生まれ変わりはあるかね? [無断転載禁止]©2ch.net
生まれ変わりはないよ。当たり前のことだけど、死んだら無になるだけだよ。
世界を認識したり、自己を認識したり、物を考えたりする作用は、脳の活動によるものだから、死んでその脳がなくなっちゃったら、単に無になるだけで、魂なんてものはないよ。
魂はないんだけど、再び「自分」が生まれてくる可能性は哲学的に考えてありうるだろう。
自分から見て他人は「他人」だけど、その他人から見ればその他人は「自分」であるわけだ。世の中には無数の「自分」がいる。
自分にとって「自分」は自分一人だけで、自分が生きている間は他人の「自分」を体験することはできないわけだが、死んで「無」になってしまえばその「自分」はなくなってしまうわけだから、いずれかの他人の「自分」を「自分」として認識することになるというわけだ。
つまりまあ、これが一般には輪廻転生と呼ばれているものに該当するというわけだ。ただ前の「自分」といまの「自分」との間には何の関連性もないわけだけどね・・・
生まれ変わりはない。だが「自分」はまた出てくるわけだから、安心して死んでいいよw 『神との対話』シリーズの神。
どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
思索的な哲学書として読んでも面白い書物だと思います。
イエスの事も「イエスは最高のマスター(師)の例だが、イエスだけが聖者・マスターではない」と。
今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。
この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
特定の宗教に依存していないというだけで洋の東西問わず様々な宗教・思想を寄せ集めたに過ぎない代物
そういう本はブームで山ほど出版されてた、神がペンに乗り移ってなどと言う主張さえなければ
内容自体は劣悪というほどでないが >どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
それについては、作者本人が否定してたはずだが。
シリーズの何冊目かで、「じつはそうではない」ということになったはず。 >>192
たしかに、精神世界本の、よくいえば集大成、わるくいえば寄せ集め >>191
>私自身、しばらく後に、
(レビューだけは見ましたが)全く買う気の無かった『神と一つになること』という本が、勝手にamazonの買物カートに入ってたという、
いまだに全く理解・解明できない不思議を体験してから、
これは、やはり人知を超えた意志を持つ本ではないかと、ほぼ100%という確信を持って信じるようになりました
すげえな
なんという奇跡(笑) 「神との対話」は全て読んだよ、始めの頃は誰もが同意できるような倫理観が記述された無害な内容だと
思われたが、徐々に筆者自身の主義主張、押し付けのオンパレードと化してきた感がある
なにしろ神さまが具体的な質問について明快な答えを断定的に語っていくからね
これがベストセラーとなった理由でもあるんだが 今お前らがあるのは生まれ変わりのシステムのおかげ
過去に死んだら必ず生まれ変わる
しかし日本では少子化で受け皿がないので余剰人員は人口が多い他国で生まれ変わる
まれに前世の記憶があることでそれを裏付けてる
生まれ変わることのできるのは知能がある程度発達した生物だけ
但し太陽や地球の重力や磁場が影響を与えるので、地球を飛び越えて生まれ変わる場所を選べない 重力の影響を受けるなら魂たるものは物理的実体を持つ存在な訳か 物だけじゃない空間すら歪める重力の力に逃れる術はない
魂も同様だ 魂が物体じゃないとしても重力から逃れられない
魂が物体だとしても重力から逃れられない
確かに理にかなってる
ではブラックホールには魂が濃縮しているのか? 魂が観念的なものであっても重力から逃れられないのか 観念的なものはどこから発生してるか
人である
人は重力から逃れられるか
否である
観念的なものも同様である 重力は知らなくとも人は大地に縛り付けられているのを体感できる。
だが魂を感じることができるのか。 とにかく死を恐れる必要はない
今この時間も命が誕生しているのだから
記憶が消えて新しい命となることに何故怯えるのか
なぜ理由が必要なのか
記憶が消えることは消滅ではない
新しい脳を得るには以前の記憶が邪魔だからだ
さあ逝こう 記憶こそが自分であり魂だと言う認識を多くの人のが抱いている。
だから脳死を死として扱うし痴呆を恐れて自殺する人もいる。
記憶喪失は語感と違い記憶自体は失っておらず上手く思い出せないだけの一時的な症状故に死と見做されていない。
良くあるデタラメな知識で書かれる三文小説の記憶喪失は実際は無い。
本格的に全ての記憶が思い出せない場合は他の脳機能にも重篤な障害が起こり周りから見れば明らかな障害者のような振る舞いを起こすからだ。
そうなった場合は周りから見てその人物は半ば死んだに等しく扱われる。 >>210
分からないなら無理して読むなよ。
虫ケラが。 >>211
生まれ変わりがあるのかというテーマなのに誰が記憶喪失なんか掘り下げろったんだよクソ
死んだ後の話をするところだろうが だから君はバカなんですよ^_^;
理解できないならここから出て行きなさい。
ここは哲学を語る板です。
バカな君には理解できない世界があるんだって理解してね。 生まれ代わりの証明に多くの人間が前世の記憶を持ち出すでしょ?
違うの?
ボクちゃん?
わかったら黙って出て言ったら?
バカなんだからみんなの邪魔しちゃダメでちゅよぉ >>214
ボクちゃんは他人と自分を混同しちゃダメでちゅよ?
自我と他我を混同するのは幼児期まで。
それを過ぎたら他我の存在を認識ぢて自我が形成されていくんでちゅから。
こんな基本的な事も知らずに哲板で煽ろうとしても揚げ足取られるだけだからw
ギャハハハハハw 脳科学や心理分析の専門化でもないクセして場違いなところで記憶障害についてつらつらと
この調子だと周りから馬鹿扱いされてるのも分からないんだろう >>219
脳科学なんて良い加減で基礎心理学と同じで碌に役に立ってないのも知らないんだろ。
オカルトじみた精神分析と同じで勝手に自己解釈してデタラメ語る茂木が良い例。 大体心理分析ってなんだ?
精神分析の間違いか?
分析心理の間違いか?
ユングにフロイトなんてどっちも似非科学のレッテル貼られてるだろ。
大量の訴訟に負けてラカンも精神分析は終わったって泣いてたの知らんのか。 ロクに知識を学ばず勝手に他の人間も自分と同じバカだと思い込むなってこった。
お前相手じゃバカなこと言っても下地が違い過ぎて失笑しか出てこねーわ >>219
おいどうした。
チンカス。
何かまともな事は言えねーのか。 鏡像段階(仏:stade du miroir)論とは、幼児は自分の身体を統一体と捉えられないが、成長して鏡を見ることによって(もしくは自分の姿を他者の鏡像として見ることによって)、鏡に映った像(仏:signe)が自分であり、統一体であることに気づくという理論である。
一般的に、生後6ヶ月から18ヶ月の間に、幼児はこの過程を経るとされる。
幼児は、いまだ神経系が未発達であるため、自己の「身体的統一性」(仏:unité corporelle)を獲得していない。
つまり、自分が一個の身体であるという自覚がない。言い換えれば、「寸断された身体」のイメージ(仏:image morcelée du corps)の中に生きているわけである。
そこで、幼児は、鏡に映る自己の姿を見ることにより、自分の身体を認識し、自己を同定していく。この鏡とは、まぎれもなく他者のことでもある。
つまり、人は、他者を鏡にすることにより、他者の中に自己像を見出す(この自己像が「自我」となる)。
すなわち、人間というものは、それ自体まずは空虚なベース(エス)そのものである。一方、自我とは、その上に覆い被さり、その空虚さ・無根拠性を覆い隠す(主として)想像的なものである。
自らの無根拠や無能力に目を瞑っていられるこの想像的段階に安住することは、幼児にとって快いことではある。
この段階が、鏡像段階に対応する。 もう少し短くまとめればいいと思うけど別に鏡じゃなくてもいいじゃない
鏡が無かった時代でも水に映った自分の姿を早い段階から自覚する
例えば川で水を飲むとき
水を補給することは生物にとって毎日であり命には欠かせない
それにいちいち驚く動物はいない
つまり自覚しているから バカだな。
ここで書いてある鏡とは他者だ。
他者に映り込む自我、自分に映り込む他我。
>>1の言うところ他人から見た自分って奴を哲学として扱った例をあげてんだよ。
これがラカンであり精神分析。 そして水に映った自分に動物は良く驚く。
人間も幼児期は驚く。
本当にデタラメばっか言う奴が多いな。
こんなんテレビ番組やらでも動物に鏡見せて威嚇したり興味深く見る姿を実験と称して流してるやん。 他にも現時点の自我とは常に他者に写る自我と自我に写る他者の間に揺蕩うもので社会生活をするものは他者との関係の間に自我は存在するとも。
だから人間とは集団としての自我を持つ社会性動物だとも。
集団幻想とかイデア論を引き摺ったりユングの影響が強い話だが。 >>227
バカはお前だ
ダラダラ長文がウザいとステゴザウルスのような鈍い頭に
遠回しに言っただけだ早く気づけよw >>230
おいおいまだ一冊も本読んでねーの?
本当に馬鹿だな。
何一つ理解出来ねーで馬鹿にされる為に書き込んでんだなw
本当に馬鹿w
ギャハハハハハw こんな猿並の知性のやつが哲学に関わるべきではないな
学問に対する侮辱だろう ギャハハハハハ教授の濃いキャラが素晴らしい
もっと崇拝して自分語りをさせるんだ
教授もそれを望んでおられる
さあ続きをドウゾ
↓ >>236
悔しいのか?
でも君が馬鹿で尚且つ学ぶ意欲持てないのは俺のせいじゃ無い。
教育をしなかった親を恨めよ。
哀れだな。
5chですら自尊心を保てず砕かれるほど馬鹿だと。 ある人が絶対に生まれ変われると悟って
後悔し満足せずに今の人生を送ったとします
そして
その人が未練を残して死ぬとしましょう
省略
2パターンしかありませんね
生まれ変われる真理か
生まれ変われない真理です
そして
もし生まれ変われないほうが真理とすると、
限りある命をだらしなく生きたその人の人生は
何も達成できないままの悲しい人生と言えますね
そして
もし生まれ変われるほうが真理としても、
過去に限りある命をだらしなく生きたその人の人生は
何も達成できないままの悲しい人生と言えますね
さらに
新しい人生に活かすことができる体験を何一つ覚えていない点で
前世よりも何倍も途方にくれる人生を体験するはずです 今度は逆に
ある人が絶対に生まれ変われないと悟って
悔いのないように満足できるように人生を送ったとします
そして
その人はとても満足して悔いなく死ぬとしましょう
生まれ変われるか生まれ変われないかは
ある意味で宇宙によって定まっているものとしますが、
2パターンしかありませんね
生まれ変われる真理か
生まれ変われない真理です
そして
もし生まれ変われないほうが真理とすると、
限りある命を懸命に生きたその人の人生は
素晴らしい人生だったと言えますね
そして
もし生まれ変われるほうが真理としても、
過去に限りある命を懸命に生きたその人の人生は
素晴らしい人生だった
さらに
新しい人生に活かすことができる体験を覚えている点で
前世よりも何倍も悔いのない満足できる人生を体験できるはずです つまり
生まれ変わっても生まれ変われなくても
一連の人生の流れは変えられず同じことを繰り返すだけで
変えられるのは内容だけ
どう生きるか、だけなんです
意識というのは主観や記憶を意味すると思うけど
意識を引き継ぐことができたとして
引き継ぐまでに知らないことは
生まれ変わった後も知らないのです もしタイミングを逃して得るものを得られずに過ごし
あとでこうすれば確実に取れるとわかったとしても
来世でも同じこと
そのタイミングが来ても気付かず
取り逃がしたあとで後悔するだろう とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
W1AHY 物理として生死はないからないあ。
生まれ変わりという前提自体が成立しない。 仏教云々とあるので、ちょいと書いとく。
所謂「生まれ変わる人格の主体である魂」などと言うものは、
仏教ではプトガラ派という連中がかつて唱えたが、八宗の祖たる龍樹菩薩により論破された。
仏教でいう輪廻とは、確かに「生まれ変わる」という話なんだが、
先にも出ているように釈尊は十四無記を説かれた。
だが、初期経典群の中では明確な記述はないらしく、龍樹菩薩は「釈尊は有るとも無いとも説かれた」と記されている。
以下は個人的な仮説だが、
個別の魂が生まれ変わるのではなく、一切の色界が相依性であるように、
意識界の一切が相依、則ち複雑に係わりながら仮に形成している、
これを輪廻と言うのではなかろうか。
これを「物理的な話ではなく、文化的、認識上的な話」としてもいいが、
釈尊は墓所でも説法され、また霊的な存在を相手とした経典もあるので、
仏教的には霊的な事象を全否定はしない。
というか、そうした法が伝承されてるから、実際上認めてんだけどね。(笑)
この話に限らず、宗教というのは記述不可能なとこが多いから、俺も含めて断定した記述はまず間違いだと考えて良い。(笑)
要はどういう話かというと、死後の意識は有る人もいるしない人もいる。それらが
空中の窒素が窒素固定するように
生まれ変わるということではないかと俺は解釈しているって話だ。
(^。^)爺だから冗長なのは勘弁な。(笑) 鳥間違えてた。
あと、「当時の常識だった輪廻転生に沿って説かれただけで、現代では転生云々など必要性はない」という人もいますね。
(^。^)ここまで行くと、少なくとも呪法に携わる仏教僧からみれば外道です。(笑) >>246
感情や人格を持つ存在としての同一性の問題だろ
お前はその辺に転がってる石と人間生命を同列に扱うべきだとでも言うのか >>249
物理として石は人間と差異として実在するだけだからなあ。 なら貴様を石ころと同様に扱っても文句はないだろうな
ソシュール辺の主張しだしたことを部分的に切り取って得意に語るザコが多すぎて困る まぁ人間存在なぞ所詮、差異の体系と言って意味もなくぶん殴る訳にゃいかんわな 人が感情的な存在として生きてる以上、物理として生命を考えてもしょうがないんじゃないか
生まれ変わりというのもその意味において関心を集めるものだろう
存在とは原子や素粒子の集合で、死んだらそれが散り散りになるだけと言うことなら
問題にすらならない 全ては単純な物質である、そんな小学生でも言える結論をドヤ顔で語られてもな >>263
哲学の出来ないお前のようなアホにお似合いだな 人によりけりだよ、というか夫婦の信仰形態とかにもよる。
男性は恋人が多いと生まれ変わり自体依存しないさ。
女性は固め産ちができる時期もいいかもね。と思うけど血統的妙味の方がいいよ。 物理は湿潤気候ではきつそうだよね。そもそも高校ぐらいのカリキュラムで
一生食うてける?破たん財政の元凶はよくないよ。 来世は女性になれますように
男みたいな下品な動物には二度となりたくありません 男と女の体作りを交互にするのは難しい宗派もあるよ。 性転換より 性変換 ぐらいの世紀はもともままで何かが増える方がいいなあ。少し。 さすがのアリスもここまでばかじゃない
なりすましだ、と思うが。 生まれ変わりがあるということは
神の存在は証明される あったら良いなと思える人もいる。
無いけど。
>>278
? わからないうちに連れ出され
いつ命を終えるのかもわからない。
生を楽しむしかない。
楽しめる環境にあるだけ幸せかな。 ダライラマぐらいしかやったの、聞いたことないな
あれぐらい高徳でないと生れ変わらないみたいだ 洋の東西を問わず、輪廻転生、再生という信念を持ちたがるヒトというものは
どこまで傲慢なのかと、その業の深さに驚かされるが
生存の原理とは自己保存と快楽追求であり、その真逆に位置する死は忌み嫌われるもの
ヒトは生への執着から死を克服したいと言う願望を抱き、普遍の原理として
生まれ変わりという観念を精神に生じさせたのだろう 魂の不死を信じていないと、生まれ変わりをすることができない
死んだらそこで終わりなら、生まれ変わることがないから
魂によいことは徳を積むことだと言われている
ボランティアなどすると、魂によい影響がある
徳を積もうと思ってボランティアをすると良い つまり、キリスト教やイスラムを信じている再び地上に生まれ落ちることはない
死んだら天国か地獄にいくと教えられているから 生まれ変わりがあるかどうかなんて問題にもならないだろ
誰も誰それの生まれ変わりである記憶なんてないんだからないと言うしかない 私はあるって言った神だれだっけ?
キリストはアルファでお目目がオメガやろ? 物質やエネルギー同様クオリアも再利用されているとは思うが
統合されたり分裂したり物質依存の記憶もなくなるから
生まれ変わった感じを持つことは滅多にないだろうね 生まれついて盲目の人が見る夢は音声のみだと言うんだけど
この事実から導かれることは、一切の映像素材を得ずして映像観念が脳裏に生ずることはないと言うこと
仮に幼児が違う人生に繋がる何か特殊な情景を記憶している事実があるなら
それは現実に目にした何かと結びつけて新たな記憶を作り出していると考えられる
他方で、新たな映像記憶を積み重ねてゆく段階で魂に記述された前世の記憶がそれら素材を利用して
過去の記憶に近い像を結んでいると仮定することもできる