カール・マルクス 12
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>>249
俺たち人間だもの。マルクスのロボットにはなれない。 ちなみに、柳田の協同組合への着目(三倉=義倉・社倉・常平倉。柄谷行人『遊動論』、ケインズ
全集#27参照)は マルクス経由ではなく、飢饉の経験からくる
柳田はマルクスの抽象能力の影響下にはない
柳田は暴力革命を危惧していたから
マルクス資本論(抽象能力の産物)の影響はない。チューネン孤立國の影響はある(方言周
圏論-柳田国男『蝸牛考』)
ただマルクスはチューネン、ハイネの影響を受けていたから柳田とマルクスは学問状況的には同門であると言える
マルクスのチューネン評は以下で見られる。
資本論1:23:1(子供じみている)、クーゲルマン宛て書簡#32(ほろりとさせられる)。 参考:
チューネン自然労賃:(生活必要賃金a+超過分y)=√ a一人当たり生産額p
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
差額地代しか見ていないと揶揄される傾向もあるが
こう見るとチューネン自然労賃の認識はマルクスの再生産表式の認識とそこまで違いはない
《「…次ぎのような疑問がおこる、──資本の創造者たる労働者がいかにして、資本の
支配者から資本の奴隷となりえたか?」(フォン・テューネン『孤立国家』、第二部
第二篇。ロシュトック、一八六三年、五、六頁。)疑問をおこしたのはテューネンの
功績であるが、彼の解答はまったまったく子供じみたものである。 》
(『資本論』123:1河出書房新社版)
《このチューネンにはどこかほろりとさせられるところがあります。メクレンブルクの
ユンカーで…観察、微分計算、簿記等を使いながら、リカードの地代論を自分で組み立て
ているのであるから。これこそまさに大したものでもあり、滑稽でもあります。》
(「マルクスからルートヴィヒ・クーゲルマンへ〔1868年〕K.Marx-F.Engels[1965]Band32 >>247
逆だろ。
日本人は新築を好むから、長期を想定して金をかけた建物を立てても無駄。 外国人曰く、日本人はマイホームへのこだわりが強いらしい。
新築物件を購入することが人生の一つの目標になっている。 老朽で問題なのは、道路、橋など公共の建造物だろう。
高度成長期に整備されて、いま一気に老朽化しているが、
それを整備する金がない。 そもそも木造家屋を基本とする日本では、家は建て替えるのが慣習なんだろう。
建築も長期を想定しないて設計されて、
人々も新築を求める。
それを建築業界の策略みたいに言うのはどうか。
ここでもあるのは西洋の価値観が絶対で日本人は間違っているネガティブ思考。
日本左翼の基本だな。 日本の左翼は、とにかく日本的なものがお嫌い。
そういう人間ほど、ド日本人だったりする。 説明ができない事を無理矢理捩じ込もうとするのやめたら?(笑 少なくとも家を買った人達は五十年後に新しい家に買い換えるつもりはなかっただろうに
本当に酷い詐欺みたいな話だよ 新し建築ならかなり繁殖が期待できますが、古代建築の価値もまだ出ていないし、
年上の男ばかりが建設している家も女性や女子供にとって
住みにくいし、課題は山積ですが、ずいぶんよくなるでしょう。 消費期限切れた食べ物を食べて腹壊して、
店に殴り込みに行くのはクレーマーであって、
左翼ではないからな! 左翼の理想論が日本では中二病としか利用されなくなってる現状を憂うよ。
陰謀論、大人は汚いは左翼ではないからな。
哲学者たちは世界を解釈しただけだ。
問題は、世界を変革することなのだ。 年末年始、急な入り用の時…
今月の生活費が足りないかも… 。
急な出費でお財布がカラッポ… 。
リアルに一か月一万円で生活しないとやばい!
借金の返済が立て込んでどうしようもない! (金融機関、住宅ローン、会社、個人など)
給料が減少し、生活が苦しい !
そんなアナタのお金の悩み、相談はエスティーエーで、ホームページもあります、エヌピーオーホウジン、エスティーエーでケンサク! マルクスの未来展望論でちょっと気になるのは、
プロレタリアートの将来像にどこか理想化した人格形成を与えているように
見えなくもないところかな。
しかしプロレタリアートはもっと愚かで弱い。そこは変わらないと思う。
ルンペンプロレタリアートというのは明確な分類定義というよりも、
マルクスとエンゲルスの中でプロレタリアートの暗部を疎外したものかもしれない。 ひ弱というよりサービス残業に魅力が無くなったんでしょ。
相変わらず日本人は勤勉なわけで プロレタリアートがプロレタリアートの後継者に奴隷労働を強いる構図。
マルクス社会学にとって重大なテーマだと思う。 資本論ってどんな問題に対してもこれに当てはめれば一定の答えが出ちゃうから便利だよな。
一時期、社会科学全般でマルクス主義が猛威を振るったのも分かる気がする。
マルクスの分析に依拠して従来の研究を見直すだけで、論文が一丁上がりだもんな。
でも問題提起ばかりで解決策を示せないことが多いし、「それはマルクス主義に立てばそうなんでしょうが・・・」みたいなことも多い。
似たようなことは聖書についても言えるけど、どう付き合っていけば良いのかね。 社会主義、共産主義
なんでマルクスだけが特別なのか? マルクスは、
年取ってからの著作だけでなく、
学位論文もライン新聞の時の評論も経済学哲学草稿もドイツイデオロギー・・・も
全部優れた業績だからでしょう。
日本では西田幾多郎や和辻哲郎が特別視されるのも同様の理由からだろうね。 社会主義も共産主義もマルクスは後発者だけど、
資本主義分析において体系化したからだろう。
科学的と言われる唯物史観、経済学。
この道具をもとに、世界設計の夢を見る、楽しむ。
啓蒙主義を正当に継承してるんだろう。
サンシモンが啓蒙主義者に憧れたように、
その魂は受け継がれて、
マルクスによりより具体的な手法化した。 マルクスはルンプロを罵倒してはいたけど、
ライン新聞時代の森林問題に関する論考のように、
どちらかといえば弱いものの立場に自分を置いて生きた人だと思う。 >>267
マルクスの主体はさすがに理性主義というわけにはいけないから、
類的存在など、自然主義に基礎づけられた隠れ理性主義の啓蒙主義者。 >>261
マルクス主義が中二病者に活用されるのは、
その理想主義故でしょ。
マルクスが語るのは、社会主義という究極の社会。
現実はいつも不完全なるが故に、理想論からの批判も終わることがない。
その構造に、マルクスと中二病者の相似がある。 学問的な括りではマルクス=エンゲルスだけど、
政治的な括りではマルクス=レーニン主義だよね。
革命について堂々と語った彼らに惹かれる人が多いのはわかる。 啓蒙主義とは、ニュートン力学が神の世界、天体を数術で記述しえたように、
人間社会もまた記述しようという理想論。
啓蒙主義そのものは理性批判により早々と挫折したが、
その理念は今も続く近代の理念となった。
社会主義、そしてマルクスはその正当な継承者。
自由主義はむしろ異端。 そもそも資本主義、自由主義は思想か。
現実を記述した面が強く、
誰かが設計したわけではない。
理念は事後的、あとづけてあることが多い。 『ゴータ綱領批判』はマルクスによる社会主義批判の書だよ。
そこで展開されていたのはポスト社会主義論。 先付けでもなんでも理論どおりに運用することができれば正しい
マルクス主義は理論通りにいかず役に立たないものとして世界から見放された訳だ >>283
マルクスはいつもポストだよ。
そして最後にわけわからなくなった。 >>284
マルクス主義の必殺技しらんの。
将来には……
この必殺技は誰にも敗れる。
将来のことは誰にもわからんのだから。
だから啓蒙主義は必ず回帰する。
マルクス主義の姿をして ある現実を記述し、それを正当化ないし批判するという風に価値付けを行うと、
ある種の型となるのは確かだろうね。
肯定的な型は理念型
否定的な型はディストピア 逆に、啓蒙主義的なものにどんな成果があったんだと
帰結主義というのは、科学、医療、社会政策を含めて全て今という世界を動かしている力なんだが マルクスとエンゲルス以前の社会主義は社会改良主義的資本主義または
社会設計主義という性格が強い。
社会改良主義・社会設計主義というのは計画経済論的なもので、
マルクスとエンゲルスもこれらの影響を色濃く受けているとは思うけど、
マルクスはリカード経済学を批判的に継承して進化経済学の基礎を築き、
特にエンゲルスは今日の紛争理論につながる基礎を築いた。
資本主義的ゲームはそのゲームの特性によって半ば必然的に共産社会の
土台を用意するように進化してく、適応していくんだ、という仮説を打ち立てた。 ゴータ綱領はある意味で社会主義思想の集大成みたいなものだけど、
マルクスはそれに満足しなかった。
それはマルクスとエンゲルスの考える共産社会ではなくて共産社会と
資本主義社会の混合経済に過ぎない、ということを彼は言った。 マルクスは生産関係の変化の条件と一つの生産関係から別の生産関係への変化の傾向と資本制生産関係の変化の傾向を論じた
生産関係の変化の条件は生産関係が生産力の増加ストップの原因となることであり、また、資本制生産関係においては資本家の利潤率が長期的に低下することから、
資本制生産関係は将来的に生産力の増加ストップの原因となり生産関係の変化の条件を満たすことになる
そして、その時以降から人々が自発的に生産力を上げるために資本制生産関係を変えるための活動を始める
というのがマルクスの主張である
さて、資本制生産関係において利潤率が傾向的に低下するのはなぜであろうか
それは資本制生産関係においては資本家は必ず剰余価値を設備投資に優先して振り分け、それをすると総資本に対する剰余価値の割合が低下するからだ
というのがマルクスの主張である
本当に資本制生産関係において資本家は必ず剰余価値を設備投資に優先して振り分けるのだろうか?
答えはノーである、資本家はそんな馬鹿なことはしない
総資本に対する剰余価値の割合が低下するというのに設備投資をするような馬鹿なことをする資本家は存在しない、実際には設備投資をせずにコストカットしたりコストカットしつつ設備投資をしたりして常に利潤率が上がるように工夫しているのだ >>293
最後の段落の主張の根拠は?実際には〜というからには何かそういうデータあるの?それとも単なるあなたの感想?
まさかウチの親父は自営業だけどそうしてるとか言わないよな? 少なくとも通俗的なマルクス主義理解では
資本主義は「主義」とか「思想」ではなく技術を土台にした社会関係であり、
イデオロギーは事後的にそれを正当化するために付与されるものにすぎず、
ブルジョア経済学もそのように進化した。
資本主義を「主義」とか「思想」として論じたのはマックス・ヴェーバーのはず。
イデオロギーは事後的なものでなく資本家的生産様式の前提条件または起源。
しかしこの場合のイデオロギーは、意識化されたそれというより社会的慣習行動、
エートスといったものに近い。理念というよりはハビトゥス。 >>294
親父じゃないけど知り合いの経営者に聞いたらそう答えたよ、マルクスが言ってるようなことはしないってね >>293-294
資本家は市場に関する完全な情報をもって常に最適な解をゲームの中で選択する
集合的には極めて合理的な経済主体であるという仮定? >>293さんみたいなことを想定しているのがいわゆる「置塩の定理」ってやつ? >>264
で
屁理屈をいつまでも続ければ知ったかぶりを誤魔化せると思ってるの?(笑 >>297
そんなことしなくても帳簿を見て経験に照らして判断するんだよ、経験的に利潤率が下がりそうなことはしないし大体予想は当たる マルクスは独立自営民、商人資本についてはあまり言及しないよな。 >>302によれば、ミクロ経済的に資本家が利潤率を高める技術選択をしたとしても、
それが合成されたマクロ経済的には利潤率が低下する傾向が現れるとしたマルクス。
それに対して置塩さんはマクロ経済的にも利潤率は低下しないんだと証明した。
しかし晩年の置塩さんは自らの定理の仮定が打倒ではなかったと修正を加えて
利潤率低下の法則が成り立つことをコンピュータシミュレーションで証明した。 置塩氏は、晩年の論文で、柴田・置塩の定理を撤回したわけではないが、
その定理が仮定した前提条件について考えが変わったと修正を加え、
数理シミュレーションによってマルクスの利潤率の傾向的低下法則を
証明している。>>302ではなぜかその点については触れられていない。 >>305
そのシミュレーションによる証明はどの論文で読める?とても興味がある >>289
啓蒙主義は、科学を手に入れた人間の根源的な欲望なんだと思う。
この世界を完全に支配したい。
予測不可能という恐怖から逃れたい。
だから近代に啓蒙主義は回帰し続ける。 近代においては、知は逆転した。
近代以前は実働を伴わない知は蔑視されていた。
それが近代に理論知こそが知であり、
実践的な知は下等なものとなった。
実践知はその場だけに適用できる限定的な知で下等、
より高尚なのは、普遍性を持つ抽象化されて理論知である。
これが近代に起きた知の大転倒だ。
啓蒙主義はその先駆けであり、今もその流れは変わっていない。 啓蒙主義そのものは理性批判により早々と挫折したが、
その理念は今も続く近代の理念となった。
社会主義、そしてマルクスはその正当な継承者。
自由主義もまた、啓蒙主義を継承しているが、むしろ異端。
神の手とは謎の言葉で濁している。
そもそも資本主義、自由主義は思想か。
現実を記述した面が強く、
誰かが設計したわけではない。
理念は事後的、あとづけてあることが多い。 >>307
「マルクスの利潤率循環」だったと思う。
置塩さん自身が置塩の定理が置く仮定を変えて
その定理を否定する結果を導出していたはず。
もちろん、それは置塩の定理そのものを否定したのではなく、
その定理が置く仮定を現実的でないと置塩さんが見なして
修正したことによる結果にすぎないけどね。 科学合理的に社会を設計するという
啓蒙主義の理念をもっとも正当に受け継いでいるのはマルクス主義だ。
だから知識人はマルクス主義に回帰する。
この壮大な人類の難題に挑むために。
ん〜なんか違うっぽい。 >>291
だからマルクスのアイデアはすべてサンシモンが提案してる。 なんで日本のマル経の間で利潤率の傾向的低下論が
話題にならないんだって森本壮亮さんが疑問を
投げかけていらっしゃる。
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110010010452.pdf
ウィキペディアによると、トマ・ピケティ氏も
『21世紀の資本』で利潤率の傾向的低下論を再評価
しているというのに。 >>314
サン=シモンは、テクノクラート(技術官僚)主義の社会を理想とした人でしょ。
プロレタリアート主義じゃない。 >>316
いやいやプロレタリアートの先駆けだよ。
労働者による社会、生産手段の分配を初めて提案した。
そのために、管理組織として、技術者や銀行家の編成が必要と考えた。
その後の資本家が、銀行中心のコングロマリッドに応用したとしても、
サンシモンの理念はプロレタリアート >>317 それはいいとして、
例えば 桜井哲夫さんの『社会主義の終焉―マルクス主義と現代 』について
どう思われる? >>295
>資本主義を「主義」とか「思想」として論じたのはマックス・ヴェーバーのはず。
>イデオロギーは事後的なものでなく資本家的生産様式の前提条件または起源。
>しかしこの場合のイデオロギーは、意識化されたそれというより社会的慣習行動、
>エートスといったものに近い。理念というよりはハビトゥス。
資本主義を発明したのは、社会主義者でしょ。 昭和維新新論 橋川文三 読み始めたが、面白い。
教えてくれた人ありがと! サン=シモン「各人は能力に応じて働き、その働きに応じて得る」
マルクス「各人は能力に応じて働き、その必要に応じて得る」
サン=シモンはオーソドックスな社会主義者。
マルクスが資本主義からまだ脱却しきれていない共産社会の未熟な段階
とみなしてものに近い? 「各人は能力に応じて働き、その働きに応じて得る」だと
障碍者のような境遇にある方々まで社会主義社会は顧慮していない。
でも、
「各人は能力に応じて働き、その必要に応じて得る」であれば
障碍があってもその能力の範囲で働く権利があり、かつ、その必要とする
生活のセットを得る権利についても共産社会は顧慮しますよと示唆されている。 >>322
社会主義とはなにか?
フランス革命とき、自由と平等は分離していなかった。
最初にプロレタリアート中心の社会主義を提案したのかサンシモン。
マルクスもまた社会主義の具体像を示していないわけで、未熟。 >>323
>「各人は能力に応じて働き、その働きに応じて得る」
これはその時代にすれば画期的で、また頭がおかしい考え方。
無いところから生み出したわけだから。 >>315
確かに、利潤率の傾向的低下こそが資本主義生産様式を終わらせる資本主義生産様式特有の最重要性質なのに ちなみにレオン・ワルラスも社会主義者。
一般均衡理論も、ある意味では、市場に依拠した社会主義を構想している。
一種のユートピア市場論。 wiki
社会主義(しゃかいしゅぎ、英: socialism)は、個人主義的な自由主義経済や資本主義の弊害に反対し、
より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制[1]。
歴史的にも社会主義を掲げる主張は多数あり、
共産主義、社会民主主義、無政府主義、国家社会主義なども含む[2]。 やっぱり資本論は3巻本だから3巻目まで進む人が少ないんだと思うよ。 サンシモンの視点は、空想的というより、
マルクスより広い。
フランス革命がそう遠くない時代。
資本家と労働者の対立も激化する前
その意味では素朴かもしれないが
全員が労働者によるなればいい 俺は商品の章と交換過程の章しか読んでない。
マルクス経済学の教科書だと、第1巻〜第3巻まで形式通りに網羅しているのは
慶應の昔の教科書(https://www.amazon.co.jp/経済原論-有斐閣ブックス-常盤政治/dp/4641084033)
ぐらいか。 労働価値説も利潤率の傾向的低下説も、
ご存知のように、マルクスの完全のオリジナルというよりか、
古典派経済学の中にすでにあった命題であって、
マルクスはそこからヒントを得て批判的発展的にそれらを継承している。
だからシュンペータらは経済学説史においてマルクスを
正統派の一種として位置づけることを主張したんだと思う。 いまならおすすめは、
伊藤 誠 『資本論』を読む (講談社学術文庫) いわゆる「搾取論」についてもマルクスのオリジナルというよりか、
やはり古典派経済学の中に不完全な形ではあったとしても既にあったもの。
マルクス以前の経済学者はそれを当然としていたところがある。 労働価値説は、資本論のつまずきだろう。
労働価値説にせざるを得なかったんだろうけど、
交換論で破綻してる。
交換論において、労働価値は必要なくなってる。
資本主義分析としてはよいが、
社会主義としてはすでに躓いている。 AIの発展と社会適応次第では、ワルラス的社会主義とランゲ的社会主義とが
矛盾なく融合してしまう可能性があったりするかもね。ちょっと空想しすぎかな。 AI も最新の啓蒙主義の回帰
オートメーション
コンピュータ
インターネット
そしてAI
新しいテクノロジーでいつも左翼が回帰する(笑) 近世や近代の社会主義思想よりも、
現代の修正資本主義下での福祉国家や社会的厚生のほうが
ずっと進んだ面をもっているところが多々ある。
ただし社会の根本的秩序編制が変わっていないままなので
福祉国家も社会的厚生も極めて脆い土台の上に建っているにすぎない。 日本の場合、ホームレスやネットカフェ難民とかが結構いるから、
福祉国家になりきれていない、いや、国民がそうさせていない面があるのではないかと思える。 北欧信仰は怪しい。
あれを世界レベルで実行できるか。
結局、北欧福祉国家も世界経済の一部で、
自由競争の安価な製品に酔寄っている。 マルクの社会主義は結局何を目指したのか。
共産主義国家のような国家管理型の共産主義か、
あるいは夢のアソシエーションか。
アソシエーション的な国家は成立したことがないが、
今後、真のIT革命が起これば可能性がある。
シェアリングエコノミーだ。
各人が独立した生産者となり、また消費者となる。
大企業に労働時間を売るモデルへの依存が弱まる。
おそらくそう遠くないうちに実現するだろう。
すでにみな、大企業労働から離れて、趣味を含めて時間を使っている。
そこに取引が入るだけ。
労働形態はかなり多様になる。
労働は、一部を大企業に売り、個人間で売り買いして、
また労働へと拘束も減る。 唯物史観によれば、革命は下部構造、すなわち経済形態の変化でしか起こらない。
シェアリングエコノミーは、生産の民主化であり、
ビジネスが、B to B、B to Cから、C to Cへ
長らくお待たせしましたが、
やっとそこまでテクノロジーがついてきました。 アマゾンという名のビッグブラザーの存在が気になる訳だが。 >>344
現在、グーグル、アマゾン、ツイッターなどは、
みなの無償の労働コンテンツを元に膨大な収入を得ている。
それを少しでも、正当に労働者に返す。
彼らは著作権侵害にならないのか?
今後もナビゲート機能は重要で、彼らの仕事はなくないだろうが、
一人勝ち、搾取は許せない。 今一番も問題は、C to Cの支払いシステムがない。
あっても、中間マージンが高い。
現金を渡すように、1 円単位の支払いをできる交換システムがなければ、C to Cは成立しない。
なぜならネットは一人1円を一万人集めるシステムだからだ。
今のネット上の価値交換は、いいね!だ。
関心交換は活発だ。
これを貨幣価値化するには1円
単位が重要になる。
シェアリングエコノミーの重要な特徴は、それが商品貨幣等価交換ではないということ。
そこにあるのは、贈与交換なのだ。
たとえばいまもっとも成功しているシェアリングエコノミーはメルカリだ。
なぜヤフオクよりメルカリなのか。
その利用者に女性、主婦が多いことがポイントだ。
彼女たちは単に金がほしいだけではない。
私のいらなくなったものを活用してください、という贈与交換要素がある。
単に等価交換なら金を払った分の品質か、問題があるが、
贈与なら品質が悪くても仕方ない。
それは等価交換の二者の精算ではなく、
多くにコミュニティの助け合いであり、
そしてある種の善意の好感というコミュニケーションを楽しんでいる。
これがシェアリングエコノミーの本質である。
慈悲エコノミーなのだ。 >>330
ようやく3巻読み終えた。宇野の本を傍らに置いて。
3巻通読しないと意味がないと思いました。 すごいな。宇野弘蔵の体系とマルクスの体系にズレはあっても読めるもんなんだな。 今は簡単な不破やハーヴェイの解説書もあるし、3巻まで読むだけならそんなにキツくない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています