カール・マルクス 12
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>>103
マルクス主義者は呆れかえって苦笑してるんだよw >>104
その仮定は通俗的な社会主義の仮定にもっともよく適合している。
その仮定を採用しなくても、たとえばポストケインジアンのような存在がある。
マルクスとケインズとの両方に通じていて、ポストケインジアンの中には
根本的な矛盾がそこにあるわけではない。 >>106
あなたはどう見てもニューケインジアンであって、
マルキシャン、マルキストではない。
禊健太郎さんも、ピケティを高く評価しているようだが、
マルクス経済学にはどちらかというと否定的だ。 >>105
>>107
だからマグロにも様々な種がいるって言ってるよね
クロマグロとミナミマグロがいるからといってマグロという種は動揺しない
俺が問題にしているのは
自説を「真理」や「客観的事実」に見せ掛けるために
仮定や前提を設定したり一部の特徴だけを取り出してああだこうだやることなんだよ
>>107に至ってはもはやケインズ主義の話になっている
ケインズ主義の時代だと認めてるようなもの >>110
あなたは自説にちゃんと説明を加えていない。
「違うものは違うんだ」を繰り返しているだけ。
これでは理論にもならないし、反証可能性もない。 >>111
異なるものとして扱われているから異なる言葉が与えられている
これが証拠だよ https://www.marxists.org
このサイトにマルクスのみならずケインズの文献も収められているのは興味深い。 そもそもマルクスは、実行の政治、経済の形態を示していないわけで、
なにか理想的な形態があるように云うのはトリックだろ。
さらには社会主義はマルクスの前からある。 ただ日本型国家社会主義が成功した背景は、
西洋型ではないということ。
江戸時代から引き継いだところが多い。
これは中級編だから多くは語らないが >>114
実行に向けて活動してた連中はたくさんいたじゃないか?
たくさん殺して 昭和維新や岸信介の国家社会主義は、北一輝を手本にしたわけだが、
北一輝は西郷隆盛を奉仕していた。
なぜ西郷隆盛は明治政府と対立したか。
そこにあるのは、
西洋型自由主義を急速に取り入れる明治政府と、
日本型社会主義?にこだわる西郷。
昭和維新は、西洋化に対する日本人の伝統的社会主義の揺り戻しがあり、
そのときにできた法制度がいまだに運用されているというのが、
日本型国家社会主義だろう。 >>114
ざっと見返したけど(見落としてたらごめんなさい)
マルクス個人に言及しているとも読めるレスは>>107>>113くらい
誰のレスのどの部分に反応してレスしたの? >>116
活動家はたくさんいたが、実際に国の設計図を書いていないということ。
マルクスの社会主義が何かはなにもない。 >>120
キミにはまだ無理だろ。(笑)
日本人と西洋人の違いわかる? >>121
わかりません
おしえてください
みそぎさんのようにかしこくなりたいのでおしえてください >>122
では、江戸時代の経済について簡単にまとめなさい。 >>123
初級は、民族という変数はなくして、
単純に考える、
中級は、民族という変数を考慮する、
方程式は難解になるが。
上級は…… 日本社会主義の祖
いまの日本を作った影の思想家
北一輝
・天皇は国民の支配者ではなく、国家の一機関。
・ブルジョワ市民社会の個人主義ではなく、献身的道徳による国家社会主義を実現すべき。
・国家は支配者の権力装置ではなく、国民の平等な政治的団結を示す社会。 将来起業して、経済を牽引するのが夢だけど、
そしたらマルクス主義者に粛清されるのかね… 北一輝は、226事件の青年将校たちとともに処刑される。
実行犯でもなければ、首謀者でもないのに、
ただ226事件の精神的な師であっただけで、
危険人物として
しかし結局、その後、北一輝の国家社会主義を学び、日本を作っていった。
いまの日本の建国の父ともいえる、 北一輝の国家社会主義の特徴は、
西洋型の貨幣分配を基礎にするのに対して、
献身的道徳による国家社会主義。
日本人伝統の道徳を基礎にした。
まさにいまの国家社会主義の原型。 >>127
社会的起業は何も営利事業に限らずNPOとかでやるのもありでしょ。
マルクス主義者はそんなに剣呑なものではない気もするけど。 要するに勤勉を基礎にした社会主義。
岸信介も北一輝信者だったが、
安倍首相も隠れ信者だろう。
働き方改革とか。 このスレのみんなが嫌いな勤勉。
しかし生活では、多くを依存している日本人の勤勉。 >>129
伝統とされるものは全て破壊する。マルクス主義を志向する人なら基本。 サービス残業も日本人の美徳だったし、
むしろみんな喜んでやった。
それでいまの日本の繁栄があるんだけど、
いつから悪者になったのか。
サービス残業を無くそうとしているのは労働者側ではなく、
経営側であるのはポイントだね。 >>133
依存や利用してる上でその存在を否定してもいいだろ。
思想信条の自由だ。 >>135
戦後の共産主義はむしろ、
グローバルなブルジョア経済に対して、
民族の独立を目指したんだけどね。(笑) >>132
搾取してたら制裁を食らうのは今でも同じでしょ。 >>124
幕府諸藩の収入は年貢として納められる米であったが米は通貨ではなかったので米を換金する必要があった
このことが米の中央市場(換金場)としての大坂や江戸を中心とする全国的な流通網が発達した原因となる
一方新田開発や商品作物の生産も盛んであり次第に生産力が向上していった
ダメだ
どう頑張っても民族という変数を考慮できない 最近の日本史の教育では、以前ほどは鎖国的ではなかったと教えているらしいね。 >>142
笑ってるけど
あなたの主張は
自説を「真理」や「客観的事実」に見せ掛けるために
仮定や前提を設定したり一部の特徴だけを取り出してああだこうだやること
なんだよ
>>143
4つの口とか言うやつね まずは江戸時代はプレ資本主義だった。
元禄に江戸で消費社会が花開いた。
そして広がり、江戸の後期に各地の土地で消費社会が活発になる。
農民はただ田畑を耕していただけではない。
現代の地方の名産品の多くは江戸時代に作られた。
農民は現金収入を得るためにも積極的に市場に参入した。
もう一つは、武士は儒教的精神性から商売を嫌った。
商売による利益を来たないものとした。
このことからも税収を農業からの年貢に絞り、
商人からの徴収は緩く、
農民もまた商業に積極的に関わった。
日本人の勤勉の理由の一つがここにある。
頑張ればそれだけ富が得られる。 農業から、とくに米を税収の中心に据えることで、
それを現金に替える米相場が重要になる。
しかし消費経済で緩やかにインフレしていく中で、
米の価値は相対的に下がっていく。
これによってどんどん幕府、藩の財政は悪化していく。
このために江戸幕府がとったのが、享保の改革、寛政の改革など、倹約令だ。
消費を抑えて、インフレを抑えて藩の財政を立て直す。
しかしそんなことで消費社会はとまるはずはなく、
江戸末期には各藩の財政は破綻状態にあった。
それに比べて、商人や農民はむしろ消費社会と勤勉ブームで潤っていた。 なぜ幕末、薩摩が力をつけたか。
全国的に金欠の中で薩摩藩は沖縄などの産物を、長崎で外国に得る権益を持ち、財政的な潤っていたからだ。
それを軍事に費やすことができた。
長州しかり 江戸はすでに世界一の大都市で、治安、清潔の面でも世界に他に例を見ない。
結局、武士という世界に例を見ない真面目な支配者層故に、
豊かで公平な社会が実現されていた。
世界のどこに献身に働き、清貧を貫き、領民が贅沢する支配者層がいるだろう。
西洋の支配者は労働を卑しいものとして、いかに領民から金をとって贅沢するかしか考えない。
なぜなら支配者と領民は異なる人間なんだから。
この伝統は日本の公平の伝統は今も引き継がれている。 >>145
努力しようがしまいが収入は同じ。そもそも努力して富を得る方法や環境は無くなる。それがマルクス的世界だよ。 西郷隆盛を敬愛した北一輝の国家社会主義、
献身的道徳による国家社会主義とは、このような江戸時代からの流れで理解しなければならない。
そしてなぜ日本が最も成功した社会主義国家になりえたかも。
北一輝の国家社会主義
・天皇は国民の支配者ではなく、国家の一機関。
・ブルジョワ市民社会の個人主義ではなく、献身的道徳による国家社会主義を実現すべき。
・国家は支配者の権力装置ではなく、国民の平等な政治的団結を示す社会。 商品作物の生産は百姓が勝手にはじめた側面よりも藩政改革による一種の殖産興業の影響が大きい
勤勉革命や武士と商売の関係を語るには職分論に言及しないといけない
つまり士農工商にはそれぞれの役割があってその役割をきちんと果たすべきだという考え
それは利益が出るからとか卑俗なものではない
加えて西洋的な個人的所有ではなくイエ的所有に基づく生産活動が行われたことも見逃してはならない ただし気を付けなければならないのは江戸時代の勤勉革命における勤勉と明治以降の産業化における勤勉を同一視することは媒概念曖昧の虚偽を犯している可能性があるということ
前者における勤勉と後者における勤勉は必ずしも一致しているとは言えない
幕末に日本を訪れた西洋人は日本人はまじめだと書く一方で納期を守らないとも書いている
明治以降の勤勉は江戸時代の勤勉を下地に西洋のというか産業化時代の勤勉観を接ぎ木されて形成されたものと考えるべき
例えるならばライオンとトラの雑種をライガーと呼ぶようなもの
ライガーはライオンでもありトラでもあるがライオンでもなければトラでもない
禊の誤りはここにある >>152
現代は百姓は農民のことのように言われるが、
漁業も百姓だ。
そもそも日本は自然に恵まれている。
周りは海にがある。
海とはハイウェイだ。
江戸時代より遡っても、農民は単に農業だけに従事していない。
さらには日本の農民の自治は戦国時代に遡る。
秀吉や家康の全国統治は、すでにある農民たちの自治村を管轄したに過ぎない。
基本的に、村の運営は農民に任せる故に、統治できた。
>つまり士農工商にはそれぞれの役割があってその役割をきちんと果たすべきだという考え
この考えは比較的江戸時代の後期に、石門心学以降だろう。
その最初から、武士は商売による利益を卑しいとする伝統がある。 >>154
俺が知る限りでは職分論で一番古いのは北条氏長や山鹿素行
武士が商売による利益を卑しいとするのなら戦国大名が南蛮貿易に必死こいてたことの説明がつかない
江戸時代に入ってからも下級武士は内職をしていたし
藩政改革では専売制が行われたところもある
儒教も一枚岩ではなく宋代の王安石は国が利益をあげることを否定しなかった >>153
日本の基板は、戦国時代以降の、農民による自治村にある。
それまでの荘園制度から、自治村へ。
誰が統治しようがそれは揺るがない。
それは明治になっても変わらない。
勤勉革命は江戸後期に起こったが、
勤勉は自治であり、やればそれだけ豊かになる独立性から来ている。
自治村故に根付いたものだ。
明治に入ってきた勤勉は、プロテスタンティズムの勤勉をもとにした工業的なものだ。
たとえば時間通りに仕事をする。
秒単位で機械にそしてみんなで同期して働く。
この意味で、明治に日本人は役に立たなかった。
時間的な同期など気にしないやりたいようにやるから。
しかしそれも義務教育などで克服していく。
もともとが勤勉なんだから、
やり方を覚えるだけだ。 >すでにある農民たちの自治村
惣とかがそうだよな。 当然儒教の影響で商売を卑しいとする風潮が全くなかったわけではない >>156
百姓の自治を否定しているわけではない
江戸時代の勤勉と明治以降の勤勉が同一ではないということを認めるのか認めないのかだ >>155
儒教そのものが武士に重視されたのは、江戸時代から。
家康が推奨したが、実際に重視されたのは元禄で綱吉ぐらいからだろう。 >>160
おっしゃるとおり
だから>>154で
>その最初から、武士は商売による利益を卑しいとする伝統がある
と書いていることと整合性がとれない >>159
明治政府は、江戸時代に自主的に行われていた勤勉活動を国家推奨として、取り開けで推奨した。
日本人は明治時代に勤勉を学んだのでなく、
工業的な勤勉を学んだ。
工業的な勤勉とは、分業。
多くにおいて、時間的な連動だ、
たとえば近代の軍隊もその特徴は連動にある。
フーコー的な規律訓練。 柄谷行人は『遊動論』において柳田国男の後継者にコモンズを導入した宇沢弘文を置く。
しかし協同組合の原型であり得た江戸時代の(二宮尊徳の)報徳会を柳田国男は必要以上に
批判しすぎた。
信用制度が弱いのは当たり前なのに…
これで日本の協同組合運動は断ち切られた(オーバーな言い方かも知れないが)。
端的に言えば柳田国男の仕事はゼロからやり直す必要がある。 武士が商売から距離を置いたのは確かだろう。
まともに税を取らなかった。
なぜか?
単に職分なら、税を取ることに問題はない。
利益というものを卑しいと考えたからだろう、
商売を、利益を汚きという思想は西洋でもある。
マルクス主義の資本嫌悪もその伝統を受け継いでいる。 農民が豊かだったというのには語弊がある。
商品経済に適合して行ったのは確かだろうが、
貧農も昔からいたのは『日本残酷物語』を読めばわかる。 >>163
つまり接ぎ木されて形成されたものと認めるのか? >>166
農民の貧困は、幕府の取り立てではない。
主に飢饉だ。
こればかりは仕方が無いが、
単に飢饉ではないのは、
すでに市場経済故に、飢饉になると商人は米価をつり上げるために、米をため込む。
いまのような国家の経済政策もなく、
商人はやりたい放題。
だから農民は、商人に打ち壊しに向かう。 すでに市場経済故に、飢饉になると商人は米価をつり上げるために、米をため込む。
すると市場から米がなくなり、飢餓がサラに進む。 >>165
運上は江戸時代初期からあるし株仲間を認めるかわりに冥加金を納めさせている
もっと言えば御用商人の存在が武士と商売の癒着を示しているとも言える 飢饉は、気候だけでなく、単作やモノカルチャーにもよると言われているね。
商品経済に適合することによる負の側面だ。 >>170
それだと同一ではないということも認めないといけないが? >>168
水百姓と名主を同列に語ることはできないし
年貢の取り立ては地域によって差があるから
>>166の言う
>貧農も昔からいた
のほうが正しいだろう >>171
運上がどこまで機能したか怪しい。
そもそも商人がどれだけ稼いだか、知らないわけだから。
冥加金はさらに怪しい。
幕府が金がなくなったときに泣きついただけともいえる。
土地の広さと連動した年貢に比べれはざる。 >>174
貧農といただろう。
いくらプレ資本主義といえ、マルサスの罠を超えることはできないから。 話を戻すと、
西郷隆盛を敬愛した北一輝の国家社会主義、
献身的道徳による国家社会主義とは、このような江戸時代からの流れで理解しなければならない。
そしてなぜ日本が最も成功した社会主義国家になりえたかも。
みんな日本人に生まれてラッキーだよな!
北一輝の国家社会主義
・天皇は国民の支配者ではなく、国家の一機関。
・ブルジョワ市民社会の個人主義ではなく、献身的道徳による国家社会主義を実現すべき。
・国家は支配者の権力装置ではなく、国民の平等な政治的団結を示す社会。 national socialismは国民社会主義とも訳されるから、
国家社会主義よりもそっちの方がいいかも。 >>175
商人から税を納めさせていたことは事実だからね
そもそも俺は運上冥加金が多額であったなんて言っていない
>>177
それが媒概念曖昧の虚偽だって言ってるんだよ 正確には、日本の場合は、世間社会主義。
世間は国家も政治かも、日本人すべてを内包する。
日本人には、西洋的な、国家と市民、資本家と労働者の対立概念が薄い。
みんな、世間じゃないか。
安倍首相だって世間、話せばわかる。
だから自民党一党政治で問題ない。
だってみんな世間なんだから。 みずほ総合研究所の「日本の格差に関する現状」
http://www.cao.go.jp/zei-cho/gijiroku/zeicho/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/08/27/27zen17kai7.pdf
に掲載されている「2(1) 所得格差の国際比較 @」という項の
「 所得が上位1%の家計に集中する割合(国際比較)」を参照してみてほしい。
アメリカ、イギリス、日本、フランス、スウェーデンのグラフが1980年くらいまで
かなりの一致した動きをしていたのが見て取れる。 >>180
ラッサールの国家社会主義と高畠元之の国家社会主義とナチスの国民社会主義は一致する概念ではないから使い分ける必要がある
国家社会主義か国民社会主義かのどちらかに固定しようとするのはナンセンス 世間を一番繁栄する政党が勝つ。
左翼は世間を無視して暴走するから絶対政権は取らない。
民主党のときもやばかった。
合議を無視した暴走した。
自民党はとにかく合議だから。
党内合議。
野党と合議。
世間と合議、
だから日本の国家の法案成立率は低い。 >>182
その理屈だと共産党一党政治でも立憲民主党一党政治でも問題ないことになる >>183
日本人の格差を語るときに注意が必要なのは、日本人の経済は個人単位ではなく、家単位ということ。
父は豊かで息子はそれに、寄生する例は多い。
だけど、個人ベースでは息子は貧困になる。
息子は贅沢に暮らしてるのに。 >>186
世間を一番繁栄する政党が勝つ。
左翼は世間を無視して暴走するから絶対政権は取らない。
民主党のときもやばかった。
合議を無視した暴走した。
世間はカンカン菅直人、
もうみんな二度と政権とらせないと言ってる。
自民党はとにかく合議だから。
党内合議。
野党と合議。
世間と合議、
だから日本の国家の法案成立率は低い。 >>188
みんな世間だと言ったり世間から外れる存在がいたり大忙しだな 個人単位の集計と、家単位の実際故に、
社会保障が貧しくない人たちにばらまかれてる。
しかしさすがに政府は、家単位の話はできない。
だから国の借金増やしても、どんどんばらまく。
その方が支持率も上がるし。
結局、国債は国民の貯金で賄われてるから、
国の借金で国民が潤い、さらには貯金が増える。
それで借金が賄われる……
まあ、いいんじゃない?(笑) >>189
キリスト教徒と共産主義者は、
世間ではない。 >>192
世帯と家はまた違う。
大きな流れでは、親世代は金を持ち、それに息子世代は寄生する。
しかし孫世代まで金が行かずに、
子供の貧困は進んでいる感じかな。
早く親世代は死んで、遺産を残して、孫世代まで潤わせるんだな。 なんだ、かんだ、いまの日本は歴史的にも絶頂期にある。国家社会主義として成熟している。
成熟しすぎた故に怠けて子供を作らない。
少子化。
これはマジやばい。
移民誘致をいつ進めるか、
待ったなし。
みんな外国人と仲良くやれよ。
日本人ならできる。 http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je09/pdf/09p03023.pdf
ここに掲載されている再分配効果の国際比較を見てわかるように、
日本が他の先進諸国と比べて再分配を重視する社会主義的国家だ
というのが疑わしいことがわかる。むしろそれを反証している。 >>198
安倍政権はそれを受けて高所得者への課税を増やそうとしていると思われる。 みずほ総合研究所の「日本の格差に関する現状」
http://www.cao.go.jp/zei-cho/gijiroku/zeicho/2015/__icsFiles/afieldfile/2015/08/27/27zen17kai7.pdf
に掲載されている「2(1) 所得格差の国際比較 @」という項の
「 所得が上位1%の家計に集中する割合(国際比較)」
で重要なことは、日本、英国、米国、フランス、スウェーデンが共通して
戦前に格差が大きくて戦後に小さくなるという似たような変動を示していることだよ。
国ごとの違いではなく、世界システムとしての資本主義を見るべきだと思う。 >>200
世界システムとしてのブレトンウッズ体制が崩壊した理由はその国ごとの違いなんだよな 死を完成させること。子育てのスペースを作ってきたこと。 ソ連の経済的失敗はやはり消費財への移行がうまく行かなかったことだと思う。
つまり消費社会の開花に結びつかなかった。 柳田國男さんによれば昔の日本には「世間師」と呼ばれる人がいて、
村を離れて諸国を巡り、異郷のことをよく知る旅人を指したんだそうで。
その世間師の異郷話のことを「世間話」と言ったんだそうだ。
要するに彼によれば「世間(セケン)」とはウチとソトのソト、
つまり外部のことであって、それを人間社会という意味で使うのは
日本語の古くからの用法じゃないらしいんだな。
『定本柳田国男集』第6巻を参照あれ。 「世間」という言葉の現代用法でもたしかに「外部」という意味はあるんだよ。
「世間体が悪い」と言うとき、身内(家族)の外にある世間が思い浮かべられているはず。
つまり、外での体裁が悪いという意味なんだな。世間体=外面。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています