カール・マルクス 12
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世間師という言葉は廃れてしまって世間体という言葉だけが残って、
その世間体の用法が家族内の個人(特に子供)にとってひどく窮屈な
意味を持つようになったというところに、阿部謹也さんの議論が出てくる
根拠がもしかするとあるのかもしれない。
何かと「世間体が悪い」という言葉によって日本の子供達は親たちから
行動を制約されてきた躾の記憶をもっているので、その心理的閉塞感が
阿部謹也さんが抱く「セケン」のイメージになってしまった可能性があるね。 もう忘れられているんだが、
江戸時代の人は思っている以上に仏教的な価値観の世界を生きていた。
倫理も仏教基準だし、
極楽と地獄。
それが世間。
>>
「いつまでいっていても仕方のないこと 。
早く早く殺して殺して 」と 、最期を急げば 、「承知した 」と 、脇差をするりと抜き放し 、
「サアただ今だ 、南無阿弥陀仏 、南無阿弥陀仏 」といっても 、さすがにこの年月 、いとしい 、かわいいと 、
抱きしめて寝た肌に刃が当てられようかと 、
眼もくらみ 、手も震えて 、弱る心を引きしめ 、取り直してもなお震え 、突こうとはしても 、
切っ先はあちらへはずれ 、こちらへそれ 、二 、三度ひらめく剣の刃 、あっと一声だけ上げたお初の喉笛にぐっと通るや 、
「南無阿弥陀 、南無阿弥陀 、南無阿弥陀仏 」とえぐり通し 、えぐりつづける徳兵衛の腕先も弱ってゆく 。
弱りきったお初を見ると 、両手を伸ばし 、断末魔の四苦八苦 、哀れといってもいい尽くせない 。
「自分とても遅れようか 。息は一度に引き取ろう 」と剃刀取って喉に突きたて 、柄も折れよ 、刃もくだけよとえぐり 、
ぐりぐりえぐりつづけると 、目もくらみ 、苦しむ息も 、暁の死ぬべき時刻をむかえて絶えはてた 。
誰が告げるとはなく 、曾根崎の森の下風に乗って噂が伝えられ 、
広まりつづけて 、身分の高下にかかわりなく大勢の人たちの回向を受けて 、未来成仏疑いのない恋の手本になった 。
曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島 近松門左衛門 角川ソフィア ISBN:4044011036
<< >>212
阿部はどーでもいいよ。(笑)
世間は仏教用語だから聖徳太子時代から使われてる。
明治に社会が生まれたときに、
社会は民主主義世界だから、
世間はネガティブに捉えられるようになった。
それでも、今も日本人は社会でなく、世間を生きている。
世間の皆様に迷惑をかけないように。 日本に限らず、会社社会主義というのが資本主義の中にあるように見える。
資本主義は個人個人がバラバラに市場で出会う自由な経済をモデルにしている
というイメージを近代経済学は抱かせる(錯覚させる)けど、実際には会社が
非常に大きな力・権力をもっていて、そこに人生の運命を個人は握られている。
これは日本に限らず欧米社会でも違わない。 >>215
日本の会社主義は特殊だと思うが、
終身雇用とか、人生、家族そのものが帰属する。
西洋では会社は会社、コミニティはコミュニティでは? 国家や社会がそのほうな統制を上から直接しているという面もあるかも
しれないけど、それと同時に、フーコーの議論を踏まえるならば、
そのような選択を個人に必然的にさせるようなインセンティブとして働く
ゲームの構造ががっちり仕組まれていると見るべきかもしれない。 >>204
その世間師の話はほんとかな?
江戸時代は檀家制度で、村々に寺があって、坊さんが世間とのネットワークをになっていた。
お話も坊さんがする。 収入あっての生活だから
会社ってのは大きいんじゃないの >>216
たしかに程度の差異はあるかもしれないですね。
でもそれはもう少し複雑かもしれない。
実証研究ではいくつかの矛盾するデータがあるようなので、
それをどう整理するか、さらなる詳しいデータが必要。 社会は、
個人単位、
民主主義の法が基準
世間は
イエ、村単位、
勤勉、正直、献身が基準 日本人は、政治でも、世間を重視する
左翼が忖度で首相を批判するのは笑う。
左翼なら法を基準を語れよといいたい(笑) 首相を批判する=左翼ってのが古臭い価値観じゃねーの 別に首相を批判するのは左翼だけではないが、
左翼なら忖度なんかで批判するなと ようするに、日本人はみな結局今も世間を生きてる右翼ということ。
だから献身道徳的国家社会主義もうまくいく
社会は、
個人単位、
民主主義の法が基準
世間は
イエ、村単位、
勤勉、正直、献身が基準 >>225
ムラ、イエ…左派が最も嫌悪、批判する概念の中にある
キーワードだね。 セクトという形でムラや擬似イエが残っているとは思うけどな。 正確には、日本の場合は、世間社会主義。
世間は国家も政治家も自称左翼も、日本人すべてを内包する。
日本人には、西洋的な、国家と市民、資本家と労働者の対立概念が薄い。
みんな、世間じゃないか。
安倍首相だって世間、話せばわかる。
法律なんでいざとなれば改訂すればいい。
法で裁かれたから償ったと思うなよ。世間がゆるさん。
だから自民党一党政治で問題ない。
自民党は世間のことを良く聞く。
だってみんな世間なんだから。 >>229
日本人と言われるのも嫌がる左翼も多いけどな。 大東亜戦争の意義はともかくとして、
とりあえずは自虐史観から入った方がいいと思うけどな。 左翼が概念化に失敗したのが大きいな。
過ちは過ちとして認める史観なんて長ったらしすぎるからな。
まあ、唯物史観に立った上で考えると、
前の大戦は大きな流れの中の一コマだと思っているあっさりした人もいるだろうね。 マルクス主義のスレとは思えないけど、哲学板ならアリかな?
マルクス主義周辺が純粋な経済学以外に人々に何をもたらしたか。一部のフェミニストとかもそうでしょ? フェミニズムがどうこうとかのようなアイデンティポリティクスなんかよりも、
貨幣発行自由化論、地域通貨、仮想通貨の方が今や流行りの物になってしまった感がある。 なんだかんだいって、民主主義の一番の問題は金がかかることだよ。
1回セックスすると子供ができるわけで、ねずみ算式に人口は増える。
急激に増える人口に対して、人権を確保して、平等を維持する。
どれだけの金がかかるか。
その意味で、自由主義は経済的な解だよ。
機会の平等の元、自然にゆだねる。
金がかければないなりにやりくりする。
そこに言われるのが、北欧信仰。
北欧では高い税金を払う代わりに、社会保障を充実されている。
人々の充実度も高い。
でも小さな規模だからできるんだろうと言われる。
ようするに、北欧の経済は閉じているわけではない。
輸入もすれば輸出もする。
自由競争に値段の下がった製品や、途上国の安い製品を買っている。
だから北欧のようなことを世界レベルでやったとき、
もう逃げ場はない。
閉じた中で成立できるか。
あるいは、ベーシックインカム。
最初にある程度のお金を等しく渡す、って、
それが無くなったらどうするの。
社会保障費をそこに使ってると、もう補助する財政ないよ。 共産主義のように、経済そのものを国家管理する。平等にする。
言うのは簡単だけど、人の活動全般を管理するってどうなの? その中で、なぜ日本だけが、社会主義に成功したのか。
公平な社会を維持できるのか。
それは、研究して、世界が手本にすべきだよ。 要するに意思決定に明らかな偏りがあるわけっでだ
これは特定の産業・企業に利益誘導を行っていたといっていいだろう
だからゼネコンや建築会社等が腐敗して日本の建築物の耐久性の低さが今問題になっている
日本家屋やマンションが何故30−50年で資産価値ゼロになるのか >>243
陰謀論(笑)
ほんと左翼はなにをやっても駄目だな 地震国だし、安全基準も厳しいしね。また綺麗好きな国民性もあるし、経済も回さないと。陰謀論にするのは簡単だけどさ。
「医学界や製薬会社の陰謀に利用されるぐらいなら病気行かずに薬飲まずに死んでやる!」みたいにはならんように。 クールジャパンでやってたな
なんで日本人は新築をほしがるのか
外国人の素朴な疑問
日本人の新しもの好きというのはある。
日本人ほど新製品が好きな国民も珍しい。
だから企業絶えず少しなにかを変えて新製品を出している。
モデルチェンジが早い。 違うよ
日本のマンションはメンテナンスを考慮して作られていない。
特に排水管の設置場所や構造が致命的で改修工事が大掛かりで実質できなかったりしている。
後窓のサッシなんかも日本は安物。
海外は二重構造はもちろんフレームの熱伝導とかも考えられているものを採用している。 資本主義の限界がきてもその次もまた資本主義か?
それとも衆愚政治となり果てた末に王政復古からの暗黒時代へと突入するのか
マルクスが言うような共産・社会主義のl機運は全く高まらないな >>249
俺たち人間だもの。マルクスのロボットにはなれない。 ちなみに、柳田の協同組合への着目(三倉=義倉・社倉・常平倉。柄谷行人『遊動論』、ケインズ
全集#27参照)は マルクス経由ではなく、飢饉の経験からくる
柳田はマルクスの抽象能力の影響下にはない
柳田は暴力革命を危惧していたから
マルクス資本論(抽象能力の産物)の影響はない。チューネン孤立國の影響はある(方言周
圏論-柳田国男『蝸牛考』)
ただマルクスはチューネン、ハイネの影響を受けていたから柳田とマルクスは学問状況的には同門であると言える
マルクスのチューネン評は以下で見られる。
資本論1:23:1(子供じみている)、クーゲルマン宛て書簡#32(ほろりとさせられる)。 参考:
チューネン自然労賃:(生活必要賃金a+超過分y)=√ a一人当たり生産額p
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
差額地代しか見ていないと揶揄される傾向もあるが
こう見るとチューネン自然労賃の認識はマルクスの再生産表式の認識とそこまで違いはない
《「…次ぎのような疑問がおこる、──資本の創造者たる労働者がいかにして、資本の
支配者から資本の奴隷となりえたか?」(フォン・テューネン『孤立国家』、第二部
第二篇。ロシュトック、一八六三年、五、六頁。)疑問をおこしたのはテューネンの
功績であるが、彼の解答はまったまったく子供じみたものである。 》
(『資本論』123:1河出書房新社版)
《このチューネンにはどこかほろりとさせられるところがあります。メクレンブルクの
ユンカーで…観察、微分計算、簿記等を使いながら、リカードの地代論を自分で組み立て
ているのであるから。これこそまさに大したものでもあり、滑稽でもあります。》
(「マルクスからルートヴィヒ・クーゲルマンへ〔1868年〕K.Marx-F.Engels[1965]Band32 >>247
逆だろ。
日本人は新築を好むから、長期を想定して金をかけた建物を立てても無駄。 外国人曰く、日本人はマイホームへのこだわりが強いらしい。
新築物件を購入することが人生の一つの目標になっている。 老朽で問題なのは、道路、橋など公共の建造物だろう。
高度成長期に整備されて、いま一気に老朽化しているが、
それを整備する金がない。 そもそも木造家屋を基本とする日本では、家は建て替えるのが慣習なんだろう。
建築も長期を想定しないて設計されて、
人々も新築を求める。
それを建築業界の策略みたいに言うのはどうか。
ここでもあるのは西洋の価値観が絶対で日本人は間違っているネガティブ思考。
日本左翼の基本だな。 日本の左翼は、とにかく日本的なものがお嫌い。
そういう人間ほど、ド日本人だったりする。 説明ができない事を無理矢理捩じ込もうとするのやめたら?(笑 少なくとも家を買った人達は五十年後に新しい家に買い換えるつもりはなかっただろうに
本当に酷い詐欺みたいな話だよ 新し建築ならかなり繁殖が期待できますが、古代建築の価値もまだ出ていないし、
年上の男ばかりが建設している家も女性や女子供にとって
住みにくいし、課題は山積ですが、ずいぶんよくなるでしょう。 消費期限切れた食べ物を食べて腹壊して、
店に殴り込みに行くのはクレーマーであって、
左翼ではないからな! 左翼の理想論が日本では中二病としか利用されなくなってる現状を憂うよ。
陰謀論、大人は汚いは左翼ではないからな。
哲学者たちは世界を解釈しただけだ。
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今月の生活費が足りないかも… 。
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そんなアナタのお金の悩み、相談はエスティーエーで、ホームページもあります、エヌピーオーホウジン、エスティーエーでケンサク! マルクスの未来展望論でちょっと気になるのは、
プロレタリアートの将来像にどこか理想化した人格形成を与えているように
見えなくもないところかな。
しかしプロレタリアートはもっと愚かで弱い。そこは変わらないと思う。
ルンペンプロレタリアートというのは明確な分類定義というよりも、
マルクスとエンゲルスの中でプロレタリアートの暗部を疎外したものかもしれない。 ひ弱というよりサービス残業に魅力が無くなったんでしょ。
相変わらず日本人は勤勉なわけで プロレタリアートがプロレタリアートの後継者に奴隷労働を強いる構図。
マルクス社会学にとって重大なテーマだと思う。 資本論ってどんな問題に対してもこれに当てはめれば一定の答えが出ちゃうから便利だよな。
一時期、社会科学全般でマルクス主義が猛威を振るったのも分かる気がする。
マルクスの分析に依拠して従来の研究を見直すだけで、論文が一丁上がりだもんな。
でも問題提起ばかりで解決策を示せないことが多いし、「それはマルクス主義に立てばそうなんでしょうが・・・」みたいなことも多い。
似たようなことは聖書についても言えるけど、どう付き合っていけば良いのかね。 社会主義、共産主義
なんでマルクスだけが特別なのか? マルクスは、
年取ってからの著作だけでなく、
学位論文もライン新聞の時の評論も経済学哲学草稿もドイツイデオロギー・・・も
全部優れた業績だからでしょう。
日本では西田幾多郎や和辻哲郎が特別視されるのも同様の理由からだろうね。 社会主義も共産主義もマルクスは後発者だけど、
資本主義分析において体系化したからだろう。
科学的と言われる唯物史観、経済学。
この道具をもとに、世界設計の夢を見る、楽しむ。
啓蒙主義を正当に継承してるんだろう。
サンシモンが啓蒙主義者に憧れたように、
その魂は受け継がれて、
マルクスによりより具体的な手法化した。 マルクスはルンプロを罵倒してはいたけど、
ライン新聞時代の森林問題に関する論考のように、
どちらかといえば弱いものの立場に自分を置いて生きた人だと思う。 >>267
マルクスの主体はさすがに理性主義というわけにはいけないから、
類的存在など、自然主義に基礎づけられた隠れ理性主義の啓蒙主義者。 >>261
マルクス主義が中二病者に活用されるのは、
その理想主義故でしょ。
マルクスが語るのは、社会主義という究極の社会。
現実はいつも不完全なるが故に、理想論からの批判も終わることがない。
その構造に、マルクスと中二病者の相似がある。 学問的な括りではマルクス=エンゲルスだけど、
政治的な括りではマルクス=レーニン主義だよね。
革命について堂々と語った彼らに惹かれる人が多いのはわかる。 啓蒙主義とは、ニュートン力学が神の世界、天体を数術で記述しえたように、
人間社会もまた記述しようという理想論。
啓蒙主義そのものは理性批判により早々と挫折したが、
その理念は今も続く近代の理念となった。
社会主義、そしてマルクスはその正当な継承者。
自由主義はむしろ異端。 そもそも資本主義、自由主義は思想か。
現実を記述した面が強く、
誰かが設計したわけではない。
理念は事後的、あとづけてあることが多い。 『ゴータ綱領批判』はマルクスによる社会主義批判の書だよ。
そこで展開されていたのはポスト社会主義論。 先付けでもなんでも理論どおりに運用することができれば正しい
マルクス主義は理論通りにいかず役に立たないものとして世界から見放された訳だ >>283
マルクスはいつもポストだよ。
そして最後にわけわからなくなった。 >>284
マルクス主義の必殺技しらんの。
将来には……
この必殺技は誰にも敗れる。
将来のことは誰にもわからんのだから。
だから啓蒙主義は必ず回帰する。
マルクス主義の姿をして ある現実を記述し、それを正当化ないし批判するという風に価値付けを行うと、
ある種の型となるのは確かだろうね。
肯定的な型は理念型
否定的な型はディストピア 逆に、啓蒙主義的なものにどんな成果があったんだと
帰結主義というのは、科学、医療、社会政策を含めて全て今という世界を動かしている力なんだが マルクスとエンゲルス以前の社会主義は社会改良主義的資本主義または
社会設計主義という性格が強い。
社会改良主義・社会設計主義というのは計画経済論的なもので、
マルクスとエンゲルスもこれらの影響を色濃く受けているとは思うけど、
マルクスはリカード経済学を批判的に継承して進化経済学の基礎を築き、
特にエンゲルスは今日の紛争理論につながる基礎を築いた。
資本主義的ゲームはそのゲームの特性によって半ば必然的に共産社会の
土台を用意するように進化してく、適応していくんだ、という仮説を打ち立てた。 ゴータ綱領はある意味で社会主義思想の集大成みたいなものだけど、
マルクスはそれに満足しなかった。
それはマルクスとエンゲルスの考える共産社会ではなくて共産社会と
資本主義社会の混合経済に過ぎない、ということを彼は言った。 マルクスは生産関係の変化の条件と一つの生産関係から別の生産関係への変化の傾向と資本制生産関係の変化の傾向を論じた
生産関係の変化の条件は生産関係が生産力の増加ストップの原因となることであり、また、資本制生産関係においては資本家の利潤率が長期的に低下することから、
資本制生産関係は将来的に生産力の増加ストップの原因となり生産関係の変化の条件を満たすことになる
そして、その時以降から人々が自発的に生産力を上げるために資本制生産関係を変えるための活動を始める
というのがマルクスの主張である
さて、資本制生産関係において利潤率が傾向的に低下するのはなぜであろうか
それは資本制生産関係においては資本家は必ず剰余価値を設備投資に優先して振り分け、それをすると総資本に対する剰余価値の割合が低下するからだ
というのがマルクスの主張である
本当に資本制生産関係において資本家は必ず剰余価値を設備投資に優先して振り分けるのだろうか?
答えはノーである、資本家はそんな馬鹿なことはしない
総資本に対する剰余価値の割合が低下するというのに設備投資をするような馬鹿なことをする資本家は存在しない、実際には設備投資をせずにコストカットしたりコストカットしつつ設備投資をしたりして常に利潤率が上がるように工夫しているのだ >>293
最後の段落の主張の根拠は?実際には〜というからには何かそういうデータあるの?それとも単なるあなたの感想?
まさかウチの親父は自営業だけどそうしてるとか言わないよな? 少なくとも通俗的なマルクス主義理解では
資本主義は「主義」とか「思想」ではなく技術を土台にした社会関係であり、
イデオロギーは事後的にそれを正当化するために付与されるものにすぎず、
ブルジョア経済学もそのように進化した。
資本主義を「主義」とか「思想」として論じたのはマックス・ヴェーバーのはず。
イデオロギーは事後的なものでなく資本家的生産様式の前提条件または起源。
しかしこの場合のイデオロギーは、意識化されたそれというより社会的慣習行動、
エートスといったものに近い。理念というよりはハビトゥス。 >>294
親父じゃないけど知り合いの経営者に聞いたらそう答えたよ、マルクスが言ってるようなことはしないってね >>293-294
資本家は市場に関する完全な情報をもって常に最適な解をゲームの中で選択する
集合的には極めて合理的な経済主体であるという仮定? >>293さんみたいなことを想定しているのがいわゆる「置塩の定理」ってやつ? >>264
で
屁理屈をいつまでも続ければ知ったかぶりを誤魔化せると思ってるの?(笑 >>297
そんなことしなくても帳簿を見て経験に照らして判断するんだよ、経験的に利潤率が下がりそうなことはしないし大体予想は当たる マルクスは独立自営民、商人資本についてはあまり言及しないよな。 >>302によれば、ミクロ経済的に資本家が利潤率を高める技術選択をしたとしても、
それが合成されたマクロ経済的には利潤率が低下する傾向が現れるとしたマルクス。
それに対して置塩さんはマクロ経済的にも利潤率は低下しないんだと証明した。
しかし晩年の置塩さんは自らの定理の仮定が打倒ではなかったと修正を加えて
利潤率低下の法則が成り立つことをコンピュータシミュレーションで証明した。 置塩氏は、晩年の論文で、柴田・置塩の定理を撤回したわけではないが、
その定理が仮定した前提条件について考えが変わったと修正を加え、
数理シミュレーションによってマルクスの利潤率の傾向的低下法則を
証明している。>>302ではなぜかその点については触れられていない。 >>305
そのシミュレーションによる証明はどの論文で読める?とても興味がある >>289
啓蒙主義は、科学を手に入れた人間の根源的な欲望なんだと思う。
この世界を完全に支配したい。
予測不可能という恐怖から逃れたい。
だから近代に啓蒙主義は回帰し続ける。 近代においては、知は逆転した。
近代以前は実働を伴わない知は蔑視されていた。
それが近代に理論知こそが知であり、
実践的な知は下等なものとなった。
実践知はその場だけに適用できる限定的な知で下等、
より高尚なのは、普遍性を持つ抽象化されて理論知である。
これが近代に起きた知の大転倒だ。
啓蒙主義はその先駆けであり、今もその流れは変わっていない。 啓蒙主義そのものは理性批判により早々と挫折したが、
その理念は今も続く近代の理念となった。
社会主義、そしてマルクスはその正当な継承者。
自由主義もまた、啓蒙主義を継承しているが、むしろ異端。
神の手とは謎の言葉で濁している。
そもそも資本主義、自由主義は思想か。
現実を記述した面が強く、
誰かが設計したわけではない。
理念は事後的、あとづけてあることが多い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています