時間はアリまぁ〜ス 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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●前提
※このスレは粘着荒し『時間の国のアリス』君を、隔離、指導、躾する意図を含んでいます
※『時間の国のアリス』君、通称アリス君は、他人に成りすましてアリス君自信を擁護する場合があります
※アリス君擁護の別キャラが忙しいときはアリス君キャラは出てきませんが設定です
●アリス君の主張
過去とは前の状態の現在であり、未来とは今後の状態の現在である。
現在、過去、未来は状態が違うだけで実は同じものである。
よって時間とは現在の持続であり、状態の変化は時刻である。
常に在る一定の変化を数える事は、時刻を数える事と同じ意味を持っ。
※この主張はあまり考えたものではありませんが、アリス君自信作です
●その他
※『時は存在なり』というアリス君の別キャラが居ますが、アリス君が忙しい
※または別キャラに扮して発狂しているときは出てきません
※それ以外は毎日欠かさず出てきますので、生暖かく見守りましょう
※アリス君は長文コンプレックスです
※アリス君は時折発狂します
前スレ
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1461072404/ あれ?でも
自然は無限なのだ、とか言ってますね
何が何やらw >>952
そりゃ理解していないし、理解するつもりも無いからでしょう
何がなにやらw 有を無で理解するから
0=0.000・・・
1=0.999・・・
ということになるのか?
1という有限の中の無限の数
無限さえも数にする数学の実無限処理は論理と対象の関係としてか?
可能無限は論理としてはそうなのだが、論理自体の問題が考慮されていない?
実無限は対象との関係で処理された数・・・
この辺はまだ合点がいかない 時間非在論は、『生成』を否定する。
ところが、『生成過程である』と。
始まりや終わりは存在しない。
始まりや終わりは存在しなのだから、途中も存在しない。
『方向性なき過程』? 無限に分割できるという妄想。
『測り知れないほどに分割する』と『無限に分割する』は違う。
どんなに分割しても『両端がある形』での分割であり、
『両端がある形』を保ちながらどんなに重ねても
『測り知れないだけの有限』でしかない。
『果てしない』というのは感想であり、その人の観念を述べただけ。
『見る限り果てしないように思える』だけで、
『果てが無いのが分かったし、その証がある』ということではない。 一連の過程を見出すからこそ<時間>が際立つのだ。
「生産の過程a→b→c→」「進化の過程a→b→c→」「変化の過程a→b→c→」
時間的経過というのは、このような変移を記述できる限りにおいて、
a.b.cに<持続の永さ>と<不可逆的順序>を見出せるということだ。 <持続の永さ>と<不可逆的順序>。
すなわち時間の二面性であり、時間の長さ、時間の流れとに分けて説明されている。 時間が実在すると言っているわけではない。
時間の概念は、拭い去ることが出来ない。それだけだ。
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無限を跨いで、1という橋が架かっている
1という大号令が、無限に対して及びゆき渡っているから 原理性の裏をかいて、トリックで無限を跨ぎ超せるんだろうなあ
際限なく続くように思える宇宙も、終わることができるんじゃないのか
合わせ鏡をぴったりと重ね閉じるように 過程さんの頭のなかのエントロピーが下がると
そのまわりのエントロピーが増大します >>966
重ね閉じた記開すべく宇宙初年を無事迎えたら、年単位も階単位に改正されたり
人間も、界人とかに昇格したりしてなw >>968
おめでたい事ならいいんだけど、
劫末の次の開闢は、
鬼が出るか、仏が出るか、といったところだ チベット密教のゲルク派の本尊瑜伽(自らを諸尊として生起させる修行)で、自身のロンク(報身)(ようするに自身の心の本質、真の個性)を知覚するという修行があるんだが、
自分から何が出てくるかはまったく予想外であったりするもので、宇宙が終わって次に何がくるのかはわからないというのは、そういうニュアンスがある
この修行において五次第という奥義があって、ざっくり言うと、イメージで作った存在と自分を一体化するというものなんだけど、
西洋の価値観で悪く捉えると、統合失調症になりかねない危うさはあると思う これと関係しているかはわからないが、
夢の中で、僕は、外向直観、内向直観をなめるな!と叫んでいた
外向直観が何で、内向直観は何かというのはとりあえず、自分の性質をそう呼び分けているとだけ知っておいてもらえればいい
その外向直観と内向直観を五次第の奥義よろしく、一体化させようとしたところ、
目の前に顔のない父親が立っていて、「二度と開くな」と言ったんだ
そしてバグのようにこっちにスライドして向かってきたと思うと、心臓に触られて、目が覚めた
起きたら、心臓が痺れていたということがあった タルパを知っていると話がはやいのだが、
まあ要するに、見ている自分(主体)と見られている世界(客体)を一致させるということろがミソだと思われる
普通、主体と客体の間には、因果関係があって、それが存在であると考えているが、
主体と客体が一致したら、存在は消えると思われる、脳停止って感じだ
そこで現れるのは、心臓の記憶だと思われる(ご存じかもしれないが、心臓にも記憶がある)
五次第でも胸に位置する不滅の滴(ふめつのディグレ)なるものが出てくる
脳停止で、次に現れるのが、心臓の記憶だとして、それが五次第におけるロンクであるかもしれない まあそれで、夢を見る前日に、おっぱいを触っている自分と、おっぱいになって触られている自分をイメージして、一体化しようとしていたんだが、うまくいかなかった
友達は、イメージの最中、エラーが起きたと言ったが、希望を見いだせたと言っていた
そういうことがあって、夢の中で内向直観と外向直観を一体化させようとしたんだろうが、とんだ悪夢だった あんま変なものの影響を受けないように気をつけるんだなw 一応、ダライ・ラマの系譜の由緒正しい修行だけど、
読み返してみたら、ヤバい感じしかしないな
気を付けるわ チベット密教のゲルク派というのは、15世紀初めにツォンカパによって開かれたもので、歴代のダライ・ラマもゲルク派に属している
17世紀以降は、チベット密教の最大宗派になっているらしい
まあ、修行はやるならちゃんとやろうという話 哲学はそもそも一人じゃないとちゃんとできるもんじゃないからな 光速度は磁場や電場や重力場の影響をうけるため、真空中でも一定ではない。
通常は真空の誘電率や透磁率は一定とするのだが、質量のあるものの運動と絡んでくると重力の影響は避けがたい。
「光速度一定の原理」なるトンデモ原理はどこからでてきたのだろうか。
ま、原理なのだから確からしいどころかある意味矛盾をはらんでいてもよいのだがね。 「リサ・ランドール異次元は存在する」 NHK出版 余剰次元の話とか、天動説はまだまだ突っ走っています
科学者が天動説の本質を理解していないとわたしが主張する所以です
規定は否定である
次元は否定である
大きさ、幅、厚み、運動、諸次元はすべてないないづくし
その運動しない三次元が無限に集まっても運動などしない
運動という有は無という否定で理解される
次元は自然自体の抽象であり、自然には実在しない
異次元も余剰次元も糞も無い 物理学者はそもそも物を前提にして物理を学ばせるのが本分だからな 天動説とはGeocentrismであり、地球中心主義のことである。
地動説とはHeliocentrismであり、太陽中心主義のことである。
Anthropocentrism、すなわち、人間中心主義というものもある。
「天動説・地動説」は誤訳であろうw
科学はどれかといえば、客観主義であろう。
主観的客観ではなく、どちらかとえば客観的主観による客観主義であろう。
より正確にいえば、最初の客観的の前に主観的とつけるべきかもしれないw
主観と客観は超対称性wをもっており、(二度の)超対称性変換によって座標や次元などが生み出される。
「時間」も、そのひとつである。
科学が天動説などというトンデモな考えはパフォーマンスとしてはおもしろいが、ただそれだけである。 >>985
どうもです。
<自然にあらざる>を語りながら、
<自然あらざるもの>を実在としてしまうから、
過程説は矛盾じゃね?ワケワカランと訴えているしだいです。
<この>という指し示しを、自然はしない。
彼はそう語り、それは同意できるのですが、転じて、
自然にはあらざる<今の、この、瞬間>を実在だとするから
“あれあれ、どうしたん?”と思ってしまうわけです。
彼は、自然の中に<今>の実在を発見したのでしょうかね。
訊けば“在るとしたら今しか…”とトーンダウンしてしまいました。
“あなたのいう今って何ですか?”と訊いても答えてはくれません。 そもそも自然には理由がないと防衛本能にも矛盾はないからな >>984
自然は、現在を中心に両手を広げる消失していく因果の手、因果可能性としての今が存在としてあって
因果不可能性が今、存在を規定しているんだろう
自然には今は存在する、自然は今が存在としてある
まあ、僕は、機械論(Mechanism)ではなく、目的論(teleology)の自然観をしている 訂正
現在を中心に両手を広げる消失していく因果の手、因果可能性としての今が存在としてあって
因果不可能性が今、存在を規定しているんだろう >>991
因果可能性と言っている時点で、考えているだけのもの。
結局、思惟の中にしか見出しえないものだから、実在ではない。
因果律について、俺はデイヴィッド・ヒュームと同じような
考え方をしていることが分かった。
あなたは、<形而上学的時間>についての思索を深めらっしゃるようで…
俺は付き合わないけどw 自然が指し示すことがない<今>。
自然はただ在るだけで、何も考えない。
<自然に今がある>とあなたには
思えるのだったらしかたがない。
人それぞれが見出して考えるだけの<今>。
互いに語り合い、通じ合えばいいいだけの<今>。
陳腐な話題だが、<アバウトな今>が論じられる。
“今言ったこと取り消し〜”とか言っても通じてしまう。
“今の平和な時代はどれだけ続くんだろう”と言っても通じてしまう。
“今の体の調子”と言っても通じてしまう。 >>993
人間が因果律を発明したのではなく、人間は因果律を発見したのでは、
因果律は原理だけど、因果律は現状、あの手この手を使っても、破ることはできていない
因果律、因果関係、可能性は、まあ、どれも、ないということはなくて、
因果可能性というのは、それらをひとまとめにしたというか、そもそも分けずにとらえるべきものだというか
まあ、素朴実在論と、イデア論は相容れないな 「…したから、になった」というのは、
因果律の成り立ちを語っているわけではなく単なる結果論でしょ。
「同じように頑張ったのに、同じ結果にならない」という現実を知ると
ずっと遡って、遺伝がどーの、躾がどーの、環境がどーの、
付き合ってた友達のせいだーと辻褄合わせが始まる。 過去も未来も存在しない。
自然は記憶を持つか、というと現在そのものが痕跡であり記憶である。
いちばんの問題は「自由意志」。
「ない」とするとつまらないが、「ある」とすれば「自然」も「自由意志」を持つ。
(ただし、ここで考える「自由意志」はとりあえず無定義用語とする) 因果律を発見っていうが、誰しもがそれ信じているわけではない。
政治もビジネスも<こうしたらきっとうまくいく>ということはないんだ。 現在は見ている在りかだから痕跡も記憶もいらないからな >>996
責任と因果を混同してはいけない
そもそも責任感とは、自分が感じるもので、また、負わせたり転嫁したりものだろう
まず責任があったりなかったりして、それを因果律になぞらえて、感じたり、負わせたりするのは自分ということだ
まあそれで、サンプルが違えば、同じように試しても、結果は変わるということはあると思われる
それは因果律というより、個々の個性の問題になると思う
>>997
現在そのものが痕跡であり記憶というのは鋭い
因果関係を観測することはできないからな、多体間の因果関係になるか、メモリに記憶が蓄積されていくか
このスレもこの書き込みで1000になって落ちるわけだが、一つのレスでも書き込まれなければ落ちなかった
それはスレッドというメモリが痕跡と記憶を持つからだが、スレが落ちることは、1000レスが絡んだ因果関係になっている
それで自由意志は、不確かさとしての自由と、自己の否定としての意思が合わさったものだなあ
>>998
因果律は信じる信じないに関わらず、あると思われる
政治もビジネスも、こうしたらきっとうまくいく、というのがなければ成り立たないんじゃないか
>>999
現在というのは、結局、因果関係を超えて知覚されない
未来の予想が、未来に行くにつれて当たらなくなっていくように、過去もまた、その足跡を消していく
知覚される現在とは、因果関係を成立させる消えていく因果可能性としての未来と過去に規定される
もし、知覚される世界、自己の質に因果可能性が寄与するなら、それは重みづけされた存在性を持つ因果関係のすべてが、
世界のうちに表象されていることになる
ようするに、翻って、素朴に見ている世界は、真理そのものということになる このスレッドは1000を超えました。
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