友、兄弟」は欧州であり今の世界ではない
魔笛では黒人が、わたしたちは天国に行けないと語る
やはり黒人はそういう扱いだった
仏教と量子力学云々というのは言葉が曖昧ということもあるという指摘を読んだことがある
いや、ふと思い出しただけ 一休さんのミニアニメ面白いなあ
なんだろう、教えに囚われず、根本から捉えているような
NHKの今の時間帯のお天気お姉さん、美貌だが朝ではなく昼以降の雰囲気
しかしドラマに面白いのが無くなったなあ
とっとちゃん一気放映、どうか潰れませんように
刑事ドラマはワンパターンだし
絵画番組と百分で名著くらいかな
名著のは扱いが偏っているけど、高慢と偏見の回はそこそこ面白かった
今月の野火も悪くない 「今日は春の祭典」か
音楽番組はお世話になったかな
衛星放送に良いのが多かったけど、趣味の範囲だから必要かというと微妙
当時の録画は今でも愉しんでいるけど
まあそんなに楽しいことは無いのが生きることだから、この辺は自ら求めよということだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています