論理は有限個の当たり前なこと(公理や定義)から出発して多くの定理を見いだす事ができる道具だよね
論理体系の形成はまるで公理や定義でできた幹から定理の枝が分かれていくようだから、「一本の樹が形成されていく」と形容されてもあながち間違いではないと思う

でも何となく違う気もする
公理が有限だってことに違和感があるし、全く別の論理で導かれた定理が似てることもあるし
だから論理体系を俯瞰すればその形は網目のようになっているって思ってもしっくり来る

どっちが正しいってわけでもないのかな