<本門を以て之を論ずれば一向に末法の初を以て正機と為す所謂一往之を見る時は久
種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ、再往之を
見れば迹門には似ず本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す、在世の本門 と末法
の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。>

(本門から考えれば末法の始めをもって正機とするのです。いちおうこのことを考えると、
久遠の昔に下種があったというべきで大通智 勝仏・前四味(乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味)を
もって熟とし本門にいたって妙覚に登ったのです。しかしさらによく見れば迹門とは違い本門
は序分・正宗分・ 流通分ともに末法の始めから始まるのです。お釈迦様在世の本門と末法
の始めは同じものですがお釈迦様の本門は過去の下種を刈り取るためで末法の始めは
下種 の為なのです。お釈迦様の仏法は一品二半(従地湧出品十五の後半と如来寿量品
第十六一品と分別功徳品第十七の前半)であり末法の下種は南無妙法蓮華経なの です。)

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55372839.html

結論
<所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の
国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経
の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う、>

(結論は迹化や他方の大菩薩等に釈尊の内証の寿量品を以て授与すべきでなく末法の初は
謗法(ほうぼう)の国であり悪機が充満し、故に菩薩の布教を止めて地涌千界の大菩薩を召し
て寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与しようと考えたのです。)
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