人々は意志によっては生まれない。それは不条理に基づいており、この虚無は悲劇だ。
アポロン神に象徴される光は、影を耐え忍ぼうというものであり、それはこの影にこそ
生み出されたに過ぎない。ではこの影とは何か。これこそ人間の本質であり、借り物に
過ぎないアポロン的な相対性とは異なる、絶対的なものである。

人間の本質とはアポロン的な表層的なものではなく、その奥にある根源的なもので
ある。アポロン神と対置して、ここで出てくるのがディオニュソス神だ。この神は
自我を殺すものであり、言葉を滅殺するものであり、忘我の境地で陶酔感を与える
ものだ。人間の誕生という不条理がなかったならそれこそ最善だったのかも
しれない。しかし既に存在している人類にとって、次善はディオニュソス神と共に
あることであり、根源的なものと合一するということではないのか。この
ディオニュソス神の与える生き方こそが、人類を何百万年も維持させてきたのでは
ないのか。生存の悲劇を真に救うのはこの神なのである。キルケゴールは自己超克
より高次の自己没落を知らなかった。だから実存する自己に拘り続けた。自己を
没落させ言語を解消するどころか、出口のないものに向けて自己超克するように
仕向けた。ニーチェは神に拘りながらも真の神を知らなかった。